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2017年11月29日 (水)

蜜柑の想い出

  Akutagawa0102 立冬も過ぎ、寒さが増して来ました。炬燵に入って蜜柑でも食べたくなる季節になりましたね。そんなわけで、今回は「蜜柑」にまつわる想い出などを書いてみます。

 芥川龍之介の作品に、「蜜柑」という短編があります。先ずは、この作品を紹介してみます。

 冬の日暮れ方、主人公の「私」は、横須賀発上りの汽車に乗ります。
「私の頭の中には云いようのない疲労と倦怠とが、まるで雪曇りの空のようなどんよりとした影をとしていた。」
  発車間際に、小娘が慌ただしく駆け込んできて、「私」の前の席に座ります。
「油気のない髪を銀杏返しに結って、…皹(ひび)だらけの両頬を気持ちの悪い程赤く火照らせた、如何にも田舎者らしい娘だった」
 垢じみた萌黄色の襟巻き。大きな風呂敷包みを抱いた霜焼けの手。「私」は、この小娘に対して「不快感」や「腹立たしさ」のようなものを感じるのです。
 列車がトンネルを抜け、町はずれの踏切に差しかかった時、「私」は意外な光景を目にします。
「頬の赤い三人の男の子が、目白押しに並んで立っているのを見た。……一斉に手を挙げるが早いか、いたいけな喉を高く反らせて、何とも意味の分からない歓声を一生懸命に迸(ほとばし)らせた。」
  この時、この小娘は窓から身を乗り出し、蜜柑を五つ六つ、男の子たちに向かってほうり投げたのです。
 「私」は思わず息を呑み、この瞬間にすべてを理解するのです。
これから奉公先に赴こうとする娘。わざわざ踏切まで見送りに来た弟たち。
「小鳥のように声を挙げた三人の子どもたちと、その上に乱落する鮮やかな蜜柑」。
「暖かな日の色に染まっている蜜柑」。娘から弟たちへの惜別の贈り物。
「私」の心の上に、切ないほどはっきりと、この光景が焼き付けられたのです。
  ………

 まだ多くの人が貧しかった日本。娘たちは女中奉公に、男たちは丁稚奉公や工場労働者として故郷を離れていった時代。そんな時代の夕暮れの空に投げ上げられた蜜柑。鮮やかな放物線を描き落下していきました。
 およそ百年前に、芥川龍之介に目撃された蜜柑。今の時代でも、誰かがどこかで投げ上げているのでしょうか。暖かな日の色に染まった蜜柑を……。
  私の心の奥には、この蜜柑の映像が、見たわけでもないのにはっきりと記憶されています。冬のきれいな夕焼けを見ると、空に蜜柑が飛んでいるような気がします。
 芥川龍之介「蜜柑」、名作です。お薦めします。

 実は私にも、蜜柑にまつわる想い出があります。次にそれを…。僭越ながら…。

  半世紀も前のことです。年の瀬の夕刻、私は京都駅より山陰線午後18時発の列車に乗りました。学校が冬休みになり、丹後半島にある故郷に帰省するためです。汽車を降りてから、まだバスを乗り継がねばならず、この汽車が故郷に向かう実質最終列車です。私と同じ出身地の人にはよく知られた、京都駅発18時の最終列車です。
 私の目の前の席には、私と同じ年頃のちょっと可愛い女性です。私は、可愛い女性を見れば、下心を持って話しかけるなどということは、決してしないタイプの人間です。
 黙って本を読んでいた私に、その女性が、「どうぞ。食べませんか。」と、蜜柑を一つ手渡してくれたのです。その時の生温かい蜜柑の感触は今も忘れられないです。
 たどたどしく続く会話から、この女性は、私の隣町の出身で、大阪に就職し一年目の正月を故郷で過ごすために帰省するところでした。
 たどたどしく、おずおずと会話は続きました。
 この女性を楽しませようとあれこれ話題を探していましたが、数学の問題を解くようにはいかず、なかなか難しい問題でした。
  私が、「大阪へ出て一番嫌なことは何ですか?」と質問したとき、衝撃の言葉が返ってきました。何かを訴えるような、いや、悲しそうにも聞こえる声で…。

 「都会の空は、星が見えないんです。それが一番寂しくて……。」

 この言葉を聞いた瞬間、頭の中を言葉にならない考えが、激しく駆け巡りました。「私は、最近星を見たことがない」。「私は、何か大切なもの忘れていたのでないか」。言葉が見つからず、窓の外に目をやると、暗闇のむこうに漁り火のように、村々の灯りが見えていました。  ………

 東京オリンピックや高度経済成長に湧く日本。空の星が見えなくなっていった日本。私が生きてきた、団塊の時代と呼ばれるその後の時代は、何か大切なものを忘れていく時代だったのでしょうか。
  蜜柑をくれた女性。生温かった蜜柑の感触。寒い冬の空を見上げると、いつも懐かしく思い出します。
 この女性は、今でも、どこかで、星を見上げているのでしょうか。
  蜜柑の想い出でした。  では。また。

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コメント

蜜柑の思い出。あますっぱい青春の思い出ですね。

都会の空は星が見えない、、、その通りですね。
この宇治だって多くは見えないですから。1度
大台ケ原へ行った時、星ってこんなに多かったのか、
と驚きました。空が綺麗です。

またクラスメートが多く結婚後東京に住みまして、
東京は山がないのが最もつらかったのですって。

芥川龍之介の時代、自然は美しくても生活が貧しく
どんな日本だったのでしょう。蜜柑の暖かさだけが
ほっとしますね。

投稿: 輝子 | 2017年11月30日 (木) 12時39分

輝子さん、こんにちは。

東京は山がないですか。やはり、山もふるさとの
目印ですね。京都盆地の中では、比叡山も愛宕山
も見えていて、いいですね。
私は、海辺で少年時代を過ごしたので、海もなかなか
いいものです。

城陽市は現在、高速道路の建設ですごいです。
私が散歩していたコースは、道路工事と重なるため、
雑草と遊んでいた畦道は、ほとんどなくなりました。
文化パルクも民間に売却されるそうです。
今頃になって、開発の波がやってくるとは
どうなっているんでしょうね。

投稿: 墓石 | 2017年11月30日 (木) 15時01分

何中学?から古川への道でよく蓮を撮ったのですが、
昨年だったか工事をやっていて、その後行かなく
なりましたが、その辺も墓石さんの散歩コースですか?
城陽パルクも民間に売却ですか。
随分変わりますね。

投稿: 輝子 | 2017年11月30日 (木) 19時28分

墓石さま こんばんは。

素敵な蜜柑の思い出をありがとうございます。
その蜜柑、生温かかったのですね。
なんだか不思議です。

でも、芥川龍之介の作品に出てくる蜜柑も
きっと、温かかったのでしょうね。
作品を読んだことはありませんが、
幼い弟たちの手には、お姉さんの手のひらで
温められた蜜柑がしっかりと握られたのでしょうね。

和歌山出身の義母が、蜜柑が大好きだったので
なんだかとっても懐かしい思いがしました。

それにしても、今の時代だったら、
汽車(電車)を降りる前にアドレス交換?
真面目そうな墓石青年の姿が目に浮かびます。

明日からもう師走ですね。
そうぞお元気で過ごされますように。

投稿: ひかる | 2017年11月30日 (木) 20時51分

輝子さん、こんばんは。

中学校は西城陽中学校です。このあたりもよく行きました。
しかし、工事で風景が変わってしまいました。
古川周辺は大きな変化はありませんが、道路が整備され
綺麗になりすぎています。
文化パルクは、リースバックされるので、当分は大きな
変化はないと思います。
次第に風景が変化していくのは、寂しい気がします。

投稿: 墓石 | 2017年11月30日 (木) 21時38分

ひかるさん、こんばんは。
コメントありがとうございます。

この蜜柑の思い出は、忘れられない思い出です。
この頃は、まだ女性を神聖視していたような……。
力を抜いて女性と対話できるようになるには、
もうしばらく時間が必要でした。
実は、この女性とはまだ後日談があるのです。
悲しい物語が・・・。
それは、まだまだ口にできる段階にないです。
他人が聞けば、笑い話ですけどね。私には……。

また、寒くなるようです。風邪をひかないように
気をつけて生活します。ひかるさんもお元気で。

投稿: 墓石 | 2017年11月30日 (木) 21時57分

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