政治・経済

2018年2月14日 (水)

大河ドラマと歴史認識で一言

Saigo NHK大河ドラマ、林真理子原作の「西郷どん」始まりましたね。どんな西郷像が描かれるのか楽しみにしている方も多いと思います。
  しかし、歴史小説や大河ドラマを楽しむときには注意が必要です。ドラマを歴史的事実と勘違いしてしまう人が多いのです。これにより、歪んだ歴史観を持ってしまう人が少なからずいます。これについて、私の意見を少し書いてみます。

  【司馬遼太郎・坂の上の雲】
 日本人の歴史認識に大きな影響を与えた作家に、司馬遼太郎がいます。
 司馬遼太郎は、~ まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている。~という書き出しで始まる代表作「坂の上の雲」で、明治の時代を、極東の小国日本が世界に通用する近代国家となっていく栄光の時代として描きました。
 確かに明治維新は、日本史上の大きな変革であったことは間違いないですが、歴史には、いつも明と暗があります。明治維新から始まる時代を栄光の時代と一面的に評価するのは、実証的な歴史学からすれば問題が大き過ぎます。

 【明治維新の歴史的評価は確定していません】
 明治維新を歴史学的にどう評価するかは、研究者により様々な見方があり、確定しているとは言えません。
  例えば、私たち世代は、歴史教科書で明治維新=1868年と習いましたが、今の教科書では、「明治維新=近代的国家を確立していく過程」として教えられています。しかも、明治維新がいつ始まり、いつ終わったか定説はありません。始まりを天保年間にとる研究者もいれば、黒船来航にとる研究者もいます。
終わりについては、「廃藩置県」、「西南戦争」、「明治憲法」などの説があります。
明治維新の期間についてさえ様々な意見がある状態です。
  明治維新は、民主主義的な性格をもった革命であると主張する研究者もあれば、絶対主義的な天皇制の成立だとする研究者もいます。
このように、明治維新=栄光の時代という評価は、感覚的な一面的評価と言えます。

 【歴史認識に歪みが…】
 時代小説や大河ドラマにより、知らず知らずのうちに、感覚的で一面的な歴史的評価が刷り込まれることはよくあることです。
 明治維新は素晴らしいと一面的に評価してしまうと、歴史認識にも様々な歪みが生じてきます。その思考過程を単純化すると、次のようになります。

 ★明治維新は栄光の時代→明治維新を実現したのは薩長同盟→薩長同盟を作り上げた維新の志士は素晴らしい→吉田松陰や西郷隆盛、坂本龍馬は偉い

  維新の志士が、史実以上に高く評価されるというが起こっています。坂本龍馬が実際の歴史的役割以上に高い評価を受けているのも、司馬氏の小説によるところが大きいです。坂本龍馬については、次の教科書改訂では削除されることになっています。
 薩長同盟についても様々な評価があります。また、維新の中心だった士族階級の働きに注目がゆき過ぎて、武士道などをやたら賞賛する人もいます。
  1873年の「地租改正」では、地価の3%という過酷な税が義務づけられ、払えない農民は小作人に転落し格差が拡大しました。農民による一揆も各地で頻発しました。
 士族階級の動きばかりでなく、農民や商人の動きも視野に入れて、明も暗もある歴史を見ていく必要があります。

 【その後の歴史認識にも歪みが…】
 明治維新は栄光の時代という一面的時代認識は、次に続く時代の認識にも歪みをもたらしていきます。大胆にその思考過程を単純化してみます。

 ★栄光の明治維新=アジアでいち早く近代化を成し遂げ富国強兵の国家づくりを成功させ→列強の植民地化をはね返し日清・日露戦争に勝利し→韓国を植民地化することに成功し→さらに中国大陸へと進出し→列強に肩を列べるまでになった:この時代は帝国主義の時代であり植民地を広げるのは当然のことである。日本は欧米列強のやっていることを後追いしただけであり非難されるものではない→ABCDラインにより経済封鎖を受け→やむを得ず太平洋戦争を始めた→敗戦→東京裁判は勝者による裁きであり不当である

 明治維新は栄光の時代という時代認識を出発点にして、歴史をこのような形で展開している人たちが少なからずいます。
 日清戦争中の朝鮮王宮占領事件。日清戦争後に引き起こされた朝鮮王妃(閔妃)殺害事件。朝鮮の農民が抗日で立ち上がった第2次甲午農民戦争では、日本軍は数万の人々を殺害しました。
 明治の朝鮮半島への進出が、栄光に満ちたものどころか、朝鮮半島を踏み台にして策謀と殺戮に満ちた帝国主義の階段を駆け上がる最初の時代だったのです。
 また、アジアで二千数百万人の犠牲者が出た戦争とはいったい何だったのでしょうか。『日本は侵略戦争はしていない。歴史的に正当である。』こういう主張は、歴史修正主義と呼ばれています。
  大河ドラマや歴史小説から、なんとなく歴史を理解した気分になると、いつの間にか歴史修正主義に取り込まれていくレールが引かれているのです。

 【明治150年】
  今年は、明治改元(1868年)から150年目に当たるため、「明治150年」を謳ったイベントが数多く準備されています。近代国家の成立に尽力した明治維新の偉業を称え、明治を礼賛しようというわけです。
 かって、佐藤栄作首相の下で、明治百年記念式典が行われました。この時も、明治賛美・近代化賛美が展開されていました。
一面的な明治礼賛は、歴史認識を歪める入り口です。
明も暗もある歴史的事実に向きあう必要があります。

 【定まらない西郷の評価】
 明治150年の今年、大河ドラマ「西郷どん」が始まりました。
「西郷は市民平等を基本とする民主的な社会を目指したのか、士族の権益をあくまでも守ろうとしたのか」。「大度量の人だったのか、狭量の人だったのか」。西郷への評価は、時代により、また立場の違いや歴史観の違いにより定まっていません。
 定まっていないからこそ、様々に描くことが可能です。林真理子「西郷どん」は、果たして何を描くのでしょうか。
  今回の「西郷どん」で時代考証を担当されている原口泉氏の「西郷隆盛はどう語られてきたか」(新潮文庫)は、具体的資料に基づき、各時代で様々な人から、西郷がどう語られてきたかを俯瞰的に述べていて面白かったです。お薦めします。
 ドラマはドラマとして楽しむことは良いことですが、西郷隆盛礼賛、明治礼賛の一面的歴史観に流されないことが大切だと思います。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2018年1月19日 (金)

中室牧子著「学力の経済学」感想

Shoukan2018501  中室牧子著「学力の経済学」(ディスカバー・トゥエンティーワン)を、図書館で見つけて読みました。教育経済学という学問分野があることも初めて知りました。
 この本は、2年前、ベストセラー(30万部)だったそうです。

 中室牧子氏は、慶応大学準教授、教育経済学の専門家ということです。
 教育経済学は、教育政策の費用対効果を統計的に分析・評価するもので、統計データや教育実験などの科学的根拠に基づいて行われます。

 最初は面白くて引き込まれ、笑いながら読み進みましたが、途中で目が醒めて、この本のおかしさに気付きました。
 では、内容を紹介してみます。

  <第2章より>
  ★子どもをご褒美で釣ってはいけないのか?
 子どもを「ご褒美」で釣ってはいけないのか? こんな疑問は、興味がありますね。 ハーバード大のフライヤー教授の教育実験の結果は、「効果あり」です。
 「よい成績を取ればご褒美」というアウトプットにご褒美を与えるより、「本を1冊読めばご褒美」とか「宿題をすればご褒美」というように、具体的なインプットにご褒美を与える方が、結果として効果が大きいそうです。どうしたら良い成績が取れるのか、具体的方法は子どもには分からないですから…。 納得ですね。

 この本は、こんな調子で様々の教育課題に対して、教育経済学の研究を紹介しながら答えを紹介しています。面白そうなものを取り出してみます。

  ★「頭がいいのね」と「よくがんばったね」は、どちらが効果的か?
 答えは、「よくがんばったね」です。「能力を褒めることは、子どものやる気を蝕む」という、教育実験の結果をまとめた論文があるそうです。

 ★テレビやゲームは子どもに悪影響を及ぼすか?
 答えは、「ほとんど影響はない」です。テレビやゲームを禁止しても、学習時間はほとんど増えないということです。
 「勉強しなさい」も、効果はないそうです。逆効果の場合もあるそうです。

 ★「友だち」が学力に与える影響は?
 ・学力の高い友だちの中にいると、プラスの影響がある。
 ・レベルの高すぎるグループに無理矢理入れると逆効果になる可能性がある。
 ・問題児の存在は、学級全体に負の効果を与える。
 ・飲酒、喫煙、暴力などの反社会的行為は、友人からの影響を受けやすい。
  ということです。

 ★教育にはいつ投資すべきか?
  教育を投資と考えるならば、最も収益率が高いのは、幼児教育ということです。
  これは、ペリー幼稚園を舞台に行われた大規模な教育実験の結果だそうです。

  <第3章より>
  ペリー幼稚園での幼児教育プログラムの研究より明らかになったことは、意欲、忍耐力、自制心といった「非認知能力」が、将来の年収、学歴や就業などの労働市場における成果に大きく影響をするということです。
  「非認知能力」への投資も非常に重要ということです。 なるほど。

 <第4章より>
 ★少人数学級は効果があるか?
  著者の結論は、「少人数学級は学力を上昇させる因果効果はあるものの、他の政策と比較すると費用対効果は低い政策である」です。
  この結論の根拠になった論文は、慶應義塾大学の赤林教授の研究です。
 研究方法は→40人学級の学校に転校生があると、学級は20人規模の少人数学級が突然誕生します。この突然生じた少人数学級の学力が上昇するか調べるものです。
  結果は、学力の上昇は見られなかったということです。
 著者は結論づけます。
「少人数学級になるときめの細かい指導ができるなどと考えることは、根拠のない期待や思いこみ。こんなことに財政支出するのは危険!」  ウーン!! ちょっと待て!

  何か、この辺まで来ると目が醒めてきますね。
  こんなデータから、少人数学級を否定されてはたままりませんね。教科書も教材も同じで、指導方法も一斉講義方式の授業では、成果が出ないのも当然です。

 少人数学級が、全国一斉で始まるとすれば、指導方法や教材が劇的に変化します。また、変化させなければいけないです。
 OECDの統計で見れば、欧米では学級規模は30人以下が普通となっています。日本は、大規模学級を指導し、勤務時間も長くなっています。
 日本では、大規模学級での一斉講義方式の授業が一般的となっています。学級規模が小さくなれば、生徒が参加できる授業づくりが進むことはまちがいないです。大声で命令口調で喋る日本の教師の特徴も変化するかも知れませんね。

 また、学級規模の縮小は、今や重要な課題です。私が教師になった頃に比べると、現在では教師に求められる課題は、複雑で多様化してきています。
 昔であれば、「やりにくい子」、「できない子」、「落ち着きのない子」などと、一括りにされていた生徒も、実は、様々な発達の課題を持っていることが、心理学の研究が進み科学的に明らかにされてきています。家庭内での虐待や不登校の生徒、食物アレルギーをもった生徒などへも、以前より遙かにきめ細かな指導が求められています。
 成績が上がるかどうかというアウトプットだけを見て、効果が少ないから少人数学級を否定する、これは暴論に近いでしょう。

  <第5章より>
 第5章に入ると、著者のパワーはますます炸裂してきます。
 【いい先生とは?】
  ★いい先生とは、学力を上げられる教師である。
 ★いい先生を作るためには、成果が出ればボーナスを増やすより、成果が出なければボーナスを削る仕組みの方が有効である。
  ★なるべく能力の高い人に教員になってもらうためには、教員免許制度を無くすことである。
  点数の向上というアウトプットだけで、教師を評価しようなどとは、もうついて行けませんね。この辺まで来ると、教育経済学なるものは適用を誤れば危険なものであると思わざるを得ませんね。

 著者は言います。
「現在の日本経済の状況を考えると、学校の教員を1人増やすには警察官や消防士を1人減らさないといけないし、学校を新しく建てるには、病院を新しく作ることをあきらめなければいけない。」
  教育にお金をかければ、なぜ、警察官や消防士を減らしたり、病院を減らさねばいけないのでしょうか? 
 戦闘機の購入やイージスァショアの導入よりも、教育への投資を増やすことは意味がないのでしょうか? その政策の選択は誰が決めるのでしょうね。
 そこまでして、OECD諸国の中で、GDPに占める教育予算が最低の国を維持し続ける必要があるのでしょうか?
  2013年の統計で見ると、日本の国内総生産(GDP)に占める教育機関への公的支出の割合は前年と同じ3.6%で、OECD加盟国中最下位。最下位は4年連続!
  著者は、政府の教育政策に影響のある委員を兼職されているようです。また、労働者派遣業で稼ぐパソナグループ会長・竹中平蔵氏の慶応時代のお弟子さんとか。納得!

 最初は笑って、後は気持ち悪くなる本でした。面白い内容もあるものの、お薦め度は半分以下かな?  では。また。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月 9日 (火)

サローヤン著「ヒューマンコメディー」

Saroyan_01_3  アルメニア系移民二世のアメリカ作家、ウィリアム・サローヤン著「ヒューマンコメディー」(光文社古典新訳文庫・小川敏子訳)を読みましたので、拙い感想を書かせていただきます。
 新春読書第一冊目です。体調も悪く、小説も苦手ときているので、集中力を持続させるのに苦労しました。先ずは、簡単に内容の紹介から。

物語の舞台は、第2次大戦下のカリフォルニア州イサカという静かな田舎町。
  主人公のホーマー・マコーリーは、ハイスクールに通う14歳。電報配達人のアルバイトをして家計を助けています。父は、二年前に死亡。兄のマーカスは、戦地へ出征中。母親は趣味のハープを、大学生の姉のベスはピアノを弾きます。弟のユリシーズは、好奇心旺盛な四歳。家族みんなで、力を合わせて家庭を守っています。

  【ユリシーズ】
  物語は、弟のユリシーズの記述から始まります。好奇心旺盛なユリシーズは、人々を乗せた汽車に向かって手を振ります。黒人の兵士が手を振って応えてくれます。「故郷に帰るんだよ。自分の場所に!」と…。この言葉が不思議にユリシーズの幼い心を捉えます。「戦争」、「帰郷」、「共生」、「子どもたちの成長」。この小説の底流となるテーマが暗示的に提示されます。
  この後、この家族と町の人々との交流が、涙と笑いの物語として断章的に描かれてゆきます。この作品の雰囲気が伝わるように、いくつかの物語を切り出してみます。(タイトルは、私が勝手につけました。スミマセン)

  【電報配達の仕事】
   ホーマーはハイスクールに通いながら家計の助けに、自転車で電報を配達するアルバイトをしています。局長スパングラーとアルコール中毒気味の老いた電信士グローガンとの心温まる付き合いが語られます。
 イサカの街にも陸軍省から、出征兵士の戦死を伝える電報が次々に届きます。そのたびに、ホーマーは配達先で、悲しみに打ちひしがれる家族の姿を見ることになります。
「あなたみたいな子が、悪い知らせを届けにくるはずがないわ」と言いながら、哀しみを押さえ、ホーマーを抱きしめる、息子を失った母親。ホーマーは、残されたものの哀しみや生と死について悩み、苦しみます。
  このようにしてホーマーは、人として成長していくのです。

 【古代史のヒックス先生】
  ホーマーが通う学校で古代史を教えるヒックス先生は、人としてアメリカ人として、どうあるべきかについて語ります。
  「……問題は人間性です。人として温かさがあるかどうか。真実を学び胸を張って生きる、短所も長所も自分の一部として受け入れる。……私達は古代史からそれを学ぼうとしています。」と…。
 陸上部の監督に反抗した貧しいイタリア移民の生徒に対し、監督は「イタ公!」と罵倒します。ヒックス先生は、それは間違っていると、監督に謝罪することを毅然と要求します。謝罪は要らないと、暴力で仕返しをしようとする生徒に対しても、監督がアメリカ人としてやり直すために、謝罪の機会を与えるよう説得します。
 移民国家であるアメリカ人が持たなければならない「教養」である、「寛容」と「共生」の精神の大切さが、成長していく子どもたちに示されるのです。

 【子どもたちの成長】  
  杏の実を盗もうとする、いたずら好き少年グループ。幼いユリシーズも見習い役として参加しています。木の持ち主に見つかり逃げ出す子どもたち。怒った振りをしながらも、必死に逃げる子どもたちを見ながら、笑みを浮かべる木の持ち主。
 大人たちに見守られながら、成長していく子どもたちの姿か微笑ましい。

 【強盗事件】
 ホーマーの勤務する電報局に、まだ年の若い強盗が入ります。強盗に対して、局長のスパングラーは売上金を差し出し、それをもって故郷に帰郷するよう諭します。強盗は、「この世で堕落していない人物がひとりでも見つかったら、おれは堕落せずにすむ、人を信じられる、生きていける」と、自分の行為を思い直し、なにも盗らずに故郷へと向かっていきます。

 【最後の電報】
 アル中気味の老電信士のグローガン。愛や希望、苦しみ、死のメッセージを電報の文字にしてきましたが、最後の時を迎えます。彼が受け取った最後の電報は、ホーマーの兄・マーカスの死を知らせるものでした。ホーマーは、皮肉にも、愛すべき兄の死を知らせる電報を届ける運命に直面するのです。
 ホーマーに、言い知れぬ憎しみが湧き上がってくるのですが、それをどうすることもできません。局長のスパングラーは、「憎むべき敵は、おそらく人間ではない。人を憎めば、結局自分自身を憎むことと同じだ。……」と諭します。

  【戦友のトビー】
  兄の死により悲しみにくれるホーマーの家に、兄マーカスの戦友トビーが訪ねてきます。マーカスからイサカの話を聞かされていたトビーは、イサカに暮らすためにやって来たのでした。家の中に招き入れられる場面で、この物語は終わります。

   *******
  この作品の背景をなしているのは、アメリカの精神的支柱であるキリスト教(プロテスタント)の精神です。それが、古代史のヒックス先生の言葉や局長スパングラーの愛の言葉として語られています。
 移民の国であるアメリカは、それぞれの民族の多様性を受け入れ、「共生」すること無しには成り立たないのです。人として、相互の愛と信頼に基づかなければ、社会は分断されてしまうのです。

 この作品が書かれたのは1943年。第2次大戦の真っ只中で、戦争遂行のための国威発揚プロパガンダが溢れる中で書かれました。主人公の名前がホーマーであることからも、戦時下での家族の物語です。出征した人は皆、生者も死者もhomeに帰郷しなければならないのです。作品の中に「帰郷」という言葉が、いくつも埋め込まれています。
 この作品からは、著者の戦争に対するメッセージが聞こえてきます。

 「私たちは、憎しみのために戦ってはいけない。憎むべき敵を打ち倒すことが戦争の目標であってはならない。……」
 「戦争によって危うくさせられるのは、いつもhome なのだ。人々にとって戦争とは、戦うことではなく、homeへの『帰郷』を目指すものである。と……。」

 この作品は、戦時下という時代状況から考えると、ヒューマニズムにもとづく、反戦的作品と読むことも可能です。

 戦時下、日本はどうだったのでしょうか。
 天皇を頂点とする軍国主義支配。血縁にもとづく家父長的家族制度は、軍国主義国家を下支えする基礎単位でした。武士道精神、大和魂、神国日本、八紘一宇など、日本賛美、日本中心主義的な精神が語られていました。「鬼畜米英!」が叫ばれ、また中国、朝鮮に対する民族差別的意識もかき立てられていました。国民は国のために命を投げ出し、戦死者の帰る場所はhomeではなく、靖国神社だったのです。
  現代の日本でも、拝外主義的主張をする人々がいます。なぜか同じ人が、家族の大切さを説いています。閉鎖的家族主義は排外主義と親和性があるようです。

  「憎しみのために戦ってはいけない。戦争によって危うくさせられるのは、いつもhome なのだ。」
 これが、サローヤンから私の受け取ったメッセージです。間違っているかも知れません。 お薦めします。 では。また。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2017年12月14日 (木)

原爆死の真実・紹介と感想

 NHKスペシャル取材班著「原爆死の真実」(岩波書店)を読みましたので、内容の紹介と感想を書かせていただきます。この本は、2015年8月6日に放映されたNHKスペシャル「きのこ雲の下で何が起きていたのか」を書籍化したものです。証言者を捜し、事実を丹念に追っていく圧倒的な取材力に驚かされます。お薦めします。

 【出発は2枚の写真】
 下に掲げた2枚の写真。原爆に係わる写真といえば、郊外で写したきのこ雲の写真や数日後に写された写真は残されていますが、被爆3時間後の街の中の様子を写したものは、この2枚の写真が唯一の写真です。
  この写真を撮ったのは、中国新聞社のカメラマン・松重美人氏。涙でファインダーが曇る中で、シャッターを二度だけ押したのです。その後、松重氏は、市内の中心部に足を踏み入れ、焼けた路面電車を見つけます。ステップに足を掛け中を覗いた彼は、数十人の凄惨な死体が折り重なる光景に、恐怖と申し訳なさを感じ、二度とシャッターを押すことはできなかった、と手記に書き残しています。
  このような状況下で、この2枚の貴重な写真だけが残されたのです。

Genbak0142Genbak0141_2  

 

 

 

 

 

 

  【撮影場所は御幸(みゆき)橋】
 発生した大火災に追われた人々は、先ず大きな通りへ出た後、橋を渡ることになります。南東方面に逃げた人々は、この御幸橋を目ざしたのです。火の手は川で遮断されます。御幸橋は、まさに「壊滅地帯」の出口であり、「生と死の境界点」だったのです。
 取材班は、この御幸橋の写真に写っている人を捜し、証言を集め、いったいこの写真に写し出された光景は、どんなものだったのかを明らかにしていきます。

 【セーラー服の女学生】
 左側の写真で、一番手前にセーラー服を着た女学生らしい女性が写っています。
この女性は、当時13歳。過去に、写真に写っているのは自分であると名乗りでたが、メディアの取材に深く心が傷つき、以後メディアの取材は避けてきました。NHK取材班の丁寧な何回かの取材の結果、ようやく重い口を開いたのでした。
 セーラー服は従姉妹からもらったもの。勤労動員の最中に被爆し、友達と逃げてきたこと、硝子の破片を浴びて大けがをしていることなど被爆時の詳細が証言されます。
 この写真に写っている光景で、忘れられないことは?との質問に、衝撃的な回答が返ってきます。右の写真で、中央少し右に、全身が黒い女性が写っています。(足が少し曲がった女性です。)この女性は何か黒いものを抱いています。これは、「黒こげになった赤ちゃんを抱いていた…。」  ………。

 【日本被団協の坪井直さん】
 右の方の写真では、橋の欄干に沿って人々が座り込んでいるのが写っています。
この列の中に、後の日本被団協の坪井直さんもいたのです。みんな痛みのために立っていることができず、座り込んでいたのだそうです。坐ることもできず倒れた人の「水」、「助けて」、「お母さん」といった声が聞こえていたそうです。
 立っている人たちは、何をしていたのでしょう。足元に四角い箱のようなものが写っています。これは、菜種油の入った一斗缶で、みんなは火傷の上に油を塗っていたのだそうです。坪井さんの証言はなおも続きます。………。

 【垂れ下がる皮膚とフラッシュ・バーン】
 左の写真のやや右側に、服がボロボロの女性が写っていいます。専門家は、これは服ではなく皮膚であると指摘します。熱傷について研究するこの専門家は、フラッシュバーンという、人間にとって最高度の痛みを与える熱傷のメカニズムを明らかにします。
  フラッシュバーンとは、強烈な光線により、皮膚の下の血液などの液体が一瞬に沸騰する熱傷のことです。表皮がはがれることにより、痛覚神経が刺激され続け、最高度の苦痛を与えるのです。原爆は、放射線、熱線、爆風、火災による複合的な大破壊をもたらします。そして、人に必要以上の苦痛を与える非人道兵器なのです。
 左の写真の右端に写っている人も、手をだらりと下げていて、フラッシュバーンの火傷を負っていると考えられます。火傷により体の表面から急速に水分が失われます。そのため、異常な喉の渇きに襲われ、みんな水を求めていたのです。「水」、「水」という声が溢れていたと、証言者は述べています。……。 

【この続きは……】
 こんな調子で内容を紹介していくと、スペースが足りませんね。私の下手くそな説明を読んでいるよりは、本を読んでいただく方が早いですね。
 私は、過去に何度もこの2枚の写真を見ています。しかし、この写真に写し出されているものが、いったい何であるのか、ここまで深く考えたことはありません。ただ何となく、悲惨な広島の被爆写真としてしか見ていませんでした。猛反省です。
   この本、お薦めします。
      ******
  国連会議で、122カ国という圧倒的多数で「核兵器禁止条約」が採択されました。唯一の被爆国である日本は、この条約に棄権の態度をとっていましたが、今回、明確な反対を表明して議場から退席しました。情けない限りです。
 「日本はアメリカの核の傘に守られている」。これが理由です。しかし、アメリカが北朝鮮に対し軍事的選択肢をとれば、日本が核攻撃を受けるかも知れない事態となっています。アメリカは、軍事的な選択肢を含めすべての選択肢を用意していると言い、日本政府はそれを全面的に支持していると宣言しています。話し合いは不要、必要なのは圧力。これは、国民を危険にさらす余りにも酷い発言でしょう。
 ここに来て、アメリカの核の傘で守られているという、アメリカに従属した安全保障体制は、大きな問題があることが明らかになってきたと思います。本当は、守られていたのではなく、アメリカの戦争政策に追随していただけのこと……。
  戦後70年が経ちました。今こそ悲惨な戦争の原点に立ち帰って、アメリカに従属しない、日本独自の安全保障体制を構想する段階に来ているようです。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2017年12月 5日 (火)

悪魔のティティヴィルスの話

Chuseini  今回は、中世ヨーロッパで目撃された悪魔のティティヴィルスの話です。

 この悪魔は、アイリーン・パウワー著「中世を生きる人々」(東京大学出版会)という本の中に登場しています。まずは、この本の紹介から。

  著者のアイリーン・パウアは、イギリスの中世史家です。この本は、中世のヨーロッパ社会に生きた無名の人々の姿を描いたもので、6人の人物が登場しますが、13世紀の旅行家マルコ・ポーロ以外は、まったく普通のありふれた人物です。農夫、尼僧院長、パリの主婦、羊毛商人、毛織物の織元の6人を通して、中世ヨーロッパの本音の人間生活が活き活きと描かれています。
 私たちは、中世ヨーロッパと聞けば、神聖な祈りに満ちた世界、魔女狩りや封建的因習に満ちた暗黒社会、アーサー王や騎士の恋物語などを思い浮かべますが、実際の生活がどんなだったかは、ほとんど知りません。
 人間社会ではいつの時代でも、法律や支配の抜け穴をチャッカリと生き抜く人々がいたり、欲望や喜怒哀楽に動かされながら生活する人間臭い人々がいるものです。中世のヨーロッパ社会も同じであることを、この本は教えてくれます。

  さて、悪魔のティティヴィルスの話は、第3章「マダム・エグランティーン」に出てきます。尼僧院長のエグランティーンの生活を描くことにより、中世の修道院の実態が明らかにされていきます。
  修道院といえば、禁欲的で厳粛な雰囲気を想像しますが、実際は必ずしもそうではなかったようです。
  「祈祷は空虚な形式と化し、信仰の念は薄らぎ、時には恥ずかしいほど冒涜的な態度でそそくさとすまされた。余りにもきまりきった日課が、もたらす当然の反動であった。……中世後期の修道院において時間不励行の罪はごく普通のことだった。…祈祷の間にくすくす笑い、ふざけ、喧嘩をし、下の席でうたっている人の剃った頭に上の席からあつい蝋燭の蝋を落とした。……」
 「祈祷の言葉をとばし読みする者、もぐもぐと誤魔化す者、いい加減に急ぐ者、神聖な聖歌を歌う時、ぶらぶらする者、とびはねる者。」 こんなような状況だったので、悪の父はティティヴィルスという悪魔を傭うことにしたのです。

  信仰心の深い人には、しばしばティティヴィルスは目撃されていました。長い大きな袋を首のまわりにぶら下げ、みすぼらしい姿で尼僧席の周りをウロウロしながら、不誠実な言葉を袋に集めるのです。
  修道院長に見つかり、問いつめられたティティヴィルスは答えます。
  「毎日あなた方の修道院で読んだり歌ったりする時にできる失敗、怠慢、言葉のきれはしなどを千袋ずつ主人の所に持っていかねばなりません。そうしないとひどくぶたれるのです。」
 彼は、神のためではなく自己の虚栄のために歌うテナー歌手の歌も、人々のつまらない噂話なども袋に詰めていたそうです。
 ティティヴィルスを傭った悪の父も、さぞかし満足だったことでしょう。
 
 中世ばかりでなくいつの時代も、人間は不誠実な言葉やいい加減な言葉を吐き続けています。堕落した言葉を拾い集めなければならないティティヴィルスの仕事は、際限もなく続いています。哀れなティティヴィルスに同情、いや共感してしまいます。
 宗教改革前夜の中世に目撃されたという悪魔のティティヴィルスの話、何か深く印象に残ります。
   ……………
 悪魔のティティヴィルスのその後について、この本には記述はありませんが、中世の修道院以上に堕落した現代の日本では、悪魔のティティヴィルスは忙しく働いているに違いありません。特に不実な言葉が飛び交う永田町と呼ばれる界隈では……。
 今の日本ほど、堕落した言葉が溢れ、言葉が意味を失っている時代はありません。
「丁寧な説明」とは、なにも説明しないことであり、
「働き方改革」とは、残業代を払わずに、非正規で一生働かせることであり、
「1億総活躍」とは、老人も病人も低福祉で働き続けろ、という意味です。
「人づくり革命」とは、人を潰す政策を隠すための言葉です。
「危機突破」とは、危機を振りまくことでした。
「忖度する言葉」。流行語大賞です。人を堕落させる言葉ですね。

 東京都庁方面で、ティティヴィルスを見たという噂もあります。
「東京大改革」、「日本をリセット」、「改革の一丁目一番地」。この空虚な言葉をティティヴィルスが見逃すはずはありませんね。
 現代のティティヴィルスは、どんな姿をしているんでしょうね。
 私も目撃したいものです。
  悪魔のティティヴィルスの話でした。 「中世を生きる人々」お薦めします。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2017年11月 6日 (月)

憲法改定にどう向き合うか②

「憲法改定にどう向き合うか①」の続きです。 ①は→ こちら
  戦後史を俯瞰しながら、自衛隊の指揮権問題を中心に戦後史をみていきます。

 【自衛隊の指揮権~旧安保体制下では】
 朝鮮戦争下、サンフランシスコ講和条約が結ばれ日本は独立します。しかし、ほぼ同時に、旧安保条約が締結され、アメリカの占領的状態が継続されました。
 アメリカは、後方支援のため再軍備を要請し、警察予備隊が結成され、これが後に自衛隊となります。
  旧安保条約に基づき、アメリカ軍の日本における地位を定めた『日米行政協定』の交渉が行われます。アメリカ側の示した『日米行政協定』原案の第14条では、「日本の軍隊はアメリカ軍の指揮下に入る」となっていました。交渉に当たった岡崎官房長官(後の外務大臣)は、「これでは国民の反発があり政権がもたない。条文には現れないような形にして欲しい」と要求し、出来上がったのが『日米行政協定』第24条です。

 行政協定24条:『…急迫した脅威が生じた場合には、…必要な共同処置をとり…直ちに協議しなければならない。』

  「共同処置をとり直ちに協議する」までの部分を条文化し、「アメリカ軍の指揮下に入る」という部分は密約という形で合意しました。いわゆる指揮権密約です。
 指揮権を具体化する組織として、第26条で定められた日米合同委員会が位置づけられました。結局、次のように表すことが出来ます。
 『日米行政協定24条』+『密約』+『日米合同委員会』=『有事の時、自衛隊はアメリカ軍の指揮下に入る』

  【自衛隊の指揮権~新安保条約下では】
  1960年に安保条約の改定が行われました。指揮権密約はどうなったのでしょうか。
 国民から非難を受けた『日米行政協定』第24条は削除されますが、ほぼ同じ内容で新安保条約の第4条に受け継がれ、さらに軍事力の増強を定めた第3条、共同作戦を義務づけた第5条などがあいまって、さらに強化されました。
 日米安保協議委員会(SCC)が組織され、その下部組織としていくつかの組織が作られ、アメリカ軍と自衛隊幹部による直接的、具体的な協議が非公開で行われる体制も出来上がりました。日米防衛協力小委員会(SDC)、日米安保運用協議会(SCG)などです。
 '60年の安保条約の改定は、国民から大きな批判を招き、「安保反対闘争」が全国的に展開されました。

 【日米ガイドライン】
  ★1978年に日米防衛協力小委員会(SDC)で、日米防衛協力のための指針(第1次日米ガイドライン)が決定されました。
 自衛隊とアメリカ軍は、調整機関を通して緊密に連携し、日本とその周辺で作戦行動を執るとする内容です。調整機関とは実質在日米軍司令部です。
 作戦領域は日本領土から周辺(極東)へと広がりました。
 鈴木・レーガン共同声明では、「1000海里・シーレーン防衛」が明記されました。
  中曽根総理の「不沈空母」発言は1983年のことです。

 ★1997年に、第2次ガイドラインが決定されました。
 日米防衛協力ガイドラインとは、アメリカ太平洋軍と自衛隊との協議で決められたもので、国会で論議され決まったものではありません。国民からみれは密室協議です。シビリアンコントロールという点からも重大な問題です。
 この第2次ガイドラインに沿って、「周辺事態法」が成立しました。自衛隊の活動領域の拡大が進みました。
 アフガン紛争、イラク戦争中、燃料補給や米軍輸送のために、自衛隊は、海上給油やイラク派遣を行いました。
 横田基地に自衛隊航空総隊司令部が、キャンプ座間には、米陸軍第一軍司令部と自衛隊の中央即応集団司令部が移ってきて、司令部機能が一体化され、自衛隊と米軍の共同作戦体制が進みました。
 
 ★2015年に第3次ガイドラインが決定されました。
 このガイドラインでは、平時から緊急事態までのあらゆる段階で、自衛隊と米軍が協同することが確認されました。いわゆる「切れ目のない対応」。
 第3次ガイドラインの発表に続いて、国会では集団的自衛権を容認する「平和安全法」が強行採決されました。ガイドラインの方が先行し、国会決議がこれを追いかけるという、シビリアンコントロールに疑念を抱かされる事態になりました。
 同盟調整メカニズム(ACM)で、自衛隊とアメリカ軍の調整機関が設置され、事実上の日米統合司令部が発足しました。

  【私の結論】
 以上みてきたように、自衛隊は、『アメリカ軍の指揮下で作戦行動をする軍隊』という側面を持っていることが分かります。このような対米従属的な状態で自衛隊を戦力として憲法に位置づけることには、問題が多すぎます。
  「平和安全法」の廃止、「日米安保条約」と「日米地位協定」の改定が前提として必要であると考えます。私の結論は、(A)には×を投じます。
   *****
 自衛隊の指揮権についてだけみても、これだけの問題点があります。
 「日米地位協定」については、書くスペースが無くなりましたが、その異様さは、肌で感じられていることと思います。
 ・全国にたくさんの米軍基地が存在し、沖縄は基地の島となっている。
 ・日本の上空には、国内法の根拠が無いにも拘わらず、アメリカ軍の飛行管制空域が広がっている。(沖縄空域、岩国空域、首都圏の横田空域など)
 ・在日米軍駐留関係の日本負担経費は、6千億円を超えている。
 ・先日、ヘリが墜落したが、日本の警察や消防は手出しも出来ず、墜落原因も究明されず、同型ヘリの飛行停止は直ぐに解除されてしまった。
  ・事故率の高いオスプレイが、日本上空7つのルートで、日本の航空法を無視して低空飛行訓練をしていると思われるのに、抗議もしないし、止めさせることも出来ない。

  あ~~、もう書き出したらキリがありませんね。日本の主権はどうなっているのでしょうか。
 北朝鮮に対してアメリカが軍事行動をとれば、自衛隊も協同で行動することになります。ならず者国家の北朝鮮が、日本を核攻撃する可能性さえあります。東京が攻撃されれば、100万人の人が死ぬという試算も出されています。こんな危険を冒してまで、アメリカに追随するのは、ちょっと御免です。
 穴の空いた「核の傘」から自立して、アメリカに頼らない日本独自の安全保障を追求する必要がありますね。
 核兵器禁止条約にも早く署名して欲しいものです。
 以上、私の勝手な意見を書きました。 では。また。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2017年11月 5日 (日)

憲法改定にどう向き合うか①

 先日の『48回衆議院選挙にあたって』という記事で、憲法改定と海外派兵は、アメリカの首尾一貫した要求であること、民進党の分裂は憲法改定をめぐる問題であることを戦後史を振り返りながら書きました。
  『48回衆議院選挙にあたって』は、→ こちら です。

  今回の選挙で自民党は大勝しました。当然のことながら、間もなく、国民は憲法改定に直面することになります。国の進路を決める重大な問題であり、国民一人一人が、しっかりと自分の意見を持つべき時が来たのだと思います。
 以下、一国民である私の意見を書いてみます。

 【改定の焦点は9条】
 憲法改定の項目として、教育の無償化や解散権の制約、個人情報の保護など様々な問題が提起されています。しかし、これらの問題は本質的な問題ではありません。
  例えば、教育の無償化という問題について言えば、現憲法はそれを禁止してはいません。憲法改正しなくても、無償化の法律を作れば出来ます。国会の3分の2を占める勢力が、やる気を出せば出来ることです。今、教育無償化が進まないのは、やる気がないだけです。憲法に書き込んでも、予算化されなければ実現しません。解散権の制限など、他の項目についても同じ事が言えます。(ただし、緊急事態条項は危険な意味を持ちます)
 あくまでも9条をどうするか、自衛隊を憲法に書き込むかどうかが、今回の核心的問題なのです。問題の焦点を見失ってはいけません。
 マスコミは、あれこれと争点らしきものを並べて、争点を曖昧にするのはいつものことです。

  【自衛隊は国民から認知されている】
 自衛隊は災害派遣などで成果を上げ、この点では、ほとんどの国民からは評価されています。PKO派遣で一定の役割を果たしているという評価もあります。自衛隊の存在は、今や多くの国民から認知されています。
 現在の政党の中で、自衛隊の即時廃止を主張する政党はありません。
 今問われているのは、自衛隊を廃止するかどうかではありません。憲法上にどう位置づけるかの問題です。

 【戦後史における現在の到達点】
 『48回衆議院選挙にあたって』で書いたように、自衛隊は、朝鮮戦争下という状況の中でアメリカの要請により誕生しました。その後の東西冷戦の中で、共産圏と対峙するものとして存在しました。東西冷戦終了後は、アメリカの世界戦略の中に位置づけられ、アメリカからは憲法改定と海外派兵を求め続けられました。そして、2015年、日米同盟を進めるために、憲法の枠組みを乗り越える「平和安全法」が成立しました。

  【国民の選択肢は三つ】
 現時点で日本の置かれた状況を考えると、国民の前に示された選択肢は、論理的に考えると三つしかないことが分かります。
(A):『9条2項を削除し、自衛隊を戦力として位置づける』
 集団的自衛権を容認した「平和安全法」は合憲とする人、日米同盟を外交の基軸だと考える人は、この(A)を選択することになります。
 政党で言えば、自民党、公明党、維新の党、希望の党ということになります。
  2項を残したまま、3項に自衛隊を加憲するのは、国民の支持を得るための一時しのぎで、2項との矛盾が生じます。遠くない時期に2項を削除することになります。

 (B):『自衛隊を海外派兵をしない専守防衛の戦力として位置づける』
 専守防衛の自衛隊は合憲であるという人、対米従属に反対の人、「平和安全法」は違憲であるとする人、安全保障のためには何らかの戦力は必要と考える人は、この(B)を選択する事になります。護憲的改憲派と言うべき立場です。
  現在、この方向を明確に打ち出している政党はありません。
 立憲民主党は、「平和安全法を廃止し、明確に専守防衛を保障する改憲もあり得る」と言っているので、この(B)に最も近いかもしれません。
 共産党も「当面自衛隊は保持するものの、将来的には国民の合意で決める」と言っているので、国民的合意で(B)に変化する可能性はあります。

 (C):『自衛隊は専守防衛の枠内に留め、当面は現憲法を維持する。』
 9条は、アメリカからの海外派兵要請を拒み、敵地攻撃力などの兵力の拡大に歯止めをかける役割を果たしてきたことを評価して、当面は現在の憲法を維持しようと考える人、「平和安全法」は違憲であるとする人は、この(C)を選択することになります。
 政党としては、社民党、共産党、立憲民主党ということになります。 

  【対立軸は(A)対(B+C)】
  間もなく予想される憲法改定発議は、国会の3分の2以上を占める(A)の立場からの発議です。(A)の立場からの憲法草案に賛成か反対かを問う国民投票です。
 したがって対立軸は、(A)対(B+C)になるわけです。
 護憲か改憲かは対立軸ではありません。(B)の意見の人は改憲ですが、(A)とは対立的位置にいます。あくまでも、(A)に対して、○か×が問われているのです。
 様々な意見が、マスコミを通じて錯綜する中で、対立軸を間違えると、教育無償化に賛成だから、(A)には○ということになったりします。
 また、(B)と(C)の意見の違いに焦点を当てて対立するのは、歴史の現局面を見失うことになります。アメリカに頼らない日本独自の安全保障を確立するのは、歴史的には次の段階での課題です。

  【自衛隊とは何かを考える】
  自衛隊を憲法に位置づけようというわけですから、現在の自衛隊をどのように考えるかが重要な問題です。
 次に戦後史を俯瞰しなが、自衛隊の指揮権問題を中心に戦後史をみていきます。
     この続きは、「憲法改定にどう向き合うか②」です。 ②は、→ こちら

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月13日 (金)

48回衆議院選挙にあたって

 今回の衆議院総選挙について、思うところを書いてみます。

 森友・加計問題で追いつめられた安倍政権でしたが、支持率の回復と野党の体制が整わない間隙を狙って衆議院を解散させました。憲法改正も公約に掲げられました。
 民進党の解体という劇的な事態が生まれました。このような大きな政治的動きがあった時は、冷静に事態を見る必要があります。戦後史全体を俯瞰しながら、この事態は、戦後史全体のどこに位置しているのかという事を考える必要があります。

 では、簡単に戦後史をおさらいしてみましょう。(憲法・安全保障を中心に)
 
 【サンフランシスコ体制の成立】
  敗戦後の1946年、GHQが作成した憲法草案が示され、議論の結果、これを修正して現在の日本国憲法が生まれました。戦争に疲れた多くの国民にとっては、歓迎すべきものとして…。
 世界的に見れば、この時代すでに東西の冷戦が始まっていました。
 1950年に朝鮮戦争が始まりました。
 1951年、サンフランシスコ講和条約が結ばれましたが、西側諸国との片面講和でした。この講和条約には、「連合国日本占領軍は、本条約効力発生後90日以内に日本から撤退すること」(第6条a)が定められていましたが、同時期に結ばれた「日米安保条約」「日米行政協定」により、米国の半占領状態が続くことになりました。
  「日米行政協定」を一言で言えば、「米軍が必要とすれば、日本のどんな場所でも米軍基地にすることができる」という協定です。(第二条1項、第三条1項)
 日本は、アメリカに従属した「反共の砦」として、共産国と対峙する西側諸国の一員となったのです。

 【砂川事件判決・司法権の従属】
 1957年の砂川事件伊達判決をめぐって、日本の司法さえもがが、対米従属であることが明らかになりました。
 米軍の駐留を違憲とした伊達判決は、高裁を飛び越え、ただちに最高裁に持ち込まれ、「高度に政治的問題については憲法判断はしない」」(統治行為論)という判決が下りました。後に、最高裁田中耕太郎長官は、密かにアメリカ側と接触していた事実が明らかになりました。この司法権の従属判決は現在も続いています。

 【日米安保条約の改定】
 1960年に旧「安保条約」と「日米行政協定」にかわり、新「安保条約」と「日米地位協定」が結ばれましたが、「米軍が必要とすれば、日本のどんな場所でも米軍基地にすることができる」という本質的内容は継続されました。
 「日米行政協定」→「日米地位協定+密約」という形をとなりながら…。
  日本国内には多数の米軍基地があり、米軍には日本の法律が適用されない治外法権状態は、現在も続いています。

 【再軍備と憲法改正を求めるアメリカ】
 アメリカは、朝鮮戦争下、日本に再軍備化を要請し「警察予備隊」が創設され、1954年には自衛隊となりました。
 アメリカの公文書公開により、1948年のフォレスタル国防長官時代に「日本の限定的再軍備」(ロイヤル陸軍長官答申)が、アメリカの軍首脳部の公的な方針として確定していた事が明らかになっています。この文書には、将来憲法を改定して、本格的に軍隊をもたせるための準備をやっていくことも明記されていました。
 憲法改正と海外派兵は、アメリカの基本的な要求だったのです。
  歴代自民党政府は、「専守防衛の自衛隊は合憲」という立場でした。日本社会党は、「自衛隊は憲法違反、非武装中立」を主張し、自民党と対立しました。
 自民党のリベラル的な性格を持つハト派政権は、憲法9条を口実にアメリカからの海外派兵要請をかわしつづけました。憲法9条は、アメリカからの海外派兵要請を拒否する側面も持っていました。
 タカ派といわれる中曽根首相は、憲法改正を強く主張し、「日本は不沈空母」という発言もしました。

 【東西冷戦の終結】
 1991年、ソ連の崩壊により冷戦が終結し、アメリカは世界で唯一の超大国となりました。日本の「反共の砦」、「不沈空母」の役割が終わったかに見えました。
 しかし、北朝鮮の脅威、中国の軍事力増強など、極東地域の平和への脅威を理由に、引き続き安保体制は継続しました。
  単なる継続でなく、むしろ積極的に「日米同盟は外交の基軸」論が主張されるようになりました。

 【日本社会党の崩壊】
 総評の解散、連合の結成など労働界が右へと再編されていきました。非武装・中立を主張していた日本社会党は、ジリジリと勢力を弱めていました。
 1994年、村山連立政権が誕生しました。非武装・中立を主張していた社会党は、安保条約肯定、原発肯定、自衛隊合憲など、旧来の路線を大転換しました。この結果、社会党は国民の支持を失い、分党・解党の道をたどりました。
 その後は、「自衛隊合憲、専守防衛論」が政治の主流となっていきました。

  【集団的自衛権・改憲の要求】
 1991年の湾岸戦争以降、アメリカの日本への海外派兵圧力が強まってきました。
 1997年には、日米ガイドラインが改定されました。(周辺事態に対応)
様々な条件付きでしたが、あいついで海外派兵を可能にする法律、PKO協力法、周辺事態法などがが成立しました。
 2000年、アーミテージ国務副長官が対日報告書で、『集団的自衛権を禁じていることが両国の同盟協力を制約している』として、集団的自衛権の行使を求めてきました。
 小泉政権下で、イラク、アフガン戦争への協力をめぐり、テロ対策特別措置法、イラク復興特別措置法が成立しました。有事法制も整えられました。
この時期は全体として、海外派兵強化、有事法制の整備、大規模な改憲運動が進みました。
 【憲法の枠組みを乗り越え始めた第2次安倍政権】
 2015年、日米ガイドラインを改定。(協力を切れ目無く、地球規模に拡大)
  第2次安倍政権では、集団的自衛権行使を可能とする平和安全法が成立しました。
 憲法学者をはじめ、市民連合、学生組織などが、この法律は憲法違反であると一斉に批判しました。「日米同盟」の強化はついに、憲法の枠組みを壊さなければ進められない状態に到達したのです。

  【民進党の分裂と選挙の争点】
 以上のように見てくると、日本社会党の崩壊は、自衛隊は合憲かどうかをめぐっての問題でした。今回の民進党の分裂は、憲法9条を改正するかしないかをめぐる問題です。消費税の使い道や社会保障の進め方で分裂したのではありません。
 選挙の争点は、まちがいなく「憲法改正」です。今回の選挙は、戦後史の中で、初めて本格的に憲法改正が問われる選挙なのです。マスコミはあれこれ面白く報道するので、選挙の争点が見えにくくなっています。「チガウダロ~!」と叫びたくなります。

 【北朝鮮危機をめぐって】
 ならずもの国家・北朝鮮を巡る最悪のシナリオは、「アメリカ軍の軍事攻撃→北朝鮮による日本の米軍基地への核攻撃」です。戦後史の中で、日本が核攻撃をうけるかもしれない最大の危機が迫っています。自民党の6割、維新の9割の議員が、アメリカの軍事オプションに賛成という報道があります。軍事行動をちらつかせるトランプ大統領に追随するとは、危険かつ愚かです。日本が核攻撃を受ける危険を孕んでいます。
 「話し合いは無駄だ。必要なのは圧力だ」という主張は、戦後史全体を俯瞰すれば、海外派兵と憲法改正に親和性のある主張です。
 一番の基本的な問題は、アメリカ軍の基地が日本に多数存在することです。
 「日本はアメリカの核の傘で守られている」、「日米同盟は外交の基軸」。これらの意見を克服し、アメリカ追随国家から自立する必要があると考えます。被爆国でありながら、核兵器禁止条約に署名しない国など、あり得ないでしょう。

  「北朝鮮問題は話し合いで…」は当然の主張ですが、どこで、誰が、何を話し合うのかが問題です。「アメリカと北朝鮮が二国間で…」という中国などの主張は無責任です。中国は朝鮮戦争の片方の当事者です。もう片方の当事者は国連軍です。
 話し合いの舞台は当然国連です。武力による威嚇は国連憲章違反です。
 核兵器禁止と国家の主権を尊重した、朝鮮戦争終結についての話し合いです。
   (これは私論です。)
  選挙の投票先は難しくないですね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2017年9月19日 (火)

尾木直樹著「取り残される日本の教育」感想②

 この本を読み終わった感想として、著者の主張している内容の多くは支持できるものです。民主的な教育を支持するものにとって、意味のある内容といえます。
 しかし、微妙な違和感も感じました。その違和感の第一点は、現在急速に進められている、政府の新自由主義的な教育政策にどう向き合うかという点についてです。
第ニは、学校職場の民主化をどう進めるかという点についてです。

 では、第一の違和感について。
 尾木氏は、「THEの世界大学ランキングで日本の大学は低迷している」、「PISAの学力ランキングも低下」、「日本の労働者の生産性は低い」と、グローバルな視点や経済的視点から危機を煽り、教育改革を語り始めます。このような文脈で教育改革を語ることには違和感を感じます。
 安倍政権でも、まったく同じ文脈で新自由主義的な教育改革が進められています。
 グローバル企業・財界からの要請を受けた「産業競争力会議」の議論をふまえて、「教育再生実行本部」が、グローバル人材育成のための教育改革を提案しています。
  具体的資料に当たりたい方は、
 ★「人材力強化のための教育改革プラン」~ 国立大学改革、グローバル人材育成、学び直しを中心として~          → こちら
 ★「教育再生実行会議」の提言は、 → こちら

  グローバル人材を育てようというこれらの教育改革も、学校のグローバル化や知識偏重の学力検査を改善し、入試の多様化を推進することが必要とうたっています。
  気になる政策を挙げてみます。

 ☆スーパーグローバル大学を指定し、重点的に予算配分するなどして、世界大学ランキングトップ100に10校をランキング入りさせる。
 ☆外国の大学を丸ごと誘致し、ハイブリッド型の国際大学院、学部を設置。
 ☆理工系の強化により、10年で20の大学発新産業を創出する。
 ☆予算の重点配分を行い、大胆で先駆的な改革を進める。
 ☆給与システムを改革し、大学教員に年俸制を導入。
 ☆スーパーグローバルハイスクール(仮称)を指定。国際バカロレア認定校を大幅に増加(16校→200校)させる。
  ☆大学入試へのTOEFL等を活用する。       ………等々。

 これらの教育施策は、経済の「成長戦略」として語られており、グローバル企業の要請による教育支配というべきものです。すぐに経済的利益を生む研究が重視され、研究予算は紐付きで、基礎研究が軽視される事になります。ノーベル賞を受賞した大隅良典氏は、基礎研究の軽視を警告しています。予算配分の少ない国立の地方大学の落ち込みが激しいと言います。学術論文の数でも、日本は韓国、中国に抜かれてしまったようです。「国際競争力のある大学つくり」は、知の拠点である大学を破壊しつつあるといえます。
 年俸制になれば、教職員への支配力も強まります。現在、東大で教職員の有期雇用問題が起こっています。京大のiPS細胞研究所の研究者の9割が非正規職員であることが報じられています。不安定な身分で働いている研究者が多いことに驚かされます。教育に掛ける公的支出が、GDP比でOECD34カ国中最下位とは情けない限りです。
 TOEFLが入試に活用されるとなれば、高校の英語教育は危機にさらされます。TOEFLの点数を上げるために、エリート校以外の高校生の塾通いが進みます。よい塾へ通えるかどうかは、経済的格差に影響されます。教育産業は大いに栄えることでしょう。
 日本の公教育は、「グローバル人材の育成」の名のもとに、きわめて露骨なエリート学校作り、グローバル企業のための教育に変質させられようとしています。

 尾木氏の「グローバルな教育の推進」、「日本の労働者は生産性が低い」という主張には、ちょっと違和感ですね。新自由主義的教育に無警戒? 推進派?

 第ニの違和感は、学校の民主的運営についてです。
 いじめを隠蔽する教育委員会や学校。上に対してものの言えない教師。いじめを見て見ぬふりをする教師。生徒に向き合えない教師。教育に対して国民の不満は高まってきています。その原因をどこに求めるかが大きな問題です。
  尾木氏は指摘します。
  ~事務作業の多さ、仕事の多様化、部活指導など。すぐに成果を求められる点数競争。過酷な教師の長時間労働は常態化してきている。教育職場は、職階制が強化されて、教育の管理が進んで来ている。~   この指摘には大いに共感します。さすがに、長年教育現場を経験された尾木さんならでは、ですね。

  多くのいじめや授業崩壊などの問題は、教師の横の連携(学年集団など)で解決できるか、問題の重症化を防ぐことがきます。民主的運営がなされていない職場では、教師は孤立しています。管理職は上ばかりを見て保身を図ります。責任は、下へ下へと押しつけられていきます。特に授業崩壊や学級崩壊は教師個人の責任とされています。最前線で孤立する教師。心を病む教師が多いのも痛いほど理解できます。
 近年は、教師の非正規雇用が多いのも驚くばかりです。
 以上のような意味において、尾木氏は、教師の横のつながり、つまり日本独自の「同僚性」を職場に取り戻す必要を強調しています。これは、実にその通りです。
 しかし、尾木氏は、日本の教育職場には以前から自然に「同僚性」が存在したかのような書き方をしています。これには、大いに違和感です。「同僚性」を必死に守り抜こうとした人たちがいたからこそ、「同僚性」が在ったのです。
 職場に民主主義を確立するためには、民主的な組織や人のつながりがなければ達成できません。当たり前のことですね。
  尾木氏は、「教師の質の向上のため、自己研鑽に国や自治体の理解と協力が必要である。」と述べています。しかし、教育委員会が提供する多くの研修会が、自由闊達な教育研究の場であるかどうか大変疑問です。過去、教師の自己研修を支えていたのは、職場や地域でのサークル活動、民間教育団体の研究会や組合教研ではなかったでしょうか。
 教育現場から民主的教育を積み上げていくには、民主的な人の横のつながり、組織化が必要です。国や自治体に理解と協力をお願い? ちょっと違和感です。
 テレビで売れっ子の教育評論家に、このような違和感を投げかけることが、違和感そのものかも知れませんね。スミマセン。 尾木氏の今後の活躍を期待します。

   おまけ:教育負担の私費の割合は、OECDどうどうの第2位。

Djg3xncxkaax8d71_2




| | コメント (4) | トラックバック (0)

2017年9月18日 (月)

尾木直樹著「取り残される日本の教育」感想①

 0ginaoki_01
  尾木直樹著「取り残される日本の教育」(講談社新書)を読みましたので、感想を書かせていただきます。私は、教職を退職し10年以上が経ち、教育に関する本を読むのは久しぶりのような気がします。

 では、まず、著者の尾木直樹氏の主張を出来るだけ忠実に要約してみます。

第1章:東大のアジア首位陥落の衝撃
 ★日本の教育は世界レベルから転落している。イギリスのTHEが発表している世界大学ランキングによれば、日本の大学は世界的に低迷しており、100位の中にはいるのは、東大は49位、京大の91位のみ、アジアの中を見ても、中国・韓国・シンガポールに抜かれ順位を下げている。
 OECDが実施しているPISAの学力ランキングも低下してきている。
  ★日本の労働者の生産性が、他国に比べて劣ってきている。その原因は、旧態依然とした産業構造や日本独特の企業文化などに加え、学力の低下やグローバルな視点から立ち遅れた教育にある。
 ★世界は「多文化共生時代」に入ってきており、自分と異なる文化と交流する能力、共生していく能力が求められている。知識偏重教育ではなく、思考する能力、知識や技術を活用する能力を高める教育が求められている。

第2章:日本の教育が世界から取り残されていく
  ★日本の教育は世界から取り残されつつある。
 18歳選挙権は、20年遅れてやっと導入された。
 ★日本では、過度の競争原理に基づく教育が行われていて、学力格差が生まれている。10代の学力不信自殺の増加は、他国に比べ深刻である。
 ★日本の教育予算は、OECDの中でも最低ランクにある。子どもの貧困問題も深刻である。機会均等のための無償教育を進める必要がある。奨学金の充実などはすぐに取り組める課題である。
 ★教育の無償、競争のない教育を進めているフィンランドなどに習って、教育改革を進めていく必要がある。

第3章:2020年は教育改革のラストチャンス
  ★OECDは、「能力の定義と選択プロジェクト」の研究成果として、三つのキーコンピテンシー(鍵となる能力)を提案している。
   ・相互作用的に道具を使う ・異質な集団で交流する ・自立的に活動する
  (*相互作用的に道具を使う=情報、知識、技術をツールとして活用する能力)
  ★日本の教育は、批判的思考力、論理的思考、表現力の教育に力を入れてこなかった。知識偏重の古い学力では、もはや仕事はない。OECDの提案する新しい学力観に立つ必要がある。
 ★フィンランド・メソッド、イエナプラン、クリティカル・シンキングを重視する教育など、海外から学ぶべきである。
 ★かってのゆとり教育は、必ずしも失敗ではない。「主体的、対話的で深い学び」であるアクティブラーニングをさらに進めるべきである。 
 ★ICT教育の適正な推進
 ★小学校への英語の導入は、グローバル化の流れからみて、一定の妥当性がある。
 「対話力」は不可欠である。指導者の育成も今後の課題。
 ★道徳の教科化は問題が多い。
 ★新しい入試制度は、入り口重視から出口重視へと転換させ、知識偏重を克服し、知識を活用する力や思考力・論理力・表現力を評価する方向へシフトしていくべき。国際バカロレアなど、資格保障にもとづく入試改革は検討すべき方向である。 

第4章:「学びの場」はどうあるべきか
 ★改革の成否の鍵を握るのは教師力である。生徒に向き合えない教師が増えている。その原因として教師の多忙化がある。事務作業の多さ、仕事の多様化、部活指導など。直ぐに成果を求められる点数競争。過酷な教師の長時間労働は常態化してきている。
教師の質の向上のため、自己研鑽に国や自治体の理解と協力が必要である。
  ★現在の教育職場は、職階制が強化されて来ており、教育の管理が進んで来ている。 管理主義、成果主義に覆い尽くされた教育現場では、さまざまな教育改革の芽が摘み取られている。
 教育現場に、日本独自の「同僚性」を取り戻す必要がある。
 教育には、自由が不可欠である。教科書採択などにも学校や教師に裁量権を与えるべきである。
 ★学校は民主主義の練習場である。教育の主体は子どもである。教育に「子ども参加」が必要である。
  ★学び直しを可能にする生涯教育の推進は重要。

第5章:日本の教育の未来のために
 ★教育観、学力観の議論を深めること
 ★教育を取り戻す6つの処方箋
  ①国際的な学力観・子供観への転換
  ②競争主義から脱却する
  ③学びの主役を子どもに アクティブラーニングの推進。子どもの参画。
  ④個に寄り添う教育へ 他文化共生社会に求められる教育視点。
  ⑤国の責務としての学力保障 履修主義ではなく個に応じた学力を。
  ⑥子どもの命と安全を大切にする学校。
           ********
  内容を要約するだけで、かなりスペースを使ってしまいました。
 感想は次回にします。  感想②へ → こちら

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧