二十四節気写真

2018年1月22日 (月)

二十四節気「大寒」2018

 1月20日は、二十四節気の「大寒」でした。一年で一番寒い時期に突入です。
しかし、京都府南部では、「大寒」の当日は春を思わせる暖かい一日でした。
体調不良を押して、車で木津川土手へ撮影に行きました。
大寒の日、どんな風景が見られたのでしょうか? 紹介していきます。

 土手の上に立つと、葦やオギの枯れた河原が広がり、その向こうに比叡山や愛宕山を望むことができます。気がつくと、早くもひばりの声が聞こえます。青い空が広がり、飛行機雲が流れていきます。春が近づいているのですね。

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  飛行機雲を見て、頭の中を石川啄木の「飛行機」という詩がよぎりました。

  ~♪ 「飛行機」
見よ、今日も、かの蒼空に
飛行機の高く飛べるを。

給仕づとめの少年が
たまに非番の日曜日、
肺病やみの母親とたった二人の家にゐて、
ひとりせっせとリイダアの独学をする眼の疲れ……

見よ、今日も、かの蒼空に
飛行機の高く飛べるを。 ♪~

 啄木の時代、飛行機は少年の夢や憬れの象徴でした。病気の母を抱え独学する少年。疲れた目で空を見上げれば、飛行機が高く飛んでいます。病魔に侵されながらも、希望を失わなかった啄木の姿が浮かびます。

土手の上のコブシも希望の春を待っています。
モクレンの花芽もしっかりと春を抱きしめています。

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  春を待つ田んぼでも、少しずつ作業が始まっているようです。荒起こしされた田んぼも少しずつ増えていっています。

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  寺田堤付近では、水仙の花が咲き始めました。
与謝野晶子の歌です。
  ~♪うつくしき 素足の冬の来りけり ちらほらと咲く 水仙の花 ♪~

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  土手を降りて、近くを流れる古川沿いへも行ってみました。
突然の訪問者に驚いて、慌てて鴨が飛び立ちました。
  田んぼ道の脇にナズナが、生えています。逆光で見ると、まるで光の衣を着ているようです。春はもうすぐです。
~♪ 畦道に いつ萌え出でしナズナ花 光の衣着て春を待つ ♪~

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  日が傾いてきて、赤みを帯びた光があたりを包み始めました。
夕日をあびて、枯れ草も水も一日の終わりを雄弁に語り始めます。

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  夕日が土手に沈みます。
空には、家族が揚げる凧が舞っています。
凧を詠った詩といえば、中村稔の「凧」ですね。

~♪ 「凧」
夜明けの空は風がふいて乾いていた
風がふきつけて凧がうごかなかった
うごかないのではなかった 空の高みに
たえず舞い颶(アガ)ろうとしているのだった

じじつたえず舞い颶っているのだった
ほそい紐で地上に繋がれていたから
風をこらえながら風にのって
こまかに平均をたもっているのだった
 …………
風がふきつけて凧が動かなかった
うごかないのではなかった 空の高みに
鳴っている唸りは聞きとりにくかったが ♪~

 「ああ記憶のそこに沈みゆく……」という、一番大事なフレーズは省略させていただきましたが、それにしても緊張感のある詩ですね。好きな詩です。
 では、「大寒」の写真はこのへんで。
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2018年1月12日 (金)

二十四節気「小寒」2018

 昨年は年の初めから、貧血と発熱と骨の痛みに苦しめられて、散歩写真に出掛けることがほとんどできませんでした。二十四節気をめぐる写真も、過去に撮った写真にリンクを貼るだけになりました。しかし、過去の写真へのリンクも一通り終わりました。

 ここで、二十四節気散歩写真のコーナーを終了すればいいのですが、細々ながらしつこく続けることにしました。
 節気の当日に撮影に行き、その日一日の写真で、その節気の写真にします。写真の量も質も、以前のものよりは下がるとは思いますが、仕方がないですね。もともとそんなによい写真が撮れていたわけではないので…。
 当日が雨や嵐だったらどうするか? まだ決めていません。 どうにかなっていくでしょう。先も長くないことですし…。

 1月6日は、二十四節気の「小寒」でした。「小寒」の日の当日は、冬型の寒い一日で、晴れたり、雪時雨が舞ったり、激しく天気が変化する真冬の一日でした。
  車から降りて土手の上に立てば、寒風が吹き抜けていきます。すべてが枯れて、風に揺れているばかり、写真にできそうなものは何もありません。後悔しきり…。
 雲間から突然、光が射してきました。

  ~♪ 遠山に 日の当たりたる 枯野かな ♪~

 これは高浜虚子の句ですが、光があることにより枯野が浮き立っています。何となく温かさや静寂を感じます。
 しかし、今のこの土手の風景は、風があまりに厳しいです。 寒い! 

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  土手の上で出会う動物と言えば、嫌われ者のカラスばかりです。今日は、何故かよく鳴いています。
 寒風に吹き晒されていると、村上昭夫のカラスの詩を思い出しました。
~♪ 鴉
あの声は寂寥を食べて生きてきたのだ
誰でも一度は鴉だったことがあるのだ
 ………
鴉の食べる食物を何時か見た
道に捨てられているけだもの腑を
川を流れてゆく
腑のような血のかたまりを

たがそれ等のすべては
人が己を他のいきもの達と区別する
高い知性や進歩する科学と
なんの変わりもないものなのだ

鴉はそれを食べて生きてきたのだ
誰でも一度は鴉だったことがあるのだ ♪~

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  何か写すものは無いかと、土手下の枯れた草むらに突入しました。
エノコログサ、セイタカアワダチソウ、オギ。みんな種子を抱いて枯れています。
枯れて可哀想と思うのは人の感覚。春にすべてを託す姿は美しい。
彼らはみんな風と友達。遠くまで種子を運んでもらえるから。
植物たちの生き方は、人の生き方とはあまりにも違うことに気づきます。

~♪名付けようのない季節 (吉野弘)
 ………
樹木がそのすべてを
少しのためらいもなく
春にゆだねようとしているのを見ると
そのすばらしさに胸をうたれる
そして気付く。ぼくらの季節が
あまりにも樹木の季節と違うことに
♪~

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  フカフカの綿毛に覆われたセイタカアワダチソウの種子。よく見ると温かそう。
栴檀の木の実を撮ろうと頑張っていると、突然の雪時雨。その後、光が差してきて、虹が出ました。突然のプレゼントでした。

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  Shoukan2018501貧血と寒さで指が痺れています。
 「小寒」の日の撮影は、ここまでです。

    では。また。 

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2017年12月29日 (金)

二十四節気「冬至」2017

 12月22日は、今年最後の二十四節気「冬至」でした。いよいよ今年も終わりですね。では、いつものように、「冬至」の頃の木津川土手や鴻ノ巣山へ散歩に出掛けましょう。ただし、過去の写真をパソコン上で見るだけですが…。

 年の瀬になると、大売り出しのセールだの、正月準備の買い物だの、大掃除だの、世間の動きに引きずられ、何となく心が落ち着かず、慌ただしさを感じます。しかし、実は、私はほとんど用事らしい用事も無く、ナマコかクラゲのように、毎日グダグダと骨のない生活をしています。

 ~♪ 憂きことを 海月(くらげ)に語る 海鼠(なまこ)かな ♪~

  江戸時代の俳人・黒柳召波の句ですが、自分のことを言われているようでなんとも面白いです。天の高いところから俯瞰すれば、人もまた、世間という海の底を這い回るナマコのような存在かも知れません。私などは、まちがいなくナマコ。いや、クラゲかな?  どっちもどっちか。

 最初に選んだ写真3枚は、道を行く人がいる何げない風景です。立ち止まって見ていると、何か静かで穏やかです。人は、どこから来てどこへ行くのでしょうね。
 慌ただしく過ぎ去っていった1年が夢のように思われます。

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  冬の散歩道で、ほっと心を和ませてくれるのは赤い実たちです。道端の枯れ草にまぎれて、ひっそりと小さな希望を抱くように輝いています。
ヒヨドリジョウゴ。ノイバラ。枯れたホオズキ。

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  土手に生えている欅や榎などの木々は、冬になりすっかり葉を落とし、立ちつくしています。空に向かって投げ上げられた投網のように広がるその姿は、様々な思いをかき立ててくれます。いろいろな詩人の心もとらえています。
 吉野弘さんの場合をみてみましょう。「樹木」という詩の一節です。

~♪ ………
今は冬。
落葉樹と人の呼ぶ樹々は大方、葉を散らし
あるものは縮れ乾いた葉を、まだ梢に残し
時折吹き寄せてくる風にいたぶられ
錫泊のように鳴っている。
地面に散り敷いた枯葉を私は踏み
砕ける音を聞く。

人の体験できない別の生が
樹の姿をとって林をなし
ひととき
淡い冬の日を浴びている。私と共に。 ♪~

 「樹が枝分かれするときの決断。無数の芽が兆すときの微熱。それが苦痛なのか歓喜なのか。樹の目標は何か、完成とは何か、人はなにも知らない。」「人の体験できない別の生」である樹木。淡い冬の日を浴びて、共にあることの不思議。生きるとは何か。ひとときの安らぎ…。

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  ~♪「冬の欅 遠景」(吉野弘)
 冬の間、葉をすっかり振り落とした欅の樹形は、遠くから眺めると、開いて空に貼りついた扇子の骨のようにも見える。
 弧を描いている樹形は、木の上を毎日通り過ぎてゆく太陽の軌道が決めたもののような気がして、ほほえましい。……その樹形が、東の空から出て西に沈む太陽の軌道を忠実に反映していることを、冬の間中、私に示してくれる。……♪~

 落葉樹と呼ばれる木々は、冬になると裸になって、太陽の軌道の形に鍛え上げた自らの骨を風に晒します。樹木は太陽の子どもですね。そんなことを確認できるのは、今の時期ならではです。
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  「人はかって樹だった」の詩人・長田弘さんも冬の巨木を詩にしています。
~♪「おおきな木」 
………
大きな木の冬もいい。……黙って、みあげる。黒く細い枝々が、懸命になって、空を掴もうとしている。けれども、灰色の空は、ゆっくりと旋るようにうごいている。冷たい風がくるくると、こころのへりをまわって、駆けだしてゆく。おおきな木の下に、何があるのだろう。何もないのだ。何もないけれど、木のおおきさとおなじだけの沈黙がある。
 ♪~

 詩人たちには、木の語る沈黙の言葉が聞こえているようですね。
木津川土手の大榎は、何を語っているのでしょう。明るい明日について?

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  透きとおるような冷たい青空かと思えば、突然の雪時雨。走る雲。光芒。冬の天気は変わりやすいです。ドラマ仕立て?

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  最初の頃は、宇治田原によく出掛けていました。懐かしいです。
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  冬の散歩は、日だまりで枯れていく草の中に、小さなドラマを発見する楽しみもあります。賑やかにお喋りする雀たちの群れに、出会うこともあります。土手に沈む夕日はいつも美しいです。……今年最後の更新でした。
~♪人間の 海鼠(なまこ)となりて 冬籠もる♪~ (寺田寅彦)
 良いお年をお迎え下さい。では。
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2017年12月22日 (金)

今年最後の撮影と吉野弘の詩

 最近は貧血も進み体調も良くない日が続いています。12月15日は風も無くうららかな小春日和となり、この日和に誘われて、木津川土手へ撮影に行ってきました。おそらく、今年最後の撮影ではないかと思います。
 大榎の傍に車を置き、歩いて長谷川河口へ。ここは今の時期、野茨の赤い実が鈴なりになり、日の光に輝いています。
 野茨の匍えた藪を歩こうものなら、鋭い棘で服はボロボロ、野茨は、人間からは嫌われものの植物です。しかし、私は野茨の花や赤い実に強く惹かれます。

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  私は、野茨の花や赤い実を見ると必ず、吉野弘さんの「つるばら」という詩をを思い出します。吉野弘さんといえば、「祝婚歌」や「I was born」という詩が代表作ですね。
 「祝婚歌」は、♪二人が睦まじくいるためには/愚かでいるほうがいい/立派すぎないほうがいい…♪と、夫婦の絶妙な関係を歌います。
  「I was born」では、英語を習い始めた少年が、英語で「生まれる」は、受け身で表現されていることを、新鮮な驚きをもって発見します。
 吉野さんは、平易な表現で読者の心を温かく包んでくれるような詩を書いた人だと思っている人もいると思いますが、それはちょっと違います。
私にとって、彼の代表作は、「つるばら」です。

~♪「つるばら」
まっすぐに立つ背を持たない
という非難と
侮蔑に
つるばらよ
どれだけ長く 耐えてきたろう。
 ………
まわりを
棘で威嚇して
心もとなく
つづいた
成長。

空と地の間を 横に這い進む
この成長には かすかな罪の匂いがある
向日性と向地性とのアイノコのような──。
 ………
ゆたかな葉と
その上にひらいた無数の花たちは
口のきけない人が
緑と真紅の絵の具だけにたよった
くるしい弁明のようだった。 ♪~

 吉野さんは、労働組合の書記長などを務める闘士でした。しかし、過労のため入院、療養生活に入り、労働運動から離れていきます。人間とは何かを深く思弁する中で、次第に詩人としての道を歩むようになったのです。
「まっすぐに立つ背を持たないという非難をあびながら、かすかな罪の匂いがある向日性と向地性とのアイノコのよう」に生きている人間性の本質を歌ったのです。
吉野さんの「何をつくった」の詩の一節です。

~♪労働者は何を作った
  いや
  労働者は何を作る?
  これからもずっと
  資本家の思いつきに合わせて?
  自分をつくってゆく?
  自分をこわしてゆく? ♪~

 労働者側に立ち資本に対峙しながらも、自らの肉体や生活を壊していく自分。まっすぐに立つことの難しさ、苦悩。このような深い人生の体験の中から、彼の人間的なやさしさが生まれてくるのです。私には、痛いほど理解できます。
 嫌われながらも、棘で威嚇しながら赤い実を守り続けようとする野茨。何かせつなく、何か温かさを保っているように思うのは、私だけでしょうか?

 長谷川河口の藪の中には、野茨と同じツル植物のキカラスウリの実もあります。橙色の実が、何とも温かです。
  倒れかかったた葦の穂。残り柿と野焼きの煙。
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  土手下の畑で冬ネギを収穫する夫婦。大榎を撫でる老夫婦。
夕日をあびる茶畑の残り柿。冬の風景は意外にも温かですね。
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  少し前になりますが、12月3日も小春日和の温かい一日でした。宇治川のダム湖をドライブしてきました。紅葉が残っていましたので、数枚シャッターを切りました。
 これで、今年の写真は終了です。 では。 また。

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2017年12月18日 (月)

二十四節気「大雪」・詩人と歩く

 今の二十四節気は「大雪」です。、雪の便りも本格化してきた「大雪」の頃。詩人と一緒に、木津川土手を散歩しましょう。(ただしパソコン上ですが…)

 散歩とは何でしょうか? 風景と対話しながら歩くことですね。決して体力づくりのためなどと急いではいけません。息が切れると、風景の言葉が聞こえなくなります。
 詩人の高田敏子さんも言っています。
~♪「じっと見ていると」 (高田敏子)
流れる雲を見ていたら
雲がいったのよ
「田舎のおばあちゃんが
ほしガキたくさん作っていますよ」
 ………
金色のイチョウの葉
きれいねと見とれていたら
「さよなら さよなら また来年ね」
風にふかれて 散っていった

なんでも じっと見ていると
聞こえてくる いろんなことば
いろんな おはなし  ♪~

 詩人の金子みすずさんは、生きているもの、そして存在するものすべてに意味を見出した詩人ですね。
~♪「みんなを好きに」
私はすきになりたいな、
何でもかんでもみいんな。
 ………
世界のものはみイんな、
神さまがおつくりになったもの。♪~

 「落ち葉のカルタ」、「雲」、「土」、「草の名」、「土と草」など、金子みすずさんと一緒に、木津川土手周辺を散歩したい方は、
二十四節気「大雪」2016前半へどうぞ → こちら

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  金子みすずさんは、どんな詩人か知りたい方は、僭越ながら私の解説でよろしければ、「金子みすずの詩を読む」へどうぞ → こちら
 「青い空」、「雲」、「このみち」、「日の光」、「さようなら」、「声」など、さらに金子みすずさんと一緒に、木津川土手周辺を散歩したい方は、
二十四節気「大雪」2016後半へどうぞ → こちら

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  詩人の茨木のり子さんの第Ⅱ詩集は、「見えない配達夫」です。季節を配る見えない配達夫。逝きやすい時代のこころを配る配達夫。茨木のり子さんの「見えない配達夫」に合わせて、木津川土手周辺を散歩したい方は、
二十四節気「大雪」2015後半へどうぞ → こちら

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  人生とは何でしょうか?
 茨木のり子さんは言います。(ぎらりと光るダイヤのような日より)
~♪
短い生涯
とてもとても短い生涯
六十年か七十年の
 ………
世界に別れを告げる日に
ひとは一生をふりかえって
じぶんが本当に生きた日が
あまりにすくなかったことに驚くだろう
♪~
 
 詩人の石垣りんさんも考えます。(私はこの頃より)
~♪
この美しい陽の照るきわに
花はどのように散り
木はどのように実るのであろうか
私はこのごろ不安な心で
滅びの支度について 考える――。
♪~

 美空ひばりさんは歌います。人生は川の流れのようだと…。芥川龍之介「大川の水」。世界民謡の「アフトン川の流れ」。広瀬川の「青葉城恋歌」。三好達治の「Enfance finie 」。ロマンロラン「魅せられたる魂」。「大岡川」など、川の流れに沿って自分の人生を振り返ります。
 二十四節気「大雪」・川の流れは、 → こちら

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  大震災以後注目されている詩人・和合亮一さんの詩集「木にたずねよ」より、「見上げる木」という詩です。
~♪
とても疲れているのに
こころを休める方法が分からない
それを考えすぎて
もっとくたびれてしまう
 ………
とても悲しいのに
伝える方法が分からない
それを考えすぎて いつも
あの大きな木を見上げてしまう
~♪

 冬すがたの大きな樹木に出会える、
二十四節気「大雪」2015・追加は、 → こちら 

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2017年12月 8日 (金)

二十四節気「大雪」2017

 12月7日は、二十四節気の一つ「大雪」でした。西日本の平地でも雪の便りが聞かれるようになりました。今年は、冬の進み方が早いようです。

~♪はかなくて
   木にも草にも いわれぬは
  心の底の思ひなりけり  ♪~

  江戸時代の歌人・香川景樹の歌です。木や草にも言うことができない心の思いって何でしょうか。言ってしまえば終わり、心の中だけで温めておきたい思い。何かそんな思いが心の中にあるような気がする冬の一日。小春日和です。温かな日だまりを求めて散歩に出掛けましょう。
 では、「大雪」の頃の散歩写真を紹介していきます。過去の「大雪」へのリンクということになりますが……。

 先ず2010年の「大雪」の頃です。この頃はまだ体調に異変はなく、木津川土手ばかりでなく、宇治川、背割り堤、宇治田原茶畑と撮影場所は広かったです。苦手の早朝も何とか頑張っていました。
 二十四節気「大雪」2010へのリンクは → こちら
 写真は、宇治川天ヶ瀬ダム湖。天ヶ瀬ダム下流の朝。興聖寺紅葉。

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  体力づくりも兼ねて、鴻ノ巣山へもよく散歩に行っていました。2011年の「大雪」は鴻ノ巣山の写真が中心です。
 九条武子の歌です。鴻ノ巣山とは、何かこの歌を思い出します…。
~♪ 何という足れる姿ぞ 山も海も はた生うる木も おのずからゆゑ  ♪~
  二十四節気「大雪」2011へのリンクは → こちら

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  木津川土手の散歩でよく行った場所に、近鉄木津川橋梁があります。夕日が綺麗ですが、太陽の位置関係から、撮影チャンスは冬の時期だけです。
 正月に向けてクワイの収穫。鴻ノ巣山の紅葉。以上3枚です。
  二十四節気「大雪」2012へのリンクは → こちら

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  今の時期、いたる所で枯れ草などを焼く作業が行われます。よく晴れて風のない日は、夕方の空気がうっすらと紫色に見えます。晩秋から初冬の何とも言えない空気感です。懐かしいような、寂しいような…。 三枚目は、鴻ノ巣山の紅葉です。
  二十四節気「大雪」2013へのリンクは → こちら

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  冬の散歩道を赤く彩るのが、ヒヨドリジョウゴなどの赤い実。
網目状に枯れたホオズキの実。
取り残されたイチジクの実は、イチジクの産地城陽市ではよくある光景です。小さな拳みたいです。悔しさを握りしめた……。
  二十四節気「大雪」2014へのリンクは → こちら

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2017年12月 2日 (土)

二十四節気「小雪」・鴻ノ巣山

 今は、二十四節気の「小雪」の時期に当たります。
 貧血が進んで来たため、ほんの近くなのにもう一年半ほど、鴻ノ巣山に行けていませんでした。「小雪」の小春日和の暖かさに誘われて、思い切って出掛けてきました。トボトボ歩きです。お婆さんに追い抜かされて…。

 鴻ノ巣山につながる水度神社の参道では、いつの間にか新しいヘアサロンがオープンしていました。店の看板は大きな時計です。時の流れを感じさせるかのるように…。
参道の木々はみな、紅葉して盛んに落ち葉を散らしています。

~♪「木」(まどみちお)
木が そこに立っているのは
それは木が
空にかきつづけている
きょうの日記です

あの太陽にむかって
なん十年
なん百年
一日一ときの休みなく
生きつづけている生命のきょうの……
  ………        ♪~

参道の木々たちは、しばらく会わない間にどんな日記を書いていたのでしょう。
今年の紅葉は、今を盛りに終わりが近づいています。
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  参道の石畳の上には、赤や黄色の落ち葉が風に吹かれています。
 石垣りんさんの「風」という詩を思い出しました。

~♪「風」 (石垣りん)
 ………
生まれたとき
人は舞い落ちた
一枚の木の葉

どこから?
どこかから。

そのときから
帰れない。
どうしても
帰れない。
 ………
みんな
あしたのほうへ
吹き寄せられてゆく。
 ………    ♪~

 人は木の葉。二度と帰れない落ち葉。漂泊感・締命感が漂っていますね。
 ダダイズムの詩人・高橋新吉さんの場合は、もっとストレートで強烈です。
 
~♪「落ち葉」 (高橋新吉)
生きるに及ばざるなり
死に果てて白く
風にさらされるべきなり
しぐるる雨のさびしさに
 ……
地に散りきし落ち葉なれば
何事もなく眠るべし ♪~

 落ち葉を見て思うことは、人それぞれですね。
私は高橋新吉派かな? どちらかといえば…。
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  鴻ノ巣山へつながる水度神社では、入り口の木がよく紅葉しています(最初の2枚の写真)。 3枚目は、私のお薦めポイントの紅葉のトンネル。

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  石垣りんさんに、「枯葉」という詩があります。
~♪ 「枯葉」
どいてくれないかな
木の葉は
言葉にならない
そんな要求の前に
少しずつ枯れ
少しずつ落ちていった

病み疲れたちちが
死にたい、とひとこともらした
私は言わなかった
負わされた生活が重荷だとは
 ………
木の葉がいたたまれなくなって
落ちていくのを
冷たい自分の
ひとつの仕打ちのために
おびただしい悔いが
降りつもるのを  ♪~

 石垣さんに背負わされた家族の重み。この詩は、ちょっと深刻ですね。
5千億円も社会保障費を削ったと自慢する首相がいる国では、特にそうですね。
写真は、お薦めポイントを散歩する人。散歩の人が行き交います。

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Shousetuknos0501 帰りは、すっかり日が傾いて、黒い影が長くくっきりと伸びていました。
その中を落ち葉がカサカサと、風に吹き寄せられていきます。どこへ?
 お気に入りの一枚が撮れました。 では。また。 

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2017年11月24日 (金)

二十四節気「小雪」2017

 11月22日は、二十四節気の「小雪」でした。高い山や北国からは、雪の便りも聞かれるようになりました。季節は、まっすぐに冬を進んでいます。

 私は少し訳あって、故郷の丹後半島へ帰省してきました。
ふるさとの海は荒れ、草は枯れ、強い北風が吹き荒れていました。
冬の荒れた日本海を前にすると、何故か背筋を正して見てしまいます。

~♪「岩と風」 高見順
声を立てずに
じっと坐って我慢している
岩よ
 ………
誰も君の苦しみは知らない
 ………
僕は知っています
僕は風だから
絶えず揺れて苦しんでいるから
だから僕は岩の苦しみも分かるのです
 ………
岩のようでありたいと思いながら
揺れ動いてやまない僕の苦しみを
君だけは知ってくれています
 ………
さようなら 苦しみの友よ
生きていたら また会おう ♪~

 ガンの闘病で死と向き合っていた高見さん。風のように揺れ動く苦しみ。黙して動かない岩の苦しみ。死と向き合う者にだけ分かる、生きることの苦しみ…。
 写真は、わが故郷のランドマーク・立岩(たていわ)です。冬の荒波にも堂々と向きあっています。荒れる海の上を飛ぶ鳶。スポット光をを浴びた屏風岩。
僅か数時間の滞在でしたので、写真はこれだけです。

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  先日、車で木津川土手に行ってみました。貧血のため、自転車では無理です。車でヒョイと行けるところだけです。
 木津川土手の大榎は、ゆっくりと黄葉を始めていました。
 寺田桜堤の欅や桜の紅葉は、もう終盤です。盛んに落ち葉を散らしています。

~♪「落ち葉」 高田敏子
木々はいま ひっきりなしに
葉をちらしている

私たちも あのように
はらい落とすことができたら……
かなしい思い出や
ときに 胸をさす悔いを
 ………    ♪~

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  ***これから後の写真は、過去の「小雪」の写真からです。***

  木津川土手は今、落ち葉の季節を迎えています。
~♪ ほれぼれと 日を抱く 庭の落葉哉 ♪~ (桜井吏登)
最後を迎えた落ち葉。じっと日を抱きしめている落ち葉。共感できますね。
田んぼの風景は、しだいに冬枯れていきます。

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  杜甫の漢詩。プロレタリア詩人の壺井重治さんや現代詩人の長田弘さんなど、詩人たちの言葉を聞きながら、さらに木津川土手を散歩したい方は、
二十四節気「小雪」2016へどうぞ → こちら

 今の時期、文化パルク城陽の桂の木が紅葉し、盛んに枯れ葉を散らしています。
 木津川土手では、葦原を風が渡っていきます。
 土手の上に夕焼け空が広がります。
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  ~♪「枯れ葉」 高田敏子
枯れ葉が鳴っている
ほんの少しの風にもゆれて
ささやきあっている

でもこんなひそやかな会話に
耳をすますのは
早すぎる月日の流れに気づく
おとなたちだけだ
 ………    ♪~
 高田さん、早すぎる月日に流されて、私は今ここに立っています。北風に葦がなびくこの場所に。
 詩人の小野十三郎さんや八木重吉さんの言葉を聞きながら、風に葦の穂が揺れる木津川土手を散歩したい方は、
二十四節気「小雪」2016続きへどうぞ → こちら

 木津川土手以外に、太陽が丘公園、宇治川、光明寺、宇治田原などの「小雪」の頃を散歩したい方は、二十四節気「小雪」2010へどうぞ → こちら

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2017年11月22日 (水)

二十四節気「立冬」過去の写真

 二十四節気ごとに散歩写真を更新するようになって、8年が経ってしまいました。
過去の「立冬」の写真へのリンクが、まだ少し残っていますので、年ごとに3枚ずつ選んでみました。(2010年~2013年)
  先ず、2010年の「立冬」の写真です。 
  2010年頃は、撮影場所の中心が隣町の宇治田原町でした。茶畑や残り柿、すすきなどの被写体を求めて出かけていました。
 すすきが揺れる茶畑。今はこの場所に、作業場の建物が…。
 宇治田原町高尾の残り柿風景。 蔦の紅葉。

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  2010年の「立冬」へのリンクは → こちら

 2011年の「立冬」の写真です。
 やはり宇治田原によく行っていました。しかも、時には朝早くから。朝靄に陽が差すと光芒がドラマチックです。
  木津川土手周辺で、小さなドラマを求めて散歩するようになりました。孫たちに昔話でもしているのでしょうか。藁地蔵たちも神妙にしています。光が無いのが残念。

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  2011年の「立冬」へのリンクは → こちら

 2012年の「立冬」の写真です。
 この年になると、身近な文化パルク城陽の紅葉や木津川土手の紅葉などが、中心となっていきます。
 散歩写真へのシフトが進み、小さな植物にも目が向くようになりました。

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  2012年の「立冬」へのリンクは → こちら

 2013年の「立冬」の写真です。
 ほとんどが散歩写真になりました。身近な被写体に視線がいっています。
 土手を走る耐寒走の子どもたち。
 葉を落とし冬枯れていく木々と散歩するお婆さんと孫。ほのぼの感があります。
 近くの街路樹の紅葉。

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  2013年の「立冬」へのリンクは → こちら
今年は、急に寒くなりました。今日、我が家では、ガスストーブを登場させました。

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2017年11月 9日 (木)

二十四節気「立冬」2017

 11月7日は、二十四節気の「立冬」でした。暦の上ではもう冬ですね。
風も少し冷たさを増してきて、初冬の日だまりで想い出にひたるのもいいですね。

  ~♪…冬が来る前に   もう一度 あの人とめぐり逢いたい♪~

  この曲は、 「紙ふうせん」というグループが40年前に発表した曲です。終わった夏の恋を歌っているようですね。今の時期には、ピッタリな名曲かと…。
この曲を聴きたい方は、 → こちら
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  あなたには、冬が来る前に逢いたい人はいますか?
私にはあります。私はその人に会うために、いつも木津川土手に出掛けるのです。

~♪「立冬の日に」
暦が冬を知らせた日
街路樹は色を変え葉を散らしている
野焼きの煙の中に無言の藁地蔵が立ちならび
畦道の野菊は最後の時をむかえている
私は今日も木津川の土手へと急ぐ
 
土手の坂道を登れば
空が大きく広がり私を迎えてくれる
土手の上に立てば北には比叡の山並み
田んぼでは冬支度をする人々の営み
冬の陽ざしはなぜか優しい

私は大切な人と会うためこの土手に来る
僅かに色を変える大榎の下に彼はいる
彼はいつものように語り始める
風景は時間の流れの中で
止めようもなくうつろっていく
本当に美しい風景は目を閉じて見るものだと

冬が始まった日  彼の目にした風景は
風になびく枯れススキ  欠けた夕月
遙かに渡っていく雁の影 

今は目を閉じても何も見えない 
風の音が聞こえるばかりだ
いつも無言で立ち去る彼は
私と同じ名前で呼ばれている    ♪~

 目を閉じてしか会えない彼。哀しみの中でしか会えない彼。
 止めようもなくうつろってゆく時間。その中に一人残される私…。
この詩に合わせて、彼と一緒に木津川土手を散歩したい方は、
二十四節気「立冬」2014へどうぞ → こちら

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  土手の上には青い空が広がり、コブシの木から赤い実が旅立とうとしています。
 ガマの穂の種子たちが、風に乗り盛んに旅立ちを始めています。

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  夕焼けはいつの季節でも美しいものですが、今の時期の夕焼けは、夏の夕焼けとは一味違う美しさです。
 オギの白い穂は赤く染まり、炎のように風に揺れています。誰かに別れを告げているかのように…。
 高田敏子さんの詩が頭をよぎります。

~♪「すすきの原」
さようなら さようなら
すすきの穂のくり返す
さようなら
 ………
私のまわりから いつとはなしに
時の流れのなかに
去っていった人たちのことがおもわれる
すすきの原  ♪~

 私もまた、時の流れのなかに去っていかねばなりません。すべての想い出を抱き、すすきの穂がさよならをくり返すなかを……。
 初冬のほんのり温かな陽ざしのなかを散歩したい方、または夕日に輝くオギを眺めたい方は、二十四節気「立冬」2016後編へどうぞ → こちら

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  田んぼ道に貼りつくように広がるイヌタデ。嘗ては「赤まんま」と呼ばれ、子どもたちに愛された花。今は余命少ない老人の感傷花。
  さらに、初冬の木津川土手周辺を散歩したい方は、
二十四節気「立冬」2016前編へどうぞ → こちら

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