二十四節気写真

2017年9月11日 (月)

二十四節気「白露」2017・追加

 今の時期は、二十四節気「白露の」時期です。朝露は、冷たく白い輝きを増していきます。実りの秋がゆっくりと進んでいきます。
 ~♪秋晴れの
   ひかりとなりて
   楽しくも
   実りに入らむ
   栗も胡桃も  ♪~
 斉藤茂吉の一句です。終戦間もない頃、このように秋の喜びを歌うことが出来るとは、自然風景の持つ力は大きいですね。国破れて山河あり?…ウン、ちょっと違うか?

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  たんぼ道や土手では、秋の花が咲き始めました。
 テレビでおなじみの夏井いつき著「絶滅寸前季語辞典」で、秋の七草談義を読みながら、散歩を楽しみたい方は、
二十四節気「白露」2016後半へどうぞ → こちら

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  大関松三郎は貧しい農家の出身で、少年時代、生活綴り方教育のもとで、生活に根ざした農民の心や自然を詩に詠いました。10代の若さで戦争の犠牲となりました。

 ~♪「雑草」   (大関松三郎)
おれは雑草になりたくないな
だれからもきらわれ
芽をだしても すぐひっこぬかれれてしまう
………
だれからもきらわれ
だれからもにくまれ
たいひの山につみこまれて くさっていく
おれは こんな雑草になりたくないな
しかし どこから種がとんでくるんか
取っても 取っても
よくもまあ たえないものだ
………  
強い雑草
強くて にくまれもんの雑草  ♪~

 雑草を嫌いつつも、強い雑草にひかれていく作者。雑草と戦いつつも雑草と共に生活し、雑草のように生きる農民の素朴な心情が描かれています。
 今の時期、土手の周辺は雑草の天国です。ヘクソカズラ、ガガイモ、ヒレタゴボウ、マルバルコウソウ……。
 なぜ人は、雑草と共に暮らすようになったのでしょうか?旧約聖書が答えてくれます。その答えを知りたい方は、
二十四節気「白露」2015へどうぞ → こちら

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  植物学者の稲垣栄洋氏が雑草について解説しいます。
「雑草は本当は弱い植物である。通常の生存競争では強い植物に負けてしまい、人間が作り出した劣悪な環境に追いやられた植物である。」と……。
 つまり、雑草を育てているのは、自然を壊す人間なのです。多様な成長戦略をとる多種多様な雑草の種子が地中で待機していて、人間が抜いても抜いても、次の雑草が生えてくるわけです。まさに雑草は、人のおかげで、人と共に生きているのです。
 詩人の長田弘さんも、草とりをしながら「この世の間違い」に気がついたようです。神に対抗しようとした人間の愚かさについて……、そのことについて知りたい方、及び雑草の世界を覗き見たい方は、二十四節気「白露」2016へどうぞ → こちら

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  やって来た秋に反抗する入道雲。心温まる虹を見る少女。枯れてゆくハス。夕日の街角。暮れてゆく流れ橋等々、さらに散歩を続けたい方は、
二十四節気「白露」2012へどうぞ → こちら

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2017年9月 7日 (木)

二十四節気「白露」2017

 9月7日は、二十四節気の「白露」でした。しだいに涼しさが増し、秋を感じることが多くなる頃です。野ではススキの穂が出始め、夜は虫たちの大合唱です。

 日本ではお盆の頃、提灯に明かりを灯して先祖の霊が帰ってくるとされています。その時、ほおずきは提灯のかわりを務めます。今の時期、その役目を終えたほおずきは、破れてもう筋ばかりになっています。
 稲が実り始め、季節労働者の案山子たちも忠実に仕事に就いています。
  大榎の下で、子どもたちが過ぎ去った夏休みを捜しています。

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  ~♪「白露の日に」~季節との対話~

今 静かに過ぎゆく一つの季節がある
朝には白く輝く露に心奪われ
昼には稲穂を揺らす風の音を聞く
蓮の花托は一斉に手を振り
過ぎ去る季節を惜しむ

新しい季節の始まりに思いをはせ
蔓穂の花は大空に向かって立ち上がり
赤とんぼは澄んだ目で流れる雲を追っている
うろこ雲は夕日に赤く
家路を急ぐ少女を優しく包んでいる

人はいつも季節と対話してきた
そのたびに季節は無言の言葉で語った
うつろう時間の中で風景を共にし
心を透明にすること
それが対話であると

夏の終わりに
赤い火を灯すほおずきを提灯にして
あの人達は夕暮れの道を去って行った
季節と対話しゆっくりと後を追う
ほおずきを提灯にして          ♪~

 この詩に合わせて、木津川土手周辺を散歩したい方は、
二十四節気「白露」2014へどうぞ → こちら

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  詩人の高田敏子さんが、過ぎ去った夏について詠っています。

 ~♪「九月」
夏は行ってしまった
とても愛しているものたちを
おきざりにして
…………
おきざりにされたものたちばかりが
言葉少なに 私をとりかこんでいる
…………
ひまわりは 夏の去った方向に
背のびばかりして 痩せてゆく
麦わら帽子は 夏のほてりを
胸に抱きしめている   ♪~

「愛しているものたち」、「おきざりにされたものたち」とは、どんな人たちのことでしょうか? 戦争の終わった夏。置き去りにされたもの。今の時代であるからこそ、噛みしめたいですね。

 元気な子どもたちは、まだまだ夏を追いかけているようですが、もう夕暮れです。
  夏の想い出を胸に、木津川土手周辺を散歩したい方は、
二十四節気「白露」2013へどうぞ → こちら

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  ~♪ 露と落ち   
   露と消えにしわが身かな
   なにわの事も
   夢のまた夢   ♪~

 これは、豊臣秀吉の辞世の歌とされるものです。露といえば、儚いものの代表ですが、果たしてどうでしょうか? 朝日に輝く露は、希望のようにも見えますが…。
 あなたの場合は、どうですか? それを確かめたい方は、
二十四節気「白露」2011へどうぞ → こちら

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~♪ 馬追虫の 髭のそよろに来る秋は まなこを閉じて 想い見るべし ♪~
  長塚節の歌ですね。目を閉じて想いみる秋。心の中の秋はしみじみとしています。

~♪ ゆく秋や 日なたにはまだ 蟻の道 ♪~
 江戸時代の堀麦水の句です。秋が進んで行きますが、夏もまだまだ残っているようですね。季節の歩みは、いつも行きつ戻りつです。
 さらに季節の散歩を続けたい方は、たいした写真はありませんが…、
二十四節気「白露」2010へどうぞ → こちら

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2017年8月29日 (火)

二十四節気「処暑」・花と語る

 二十四節気「処暑」2017の追・追加です。詩人たちと一緒に、土手やその周辺の散歩を続けましょう。花が咲き、川は流れ、空には雲が…。

 今の時期、ハスの花はほぼ終わりに近づいていますが、夏の花と秋の花が入り乱れ、たんぼ道はにぎやかです。

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  詩人の長田弘さんは語ります。
 「人はなぜ慌ただしくしか生きられないのか。静けさをまなばなければいけない。聴くことをまなばなければいけない。よい時間でないなら、人生はなんだろう?」
 「無言で咲いている花の、無言の言葉からまなび、美しいものを美しいといい、人はもっと率直に生きていいのだ。」……と。

 ~♪「まだ失われていないもの」
…………
すべてが そこにあつまってくる
花のまわりにあつまってくる
ふしぎだ 花は
すべてを花のまわりにあつめる

匂いのように時間が
蜜のように沈黙が
あつまってくる
ことばをもたない真実がある

風の色 季節の息があつまってくる
花がそこにある それだけで
ちがってくる ひとは
もっと率直に いきていいのだ ♪~

 草や花と無言の対話を楽しみながら、木津川土手周辺を散歩したい方は、
二十四節気「処暑」2016後半へどうぞ → こちら

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  詩人の高田敏子さんが、花や小鳥と対話しながら、人生について考えています。

~♪「美しいものについて」
花は咲く 誰がみていなくても
花のいのちを美しく咲くために

小鳥は歌い 空を飛ぶ
小鳥は小鳥をよろこび生きるために
…………
人は
人であるそのことのために生きているかしら?
人は人であるそのことを
いつも思っているかしら?

きのう 私がしたこと
きょう 私がしようとすること
人であるそのことにかたく結ばれているかしら?
樹や花や小鳥や魚のように――
人であるそのことを美しく生きているかしら?
…………   ♪~

 花も樹もせいいっぱい生き、花を咲かせ、実をならせ、その命を美しく輝かせています。人である私たちはどうでしょうか? 日々の生活に流され、気がつけば老いを嘆く…。美しく生きるとはどんな生き方なのでしょうか?
 さらに散歩しながら、思索を続けたい方は、
二十四節気「処暑」2015追加へどうぞ → こちら

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  土手の草むらを覗けば、秋の虫たちが夜を待っています。
 今日も夜になれば、虫たちは短い命を必死に歌うのでしょう。

~♪「虫」    (八木重吉)
虫が鳴いている
いま ないておかなければ
もう駄目だというふうに泣いている
しぜんと
涙をさそわれる  ♪~

 自らの短い命を自覚した八木さんには、虫の声は祈りの声なのです。
 この詩は、救いへの祈りの歌ですね。
 たいした写真はありませんが、詩人と一緒に散歩を続けたい方は、
二十四節気「処暑」2011へどうぞ → こちら

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2017年8月26日 (土)

二十四節気「処暑」・雲と橋とこぶし

 二十四節気「処暑」2017の追加です。
 しだいに秋めいてゆく木津川土手周辺をさらに散歩しましょう。

~♪ 秋立つや
   雲はながれて
   風見ゆる ♪~

 江戸時代、与謝蕪村とともに活躍した三浦樗良の句です。私は、俳句のことはよくわからないですが、この句には大いに共感します。季節を運んでくるのは風です。風がほんの少し涼しさを運んできてくれる今の時期には、ぴったりの句ですね。
 蓮田や稲田、土手の上を風が吹き渡っていきます。

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  季節を運ぶのが風なら、季節を語るのは、草や木や虫たちです。
 秋立つ風を感じ、草花と対話しながら木津川土手を散歩したい方は、
二十四節気「処暑」2015へどうぞ → こちら

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  夏の終わり、暮れてゆく土手の上で、流れ橋を見るのは感慨深いです。
 詩人の高田敏子さんも橋を眺めながら、思索に耽っているようです。
橋の詩なら高田さんですね。
~♪ 「橋」
橋は聞いている
川の声を
…………
人も車も
橋の上に止まることはない
通過するもののために
橋はあるだけなのだ

それは
さびしさではない
やさしさ なのだと
…………   ♪~

 止まることなく川は流れてゆきます。人も恋さえもが、時の流れの中で変わってゆきます。橋の上で止まるものはなにもありません。すべてが過ぎてゆきます。橋は通過するもののためにあるのです。橋の美しさは、さびしさではなく、やさしさなのです。過ぎ去ってゆくものをやさしく見つめる存在なのです。
 夕暮れの流れ橋を見ながら、過ぎ去ってゆくものに思いを寄せたい方は、
二十四節気「処暑」2012へどうぞ → こちら

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  処暑の頃の土手に咲いているのは、ツルボの花です。空に習字をする筆のようです。何という字を書いているんでしょうね。希望? 憧れ?

 
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   コブシの木は、なぜ「コブシ」なのか、その秘密を知りたい方は、
二十四節気「処暑」2016へどうぞ → こちら

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2017年8月24日 (木)

二十四節気「処暑」2017

 8月23日は、二十四節気の「処暑」でした。暦の上では秋となり、暑さも少しずつ和らいでいく時期です。では、木津川土手周辺の散歩に出かけましょう。

  ~♪「処暑の日に」
激しかった日々はゆるやかにに静まり
澄み渡る空に実りの予感が運ばれてきた
蓮はまだ夏の夢を追いかけ
夏の忘れ物を捜す少年は畦道を駆けていく

田んぼに迷い込んだ蓮に許されるのは
夏の夢を見ることだけだ
睡蓮が湧き上がる雲を欲しがっても
雲はもう流れてゆくばかりだ

田んぼでは稲の穂が花をつけ
水田の雑草さえも忙しい
土手ではつるぼの花が目を覚まし    
豊かな実りの時が刻まれていく

エノコロ草は無数の種子をつけ
山法師は土手の上で実を結び
赤い実は地面に伏して希望の春を待つ
明日のためにこそ豊かな実りはある

私は明日のために
豊かな何かを準備できただろうか
繰り返す自問を残し
夕日は赤く明日の喜びを歌っている   ♪~

 この詩に合わせて処暑の日の木津川土手周辺散歩を楽しみたい方は、
二十四節気「処暑」2014へ → こちら

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  処暑の頃といえば、もうすぐ夏休みも終わりです。子どもたちには、宿題の仕上げに忙しい頃でしょうか。去っていく夏休みが惜しいですね。
 夏の終わりに感じる空虚な寂しさ。どこかなつかしく、何かやるせない夏の終わりです。高田敏子という詩人が、忘れものを残して去ってゆく夏に、語りかけています。
 ~♪「忘れもの」
入道雲にのって
夏休みはいってしまった
「サヨナラ」のかわりに
素晴らしい夕立をふりまいて
………
だがキミ! 夏休みよ
もう一度 もどってこないかな
忘れものをとりにさ

迷子のセミ
さびしそうな麦わら帽子
………波の音   ♪~

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  寺山修司の歌集にも、夏の終わりを詠った歌があります。
~♪ 少年の
   わが夏逝けり
   あこがれしゆえに怖れし
   海を見ぬまに   ♪~
 憧れるからこそ近づけない、恋するからこそ近づけない。遠く過ぎ去ってゆく夏。歯がゆいような少年、少女期の心理ですね。
 空をゆく雲を眺め、過去の想い出にひたりながら土手を散歩したい方は、
二十四節気「処暑」2013へ → こちら

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  風、栗の実、蝶、エノコログサ、流れ橋、夕日のスプリンクラーなど、しだいに秋めいてゆく木津川土手周辺を、さらに散歩を続けたい方は、 
二十四節気「処暑」2010へ → こちら

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2017年8月13日 (日)

二十四節気「立秋」・季節の扉

 8月7日は、二十四節気の「立秋」でした。暦が、季節の扉を開けてくれました。しかし、秋とは名ばかりで、毎日暑い日が続いています。
 季節の歩みは、実にゆっくりと進むものなのです。
 雲は、過ぎ去る夏の想い出を語り、風は、静かに秋をはこんでくる…。出会いと別れをくり返し、散る花は涙をながす。季節は人の歩みのようにゆっくりと進むものなのです。すべてが終わる日まで…。

 ~♪「季節の扉」
暦が秋の扉を開いた日 
百日紅の花が咲き
樹上で油蝉が夏の歌を合唱している
蓮は夏の陽ざしの中で眩しい
季節はゆっくりと歩むものなのだ

季節を語るのは雲だ
まだ入道雲が夏を語っている
湧き上がる雲は形を変え
少年の日の想い出を捜している

季節を運ぶのは風だ
ゆっくりと歩めば気づくだろう
青田の上を吹き渡る風の涼しさに
風に揺れる山法師の赤い実に
散った花びらが涙に濡れていることに 

季節を造るのは出会いと別れだ
出会いには 心ときめかせ
別れには 涙する
季節の歩みはいつも人と同じだ

すべての扉が閉じられる日が来たら
涙をぬぐい遙か遠くを見つめるのだ
地平の向こうに一つの扉が見えるだろう
その扉に向かってゆっくりと歩むのだ
季節のようにゆっくりと  ♪~

 この詩に合わせて、木津川土手方面を散歩したい方は、
二十四節気「立秋」2014へどうぞ → こちら

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   ボブという猫の物語を知っていますか? 詩人の長田弘さんが、猫のボブを詩にしています。
 ~♪ 「猫のボブ」   (奇跡―ミラクル―)
……
猫のボブがいった。平和って何?
……
それからは、いつも考えるようになった。
ほんとうに意味あるものは、
ありふれた、何でもないものだと。
魂のかたちをした雲。
樹々の、枝々の、先端のかがやき。
すべて小さなものは偉大だと。 ♪~

 長田さんは言っています。何げないありきたりの風景や、何げないささやかな日常生活のなかにこそ、ほんとうに意味のあるものがあると……。平和も幸福も…。
  また、「人の権利」という詩の中では、~♪木立の上に、/空があればいい。おおきな川の上に、/風の影があればいい。/……/幸福とは、単純な真実だ。/必要最小限プラス1。/人の権利はそれに尽きるかもしれない。/誰のだろうと、人生は片道。/行き行きて、帰り着くまで。♪~
 人の権利とは…。木立の上の空。川の上を渡る風。…必要最小限プラス1。長田さんは、いつも何げない風景や日常生活の中で、人生の意味を考察した詩人です。

 いつもの何げない木津川土手周辺の風景の中を、詩人の長田弘さんと一緒に散歩したい方は、…二十四節気「立秋」2016・後半へどうぞ → こちら

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   高田敏子さんという詩人には、橋をテーマにした詩がいくつかあります。
 ~♪「橋のうえ」
……
たくさん仕事を抱えた人が通る
なんにも仕事のない人が通る

恋ある人が歩いてゆく
恋なき人が歩いてゆく

秋の風が渡ってゆく
風よりもさびしいものがわたってゆく
さびしい目に見えないものがわたってゆく
見えないものが通るとき
橋はいちばん美しい ♪~

 さまざまな人が通る橋。恋する人も、恋を失った人も…。見えない何かも渡っていく…。橋を一番美しくする、見えないものとは何でしょうか? 希望? 憬れ? 安らぎ?
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   田の上を渡る風。雲。スイレン。ハス。ヒルガオの花。夾竹桃。百日紅。
 土手の大榎。茶畑のスブリンクラー。
  見えないものを感じながら、木津川土手周辺や流れ橋を散歩したい方は、…
二十四節気「立秋」2012へどうぞ → こちら

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2017年8月10日 (木)

二十四節気「立秋」2017

 8月7日は、二十四節気の「立秋」でした。いよいよ暦の上では秋ですね。今年の「立秋」当日は、ノロノロとした夏の台風が、騒がしく日本列島を通過していきました。

 ~♪ 秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる ♪~
  古今和歌集で藤原敏行が詠っているように、秋は、静かにそっと近づいて来ているのでしょう。今の時期、どれくらい秋が来ているのでしょうね。
 木津川土手周辺へ植物図鑑を持ち、秋を探しに散歩しましょう。きっと、城陽特産のイチジクの実も成長し始めている頃だと思います。
 ★植物図鑑を持って木津川土手方面を散歩をしたい方は、
 二十四節気「立秋」2011へどうぞ → こちら

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  土手の上に上がると、空が大きく広がり、白い雲が流れていきます。土手に座って、雲を眺めていると分かります。なつかしい人は、みんな雲に乗ってやって来るのです。亡くなった人も、遠くにいる人も、幼なじみも、なつかしい想い出を連れて、……。
 ★空を見ながら木津川土手周辺を散歩したい方は、
 二十四節気「立秋」2016へどうぞ → こちら

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  8月6日は広島に、8月9日は長崎に原爆が投下された日ですね。かって8月6日や9日は、全国の小中学校で夏休みの登校日になっていました。しかし今は、取りやめている学校がほとんどです。8月6、9日が何の日であるか答えられない人が、7割に迫っているというNHKの報道がありました。
 7月7日には、国連会議で122カ国の賛成で、「核兵器禁止条約」が採択されました。拍手と歓声の中で…。しかし、日本は不参加です。事前交渉にも参加していないといいます。何ということでしょうか…!!
 詩人の石垣りんさんは、しだいに近づいてくる戦争の足音をすでにずっと以前に聞いていました。
~♪ 「雪崩のとき」
……
すべてがそうなってきたのだから
仕方がない”というひとつの言葉が
遠い嶺のあたりでころげ出すと
……
あの言葉の
だんだん勢いづき
次第に拡がってくるのが
それが近づいてくるのが
私にはきこえる ……♪

 また、石垣りんさんは、~♪人はみんなで、空をかついで生きている。世代を超えて。輝きも、暗闇も。♪~と詠いました。みんなのつながりで、青い平和な空をかついでいけたらいいですね。
  ★石垣りんさんと一緒に木津川土手で空を眺めたい方は、
  二十四節気「立秋」2015へどうぞ → こちら

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 ★ハスの花やザリガニ、アメンボ、糸トンボ、アゲハ、ワスレグサ。さまざまな生き物を見ながら、夏休みの土手周辺をさらに散歩したい方は、
  二十四節気「立秋」2013へどうぞ → こちら

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2017年8月 3日 (木)

二十四節気「大暑」・夏の歌

 大暑の頃。一年中で一番暑い季節に入りました。
 考えてみると夏はなぜ暑いのでしょうか。理科的に言えば、地軸の傾きにより四季が生まれ、夏になるのですが……。 心までもが暑いのはなぜでしょうか。

 ~♪「夏に」
暑いから夏になったのではない
蓮の花が咲き
白い夏雲が湧き上がり
青田の上を風が吹き渡ってゆく
風景が夏を語ったから夏が来たのだ

暦が知らせたから夏になったのではない
水の上のアメンボウ
ワルナスビの針
花に潜むハラビロカマキリ
すべての命が夏を知らせているのだ

夏が来たから涙が流れるのではない
焼け跡に夾竹桃が咲いた夏
二度と帰らない少年の日の夏
わすれ草を胸にした夏
夏の想い出が涙を連れて来るのだ

夏が来たから暑いのではない
遠く見つめる先に
平和はあるのか ホオジロよ
人はどこから来て
どこに行くのか 無言の空蝉よ

思いを込めるから暑いのだ 夏よ   ♪~

 この詩にあわせて、木津川土手周辺を散歩したい方は、…
二十四節気「大暑」2014へ → こちら

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   詩人の高田敏子さんは、橋をテーマにした詩をいくつかつくっておられます。
 ~♪「橋」
少女よ
橋のむこうに
何があるのでしょうね

私も いくつかの橋を
渡ってきました
いつも 心をときめかし
急いで かけて渡りました
……
そして あなたも
急いで渡るのでしょうか

むこう岸から聞こえる
あの呼び声にひかれて ♪~

 心をときめかせ、いくつもの橋を渡ってきた私。今、橋を渡ろうとしている少女。
橋のむこうにある何かを目ざして…。
 人はみんな橋をわたるのです。「あの呼び声にひかれて…」。あなたもまた…。
  夏の夕暮れ。赤い夕雲を見ながら、木津川流れ橋を渡ってみたい方は、…
二十四節気「大暑」2012へ → こちら

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   仏教経典『妙法蓮華経』に、「不染世間法 如蓮華在水」(世間の法に染まらざるは、蓮華の水に在るが如し)とあるそうです。ハスは泥の中にあっても汚れることなく美しい花を咲かせるということです。ありがたい仏の花というわけです。
 枕草子、「草は」の段には、次のように書かれています。
  ~♪…蓮葉(はすば)、よろづの草よりもすぐれてめでたし。妙法蓮華のたとひにも、花は仏にたてまつり、実は数珠(じゅず)につらぬき、念仏して…♪~
 北原白秋の名曲、「からたちの花」は、♪…からたちの花のそばで泣いたよう…♪と歌います。これを「ハスの花のそばでないたよ~」に変えるとどうなるでしょうか? もう絶対、死んだ誰かを思う歌になってしまいますね。
 日本人にとってハスの花は、仏の花という印象がすり込まれてしまっています。ハスの花を見ると、線香の匂いが漂ってくる人は、もう、ちょっと重症ですね。
 花を愛でるときは、先入観にとらわれず素直に見たいものです。
  明るく咲く昼の蓮に出会いたい方と、流れ橋の夕景を眺めたい方は、…
二十四節気「大暑」2013へ → こちら

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   ハスの花は、外国ではどんな扱いを受けているのでしょうね。
 シューマンの歌曲集「ミルテの花」第7曲は、ハイネの詩に作曲した「Die Lotosblume(はすの花)」です。この曲を聴きたい方は、→  こちら   (歌はElly Ameling)

~♪ 「はすの花」  (H・ハイネ 訳/西野茂雄)
はすの花は 燃えさかる太陽を恐れて
うなじを垂れて夜を待つ
夢見心地に

月こそ はすの恋人
その光に はすは目覚め
いそいそとヴェールを脱いで
つつましい顔をあらわす

花開き 燃え立ち 光を放ち
はすは言葉もなく空を見上げる
はすは匂い はすは泣き
はすはおののく
愛と愛の切なさゆえに ♪~
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2017年7月30日 (日)

二十四節気「大暑」・蓮の花

 木津川土手周辺の蓮田では、夏の花である蓮の花がすこしずつ咲き始めています。今日は、今の時期のハスを捜しながらパソコン上を散歩します。

 蓮の花が開くのは明け方です。ハスの花が歌うのは「朝のうた」です。
 ~♪「朝のうた」
 朝露は夜の闇から生まれ
 明けてゆく光の中で
 白く静まりかえっている
   
 静寂を破り陽が昇る
 川霧は金色の炎を上げ
 すべての朝露は歓喜の光を放ち
 野に咲く花は
 光の言葉で希望を歌う
   
 この時 隠されていた秘密が
 光の言葉で明かされたのだ
 一日はどのように始まり
 何でできているのかが
   
 夜の闇に耐え
 朝露をまとった虫たちは
 すべてを知っている
 いのちの長さとは
 朝露が生まれやがて消えていく
 その一瞬の時間のことなのだと
   
 無意味な日々の積み重ねを
 人生と呼ぶなら
 何十年生きようとも
 人の一生はつかの間だ
 人は忘れているのだ
 一日が何故そこにあるのか
 その意味が何であるのかを
   
 やがて朝の秘密は
 昼の光の中に隠され
 今日もまた一日が始まるのだ ♪~

 朝の秘密とは何でしょうか? 一日一日は何のためにあるのでしょうか?
 その秘密を解くために蓮田を散歩したい方は、…
二十四節気「大暑」2016・朝の蓮田へ → こちら

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   夏の朝を飾る朝露。露にまみれて、糸トンボがひそかに活動を始めています。
 朝日が昇り、朝の光が満ち溢れてきました。昼の活動開始です。
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 蜜を求めて、ミツバチたちの朝の訪問も始まりました。ミツバチは蜜をもらい、花は花粉を運んでもらう、遙か遠い昔に結ばれた命の約束です。
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   蓮は夏の光を浴びて、雲にも挨拶をしているようです。大空に憬れ飛び立とうとしているのでしょうか。蛙は蓮の葉の上で、明日について考えているのでしょうか。
  蓮田や田んぼで朝の光の中を遊びたい方は、…
 二十四節気「大暑」2015・追加へ → こちら

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2017年7月27日 (木)

二十四節気「大暑」2017

 7月23日は、二十四節気の大暑でした。一年中で一番暑い時期に突入です。
 今年は、梅雨末期の豪雨で各地に被害がでました。雨は局所的なもので、全体的には空梅雨だったようです。関東では、取水制限も始まったとか…。

 太陽の輝く夏の日。麦わら帽で散歩に行きたいですね。土手の上に湧き上がる雲や土手の大榎にも会いたいです。では、いつものようにパソコン上で、詩人と一緒に散歩に出かけましょう。
 「人はかって樹だった」という詩集を出した詩人がいます。

~♪ 「むかし 私たちは」
木は人のようにそこに立っていた。
言葉もなくまっすぐ立っていた。
立ちつくす人のように、
……
物語の家族のように、
母のように一本の木は、
父のようにもう一本の木は、
子どものように小さな木は、
どこかに未来を探しているかのように、
……
みじろぎもせず立っていた。
私たちはすっかり忘れているのだ。
むかし、私たちは木だったのだ ♪~
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   ~♪ 「空と土のあいだで」
……
…。どこまでも根は
土を掴もうとする。どこまでも
枝枝は、空を掴もうとする。
おそろしくなるくらい
大きな樹だ。…
……
三百年、わたしはここに立っている。
そうやって、わたしは時間を旅してきた。
……
やがて来る死が、根にからみついた。
たが、木の枝々は、新しい芽をはぐくんだ。
自由とは、どこかへ立ち去ることではない。
考えぶかくここに生きることが、自由だ。
樹のように、空と土のあいだで。 ♪~

~♪「立ちつくす」 /祈ること。人にしか/できないこと。祈ることは、/問うこと。みずから深く問うこと/問うことは、ことばを/握りしめること…/……/…太陽の、赤い光が、滲んでゆく。/一日が、はじまる。――/ここに立ちつくす私たちを、世界が、愛してくれますように。♪~
 「人はかって樹だった」の詩人、長田弘さんと一緒に、木津川土手の散歩に出かけたい方は、二十四節気「大暑」2016へ → こちら 

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   高田敏子さんという女性詩人がいました。「台所詩人」、「お母さん詩人」とも呼ばれています。彼女は、「夏」という季節に特別な思いを込めていたように思います。夏に咲く花、「夾竹桃」の詩をみてみましょう。
~♪ 「夾竹桃」
夾竹桃が咲きました
花を見上げて 私は
――よいお天気ね――とか
――きれいに咲いたのね――とか
声をかけてしまいます

私がもし 誰からも
声をかけられない日がつづいたら
……
それは 私がいないのと同じ
生きていないのと同じでしょう

庭の花にも
声をかけるとき
花があって 私があって
あることのたしかさが思われます ♪~

 夏に咲く花夾竹桃。原爆により、一瞬にして声を掛け合うことさえ奪われた人たち。焼けた地に花をつけた夾竹桃の生命力。花があって…私があって…、生きることの「たしかさ」がある…。激しかった夏。戦争の終わった夏。やさしさが溢れた詩ですね。
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   女性詩人の石垣りんさんや茨木のり子さんと一緒に、木津川土手を散歩したい方は、
二十四節気「大暑」2015へ → こちら

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