政治・経済

2017年10月13日 (金)

48回衆議院選挙にあたって

 今回の衆議院総選挙について、思うところを書いてみます。

 森友・加計問題で追いつめられた安倍政権でしたが、支持率の回復と野党の体制が整わない間隙を狙って衆議院を解散させました。憲法改正も公約に掲げられました。
 民進党の解体という劇的な事態が生まれました。このような大きな政治的動きがあった時は、冷静に事態を見る必要があります。戦後史全体を俯瞰しながら、この事態は、戦後史全体のどこに位置しているのかという事を考える必要があります。

 では、簡単に戦後史をおさらいしてみましょう。(憲法・安全保障を中心に)
 
 【サンフランシスコ体制の成立】
  敗戦後の1946年、GHQが作成した憲法草案が示され、議論の結果、これを修正して現在の日本国憲法が生まれました。戦争に疲れた多くの国民にとっては、歓迎すべきものとして…。
 世界的に見れば、この時代すでに東西の冷戦が始まっていました。
 1950年に朝鮮戦争が始まりました。
 1951年、サンフランシスコ講和条約が結ばれましたが、西側諸国との片面講和でした。この講和条約には、「連合国日本占領軍は、本条約効力発生後90日以内に日本から撤退すること」(第6条a)が定められていましたが、同時期に結ばれた「日米安保条約」「日米行政協定」により、米国の半占領状態が続くことになりました。
  「日米行政協定」を一言で言えば、「米軍が必要とすれば、日本のどんな場所でも米軍基地にすることができる」という協定です。(第二条1項、第三条1項)
 日本は、アメリカに従属した「反共の砦」として、共産国と対峙する西側諸国の一員となったのです。

 【砂川事件判決・司法権の従属】
 1957年の砂川事件伊達判決をめぐって、日本の司法さえもがが、対米従属であることが明らかになりました。
 自衛隊を違憲とした伊達判決は、高裁を飛び越え、ただちに最高裁に持ち込まれ、「高度に政治的問題については憲法判断はしない」」(統治行為論)という判決が下りました。後に、最高裁田中耕太郎長官は、密かにアメリカ側と接触していた事実が明らかになりました。この司法権の従属判決は現在も続いています。

 【日米安保条約の改定】
 1960年に旧「安保条約」と「日米行政協定」にかわり、新「安保条約」と「日米地位協定」が結ばれましたが、「米軍が必要とすれば、日本のどんな場所でも米軍基地にすることができる」という本質的内容は継続されました。
 「日米行政協定」→「日米地位協定+密約」という形をとなりながら…。
  日本国内には多数の米軍基地があり、米軍には日本の法律が適用されない治外法権状態は、現在も続いています。

 【再軍備と憲法改正を求めるアメリカ】
 アメリカは、朝鮮戦争下、日本に再軍備化を要請し「警察予備隊」が創設され、1954年には自衛隊となりました。
 アメリカの公文書公開により、1948年のフォレスタル国防長官時代に「日本の限定的再軍備」(ロイヤル陸軍長官答申)が、アメリカの軍首脳部の公的な方針として確定していた事が明らかになっています。この文書には、将来憲法を改定して、本格的に軍隊をもたせるための準備をやっていくことも明記されていました。
 憲法改正と海外派兵は、アメリカの基本的な要求だったのです。
  歴代自民党政府は、「専守防衛の自衛隊は合憲」という立場でした。日本社会党は、「自衛隊は憲法違反、非武装中立」を主張し、自民党と対立しました。
 自民党のリベラル的な性格を持つハト派政権は、憲法9条を口実にアメリカからの海外派兵要請をかわしつづけました。憲法9条は、アメリカからの海外派兵要請を拒否する側面も持っていました。
 タカ派といわれる中曽根首相は、憲法改正を強く主張し、「日本は不沈空母」という発言もしました。

 【東西冷戦の終結】
 1991年、ソ連の崩壊により冷戦が終結し、アメリカは世界で唯一の超大国となりました。日本の「反共の砦」、「不沈空母」の役割が終わったかに見えました。
 しかし、北朝鮮の脅威、中国の軍事力増強など、極東地域の平和への脅威を理由に、引き続き安保体制は継続しました。
  単なる継続でなく、むしろ積極的に「日米同盟は外交の基軸」論が主張されるようになりました。

 【日本社会党の崩壊】
 総評の解散、連合の結成など労働界が右へと再編されていきました。非武装・中立を主張していた日本社会党は、ジリジリと勢力を弱めていました。
 1994年、村山連立政権が誕生しました。非武装・中立を主張していた社会党は、安保条約肯定、原発肯定、自衛隊合憲など、旧来の路線を大転換しました。この結果、社会党は国民の支持を失い、分党・解党の道をたどりました。
 その後は、「自衛隊合憲、専守防衛論」が政治の主流となっていきました。

  【集団的自衛権・改憲の要求】
 1991年の湾岸戦争以降、アメリカの日本への海外派兵圧力が強まってきました。
 1997年には、日米ガイドラインが改定されました。(周辺事態に対応)
様々な条件付きでしたが、あいついで海外派兵を可能にする法律、PKO協力法、周辺事態法などがが成立しました。
 2000年、アーミテージ国務副長官が対日報告書で、『集団的自衛権を禁じていることが両国の同盟協力を制約している』として、集団的自衛権の行使を求めてきました。
 小泉政権下で、イラク、アフガン戦争への協力をめぐり、テロ対策特別措置法、イラク復興特別措置法が成立しました。有事法制も整えられました。
この時期は全体として、海外派兵強化、有事法制の整備、大規模な改憲運動が進みました。
 【憲法の枠組みを乗り越え始めた第2次安倍政権】
 2015年、日米ガイドラインを改定。(協力を切れ目無く、地球規模に拡大)
  第2次安倍政権では、集団的自衛権行使を可能とする平和安全法が成立しました。
 憲法学者をはじめ、市民連合、学生組織などが、この法律は憲法違反であると一斉に批判しました。「日米同盟」の強化はついに、憲法の枠組みを壊さなければ進められない状態に到達したのです。

  【民進党の分裂と選挙の争点】
 以上のように見てくると、日本社会党の崩壊は、自衛隊は合憲かどうかをめぐっての問題でした。今回の民進党の分裂は、憲法9条を改正するかしないかをめぐる問題です。消費税の使い道や社会保障の進め方で分裂したのではありません。
 選挙の争点は、まちがいなく「憲法改正」です。今回の選挙は、戦後史の中で、初めて本格的に憲法改正が問われる選挙なのです。マスコミはあれこれ面白く報道するので、選挙の争点が見えにくくなっています。「チガウダロ~!」と叫びたくなります。

 【北朝鮮危機をめぐって】
 ならずもの国家・北朝鮮を巡る最悪のシナリオは、「アメリカ軍の軍事攻撃→北朝鮮による日本の米軍基地への核攻撃」です。戦後史の中で、日本が核攻撃をうけるかもしれない最大の危機が迫っています。自民党の6割、維新の9割の議員が、アメリカの軍事オプションに賛成という報道があります。軍事行動をちらつかせるトランプ大統領に追随するとは、危険かつ愚かです。日本が核攻撃を受ける危険を孕んでいます。
 「話し合いは無駄だ。必要なのは圧力だ」という主張は、戦後史全体を俯瞰すれば、海外派兵と憲法改正に親和性のある主張です。
 一番の基本的な問題は、アメリカ軍の基地が日本に多数存在することです。
 「日本はアメリカの核の傘で守られている」、「日米同盟は外交の基軸」。これらの意見を克服し、アメリカ追随国家から自立する必要があると考えます。被爆国でありながら、核兵器禁止条約に署名しない国など、あり得ないでしょう。

  「北朝鮮問題は話し合いで…」は当然の主張ですが、どこで、誰が、何を話し合うのかが問題です。「アメリカと北朝鮮が二国間で…」という中国などの主張は無責任です。中国は朝鮮戦争の片方の当事者です。もう片方の当事者は国連軍です。
 話し合いの舞台は当然国連です。武力による威嚇は国連憲章違反です。
 核兵器禁止と国家の主権を尊重した、朝鮮戦争終結についての話し合いです。
   (これは私論です。)
  選挙の投票先は難しくないですね。

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2017年9月19日 (火)

尾木直樹著「取り残される日本の教育」感想②

 この本を読み終わった感想として、著者の主張している内容の多くは支持できるものです。民主的な教育を支持するものにとって、意味のある内容といえます。
 しかし、微妙な違和感も感じました。その違和感の第一点は、現在急速に進められている、政府の新自由主義的な教育政策にどう向き合うかという点についてです。
第ニは、学校職場の民主化をどう進めるかという点についてです。

 では、第一の違和感について。
 尾木氏は、「THEの世界大学ランキングで日本の大学は低迷している」、「PISAの学力ランキングも低下」、「日本の労働者の生産性は低い」と、グローバルな視点や経済的視点から危機を煽り、教育改革を語り始めます。このような文脈で教育改革を語ることには違和感を感じます。
 安倍政権でも、まったく同じ文脈で新自由主義的な教育改革が進められています。
 グローバル企業・財界からの要請を受けた「産業競争力会議」の議論をふまえて、「教育再生実行本部」が、グローバル人材育成のための教育改革を提案しています。
  具体的資料に当たりたい方は、
 ★「人材力強化のための教育改革プラン」~ 国立大学改革、グローバル人材育成、学び直しを中心として~          → こちら
 ★「教育再生実行会議」の提言は、 → こちら

  グローバル人材を育てようというこれらの教育改革も、学校のグローバル化や知識偏重の学力検査を改善し、入試の多様化を推進することが必要とうたっています。
  気になる政策を挙げてみます。

 ☆スーパーグローバル大学を指定し、重点的に予算配分するなどして、世界大学ランキングトップ100に10校をランキング入りさせる。
 ☆外国の大学を丸ごと誘致し、ハイブリッド型の国際大学院、学部を設置。
 ☆理工系の強化により、10年で20の大学発新産業を創出する。
 ☆予算の重点配分を行い、大胆で先駆的な改革を進める。
 ☆給与システムを改革し、大学教員に年俸制を導入。
 ☆スーパーグローバルハイスクール(仮称)を指定。国際バカロレア認定校を大幅に増加(16校→200校)させる。
  ☆大学入試へのTOEFL等を活用する。       ………等々。

 これらの教育施策は、経済の「成長戦略」として語られており、グローバル企業の要請による教育支配というべきものです。すぐに経済的利益を生む研究が重視され、研究予算は紐付きで、基礎研究が軽視される事になります。ノーベル賞を受賞した大隅良典氏は、基礎研究の軽視を警告しています。予算配分の少ない国立の地方大学の落ち込みが激しいと言います。学術論文の数でも、日本は韓国、中国に抜かれてしまったようです。「国際競争力のある大学つくり」は、知の拠点である大学を破壊しつつあるといえます。
 年俸制になれば、教職員への支配力も強まります。現在、東大で教職員の有期雇用問題が起こっています。京大のiPS細胞研究所の研究者の9割が非正規職員であることが報じられています。不安定な身分で働いている研究者が多いことに驚かされます。教育に掛ける公的支出が、GDP比でOECD34カ国中最下位とは情けない限りです。
 TOEFLが入試に活用されるとなれば、高校の英語教育は危機にさらされます。TOEFLの点数を上げるために、エリート校以外の高校生の塾通いが進みます。よい塾へ通えるかどうかは、経済的格差に影響されます。教育産業は大いに栄えることでしょう。
 日本の公教育は、「グローバル人材の育成」の名のもとに、きわめて露骨なエリート学校作り、グローバル企業のための教育に変質させられようとしています。

 尾木氏の「グローバルな教育の推進」、「日本の労働者は生産性が低い」という主張には、ちょっと違和感ですね。新自由主義的教育に無警戒? 推進派?

 第ニの違和感は、学校の民主的運営についてです。
 いじめを隠蔽する教育委員会や学校。上に対してものの言えない教師。いじめを見て見ぬふりをする教師。生徒に向き合えない教師。教育に対して国民の不満は高まってきています。その原因をどこに求めるかが大きな問題です。
  尾木氏は指摘します。
  ~事務作業の多さ、仕事の多様化、部活指導など。すぐに成果を求められる点数競争。過酷な教師の長時間労働は常態化してきている。教育職場は、職階制が強化されて、教育の管理が進んで来ている。~   この指摘には大いに共感します。さすがに、長年教育現場を経験された尾木さんならでは、ですね。

  多くのいじめや授業崩壊などの問題は、教師の横の連携(学年集団など)で解決できるか、問題の重症化を防ぐことがきます。民主的運営がなされていない職場では、教師は孤立しています。管理職は上ばかりを見て保身を図ります。責任は、下へ下へと押しつけられていきます。特に授業崩壊や学級崩壊は教師個人の責任とされています。最前線で孤立する教師。心を病む教師が多いのも痛いほど理解できます。
 近年は、教師の非正規雇用が多いのも驚くばかりです。
 以上のような意味において、尾木氏は、教師の横のつながり、つまり日本独自の「同僚性」を職場に取り戻す必要を強調しています。これは、実にその通りです。
 しかし、尾木氏は、日本の教育職場には以前から自然に「同僚性」が存在したかのような書き方をしています。これには、大いに違和感です。「同僚性」を必死に守り抜こうとした人たちがいたからこそ、「同僚性」が在ったのです。
 職場に民主主義を確立するためには、民主的な組織や人のつながりがなければ達成できません。当たり前のことですね。
  尾木氏は、「教師の質の向上のため、自己研鑽に国や自治体の理解と協力が必要である。」と述べています。しかし、教育委員会が提供する多くの研修会が、自由闊達な教育研究の場であるかどうか大変疑問です。過去、教師の自己研修を支えていたのは、職場や地域でのサークル活動、民間教育団体の研究会や組合教研ではなかったでしょうか。
 教育現場から民主的教育を積み上げていくには、民主的な人の横のつながり、組織化が必要です。国や自治体に理解と協力をお願い? ちょっと違和感です。
 テレビで売れっ子の教育評論家に、このような違和感を投げかけることが、違和感そのものかも知れませんね。スミマセン。 尾木氏の今後の活躍を期待します。

   おまけ:教育負担の私費の割合は、OECDどうどうの第2位。

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2017年9月18日 (月)

尾木直樹著「取り残される日本の教育」感想①

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  尾木直樹著「取り残される日本の教育」(講談社新書)を読みましたので、感想を書かせていただきます。私は、教職を退職し10年以上が経ち、教育に関する本を読むのは久しぶりのような気がします。

 では、まず、著者の尾木直樹氏の主張を出来るだけ忠実に要約してみます。

第1章:東大のアジア首位陥落の衝撃
 ★日本の教育は世界レベルから転落している。イギリスのTHEが発表している世界大学ランキングによれば、日本の大学は世界的に低迷しており、100位の中にはいるのは、東大は49位、京大の91位のみ、アジアの中を見ても、中国・韓国・シンガポールに抜かれ順位を下げている。
 OECDが実施しているPISAの学力ランキングも低下してきている。
  ★日本の労働者の生産性が、他国に比べて劣ってきている。その原因は、旧態依然とした産業構造や日本独特の企業文化などに加え、学力の低下やグローバルな視点から立ち遅れた教育にある。
 ★世界は「多文化共生時代」に入ってきており、自分と異なる文化と交流する能力、共生していく能力が求められている。知識偏重教育ではなく、思考する能力、知識や技術を活用する能力を高める教育が求められている。

第2章:日本の教育が世界から取り残されていく
  ★日本の教育は世界から取り残されつつある。
 18歳選挙権は、20年遅れてやっと導入された。
 ★日本では、過度の競争原理に基づく教育が行われていて、学力格差が生まれている。10代の学力不信自殺の増加は、他国に比べ深刻である。
 ★日本の教育予算は、OECDの中でも最低ランクにある。子どもの貧困問題も深刻である。機会均等のための無償教育を進める必要がある。奨学金の充実などはすぐに取り組める課題である。
 ★教育の無償、競争のない教育を進めているフィンランドなどに習って、教育改革を進めていく必要がある。

第3章:2020年は教育改革のラストチャンス
  ★OECDは、「能力の定義と選択プロジェクト」の研究成果として、三つのキーコンピテンシー(鍵となる能力)を提案している。
   ・相互作用的に道具を使う ・異質な集団で交流する ・自立的に活動する
  (*相互作用的に道具を使う=情報、知識、技術をツールとして活用する能力)
  ★日本の教育は、批判的思考力、論理的思考、表現力の教育に力を入れてこなかった。知識偏重の古い学力では、もはや仕事はない。OECDの提案する新しい学力観に立つ必要がある。
 ★フィンランド・メソッド、イエナプラン、クリティカル・シンキングを重視する教育など、海外から学ぶべきである。
 ★かってのゆとり教育は、必ずしも失敗ではない。「主体的、対話的で深い学び」であるアクティブラーニングをさらに進めるべきである。 
 ★ICT教育の適正な推進
 ★小学校への英語の導入は、グローバル化の流れからみて、一定の妥当性がある。
 「対話力」は不可欠である。指導者の育成も今後の課題。
 ★道徳の教科化は問題が多い。
 ★新しい入試制度は、入り口重視から出口重視へと転換させ、知識偏重を克服し、知識を活用する力や思考力・論理力・表現力を評価する方向へシフトしていくべき。国際バカロレアなど、資格保障にもとづく入試改革は検討すべき方向である。 

第4章:「学びの場」はどうあるべきか
 ★改革の成否の鍵を握るのは教師力である。生徒に向き合えない教師が増えている。その原因として教師の多忙化がある。事務作業の多さ、仕事の多様化、部活指導など。直ぐに成果を求められる点数競争。過酷な教師の長時間労働は常態化してきている。
教師の質の向上のため、自己研鑽に国や自治体の理解と協力が必要である。
  ★現在の教育職場は、職階制が強化されて来ており、教育の管理が進んで来ている。 管理主義、成果主義に覆い尽くされた教育現場では、さまざまな教育改革の芽が摘み取られている。
 教育現場に、日本独自の「同僚性」を取り戻す必要がある。
 教育には、自由が不可欠である。教科書採択などにも学校や教師に裁量権を与えるべきである。
 ★学校は民主主義の練習場である。教育の主体は子どもである。教育に「子ども参加」が必要である。
  ★学び直しを可能にする生涯教育の推進は重要。

第5章:日本の教育の未来のために
 ★教育観、学力観の議論を深めること
 ★教育を取り戻す6つの処方箋
  ①国際的な学力観・子供観への転換
  ②競争主義から脱却する
  ③学びの主役を子どもに アクティブラーニングの推進。子どもの参画。
  ④個に寄り添う教育へ 他文化共生社会に求められる教育視点。
  ⑤国の責務としての学力保障 履修主義ではなく個に応じた学力を。
  ⑥子どもの命と安全を大切にする学校。
           ********
  内容を要約するだけで、かなりスペースを使ってしまいました。
 感想は次回にします。  感想②へ → こちら

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2017年9月14日 (木)

「知らなかった、ぼくらの戦争」感想

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  アーサー・ビナード著、「知らなかった、ぼくらの戦争」(小学館)を読みましたので、拙い感想を書かせていただきます。
 著者のアーサー・ビナード氏は、アメリカ出身の詩人です。日本語で詩を書き、中原中也賞を受賞されています。私は以前に、アーサー・ビナード著「もしも、詩があったら」(光文社新書)の感想を書きました。もしよければ → こちら

 「知らなかった、ぼくらの戦争」は、日本民間放送連盟賞・2016年番組部門[ラジオ報道番組]最優秀賞を受賞した、文化放送「アーサー・ビナード『探しています』」という番組で、著者がインタビューした戦争体験者23人の証言をもとに作られた本です。
  著者は、持ち前の機知に富んだ軽妙な語り口で、日米の戦争への意識の違いなどを考察し、戦争の本質に迫っていきます。一味違った、戦争体験証言集になっています。
 一部分の紹介になりますが、スペースの許す限り紹介してみます。
         *****
 アメリカの大学を卒業して来日した著者が驚いたのは、日本には「戦後○○年」という表現が当たり前に根付いていることです。朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争……。アメリカでは「戦後」というと、どの戦争のことを指すのかはっきりしないのです。「戦後」のない国に育ったことに気付いた著者。「戦争とはいったい何なのか?」という問題の核心に迫っていきます。

 最初に登場する証言者は、著者の妻の母親、栗原澪子さんです。
 栗原さんが国民学校(小学校)4年生の時、日本軍は「仏印進駐」に成功しました。この時、各学校に記念の「ゴムマリ」が送られ、みんなでバンザイ!をして喜んだそうです。しかし、彼女の母親(つまり著者の義理の祖母)は、日本の勝利には懐疑的だったそうです。愛国少女として育った彼女は、ムキになって食ってかかります。「お母さんのような非国民がいるから日本は勝てないんだ!」と…。
 著者は言います。「国家の教育の影響力が、家庭のそれよりも大きいことにも、ぞっとしながらもうなずかされる。」と。
  戦争遂行のためには、教育の力を動員する必要があるということなのです。

  次の証言者は、真珠湾攻撃に参加したゼロ戦のパイロット原田氏です。
 原田氏は、真珠湾攻撃当日、真珠湾には空母は一隻もいなくて、アメリカ軍は事前に攻撃を察知していたに違いないと直感したそうです。
 アメリカで育った著者は、日本軍の真珠湾攻撃の卑怯な奇襲作戦を、繰り返し教え込まれました。しかし、本当は、事前に察知していたのではないか、「対日対独宣戦布告」の格好の口実だったのではないか、との仮説を抱きます。アメリカ世論は、この攻撃を機に、堰を切ったように戦争賛成へと変わっていったといいます。
 戦争につきものなのが、陰謀とプロパガンダなのですね。

 原田氏は、ミッドウェーで負傷します。軍医は、重傷者をほっておいて、比較的軽傷だった原田氏を先に診察します。原田氏の「私じゃなくて、もっと苦しんでいる人の方を早く診てやってくれ」という懇願に、軍医は答えます。「重症を負ってもう使えなくなった者は、いちばん後まわしだ。これが戦争の最前線の決まり」と…。
 なんとも、戦争の本質を突いた証言です。特攻攻撃に参加したのは、即席に訓練された、コストの安い若い兵隊が大部分だったという話も頷けますね。

 アメリカ移民として、アメリカで戦争を体験した兵坂米子さんの証言では…。
 彼女の家族は、収容所に送られ苦しい生活を強いられます。収容所を出てから、ミシガンの田舎に仕事を見つけ家族で住むことになります。戦争が終わり中学へと進学しますが、きっとジャパニーズとして酷い差別を受けるだろうと予想します。しかし、予想に反して、「おまえはジャパニーズじゃないよ」と言われます。アメリカの田舎では、本物のジャパニーズを見たこともなく、「肌が真っ黄色で、目がつり上がって、出っ歯…」というイメージを刷り込まれていたのです。だからジャパニーズじゃないと…。
 日本では、「鬼畜米英」とされていました。アメリカではJapでした。戦争とは、民族的な憎しみのプロパガンダを伴うものなのです。
 「日系人とまわりの白人と黒人とヒスパニックとチャイニーズが連帯して、地域が破壊されることに抵抗していたなら政府の計画は破綻していたかも…」と、著者は突拍子もないことを夢想します。

 BC級戦犯で有罪判決を受け、スガモプリズンに投獄されていた飯田進氏の証言は、戦争責任についての深い意味を考えさせてくれます。
 警察予備隊が創設された頃の話し。彼は、自ら獄中にあっても主張します。「戦犯の釈放運動が、日本の再軍備と結びつけられるなら、反対である…」と。日本を愛することと戦争責任の「狭間」で生きた重い証言です。

 玉砕した硫黄島で生き残った秋草鶴次氏は、硫黄島は墓場であると、凄まじい体験を証言します。硫黄島は、「玉砕の地」と礼賛されるような場所ではないと…。
 著者は「玉砕」とは、「生き残ってはいけない、死んでこそ美しい」、「生き残った人の命が否定されている」言葉であると、「玉砕」の怖ろしい意味を考察しています。
 英語では、The Breaking Jewel(砕かれた宝石)と翻訳しているが、これは正しい訳ではないと…。玉が砕けるのではなく、砕けて初めて玉になれるのです。死んでこそ初めて意味があるのです。生き残った者の命は否定されているのです。

 こんな調子で紹介していくと、スペースが足りませんね。
 この他に、登場する語り手は、次の方々です。
アメリカで強制収容所を経験されたリッチ日高氏。
択捉島の鯨場出身の女性、鳴海冨美子さん。
学徒動員として大久野島で毒ガス工場で働いた元女子学生、岡田黎子さん。
ニューギニアで生き残り、戦後も遺骨収集を続ける西村幸吉氏。
戦艦「大和」の沈没を目撃した駆逐艦「雪風」の乗組員、西崎信夫氏。
満州から修羅場をくぐり奇跡的に生還した漫画家のちばてつや氏。
沖縄、台湾、日本を体験した、与那国島出身の宮良作氏。
疎開船対馬丸撃沈を体験した、平良啓子さん。
沖縄戦を生き延びた沖縄県知事、大田昌秀氏。
喜界島出身の英語詩人、郡山直氏。
落語家の三遊亭金馬師匠。
広島で被爆した、東京都被団協会長の大岩孝平氏。
長崎で「だご汁」を作っていた時に被爆した松原淳氏。
アメリカが原爆投下訓練のため巨大爆弾「パンプキン」を投下していたことを明らかにした金子力氏。
中島飛行機に勤務中、パンプキン爆弾を体験した古内竹二郎氏。
戦後GHQで働いた元事務員、篠原栄子さん。
「日比谷松本楼」のオーナー、権力の中心地近くで戦中戦後を生きた小坂哲郎氏。
アニメ界の巨匠、高畑勲氏。

 「戦後のない国」からやって来たビナード氏。「戦争を背負って後始末しながら日々、平和を生み出している人がいる。その営みがあって戦後という日本語は、現在も意味をなしているのじゃないか。」と締めくくっています。
 これからも「戦後」をつなぎ続けてゆくための知恵に溢れた本です。お薦めします。

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2017年7月17日 (月)

日本の農業と食が危ない~種子法廃止~

 Tane
  今、加計学園問題が話題になっています。テレビに登場する評論家が、「特区制度は良い制度だが、加計学園のみが優遇されたことが問題だ。」という追求の仕方をすることが、しばしばあります。これは、間違った議論です。特区制度も大変重要な問題です。
 国家戦略特区とは、新自由主義的な規制緩和政策です。企業が規制を受けずに、自由に利潤を追求するための政策です。今まで公共が担ってきた福祉、教育、医療、水道をはじめとする生活インフラなどを民営化して、企業の利潤追求に差し出すものです。
 種子法の廃止も、岩盤規制の緩和・撤廃という理由付けの下に企業の参入を拡大し、企業の利潤追求を種子生産分野に持ち込もうとするものです。いわゆる新自由主義的なアベノミクス農政の一環です。

 「種子法(主要農作物種子法)」とは、いったいどんな法律なのでしょうか。
  種子法が制定されたのは1952年。戦中から戦後にかけて食糧難の時代を経験した日本が、「食料を確保するためには種子が大事」と、「二度と国民を飢えさせない。国民に食料を供給する責任を負う。」という国家の明確な意思に基づき制定されました。
  種子法では、コメ、麦、大豆といった主要作物について、優良な種子の安定的な生産と供給を「国が果たすべき役割」と定めています。コメ、麦、大豆などの種子は、食糧としての重要性や、野菜などと違い短期間での種子の開発・普及が困難なものです。このため、国の責任として都道府県に対し、種子の開発や生産・普及を義務づけているのです。
  この制度の下で、都道府県は農業試験研究の体制を整え、地域に合う品種を開発し、「奨励品種」に指定し、さらには原原種や原種の生産圃場の指定、種子の審査、遺伝資源の保存などを行ってきました。

 4月14日、共謀罪法案が注目を集める中、たいした議論もなく、マスコミも全く報道しない中で「種子法(主要農作物種子法)」の廃止が国会を通過しました。
  政府や農水省は、「国が管理するしくみが民間の品種開発意欲を阻害している」と説明しています。種子の生産コストが国の財源でまかなわれている今の制度では、都道府県と民間企業との競争条件が対等ではないというのです。つまり、規制緩和してもっと企業に利益をまわせというわけです。

 都道府県が、予算を削り種子事業から撤退し、すべて民間企業の手に種子が委ねられたとしたらどうなるのでしょうか。
  例えばコメについていえば、日本では現在300品種近くのコメが作られています。種子生産企業が利益を上げるためには、たくさんの需要があり、利益が上がる一部品種に集中する必要があります。300品種すべてに責任を持つことはしません。
 300品種コメの中には、愛知県の中山間地でのみ栽培されている「ミネアサヒ」という 大変味の良いコメがあります。三河地方のみで流通し、地域振興資源となっている品種です。このような少量品種では、コストもかかり企業は利益を上げることはできません。やがて切り捨てられていくことは火を見るより明らかです。これは、別の視点から見れば、地域の切り捨てということでもあるのです。

 また、国や都道府県が持つ種子や施設を民間に提供し、品種開発を進めるということは、税金を使って育成した品種という国民の財産を民間企業へ払い下げることです。
  そして、企業はやがて改良した新品種に対して特許を取得します。特許料を払わなければその種子が使えなくなる、つまり種子が企業に囲い込まれてしまう「種子の私有化」が起こります。農家は毎年高い種子を買わされることにもなります。

すでに民間が主体となっている野菜などの作物では、圧倒的な技術力と資本を持つ数社の多国籍企業が、中小の種苗会社を次々に買収し、世界中にシェアを拡大しています。スーパーなどで販売されている野菜の多くも、そうした多国籍企業の種子によるものになっています。

 世界の種子市場は急速に寡占化が進んでいます。世界的な多国籍企業が、各国の種子企業を買収して主要作物の遺伝資源を囲い込むと共に、遺伝子操作による技術開発により新品種の特許を独占し、世界の農業を支配してきています。世界の上位10社で、70%近いシェアを持つまでになっています。
 23%のシェアを持つアメリカのモンサント社は、遺伝子を組み換えて、自社の農薬しか効かない種子を農薬とセットで販売するという方法で巨利を得ています。

  地方切り捨てや小規模農家を排除する政策を進める「アベノミクス農政」は、さらに種子事業を民営化し、今まで日本が蓄積してきた公共の種子を多国籍企業が開発した「特許種子」に置き換えることにつながっていくものです。
 世界的に見ても小規模農家が食料生産の重要な部分をになっています。世界各地で、巨大資本による種子の囲い込みに反対し、小規模農家を保護して、農業の多様性を保持しながら食料主権を守っていこうとする市民や農民による運動が起こっています。
  「種子は農業の生命線であり、食の根幹であり、したがってすべて生命の源である。」京都大学の久野秀二教授の言葉です。
  今後も種子法廃止の行方を見守っていく必要があります。
 国家戦略特区や規制改革会議が打ち出す、新自由主義的な企業重視の政策に目を向けていくことが必要です。カジノ容認。医療特区での株式会社の病院経営。混合診療解禁。…など。もう課題は山積みです。     

  なぜ農家は、毎年種子を購入しなければならないのか? 種子の自家採取は出来ないのか? 疑問を持たれた方は、「タネが危ない」へ → こちら

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2017年6月30日 (金)

年金問題、最低限の理解

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  暇に任せて、図書館から年金問題についてのいろいろな本を借りてきて、猛勉強してみました。制度の大まかな成り立ちや問題点について、自分なりに理解できた範囲で問題点を解説してみます。
 年金制度は複雑な経緯を辿っており、多くの人が理解不足と不信・不満のかたまりとなっています。政治家や評論家がメディアを通じてあれこれ発言し、何が真実か解らなくなり、やたら不安がかき立てられています。次のような意見もよく耳にします。

 ◎年金未納者が多く、今の年金制度は間もなく破綻する。若い世代は老人になった時、年金はもらえないかもしれない。
 ◎高齢化社会が進み、社会保障費は増加の一途である。年金についても消費税を増税して、その財源で年金を支えるべきだ。
 ◎今の老人は年金をもらいすぎている。人口減少で現役世代に大きな負担がかかっている。現在の年金支給額は切り下げるべきだ。
 ◎保険料を未納にし、それを積み立ておくか、民間の年金保険にした方が得だ。
 ◎GPIFが株式に投資しているが、利益が出れば年金給付が増える…等々。
 
  これらは、すべて間違った意見です。不十分ながら解説してみます。

 【公的年金は賦課方式】
 現在の公的年金制度は賦課方式をとっています。積み立て方式ではありません。この賦課方式というものを理解するだけでも、年金にまつわる間違った言説を見破ることができます。賦課方式とは何でしょうか? まずこれから解説します。
 賦課方式では、現役世代が収めた年金保険料が、年金受給世代の年金として支払われます。賦課方式は積み立て方式ではありません。いわば、川の流れのようなものです。上流から流れ込む保険料を下流で年金として受け取るわけです。「年金積立金が不足し、将来的に積立金が無くなれば、制度が破綻する」と不安を煽る人がいます。しかし、賦課方式では、原理的には積立金は不要です。積立金が不足し年金制度か破綻するということはありません。
 企業年金などの私的年金では、株式に投資し利益が出ればもらえる年金が増えます。しかし、賦課方式は、年金積立金を運用している法人・GPIFが、株式に投資して利益を出しても、それが年金支給額に反映されるという仕組みではありません。
 過去の経緯で積み上がっている積立金の株式への投資は、株価をつり上げるために利用されているだけ。しかも、民間に丸投げされていて、取り扱う銀行などが利益を手にしているだけです。公的な年金を市場運用している国はほとんどありません。
  ちなみに、企業年金などに使われている積み立て方式では、市場運用は絶対必要です。なぜなら、貯金と同じで、インフレなどに対応できないからです。

 【マクロ経済スライド】
 賦課方式の年金は、川の流れと同じです。上流からの保険料収入がある限り川は流れ続けます。しかし、人口減少、高齢化社会、インフレ、デフレ、景気の変動などがあり、この川の流れを一定に保つのは大変難しいです。そこで、2004年から導入されているのが、マクロ経済スライドという方法です。
 マクロ経済スライドを簡単に言えば、保険料が上がりすぎないように、上流側の保険料に上限を設けます。当然、下流で受け取る年金にも上限が発生します。その上で、人口減少、高齢化など将来的要素を考慮に入れて年金支給額を決定します。これにより、川の流れが維持できるようにコントロールするわけです。別の言い方をすれば、川の流れを維持するために、受け取れる年金を抑制するわけです。年金を抑制されるのは嫌だと言っても、川の流れを維持するための必要悪ということです。このように、現在の現役世代が年金世代となっても、川の流れが維持されるように人口減少や高齢化は織り込み済みで設計されています。いろいろ問題はあっても、川がすぐに干上がることはありません。
 団塊の世代が現役の頃は、高度経済成長もあり、年金会計にゆとりがありました。杜撰な年金運用もあり、年金をもらいすぎた人がいるのは確かです。しかし、マクロスライドで、徐々にゆがみは解消していっています。

 【公的年金はお得な保険】
 公的年金を払わずに、積立貯金をしたり民間の年金保険にすると、どっちが得なのでしょうか? 答えは簡単です。公的年金と同じ支払い率を持つ民間の年金保険はありません。なぜなら、国民年金には税金が投入されています。厚生年金では、保険料の半分は会社持ちです。公的年金に未加入という選択肢はありません。
 年金未納者は40%といわれています。これが社会的「悪」のように非難されることがあります。しかし、多くは、第3号被保険者や所得の低い人、学生など、法的に猶予されている人たちです。純粋な未納者は数%です。未納率が高くて年金を維持できないと騒ぐのは、問題が少しずれています。年金制度を維持するために未納者を減らす必要があるのではなく、「老後に年金をもらえない人を減らすために未納者を減らす必要がある」というのが正しい言い方です。

 【消費税と年金】
「社会保障のために消費税が必要…」という嘘から、日本人は、もういい加減に目を覚ますべきです。消費税は、貧乏人が消費しても金持ちが消費しても同じ税率です。これに対して所得税は累進課税で、所得の多い人ほどたくさん税金を払います。社会保障は、所得の多い人が、所得の少ない人を支えることにより成り立ちます。つまり社会保障は、所得の移転制度なのです。消費税には累進性がありません。社会保障の財源としては不適切です。世界の多くの国で、これは常識になっています。
 当然のことながら、消費税を年金財源にすることは間違いです。厚生年金の場合、保険料の半分は企業負担です。ここに、フラットに集めた消費税を投入することは、企業の負担を小さくすることになり、財界にとって有利な政策となります。
 消費税増税は、多国籍企業の利益を優先する新自由主義的経済政策を主張する経団連を先頭に、政界やマスコミに溢れています。政治家や評論家を評価するとき、消費税に反対か賛成かは、重要で基本的な目印です。
 公的年金の民営化を主張する人もいますが、問題外でしょう。

 【人口減少と年金】
 「日本の人口は減少している。2015年には、1人の老人を2.3人で支えていたのに、2050年には、1.3人で支えなければならない。」と、こんなふうにに言われると不安になります。2010年に8000万人あった生産年齢人口は、2030年には6700万人ほどになり、「生産年齢人口率」は63.8%(2010年)から58.1%(2030年)に下がる予想です。5.7%の減少です。20年で5.7%ということは、1年あたり0.3%です。これは、経済成長でカバーできる範囲の数字です。しかし、逆に言えば、経済成長(賃金の増加)が無ければ年金制度は維持できないということになります。年金制度の安定は、経済政策から大きな影響を受けます。賃金が増えなければ、保険料収入が減り年金制度は危機に陥ります。アベノミクスにより株高で好景気といわれていますが、実質賃金は下落しています。これは年金にとって良くない方向ですね。庶民の生活にとっても…。

  【年金制度を充実させるためには】
 2013年のOECDの発表によると、日本の年金水準(所得代替率)は、下から3番目の低さです。もっと年金を充実させるためにはどうすればいいのでしょうか。
 ★「増え続ける社会保障費で国の財政が破綻する。消費税の増税が必要だ。社会保障費削減はやむを得ない。」と危機をあおっている人々が、政治の主流となっています。国の社会保障に責任を持とうとしない政治を変えることは基本として重要です。
 ★社会保障は、税の累進性によって成り立ちます。所得を正確に掌握し、所得税率を上げて、所得税の累進性を高める必要があります。法人税や所得税に対する様々な優遇税制も見直す必要があります。金融所得の分離課税は廃止しすべきでしょう。
 ★年金を支えるのは現役世代です。非正規労働が4割を超えるなど、労働環境が悪化しています。「働き方改革」などという的はずれな政策ではなく、最低賃金の引き上げや、非正規雇用の正規雇用化などをすすめ、現役世代の賃金を増やすことが必要です。これにより保険料収入を増やして年金財政を安定させることができます。
 ★様々な学者や政治家が、いろいろな年金改革を提案しています。細かい数字と数式を並べられると、ついゴマカされてしまいます。しかし、ゴマカされないために一つの目印があります。それは、高所得の人ほど負担が大きくなる「応能負担原則」が強化されているかどうかをみることです。
 例えば、標準報酬の上限を引き上げて、高所得者の保険料負担を増やすなどの政策は、すぐにでも可能です。現在、標準報酬月額の上限は、62万円に据え置かれたままです。月収が62万円の人と月収が数百万円もある人が同じ保険料は、常識的にあり得ないでしょう。また、中小企業よりも大企業の方に高額所得者が多いとすれば、厚生年金の保険料は会社と折半なので、大企業がより多くの保険料の拠出をすることにもなります。
  年金積立金を株などに投資してないで、保険料を下げるなどに有効利用することも直ぐにできることです。
 ★マクロ経済スライドルールの変更、将来的な廃止。厚生年金と国民年金の会計統合など、今後に検討すべき課題です。

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2017年5月30日 (火)

フクシマ6年後 消されゆく被害 感想

 Fukushima
  日野行介、尾松亮共著「フクシマ6年後 消されゆく被害」~歪められたチェルノブイリ・データ~ (人文書院)を読みましたので、感想を書かせていただきます。
  著者の日野行介氏は、毎日新聞記者。
  尾松亮氏は、関西学院大学災害復興制度研究所研究員。

 安倍首相がオリンピック招致演説で、「フクシマはアンダーコントロール」と演説しました。多くの国民は、アレッ?と思ったと思います。立ち並ぶタンクのあちこちから汚染水が漏れ、山側から流れ込む地下水は止められず、それが汚染水となって海側に流れ出している状態は今も続いています。日本国民は、オリンピックのために世界に向かって嘘をついたことになります。

 多くの文化人や科学者、評論家が、原発の安全神話を当たり前のように語っていました。原発事故が起こり誰かが責任を取ったでしょうか? 
 第一義的責任を負うべき東京電力は生き残り、20数兆円ともいわれる廃炉費用は、全国民が税金と電気代で支払う仕組みも作られました。

 除染が進み避難指示の解除が行われています。しかし、国民の年間許容被爆線量は1mSvですが、解除地域は20mSvとなっています。この数値は、安心して暮らせる基準として設定されたものではなく、本来、緊急避難をすべき基準として決められたはずのものです。空間線量が20mSvであっても、到るところにホットスポットと呼ばれる高線量の地点もあります。いつのまにか、緊急避難基準が安全・安心基準になっているのです。
 避難解除された地域の住民への支援は打ち切られ、地域へ帰れば、他の国民とは違った、避難基準の場所での生活を強いられます。これに従わない住民は「自主避難者」となるわけです。「自主避難者」は、自らには何の責任が無いにもかかわらず、補償もなく避難を続けるか、不安を抱きながらも生活環境の整わない自宅へ帰るかの選択を迫られているのです。
 先日、今村雅弘復興大臣が、自主避難者の避難行動は「自己責任」であるとの見解を示しました。その背後にある考えは、政府が科学者の知見を取り入れ設定した安全基準を受け入れない「自主避難者」は、放射能に対して科学的に無知であるか、ワガママであるというものです。だから支援の必要はないと…。
 「自主避難者」の子どもがいじめにあう事件も報道されています。
 復興庁の水野靖久参事官は、ツイッター上で原発の問題を追及する市民団体を「 左翼のクソども」と暴言を吐き辞任しました。風評被害は国民の放射能に対する無知からきていて、それを「左翼のクソ」どもが煽り立てているというわけです。
   原発問題については、忘却と再稼働が進む背後で、ドロドロとした混乱状態が続いています。放射性廃棄物の処理についても、トイレのないマンション状態です。

 前置きが長くなりました。この本の内容を部分的ですが紹介してみます。

 第1章、著者の日野氏は、子供を連れて「自主避難」している母親たちを取材し、周囲からの厳しい反応を報告します。「勝手に逃げたのに賠償をもらった」ずるい人、ありもしない不安にさいなまれた「頭のおかしな人」のように見られ、学校では子供がいじめられる事例も発生しています。自主避難を隠して生活している人も多くいると……。
 健康への影響を心配して、母親が子供を連れて避難するのは普通のことなのに、そういう人は守られなくていいのか?。国は、早々と住宅支援の打ち切りを決めています。「もう5年も経ったんでしょ」と、周囲の視線の冷たさは増しているとのことです。

 第2章では、福島県で行われてきた県民健康調査の甲状腺検査について問題点が指摘されています。
 福島県では、県内に住んでいた18歳までの子ども38万人を対象に、甲状腺の検査が行われています。15年3月時点で112人が甲状腺癌とされました。これは、通常の罹患統計からすると、数十倍の多さであるといいます。しかし、県民調査検討委員会は、「放射線の影響は考えにくい」と報告しています。その論拠として出されるのが、「チェルノブイリ」ではどうだったかという知見です。
 ①チェルノブイリでは、4~5年後に甲状腺ガンが増加した。
  →したがって、今まで福島でみつかった甲状腺ガンは事故との因果関係はない。
 ②チェルノブイリでは、事故時5歳以下の層に甲状腺ガンが多発した。
  →福島では5歳以下の層に増加はないので、チェルノブイリとは違っている。
  ③チェルノブイリに比べ、福島は被爆線量がはるかに少ない。
  →したがって、福島での甲状腺ガンの増加は考えにくい。

 福島原発の事故の影響を否定する人たちがいつも重要な論拠としているのが、「チェルノブイリの知見」なのです。
 ロシア語に堪能な著者の尾松氏は、チェルノブイリ被災国のロシア語原文資料に直接あたります。「ウクライナ政府報告書」だけではなく、まだ翻訳されていない「ロシア政府報告書」にもあたり、福島の検討委員会が提示する説明は正確ではないことを明らかにします。
   ①チェルノブイリでは、4~5年後に甲状腺ガンが増加した。
     →翌年から増加をしている。
   ②チェルノブイリでは、事故時5歳以下の層に甲状腺ガンが多発した。
   →事故時5歳以下の層に甲状腺ガンが多発するのは、10歳後半になってから。
 ③チェルノブイリに比べ、福島は被爆線量がはるかに少ない。  
     →チェルノブイリでは、被爆線量が少ない地域でも甲状腺ガンが増加している。
 このように、チェルノブイリの知見が、都合よくねじ曲げられ、一部が隠されているのです。

 このあと、この本は、第3章 日本版チェルノブイリ法はいかに潰されたか/第4章 闇に葬られた被害報告/ 第5章 チェルノブイリから日本はどう見えるのか/ となっていますが、スペースが無くなりました。
 「民主主義は、国民による意思決定への参加を保障することで成り立つ。その意志決定の前提となる情報が、いびつに歪められた社会では、民主主義はあり得ない。原発事故は民主主義の問題である。」 著者たちの熱い訴えが新鮮です。
 日本にとって原発問題は、逃れられない課題ですね。 お薦めします。

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2017年5月17日 (水)

平田雅博(著)・英語の帝国 感想

  平田雅博(著)・「英語の帝国」~ある島国の言語の1500年史 ~(講談社選書)~を読みましたので、紹介させていただきます。平田雅博氏は、青山学院大学史学科教授。
 この本は、イングランド島という一島国の言語に過ぎなかった「英語」が、現在のような世界支配を確立していく1500年の歴史を検証しています。そして今、日本で起こっている「英語熱」、小学校での英語教科化や低年齢化などに警鐘を鳴らしています。
 現代日本の英語教育をかんがえる時、この本は必読と言えそうです。

Ujit01 「英語の帝国」は、中世イングランドによる、スコットランド、ウェールズ、アイルランドの侵略に始まります。これらのブリテン諸島の国々を支配下に置き、イングランド帝国が出来上がりました。
 さらに近代に入りイングランド帝国は、「ブリテン帝国」(大英帝国)として世界的に帝国を建設していきました。これとともに、「英語の帝国」は拡大していきました。
 その拡大は、左の図のようになります。(クリックすると拡大します。)
 まず、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなど、「母語としての英語」を話している人々が中核となります。
 さらに、植民地の拡大競争によりインド、アフリカなど、大英帝国やアメリカに植民地化された国々へと英語は広がっていきます。図の「外郭の円」。
 さらに十九世紀以後は、「非公式帝国」としてラテンアメリカ、中東、そして日本を含む極東にまでその支配圏が広がっていきました。図の「膨張する円」。

 「英語の帝国」は勢力を拡大していく過程で、支配拡大のための様々な原理(戦略)を獲得していきます。その一つは、使用言語の違いを利用した分断支配です。
 まず、上からの英語押しつけ政策で、英語話者に経済的・社会的な優位性が与えられる仕組みを作ります。この仕組みが機能を始めれば、経済的ゆとりのある者は英語を学び有利な地位を得ていき、それができないものは不利な立場に追いやられ、格差社会は広がっていきます。社会的・経済的利益を得させようと親たちは、子どもには英語を獲得させようと必死になっていきます。
「上からの強制」と「下からの迎合」により、植民地的言語支配が進んでいくのです。

 例えば、ウェールズは16世紀の「連合法」により、イングランドに併合されます。この連合法の中には言語条項があり、行政的に英語の使用が義務づけられ、英語に習熟していないものは官職に就けなくなったのです。ジェントリ(地主階級)の師弟は、イングランドで英語を学び社会的地位を獲得していきました。一方ウェールズ語は、地方の小作人の言語として緩やかに衰退をたどっていくことになるのです。

 19世紀の「帝国主義」の拡大により、英語は教育システムとして、「帝国支配」の言語として広がっていきました。支配者側(宗主国側)からの「強制」と、被支配者側からの「迎合」という原理は、ここでも活用されました。
 インドでは、公的な使用言語がペルシャ語から英語に置き換わり、インド人が政府ポストに就くときは、英語教育を受けた者の優先が決められました。さらに主要な都市に国立大学が作られ、英語で授業がおこなわれたため、英語教育は進みました。
 ガンジーは、「英語は、教養層と大衆を隔てる深い溝であり、インドの国民語になり得ない。」と、英語反対論をとなえましたが、しかし、子どもの将来を考え就職を有利にしようとする親たちが多数派でした。2003年時点で、英語が自由に話せるインド人は、5000万人に達しています。

 アフリカでは、「アフリカ人は英語を必要としている」として、一方的、暴力的に英語の押しつけが進行しました。スワヒリ語や多数の現地語は「近代的な、抽象的な思考」を表現できないと見なされ、教育機関から追放されていきました。
 1961年にウガンダのマケレレで、「第二言語としての英語教育」についてのブリテン連邦会議が開かれました。この会議をまとめた報告書が、「マケレレ報告」です。この報告の中で注目されるのが、次のような「信条」です。

 ①英語は英語で教えるのがもっともよい。
 ②理想的な英語教師は英語を母語とする話者である。
 ③英語学習の開始は早いにこしたことはない。
 ④英語に接する時間は長いにこしたことはない。
 ⑤英語以外の言語の使用は英語の水準を低下させる。
 
 これらの信条は、第ニ外国語を学習するための教育的理論から生み出されたものではなく、英語を一方的に押しつけるために「英語の帝国」の歴史が生み出した「前理論」であるといいます。これらの信条は、教育的な理論的背景が明確でないまま、当然のことのように言われ、現在の日本でも英語学習の低年齢化の根拠となっています。

  最後は、膨張する円の中にいる日本の英語教育についてです。
  文部科学省は、2014年に有識者会議を設置し、「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」を作成しました。この計画に基づいて、今年2017年3月、新指導要領が告示されました。
 小学3.4年生で、「聞く・話す」を中心に週一時間の体験的学習、5.6年生には、週二時間の「読み・書き」を加えた教科としての学習が入ります。
 中学校では、英語の授業は英語でおこなうことを「基本」とするとしています。
 これらはまさに、「マケレレ報告」の日本適用版ともいえます。

 著者は、現代の英語帝国主義は、アメリカが主導する帝国主義であると述べています。アメリカが主導する「新自由主義」による「グローバル化」が世界を覆い、これに呼応して日本の財界は「英語教育改革」を唱えて、「グローバル化」=「アメリカ化」に都合のよい日本人=「グローバル人材」の育成を目ざしていると…。
 この「グローバル人材」を育てるための教育改革は、膨大な予算を伴う国家プロジェクトです。限られた授業時間と予算の中で、小学校に英語を導入することが、本当に経済的に意味のあることなのか国民的議論が必要です。現代日本の「英語熱」は異常であり、日本人は、早く目を覚ますべきであると著者は警告しています。
       *********
 小学校への英語導入については、反対の学者も多くいます。愛知県立大の袖川裕美氏は、小学の年間35~70時間程度の英語なら、大人になれば短期間にマスターできると言います。外国語が母語以上になることはあり得ず、国語力が低いままでは、英語も使えなくなります。国語の作文の時間を増やす方が大切であると主張しています。
 国民的議論が必要な問題であることは確かですね。 

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2016年11月21日 (月)

子供の貧困が日本を滅ぼす

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   日本財団 子供の貧困対策チーム著「子供の貧困が日本を滅ぼす」(文春新書)を読みましたので、紹介と感想を書かせていただきます。

 多くの日本人は、長らく日本は格差の少ない社会であると信じてきました。「一億総中流」という言葉もありました。しかし、1990年代に入り、日本でも格差社会が広がっているのではないかと言われるようになりました。そして、ついに2006年7月、経済開発機構(OECD)が、「対日経済審査報告書」を発表し、日本の相対的貧困率がOECD諸国の中でアメリカに次いで第2位であると報告され、大きな衝撃が広がりました。
 大人の社会で「格差」が広がっているのであれば、大人の所得に依存している子どもたちの間にも、当然「格差」「貧困」が広がっていきます。貧困家庭に暮らす子どもたちの問題、それが「子供の貧困 」問題です。

 日本の子供の貧困率は年々上昇しており、2012年の時点で16.3%です。つまり、日本の子供は、6人に1人が貧困家庭で育っているわけです。実は、日本はOECD諸国の中でみると、「子どもの貧困」大国なのです。
 多くの私たち日本人は、「子どもの貧困」と言われても、ほとんど実感がありません。6人に1人が貧困と言われても、着る服が無くて学校に行けないとか、靴が買えず裸足で登校している子どもをみることはありません。私たちが「貧困」という言葉から感じるイメージは、食うや食わずで、やっと生きているという絶対的貧困のイメージです。
 このような感覚で、「子どもの貧困」を考えると大きく間違ってしまいます。

 OECDの発表している「子供の貧困率」によれば、日本は、OECDの平均を大きく上回り、ワースト10に入っています。ちなみに隣の韓国は、OECD平均をかなり下回っています。特にひどいのは、「ひとり親家庭」を取り出した貧困率です。2014年に内閣府が発表した資料によると、日本は50.8%で世界第一位の貧困率なのです。日本のひとり親家庭での親の就業率は、母子家庭で81%、父子家庭では91%となっており、イギリスの56%と比べても大変高くなっています。つまり、日本のひとり親家庭(特に母子家庭)は、働いているにもかかわらず貧困状態なのです。女性の賃金が、海外に比べ、いかに低い水準にあるのかが分かります。

 では、なぜ「子どもの貧困」が特に問題なのでしょうか?
 それは、貧困が世代を超えて「連鎖」していくことにあります。「生まれた家庭の経済格差が教育格差をもたらし、将来の経済格差を再生産する」ということです。
 全世帯の平均大学進学率は、73.3%ですが、ひとり親家庭では41.6%、生活保護家庭では32.9%と大きな差があります。
 学歴の差は収入の差となって現れます。大学卒と高校卒では平均すると、1.5倍の賃金格差を生じています。賃金カーブにも大きな差が現れています。

 本書では、子どもの貧困を放置した場合、日本社会はどれだけの経済的損失を受けるのかを推計しています。(第2章)
 まず、推計に使うため、貧困の子どもの数を定義します。
 現在、15歳の人口120万人のうち、生活保護所世帯2万2000人、児童養護施設の2000人、一人親世帯の15万5000人、合計18万人を便宜的に貧困状態にある子どもと定義します。比率では15%になります。
 次に、状況が現在の進学率のまま放置された「現状放置シナリオ」と、進学率などが、平均的数値近くまで改善された「改善シナリオ」とを比較し、どれくらいの社会的損失が発生するかを推計しています。
 社会的損失とは、個人の生涯所得の減少、それによる税収や保険料収入の減少、無業者の増加による社会保障給付の増加などを合計したものです。
 その推計結果によると、現状を放置した場合、0歳から15歳までの世代を合計すると、所得の減少分の合計は42兆9000億円、税収や社会保障支出による財政収入の減少は、15兆9000億円になると推計しています。収入に関係する一生涯を、19歳から64歳までの45年間とするると、一年あたりの所得減少は約1兆円、財政収入の減少は3500億円となります。 これは、大変な経済的損失です。

第3章「当事者が語る貧困の現場」では、貧困の具体的イメージを取材しています。
第4章「貧困から抜け出すために」では、社会的相続という考え方が紹介されます。
第5章「貧困対策で子どもはどう変わるか」では、海外での貧困対策の効果についての実証的研究が紹介されています。
第6章「子どもの貧困問題の解決に向けて」では、国や自治体、NPOでの取り組みの必要性と現在の取り組み内容が紹介されています。

 新自由主義的な経済政策が進むにつれ、格差社会が拡大し、社会の到るところにひずみが生じています。その中でも、「子どもの貧困」は、経済格差が教育格差に繋がり、それがさらに将来の所得格差を生み出し、格差の拡大再生産につながつていくという日本の将来に係わる大きな問題です。私たち自身の問題として真剣に考えるべき問題です。
  「子どもの貧困」はこれまで、学力の問題、虐待の増加の問題、身体発達の問題、心の健全な発達の問題、進学問題など多方面から論じられてきましたが、この本は、国の経済的損失という点に焦点が当たっています。その点が、この本の面白いところです。
 「子どもの貧困」が放置された場合の影響は、経済的側面だけには留まりません。「子どもの貧困」の教育的側面を知りたい人には、少し不満が残るかも知れませんが、この本は、お薦めです。

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2016年11月 4日 (金)

なぜトヨタは税金を払っていなかったのか?

 Toyota
   大村大次郎著「なぜトヨタは税金を払っていなかったのか?」(ビジネス社)を読みましたので、感想と紹介を書かせていただきます。
 著者は、元国税調査官。日本の多国籍企業の横暴、税金逃れ、日本の税制度の闇、タックスヘイブンなどについて訴えておられます。

 「トヨタが世界一に!」と聞けば、多くの日本人は何か誇らしい気分になったりします。しかし、今の時代では、それはまったくバカげた感情なのです。
 なぜなら、現代の資本主義は、新自由主義の時代に入っているからです。日本の上位100社は、多国籍企業として世界に展開しています。例えば、トヨタは60% 、ホンダは80%が海外生産です。雇用は海外に逃げ、多国籍企業があげた利益は、様々の優遇税制や、タックスヘイブンに隠され、日本の国税としては入ってきません。事実、世界的企業のトヨタは、2009年から2013年の5年間、法人税は1円も払っていなかったのですから。
 つまり、多国籍企業の繁栄は、一般国民の利益とは無関係なのです。大手企業が栄えれば、やがて下々にも利益がしたたり落ちて来るというトリクルダウンは、詐欺的言説なのです。

  では、大村氏の主張を超要約的に解説してみます。大村氏は、トヨタという企業のみを取り上げていますが、もちろん他の上位100社の企業にも共通します。

 ①法人税、事業税など、法人が払うべき法定実効税率は34.62%であるが、実質税負担は低く、トヨタは(27.3%)しか払っていない。
  理由は、企業向け政策減税である。安倍政権になってスケールアップしている。
 企業向け「政策減税」は、2014年度、1兆2000億円にのぼっている。
 
 ②「政策減税」のなかで、大きな割合を占めているが研究開発費減税である。
 2014年度で、減税額の総額は6746億円にのぼっている。

 ③エコカー減税は、9300億円が使われたが、これは、待機児童関連の予算の2倍を超えている。これは、自動車業界救済であ。 自民党への企業献金第一位は、自動車工業界である。実に分かりやすい構図になっている。

 ④海外子会社を使った課税逃れ。
 海外の子会社から受け取った配当の95%が、課税対象から外される「受取配当益金不算入」という制度により課税を逃れている。
  トヨタは、日本本社の営業は赤字でも、海外子会社からの配当をを入れると経常黒字になっている。赤字なので、もちろん日本への法人税は払っていない。

 ⑤タックスヘイブンの利用による逃税。
 トヨタは、ヨーロッパ地域の統括本部をベルギーに置いているが、ベルギーは配当所得のロイヤリティー収入に関して低税率である。トヨタの知的財産などをベルギーの子会社に持たせ、ヨーロッパの収益をそこに集中することにより、税を逃れることができる。「海外子会社受け取り配当の非課税制度」により、日本に持ってきた利益にも税金は掛からない。また、トヨタは、アジア地域の統括本部をシンガポールに置いている。シンガポールは、様々な優遇税制をもっているタックスヘイブンである。シンガポールには生産工場は無く、合法的に税逃れをしていることは明らかである。。

 ⑥「日本の法人税は世界一高い」というのは、大きな嘘である。
 日本の名目法人税は高いが、研究開発減税を初めとして様々な減税を考慮すると、実質税負担率は18%しかない。
 さらに、先進諸国の中では、日本の企業の社会保険料負担がかなり低い。法人税と合算すると、企業負担は、フランス、イタリア、ドイツより低い。

 ⑦破壊された雇用
 1995年、経団連は、非正規社員を増やして賃金抑制を行おうとする「雇用の流動化策」を提案。1999年には、労働者派遣法が改正され、非正規労働は増加の一途を辿り、現在では、ついに4割を超えた。非正規雇用の半数は、厚生年金に加入していない。国民年金すら加入していない人もいる。将来的には、国民の20%~30%が生活保護という事態も予想される。
 トヨタは、悪名高い「トヨタ方式」と呼ばれるやり方で、期間工の使い捨てを行ってきた。2年11ヶ月で首を切り、1ヶ月の空白の後、再雇用するやり方である。

 ⑧儲かっているのに賃金を渋り続ける大企業。
 トヨタを例にとれば、トヨタは毎年1000億円~6000億円の株主配当を行ってきたが、7万人の従業員に1万円の賃上げをしても80億円ほどで済む。株主には数千億円の配当を支払っても、従業員には数億円の支出さえ渋っている。

 ⑨消費戻し税のしくみ。
 海外へ輸出した商品について、輸出企業は消費税を取ることができない。輸出企業は、その分を消費税から戻し税として、還付を受け取ることができる。
 トヨタは消費税を払うどころか、毎年受け取る還付は、数千億円に達している。
 消費税は、輸出企業優遇税制である。

  この後、この本は、第4章「トヨタは日本経済に貢献していない」。第5章「トヨタ栄えて国滅ぶ」と続きます。
  この本で、新自由主義の経済政策の一端が、分かりやすく理解できます。
 「このままでは格差は広がる一方だ・・・。」新自由主義を告発する元国税調査官の叫びが聞こえてる一冊です。  お薦めします。

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