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2018年1月

2018年1月29日 (月)

定期診察(147)・7回目の輸血

 今日はKS病院血液内科の定期診察でした。
 朝の電車は、なぜか空いていました。高校生が少なかったような…? 大学受験が始まっているせいかな?

 【さて、最近の症状ですが…。】
☆発熱、骨の痛み、脇腹の膨満感、寝汗、口内炎などの症状は相変わらず続いています。毎朝、起床すると鼻血。チビチビと昼過ぎまで出続けます。

☆ロキソニンを一日2錠も飲んでいるにも拘わらず37℃程度の微熱が続いています。
ロキソニンを飲まないとどれくらい高くなるんでしょうね。以前のように人体実験をする元気はありません。
微熱の状況ですが、起床時は低く、昼食後~夕方に高くなります。夜は、また少し下がります。
熱があるときは、何とも言いようのない体のだるさです。貧血の症状と相まって、けっこう辛いですね。

 【診察の結果は…】
 ★ヘモグロビンはHb=7.0。7回目の輸血決定。
  ★血小板は11万/μlでした。なぜか今回増えました。
 ★なぜ微熱が続くのでしょうか?
 「白血病化が進行して、発熱するんですか?」と質問してみました。
 「それはたぶん無関係だと思います。骨髄の反応だと思いますが…。」
 結局、良く分からないということのようです。
  ★ジャカビは引き続き一日に2錠が続きます。

 【7回目の輸血】
  中央処置室で7回目の輸血。
今日の処置室の看護師さんは親切な方で、「普段の生活はどんなですか?」など、いろいろ質問されました。「家で引きこもり生活です!!」と答えたところ、「引きこもってはダメですよ」とか、「趣味が大切ですよ。」とか、「患者会とか紹介しましょうか」とか、いろいろ助言していただきました。
 輸血が終了して部屋を出るときも、「足がふらついてますよ。大丈夫ですか?」と言われてしまいました。ふらつくはずはないと思っていましたが、私も知らないうちに老人化が進んでいるのかも?
  しばらく、老人気分で引きこもり生活が続きます。
 次の診察は3週間後です。 では。また。

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2018年1月26日 (金)

土手に立つ一本の木

 先日の「大寒」の日に、木津川土手に撮影に行きました。その写真を「二十四節気・大寒2018」の記事としてアップしましたが、使わなかった写真がまだありますので、付け足しで掲載します。(別の日の写真も含まれています。)

 先ずは、木津川土手の大榎(六ヶ池の大榎)です。
すべての葉を落とし、冬姿の大榎です。

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  大空に向かって、大きく枝を広げる大榎。
ロングシャッターを切ると、寒風に枝が揺れていることが分かります。
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  写真を見ながら、現在の心境を大榎の詩にしてみました。

 「一本の木」
土手の上に
一本の木が立っている

木はこの場所で生まれ
この場所で育った
立ちつくしたまま
遙かな時空を旅してきた

冬の日
木はすべての葉を脱ぎ捨て
裸で寒風に晒され
震えるように揺れていた
おそらく木は病んでいるのだ
なぜか 今の私には分かる

いや 風で揺れているのではない
自らを震わせているのだ
大空に向かい腕を一杯に広げ
日の光に
吹きすさぶ風に
過ぎ去る雲に
育んでくれたものすべてに
全身を激しく震わせているのだ

夕日に雲が赤く染まるとき
一本の木が立っている
一つの決意を抱きしめ
こころの中に

 大榎のある長谷川河口付近をウロウロしました。
残り柿のある風景。河口付近の葦原。竹林のノイバラ。
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  土手の上はいつも、雲見の場所です。
私は、のんびりとした雲が好きなのですが、そうでない人も偶にはいます。
黒田喜夫という詩人がいました。
 ~♪「雲」
大抵のひとは
雲をながめるのが好きだろう

おれも好きだ
昔っから好きだ
 ………
晴れた日のぷかぷかした雲の様もよいが
嵐の前ぶれをみせて青黒く
乱れた雲が何よりだ
 ………  ♪~

黒田さんは、青黒く乱れた雲が好きだったようです。戦後、農民運動に参加し、結核の闘病を続けながら作詩を続け、波乱の人生を送りました。
私には、真似のできない人生です。

雲が雲間から漏れてくる光。いつの間にか青空。
冬の日は、激しく天気が変化します。冬の雲は足が早いですね。

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  土手に沈む夕日です。冬の夕日は、どことなく寒さを感じますね。

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  お別れは、雨の日に家の前で撮った南天の実です。
次の節気はもう「立春」です。早いですね。 では。また。
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2018年1月22日 (月)

二十四節気「大寒」2018

 1月20日は、二十四節気の「大寒」でした。一年で一番寒い時期に突入です。
しかし、京都府南部では、「大寒」の当日は春を思わせる暖かい一日でした。
体調不良を押して、車で木津川土手へ撮影に行きました。
大寒の日、どんな風景が見られたのでしょうか? 紹介していきます。

 土手の上に立つと、葦やオギの枯れた河原が広がり、その向こうに比叡山や愛宕山を望むことができます。気がつくと、早くもひばりの声が聞こえます。青い空が広がり、飛行機雲が流れていきます。春が近づいているのですね。

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  飛行機雲を見て、頭の中を石川啄木の「飛行機」という詩がよぎりました。

  ~♪ 「飛行機」
見よ、今日も、かの蒼空に
飛行機の高く飛べるを。

給仕づとめの少年が
たまに非番の日曜日、
肺病やみの母親とたった二人の家にゐて、
ひとりせっせとリイダアの独学をする眼の疲れ……

見よ、今日も、かの蒼空に
飛行機の高く飛べるを。 ♪~

 啄木の時代、飛行機は少年の夢や憬れの象徴でした。病気の母を抱え独学する少年。疲れた目で空を見上げれば、飛行機が高く飛んでいます。病魔に侵されながらも、希望を失わなかった啄木の姿が浮かびます。

土手の上のコブシも希望の春を待っています。
モクレンの花芽もしっかりと春を抱きしめています。

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  春を待つ田んぼでも、少しずつ作業が始まっているようです。荒起こしされた田んぼも少しずつ増えていっています。

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  寺田堤付近では、水仙の花が咲き始めました。
与謝野晶子の歌です。
  ~♪うつくしき 素足の冬の来りけり ちらほらと咲く 水仙の花 ♪~

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  土手を降りて、近くを流れる古川沿いへも行ってみました。
突然の訪問者に驚いて、慌てて鴨が飛び立ちました。
  田んぼ道の脇にナズナが、生えています。逆光で見ると、まるで光の衣を着ているようです。春はもうすぐです。
~♪ 畦道に いつ萌え出でしナズナ花 光の衣着て春を待つ ♪~

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  日が傾いてきて、赤みを帯びた光があたりを包み始めました。
夕日をあびて、枯れ草も水も一日の終わりを雄弁に語り始めます。

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  夕日が土手に沈みます。
空には、家族が揚げる凧が舞っています。
凧を詠った詩といえば、中村稔の「凧」ですね。

~♪ 「凧」
夜明けの空は風がふいて乾いていた
風がふきつけて凧がうごかなかった
うごかないのではなかった 空の高みに
たえず舞い颶(アガ)ろうとしているのだった

じじつたえず舞い颶っているのだった
ほそい紐で地上に繋がれていたから
風をこらえながら風にのって
こまかに平均をたもっているのだった
 …………
風がふきつけて凧が動かなかった
うごかないのではなかった 空の高みに
鳴っている唸りは聞きとりにくかったが ♪~

 「ああ記憶のそこに沈みゆく……」という、一番大事なフレーズは省略させていただきましたが、それにしても緊張感のある詩ですね。好きな詩です。
 では、「大寒」の写真はこのへんで。
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2018年1月19日 (金)

中室牧子著「学力の経済学」感想

Shoukan2018501  中室牧子著「学力の経済学」(ディスカバー・トゥエンティーワン)を、図書館で見つけて読みました。教育経済学という学問分野があることも初めて知りました。
 この本は、2年前、ベストセラー(30万部)だったそうです。

 中室牧子氏は、慶応大学準教授、教育経済学の専門家ということです。
 教育経済学は、教育政策の費用対効果を統計的に分析・評価するもので、統計データや教育実験などの科学的根拠に基づいて行われます。

 最初は面白くて引き込まれ、笑いながら読み進みましたが、途中で目が醒めて、この本のおかしさに気付きました。
 では、内容を紹介してみます。

  <第2章より>
  ★子どもをご褒美で釣ってはいけないのか?
 子どもを「ご褒美」で釣ってはいけないのか? こんな疑問は、興味がありますね。 ハーバード大のフライヤー教授の教育実験の結果は、「効果あり」です。
 「よい成績を取ればご褒美」というアウトプットにご褒美を与えるより、「本を1冊読めばご褒美」とか「宿題をすればご褒美」というように、具体的なインプットにご褒美を与える方が、結果として効果が大きいそうです。どうしたら良い成績が取れるのか、具体的方法は子どもには分からないですから…。 納得ですね。

 この本は、こんな調子で様々の教育課題に対して、教育経済学の研究を紹介しながら答えを紹介しています。面白そうなものを取り出してみます。

  ★「頭がいいのね」と「よくがんばったね」は、どちらが効果的か?
 答えは、「よくがんばったね」です。「能力を褒めることは、子どものやる気を蝕む」という、教育実験の結果をまとめた論文があるそうです。

 ★テレビやゲームは子どもに悪影響を及ぼすか?
 答えは、「ほとんど影響はない」です。テレビやゲームを禁止しても、学習時間はほとんど増えないということです。
 「勉強しなさい」も、効果はないそうです。逆効果の場合もあるそうです。

 ★「友だち」が学力に与える影響は?
 ・学力の高い友だちの中にいると、プラスの影響がある。
 ・レベルの高すぎるグループに無理矢理入れると逆効果になる可能性がある。
 ・問題児の存在は、学級全体に負の効果を与える。
 ・飲酒、喫煙、暴力などの反社会的行為は、友人からの影響を受けやすい。
  ということです。

 ★教育にはいつ投資すべきか?
  教育を投資と考えるならば、最も収益率が高いのは、幼児教育ということです。
  これは、ペリー幼稚園を舞台に行われた大規模な教育実験の結果だそうです。

  <第3章より>
  ペリー幼稚園での幼児教育プログラムの研究より明らかになったことは、意欲、忍耐力、自制心といった「非認知能力」が、将来の年収、学歴や就業などの労働市場における成果に大きく影響をするということです。
  「非認知能力」への投資も非常に重要ということです。 なるほど。

 <第4章より>
 ★少人数学級は効果があるか?
  著者の結論は、「少人数学級は学力を上昇させる因果効果はあるものの、他の政策と比較すると費用対効果は低い政策である」です。
  この結論の根拠になった論文は、慶應義塾大学の赤林教授の研究です。
 研究方法は→40人学級の学校に転校生があると、学級は20人規模の少人数学級が突然誕生します。この突然生じた少人数学級の学力が上昇するか調べるものです。
  結果は、学力の上昇は見られなかったということです。
 著者は結論づけます。
「少人数学級になるときめの細かい指導ができるなどと考えることは、根拠のない期待や思いこみ。こんなことに財政支出するのは危険!」  ウーン!! ちょっと待て!

  何か、この辺まで来ると目が醒めてきますね。
  こんなデータから、少人数学級を否定されてはたままりませんね。教科書も教材も同じで、指導方法も一斉講義方式の授業では、成果が出ないのも当然です。

 少人数学級が、全国一斉で始まるとすれば、指導方法や教材が劇的に変化します。また、変化させなければいけないです。
 OECDの統計で見れば、欧米では学級規模は30人以下が普通となっています。日本は、大規模学級を指導し、勤務時間も長くなっています。
 日本では、大規模学級での一斉講義方式の授業が一般的となっています。学級規模が小さくなれば、生徒が参加できる授業づくりが進むことはまちがいないです。大声で命令口調で喋る日本の教師の特徴も変化するかも知れませんね。

 また、学級規模の縮小は、今や重要な課題です。私が教師になった頃に比べると、現在では教師に求められる課題は、複雑で多様化してきています。
 昔であれば、「やりにくい子」、「できない子」、「落ち着きのない子」などと、一括りにされていた生徒も、実は、様々な発達の課題を持っていることが、心理学の研究が進み科学的に明らかにされてきています。家庭内での虐待や不登校の生徒、食物アレルギーをもった生徒などへも、以前より遙かにきめ細かな指導が求められています。
 成績が上がるかどうかというアウトプットだけを見て、効果が少ないから少人数学級を否定する、これは暴論に近いでしょう。

  <第5章より>
 第5章に入ると、著者のパワーはますます炸裂してきます。
 【いい先生とは?】
  ★いい先生とは、学力を上げられる教師である。
 ★いい先生を作るためには、成果が出ればボーナスを増やすより、成果が出なければボーナスを削る仕組みの方が有効である。
  ★なるべく能力の高い人に教員になってもらうためには、教員免許制度を無くすことである。
  点数の向上というアウトプットだけで、教師を評価しようなどとは、もうついて行けませんね。この辺まで来ると、教育経済学なるものは適用を誤れば危険なものであると思わざるを得ませんね。

 著者は言います。
「現在の日本経済の状況を考えると、学校の教員を1人増やすには警察官や消防士を1人減らさないといけないし、学校を新しく建てるには、病院を新しく作ることをあきらめなければいけない。」
  教育にお金をかければ、なぜ、警察官や消防士を減らしたり、病院を減らさねばいけないのでしょうか? 
 戦闘機の購入やイージスァショアの導入よりも、教育への投資を増やすことは意味がないのでしょうか? その政策の選択は誰が決めるのでしょうね。
 そこまでして、OECD諸国の中で、GDPに占める教育予算が最低の国を維持し続ける必要があるのでしょうか?
  2013年の統計で見ると、日本の国内総生産(GDP)に占める教育機関への公的支出の割合は前年と同じ3.6%で、OECD加盟国中最下位。最下位は4年連続!
  著者は、政府の教育政策に影響のある委員を兼職されているようです。また、労働者派遣業で稼ぐパソナグループ会長・竹中平蔵氏の慶応時代のお弟子さんとか。納得!

 最初は笑って、後は気持ち悪くなる本でした。面白い内容もあるものの、お薦め度は半分以下かな?  では。また。

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2018年1月15日 (月)

定期診察(146)・初夏には…

 今日はKS病院血液内科の定期診察でした。
 寒い朝で、氷が張っていました。吐く息が白い煙のように見えました。滋賀ナンバーの車が、屋根に雪を載せて走っていました。

 【さて、最近の症状ですが…。】
☆発熱、骨の痛み、脇腹の膨満感、寝汗、鼻血、口内炎などの症状は相変わらず続いています。何とも言いようのない体のだるさも続いています。

☆ロキソニンを2錠も飲んでいるにも拘わらず、微熱が続いています。37℃を超えることもあります。毎日、微妙に辛いですね~。

 血液検査の採血の時、看護師さんが広げた伝票に、WT1mRNAの文字が見えました。いつもの白血病の検査ですね。
 今日は、今後の見通しなどストレートに聞こうと思い、診察に望みました。

 【初夏には…】
 「明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。」の挨拶の後、おもむろに質問(?)、いや決意かな? を述べました。
 「今年は、ちょっと決意の要る年になると思っています。今年中のどこかで最後を迎えると覚悟をしているんですが……。」
  主治医の答えは、実にサラリとしたものでした。
  「そうですね。それでいいと思いますよ。」

  どうやらWT1mRNAの検査が思わしくなかったようです。主治医は、こちらが質問するまでもなく、今後の見通しについて説明されました。
 「(白血病の)抗ガン剤の投与とかの根本的な治療変更は、初夏くらいになると思われます………。」
  なんともあっさりした余命宣告(?)のような言葉でしたね。「夏」ではなく、「初夏!」と言ったところが、なんとも現実感がありました。忖度のない、さらりとした主治医の言葉はありがたいですね。
 
 「桜を見る」という目標は、どうやら達成できそうですが、夏の力強く盛り上がる入道雲を見るのは無理かもですね。
 いよいよ最終コーナーをまわったといったところです。

 ★ヘモグロビンはHb=7.5。輸血なしです。血小板は8万/μlでした。
  ★ジャカビは引き続き一日に2錠が続きます。  では。また。

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2018年1月12日 (金)

二十四節気「小寒」2018

 昨年は年の初めから、貧血と発熱と骨の痛みに苦しめられて、散歩写真に出掛けることがほとんどできませんでした。二十四節気をめぐる写真も、過去に撮った写真にリンクを貼るだけになりました。しかし、過去の写真へのリンクも一通り終わりました。

 ここで、二十四節気散歩写真のコーナーを終了すればいいのですが、細々ながらしつこく続けることにしました。
 節気の当日に撮影に行き、その日一日の写真で、その節気の写真にします。写真の量も質も、以前のものよりは下がるとは思いますが、仕方がないですね。もともとそんなによい写真が撮れていたわけではないので…。
 当日が雨や嵐だったらどうするか? まだ決めていません。 どうにかなっていくでしょう。先も長くないことですし…。

 1月6日は、二十四節気の「小寒」でした。「小寒」の日の当日は、冬型の寒い一日で、晴れたり、雪時雨が舞ったり、激しく天気が変化する真冬の一日でした。
  車から降りて土手の上に立てば、寒風が吹き抜けていきます。すべてが枯れて、風に揺れているばかり、写真にできそうなものは何もありません。後悔しきり…。
 雲間から突然、光が射してきました。

  ~♪ 遠山に 日の当たりたる 枯野かな ♪~

 これは高浜虚子の句ですが、光があることにより枯野が浮き立っています。何となく温かさや静寂を感じます。
 しかし、今のこの土手の風景は、風があまりに厳しいです。 寒い! 

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  土手の上で出会う動物と言えば、嫌われ者のカラスばかりです。今日は、何故かよく鳴いています。
 寒風に吹き晒されていると、村上昭夫のカラスの詩を思い出しました。
~♪ 鴉
あの声は寂寥を食べて生きてきたのだ
誰でも一度は鴉だったことがあるのだ
 ………
鴉の食べる食物を何時か見た
道に捨てられているけだもの腑を
川を流れてゆく
腑のような血のかたまりを

たがそれ等のすべては
人が己を他のいきもの達と区別する
高い知性や進歩する科学と
なんの変わりもないものなのだ

鴉はそれを食べて生きてきたのだ
誰でも一度は鴉だったことがあるのだ ♪~

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  何か写すものは無いかと、土手下の枯れた草むらに突入しました。
エノコログサ、セイタカアワダチソウ、オギ。みんな種子を抱いて枯れています。
枯れて可哀想と思うのは人の感覚。春にすべてを託す姿は美しい。
彼らはみんな風と友達。遠くまで種子を運んでもらえるから。
植物たちの生き方は、人の生き方とはあまりにも違うことに気づきます。

~♪名付けようのない季節 (吉野弘)
 ………
樹木がそのすべてを
少しのためらいもなく
春にゆだねようとしているのを見ると
そのすばらしさに胸をうたれる
そして気付く。ぼくらの季節が
あまりにも樹木の季節と違うことに
♪~

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  フカフカの綿毛に覆われたセイタカアワダチソウの種子。よく見ると温かそう。
栴檀の木の実を撮ろうと頑張っていると、突然の雪時雨。その後、光が差してきて、虹が出ました。突然のプレゼントでした。

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  Shoukan2018501貧血と寒さで指が痺れています。
 「小寒」の日の撮影は、ここまでです。

    では。また。 

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2018年1月 9日 (火)

サローヤン著「ヒューマンコメディー」

Saroyan_01_3  アルメニア系移民二世のアメリカ作家、ウィリアム・サローヤン著「ヒューマンコメディー」(光文社古典新訳文庫・小川敏子訳)を読みましたので、拙い感想を書かせていただきます。
 新春読書第一冊目です。体調も悪く、小説も苦手ときているので、集中力を持続させるのに苦労しました。先ずは、簡単に内容の紹介から。

物語の舞台は、第2次大戦下のカリフォルニア州イサカという静かな田舎町。
  主人公のホーマー・マコーリーは、ハイスクールに通う14歳。電報配達人のアルバイトをして家計を助けています。父は、二年前に死亡。兄のマーカスは、戦地へ出征中。母親は趣味のハープを、大学生の姉のベスはピアノを弾きます。弟のユリシーズは、好奇心旺盛な四歳。家族みんなで、力を合わせて家庭を守っています。

  【ユリシーズ】
  物語は、弟のユリシーズの記述から始まります。好奇心旺盛なユリシーズは、人々を乗せた汽車に向かって手を振ります。黒人の兵士が手を振って応えてくれます。「故郷に帰るんだよ。自分の場所に!」と…。この言葉が不思議にユリシーズの幼い心を捉えます。「戦争」、「帰郷」、「共生」、「子どもたちの成長」。この小説の底流となるテーマが暗示的に提示されます。
  この後、この家族と町の人々との交流が、涙と笑いの物語として断章的に描かれてゆきます。この作品の雰囲気が伝わるように、いくつかの物語を切り出してみます。(タイトルは、私が勝手につけました。スミマセン)

  【電報配達の仕事】
   ホーマーはハイスクールに通いながら家計の助けに、自転車で電報を配達するアルバイトをしています。局長スパングラーとアルコール中毒気味の老いた電信士グローガンとの心温まる付き合いが語られます。
 イサカの街にも陸軍省から、出征兵士の戦死を伝える電報が次々に届きます。そのたびに、ホーマーは配達先で、悲しみに打ちひしがれる家族の姿を見ることになります。
「あなたみたいな子が、悪い知らせを届けにくるはずがないわ」と言いながら、哀しみを押さえ、ホーマーを抱きしめる、息子を失った母親。ホーマーは、残されたものの哀しみや生と死について悩み、苦しみます。
  このようにしてホーマーは、人として成長していくのです。

 【古代史のヒックス先生】
  ホーマーが通う学校で古代史を教えるヒックス先生は、人としてアメリカ人として、どうあるべきかについて語ります。
  「……問題は人間性です。人として温かさがあるかどうか。真実を学び胸を張って生きる、短所も長所も自分の一部として受け入れる。……私達は古代史からそれを学ぼうとしています。」と…。
 陸上部の監督に反抗した貧しいイタリア移民の生徒に対し、監督は「イタ公!」と罵倒します。ヒックス先生は、それは間違っていると、監督に謝罪することを毅然と要求します。謝罪は要らないと、暴力で仕返しをしようとする生徒に対しても、監督がアメリカ人としてやり直すために、謝罪の機会を与えるよう説得します。
 移民国家であるアメリカ人が持たなければならない「教養」である、「寛容」と「共生」の精神の大切さが、成長していく子どもたちに示されるのです。

 【子どもたちの成長】  
  杏の実を盗もうとする、いたずら好き少年グループ。幼いユリシーズも見習い役として参加しています。木の持ち主に見つかり逃げ出す子どもたち。怒った振りをしながらも、必死に逃げる子どもたちを見ながら、笑みを浮かべる木の持ち主。
 大人たちに見守られながら、成長していく子どもたちの姿か微笑ましい。

 【強盗事件】
 ホーマーの勤務する電報局に、まだ年の若い強盗が入ります。強盗に対して、局長のスパングラーは売上金を差し出し、それをもって故郷に帰郷するよう諭します。強盗は、「この世で堕落していない人物がひとりでも見つかったら、おれは堕落せずにすむ、人を信じられる、生きていける」と、自分の行為を思い直し、なにも盗らずに故郷へと向かっていきます。

 【最後の電報】
 アル中気味の老電信士のグローガン。愛や希望、苦しみ、死のメッセージを電報の文字にしてきましたが、最後の時を迎えます。彼が受け取った最後の電報は、ホーマーの兄・マーカスの死を知らせるものでした。ホーマーは、皮肉にも、愛すべき兄の死を知らせる電報を届ける運命に直面するのです。
 ホーマーに、言い知れぬ憎しみが湧き上がってくるのですが、それをどうすることもできません。局長のスパングラーは、「憎むべき敵は、おそらく人間ではない。人を憎めば、結局自分自身を憎むことと同じだ。……」と諭します。

  【戦友のトビー】
  兄の死により悲しみにくれるホーマーの家に、兄マーカスの戦友トビーが訪ねてきます。マーカスからイサカの話を聞かされていたトビーは、イサカに暮らすためにやって来たのでした。家の中に招き入れられる場面で、この物語は終わります。

   *******
  この作品の背景をなしているのは、アメリカの精神的支柱であるキリスト教(プロテスタント)の精神です。それが、古代史のヒックス先生の言葉や局長スパングラーの愛の言葉として語られています。
 移民の国であるアメリカは、それぞれの民族の多様性を受け入れ、「共生」すること無しには成り立たないのです。人として、相互の愛と信頼に基づかなければ、社会は分断されてしまうのです。

 この作品が書かれたのは1943年。第2次大戦の真っ只中で、戦争遂行のための国威発揚プロパガンダが溢れる中で書かれました。主人公の名前がホーマーであることからも、戦時下での家族の物語です。出征した人は皆、生者も死者もhomeに帰郷しなければならないのです。作品の中に「帰郷」という言葉が、いくつも埋め込まれています。
 この作品からは、著者の戦争に対するメッセージが聞こえてきます。

 「私たちは、憎しみのために戦ってはいけない。憎むべき敵を打ち倒すことが戦争の目標であってはならない。……」
 「戦争によって危うくさせられるのは、いつもhome なのだ。人々にとって戦争とは、戦うことではなく、homeへの『帰郷』を目指すものである。と……。」

 この作品は、戦時下という時代状況から考えると、ヒューマニズムにもとづく、反戦的作品と読むことも可能です。

 戦時下、日本はどうだったのでしょうか。
 天皇を頂点とする軍国主義支配。血縁にもとづく家父長的家族制度は、軍国主義国家を下支えする基礎単位でした。武士道精神、大和魂、神国日本、八紘一宇など、日本賛美、日本中心主義的な精神が語られていました。「鬼畜米英!」が叫ばれ、また中国、朝鮮に対する民族差別的意識もかき立てられていました。国民は国のために命を投げ出し、戦死者の帰る場所はhomeではなく、靖国神社だったのです。
  現代の日本でも、拝外主義的主張をする人々がいます。なぜか同じ人が、家族の大切さを説いています。閉鎖的家族主義は排外主義と親和性があるようです。

  「憎しみのために戦ってはいけない。戦争によって危うくさせられるのは、いつもhome なのだ。」
 これが、サローヤンから私の受け取ったメッセージです。間違っているかも知れません。 お薦めします。 では。また。

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2018年1月 5日 (金)

北野天神へ初詣

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
  今年も細々とブログは続けていくつもりです。

 正月三ヶ日は、体調不良のため完全引きこもり生活でした。
 正月の「初夢」と言えば、何か夢のありそうな感じですが、私の場合は「悪夢」ばかりです。寝汗も…。
 ~♪  去年今年(こぞことし) 貫く棒のごときもの ♪~ (虚子)
 すべての変化を貫くような不変の時間の流れ。そして、自然。 病魔も…?

 ようやく気力を取り戻し、昨日は、北野天神に初詣に行ってきました。
 妻の実家が北野天神の直ぐ近くなので、北野天神の初詣は毎年の恒例となっています。特別な信仰心があるわけではないです。一刀彫の干支の置物を買うのも毎年のことです。妻は小学生の頃、天神の境内を遊び場にしていたそうです。

 三が日が終われば参拝客も少ないはず、と予想していましたがなかなかの人出です。 頭を撫でると賢くなれる牛。参道の屋台と参拝の人。開運巨大絵馬。今年は戌年。

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  先ずは本殿へ。賽銭を百円投入。賽銭は、不浄のお金を捨てるという意味があるらしいです。花びら型の鏡がありましたが、意味は?。

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  参拝後は、境内をブラリと一周。期待していた梅は一輪も無し。今年の冬は、寒さのために、開花はまだまだのようです。3枚目の写真は、書き初め会場。

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  東の門の前でおみくじを買いました。 中吉♪

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  合格祈願の絵馬を架ける所は、やさしい冬の斜光が差し込んでいました。
受験生と思われる少女。孫のために絵馬を架ける老夫婦。ささやかな願い。
最後の写真は、木津川河川敷の小道。冬の光がやさしい。
名物の長五郎餅を土産に買いました。  では。また。

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