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2017年10月12日 (木)

二十四節気「寒露」・野菊

 今の節気は「寒露」です。この節気には、菊の花が咲き出します。木津川土手周辺でも、ヨメナ、ノコンギク、ユウガギクなどの野菊が目立つようになります。

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  野菊と言えば、伊藤左千夫の「野菊の墓」ですね。封建的な社会の壁に阻まれ、結ばれることのなかった悲しい純愛の物語です。
 純愛物語といえば、シュトルムの「みずうみ」も、私の世代以上の人には、よく読まれていたと思います。主人公は学業のために恋人を残して故郷を出ていきますが、その間に女性は金持ちの友人と結婚してしまうという物語です。こう書くと、もう味も素っ気もないですが、かって多くの若者の心をとらえました。
 経済の発展にともなって、仕事のため、学業のため、多くの若者が故郷を出て都市部を目ざしました。その若者の心の奥底には、故郷への郷愁、別れてきた人への思いが堆積しています。抒情あふれるこの物語が、世界の若者に受け入れられた理由ですね。世界の若者(男性)に共通する心理です。 女性はどうなんでしょうね?

 「野菊の墓」を思い出しながら、道の辺に咲く花々と対話したい方は、
二十四節気「寒露」2016続きへどうぞ → こちら

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  今は、稲刈りの時期です。稲刈りの後に残される藁の地蔵。
 実に秋らしい光景ですね。

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  歌人たちも、秋の光景を歌にしています。
 ☆前田夕暮
~♪武蔵野の 野少女どもの稲を刈る鎌日に白し 唯稲を刈る♪~
  ☆島木赤彦
~♪犬蓼の くれなゐの茎はよわければ 不便に思ひ踏みにけるかも♪~
 ☆ 片山広子
~♪こすもすや 観音堂のぬれ縁に 足くづれたる僧眠りゐぬ♪~

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  ☆北原白秋
~♪秋の田の 稲の刈り穂の新藁の 積藁のかげに 誰か居るぞも♪~
 ☆伊藤左千夫
~♪秋草の いづれはあれど露霜に 痩せし野菊の花をあはれむ♪~
 ☆石川啄木
~♪ふためきて 君が跡追ひ野路走り 野菊がなかに寝て空を見る♪~

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   歌人たちと一緒に、秋の風景を楽しみたい方は、
二十四節気「寒露」2015追加②へどうぞ → こちら

  秋の日の終わり、木津川土手に広がる夕景は、いろいろな思いをかき立ててくれます。あなたなら、心はどこに向かいますか? あした? 未来へ? 過去へ?
 私の場合はいつも少年時代です。いつも夢を見ているような少年だった、とは誰も認めてくれませんけどね……。同級生の女の子の証言によると、わがままで、いじわるな少年だったらしいです。

 生活綴り方の詩人・大関松三郎少年にとっては、一日の労働の終わりです。
~♪…… 遠い夕日の中に うちがあるようだ たのしいたのしいうちへ かえっていくようだ あの夕日の中へかえっていくようだ いちんち よくはたらいたなあ ♪~

 17歳でこの世を去った、「赤い鳥」の詩人・海達公子さんの場合もやはり、あたたかい家ですね。(「日ぐれ」より)
~♪ごはんのこげる
  においがしてきた
  夕焼け雲が
  残っている ♪~

 夕日の木津川土手で思いに耽りたい方は、下手くそな写真で申し訳ないですが、
二十四節気「寒露」2013へどうぞ → こちら

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2017年10月 8日 (日)

二十四節気「寒露」2017

10月8日は、二十四節気の「寒露」です。秋もいよいよ本番です。
 気温も下がってきて、冷え込んだ朝には、冷たい露が結ばれ、あたりには水分をたっぷり含んだ朝の空気が静かに流れていきます。
 では、そんな「寒露」の朝にご案内しましょう。
 この写真を撮影したのは、宇治田原町の田んぼです。撮影現場を訪れたい方は、二十四節気「寒露」2011へどうぞ → こちら

 ~♪「朝のうた」
朝露は夜の闇から生まれ
明けてゆく光の中で
白く静まりかえっている
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  静寂を破り陽が昇る
川霧は金色の炎を上げ
すべての朝露は歓喜の光を放ち
野に咲く花は
光の言葉で希望を歌う

この時 隠されていた秘密が
光の言葉で明かされたのだ
一日はどのように始まり
何でできているのかが
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  夜の闇に耐え
朝露をまとった虫たちは
すべてを知っている
いのちの長さとは
朝露が生まれやがて消えていく
その一瞬の時間のことなのだと

無意味な日々の積み重ねを
人生と呼ぶなら
何十年生きようとも
人の一生はつかの間だ
人は忘れているのだ
一日が何故そこにあるのか
その意味が何であるのかを
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  やがて朝の秘密は
昼の光の中に隠され
今日もまた一日が始まるのだ ♪~
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   一日一日を大切に生きるとは? 幸福な一日とは? 詩人の長田弘さんの言葉を聞いてみましょう。
 ~♪「地球という星の上で」
朝の、ひかり。
窓の外の、静けさ。
おはよう。一日の最初の、ことば。
ゆっくりとゆっくりと、目覚めてくるもの。
熱い一杯の、カプチーノ。
やわらかな午前の、日差し。
遠く移ってゆく季節の、気配。
  ………
住まうとは幸福な一日を追求することだと
〈わたし〉は思う。 …… ♪~

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  今の時期、田んぼの畦道や空き地には、秋の花が咲き乱れます。アカマンマ、イボクサ、ミゾソバ、ヒレタゴボウ……。
 野の花と遊んだり、青い秋の空を眺めたり、木津川土手周辺の散歩を続けたい方は、二十四節気「寒露」2016へどうぞ → こちら 
 三好達治の「かよわい花」。丸山薫の「青い空」もあります。

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  「雲見」という言葉をご存じですか? その意味を知りたい方は、
二十四節気「寒露」2015追加①へどうぞ → こちら

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2017年10月 5日 (木)

久しぶりの撮影・彼岸花

 体調不良のため、久しく写真撮影から遠ざかっていました。(10ヶ月くらいかな?) 輸血の効果のおかげで、最近少し体の楽な日がありました。それで、木津川土手に彼岸花を撮りに出掛けてきました。短時間ですが…。
  カメラを持ち風景を見るのと、持たずに見るのとでは、見え方が少し違います。
風景の中に何か意味を捜そうとする意識が、それを生み出しているのでしょうね。

☆土手への坂道を上がる時、空が大きく広がってきます。何か高揚感。
☆先ずは木津川土手の大榎へ。長田弘さんの言葉を思い出しました。
 ♪自由とは、どこかへ立ち去ることではない。
  考えぶかくここに生きることが、自由だ。
  樹のように、空と土のあいだで。♪
☆ハギの花は、もう終わりか? 花が少ないです。

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☆桜の木に寄り添うように並ぶ彼岸花。
☆前ボケを入れるも…。むずかしい。
☆彼岸花の周りで秋は一休み。
 道を往く女性のハミングは「赤とんぼ」?

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☆アレチヌスビトハギ。ピンク色。
☆斜面に咲く彼岸花。のぞく青い空。
☆秋のひだまりを行く二人。光がやさしい。

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☆彼岸花と雲。爽やかな対話?
☆巨木に寄り添う彼岸花。長く伸びる影。
☆蝶と彼岸花。

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   ☆夕日の中の彼岸花。3枚。 
  夕日は明日への希望? 過ぎ去った過去?
 祈り? それとも……?

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 ~♪この世には草があるし木がある
というようにして鳥がいるしけものがいる
というようにして日々が開けるし四季が巡る
というようにして私とても生かされている
ふりそそぐ秋のきんのひかりのなかに
 ………  ♪~ (まどみちお) 

Hisasburi601☆お別れの一枚は、ツルボから彼岸花への季節のリレー。
 南天に上弦の月。

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2017年10月 1日 (日)

二十四節気「秋分」・彼岸花特集

 今は彼岸花の時期ですね。今回は彼岸花の特集です。

  日本の彼岸花は、里に咲く花です。人々の暮らしと共に、人々に寄り添って生きてきた花です。生物学的に言うと、染色体数が三倍体のため種子を作ることは出来ません。人が植えなければ広がることは出来ないのです。
 里に咲く花、彼岸花に、詩人や俳人たちも心を寄せてきました。
  では、中村汀女の句から。

 ~♪ 曼珠沙華 抱くほどとれど 母恋し ♪~

 中村汀女は一人娘だったそうです。嫁いで自らが三児の母となった後も、故郷の母を思っていたようですね。

 次は、病気療養中の山口誓子の句。紺と赤の対比が、引き締まるように鮮やか。
~♪ つきぬけて天上の紺 曼珠沙華 ♪~

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  浅川マキは、「♪港の彼岸花」で「…悲しい恋なら何の花 真っ赤な港の彼岸花」と歌います。山口百恵も、「♪曼珠沙華」で、「♪…恋する女は 罪作り 白い花さえ真紅に染める~」と歌っていましたね。彼岸花は、炎のような女の情念?

 中原中也は、「盲目の秋」で、~♪ …私の青春はもはや堅い血管となり、その中を曼珠沙華と夕陽とがゆきすぎる。…♪~ と詠っています。

 金子みすずは、「~♪ 曼珠沙華」で、~♪ 地面(ヂベタ)のしたに 棲むひとが、 線香花火を たきました。 ♪~ と詠います。 死者のたく線香花火?

 里に咲く花、彼岸花を見ながら、詩人たちと一緒に散歩したい方は、
二十四節気「秋分」2015追加へどうぞ → こちら

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  漂泊の人、種田山頭火も彼岸花の句をたくさん作っています。

  ~♪ 歩きつづける 彼岸花咲きつづける ♪~
  ~♪ 悔いるこころの 曼珠沙華燃ゆる ♪~
  ~♪ なかなか死ねない 彼岸花さく ♪~
  ~♪ いつまで生きる 曼珠沙華咲きだした ♪~
  ~♪ 彼岸花さくふるさとは お墓のあるばかり ♪~

  彼にとって漂泊とは、死と向き合うことだったのでしょうか。
 何かそんな気がします。

  種田山頭火と一緒に、霧の中に咲く彼岸花の里をさまよいたい方は、
「高尾の彼岸花」へどうぞ → こちら

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  秋の空は、青く澄んでいます。何か静かですね。
 吉野弘さんの詩に「争う」という詩があります。漢字遊びの詩です,。 
 ~♪「静」 
青空を仰いでごらん。
青が争っている。
あのひしめきが
静かさというもの。 ♪~

 「静」という漢字は、青が争っていると書きますね。青い静かな空は、目には見えない激しい青のせめぎ合いにより、「静さ」を保っているのです。「静」の中に「動」があり、「動」の中に「静」がある、なかなか弁証法的ですね。

 秋の青い空を見ながら、動揺する心に静寂を取り戻したい方は、
「加茂町の彼岸花」へどうぞ → こちら

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   伊藤左千夫の歌。
~♪曼珠沙華 ひたくれなゐに咲き騒めく 野を朗らかに 秋の風吹く♪~

  古泉千樫の歌。
~♪秋の風 土手をわたればあかあかと ひそかに揺るる 曼珠沙華の花♪~

  この歌のように、秋の風に吹かれながら彼岸花の里を散歩したい方は、
「宇治田原・加茂の彼岸花」へどうぞ → こちら

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2017年9月28日 (木)

二十四節気「秋分」・詩人と散歩

二十四節気「秋分」2017の追加です。
 空の青さがますます増して来て、すべてががくっきりと見えてくるこの季節、いつものように詩人と一緒に木津川土手周辺を散歩しましょう。

 丸山薫という詩人がいました。小学校の教師だった彼は、戦禍で荒れた国土の上に広がる青い空を見て、明日への希望を詠いました。昭和23年頃のことです。

 ~♪ 青い黒板
鉛筆が買えなくなつても
指で書くから いい
ノートブックがなくても
空に書くから いい

算数の式も 読本の字も
図画も綴方の文章も
みんな 指で空に書く
 ………
空の黒板はひろくて たのしい
日本中のぼくたちが書いても
書き切れないだろう

毎日 雲がまつさおに
それをぬぐつてくれる    ♪~

 二度と戦争をしないと誓った日本。物質的豊かさが無くても、人は生きてゆけます。希望さえあれば…。
  木津川土手で青い空を眺めたい方は、
二十四節気「秋分」2012へどうぞ → こちら

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  長田弘さんの詩に、「樹の伝記」という詩があります。
 ~♪
この場所で生まれた。この場所で
そだった。この場所でじぶんで
まっすぐ立つことを覚えた。
 ………
最初に日光を集めることを覚えた。
次に雨を集めることを覚えた。
それから風に聴くことを学んだ。
 ………
ずっと遠くを見ることを学んだ。
大きくなって、大きくなるとは
大きな影をつくることだと知った。
………
うつくしさがすべてではなかった。
むなしさを知り、いとおしむことを
覚え、老いてゆくことを学んだ。
老いるとは受け容れることである。
 ………               ♪~

 「大きくなるとは大きな影をつくること」。
 「老いるとは受け容れること」。自らの弱さも間違いも、そして死も…。
 巨木の根元に寄り添うように、彼岸花が咲いています。彼岸花も巨木の魅力に引き寄せられているのでしょうか?

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  詩人の八木重吉さんも詠っています。
 ~♪はっきりと もう秋だなとおもうころは 色色なものが好きになってくる
  あかるい日なぞ  大きな木のそばへ行っていたいきがする ♪~

  木津川土手で、巨木や彼岸花、エノコログサと語り合いたい方は、
二十四節気「秋分」2013へどうぞ → こちら

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   岸田衿子さんの詩は、どこか明るくて澄んでいて内省的ですね。
 ~♪
星はこれいじょう
近くはならない
それで 地球の草と男の子は
いつも 背のびしている  ♪~

  この詩は何か笑えてきます。
草と男の子は、いつも背伸びして生きているそうです。なぜでしょうね。
憬れが遠すぎるから? いや、女の子に良いところを見せたいから?
では、女の子の場合は? 背伸びせず現実的? それとも夢ばかり見ている?
草が背伸びをする理由は簡単です。光が欲しいからですね。光合成するために。
  野菊。エノコログサ。いつも背伸びをして生きている雑草たちに会いたい方は、
二十四節気「秋分」2016へどうぞ → こちら

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  「野に咲く花のように」という歌がありましたね。ダ・カーポというデュオの曲で、画家の山下清氏を主人公にした『裸の大将放浪記』の主題歌でした。
 木津川土手周辺は、秋の野の花が溢れています。「野に咲く花のように」を聞きながら木津川土手周辺を散歩したい方は、
二十四節気「秋分」2016へどうぞ → こちら

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2017年9月22日 (金)

二十四節気「秋分」2017

 9月23日は、二十四節気の「秋分」です。いよいよ秋も本番となりましたね。空の青さがグッと深まってきたように思います。よく晴れた秋の日には、詩人の語りを聞きながら散歩に出かけたいですね。

 詩人の長田弘さんが、秋について語ってくれています。
 ~♪ いちばん静かな秋
石一つ一つ。木々の梢一つ一つ。
雲一つ一つ。水の光一つ一つ。
およそ、もののかたちの輪郭の
一つ一つが、隅々までも
くっくりと見えてくる。
そんな朝がきたら、
今年も秋がきたのだと知れる。
 ………
ああ、空がこれほど穏やかだとは!
ああ、世界がこれほど明るいとは! ♪~

 木津川土手周辺では、秋の花、彼岸花が咲き始めました。

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  静かな秋です。しかし、今年の秋は少し騒がしくなってきたようです。
 欠陥軍用機オスプレイの飛行には伏せなくていいのに、宇宙ステーションより高くを通過するミサイルに、「頭を押さえて伏せろ!」。「話し合いは無駄。異次元の圧力を!」。「イージスアショアが必要」。「アメリカの核を日本に再配備を!」。「敵の攻撃から安全を守れ!」と危機を煽り、過去最高を更新する軍事費。いつの時代でも、いろいろ理屈をつけて、為政者のやり口は同じですね。こんな時こそ、戦争をしない国に生まれた詩人の言葉に、耳を傾けたいものですね。

 ~♪どうして、私たちは、騒々しくしか生きられないのか? ♪~ (長田弘)

 詩人の長田弘さんと一緒に、木津川土手周辺を散歩したい方は、
二十四節気「秋分」2015へ → こちら

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  ~♪ 秋分の日に

遙かな宇宙を運行する地球
今年も約束通り秋が運ばれてきた
この日 太陽は真東から昇り
青く澄んだ天空を進んでいく
降り注ぐ光に稲穂は金色に輝き
案山子さえも胸を張っている

土手の上に空は大きく広がり
白い雲が流れてゆく
コスモスは風に揺れ
ニラの花は青空に直立している

太陽は真西をめざし落ちていく      
夕雲は赤く染まり
彼岸花も燃え上がっている
しだいに濃くなる夕闇の中で
すべての生き物たちは夢を追い始める

夕闇の中で目を閉じれば
初めて見えてくる秋の風景がある
秋祭りの太鼓の響き バラ寿司
運動会の遠い歓声  栗ご飯
毎日が輝いていた頃の秋
白い雲に憧れたいつかの秋

エノコログサが夕日に染まり
吹き渡る風に金色の波をつくっている
少年の日に見た遠い秋の風景だ    
秋は幾度となく運ばれてきた
私はどこまで運ばれていくのだろう
約束も無く            ♪~

 下手くそな詩で申し訳ないですが、この詩に合わせて木津川土手周辺を散歩したい方は、二十四節気「秋分」2014へ → こちら

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  長田弘さんは、何げない日常の生活や風景の中にこそ、人生や幸福や平和の本当の深い意味があると述べています。詩集に、「食卓一期一会」というのがあります。食事とは、日常生活の最も主要な部分です。この食事をテーマに、一日一日を如何に生きるべきか詠っています。一つ紹介してみます。

 ~♪ふろふきの食べかた
自分の手で、自分の
一日をつかむ。
新鮮な一日をつかむんだ。
スがはいっていない一日だ。
手にもってゆったりと重い
いい大根のような一日がいい。
 ………
こころさむい時代だからなあ。
自分の手で、自分の
一日をふろふきにして
熱く香ばしく食べたいんだ。
熱い器でゆず味噌で
ふうふういって。  ♪~

 さむい時代だからこそ、あたたかい心休まる一日をつかみたいですね。
 下手くそな写真で申し訳ないですが、木津川土手で心を休めたいかたは、 
二十四節気「秋分」2011へ → こちら

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  さらに秋の風景を楽しみたい方は、猫や猿、流れ橋の夕景などが見られる
二十四節気「秋分」2010へ → こちら

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2017年9月11日 (月)

二十四節気「白露」2017・追加

 今の時期は、二十四節気「白露の」時期です。朝露は、冷たく白い輝きを増していきます。実りの秋がゆっくりと進んでいきます。
 ~♪秋晴れの
   ひかりとなりて
   楽しくも
   実りに入らむ
   栗も胡桃も  ♪~
 斉藤茂吉の一句です。終戦間もない頃、このように秋の喜びを歌うことが出来るとは、自然風景の持つ力は大きいですね。国破れて山河あり?…ウン、ちょっと違うか?

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  たんぼ道や土手では、秋の花が咲き始めました。
 テレビでおなじみの夏井いつき著「絶滅寸前季語辞典」で、秋の七草談義を読みながら、散歩を楽しみたい方は、
二十四節気「白露」2016後半へどうぞ → こちら

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  大関松三郎は貧しい農家の出身で、少年時代、生活綴り方教育のもとで、生活に根ざした農民の心や自然を詩に詠いました。10代の若さで戦争の犠牲となりました。

 ~♪「雑草」   (大関松三郎)
おれは雑草になりたくないな
だれからもきらわれ
芽をだしても すぐひっこぬかれれてしまう
………
だれからもきらわれ
だれからもにくまれ
たいひの山につみこまれて くさっていく
おれは こんな雑草になりたくないな
しかし どこから種がとんでくるんか
取っても 取っても
よくもまあ たえないものだ
………  
強い雑草
強くて にくまれもんの雑草  ♪~

 雑草を嫌いつつも、強い雑草にひかれていく作者。雑草と戦いつつも雑草と共に生活し、雑草のように生きる農民の素朴な心情が描かれています。
 今の時期、土手の周辺は雑草の天国です。ヘクソカズラ、ガガイモ、ヒレタゴボウ、マルバルコウソウ……。
 なぜ人は、雑草と共に暮らすようになったのでしょうか?旧約聖書が答えてくれます。その答えを知りたい方は、
二十四節気「白露」2015へどうぞ → こちら

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  植物学者の稲垣栄洋氏が雑草について解説しいます。
「雑草は本当は弱い植物である。通常の生存競争では強い植物に負けてしまい、人間が作り出した劣悪な環境に追いやられた植物である。」と……。
 つまり、雑草を育てているのは、自然を壊す人間なのです。多様な成長戦略をとる多種多様な雑草の種子が地中で待機していて、人間が抜いても抜いても、次の雑草が生えてくるわけです。まさに雑草は、人のおかげで、人と共に生きているのです。
 詩人の長田弘さんも、草とりをしながら「この世の間違い」に気がついたようです。神に対抗しようとした人間の愚かさについて……、そのことについて知りたい方、及び雑草の世界を覗き見たい方は、二十四節気「白露」2016へどうぞ → こちら

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  やって来た秋に反抗する入道雲。心温まる虹を見る少女。枯れてゆくハス。夕日の街角。暮れてゆく流れ橋等々、さらに散歩を続けたい方は、
二十四節気「白露」2012へどうぞ → こちら

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2017年9月 7日 (木)

二十四節気「白露」2017

 9月7日は、二十四節気の「白露」でした。しだいに涼しさが増し、秋を感じることが多くなる頃です。野ではススキの穂が出始め、夜は虫たちの大合唱です。

 日本ではお盆の頃、提灯に明かりを灯して先祖の霊が帰ってくるとされています。その時、ほおずきは提灯のかわりを務めます。今の時期、その役目を終えたほおずきは、破れてもう筋ばかりになっています。
 稲が実り始め、季節労働者の案山子たちも忠実に仕事に就いています。
  大榎の下で、子どもたちが過ぎ去った夏休みを捜しています。

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  ~♪「白露の日に」~季節との対話~

今 静かに過ぎゆく一つの季節がある
朝には白く輝く露に心奪われ
昼には稲穂を揺らす風の音を聞く
蓮の花托は一斉に手を振り
過ぎ去る季節を惜しむ

新しい季節の始まりに思いをはせ
蔓穂の花は大空に向かって立ち上がり
赤とんぼは澄んだ目で流れる雲を追っている
うろこ雲は夕日に赤く
家路を急ぐ少女を優しく包んでいる

人はいつも季節と対話してきた
そのたびに季節は無言の言葉で語った
うつろう時間の中で風景を共にし
心を透明にすること
それが対話であると

夏の終わりに
赤い火を灯すほおずきを提灯にして
あの人達は夕暮れの道を去って行った
季節と対話しゆっくりと後を追う
ほおずきを提灯にして          ♪~

 この詩に合わせて、木津川土手周辺を散歩したい方は、
二十四節気「白露」2014へどうぞ → こちら

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  詩人の高田敏子さんが、過ぎ去った夏について詠っています。

 ~♪「九月」
夏は行ってしまった
とても愛しているものたちを
おきざりにして
…………
おきざりにされたものたちばかりが
言葉少なに 私をとりかこんでいる
…………
ひまわりは 夏の去った方向に
背のびばかりして 痩せてゆく
麦わら帽子は 夏のほてりを
胸に抱きしめている   ♪~

「愛しているものたち」、「おきざりにされたものたち」とは、どんな人たちのことでしょうか? 戦争の終わった夏。置き去りにされたもの。今の時代であるからこそ、噛みしめたいですね。

 元気な子どもたちは、まだまだ夏を追いかけているようですが、もう夕暮れです。
  夏の想い出を胸に、木津川土手周辺を散歩したい方は、
二十四節気「白露」2013へどうぞ → こちら

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  ~♪ 露と落ち   
   露と消えにしわが身かな
   なにわの事も
   夢のまた夢   ♪~

 これは、豊臣秀吉の辞世の歌とされるものです。露といえば、儚いものの代表ですが、果たしてどうでしょうか? 朝日に輝く露は、希望のようにも見えますが…。
 あなたの場合は、どうですか? それを確かめたい方は、
二十四節気「白露」2011へどうぞ → こちら

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~♪ 馬追虫の 髭のそよろに来る秋は まなこを閉じて 想い見るべし ♪~
  長塚節の歌ですね。目を閉じて想いみる秋。心の中の秋はしみじみとしています。

~♪ ゆく秋や 日なたにはまだ 蟻の道 ♪~
 江戸時代の堀麦水の句です。秋が進んで行きますが、夏もまだまだ残っているようですね。季節の歩みは、いつも行きつ戻りつです。
 さらに季節の散歩を続けたい方は、たいした写真はありませんが…、
二十四節気「白露」2010へどうぞ → こちら

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2017年8月29日 (火)

二十四節気「処暑」・花と語る

 二十四節気「処暑」2017の追・追加です。詩人たちと一緒に、土手やその周辺の散歩を続けましょう。花が咲き、川は流れ、空には雲が…。

 今の時期、ハスの花はほぼ終わりに近づいていますが、夏の花と秋の花が入り乱れ、たんぼ道はにぎやかです。

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  詩人の長田弘さんは語ります。
 「人はなぜ慌ただしくしか生きられないのか。静けさをまなばなければいけない。聴くことをまなばなければいけない。よい時間でないなら、人生はなんだろう?」
 「無言で咲いている花の、無言の言葉からまなび、美しいものを美しいといい、人はもっと率直に生きていいのだ。」……と。

 ~♪「まだ失われていないもの」
…………
すべてが そこにあつまってくる
花のまわりにあつまってくる
ふしぎだ 花は
すべてを花のまわりにあつめる

匂いのように時間が
蜜のように沈黙が
あつまってくる
ことばをもたない真実がある

風の色 季節の息があつまってくる
花がそこにある それだけで
ちがってくる ひとは
もっと率直に いきていいのだ ♪~

 草や花と無言の対話を楽しみながら、木津川土手周辺を散歩したい方は、
二十四節気「処暑」2016後半へどうぞ → こちら

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  詩人の高田敏子さんが、花や小鳥と対話しながら、人生について考えています。

~♪「美しいものについて」
花は咲く 誰がみていなくても
花のいのちを美しく咲くために

小鳥は歌い 空を飛ぶ
小鳥は小鳥をよろこび生きるために
…………
人は
人であるそのことのために生きているかしら?
人は人であるそのことを
いつも思っているかしら?

きのう 私がしたこと
きょう 私がしようとすること
人であるそのことにかたく結ばれているかしら?
樹や花や小鳥や魚のように――
人であるそのことを美しく生きているかしら?
…………   ♪~

 花も樹もせいいっぱい生き、花を咲かせ、実をならせ、その命を美しく輝かせています。人である私たちはどうでしょうか? 日々の生活に流され、気がつけば老いを嘆く…。美しく生きるとはどんな生き方なのでしょうか?
 さらに散歩しながら、思索を続けたい方は、
二十四節気「処暑」2015追加へどうぞ → こちら

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  土手の草むらを覗けば、秋の虫たちが夜を待っています。
 今日も夜になれば、虫たちは短い命を必死に歌うのでしょう。

~♪「虫」    (八木重吉)
虫が鳴いている
いま ないておかなければ
もう駄目だというふうに泣いている
しぜんと
涙をさそわれる  ♪~

 自らの短い命を自覚した八木さんには、虫の声は祈りの声なのです。
 この詩は、救いへの祈りの歌ですね。
 たいした写真はありませんが、詩人と一緒に散歩を続けたい方は、
二十四節気「処暑」2011へどうぞ → こちら

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2017年8月26日 (土)

二十四節気「処暑」・雲と橋とこぶし

 二十四節気「処暑」2017の追加です。
 しだいに秋めいてゆく木津川土手周辺をさらに散歩しましょう。

~♪ 秋立つや
   雲はながれて
   風見ゆる ♪~

 江戸時代、与謝蕪村とともに活躍した三浦樗良の句です。私は、俳句のことはよくわからないですが、この句には大いに共感します。季節を運んでくるのは風です。風がほんの少し涼しさを運んできてくれる今の時期には、ぴったりの句ですね。
 蓮田や稲田、土手の上を風が吹き渡っていきます。

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  季節を運ぶのが風なら、季節を語るのは、草や木や虫たちです。
 秋立つ風を感じ、草花と対話しながら木津川土手を散歩したい方は、
二十四節気「処暑」2015へどうぞ → こちら

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  夏の終わり、暮れてゆく土手の上で、流れ橋を見るのは感慨深いです。
 詩人の高田敏子さんも橋を眺めながら、思索に耽っているようです。
橋の詩なら高田さんですね。
~♪ 「橋」
橋は聞いている
川の声を
…………
人も車も
橋の上に止まることはない
通過するもののために
橋はあるだけなのだ

それは
さびしさではない
やさしさ なのだと
…………   ♪~

 止まることなく川は流れてゆきます。人も恋さえもが、時の流れの中で変わってゆきます。橋の上で止まるものはなにもありません。すべてが過ぎてゆきます。橋は通過するもののためにあるのです。橋の美しさは、さびしさではなく、やさしさなのです。過ぎ去ってゆくものをやさしく見つめる存在なのです。
 夕暮れの流れ橋を見ながら、過ぎ去ってゆくものに思いを寄せたい方は、
二十四節気「処暑」2012へどうぞ → こちら

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  処暑の頃の土手に咲いているのは、ツルボの花です。空に習字をする筆のようです。何という字を書いているんでしょうね。希望? 憧れ?

 
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   コブシの木は、なぜ「コブシ」なのか、その秘密を知りたい方は、
二十四節気「処暑」2016へどうぞ → こちら

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