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2017年12月

2017年12月29日 (金)

二十四節気「冬至」2017

 12月22日は、今年最後の二十四節気「冬至」でした。いよいよ今年も終わりですね。では、いつものように、「冬至」の頃の木津川土手や鴻ノ巣山へ散歩に出掛けましょう。ただし、過去の写真をパソコン上で見るだけですが…。

 年の瀬になると、大売り出しのセールだの、正月準備の買い物だの、大掃除だの、世間の動きに引きずられ、何となく心が落ち着かず、慌ただしさを感じます。しかし、実は、私はほとんど用事らしい用事も無く、ナマコかクラゲのように、毎日グダグダと骨のない生活をしています。

 ~♪ 憂きことを 海月(くらげ)に語る 海鼠(なまこ)かな ♪~

  江戸時代の俳人・黒柳召波の句ですが、自分のことを言われているようでなんとも面白いです。天の高いところから俯瞰すれば、人もまた、世間という海の底を這い回るナマコのような存在かも知れません。私などは、まちがいなくナマコ。いや、クラゲかな?  どっちもどっちか。

 最初に選んだ写真3枚は、道を行く人がいる何げない風景です。立ち止まって見ていると、何か静かで穏やかです。人は、どこから来てどこへ行くのでしょうね。
 慌ただしく過ぎ去っていった1年が夢のように思われます。

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  冬の散歩道で、ほっと心を和ませてくれるのは赤い実たちです。道端の枯れ草にまぎれて、ひっそりと小さな希望を抱くように輝いています。
ヒヨドリジョウゴ。ノイバラ。枯れたホオズキ。

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  土手に生えている欅や榎などの木々は、冬になりすっかり葉を落とし、立ちつくしています。空に向かって投げ上げられた投網のように広がるその姿は、様々な思いをかき立ててくれます。いろいろな詩人の心もとらえています。
 吉野弘さんの場合をみてみましょう。「樹木」という詩の一節です。

~♪ ………
今は冬。
落葉樹と人の呼ぶ樹々は大方、葉を散らし
あるものは縮れ乾いた葉を、まだ梢に残し
時折吹き寄せてくる風にいたぶられ
錫泊のように鳴っている。
地面に散り敷いた枯葉を私は踏み
砕ける音を聞く。

人の体験できない別の生が
樹の姿をとって林をなし
ひととき
淡い冬の日を浴びている。私と共に。 ♪~

 「樹が枝分かれするときの決断。無数の芽が兆すときの微熱。それが苦痛なのか歓喜なのか。樹の目標は何か、完成とは何か、人はなにも知らない。」「人の体験できない別の生」である樹木。淡い冬の日を浴びて、共にあることの不思議。生きるとは何か。ひとときの安らぎ…。

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  ~♪「冬の欅 遠景」(吉野弘)
 冬の間、葉をすっかり振り落とした欅の樹形は、遠くから眺めると、開いて空に貼りついた扇子の骨のようにも見える。
 弧を描いている樹形は、木の上を毎日通り過ぎてゆく太陽の軌道が決めたもののような気がして、ほほえましい。……その樹形が、東の空から出て西に沈む太陽の軌道を忠実に反映していることを、冬の間中、私に示してくれる。……♪~

 落葉樹と呼ばれる木々は、冬になると裸になって、太陽の軌道の形に鍛え上げた自らの骨を風に晒します。樹木は太陽の子どもですね。そんなことを確認できるのは、今の時期ならではです。
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  「人はかって樹だった」の詩人・長田弘さんも冬の巨木を詩にしています。
~♪「おおきな木」 
………
大きな木の冬もいい。……黙って、みあげる。黒く細い枝々が、懸命になって、空を掴もうとしている。けれども、灰色の空は、ゆっくりと旋るようにうごいている。冷たい風がくるくると、こころのへりをまわって、駆けだしてゆく。おおきな木の下に、何があるのだろう。何もないのだ。何もないけれど、木のおおきさとおなじだけの沈黙がある。
 ♪~

 詩人たちには、木の語る沈黙の言葉が聞こえているようですね。
木津川土手の大榎は、何を語っているのでしょう。明るい明日について?

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  透きとおるような冷たい青空かと思えば、突然の雪時雨。走る雲。光芒。冬の天気は変わりやすいです。ドラマ仕立て?

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  最初の頃は、宇治田原によく出掛けていました。懐かしいです。
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  冬の散歩は、日だまりで枯れていく草の中に、小さなドラマを発見する楽しみもあります。賑やかにお喋りする雀たちの群れに、出会うこともあります。土手に沈む夕日はいつも美しいです。……今年最後の更新でした。
~♪人間の 海鼠(なまこ)となりて 冬籠もる♪~ (寺田寅彦)
 良いお年をお迎え下さい。では。
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2017年12月25日 (月)

定期診察(145)・6回目の輸血

 今日はKS病院血液内科の定期診察でした。
運の悪いことに、行きも帰りも雨に遭いました。晴れていたのに突然の雨でした。油断して、傘を持っていかなかったため少し濡れました。
 高校生が休みになったせいか、電車は空いていました。

 さて、最近の症状ですが…。
☆貧血症状がかなり進みました。ちょっと辛かったです。

☆発熱、骨の痛み、脇腹の膨満感、寝汗、鼻血、口内炎などの症状は相変わらず続いています。何とも言いようのない体のだるさも続いています。
体温が高い日が多くなりました。ロキソニンを飲んでいるにも拘わらず、37℃を超えることもあります。

☆以前は風呂好きでしたが、最近は風呂嫌いになりました。風呂に入ると目まいがします。おまけに、体が温まらないです。風呂から出た直後なのに、直ぐに手足が冷たくなります。風呂上がりのホッコリ感がないです。

 さて、診察結果です。
★ヘモグロビンはHb=6.5。 低~! 6回目の輸血です。

★血小板は8万/μlで、回復せず横ばいです。
5万/μl以下になると、血小板の成分輸血の対象になるそうです。あと少し…?
中央処置室の看護師さんの話では、実際に輸血しているのは、1万/μlくらいの人がほとんどということでした。

★結論としてジャカビは引き続き一日に2錠が続きます。
 診察が終わり、主治医が「来年も良いお年を!とは言いにくいですが……」と挨拶されました。私もちょっと笑いながら、「来年もよろしくお願いします」と頭を下げて、今年最後の診察を終わりました。
 私は、それなりの決意をもって来年を迎えます。
 みなさん、良いお年をお迎え下さい。   では。また。

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2017年12月22日 (金)

今年最後の撮影と吉野弘の詩

 最近は貧血も進み体調も良くない日が続いています。12月15日は風も無くうららかな小春日和となり、この日和に誘われて、木津川土手へ撮影に行ってきました。おそらく、今年最後の撮影ではないかと思います。
 大榎の傍に車を置き、歩いて長谷川河口へ。ここは今の時期、野茨の赤い実が鈴なりになり、日の光に輝いています。
 野茨の匍えた藪を歩こうものなら、鋭い棘で服はボロボロ、野茨は、人間からは嫌われものの植物です。しかし、私は野茨の花や赤い実に強く惹かれます。

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  私は、野茨の花や赤い実を見ると必ず、吉野弘さんの「つるばら」という詩をを思い出します。吉野弘さんといえば、「祝婚歌」や「I was born」という詩が代表作ですね。
 「祝婚歌」は、♪二人が睦まじくいるためには/愚かでいるほうがいい/立派すぎないほうがいい…♪と、夫婦の絶妙な関係を歌います。
  「I was born」では、英語を習い始めた少年が、英語で「生まれる」は、受け身で表現されていることを、新鮮な驚きをもって発見します。
 吉野さんは、平易な表現で読者の心を温かく包んでくれるような詩を書いた人だと思っている人もいると思いますが、それはちょっと違います。
私にとって、彼の代表作は、「つるばら」です。

~♪「つるばら」
まっすぐに立つ背を持たない
という非難と
侮蔑に
つるばらよ
どれだけ長く 耐えてきたろう。
 ………
まわりを
棘で威嚇して
心もとなく
つづいた
成長。

空と地の間を 横に這い進む
この成長には かすかな罪の匂いがある
向日性と向地性とのアイノコのような──。
 ………
ゆたかな葉と
その上にひらいた無数の花たちは
口のきけない人が
緑と真紅の絵の具だけにたよった
くるしい弁明のようだった。 ♪~

 吉野さんは、労働組合の書記長などを務める闘士でした。しかし、過労のため入院、療養生活に入り、労働運動から離れていきます。人間とは何かを深く思弁する中で、次第に詩人としての道を歩むようになったのです。
「まっすぐに立つ背を持たないという非難をあびながら、かすかな罪の匂いがある向日性と向地性とのアイノコのよう」に生きている人間性の本質を歌ったのです。
吉野さんの「何をつくった」の詩の一節です。

~♪労働者は何を作った
  いや
  労働者は何を作る?
  これからもずっと
  資本家の思いつきに合わせて?
  自分をつくってゆく?
  自分をこわしてゆく? ♪~

 労働者側に立ち資本に対峙しながらも、自らの肉体や生活を壊していく自分。まっすぐに立つことの難しさ、苦悩。このような深い人生の体験の中から、彼の人間的なやさしさが生まれてくるのです。私には、痛いほど理解できます。
 嫌われながらも、棘で威嚇しながら赤い実を守り続けようとする野茨。何かせつなく、何か温かさを保っているように思うのは、私だけでしょうか?

 長谷川河口の藪の中には、野茨と同じツル植物のキカラスウリの実もあります。橙色の実が、何とも温かです。
  倒れかかったた葦の穂。残り柿と野焼きの煙。
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  土手下の畑で冬ネギを収穫する夫婦。大榎を撫でる老夫婦。
夕日をあびる茶畑の残り柿。冬の風景は意外にも温かですね。
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  少し前になりますが、12月3日も小春日和の温かい一日でした。宇治川のダム湖をドライブしてきました。紅葉が残っていましたので、数枚シャッターを切りました。
 これで、今年の写真は終了です。 では。 また。

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2017年12月18日 (月)

二十四節気「大雪」・詩人と歩く

 今の二十四節気は「大雪」です。、雪の便りも本格化してきた「大雪」の頃。詩人と一緒に、木津川土手を散歩しましょう。(ただしパソコン上ですが…)

 散歩とは何でしょうか? 風景と対話しながら歩くことですね。決して体力づくりのためなどと急いではいけません。息が切れると、風景の言葉が聞こえなくなります。
 詩人の高田敏子さんも言っています。
~♪「じっと見ていると」 (高田敏子)
流れる雲を見ていたら
雲がいったのよ
「田舎のおばあちゃんが
ほしガキたくさん作っていますよ」
 ………
金色のイチョウの葉
きれいねと見とれていたら
「さよなら さよなら また来年ね」
風にふかれて 散っていった

なんでも じっと見ていると
聞こえてくる いろんなことば
いろんな おはなし  ♪~

 詩人の金子みすずさんは、生きているもの、そして存在するものすべてに意味を見出した詩人ですね。
~♪「みんなを好きに」
私はすきになりたいな、
何でもかんでもみいんな。
 ………
世界のものはみイんな、
神さまがおつくりになったもの。♪~

 「落ち葉のカルタ」、「雲」、「土」、「草の名」、「土と草」など、金子みすずさんと一緒に、木津川土手周辺を散歩したい方は、
二十四節気「大雪」2016前半へどうぞ → こちら

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  金子みすずさんは、どんな詩人か知りたい方は、僭越ながら私の解説でよろしければ、「金子みすずの詩を読む」へどうぞ → こちら
 「青い空」、「雲」、「このみち」、「日の光」、「さようなら」、「声」など、さらに金子みすずさんと一緒に、木津川土手周辺を散歩したい方は、
二十四節気「大雪」2016後半へどうぞ → こちら

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  詩人の茨木のり子さんの第Ⅱ詩集は、「見えない配達夫」です。季節を配る見えない配達夫。逝きやすい時代のこころを配る配達夫。茨木のり子さんの「見えない配達夫」に合わせて、木津川土手周辺を散歩したい方は、
二十四節気「大雪」2015後半へどうぞ → こちら

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  人生とは何でしょうか?
 茨木のり子さんは言います。(ぎらりと光るダイヤのような日より)
~♪
短い生涯
とてもとても短い生涯
六十年か七十年の
 ………
世界に別れを告げる日に
ひとは一生をふりかえって
じぶんが本当に生きた日が
あまりにすくなかったことに驚くだろう
♪~
 
 詩人の石垣りんさんも考えます。(私はこの頃より)
~♪
この美しい陽の照るきわに
花はどのように散り
木はどのように実るのであろうか
私はこのごろ不安な心で
滅びの支度について 考える――。
♪~

 美空ひばりさんは歌います。人生は川の流れのようだと…。芥川龍之介「大川の水」。世界民謡の「アフトン川の流れ」。広瀬川の「青葉城恋歌」。三好達治の「Enfance finie 」。ロマンロラン「魅せられたる魂」。「大岡川」など、川の流れに沿って自分の人生を振り返ります。
 二十四節気「大雪」・川の流れは、 → こちら

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  大震災以後注目されている詩人・和合亮一さんの詩集「木にたずねよ」より、「見上げる木」という詩です。
~♪
とても疲れているのに
こころを休める方法が分からない
それを考えすぎて
もっとくたびれてしまう
 ………
とても悲しいのに
伝える方法が分からない
それを考えすぎて いつも
あの大きな木を見上げてしまう
~♪

 冬すがたの大きな樹木に出会える、
二十四節気「大雪」2015・追加は、 → こちら 

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2017年12月14日 (木)

原爆死の真実・紹介と感想

 NHKスペシャル取材班著「原爆死の真実」(岩波書店)を読みましたので、内容の紹介と感想を書かせていただきます。この本は、2015年8月6日に放映されたNHKスペシャル「きのこ雲の下で何が起きていたのか」を書籍化したものです。証言者を捜し、事実を丹念に追っていく圧倒的な取材力に驚かされます。お薦めします。

 【出発は2枚の写真】
 下に掲げた2枚の写真。原爆に係わる写真といえば、郊外で写したきのこ雲の写真や数日後に写された写真は残されていますが、被爆3時間後の街の中の様子を写したものは、この2枚の写真が唯一の写真です。
  この写真を撮ったのは、中国新聞社のカメラマン・松重美人氏。涙でファインダーが曇る中で、シャッターを二度だけ押したのです。その後、松重氏は、市内の中心部に足を踏み入れ、焼けた路面電車を見つけます。ステップに足を掛け中を覗いた彼は、数十人の凄惨な死体が折り重なる光景に、恐怖と申し訳なさを感じ、二度とシャッターを押すことはできなかった、と手記に書き残しています。
  このような状況下で、この2枚の貴重な写真だけが残されたのです。

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  【撮影場所は御幸(みゆき)橋】
 発生した大火災に追われた人々は、先ず大きな通りへ出た後、橋を渡ることになります。南東方面に逃げた人々は、この御幸橋を目ざしたのです。火の手は川で遮断されます。御幸橋は、まさに「壊滅地帯」の出口であり、「生と死の境界点」だったのです。
 取材班は、この御幸橋の写真に写っている人を捜し、証言を集め、いったいこの写真に写し出された光景は、どんなものだったのかを明らかにしていきます。

 【セーラー服の女学生】
 左側の写真で、一番手前にセーラー服を着た女学生らしい女性が写っています。
この女性は、当時13歳。過去に、写真に写っているのは自分であると名乗りでたが、メディアの取材に深く心が傷つき、以後メディアの取材は避けてきました。NHK取材班の丁寧な何回かの取材の結果、ようやく重い口を開いたのでした。
 セーラー服は従姉妹からもらったもの。勤労動員の最中に被爆し、友達と逃げてきたこと、硝子の破片を浴びて大けがをしていることなど被爆時の詳細が証言されます。
 この写真に写っている光景で、忘れられないことは?との質問に、衝撃的な回答が返ってきます。右の写真で、中央少し右に、全身が黒い女性が写っています。(足が少し曲がった女性です。)この女性は何か黒いものを抱いています。これは、「黒こげになった赤ちゃんを抱いていた…。」  ………。

 【日本被団協の坪井直さん】
 右の方の写真では、橋の欄干に沿って人々が座り込んでいるのが写っています。
この列の中に、後の日本被団協の坪井直さんもいたのです。みんな痛みのために立っていることができず、座り込んでいたのだそうです。坐ることもできず倒れた人の「水」、「助けて」、「お母さん」といった声が聞こえていたそうです。
 立っている人たちは、何をしていたのでしょう。足元に四角い箱のようなものが写っています。これは、菜種油の入った一斗缶で、みんなは火傷の上に油を塗っていたのだそうです。坪井さんの証言はなおも続きます。………。

 【垂れ下がる皮膚とフラッシュ・バーン】
 左の写真のやや右側に、服がボロボロの女性が写っていいます。専門家は、これは服ではなく皮膚であると指摘します。熱傷について研究するこの専門家は、フラッシュバーンという、人間にとって最高度の痛みを与える熱傷のメカニズムを明らかにします。
  フラッシュバーンとは、強烈な光線により、皮膚の下の血液などの液体が一瞬に沸騰する熱傷のことです。表皮がはがれることにより、痛覚神経が刺激され続け、最高度の苦痛を与えるのです。原爆は、放射線、熱線、爆風、火災による複合的な大破壊をもたらします。そして、人に必要以上の苦痛を与える非人道兵器なのです。
 左の写真の右端に写っている人も、手をだらりと下げていて、フラッシュバーンの火傷を負っていると考えられます。火傷により体の表面から急速に水分が失われます。そのため、異常な喉の渇きに襲われ、みんな水を求めていたのです。「水」、「水」という声が溢れていたと、証言者は述べています。……。 

【この続きは……】
 こんな調子で内容を紹介していくと、スペースが足りませんね。私の下手くそな説明を読んでいるよりは、本を読んでいただく方が早いですね。
 私は、過去に何度もこの2枚の写真を見ています。しかし、この写真に写し出されているものが、いったい何であるのか、ここまで深く考えたことはありません。ただ何となく、悲惨な広島の被爆写真としてしか見ていませんでした。猛反省です。
   この本、お薦めします。
      ******
  国連会議で、122カ国という圧倒的多数で「核兵器禁止条約」が採択されました。唯一の被爆国である日本は、この条約に棄権の態度をとっていましたが、今回、明確な反対を表明して議場から退席しました。情けない限りです。
 「日本はアメリカの核の傘に守られている」。これが理由です。しかし、アメリカが北朝鮮に対し軍事的選択肢をとれば、日本が核攻撃を受けるかも知れない事態となっています。アメリカは、軍事的な選択肢を含めすべての選択肢を用意していると言い、日本政府はそれを全面的に支持していると宣言しています。話し合いは不要、必要なのは圧力。これは、国民を危険にさらす余りにも酷い発言でしょう。
 ここに来て、アメリカの核の傘で守られているという、アメリカに従属した安全保障体制は、大きな問題があることが明らかになってきたと思います。本当は、守られていたのではなく、アメリカの戦争政策に追随していただけのこと……。
  戦後70年が経ちました。今こそ悲惨な戦争の原点に立ち帰って、アメリカに従属しない、日本独自の安全保障体制を構想する段階に来ているようです。

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2017年12月11日 (月)

定期診察(144)・血小板急減少

 今日はKS病院血液内科と年一回の眼科の定期診察でした。
高校生が休みになったせいか、電車は空いていました。

 さて、最近の症状ですが…。
☆貧血症状は、かなり進みんだ気がします。少し動いただけで息が切れます。

☆発熱、骨の痛み、脇腹の膨満感、寝汗、鼻血、口内炎などの症状は相変わらず続いています。これに加え、何とも言いようのない体のだるさが出てきました。何かの拍子に吐き気を感じることもよくあります。

☆寒くなってきて、手足の冷えも尋常ではないです。氷のようです。

 さて、診察結果です。
  【眼科の診察】
★一年ぶりの爽やかな女医さんです。心が和みます。
 糖尿病による眼底の変化は無いということでした。
年相応の白内障が進んでいるということで、日常生活に支障が出るようなら、いつでも来院して下さいということでした。

  【血液内科の診察】
★ヘモグロビンはHb=7.0。 主治医は悩みながらも、輸血は無しです。

★血小板が8万/μlと一段減少しました。
 今回は様子を見るそうですが、ジャカビを減らすとか、いろいろ試さなくては…、ということです。血小板の減少は、現局面での病気進行の目印のようです。病気の進行は着実なようです。

★総コレステロール、中性脂肪、悪玉コレステロールも半端でなく異常ということでした。これ以上薬の種類が増えるのもリスクだし…、ウーン……、様子を見るそうです。今日は、主治医は迷うことが多かったです。
 主治医の関心がコレステロール値に向かっているのは安心、と楽観していましたが、脂質の代謝異常が起こっており、食事で改善できるような問題ではなく、楽観できるようなことではないようです。素人の勝手な考えでした。

★結論としてジャカビは引き続き一日に2錠が続きます。
 年末、年始で病院が休みになるため、次回は必ず輸血をしておくそうです。
                                 では。また。

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2017年12月 8日 (金)

二十四節気「大雪」2017

 12月7日は、二十四節気の一つ「大雪」でした。西日本の平地でも雪の便りが聞かれるようになりました。今年は、冬の進み方が早いようです。

~♪はかなくて
   木にも草にも いわれぬは
  心の底の思ひなりけり  ♪~

  江戸時代の歌人・香川景樹の歌です。木や草にも言うことができない心の思いって何でしょうか。言ってしまえば終わり、心の中だけで温めておきたい思い。何かそんな思いが心の中にあるような気がする冬の一日。小春日和です。温かな日だまりを求めて散歩に出掛けましょう。
 では、「大雪」の頃の散歩写真を紹介していきます。過去の「大雪」へのリンクということになりますが……。

 先ず2010年の「大雪」の頃です。この頃はまだ体調に異変はなく、木津川土手ばかりでなく、宇治川、背割り堤、宇治田原茶畑と撮影場所は広かったです。苦手の早朝も何とか頑張っていました。
 二十四節気「大雪」2010へのリンクは → こちら
 写真は、宇治川天ヶ瀬ダム湖。天ヶ瀬ダム下流の朝。興聖寺紅葉。

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  体力づくりも兼ねて、鴻ノ巣山へもよく散歩に行っていました。2011年の「大雪」は鴻ノ巣山の写真が中心です。
 九条武子の歌です。鴻ノ巣山とは、何かこの歌を思い出します…。
~♪ 何という足れる姿ぞ 山も海も はた生うる木も おのずからゆゑ  ♪~
  二十四節気「大雪」2011へのリンクは → こちら

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  木津川土手の散歩でよく行った場所に、近鉄木津川橋梁があります。夕日が綺麗ですが、太陽の位置関係から、撮影チャンスは冬の時期だけです。
 正月に向けてクワイの収穫。鴻ノ巣山の紅葉。以上3枚です。
  二十四節気「大雪」2012へのリンクは → こちら

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  今の時期、いたる所で枯れ草などを焼く作業が行われます。よく晴れて風のない日は、夕方の空気がうっすらと紫色に見えます。晩秋から初冬の何とも言えない空気感です。懐かしいような、寂しいような…。 三枚目は、鴻ノ巣山の紅葉です。
  二十四節気「大雪」2013へのリンクは → こちら

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  冬の散歩道を赤く彩るのが、ヒヨドリジョウゴなどの赤い実。
網目状に枯れたホオズキの実。
取り残されたイチジクの実は、イチジクの産地城陽市ではよくある光景です。小さな拳みたいです。悔しさを握りしめた……。
  二十四節気「大雪」2014へのリンクは → こちら

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2017年12月 5日 (火)

悪魔のティティヴィルスの話

Chuseini  今回は、中世ヨーロッパで目撃された悪魔のティティヴィルスの話です。

 この悪魔は、アイリーン・パウワー著「中世を生きる人々」(東京大学出版会)という本の中に登場しています。まずは、この本の紹介から。

  著者のアイリーン・パウアは、イギリスの中世史家です。この本は、中世のヨーロッパ社会に生きた無名の人々の姿を描いたもので、6人の人物が登場しますが、13世紀の旅行家マルコ・ポーロ以外は、まったく普通のありふれた人物です。農夫、尼僧院長、パリの主婦、羊毛商人、毛織物の織元の6人を通して、中世ヨーロッパの本音の人間生活が活き活きと描かれています。
 私たちは、中世ヨーロッパと聞けば、神聖な祈りに満ちた世界、魔女狩りや封建的因習に満ちた暗黒社会、アーサー王や騎士の恋物語などを思い浮かべますが、実際の生活がどんなだったかは、ほとんど知りません。
 人間社会ではいつの時代でも、法律や支配の抜け穴をチャッカリと生き抜く人々がいたり、欲望や喜怒哀楽に動かされながら生活する人間臭い人々がいるものです。中世のヨーロッパ社会も同じであることを、この本は教えてくれます。

  さて、悪魔のティティヴィルスの話は、第3章「マダム・エグランティーン」に出てきます。尼僧院長のエグランティーンの生活を描くことにより、中世の修道院の実態が明らかにされていきます。
  修道院といえば、禁欲的で厳粛な雰囲気を想像しますが、実際は必ずしもそうではなかったようです。
  「祈祷は空虚な形式と化し、信仰の念は薄らぎ、時には恥ずかしいほど冒涜的な態度でそそくさとすまされた。余りにもきまりきった日課が、もたらす当然の反動であった。……中世後期の修道院において時間不励行の罪はごく普通のことだった。…祈祷の間にくすくす笑い、ふざけ、喧嘩をし、下の席でうたっている人の剃った頭に上の席からあつい蝋燭の蝋を落とした。……」
 「祈祷の言葉をとばし読みする者、もぐもぐと誤魔化す者、いい加減に急ぐ者、神聖な聖歌を歌う時、ぶらぶらする者、とびはねる者。」 こんなような状況だったので、悪の父はティティヴィルスという悪魔を傭うことにしたのです。

  信仰心の深い人には、しばしばティティヴィルスは目撃されていました。長い大きな袋を首のまわりにぶら下げ、みすぼらしい姿で尼僧席の周りをウロウロしながら、不誠実な言葉を袋に集めるのです。
  修道院長に見つかり、問いつめられたティティヴィルスは答えます。
  「毎日あなた方の修道院で読んだり歌ったりする時にできる失敗、怠慢、言葉のきれはしなどを千袋ずつ主人の所に持っていかねばなりません。そうしないとひどくぶたれるのです。」
 彼は、神のためではなく自己の虚栄のために歌うテナー歌手の歌も、人々のつまらない噂話なども袋に詰めていたそうです。
 ティティヴィルスを傭った悪の父も、さぞかし満足だったことでしょう。
 
 中世ばかりでなくいつの時代も、人間は不誠実な言葉やいい加減な言葉を吐き続けています。堕落した言葉を拾い集めなければならないティティヴィルスの仕事は、際限もなく続いています。哀れなティティヴィルスに同情、いや共感してしまいます。
 宗教改革前夜の中世に目撃されたという悪魔のティティヴィルスの話、何か深く印象に残ります。
   ……………
 悪魔のティティヴィルスのその後について、この本には記述はありませんが、中世の修道院以上に堕落した現代の日本では、悪魔のティティヴィルスは忙しく働いているに違いありません。特に不実な言葉が飛び交う永田町と呼ばれる界隈では……。
 今の日本ほど、堕落した言葉が溢れ、言葉が意味を失っている時代はありません。
「丁寧な説明」とは、なにも説明しないことであり、
「働き方改革」とは、残業代を払わずに、非正規で一生働かせることであり、
「1億総活躍」とは、老人も病人も低福祉で働き続けろ、という意味です。
「人づくり革命」とは、人を潰す政策を隠すための言葉です。
「危機突破」とは、危機を振りまくことでした。
「忖度する言葉」。流行語大賞です。人を堕落させる言葉ですね。

 東京都庁方面で、ティティヴィルスを見たという噂もあります。
「東京大改革」、「日本をリセット」、「改革の一丁目一番地」。この空虚な言葉をティティヴィルスが見逃すはずはありませんね。
 現代のティティヴィルスは、どんな姿をしているんでしょうね。
 私も目撃したいものです。
  悪魔のティティヴィルスの話でした。 「中世を生きる人々」お薦めします。

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2017年12月 2日 (土)

二十四節気「小雪」・鴻ノ巣山

 今は、二十四節気の「小雪」の時期に当たります。
 貧血が進んで来たため、ほんの近くなのにもう一年半ほど、鴻ノ巣山に行けていませんでした。「小雪」の小春日和の暖かさに誘われて、思い切って出掛けてきました。トボトボ歩きです。お婆さんに追い抜かされて…。

 鴻ノ巣山につながる水度神社の参道では、いつの間にか新しいヘアサロンがオープンしていました。店の看板は大きな時計です。時の流れを感じさせるかのるように…。
参道の木々はみな、紅葉して盛んに落ち葉を散らしています。

~♪「木」(まどみちお)
木が そこに立っているのは
それは木が
空にかきつづけている
きょうの日記です

あの太陽にむかって
なん十年
なん百年
一日一ときの休みなく
生きつづけている生命のきょうの……
  ………        ♪~

参道の木々たちは、しばらく会わない間にどんな日記を書いていたのでしょう。
今年の紅葉は、今を盛りに終わりが近づいています。
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  参道の石畳の上には、赤や黄色の落ち葉が風に吹かれています。
 石垣りんさんの「風」という詩を思い出しました。

~♪「風」 (石垣りん)
 ………
生まれたとき
人は舞い落ちた
一枚の木の葉

どこから?
どこかから。

そのときから
帰れない。
どうしても
帰れない。
 ………
みんな
あしたのほうへ
吹き寄せられてゆく。
 ………    ♪~

 人は木の葉。二度と帰れない落ち葉。漂泊感・締命感が漂っていますね。
 ダダイズムの詩人・高橋新吉さんの場合は、もっとストレートで強烈です。
 
~♪「落ち葉」 (高橋新吉)
生きるに及ばざるなり
死に果てて白く
風にさらされるべきなり
しぐるる雨のさびしさに
 ……
地に散りきし落ち葉なれば
何事もなく眠るべし ♪~

 落ち葉を見て思うことは、人それぞれですね。
私は高橋新吉派かな? どちらかといえば…。
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  鴻ノ巣山へつながる水度神社では、入り口の木がよく紅葉しています(最初の2枚の写真)。 3枚目は、私のお薦めポイントの紅葉のトンネル。

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  石垣りんさんに、「枯葉」という詩があります。
~♪ 「枯葉」
どいてくれないかな
木の葉は
言葉にならない
そんな要求の前に
少しずつ枯れ
少しずつ落ちていった

病み疲れたちちが
死にたい、とひとこともらした
私は言わなかった
負わされた生活が重荷だとは
 ………
木の葉がいたたまれなくなって
落ちていくのを
冷たい自分の
ひとつの仕打ちのために
おびただしい悔いが
降りつもるのを  ♪~

 石垣さんに背負わされた家族の重み。この詩は、ちょっと深刻ですね。
5千億円も社会保障費を削ったと自慢する首相がいる国では、特にそうですね。
写真は、お薦めポイントを散歩する人。散歩の人が行き交います。

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Shousetuknos0501 帰りは、すっかり日が傾いて、黒い影が長くくっきりと伸びていました。
その中を落ち葉がカサカサと、風に吹き寄せられていきます。どこへ?
 お気に入りの一枚が撮れました。 では。また。 

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