雑文

2017年6月15日 (木)

山之口貘の詩を読む

 Yamabaku
  山之口貘という詩人をご存じでしょうか? 知らない人のために、この詩人を紹介してみます。私にそのようなことをする資格があるかどうか大変疑問ですが、私の知る限りを紹介してみます。
 激動の戦前・戦中・戦後をかくもマイペースに、「僕」という生活者のままで、時流に流されず、貧困の中をユーモアを失わず生き抜いた人がいることを知るのは、私たちにとって、何か心が洗われるような気がします。

 では早速、貘さんの自己紹介から…。
  ~♪ 自己紹介 
   ここに寄り集まつた諸氏よ
   先ほどから諸氏の位置に就て考へてゐるうちに
   考へてゐる僕の姿に僕は気がついたのであります

   僕ですか?
   これはまことに自惚れるやうですが
   びんぼうなのであります                   ♪~

 山之口貘さんは、本名山口重三郎、沖縄の名家の生まれでしたが、家は破産・没落し、借金の肩代わりの下男奉公から逃れるため、那覇の公園や海辺で放浪生活を送ることになります。23歳で上京、詩を書きながら、暖房工事人夫、汲み取り屋、鉄屑運搬船の人夫、荷造り作業員、マンホールの掃除人など、職業を転々としながら生きていきます。16年間畳の上で寝ることはなかったといいます。
 貘さんは、まことにおおらかに、自らを誇れるような貧乏だったのです。

 ~♪ 存在
   …………
  僕である僕とは
  僕であるより外には仕方のない僕なのか
  おもうにそれはである
  僕のことなんか
  僕にきいてはくどくなるだけである

    なんとなればそれがである
  見さえすれば直ぐにも解る僕なんだが
  僕を見るにはそれもまた
  もう一廻わりだ
  社会のあたりを廻って来いと言いたくなる   ♪~

   汲み取り屋、マンホールの掃除人、底辺生活、…。「社会のあたり」を生き抜いてきた貘さんは、「僕」という人間の生活の現実を凛として描くことにより、社会を描いた詩人でした。
 貘さんが生きた時代は、戦争の時代でした。多くの詩人が大政翼賛、戦争賛美の詩へと傾斜する中で、友人の金子光晴氏と共に、貘さんは戦争・翼賛の詩を書かなかった数少ない詩人の一人でした。金子光晴氏は、はっきりとした反戦詩を書きましたが、獏さんは声高に反戦を主張するのではなく、ただひたすら「僕」の生活を書きました。戦争が激しくなっていく時期の「ねずみ」という詩をみてみましょう。

 ~♪ ねずみ
  生死の生をほっぽり出して
  ねずみが一匹浮彫みたいに
  往来のまんなかにもりあがっていた
  …………
  車輪が
  すべって来ては
  ねずみはだんだんひらたくなった
  ひらたくなるにしたがって
  ねずみは
  ねずみ一匹の
  ねずみでもなければ一匹でもなくなって
  その死の影すら消え果てた
  …………      ♪~

 厳しい言論弾圧の時代、個人の表現の自由は奪われていきます。検閲官は、この抵抗詩を、ただのネズミの詩として見逃しまったようです。
 戦後になっても貘さんは、「僕」の日常生活を描くことにより、社会を深く見つめる詩を書き続けました。平和。原水爆。沖縄などについて…。
 第五福竜丸事件にまつわる詩、「鮪に鰯」をみてみましょう。

 ~♪ 鮪に鰯
  鮪の刺身を食いたくなったと
  人間みたいなことを女房が言った
  …………
  ある日ぼくは食膳をのぞいて
  ビキニの灰をかぶっていると言った
  女房は箸を逆さに持ちかえると
  焦げた鰯のその頭をこづいて
  火鉢の灰だとつぶやいたのだ   ♪~

 ビキニの死の灰に脅かされ、腹立ち紛れの貘さん。「死んでもよければ鮪を食え」と言ってはみたものの、貧乏では鮪は食べられません。いつも食べている鰯の灰は火鉢の灰でした。何げない日常の生活の中に、ユーモアと鋭い社会批評が含まれています。

 ~♪  求婚の広告
 一日もはやく私は結婚したいのです
 結婚さえすれば
 私は人一倍生きていたくなるでしょう
 かように私は面白い男であると私もおもうのです
 面白い男と面白く暮したくなって
 私をおっとにしたくなって
 せんちめんたるになっている女はそこらにいませんか
 さっさと来て呉れませんか女よ
 見えもしない風を見ているかのように
 どの女があなたであるかは知らないが
 あなたを
 私は待ち侘びているのです       ♪~

  ~♪ 畳
  なんにもなかった畳のうえに
  いろんな物があらわれた
  …………
  結婚生活を呼び呼びして
  おっとになった僕があらわれた
  女房になった女があらわれた
  桐の簞笥たんすがあらわれた
  …………       ♪~

 求婚の広告に効果があったのか、金子光晴氏の世話で、貘さんは34歳でめでたく結婚します。やっと放浪生活に終止符をうちます。しかし、1963年、59歳で、胃ガンにより亡くなるまで貧乏生活は続きました。
 
 ~♪ 鼻のある結論
  ある日
  悶々としている鼻の姿を見た
  …………
  またある日
  僕は文明をかなしんだ
  詩人がどんなに詩人でも 未だに食わねば生きられないほどの
  それは非文明的な文明だった
  だから僕なんかでも 詩人であるばかりでなくて汲取屋をも兼ねていた ♪~

 貘さんは、自分の思想や主張を声高に主張するのではなく、社会の底辺や地べたの「僕」の現実を詩にすることにより、ユーモアと風刺の効いた社会批判や文明批判を書き残しました。
 詩人の高橋新吉は、「風刺詩人」、茨木のり子は「精神の貴族」と評しています。
 沖縄についての詩など、まだまだ紹介したいですが、スペースが無くなりました。
 今の時代に、ますます輝いている詩人の一人かと思います。
   山之口貘詩集(岩波文庫)、お薦めします。

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2017年6月 2日 (金)

40数年ぶりの再会

 Kyotoeki
  先日、40数年前の職場の同僚2人と再会することができました。
 京都駅中央改札の前で約束していましたが、直ぐ近くに立っていたにも拘わらずお互いが認識できず、携帯電話で話しながら確認しあうという状態でした。
 しかし、お互いを確認した後は、僅か数年間という付き合いだったにも拘わらず、その後の40年という時間の壁を遙かに超えて、何の違和感もなく、隔たりもなく、あの頃そのままに会話をすることができました。この後、3人で昼食を共にしながら、なつかしい時間を過ごしました。

 40数年前、私は、今回再会したM.Y子先生と共に、新採用教員としてY中学校に赴任しました。次の年に、U.K郎先生がやってきました。その後、M.Y子先生とは3年、U.K郎先生とは2年間の付き合いでした。3人が共有した時間は、人生全体から見れば僅かな時間でしかありません。半世紀近い前、3人の若者が偶然出会い、僅かな時間を共にし、そして別れていった、ただそれだけのことにすぎないのですが……。
 「民主教育」という言葉が、まだ輝きを持っていた時代。正しい教育のあり方を真剣に求めていた時代。自らの人間形成に大きな影響を受けた時代。そんな時代を必死に生きていたからこそ、心に深く想い出が刻まれているのだと思います。

 二人のことをほんの少しだけ紹介してみましょう。
  まず、M.Y子先生は、世界遺産の五箇山地方の出身です。少女時代は、学校へ行く前に軽く草刈りの一仕事。学校から帰ってからは、子守や夕食の支度などが日々の日課だったそうです。米作りと養蚕もやっていたため、桑の葉の取り入れから、田んぼの草とりから、農作業の手伝いは膨大だったそうです。
 「それでよくK大に合格できましたね。」と言うと、
 「世の中のすべての人が、そういう生活をしているものと、長い間思っていました。」でした。彼女にとっては、ごく普通の生活だったようです。
 大学時代の彼女は演劇部で活躍。その後、愛する先輩の後を追って京都府に就職。
 遠距離恋愛を実らせて結婚。ご主人は、高校の先生だったそうですが、定年退職後、請われて市会議員に。現在2期目に入っているそうです。家事に、合唱団に、諸活動に、持ち前の体力と精神力で忙しくしているようです。

  U.K郎先生は九州男児。九州のK大卒業。私などは、レールの上をただ平凡に走りたがる人間ですが、彼の場合は少し波乱に富んでいるようです。
 その後、しばらくして教師を退職。上を目ざして大学院へと進学。卒業後、まだネットビジネスが世間で広がる前に、ネットのプラットホーム作りを手がけたり、不動産に係わったり、いろいろやったそうです。数千万円の損を被ったこともあるとか。ネットビジネスに成功していれば、億万長者になったかも…。その後は、大阪の某有名進学校の英語教師として勤務。昨年退職を迎えたそうです。いつも前向きな彼は、まだまだこれから、人生を冒険していきそうです。

  「それじゃあ、また。」・・・二人とは、京都駅の雑踏の中で別れました。
  別れた後、言い知れぬ寂しさが湧いてきて、あの頃の想い出をたどりながら、雑踏の中を歩きました。
 半世紀近い時間を超えて、三人が心の中に共有していたものは何なのでしょうか。
 ひたむきな希望のようなもの。情熱のようなもの。時代の風のようなもの。それは、決して言葉では語ることのできない何かです。
  ・・・さよなら。また、いつかどこかで・・・・。
           ******
  「私はもう長くは生きられない。なつかしい人に再会し、お別れの言葉を言おう。」これが、今の私の目標です。
 人は記憶を失えば、自分が何者であるかさえ解らなくなってしまいます。つまり、自分の人生とは、自分自身の想い出の連鎖なのです。なつかしい想い出の人に再会するということは、その頃の自分の人生に再会するということです。
人生の節目で出会った人と再会し、想い出を語り合い、過ぎ去った自分自身の人生を再確認し、そして二度と帰らぬ日々に別れを告げていこうというわけです。
 話をしたい人はたくさんいるのですが、少々体調が思うようにいかないです。
                  では。 また。

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2017年1月20日 (金)

「一日一日を大切に生きる」を考える

 ~長田弘作、「最初の質問」という詩について~

 難病に罹った私に、残された時間は少なくなってきました。日々を大切に生きねばなりません。しかし、「一日一日を大切に生きる」とはどんな生き方なのでしょうか?
 目標を持ち、目標の実現に向けて一日一日努力する、これもありそうですね。
 人のためになることを見つけて、コツコツとやっていく。一日一善。これもありますね。 「病気で身動きできなくなり、たとえ介護されるだけの身になっても、祈ることはできる」。これは、聖路加病院の日野原氏の言葉です。
 人はそれぞれに大切にしたいものがあり、生き方も違います。「一日一日を大切に生きる」に、唯一の正解というようなものはありませんね。いろいろな考え方があって当然のことだと思います。

 長田弘さんの詩に、「最初の質問」という詩があります。今回は、この詩を手がかりに、この詩が示す、人にとって大切なものとは何か、「一日一日を大切に生きる」とは何かについて考えてみます。著作権の侵害にならないよう、切れ切れの引用になりますが。

~♪ 「最初の質問」   (長田弘)
  今日、あなたは空を見上げましたか。
  空は遠かったですか、近かったですか。
  雲はどんな形をしていましたか。
  風はどんな匂いがしましたか。

  あなたにとって、
  いい一日とはどんな一日ですか。
  「ありがとう」という言葉を、
  今日、口にしましたか。 ♪~

  Taisetu201_02_2 私は現役で働いていた頃、日々の忙しさにまぎれて、青い空や流れていく雲に挨拶することもありませんでした。日々吹いている風の匂いを感じとることもありませんでした。
 自然との語らいやありがとうという感謝の言葉のない一日が、いい一日であるはずがありませんね。

 

~♪ 窓の向こう、道の向こうに、
   何が見えますか。
   雨の雫をいっぱい溜めたクモの巣を
   見たことがありますか。

   樫の木の下で、あるいは欅の木の下で、
   立ち止まったことがありますか。
   街路樹の木の名を知っていますか。
   樹木を友人だと考えたことがありますか。 ♪~

 Shubun24seki_013_2
 雨の雫をためたクモの巣。自然の中にあるさりげなく美しいもの。
 街の中に、人のように立ち尽くす一本の欅。
 私たちは本来、草木を友とし、季節のうつろいや草木の生命力に心を動かされ生きてきました。しかし、日々の忙しさの中で、いつの間にかそのことを忘れてしまっているのではないでしょうか。  

 

  Risshun901_02_3長田さんは、「独り立つ木」という詩の中で、次のようにも述べています。
   「・・・ひときわ枝々をゆたかにひろげて、やわらかな影を落としてきた一本の大きな欅の木。雨の日には雨の影を、晴れた日には日の色を、夜には夜の薄闇を、巡る季節のなかにじっと畳んできた、静かな木だ。
 その木を独り立つ木にしたのは、みずから森を失いつづけてきた、人間の長いあいだの営みの結果にはちがいない。
  たった一本、これほどにも高い欅の木がそこに在るという、ただそれだけの爽快な事実。ただ在るというだけのことが、その木のように潔く存在することであると知ることは、日々のなぐさめだ。・・・」と。

~♪ このまえ、川を見つめたのはいつでしたか。
   砂の上に座ったのは、
   草の上に座ったのはいつでしたか。
   「うつくしい」と、
   あなたがためらわず言えるものは何ですか。
   好きな花を七つ、あげられますか。
   あなたにとって「わたしたち」というのは、だれですか。  ♪~

 Shunbun201_01_2
  遙かに流れていく川の流れ。砂の感触。草の匂い。
 私たちは、素直に美しいと感じるものを、日々暮らしの中で持てているでしょうか。
 携帯やスマホを欲しがる子どもたちは、「みんな」も持っていると親を説得しようとします。私たち大人は、社会や自然を含めた、広く豊かな「みんな」や「わたしたち」という考え方を持てているでしょうか。

~♪ 夜明け前に鳴き交わす
   鳥の声を聴いたことがありますか。
   ゆっくりと暮れていく
   西の空に祈ったことがありますか。

   何歳の時の自分が好きですか。
   上手に年を取ることができると思いますか。
   世界という言葉で、
   まず思い描く風景はどんな風景ですか。 ♪~

  A0011yuhi228_01 静かな夜明け前の鳥の声。生き物たちの活動の始まり。明けていく朝の風景。
 祈りのように赤く染まり暮れていく西の空。静かな一日の終わり。
 生き生きとしていた頃の想い出。
 これらは、すべて良い一日の材料ですね。
 人は誰でも、ゆっくりと死へ向かって歩んでいます。焦りや不安、恐れではなく、おおらかに、ゆっくりと死を受け入れていく、そんな気持ちを持てることが、良い一日の条件ですね。
 世界はどうしようもなく戦争をくり返してきました。不正義と混乱に満ちた世界ではなく、人びとが営々と築き上げてきた歴史や文化や芸術、それらの豊かな世界を心の中に描くことができるのは、良い一日のためには必要ですね。

~♪ 今あなたがいる場所で、
   耳を澄ますと、何が聴こえますか。
   じっと目をつぶる。
   すると何が見えてきますか。

   問いと答えと、
   いまあなたにとって必要なのはどっちですか。
   これだけはしないと、
   心に決めていることがありますか。  ♪~

0418kouno326_01 人はいつの頃から、騒々しくしか生きられなくなったのでしょう。静かに沈黙に向き合い、沈黙の声を聞く、目を閉じて過ぎ去った過去や未来と対話する、そんな時間が一日には必要ですね。
 何かを成し遂げることも意味があることですが、何かをしないことにも、同じように価値があることに気付くことがあります。 

 

~♪  いちばんしたいことは何ですか。
    人生の材料は何だと思いますか。

    あなたにとって、
    あるいはあなたの知らない人びとにとって、
    幸福って何だと思いますか。     ♪~

 人はやりたいことを追求し、幸福な自分の人生を形作ろうとしてきました。
  長田さんは言います。
 「大切な日常を崩壊させた戦争や災害の後、人は失われた日常に気づきます。平和とは日常を取り戻すことです。」、「敵を打ち倒すべき戦争によって危うくされてきたのは、敵ではなくて、Home(ホーム)だったのだ。」と・・・。
 幸福とは、どこか遠くにある特別なものではなく、いつもと変わらない、今ここにある日常生活のことなのです。

~♪  時代は言葉をないがしろにしている。
    あなたは言葉を信じていますか。       ♪~

 いよいよ、詩人の最後の質問です。「あなたは言葉を信じていますか?」
  長田さんは、別の詩で書いています。        (「魂は」より)
 「・・・ ひとが誤まるのは、いつでも言葉を過信してだ。
  きれいな言葉は嘘をつく。この世を醜くするのは、不実な言葉だ。・・・ 」
 今の時代、政治家の使う言葉ほど不実な言葉はありません。「美しい日本を作る」、「一億総活躍社会」。「女性の輝く社会」。「働き方改革」。「地方の時代」・・・・。 こんなに言葉が意味を失っている時代はありません。
 ほんとうの言葉を探すこと無しに、「いい一日」はありませんね。「いい一日」とは、嘘ではない本当の言葉に出会える日々のことなのでしょうね。
  長田さん、ありがとうございました。

  今回は、長田弘さんの「最初の質問」という詩の質問に答えるという形で、「一日一日を大切に生きる」ということについて考えてみました。
 この詩は、中学校の教科書に採用されたり、いせ ひでこさんが絵本として出しています。

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2016年12月19日 (月)

二十四節気「大雪」・川の流れ

  二十四節気「大雪」のために撮影した写真のうち、何枚かが使われずに残りました。 なぜか、川の流れが写った写真ばかりです。木津川土手で撮した写真なので、当然といえば当然ですが・・・。
 この写真を見ながら、「川の流れ」について、つまらない雑文を書いてみました。
 川にまつわる詩や歌、想い出などです。

              *******
  「川の流れ」と言えば、日本人ならこれですね。美空ひばりの「川の流れのように」。多くの人が知っている名曲です。この曲のファンの方も多いと思います。
   ~♪ 知らず知らず 歩いてきた
      細く長い この道
      ・・・・
      でこぼこ道や 曲がりくねった道
            ・・・・
            ああ 川の流れのように とめどなく・・・  ♪~

  「川」の歌を全国的に投票すれば、1位「川の流れのように」、2位は「イムジン川」かな? 「神田川」? 「春の小川 」? 「花」?    どうなるんでしょうね? 
  ひばりファンに叱られるかも知れませんが、「川の流れのように」は、あまり好きにはなれません。「でこぼこ道や 曲がりくねった道」という人生の表現にリアル感がないですね。朗々と歌われていますが、どんな川なのかイメージも湧かないです。
 川の流れは、よく見るとけっこう汚いです。プラゴミやネズミの死体・・・。川は清濁あわせ持つ存在ですね。
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   人は心の中に、人それぞれの川の流れを持っています。
 芥川龍之介の小品に、「大川の流れ」というのがあります。大川とは隅田川のことで、決して綺麗とは言えない泥濁した大都会の川です。作者にとって「大川」とはどのような川なのか。岸辺の風景、水の響き、水の光、想い出など、心の中にある豊かな川の流れが語られています。
    ~♪・・・泥濁のした大川のなま暖かい水に、限りないゆかしさを感じる・・・。ただ、自分は、昔からあの水を見るごとに、なんとなく、涙を落したいような、言いがたい慰安と寂寥とを感じ・・・。この慰安と寂寥とを味わいうるがために、自分は何よりも大川の水を愛するのである。・・・・・。
  自分は大川あるがゆえに、「東京」を愛し、「東京」あるがゆえに、生活を愛するのである。  ♪~
         ★「大川の流れ」をチェックしたい方は、→ こちらから(青空文庫)
Kawanonagare201_2Kawanonagare201_01_2Kawanonagare203_2  

 

 

 

   小学生の時以来、私は音楽の時間が嫌いでした。ピアノの前で一人で歌わされる歌のテスト、嫌いと言うよりも恐怖でした。それがトラウマとなり、未だに人前で歌を歌ったことはないです。
 中学に入ると、これまた音楽教育に熱心な教師でした。教科書にはない、世界の歌を歌わされました。その中で、もっとも印象に残っているのが、「アフトンの流れ」という曲です。アフトン川とは、どこの国を流れている川なのか、なにも知らず、何も考えず歌っていました。今でも、けっこう歌えます。良い曲だったのですね。思い出します。
   ~♪ アフトンの流れ 静かに 野辺に続き果てもなく 夢を乗せて遙かに 行方わかず流れゆく おお我が父よ   おお我が母よ ・・・♪~
 アフトン川は、スコットランドを流れている川だそうです。
        ★ この曲を聴きたい方は → こちらから(錦織健)
Kawanonagare401_2Kawanonagare304_2Kawanonagare303_2  

 

 

 

   その後、お気に入りになったのは「青葉城恋歌」。かなり流行りましたね。なんとも言えずロマンチックな曲想が気に入っていました。
 ~♪広瀬川 流れる岸辺 想い出は かえらず
   早瀬 おどる光に ゆれていた 君のひとみ
   ・・・・
   あの日と同じ 流れの岸
   ・・・・
   あの人は もういない   ♪~
       ★この曲を聴きたい方は → こちらから(佐藤宗幸)
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   三好達治の、少年の成長と旅立ちを歌った詩、「Enfance finie 」、これもお気に入りの詩でした。「大きな川のやうに、私は人と訣わかれよう。」・・・「 ああ哀れな私よ。僕は、さあ僕よ、僕は遠い旅に出ようね。」 このフレーズは、頭に焼き付いています。特に、女性に振られた時などに、必ず頭をもたげてきます。昔の話しですけどね・・・。

  ~♪    Enfance finie      三好達治   
  海の遠くに島が……、雨に椿の花が堕ちた。鳥籠に春が、春が鳥のゐない鳥籠に。
約束はみんな壊れたね。
海には雲が、ね、雲には地球が、映つてゐるね。
空には階段があるね。
 今日記憶の旗が落ちて、大きな川のやうに、私は人と訣わかれよう。
 床ゆかに私の足跡が、足跡に微かな塵が……、ああ哀れな私よ。
 僕は、さあ僕よ、僕は遠い旅に出ようね。

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   川の流れを思い起こす小説といえば、私にとっては、まちがいなくロマン・ロラン 「魅せられたる魂」です。この作品は、私の年代以上の人には、よく読まれていたと思います。今はどうなんでしょうね?
 主人公の名は、アンネット・リビエール。リビエールというのは、フランス語で「川」という意味です。
  アンネットは、愛する人の子を宿しますが、その愛に偽りを見出し、恋人のもとを去ります。私生児を育てながら女性として自立の道を追求していきます。
 高まる社会主義運動。そしてファシズムの台頭。激動の時代を必死に生き抜こうとするアンネット。愛する息子をファシストに殺されても、なおその死を乗り越えていくアンネット。女性の自立とは何か。社会に目覚めるとはどういうことか。・・・・
 とめどなく流れる川のように生きた女性の物語です。お薦めします。

 昔、私の好きだった女性が、「私はアンネットのように生きたい!」と言っていました。彼女に気に入られようと、早速、私はこの作品を読みました。動機が不純で、下心満載ですね。もちろん振られました。 しかし、作品からは大きな影響を受けました。
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   最後は、若かった頃、最も心に残った詩です。作者の浜田矯太郎さんは、この詩を書いたとき、無名の工場労働者だったようです。その後どんな詩を作り、どんな生き方をされた方か全く知りません。 小説家?
 大岡川とは? 神奈川県の川? これもよく知らないです。
 しかし、この詩は今でも頭に残っています。若かった頃への懺悔の念とともに。
  ~♪    大岡川に  (浜田矯太郎)      日本無名詩集「祖国の砂」
  堀り 深く
  せせらぎも つつましやかに
  今日もお前は 流れている
   ・・・・
  しかし静かな 大岡川よ
  この土地に生きて三十年
  私はお前を知らずにいた
  お前の長い経歴を
  お前の豊かな働きを
 
  見も知らぬ 遠い国の
  セーヌ河や ドナウ河
  あの揚子江などの物語を聞いていても
  ひかえ目な 大岡川よ
  お前を私は 知らなかった

  いまこうして岸辺に立ち
  お前の深さに打たれていると
    ああ 羞恥が 胸をかむのだ
  思い上がった行為の数々が
  お前の水面に 浮かぶではないか

  そうなのだ
  おのれの川の道筋さえもしらぬものに
  身をけずった働きを知らぬものに
  どうして祖国がうたえようか     ~♪

 木津川が暮れていきます。静かな夕暮れです。
 こんな時は、私には想い出ばかりです。   では。また。
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2016年9月18日 (日)

鈴木大裕著「崩壊するアメリカの公教育」感想

  Houkai01 鈴木大裕著「崩壊するアメリカの公教育」~日本への警告~ (岩波書店)を読みましたので紹介させていただきます。著者はアメリカの教育に憬れ、16歳でアメリカ留学を果たし、その後スタンフォード大学で修士号を取得し、日本で中学校の英語教師も経験されたことのある教育学の研究者です。

 今、日本の教育はどこに向かって進んでいるのでしょうか?
 安倍政権の下で全国学力テストは、60億円の予算をかけて抽出調査から全数調査に代わりました。調査を受注したB社には大きな利益がもたらされました。テストの結果は、多くの自治体で学校ごとの得点が公表され、学校間の競争と評価につながっていきます。教育方法、教員の指導力が、得点により評価される状況になってきています。
 そもそも教育は、点数によりすべてが評価できるものなのでしょうか?
 大阪では、三年連続定員割れを起こした高校は廃校というような制度も行われています。学校間の競争により、人を集められなかった学校は廃校にする、需要が少なければ切り捨てる、こんな市場競争原理が教育に持ち込まれていいものなのでしょうか? 
 得点化された教育価値で競争が組織され、得点を上げられる教育方法や学校が評価され、それを進める特定の出版社、受験産業等が大きな利益を上げる、そんな事態が進行しているのではないのでしょうか?

  また、小学校では、5~6年生で外国語(英語)を正式教科にするほか、歌やゲームなどで英語に親しむ「外国語活動」の開始を3年生に早める学習指導要領の改訂が予定されています。
 明治維新後、日本ではドイツ語、英語、フランス語などの科学技術用語を、漢語に翻訳し日本語の中に取り入れ、多くの国民が日本語により高度な西欧の先進的知識を学ぶことに成功しました。しかし、高度な学問を学び記述することが、英語でしかできないという事態は、多くの国民への知識の普及という点で大きな障害になるのではないでしょうか?母国語で、高度な知識や文化を語れなくなった国に未来はあるのでしょうか?

  大学教育では、大学の格差付けが進んでいます。世界の大学ランキング100位以内を目指すスーパーグローバル大学(東大など16大学)、社会のグローバル化をけん引するグローバル化けん引型大学などの格付けです。格付けにより運営費交付金に差をつけ、多国籍企業で活躍できる人材作りをする大学を目指しているのではないでしょうか?
  文化系学部については、「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組む」という方向で改革が進められています。経済効率を高めるための学問が重視され、経済効率の悪いものは切り捨てる、それは果たして正しい方向なのでしょうか?

  前置きが長くなりましたが、この本は、日本の教育が向かっている先には、「崩壊するアメリカの公教育」と同じ運命が待っていると警告しています。キーワードは、「競争原理導入」、「民営化」などによる「新自由主義的教育改革」です。
 新自由主義の下では、今まで公共が担っていたものが民営化されていきます。教育においては、教育目標は数値化・標準化され、単純化された目標に向かって競争原理が導入され、それにより、民営化された教育は、競争に勝つための商品となっていきます。公教育が巨大な市場と化すわけです。世界最大手の教育出版社、ピアソン・エデュケーションは、多くの学力調査を受注し、関連する事業も含めると、アマゾンに匹敵する収益を上げるまでに成長しています。最近では、OECDの「生徒学習到達度調査 PISA」 の運営にも参加しているといいます。

 新自由主義的教育改革が進められたアメリカでは、「市場型学校選択制」が進められました。特に貧困地帯で、学力の低迷を理由に公立学校が閉鎖され、チャータースクール(公設民営学校)などの選択肢が新設され、すべての学校が存廃を掛けて点数の取れる生徒を奪い合う一大教育市場が生まれました。学校選択制の名の下に公教育の序列化を進め、教育の機会均等を保障するはずの義務教育が、格差を拡大する社会システムへと変質してしまったのです。また、バウチャー制(税金で私立学校へ通えることを可能にする制度)は、税金が私学・教育産業へ流れる仕組みになりました。

 アメリカでは発展途上国からの「教員」輸入という驚くべき問題も起こっています。
教育目標が単純化され、得点化されれば、教育は効率よく得点を取るためのマニュアルと化していきます。教育の専門性は軽視され、教育はマニュアルに従って進められる単純化された労働へと変質していきます。教員免許の条件が緩和され、教師は「安い使い捨て労働者」へと変質し、安い労働力として、海外から教員を調達するということすら起こっているのです。

 レーガン政権の下で始まった「ゼロ・トレランス」政策も、教育格差拡大に大きな影響を与えたといいます。「ゼロ・トレランス」とは、「割れ窓」理論です。割れた窓を放置しておけば、さらなる無秩序が広がり、より深刻な犯罪へとエスカレートしていくというものです。些細な乱れの段階で取り締まろうというわけです。日本風に言えば、「心の乱れは服装の乱れから」です。
 しかし、「ゼロ・トレランス」は、正しい援助が行われない状態で、取り締まりが強調されれば、非行の定義が拡大され、犯罪・非行は増大します。教育現場では、停学処分、退学処分の増加となり、300万人もの生徒が処分されるという事態になっています。結果として、家庭に困難を抱える黒人やマイノリティーの貧困層が学校システムから排除され、社会的弱者の切り捨てへとつながっていると、著者は指摘しています。

 著者は、日本では大きな権威として受け入れられている、OECDの「学習到達度調査 PISA」についても、新自由主義的危険性を指摘しています。
 第10章「立ち上がったアメリカの人々」では、今後の方向性が示されています。
 不十分なまとめですが、長くなりますので、このへんで。
 この本、一読をお薦めします。  では。また。
      

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2016年6月17日 (金)

「福島原発事故と小児甲状腺がん」(本の泉社)

 宗川吉汪・他二人著「福島原発事故と小児甲状腺がん」(本の泉社)を読みましたので、紹介させていただきます。
 チェルノブイリ原発事故では、その後、甲状腺がんが増加したことが知られていますが、福島の原発事故ではどうなっているのでしょうか? この本(小冊子)は、福島では原発事故後、小児甲状腺がんが明らかに増加していることを、簡単な統計的な分析により示したものです。

 福島県では、甲状腺がんの大規模な調査が行われています。
 【先行検査】
   2011年10月から2014年にかけて、19歳未満の県民全体(36万人)を対象にした先行検査が実施されました。
  チェルノブイリの場合、4年後から甲状腺がんが増加したことが知られています。したがって、先行検査の調査を基にすれば、4年後以降の調査で甲状腺がんが増加してくるかどうかを知ることができるわけです。
 【本格検査】
 本格検査は、事故後に生まれた子供を加え、38万人を対象に2014年から開始され、順次検査が進んでいます。
 検査の途中経過は、福島県のホームページで確認することができます。

  この本では、2015年8月の第20回県民健康調査検討委員会に報告された資料に基づいて分析が行われています。
  中高生にも理解できる単純な比例計算だけを使って、先行検査の患者推定数は、10万人あたり90.2人、本格検査では10万人あたり162.6人であることが示されています。
 次に、極めて大雑把な計算ですが、単純な平均値の計算と割り算だけを使って、先行検査の1年当たりのがん発生率を、10万人当たり9.5人、本格検査では54.7人であると計算しています。つまり、年当たりの発生率でみると、先行検査より本格検査の方が6倍高くなっているという結果です。
 この本は、難しい計算ではなく、中高生でも理解できる単純なかけ算、割り算と比例計算だけを使って計算しているところが、なかなかのすぐれものです。

 また、この本では、大雑把な比例計算では満足できない人のために、統計学の簡単な解説もつけています。それを使って、原発事故によって甲状腺がんが、先行検査に比べ本格検査では、95%の信頼率で3.03培に増加したという計算結果を導き出しています。
 統計学に興味のある人は、ぜひ勉強してみてください。

  日本では過去に、水俣病やイタイイタイ病など悲惨な公害事件が引き起こされてきました。そのたびに、御用学者と呼ばれる人たちが企業の責任を擁護して、排出物との関係を否定してきました。そのため、公害が認定されるまでに長い時間を必要とし、その間に被害者は悲惨な生活を強いられることになりました。
 福島原発事故でも県民健康調査検討委員会は、「甲状腺がんの発生に、事故の放射線の影響は考えにくい。」という評価をしています。マスコミも、ほとんど甲状腺がんの問題を報道していません。日本は、同じ間違いを何度くり返したら気が済むのか、という気持ちにさせられます。
 原発再稼働が進められていますが、原発は、いろいろ問題・課題が山積みですね。

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2016年6月 3日 (金)

タックス・ヘイブンを考える

 先日、あるテレビ局の報道番組でパナマ文書のことが取り上げられていて、解説者の方が、『タックスへイブンを使って課税逃れをしている人がいる。法人税や所得税の税率を上げれば、ますます所得は海外に逃げていく。税は消費税を基本にしていくべきである。』と解説していました。あまりにも程度の悪い解説に怒りが湧いてきました。
 それで、自分なりに、タックスヘイブンの問題について整理することにしました。

  【資本主義と社会保障】
  資本主義とは、資本を投資して利潤を得る仕組みです。資本を持つ側には利潤が集まり、利潤が資本となり、さらに利潤が生まれます。そのまま放置すれば、経済格差が広がり社会は不安定化していきます。
 これを経済学者ピケティ氏流に言えば、r>g です。
   r=資本収益率、g=国民所得成長率です。
  つまり、国民所得が増加する以上の収益が、資本の側に集まるというわけです。
 ピケティ氏は、過去の税務資料などを調べ、理論としてではなく歴史的事実として、この法則にたどり着きました。

 この資本主義の弱点を緩和するため、社会保障という制度が生まれました。
 国家が、資本の側に集まった利潤を累進所得・法人課税により回収し、資本を持たない側に、社会保障として分配する制度です。富の再分配です。
 もし、この制度が機能しなくなれば、貧富の格差は拡大し、社会は荒廃していきます。
多くの人が貧困化すれば、購買力が失われ、経済恐慌やデフレ進行の危険も増していきます。

  【新自由主義とは】
  資本は利潤を求め世界を駆けめぐります。現代の資本主義は、「新自由主義」の時代に入りました。新自由主義とは、資本が、安い労働力と資源を求めて世界を駆けめぐる経済システムです。世界に展開する多国籍企業の利益が優先されるシステムです。
 新自由主義は、生まれながらの本質として、社会保障の削減、低賃金労働、企業活動の無制限の自由を主張します。
 新自由主義的な政策の特徴とは、「規制緩和」と「民営化」に代表されます。
 具体的には次のようなものです。(日本を例に)
 ★資本の側に蓄積した利潤を社会的弱者に分配する働きを持つ社会保障、それに振り向けられる利潤を削減します。
 ★労働に掛けられた規制を緩和し、派遣労働などの非正規労働を増やし、企業が安い労働力を使えるようにします。現在、非正規労働は4割を超えました。実質賃金もずっと下落中です。
 ★公共が担ってきた保育、教育、介護などを民営化し、安い労働力を利用して、この分野からも利益を得ます。
 ★法人税・所得税率を引き下げ、代わりに逆進性の高い消費税率を上げます。
 ★農業、漁業、医療、介護などすべての分野で規制を取り払い、競争原理を持ち込み、企業活動の自由を広げます。すべてが自己責任の世界です。
  ★TPPなどの多国籍企業の利益を誘導する協定を進めます。(ISD条項など)
  その結果、自国の農業や国民皆保険、食品の安全規制などを危険にさらします。
     ・・・・・・あげていくときりがないくらいです。
 要するに、新自由主義とは、多国籍企業の利益を擁護し、自国の国民の社会保障、労働環境などを破壊してまでも、グローバルに利潤の蓄積を行っていくものです。

 日本の上位100社は多国籍企業として世界展開しています。多国籍企業が、安い労働力を使い、自国の課税を逃れ、世界的に得た利潤を蓄え、それを再投資する舞台、それがタックスヘイブンです。
 タックスヘイブンは、グローバルな新自由主義経済が持つ本質的な問題なのです。新自由主義政策を進める各国政府が、タックスヘイブンへの取り組みに踏み出せない理由は、ここにあるわけです。

 【広がる格差】
  現在、新自由主義経済の下で、世界的に富の格差はどれくらい大きくなっているのでしょうか。
  貧困と不正を撲滅するために世界100ヶ国以上で展開するイギリスのNGO、オックスファムの報告書「An Economy for the 1% 」によれば、「62人が所有する富と、世界の所得の低い方の半数が所有する富とが、等しい」と言っています。
 国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)は、タックスヘイブンにある秘密情報を入手し、それを暴露しました。そのうちの一つが、今回のパナマ文書です。世界の富裕層の富は、課税を逃れ、タックスヘイブンなどに隠されていると思われます。

  【タックスヘイブンに隠された資産は?】
 では、タックスヘイブンに隠された資産はどれくらいあるのでしょうか? そもそもタックスヘイブンには資産が本当に隠されているものなのでしょうか?

◎ピケティ氏の著書『21世紀の資本』(p483~)に、そのことが書かれています。
 IMFなどの公式統計に表れた各国の対外資産を合計すると、貸す国があれば借りた国があるわけなので、各国の対外資産を合計すれば、当然0になるはずです。ところが、0にはならずに、全世界の合計はマイナス収支になっているといいます。日本、アメリカ、ヨーロッパなどの富裕国は合計すると、全世界の資産の4%分もマイナスになっているそうです。ピケティ氏は、「地球は火星に支配されているように見える」と述べています。この収支の合わない部分がタックスヘイブンに隠された資産です。
 ピケティ氏は、ガブリエル・ズックマンの研究を紹介し、タックスヘイブンに隠された資産は、全世界のGDPの10%以上にのぼる可能性があると述べています。
 世界のGDPを8000兆円とすると、これは800兆円になります。

 ◎タックス・ジャスティス・ネットワーク(TJN)は、イギリス下院で発足したNGOですが、この報告によると、タックスヘイブンに隠された世界の富は、2100兆円~3200兆円にのぼると推計しています。これは、世界のGDPの3分の1です。

 【日本では】
 先日5月24日に発表された日銀の国際収支統計によると、「対外証券投資残高」は423兆円となっています。このうち、ケイマン諸島にあるタックスヘイブンだけでも74兆円の投資が行われているとのことです。有価証券報告書に登場するタックスヘイブン子会社だけでも、524社にのぼるということです。匿名会社やペーパーカンパニーも入れると、かなりの数になると思われます。
 先日の国会でも、ユニクロの柳井氏による、慈善信託(チャリタブル・トラスト)という手法での課税逃れが指摘されていました。
  過去にはオリンパス事件もありました。アマゾン社やアップル社の日本法人が、日本へ税金を払っていない問題などは、以前から指摘されています。

 政府税制調査会の志賀櫻氏は、「アメリカの内国歳入庁(IRS)は、2001年に2900億ドルの課税逃れが発生したと議会に報告していたが、日本では推計さえしていない。驚くべきことだ。」と述べています。日本政府の対応は、もっと非難されるべきです。

 非正規労働の増加、消費増税、国家戦略特区、TPP、医療の混合診療解禁・株式会社化などの政策に反対することも、タックスヘイブンを利用した多国籍企業の課税逃れを追求することも、根っこは一つ、「新自由主義の暴走!」を止めることです。「新自由主義」という視点を抜きに、現代の政治や経済を正しく捉えることはできませんね。

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2016年3月18日 (金)

マイナンバー制度の狙いと本質は?

  マイナンバー制度について、テレビなどで盛んに報道されていました。便利になるとかならないとか、詐欺に使われる危険があるとかないとか、いろいろ言われていますが、どれも本質から外れているように思います。マイナンバーの導入にかかる総費用は、数千億円、関連する費用は1兆円~から3兆円かかると言われています。こんな大金をつぎ込んで、なにか良いことがあるのでしょうか? ついに業を煮やし、自分の手と頭を使い、ネットを駆使して調べてみました。

  マイナンバー制度は、納税者番号と小泉内閣が導入しようとしていた社会保障番号とを合わせ、これを住民票票コードにのせる形で導入されたものです。
 この社会保障番号なるものを企画し、導入しようとしたのは、どんな人たちで、どんな目的を掲げていたのでしょうか?それが問題ですね。
 この国の進路を握っているのは財界です。日本経済団体連合会(経団連)の政策提言の中に、社会保障番号制度が提言されています。この文書は、ネット上で自由に読むことができます。
   ★「社会保障制度等の一体的改革に向けて」  2004年9月21日
                           (社)日本経済団体連合会

 この文書には、次のようなことが提言されています。
   ・・・・
    (1) 社会保障・福祉制度に共通する個人番号の導入
       ・・・・
   (2) 社会保障個人会計(仮称)の導入
 社会保障・福祉制度に共通する基盤整備として、個人番号制を拡充・徹底し、社会保障個人別の会計を導入する。・・・・
 生活保護制度については、所得・資産、稼働能力を十分調査の上、真に生活に困窮している者への給付に限定すべきで、親族による扶養が可能であれば、それを優先すべきである。
 あわせて、財産相続時における、社会保障受給額(特に年金給付)のうち本人以外が負担した社会保険料相当分と相続財産との間で調整を行う仕組みも検討すべきである。            ・・・・
 当前のことですが、経団連の提言は、社会保障費を増やそうという方向の提言ではないです。社会保障費をいかに減らしていくかという提言です。

 まず、家族や親族の財産状態を調べ、家族親族間で自助努力をさせて、生活保護費を減らすために社会保障番号を使おうというわけです。今でも、生活保護申請者から見て3親等以内の親族には、援助ができるかどうかの扶養照会が届きます。現在は断ることはできますが、マイナンバーで財産を知られてしまえば断れないです。付き合いが無くても親族に金持ちがいれば、生活保護を申請できなくなるかも知れないですね。

  また、社会保障は個人会計にして、本人の死後に精算する仕組みを作ると提言しています。具体的に言えば、長生きして自分が掛けた掛け金以上に年金を受け取った人からは、その差額を遺産の中から、死後に差し引こうというわけです。早死にすると掛け金が返ってくる制度などは、もちろん視野外ですね。 
 死後精算! なんとも恐るべき提言。掛け金以上は支払われない悪徳保険制度?

 経済界からの要請を受け、毎年2200億円の社会保障費削減をめざした小泉内閣は、社会保障個人会計の導入を計画しました。2006年4月に内閣府より発表された経済財政諮問会議の文書で確認することができます。これも、ネット上で簡単に確認することができます。
       ★「歳出・歳入一体改革」中間とりまとめについて
                     平成18年4月   内閣府
社会保障給付のさらなる重点化・効率化を推進する。その一環として、社会保障の効率化に寄与する社会保障番号、社会保障個人会計を導入する方向で早急に検討を進める。
   ・・・・

 以上のように、マイナンバー制度の一番の狙いは、社会保障個人会計を導入して、社会保障費の削減をすることです。決して、社会保障を発展、充実させようというものではないですね。これは、社会保障の趣旨にも反しています。
 そもそも「資本主義」は、「資本が利潤を生む」という仕組みです。資本を持っている人の側に利潤が蓄積され、放置すれば貧富の格差が拡大します。「社会保障」とは、資本の側に蓄積した利潤を、累進課税により国家が吸い上げ、貧しい側へ移動させることです。つまり福祉国家での所得の再配分作業です。平たく言えば、「社会保障」とは、累進課税で金持ちからたくさん税金を取り、国民の教育、医療、福祉を支える仕組みです。資本主義社会では、社会保障は必須の基本的仕組みです。

 その他、産業競争力会議で論議されている気になる文書も見つけました。
 ★「健康増進・予防への取り組みを促すためのインセンティブ処置について」(2014年)です。ここでは、マイナンバーに様々な健康情報や医療情報をセットして、保険料率や医療費自己負担割合を個人ごとに変化させるような提案も行われています。(例えば、特定検診を受診しない人は保険料が増えるとか。)低賃金で検診に行く暇も無く働かねばいけない人は、どうなるんでしょうね。 病気も自己責任? 

  マイナンバー制度のネットワークシステムを百数十億円で、無競争受注した企業(日立、富士通、NEC、NTTデータ)は、自民党の政治資金団体「国民政治協会」に対し、2009年から2013年の5年間に2億4千万円を超える献金をしたとの記事も見つけました。
 実に胡散臭い話ですね。  マイナンバー反対です。

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2016年2月28日 (日)

アンデルセン童話の想い出など

 先日、図書館からアンデルセン童話の翻訳本を借りて読みました。アンデルセンと言えば、「マッチ売りの少女」、「みにくいアヒルの子」、「人魚姫」、「親指姫」など、日本でもよく知られた作品が多いですね。今日は、アンデルセンの童話について、雑感や想い出などを書いてみます。

  児童文学という分野は、十九世紀中頃にヨーロッパで盛んになりました。今よりも遙かに乳幼児死亡率の高かった時代にあっては、子どもの死は身近な問題でした。早くに死んでいく子どもたちのことをどう考えるのか、自分を含めて、死んだ子どもの魂がどのように救済されるのか重要なテーマでした。
 ロマン主義の影響を受けたアンデルセンは、深いキリスト教の信仰に、土着の北欧神話を融合させ、神話や妖精物語を基盤とする豊かな詩情あふれる物語を紡ぎ出しました。
 その物語により、人々は、貧困や早死にといった生きる苦しみに意味を見出し、それを受容して心の安らぎを得ることができました。愛する子どもの死にあたっては、子どもの死は生命の終わりではなく、死後の世界で幸福に生きていると描きくことで、死の悲しみを癒やす働きも持っていました。
 十九世紀、児童文学といえるものの最初の幕を開けたのが、デンマークのアンデルセンだったのです。

 子どもの死について書かれたアンデルセン童話「天使」では、「よい子が死ぬと、そのたびに神様の天使がこの世におりてきます。」という書き出しで始まります。そして、最後に、死んだ子どもたちは天使となり、枯れた花さえも蘇り、すべてが一緒になって喜びの賛歌を歌うのです。この喜びに溢れた世界こそ、宇宙の中心にユグドラシルという巨木をすえる北欧神話の調和体系と、キリスト教的な神の愛とを融合させた、アンデルセン特有の世界なのです。

 「マッチ売りの少女」は、実に悲劇的に死んだ貧しい少女の話ですが、どこか明るく救われるような感覚が湧き上がってきます。これは、現実の死の悲しみを超えて、喜びに溢れた世界への魂の救済を描こうとしたアンデルセンの死生観によるものと思います。
 「マッチ売りの少女」の最後の部分をみるとよく分かります。書き出してみます。

 ~♪ おばあさんは、少女をそのうでに抱きました。 二人は、輝く光と喜びに包まれ、高く、高くのぼっていきました。そこはもう寒くもなく、空腹もなく、不安もないところ――神さまのみもとにめされたのです。
 けれど、夜明けの寒さの中、かわいそうな少女は壁にもたれて座っていました。 薔薇のように頬を赤くし、口もとには微笑みを浮かべ、死んでいたのです。――凍えるほど寒い大みそかの夜のことでした。
 その子は燃え尽きた一束のマッチをぎりしめていました。「あったかくしようと思ったんだね」と人々は言いました。だれも知らなかったのです。 少女の見たものがどんなに美しく、どんな光につつまれて、おばあさんといっしょに、新しい年の喜びをお祝いしにいったかを! ♪~
 
  私が最初にアンデルセン童話に接したのは、小学の低学年の頃だったと思います。
 私の出身は、僻地と呼ばれるような小さな田舎町です。この町には、今でもあるかどうか定かではないですが、小さな教会がありました。この教会の日曜学校に参加していた友達の「お菓子がもらえる」という言葉に誘われ、日曜学校なるものに初めて行きました。ここで、スライドを使って一つの物語を聞かされました。断片的な記憶しかないですが、次のような話です・・・・。
 ・・・綺麗な服を着た可愛い女の子がいて、この子は、服が汚れるのを嫌がって、持っていたパンを踏みつけてにして、水溜まりを歩こうとしたのです。たちまち神により地獄に落とされ、身動きできない状態で蛇やムカデと暮らすことになるのです・・・・。

 「可愛い女の子に何とうことをするんだ~! 神は悪すぎる!」 これが私の感想でした。以後、二度と日曜学校に行ったことはなかったです。私は、このころから「可愛い女の子好き」だったようです。神より女の子ですね。やがて少女は小鳥になり、自分が踏んだと同じ量のパンを集めて、他の小鳥に分け与えたとき、許されて天へと登っていくのですが、こんな結末は私の頭にはまったく残っていなかったです。
 この物語が、アンデルセン童話の「パンを踏んだ女の子」であることを知ったのは、恥ずかしいですが、人生の後半になってからのことです。キリスト教に触れたこともなく、粗野な小学生だった私には、アンデルセン童話の理解は難しすぎたようです。
 
 「貧困」や「死」ということが身近ではない現代の子どもには、「マッチ売りの少女」は、単なる悲劇の物語でしかないような気がしますが、どうなんでしょうね?
 アンデルセン童話、子どもよりも大人の方が楽しめるかも知れません。
    お薦めします。

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2016年1月17日 (日)

散歩写真を考える

 写真を撮るようになって20年近くが過ぎました。かっては写真の腕を上げようと、写真雑誌を買ってきては勉強していました。上手な人の撮る風景写真は、朝や夕方のドラマチックな光、雪や雨や霧などの動的な気象条件を活かした、絶景ポイントでの写真です。このような写真に少しでも近づこうと努力していました。有名撮影地にも出かけてきました。しかし、人の後追いをしても、所詮それは真似に過ぎないのです。途中から考え方が変わり、自分にとって意味のある写真の楽しみ方を求め始めました。そこで始めたのが散歩写真です。散歩写真とは何でしょうか。人により散歩写真の意味は大きく違うと思います。本格的な風景写真よりも格下で、手軽に撮る写真という意味で使う人もいます。私もそのような意味で使うことも多いですが・・・・。
 以下、私なりの「散歩写真」について書いてみます。

   【私の目指す散歩写真】
  時の流れは決して止まることはありません。一日は24時間であり、一日の長さは誰にとっても平等です。しかし、人それぞれが持っている時間の感覚は、みんな違っていると思います。
 私はかって、一日の時間を切り刻み、時間に急き立てられるように生きてきました。しかし今は、時間の刻みは二十四節気という大きな刻みで、季節の変化を友にして生きています。季節の時間は、行きつ戻りつ、ゆったりと流れています。
 ゆったりと流れる時間の中で何処かへ行こうかとも、何をしようかとも考えることなく、急がず、心をゆったりとしてただ歩く、それが散歩です。
 ゆったりとした時間の中にあるとき、人は遠くを見ます。例えば、山を登るのを止めて休息するとき、人は遠くを見ます。今まで自分の登ってきた道やこれから登る頂き、そして遙か遠くの景色を見ます。そして、自分の立っている場所や位置、到達点を確認するのです。この時、人は自らの存在を風景の中で俯瞰的に見ているのです。散歩写真に必要なものは、この「遠くを見つめる」ということであると思います。
 島崎藤村の「小諸なる古城のほとり」という詩は、まさに「遠くを見つめる」眼差しで成立しているように思います。流れる雲をを仰ぐ遊子。風景の中に佇む自分自身を見ています。
~♪ 小諸なる古城のほとり
   雲白く遊子悲しむ
   緑なすはこべは萌えず
   若草も藉くによしなし
   しろがねの衾の岡邊
   日に溶けて淡雪流る ♪~

  また、何気ない、ありきたりの風景の中に、一瞬何か新鮮なものを感じたりします。例えば、山道を歩いているとき、ふと足下に小さな花が咲いているのに気づき、ハッとすることがあります。「何気ない一瞬の気づき」です。今まで心の中で忘れていたもの、失われていたものを取り戻させてくれる新鮮な何かに気づくことです。
 散歩写真に必要なものは、この「何気ない発見」だと思います。
 まど・みちおさんの詩は、普遍的なものにつながる、「小さな発見」がテーマになっています。私の好きな詩を一つ。 するめの形は矢印の形。大発見です。なぜ?
   ~♪ するめ  (まど・みちお)
    とうとう
    やじるしに なって
    きいている
    
    うみは
    あちらですかと・・・♪~

 ゆったりとした時間の中に身を置き、風景の中で自分自身を俯瞰すること、また、ふとした何気ない、心をハッとさせるような発見をこと。これが私の目指す散歩写真です。

  散歩写真について好き勝手に書きましたが、実際に写真にするとなると、なかなか厳しいですね。まあ、目指すものということで・・・・、お許しください。

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