日記・コラム・つぶやき

2017年6月 2日 (金)

40数年ぶりの再会

 Kyotoeki
  先日、40数年前の職場の同僚2人と再会することができました。
 京都駅中央改札の前で約束していましたが、直ぐ近くに立っていたにも拘わらずお互いが認識できず、携帯電話で話しながら確認しあうという状態でした。
 しかし、お互いを確認した後は、僅か数年間という付き合いだったにも拘わらず、その後の40年という時間の壁を遙かに超えて、何の違和感もなく、隔たりもなく、あの頃そのままに会話をすることができました。この後、3人で昼食を共にしながら、なつかしい時間を過ごしました。

 40数年前、私は、今回再会したM.Y子先生と共に、新採用教員としてY中学校に赴任しました。次の年に、U.K郎先生がやってきました。その後、M.Y子先生とは3年、U.K郎先生とは2年間の付き合いでした。3人が共有した時間は、人生全体から見れば僅かな時間でしかありません。半世紀近い前、3人の若者が偶然出会い、僅かな時間を共にし、そして別れていった、ただそれだけのことにすぎないのですが……。
 「民主教育」という言葉が、まだ輝きを持っていた時代。正しい教育のあり方を真剣に求めていた時代。自らの人間形成に大きな影響を受けた時代。そんな時代を必死に生きていたからこそ、心に深く想い出が刻まれているのだと思います。

 二人のことをほんの少しだけ紹介してみましょう。
  まず、M.Y子先生は、世界遺産の五箇山地方の出身です。少女時代は、学校へ行く前に軽く草刈りの一仕事。学校から帰ってからは、子守や夕食の支度などが日々の日課だったそうです。米作りと養蚕もやっていたため、桑の葉の取り入れから、田んぼの草とりから、農作業の手伝いは膨大だったそうです。
 「それでよくK大に合格できましたね。」と言うと、
 「世の中のすべての人が、そういう生活をしているものと、長い間思っていました。」でした。彼女にとっては、ごく普通の生活だったようです。
 大学時代の彼女は演劇部で活躍。その後、愛する先輩の後を追って京都府に就職。
 遠距離恋愛を実らせて結婚。ご主人は、高校の先生だったそうですが、定年退職後、請われて市会議員に。現在2期目に入っているそうです。家事に、合唱団に、諸活動に、持ち前の体力と精神力で忙しくしているようです。

  U.K郎先生は九州男児。九州のK大卒業。私などは、レールの上をただ平凡に走りたがる人間ですが、彼の場合は少し波乱に富んでいるようです。
 その後、しばらくして教師を退職。上を目ざして大学院へと進学。卒業後、まだネットビジネスが世間で広がる前に、ネットのプラットホーム作りを手がけたり、不動産に係わったり、いろいろやったそうです。数千万円の損を被ったこともあるとか。ネットビジネスに成功していれば、億万長者になったかも…。その後は、大阪の某有名進学校の英語教師として勤務。昨年退職を迎えたそうです。いつも前向きな彼は、まだまだこれから、人生を冒険していきそうです。

  「それじゃあ、また。」・・・二人とは、京都駅の雑踏の中で別れました。
  別れた後、言い知れぬ寂しさが湧いてきて、あの頃の想い出をたどりながら、雑踏の中を歩きました。
 半世紀近い時間を超えて、三人が心の中に共有していたものは何なのでしょうか。
 ひたむきな希望のようなもの。情熱のようなもの。時代の風のようなもの。それは、決して言葉では語ることのできない何かです。
  ・・・さよなら。また、いつかどこかで・・・・。
           ******
  「私はもう長くは生きられない。なつかしい人に再会し、お別れの言葉を言おう。」これが、今の私の目標です。
 人は記憶を失えば、自分が何者であるかさえ解らなくなってしまいます。つまり、自分の人生とは、自分自身の想い出の連鎖なのです。なつかしい想い出の人に再会するということは、その頃の自分の人生に再会するということです。
人生の節目で出会った人と再会し、想い出を語り合い、過ぎ去った自分自身の人生を再確認し、そして二度と帰らぬ日々に別れを告げていこうというわけです。
 話をしたい人はたくさんいるのですが、少々体調が思うようにいかないです。
                  では。 また。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2017年4月28日 (金)

故郷の父母の墓参り

 先日の定期診察は、私にとっては、ちょっと重要な意味がありました。
 まず、初めて輸血をうけました。輸血前がHb=5.6という状態だったため、輸血後は急に貧血症状が良くなったように思われました。
  毎日必ず発熱して体の骨が痛み出し、歩行も困難という症状について、私はものすごく異常性を感じていましたが、そのことについて医師の言葉がありました。
  「白血病への転化又は、骨髄のがん(骨髄腫)の可能性!」
  検査はこれからですが、もしこのことが正しければ、私に残された時間は極めて限られていることは明らかです。まあ、そうでなくても限られているんですけどね…。
 現時点では、輸血で貧血が少し改善し、骨の痛みは痛み止めで抑えることができています。この機会を逃すことはないですね。体が動ける間に父母の墓参りに行かねば・・・・。善は急げです。

  昨日、思い切って車で故郷、丹後半島を目ざしました。故郷の風景や親類、墓の中の父や母に最後のお別れを言うつもりです。

 人には、人それぞれに故郷があります。
 中原中也の「帰郷」では、挫折感と漂泊感を滲ませ次のように歌います。
   ~♪ ・・・・
      これが私の故里だ
      さやかにも風も吹いている
      ・・・・
      ああ おまえはなにをして来たのだと・・・・
      吹き来る風が私に云う       ♪~

 室尾犀星の「小景異情」は有名ですね。
   ~♪ ふるさとは遠きにありて思うもの
      そして悲しくうたうもの
            ・・・・                   ♪~

 井上靖は散文詩「ふるさと」の中で、~♪私の最も好きなのは、論語にある”父母国”という呼び方で、わが日本に於ても、これに勝るものはなさそうだ。
 ”ふるさと”はまことに”ちちははの国”なのである。
 ああ、ふるさとの山河よ、ちちははの国よ、風よ、陽よ。♪~  と詠っています。

 私の場合は、井上靖氏の「ああ、ふるさとの山河よ、ちちははの国よ、風よ、陽よ。」に大いに共感します。
 私は6人兄弟の末っ子だっために、多くの兄弟にまぎれて親孝行など考えたこともなかったです。初めての給料で親に何かプレゼントしたでしょうか。していません。親の誕生日なども意識したことはないです。母の日も…。親の愛を受け取るだけ受け取って、お返しは無しです。両親は何を思っていたのでしょう。考えると情けない気分です。

 昼頃海岸に到着しました。
 石室古墳がある岬の上では、ハマダイコンが出迎えてくれました。
 眼下に見えるのが「立岩」。海岸に立つ故郷のランドマークです。
 犬ヶ岬。三角形の岩が特徴的。子どものころからの見慣れた目印。
 墓に到着。花と線香を供えてお祈り。目を閉じて、脳裏に浮かぶ父と母に対面。
 この後、実家に寄り食事を頂きました。
Tango01Tango02Tango03  

 

 

 
   

 

 Tango04_2
  出発の時、町はずれの浜に夕日が沈みます。
  懺悔の一日は静かに終わっていきます。
  私は、父と母から許されたのでしょうか? 
  脳裏に浮かんだ父と   母は何故か無言。
  吹き去る風は何も云ってはくれません。

 

   ふるさとは遠きにありて思うもの そして悲しくうたうもの」。なのでしょうか?
ただ、後悔…。懺悔…。

 体の疲労度から言えば、かなり無謀な計画でした。   では。また。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2017年1月 1日 (日)

謹賀新年 2017

 新年おめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
 みなさんにとって、良いお年であることをお祈りします。

 さて、新年早々縁起の良くないことを言うようですが、私の場合、貧血症状、発熱、脇腹から背中にかけての圧迫感、悪夢、寝汗、足の痺れなど体調不良に苦しんでいます。年末から38℃台の発熱で、引きこもり生活の新年となりました。
 今年一年は、なんとか生き延びたいと希望していますが、さてどうなるか予想はできません。今年一年、残り少ない日々を一日一日を大切にして、淡々と生きていくしかありません。
 
 「一日一日を大切に生きる」とは、どんな生き方でしょうね。
 今年一年、これが私のテーマです。おそらく結論はないですけどね。
 いろいろな詩人の死生観や人生観を追っていけたらいいなと思います。
 難しそうですね。
 
 それからお詫びです。昨年は喪中のため年賀状は遠慮させていただきました。今年は、私の気力が無かったため、年賀状は作れませんでした。申し訳ないです。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2016年7月 8日 (金)

突然の広島見学

 突然ですが、先日、日帰りで広島へ行ってきました。夏空の広がる暑い日でした。
 
 私の人生も終りが近づいています。何とか動ける間に、行っておきたい場所がいくつかありますが、広島はそのうちの一つです。
 広島へは、過去に何度も行ったことがあります。修学旅行の引率、原水禁の世界大会、教育研究会などです。しかし今、平和資料館がどんなだったか、原爆ドームがどんな姿だったか、遙か遠いかすかな記憶しか残っていないのです。
 私たちの世代は、憲法と原爆、反戦と平和の声の中で少年時代を過ごしてきたという思いがあります。それこそが、私自身の人生の原点だと思っています。
 鮮やかな記憶といえば、修学旅行で資料館の近くに生徒を整列させた時、コンクリートの隙間にコケが生えていたことだけです。なぜそんな記憶しか残っていないのか、いったい、今まで自分は何をしてきたのか、どう生きてきたのか、自分の原点を考える広島行きです。

 路面電車に乗り、原爆ドーム前へ。 保存工事中。
Hiroshima101Hiroshima102Hiroshima103  

 

 

 

   原爆ドームの撮影は、アングルが限られます。巨大な商業ビルが建設され、ドームを青い夏空に抜くことができないからです。景観とは、空の表情も含めたものだと思います。広い空があって初めて風景が成立するように思うのですが・・・、景観論争は無かったのでしょうか、今や原爆ドームも単なる観光資源なのでしょうかか、気になります。
Hiroshima201Hiroshima202Hiroshima203  

 

 

 

    原爆死没者慰霊碑へ。
 外国人観光客は大変多いです。世界的に広がっているようです。良いことですね。
 慰霊碑のドームの向こうに、丁度、原爆ドームが見える仕掛けになってぃます。だったら、この景観は保全したかったですね。ビルがちょっと邪魔です。経済優先の世の中だから仕方がないのかも・・・。
Hiroshima301Hiroshima302Hiroshima303  

 

 

 

   「原爆の子の像」へ。
 白血病にかかり病床で折り鶴を折り続けた佐々木禎子さん。湯川秀樹博士の筆による「地に空に平和」の文字が彫られた銅鐸型の鐘。祈りの折り鶴。修学旅行生と思われる生徒たちの黙祷。
 「義務教育の平和学習の総仕上げとして広島・長崎への修学旅行を・・・」、そんなことが教育界の常識のように語られていた時代は終わり、私の住む地域では、教育現場から「平和教育」という言葉すら消えようとしています。修学旅行に広島・長崎を選択する学校は、一校も無くなったと聞きます。
Hiroshima402Hiroshima403Hiroshima401  

 

 

 

 

    ~ 原爆詩集   序     (峠三吉)
         ちちをかえせ ははをかえせ
    としよりをかえせ
     こどもをかえせ
    わたしをかえせ わたしにつながる
         にんげんをかえせ
         ・・・・    ~

 平和資料館へ。資料館前の噴水。
 展示室の入り口正面の写真。 助け合う人々の様子。
Hiroshima501Hiroshima501_01Hiroshima501_02  

 

 

 

   戦後70年。70年前に間違いなくあった事実に向き合います。
    ~ 八月六日  (峠三吉)
    あの閃光が忘れえようか
    瞬時に街頭の三万は消え
    圧しつぶされた暗闇の底で
    五万の悲鳴は絶え
        ・・・・      ~
Hiroshima602Hiroshima603Hiroshima601  

 

 

 

   影を残して逝った人も、焼けた三輪車の子供も。 弁当を食べるることなく熱戦に焼かれた人も、何処へ行ってしまったのでしょうか? 問いかけても展示物は無言です。

   ~にんげんの にんげんのよのあるかぎり
   くずれぬへいわを
   へいわをかえせ   ~
Hiroshima701_01Hiroshima701_02Hiroshima702  

 

 

 

   戦争の責任は曖昧にされ、その後の原発事故でも、誰も責任を問われることなく、憲法が公然と無視され始めた今の時代、反戦・平和の原点に帰ることが必要だと思うのは、私だけではないはずです。

   ~   その日はいつか  (峠三吉)  
     ・・・・
     原爆の光りが放たれ
     国民二十数万の命を瞬時に奪った事実に対し
     底深くめざめゆく憤怒を誰が圧さええよう
    この図のまえに自分の歩みを誓わせ
     この歴史のまえに未来を悔あらしめぬよう     ~

 お別れの写真は、黒い雨の痕。祈りを捧げる浄土宗青年部の皆さん。 では。また。
Hiroshima801Hiroshima802  Hiroshima803

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2016年4月23日 (土)

独身生活中

 妻が介護のため実家に帰りましたので、しばらくの間、独身生活を始めます。散歩写真は控えめにして、家事と読書を中心にした生活を送る予定です。

 家事で大変なのは、三度の食事とその後片付け。
 それに加え様々な雑事。
  風呂の準備と片付け。時々、掃除、洗濯、トイレの掃除。
  ゴミ出し(本市は毎日違う種類のゴミを出すシステムです)。時々ゴミ当番。
  薬の管理も妻任せにしていたので、飲み忘れそうな予感が・・・。

  0001blob_01 軽いながらも糖尿病患者なもので、食事の目標は一日1800~1600kcal。低炭水化物。一日350g以上の野菜摂取です。
 買い物は三日に一度くらい、近くのスーパーへ。
  食器棚にメモを貼り付けて、三日単位で食糧計画を立てます。写真の右側の小さい用紙は、食材の購入リスト。気がつきしだい書き出しておきます。買った食材をすべて使い切るメニューの組み合わせが大変そうですね。そのうち、あまった食材でトンデモ創作料理が登場しそうです。

  昔、独身だった職場の同僚が、「常設鍋」と呼ぶべきような方法で食事を作っていたのを思い出します。部屋の真ん中にコンロと鍋が設置されていて、これに野菜や肉など何でも適当に投げ込んで、何日間も食べ続けるわけです。何日かすると、肉や魚の出汁が出て、何とも言えない濃厚スープ状態になっていきます。部屋に行くと、手づかみで白菜などを投げ込んで歓迎してくれたものです。懐かしいです。
 なかなか合理的な方法であることは確かですが、今はちょっと・・・。
 
心配事は?・・・、風呂で倒れたら助けてくれる人がいない。 これは、諦めるしかないということで、たいした問題ではないですね。   では。また。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2016年2月28日 (日)

アンデルセン童話の想い出など

 先日、図書館からアンデルセン童話の翻訳本を借りて読みました。アンデルセンと言えば、「マッチ売りの少女」、「みにくいアヒルの子」、「人魚姫」、「親指姫」など、日本でもよく知られた作品が多いですね。今日は、アンデルセンの童話について、雑感や想い出などを書いてみます。

  児童文学という分野は、十九世紀中頃にヨーロッパで盛んになりました。今よりも遙かに乳幼児死亡率の高かった時代にあっては、子どもの死は身近な問題でした。早くに死んでいく子どもたちのことをどう考えるのか、自分を含めて、死んだ子どもの魂がどのように救済されるのか重要なテーマでした。
 ロマン主義の影響を受けたアンデルセンは、深いキリスト教の信仰に、土着の北欧神話を融合させ、神話や妖精物語を基盤とする豊かな詩情あふれる物語を紡ぎ出しました。
 その物語により、人々は、貧困や早死にといった生きる苦しみに意味を見出し、それを受容して心の安らぎを得ることができました。愛する子どもの死にあたっては、子どもの死は生命の終わりではなく、死後の世界で幸福に生きていると描きくことで、死の悲しみを癒やす働きも持っていました。
 十九世紀、児童文学といえるものの最初の幕を開けたのが、デンマークのアンデルセンだったのです。

 子どもの死について書かれたアンデルセン童話「天使」では、「よい子が死ぬと、そのたびに神様の天使がこの世におりてきます。」という書き出しで始まります。そして、最後に、死んだ子どもたちは天使となり、枯れた花さえも蘇り、すべてが一緒になって喜びの賛歌を歌うのです。この喜びに溢れた世界こそ、宇宙の中心にユグドラシルという巨木をすえる北欧神話の調和体系と、キリスト教的な神の愛とを融合させた、アンデルセン特有の世界なのです。

 「マッチ売りの少女」は、実に悲劇的に死んだ貧しい少女の話ですが、どこか明るく救われるような感覚が湧き上がってきます。これは、現実の死の悲しみを超えて、喜びに溢れた世界への魂の救済を描こうとしたアンデルセンの死生観によるものと思います。
 「マッチ売りの少女」の最後の部分をみるとよく分かります。書き出してみます。

 ~♪ おばあさんは、少女をそのうでに抱きました。 二人は、輝く光と喜びに包まれ、高く、高くのぼっていきました。そこはもう寒くもなく、空腹もなく、不安もないところ――神さまのみもとにめされたのです。
 けれど、夜明けの寒さの中、かわいそうな少女は壁にもたれて座っていました。 薔薇のように頬を赤くし、口もとには微笑みを浮かべ、死んでいたのです。――凍えるほど寒い大みそかの夜のことでした。
 その子は燃え尽きた一束のマッチをぎりしめていました。「あったかくしようと思ったんだね」と人々は言いました。だれも知らなかったのです。 少女の見たものがどんなに美しく、どんな光につつまれて、おばあさんといっしょに、新しい年の喜びをお祝いしにいったかを! ♪~
 
  私が最初にアンデルセン童話に接したのは、小学の低学年の頃だったと思います。
 私の出身は、僻地と呼ばれるような小さな田舎町です。この町には、今でもあるかどうか定かではないですが、小さな教会がありました。この教会の日曜学校に参加していた友達の「お菓子がもらえる」という言葉に誘われ、日曜学校なるものに初めて行きました。ここで、スライドを使って一つの物語を聞かされました。断片的な記憶しかないですが、次のような話です・・・・。
 ・・・綺麗な服を着た可愛い女の子がいて、この子は、服が汚れるのを嫌がって、持っていたパンを踏みつけてにして、水溜まりを歩こうとしたのです。たちまち神により地獄に落とされ、身動きできない状態で蛇やムカデと暮らすことになるのです・・・・。

 「可愛い女の子に何とうことをするんだ~! 神は悪すぎる!」 これが私の感想でした。以後、二度と日曜学校に行ったことはなかったです。私は、このころから「可愛い女の子好き」だったようです。神より女の子ですね。やがて少女は小鳥になり、自分が踏んだと同じ量のパンを集めて、他の小鳥に分け与えたとき、許されて天へと登っていくのですが、こんな結末は私の頭にはまったく残っていなかったです。
 この物語が、アンデルセン童話の「パンを踏んだ女の子」であることを知ったのは、恥ずかしいですが、人生の後半になってからのことです。キリスト教に触れたこともなく、粗野な小学生だった私には、アンデルセン童話の理解は難しすぎたようです。
 
 「貧困」や「死」ということが身近ではない現代の子どもには、「マッチ売りの少女」は、単なる悲劇の物語でしかないような気がしますが、どうなんでしょうね?
 アンデルセン童話、子どもよりも大人の方が楽しめるかも知れません。
    お薦めします。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2016年1月17日 (日)

散歩写真を考える

 写真を撮るようになって20年近くが過ぎました。かっては写真の腕を上げようと、写真雑誌を買ってきては勉強していました。上手な人の撮る風景写真は、朝や夕方のドラマチックな光、雪や雨や霧などの動的な気象条件を活かした、絶景ポイントでの写真です。このような写真に少しでも近づこうと努力していました。有名撮影地にも出かけてきました。しかし、人の後追いをしても、所詮それは真似に過ぎないのです。途中から考え方が変わり、自分にとって意味のある写真の楽しみ方を求め始めました。そこで始めたのが散歩写真です。散歩写真とは何でしょうか。人により散歩写真の意味は大きく違うと思います。本格的な風景写真よりも格下で、手軽に撮る写真という意味で使う人もいます。私もそのような意味で使うことも多いですが・・・・。
 以下、私なりの「散歩写真」について書いてみます。

   【私の目指す散歩写真】
  時の流れは決して止まることはありません。一日は24時間であり、一日の長さは誰にとっても平等です。しかし、人それぞれが持っている時間の感覚は、みんな違っていると思います。
 私はかって、一日の時間を切り刻み、時間に急き立てられるように生きてきました。しかし今は、時間の刻みは二十四節気という大きな刻みで、季節の変化を友にして生きています。季節の時間は、行きつ戻りつ、ゆったりと流れています。
 ゆったりと流れる時間の中で何処かへ行こうかとも、何をしようかとも考えることなく、急がず、心をゆったりとしてただ歩く、それが散歩です。
 ゆったりとした時間の中にあるとき、人は遠くを見ます。例えば、山を登るのを止めて休息するとき、人は遠くを見ます。今まで自分の登ってきた道やこれから登る頂き、そして遙か遠くの景色を見ます。そして、自分の立っている場所や位置、到達点を確認するのです。この時、人は自らの存在を風景の中で俯瞰的に見ているのです。散歩写真に必要なものは、この「遠くを見つめる」ということであると思います。
 島崎藤村の「小諸なる古城のほとり」という詩は、まさに「遠くを見つめる」眼差しで成立しているように思います。流れる雲をを仰ぐ遊子。風景の中に佇む自分自身を見ています。
~♪ 小諸なる古城のほとり
   雲白く遊子悲しむ
   緑なすはこべは萌えず
   若草も藉くによしなし
   しろがねの衾の岡邊
   日に溶けて淡雪流る ♪~

  また、何気ない、ありきたりの風景の中に、一瞬何か新鮮なものを感じたりします。例えば、山道を歩いているとき、ふと足下に小さな花が咲いているのに気づき、ハッとすることがあります。「何気ない一瞬の気づき」です。今まで心の中で忘れていたもの、失われていたものを取り戻させてくれる新鮮な何かに気づくことです。
 散歩写真に必要なものは、この「何気ない発見」だと思います。
 まど・みちおさんの詩は、普遍的なものにつながる、「小さな発見」がテーマになっています。私の好きな詩を一つ。 するめの形は矢印の形。大発見です。なぜ?
   ~♪ するめ  (まど・みちお)
    とうとう
    やじるしに なって
    きいている
    
    うみは
    あちらですかと・・・♪~

 ゆったりとした時間の中に身を置き、風景の中で自分自身を俯瞰すること、また、ふとした何気ない、心をハッとさせるような発見をこと。これが私の目指す散歩写真です。

  散歩写真について好き勝手に書きましたが、実際に写真にするとなると、なかなか厳しいですね。まあ、目指すものということで・・・・、お許しください。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2016年1月 3日 (日)

謹賀新年2016

 新年明けましておめでとうございます。まずは、みなさんの一年が良い年であることをお祈りします。
 私の場合、昨年の9月末より病魔の連続攻撃に遭い、すっかり体力を消耗してしまいました。今年は、少しましな年になることを願っています。今は家でゆっくりと休養生活をしています。
  不十分ながらも、今年も散歩写真の撮影を続けていこうと思います。よろしくお願いします。
  今日は、暇に任せて、昨年一年間の二十四節気散歩写真の中から、季節ごとに6枚、合計24枚を選んでみました。

 まず、昨年の新年は雪で始まりましたね。城陽市のいちじく畑と宇治田原の茶畑です。 冬と言えばマラソンですね。木津川土手で行われた久御山マラソンです。
1to2gatu0011to2gatu0031to2gatu002  

 

 

 

   雪が終わると、冬日よりの中、田や畑の冬の作業が始まりました。
 城陽市青谷梅林では、梅が花盛りになりました。
1to2gatu0043to4gatu0013to4gatu002  

 

 

 

   梅が終わると桜の開花です。近鉄富野鉄橋付近です。桜につづいて、古川土手ではカラシナが満開となりました。
  この頃、城陽市特産寺田芋の植え付けも終わりました。
3to4gatu0043to4gatu0035to6gatu001  

 

 

 

   田んぼでは田植え準備が進みます。土手の上は、アカツメグサが満開となりました。  やがて土手の主役は、たよりなさそうに風に揺れるツバナが目立ち始めます。
5to6gatu0035to6gatu0025to6gatu004  

 

 

 

   雨の季節が終わと暑い夏がやってきて、ハスの花が満開となりました。昨年の夏は、特に暑い夏でしたね。いろいろと・・・。
7to8gatu0047to8gatu0027to8gatu001

 

 

 

    夏の終わりは、夕日が美しいです。
 秋の始まりはツルボ、そして彼岸花。
7to8gatu0039to10gatu0039to10gatu001  

 

 

 

   稲刈りが終わると、やがて晩秋。畦道には野菊。夕日に照らされた野焼きの煙が物寂しい頃です。
9to10gatu0049to10gatu00211to112gatu001  

 

 

 

   蜘蛛のバルーニング。土手の欅の紅葉。オギやアシの河原に沈む夕日。
  以上、昨年の散歩写真で、一年の季節を巡ってみました。今年は、どんな年になるのでしょうか。季節の変化は、きっと約束をたがえません。必ず果たされる約束があることは希望です。       では。また。
11to112gatu00211to112gatu00311to112gatu004

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2015年12月 7日 (月)

物干し台読書

Soukourittou91501  最近、晴れた日はいつも物干し台に出て読書をしています。今日もよい天気でした。背中に太陽を受けると、温かくて気持ちがいいです。本を読むのに疲れると、ぼんやりと青い空を見上げたりしています。

 青い空を見上げると白い雲が流れてゆきます。遠くの方で、犬の吠え声が聞こえます。石油販売車の流す歌がが聞こえたりします。鳥のさえずりも聞こえます。道で人が立ち話をする声が聞こえます。生き物たちの声や雑然とした生活の響きにつつまれていると、以前どこかで経験したことがあるような、言葉にはできない不思議な感覚に囚われます。今ここに生きていることの幸福感や、自分はどこから来て、なぜここにいるのかという孤独感・漂泊感・挫折感のようなものが、混然と一体となった不思議な感覚です。

 この不思議な感覚の底の方には、高校生の頃愛読していたヘルマン・ヘッセの「郷愁」があるような気がします。
 「郷愁」は、自然を友として成長した主人公ペーターが、故郷を離れ人生の旅に出ます。恋や様々な経験を積み重ねますが、やがて挫折し故郷に帰ります。そして、故郷でのささやかな生活の中で再び自分を発見する、というような物語です。私と同世代以上の人にとっては、「車輪の下」とともに、よく読まれた作品だと思います。
 青春時代、故郷の屋根裏部屋で読書の喜びに目覚めたペーターが抱いた感慨が書かれた「郷愁」の一節を書き出してみます。
 ♪・・・・狭い明かり取りの窓から頭を突き出すと、屋根や狭い小路に太陽の照るのが見え、仕事や日常生活のささやかなざわめきが雑然とのぼって来るのが異様に聞こえ、偉大な精神に満たされた屋根裏べやの孤独と神秘が、ことのほか美しいおとぎ話のように私を取り巻くのが感じられた。・・・・♪
 また、次のような一節もあります。
 ♪ おお、雲よ、美しい、ただよう、休むことのないものよ! 私は、無知な子どもだったが、雲を愛し、見つめた。そして自分も雲として・・・さすらいながら、どこにいっても親しまず、時間と永遠の間をただよいながら、人生を渡っていくだろう・・・♪

  この不思議な感覚の底には、ヴェルレエーヌの詩も深く沈殿しているように思います。ヴェルレエーヌの詩は、20代の頃よく読んでいました。
 永井荷風訳の「偶成」を書き出してみます。
   ~♪ 偶成   (ヴェルレエーヌ)
空は屋根のかなたに
  かくも静にかくも青し。
樹は屋根のかなたに
  青き葉をゆする。

打仰ぐ空高く御寺の鐘は
  やはらかに鳴る。
打仰ぐ樹の上に鳥は
  かなしく歌ふ。

あゝ神よ。質朴なる人生は
  かしこなりけり。
かの平和なる物のひゞきは
  街より来る。

君、過ぎし日に何をかなせし。
  君今こゝに唯だ嘆く。
語れや、君、そもそもわかき折
  なにをかなせし。

 孤独感。漂泊感。青い空を流れる雲への憧れ。ささやかな希望。不安。ほんの少しの達成感。そして、挫折。そんな感情を一杯に抱きながら過ごした青春時代。そんな時代が私にも確かにあったのです。ぼんやりと青い空を見るとき、心の奥底に堆積していたその時代の感覚が、時として懐かしいような、不思議な感覚として湧き上がってくるのだと思います。
 ゆったりと流れる時間の中で、青い空と白い雲をぼんやり見ることは、自分の心の奥底に堆積していた過去と、無言の言葉で対話する方法なのかも知れません。
 決して言葉では語ることのできない様々な感情や想い出の断片。他人からは知られることなく、心の奥底に沈殿した無言の堆積物。おそらく人生と呼ばれるものは、これらの堆積物の集合に他ならないのではないか、そんな気がしてきます。

 ヘルマン・ヘッセの「郷愁」、「車輪の下」。
 「ヴェルレーヌ詩集」。     お薦めします。

| | コメント (10) | トラックバック (0)

2015年10月29日 (木)

風を考える

  最近体調不良で、毎日ゴロゴロと日を送っています。暇に任せ、「風」についていろいろ書いてみました。

  人はどこから来て、どこへゆくのでしょうか。人はいつの間にかこの世にあり、やがてどこかへ消えていきます。風もまた、絶えることなく、どこからか吹いてきて、どこかへ吹き去ってゆきます。人の一生は、風のようなものではないかと思えてきます。
 徳富蘆花は、「湘南雑筆」の中で、雨と比較して、風は「過ぎ行く人生の声なり」と書いています。
 ・・・・雨は人を慰む、人の心を医す、人の気を和平ならしむ。真に人を哀しむるものは、雨にあらずして風なり。飄然として何処よりともなく来り、飄然として何処へともなく去る。初めなく、終りを知らず、蕭蕭として過ぐれば、人の腸を断つ。風は、過ぎ行く人生の声なり。何処より来りて何処に去るを知らぬ「人」は、この声を聞いて悲しむ。「春秋も、涼む夕べも、凩も、あわれに風に限るなりけり」。古人已にいう。・・・・
  蘆花にとって風とは、人生の漂泊感や無常感、悲しみの声なのです。

  昨年亡くなった詩人・長田弘さんは、アンデルセンの童話について書いた作品、「風は物語る」で、次のように書いておられます。
 ・・・・人生は一冊の本だ。風だけが読むことのできる一冊の本だ。風が枝や葉をざわざわさせてふきぬけてゆく。風の音は、風がものいわぬ本のページをめくっていく音である。物語を読むとは、そうしたものいわぬ一冊の本を開いて、語られることなく生きられた1コの物語をそこに読むということなのだ。・・・・

 「人生とは、風だけが読むことのできる一冊の本だ。」 風にしか読まれることのない人の一生。人間存在の漂泊感、無常感や悲しさ。ザワザワと木の葉を揺らし吹き抜けていく風の中には、言葉では語ることのできない無言の世界が広がっています。

  不断に時は流れ、季節はうつろっていきます。うつろう季節を運ぶのは風です。人は、風の中にうつろう季節を感じとります。古今集・藤原敏行の歌にも詠まれています。
  ~♪ 秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる ♪~
  また、風は季節を語ります。大伴家持の歌です。
  ~♪ 今よりは 秋風寒く 吹きなむを  いかにかひとり 長き夜を寝む  ♪~
(これから秋風が寒く吹くのに、どのように一人で長い夜を寝たらよいのでしょう)

  日本文学の古典「枕草子」。清少納言は、風をどのように書いているのでしょうか。ちょっと気になりますね。 枕草子第187段です。
  ~♪ 風は、嵐。
  三月ばかりの夕暮れに、ゆるく吹きたる雨風。
  八、九月ばかりに、雨にまじりて吹きたる風、いとあはれなり。
  ・・・・暁に格子、妻戸をおしあけたれば、嵐の、さと顔にしみたるこそ、いみじく  をかしけれ。・・・・♪~

  清少納言は、「風は、嵐」、また、「野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ」と、きっぱり書いています。中宮定子を支えて、宮中の風を巧みに受け流しながら生きた清少納言にとって、風は、「あはれにをかしけれ」だったのでしょう。芯のの強そうな女性ですね。 「嵐に向かって立つ」。軟弱な私にはちょっと似合わないです。

  フォーク歌手・ボブ・ディランは、「風に吹かれて」(Blowin' In The Wind)で、公民権運動や平和について歌いました。私と同世代の人はたいてい知っている歌と思います。
  ~♪ How many roads must a man walk down
     ・・・・
    The answer my friend is blowin' in the wind (友よ答えは風の中にある)
     The answer is blowin' in the wind    (答えは風の中にある.) ・・・♪~

  「友よ答えは風の中にある」と歌いますが、遙かに吹き渡ってゆく無常の風の中には、残念ながら答えはありませんね。もしかして、人権や平和は永遠の課題だと歌っているのでしょうか?
 
 人の悲しみ、漂泊感、無常観を湛えて吹き渡る風。季節を運び、季節を語る風。
 風に吹かれ、人はどこから来てどこへゆくのでしょうか? 私のようなものにとっては、難しすぎる問題です。
      では、答えのないまま、このあたりで。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧