« 2017年10月 | トップページ | 2017年12月 »

2017年11月

2017年11月29日 (水)

蜜柑の想い出

  Akutagawa0102 立冬も過ぎ、寒さが増して来ました。炬燵に入って蜜柑でも食べたくなる季節になりましたね。そんなわけで、今回は「蜜柑」にまつわる想い出などを書いてみます。

 芥川龍之介の作品に、「蜜柑」という短編があります。先ずは、この作品を紹介してみます。

 冬の日暮れ方、主人公の「私」は、横須賀発上りの汽車に乗ります。
「私の頭の中には云いようのない疲労と倦怠とが、まるで雪曇りの空のようなどんよりとした影をとしていた。」
  発車間際に、小娘が慌ただしく駆け込んできて、「私」の前の席に座ります。
「油気のない髪を銀杏返しに結って、…皹(ひび)だらけの両頬を気持ちの悪い程赤く火照らせた、如何にも田舎者らしい娘だった」
 垢じみた萌黄色の襟巻き。大きな風呂敷包みを抱いた霜焼けの手。「私」は、この小娘に対して「不快感」や「腹立たしさ」のようなものを感じるのです。
 列車がトンネルを抜け、町はずれの踏切に差しかかった時、「私」は意外な光景を目にします。
「頬の赤い三人の男の子が、目白押しに並んで立っているのを見た。……一斉に手を挙げるが早いか、いたいけな喉を高く反らせて、何とも意味の分からない歓声を一生懸命に迸(ほとばし)らせた。」
  この時、この小娘は窓から身を乗り出し、蜜柑を五つ六つ、男の子たちに向かってほうり投げたのです。
 「私」は思わず息を呑み、この瞬間にすべてを理解するのです。
これから奉公先に赴こうとする娘。わざわざ踏切まで見送りに来た弟たち。
「小鳥のように声を挙げた三人の子どもたちと、その上に乱落する鮮やかな蜜柑」。
「暖かな日の色に染まっている蜜柑」。娘から弟たちへの惜別の贈り物。
「私」の心の上に、切ないほどはっきりと、この光景が焼き付けられたのです。
  ………

 まだ多くの人が貧しかった日本。娘たちは女中奉公に、男たちは丁稚奉公や工場労働者として故郷を離れていった時代。そんな時代の夕暮れの空に投げ上げられた蜜柑。鮮やかな放物線を描き落下していきました。
 およそ百年前に、芥川龍之介に目撃された蜜柑。今の時代でも、誰かがどこかで投げ上げているのでしょうか。暖かな日の色に染まった蜜柑を……。
  私の心の奥には、この蜜柑の映像が、見たわけでもないのにはっきりと記憶されています。冬のきれいな夕焼けを見ると、空に蜜柑が飛んでいるような気がします。
 芥川龍之介「蜜柑」、名作です。お薦めします。

 実は私にも、蜜柑にまつわる想い出があります。次にそれを…。僭越ながら…。

  半世紀も前のことです。年の瀬の夕刻、私は京都駅より山陰線午後18時発の列車に乗りました。学校が冬休みになり、丹後半島にある故郷に帰省するためです。汽車を降りてから、まだバスを乗り継がねばならず、この汽車が故郷に向かう実質最終列車です。私と同じ出身地の人にはよく知られた、京都駅発18時の最終列車です。
 私の目の前の席には、私と同じ年頃のちょっと可愛い女性です。私は、可愛い女性を見れば、下心を持って話しかけるなどということは、決してしないタイプの人間です。
 黙って本を読んでいた私に、その女性が、「どうぞ。食べませんか。」と、蜜柑を一つ手渡してくれたのです。その時の生温かい蜜柑の感触は今も忘れられないです。
 たどたどしく続く会話から、この女性は、私の隣町の出身で、大阪に就職し一年目の正月を故郷で過ごすために帰省するところでした。
 たどたどしく、おずおずと会話は続きました。
 この女性を楽しませようとあれこれ話題を探していましたが、数学の問題を解くようにはいかず、なかなか難しい問題でした。
  私が、「大阪へ出て一番嫌なことは何ですか?」と質問したとき、衝撃の言葉が返ってきました。何かを訴えるような、いや、悲しそうにも聞こえる声で…。

 「都会の空は、星が見えないんです。それが一番寂しくて……。」

 この言葉を聞いた瞬間、頭の中を言葉にならない考えが、激しく駆け巡りました。「私は、最近星を見たことがない」。「私は、何か大切なもの忘れていたのでないか」。言葉が見つからず、窓の外に目をやると、暗闇のむこうに漁り火のように、村々の灯りが見えていました。  ………

 東京オリンピックや高度経済成長に湧く日本。空の星が見えなくなっていった日本。私が生きてきた、団塊の時代と呼ばれるその後の時代は、何か大切なものを忘れていく時代だったのでしょうか。
  蜜柑をくれた女性。生温かった蜜柑の感触。寒い冬の空を見上げると、いつも懐かしく思い出します。
 この女性は、今でも、どこかで、星を見上げているのでしょうか。
  蜜柑の想い出でした。  では。また。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2017年11月27日 (月)

定期診察(143)・主治医の関心

 今日はKS病院血液内科の定期診察でした。
電車の中から見える遠くの風景が、朝霧で霞んで見えていました。山の上から見れば、街が雲海に包まれていたかも知れません。写真を撮りに行きたくなりました。
 電車の中で咳き込んでいる人が複数いました。要注意ですね。

 さて、最近の症状ですが…。
☆貧血症状は、少しマシです。前回、輸血をしましたので…。

☆ロキソニンは、一日2錠は変わらずです。胃の調子は悪いです。ロキソニンを飲まずに何処まで耐えられるか、人体実験みたいなことを、またしてもやりました。やはり、発熱と痛みは凄いです。

☆脇腹の膨満感、寝汗などの症状は続いていますが、今回特に酷かったのが、鼻血と口内炎。ロキソニンを飲んでいるにも拘わらず続く微熱。本当は高熱かも?

 さて、診察結果です。
★白血病のマーカー検査は、異常なしでした。正直なところ、ホッとします。

★ヘモグロビンはHb=7.6。 予想通り輸血は無しです。

★血小板は9万/μl。血小板減少症の領域ギリギリの横ばいです。
鼻血が出やすいのは、血小板が少ないことに加え、血小板の機能が悪くなっているかも知れないということです。我慢。

★クレアチニンや尿素窒素の数値が、また少し悪くなりました。
「大丈夫ですか?」と質問すると、「たぶん薬の影響もあると思います。まだまだ様子を見ている段階です。」という回答でした。様子見。

★診察の最後の方で、「やたら総コレステロール値が高いのが気になります。悪玉、善玉の検査を入れていなかったので、次回入れます。」ということでした。
  総コレステロール値=260でした。
 主治医の関心がコレステロール値に向かっているのは、私としては実に安心です。コレステロールが多いくらいで、人は直ぐには死なないでしょうから…。

★ジャカビは引き続き一日に2錠が続きます。
 来年の桜を目ざして粘ります。  では。また。 

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2017年11月24日 (金)

二十四節気「小雪」2017

 11月22日は、二十四節気の「小雪」でした。高い山や北国からは、雪の便りも聞かれるようになりました。季節は、まっすぐに冬を進んでいます。

 私は少し訳あって、故郷の丹後半島へ帰省してきました。
ふるさとの海は荒れ、草は枯れ、強い北風が吹き荒れていました。
冬の荒れた日本海を前にすると、何故か背筋を正して見てしまいます。

~♪「岩と風」 高見順
声を立てずに
じっと坐って我慢している
岩よ
 ………
誰も君の苦しみは知らない
 ………
僕は知っています
僕は風だから
絶えず揺れて苦しんでいるから
だから僕は岩の苦しみも分かるのです
 ………
岩のようでありたいと思いながら
揺れ動いてやまない僕の苦しみを
君だけは知ってくれています
 ………
さようなら 苦しみの友よ
生きていたら また会おう ♪~

 ガンの闘病で死と向き合っていた高見さん。風のように揺れ動く苦しみ。黙して動かない岩の苦しみ。死と向き合う者にだけ分かる、生きることの苦しみ…。
 写真は、わが故郷のランドマーク・立岩(たていわ)です。冬の荒波にも堂々と向きあっています。荒れる海の上を飛ぶ鳶。スポット光をを浴びた屏風岩。
僅か数時間の滞在でしたので、写真はこれだけです。

Shousetu201701Shousetu201702Shousetu201703  

 

 

 

  先日、車で木津川土手に行ってみました。貧血のため、自転車では無理です。車でヒョイと行けるところだけです。
 木津川土手の大榎は、ゆっくりと黄葉を始めていました。
 寺田桜堤の欅や桜の紅葉は、もう終盤です。盛んに落ち葉を散らしています。

~♪「落ち葉」 高田敏子
木々はいま ひっきりなしに
葉をちらしている

私たちも あのように
はらい落とすことができたら……
かなしい思い出や
ときに 胸をさす悔いを
 ………    ♪~

Shousetu201706Shousetu201704Shousetu201705_3  

 

 

 

 

  ***これから後の写真は、過去の「小雪」の写真からです。***

  木津川土手は今、落ち葉の季節を迎えています。
~♪ ほれぼれと 日を抱く 庭の落葉哉 ♪~ (桜井吏登)
最後を迎えた落ち葉。じっと日を抱きしめている落ち葉。共感できますね。
田んぼの風景は、しだいに冬枯れていきます。

Shousetu2017b001_2Shousetu2017b002_2Shousetu2017b003_2  

 

 

 

  杜甫の漢詩。プロレタリア詩人の壺井重治さんや現代詩人の長田弘さんなど、詩人たちの言葉を聞きながら、さらに木津川土手を散歩したい方は、
二十四節気「小雪」2016へどうぞ → こちら

 今の時期、文化パルク城陽の桂の木が紅葉し、盛んに枯れ葉を散らしています。
 木津川土手では、葦原を風が渡っていきます。
 土手の上に夕焼け空が広がります。
Shousetu2017b005Shousetu2017b004Shousetu2017b006  

 

 

 

  ~♪「枯れ葉」 高田敏子
枯れ葉が鳴っている
ほんの少しの風にもゆれて
ささやきあっている

でもこんなひそやかな会話に
耳をすますのは
早すぎる月日の流れに気づく
おとなたちだけだ
 ………    ♪~
 高田さん、早すぎる月日に流されて、私は今ここに立っています。北風に葦がなびくこの場所に。
 詩人の小野十三郎さんや八木重吉さんの言葉を聞きながら、風に葦の穂が揺れる木津川土手を散歩したい方は、
二十四節気「小雪」2016続きへどうぞ → こちら

 木津川土手以外に、太陽が丘公園、宇治川、光明寺、宇治田原などの「小雪」の頃を散歩したい方は、二十四節気「小雪」2010へどうぞ → こちら

Shousetu2017b007Shousetu2017b008Shousetu2017b009

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2017年11月22日 (水)

二十四節気「立冬」過去の写真

 二十四節気ごとに散歩写真を更新するようになって、8年が経ってしまいました。
過去の「立冬」の写真へのリンクが、まだ少し残っていますので、年ごとに3枚ずつ選んでみました。(2010年~2013年)
  先ず、2010年の「立冬」の写真です。 
  2010年頃は、撮影場所の中心が隣町の宇治田原町でした。茶畑や残り柿、すすきなどの被写体を求めて出かけていました。
 すすきが揺れる茶畑。今はこの場所に、作業場の建物が…。
 宇治田原町高尾の残り柿風景。 蔦の紅葉。

Rittoukako003Rittoukako002Rittoukako001  

 

 

 

 

  2010年の「立冬」へのリンクは → こちら

 2011年の「立冬」の写真です。
 やはり宇治田原によく行っていました。しかも、時には朝早くから。朝靄に陽が差すと光芒がドラマチックです。
  木津川土手周辺で、小さなドラマを求めて散歩するようになりました。孫たちに昔話でもしているのでしょうか。藁地蔵たちも神妙にしています。光が無いのが残念。

Rittoukako004Rittoukako005Rittoukako006  

 

 

 

 

 

  2011年の「立冬」へのリンクは → こちら

 2012年の「立冬」の写真です。
 この年になると、身近な文化パルク城陽の紅葉や木津川土手の紅葉などが、中心となっていきます。
 散歩写真へのシフトが進み、小さな植物にも目が向くようになりました。

Rittoukako009Rittoukako008Rittoukako007  

 

 

 

  2012年の「立冬」へのリンクは → こちら

 2013年の「立冬」の写真です。
 ほとんどが散歩写真になりました。身近な被写体に視線がいっています。
 土手を走る耐寒走の子どもたち。
 葉を落とし冬枯れていく木々と散歩するお婆さんと孫。ほのぼの感があります。
 近くの街路樹の紅葉。

Rittoukako010Rittoukako012Rittoukako011  

 

 

 

 

  2013年の「立冬」へのリンクは → こちら
今年は、急に寒くなりました。今日、我が家では、ガスストーブを登場させました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2017年11月19日 (日)

日米地位協定のここが問題

 前回の記事で、自衛隊の指揮権は、米軍の影響下に置かれていることを書きました。自衛隊の指揮権問題に焦点を当てて書きましたので、日米地位協定については書くスペースが無くなりました。今回は、日米地位協定について書いてみます。

 【何かおかしい地位協定】
  先日10月11日に、沖縄高江で米軍のCH53Eヘリコプターが不時着炎上しました。私有地であるにも拘わらず、米軍が封鎖し、警察も消防も立ち入ることが出来ず、もちろん調査もできずでした。防衛大臣が原因が分かるまで飛行禁止を求めると述べましたが、数日後には原因も明らかにされず飛行が再開されました。
 2004年に沖縄国際大学にヘリが墜落しましたが、今回とまったく同じでした。
 オスプレイが、日本上空の7つの飛行ルートで低空飛行をくり返しているようなのですが、詳細は発表されないまま、政府も止めさせようとしていないです。
 6千億円を超える駐留経費が支払われています。
 普天間基地の危険性を除去するために、辺野古に基地を移転すると言っていますが、辺野古は輸送艦が着岸でき、オスプレイや兵員を直接運べるため、明らかな基地拡充になっています。なぜ直ぐに普天間基地は閉鎖出来ないのでしょうか。
 いったい、これらはどうなっているのでしょうか?
 従属の協定、「日米地位協定」の問題点をみていきます。

  【旧安保条約と日米行政協定】
  朝鮮戦争下、日本は西側諸国との間でサンフランシスコ講和条約を締結し、独立国となります。この条約第6条(a)項には、すべての占領軍は90日以内に撤退しなければならないことが決められていました。
 しかし、同時に結ばれた「旧日米安保条約」と「日米行政協定」により、米軍は引き続き日本に駐留することになります。
 この時、条約交渉に当たったダレス(当時は国務省顧問・後の長官)は、条約の意味について次のように述べています。
 『望む数の兵力を、望む場所に、望む期間駐留させる権利を確保すること』
 つまり日本は、「旧日米安保条約」と「日米行政協定」により、引き続き米軍の実質的な占領下に置かれる事になりました。

  【新安保条約と日米地位協定】
 1960年に旧安保条約は新安保条約に、日米行政協定は日米地位協定となりました。
 全国で大きな安保反対闘争が起こりました。
 しかし結局、新安保条約、日米地位協定となっても、ダレス長官の述べた狙い、『望む数の兵力を、望む場所に、望む期間駐留させる権利を確保すること』は、貫かれたまま現在に至っています。 次に具体的にみていきます。

  【米軍は望む場所に、望む期間駐留】
 日米地位協定では、2条1項で、米軍は基地の使用を許可され、具体的詳細については、25条で設置される日米合同委員会で取り決めるとなっています。
 地位協定では、米国と日本が合意すれば、国内のどこでも、地元住民・地方自治体の意向がどうであろうとも、基地として提供するのに制限はありません。
  また、どのような具体的条件で基地を提供するかについて何の規定もありません。
『米国と日本の合意』は、日米合同委員会で行われます。国会を通じてではありません。日米合同委員会は非公開で、合意事項も非公開が原則となっています。つまり、国民から見れば、密室協議ですべてが決められる仕組みになっているのです。
 まさに、『望む場所に、望む期間駐留させる権利』が維持されているのです。

 また、基地が必要でなくなった場合の返還義務については、2条3項に規定はありますが、どんな理由で返還請求か出来るかの根拠規定はありません。
 普天間基地が、住民にとってどんなに危険な基地であっても、それをもって返還理由とする根拠はありません。
 一旦基地となると、遊休地となってもなかなか返還されず、池子弾薬庫は米軍住宅用地に転用されてしまいました。
 すべては、密室の日米合同委員会で取り仕切られているのです。

  【米軍基地は外国と同じ】
 3条1項は、「合衆国は、基地内において、その設定、運営、警護及び管理のため必要なすべての措置を執ることができる」となっています。これが、「米軍の排他的管理権」の根拠です。
 つまり、米軍基地内では日本の法律は適用されないのです。
このことが様々な問題を引き起こしています。
 例えば、航空機の騒音問題です。裁判所は、受忍限度以上の騒音であると認定しても、「第三者行為論」により、それを止めさせることは出来ないでいます。
 「第三者行為論」とは、米軍は日本の法律の及ばない「第三者」なので、日本政府にはそれを差し止める権限は無い、という理屈です。
 基地内での土壌汚染、環境汚染、有害廃棄物の投棄があっても、日本政府はそれを止めることも出来ず、調査することも出来ません。
 返還された基地内で環境汚染が発生しています。鉛汚染。フッ素汚染。タール状物質の入ったドラム缶。ヒ素汚染など。返還されたサッカー場地中から、大量の枯れ葉剤と思われるドラム缶が出てきた例は、先日NHKでも報道されました。

  【船舶、航空機の無料自由移動】
 地位協定第5条は、米軍の船舶・航空機は無償で日本の港湾、空港に出入りできること、米軍の船舶・航空機・車両並びに軍人や家族等は、施設・区域への出入、施設・区域間の移動、施設・区域と日本の港・飛行場間の移動ができること、軍用車両の移動には、道路使用料等の課徴金を課さないことなどを定めています
  高速道路料金など無料。道路交通法違反もとがめられません。

 基地外での演習・訓練については、地位協定上は規定がなく、空では、広大な訓練空域が設定され、さらに訓練空域以外でも米軍が独自の8カ所の低空飛行訓練ルートを設定しています。オスプレイも同様に低空飛行訓練を行っていますが、政府は辞めさせることも出来ないし、止めさせようとしてもいないのです

  【巨大な航空管制空域】
 米軍は、横田、岩国、嘉手納、普天間の4カ所の航空基地で飛行場管制業務を行っています。広大な空域が、いまだにアメリカの占領状態にあるのです。首都圏のほとんどを覆う横田空域は特に広大で、民間機の離発着の大きな障害となっています。首都圏上空は、主権が及ばない外国の空なのです。
 
 【裁判権の問題】
 裁判権の問題についても、様々な問題が発生しています。
 公務中の米兵には、日本側には第一次裁判権はありません。通勤途上も含まれます。公務証明書が出されると、直ちに釈放されます。
  地位協定17条5項(c)により、日本側に第一次裁判権がある場合でも、米兵等が米軍基地内にいるときは、その身体は、起訴されるまで日本側に移すことは出来ません。つまり、基地内に逃げ込まれると取り調べることが出来ないのです。

  公務外の米兵等の犯罪は、日本側が第一次裁判権を持ちますが、日本国にとって著しく重要と考えられる事例以外は、第一次裁判権を行使することはないと合意しています。(1963年の合意議事録)
  以上のような理由で、日本人の起訴率は、5割であるのに対し、米兵は2割にとどまっています。脅迫、詐欺、恐喝、横領、盗品などで起訴された米兵は一人もいません。強姦致傷で36%、強姦20%となっており、著しい不平等が発生しています。

  【憂うべき対米従属状態】
  こんなやりたい放題状態を生み出しているのは、日米地位協定の不十分な規定により、法の空白地帯が生み出されているからです。その空白を埋めているのは、日米合同委員会での取り決めと、地位協定成立時に合意した公式議事録(非公開)なのです。
  以上みてきたように、日米地位協定により、日本の主権が損なわれています。
  こんな対米従属状態で、自衛隊を憲法に位置づけることは出来ません。自衛隊が軍隊となれば、それはアメリカ軍の下働きの軍隊であり、自主独立の専守防衛のための軍隊でないことは明らかです。日米地位協定の改定と集団的自衛権を容認する平和安全法の廃止が、憲法改正の前提条件です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年11月16日 (木)

残り柿の風景

 先日、宇治田原へ柿の撮影に行ってきました。胆石手術の後、病気の進行もあって体調が悪く貧血も進行して、起伏のある茶畑に撮影に行くのは2年ぶりのことです。
 2年間の変化は驚くべきものでした。いたる所で工事が行われていて、風景が変わっているところがありました。僅か2年というのに変化は大きいです。

 先ずは湯屋谷の茶畑。壊れかけた農機具小屋は、前と変わらず残っていました。
Ujitawarakaki101Ujitawarakaki102Ujitawarakaki103  

 

 

 

 

  この茶畑で作業されていた女性に写真を撮らせていただき、写真をプレゼントしたことがありました。その後、ご主人を病気で亡くされたと聞きましたが、茶畑が維持されているところをみると、元気で仕事を続けられていることと思います。
Ujitawarakaki201Ujitawarakaki202Ujitawarakaki203  

 

 

 

 

 

  茶畑は広いです。さらに茶畑の奥へと進みます。茶畑と柿の風景が続いています。
これらの柿はすべて渋柿です。渋を抽出して、お茶を包装する紙を強くするために利用していた、という話を聞いたことがあります。 真偽のほどは?

Ujitawarakaki301Ujitawarakaki302Ujitawarakaki303  

 

 

 

  茶畑の一番高いところにやって来ました。少し息が切れます。
谷筋の向こう側の茶畑も見えます。山は紅葉が始まっています。
針葉樹の緑と広葉樹の黄葉のコントラストが美しいです。

Ujitawarakaki401Ujitawarakaki402Ujitawarakaki403  

 

 

 

  湯屋谷を出て、高尾というところに向かいます。
途中の道端で、逆光に輝く柿を見つけました。紅葉している木もありました。

Ujitawarakaki501Ujitawarakaki502Ujitawarakaki503  

 

 

 

  ~♪ふるさとの 秋ふかみかも柿赤き 山べ川のべ わが眼には見ゆ♪~
 これは、歌人古泉千樫の歌です。私のお気に入りの歌です。
 柿の実は、何故かふるさとを思い出します。
 かって多くの人が、故郷を離れて都市部へと旅立ってゆきました。その心の中には、故郷の風景が刻まれています。それは、秋になればすすきの穂がなびき、赤い柿の実が陽の光に輝いている風景ですね。
  高尾のすすきと柿の木の風景です。

Ujitawarakaki601Ujitawarakaki601_01_3Ujitawarakaki601_02_4  

 

 

 

  自分が生きてきた半世紀を超える時間の流れの中でみたとき、その変化は途方もなく大きなものです。自分が子ども時代を過ごしたふるさとの風景は、もはや何処にもない風景かも知れません。目を閉じてしか見ることのできない風景です。

Ujitawarakaki701Ujitawarakaki701_01Ujitawarakaki702  

 

 

 

  高田敏子という詩人も柿の実とふるさとを歌っいます。

~♪「柿の実」
枝に光る柿の実に
私のふるさとがある
遠い日の記憶の中にあるやさしい村
  ………
二階の窓にもたれて立って
夕日に光る柿の実を見ていると
峠のむこうのふるさとが浮かんでくる
 ………
縁に座っている 祖父母
その隣には
祖母が座り
母が座っていて
 ………
みんな静かな笑みをこちらに向けて
私を待っていてくれる
座布団の上に
柿の実が一つ
光っているのが よく見える ♪~

Ujitawarakaki801Ujitawarakaki801_01Ujitawarakaki801_02  

 

 

 

  柿の木のある風景は、日本の田舎の原風景です。いつの時代から、柿の木が植えられるようになったのでしょうか?
 柿の種は、縄文の遺跡からも発掘されているようです。しかし、万葉集に柿の歌はありません。枕草子にも登場しません。
 それは、鎌倉時代だと言われています。突然変異で甘柿が登場したのが鎌倉時代、それから品種改良がくり返され、現在にいたったそうです。

Ujitawarakaki901Ujitawarakaki902Ujitawarakaki903  

 

 

 

  紅葉もしだいに本格的になってきました。車から降りて、直ぐ撮影出来るような場所なら、貧血の私でも行けそうな気がします。探してみます。  では。また。
Ujitawarakaki905Ujitawarakaki904

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2017年11月13日 (月)

定期診察(142)・判決を待つ気分

 今日はKS病院血液内科の定期診察でした。
寒く冷え込んだ朝でした。駅の階段で息が切れて、立ち止まりました。電車の中では、風邪をひいていると思われる人も多かったように思います。

 さて、最近の症状ですが…。
☆貧血症状は、一段と進みました。かなりきつくなってきました。
 なぜか手や足の先がもの凄く冷たいです。

☆ロキソニンは、一日2錠です。ロキソニンは、16時間で効果が切れ、痛みと熱がどんどん進んでいきます。何か怖いくらいに…。自分はまちがいなく病気なのだ、という自覚を高める効果は、おおいにあります。十分自覚はしていますが…。
  胃の調子は悪いです。

☆脇腹の膨満感など、その他の症状は続いてます。寝汗も気持ちが悪いです。
 免疫力が落ちているせいか、しばしばヘルペスが…。

 さて、診察結果です。
★ヘモグロビンはHb=6.9。 予想通り輸血です。

★血小板は9万/μl。血小板減少症の領域ギリギリの横ばいです。

★ジャカビは引き続き一日に2錠が続きます。
  腎機能の数値が、前回よりもまた少し悪くなりました。嫌ですね~。

★診察の最後に、「次回にまた、白血病のマーカー検査を入れます。」と一言。
 判決を待つ気分で、これから2週間を過ごします。

 きのうの夜に寝られなかったせいか、輸血中に少し寝られました。
中央処置室は忙しそうでしたが、看護師さんたちの指示や会話や器具の音が、子守歌のように聞こえていました。 申し訳ないです。
 人様の血にたよって生きていくことに、罪悪感のようなものを感じるのは、私だけでしょうか?    では。また。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2017年11月 9日 (木)

二十四節気「立冬」2017

 11月7日は、二十四節気の「立冬」でした。暦の上ではもう冬ですね。
風も少し冷たさを増してきて、初冬の日だまりで想い出にひたるのもいいですね。

  ~♪…冬が来る前に   もう一度 あの人とめぐり逢いたい♪~

  この曲は、 「紙ふうせん」というグループが40年前に発表した曲です。終わった夏の恋を歌っているようですね。今の時期には、ピッタリな名曲かと…。
この曲を聴きたい方は、 → こちら
Rittou2017a001Rittou2017a002Rittou2017a003  

 

 

 

  あなたには、冬が来る前に逢いたい人はいますか?
私にはあります。私はその人に会うために、いつも木津川土手に出掛けるのです。

~♪「立冬の日に」
暦が冬を知らせた日
街路樹は色を変え葉を散らしている
野焼きの煙の中に無言の藁地蔵が立ちならび
畦道の野菊は最後の時をむかえている
私は今日も木津川の土手へと急ぐ
 
土手の坂道を登れば
空が大きく広がり私を迎えてくれる
土手の上に立てば北には比叡の山並み
田んぼでは冬支度をする人々の営み
冬の陽ざしはなぜか優しい

私は大切な人と会うためこの土手に来る
僅かに色を変える大榎の下に彼はいる
彼はいつものように語り始める
風景は時間の流れの中で
止めようもなくうつろっていく
本当に美しい風景は目を閉じて見るものだと

冬が始まった日  彼の目にした風景は
風になびく枯れススキ  欠けた夕月
遙かに渡っていく雁の影 

今は目を閉じても何も見えない 
風の音が聞こえるばかりだ
いつも無言で立ち去る彼は
私と同じ名前で呼ばれている    ♪~

 目を閉じてしか会えない彼。哀しみの中でしか会えない彼。
 止めようもなくうつろってゆく時間。その中に一人残される私…。
この詩に合わせて、彼と一緒に木津川土手を散歩したい方は、
二十四節気「立冬」2014へどうぞ → こちら

Rittou2017a001_01_2Rittou2017a003_01_2Rittou2017a002_01  

 

 

 

  土手の上には青い空が広がり、コブシの木から赤い実が旅立とうとしています。
 ガマの穂の種子たちが、風に乗り盛んに旅立ちを始めています。

Rittou2017b001_2Rittou2017b002_2Rittou2017b003_2  

 

 

 

  夕焼けはいつの季節でも美しいものですが、今の時期の夕焼けは、夏の夕焼けとは一味違う美しさです。
 オギの白い穂は赤く染まり、炎のように風に揺れています。誰かに別れを告げているかのように…。
 高田敏子さんの詩が頭をよぎります。

~♪「すすきの原」
さようなら さようなら
すすきの穂のくり返す
さようなら
 ………
私のまわりから いつとはなしに
時の流れのなかに
去っていった人たちのことがおもわれる
すすきの原  ♪~

 私もまた、時の流れのなかに去っていかねばなりません。すべての想い出を抱き、すすきの穂がさよならをくり返すなかを……。
 初冬のほんのり温かな陽ざしのなかを散歩したい方、または夕日に輝くオギを眺めたい方は、二十四節気「立冬」2016後編へどうぞ → こちら

Rittou2017b004Rittou2017b005Rittou2017b006  

 

 

 

  田んぼ道に貼りつくように広がるイヌタデ。嘗ては「赤まんま」と呼ばれ、子どもたちに愛された花。今は余命少ない老人の感傷花。
  さらに、初冬の木津川土手周辺を散歩したい方は、
二十四節気「立冬」2016前編へどうぞ → こちら

Rittou2017b007Rittou2017b008Rittou2017b009

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2017年11月 6日 (月)

憲法改定にどう向き合うか②

「憲法改定にどう向き合うか①」の続きです。 ①は→ こちら
  戦後史を俯瞰しながら、自衛隊の指揮権問題を中心に戦後史をみていきます。

 【自衛隊の指揮権~旧安保体制下では】
 朝鮮戦争下、サンフランシスコ講和条約が結ばれ日本は独立します。しかし、ほぼ同時に、旧安保条約が締結され、アメリカの占領的状態が継続されました。
 アメリカは、後方支援のため再軍備を要請し、警察予備隊が結成され、これが後に自衛隊となります。
  旧安保条約に基づき、アメリカ軍の日本における地位を定めた『日米行政協定』の交渉が行われます。アメリカ側の示した『日米行政協定』原案の第14条では、「日本の軍隊はアメリカ軍の指揮下に入る」となっていました。交渉に当たった岡崎官房長官(後の外務大臣)は、「これでは国民の反発があり政権がもたない。条文には現れないような形にして欲しい」と要求し、出来上がったのが『日米行政協定』第24条です。

 行政協定24条:『…急迫した脅威が生じた場合には、…必要な共同処置をとり…直ちに協議しなければならない。』

  「共同処置をとり直ちに協議する」までの部分を条文化し、「アメリカ軍の指揮下に入る」という部分は密約という形で合意しました。いわゆる指揮権密約です。
 指揮権を具体化する組織として、第26条で定められた日米合同委員会が位置づけられました。結局、次のように表すことが出来ます。
 『日米行政協定24条』+『密約』+『日米合同委員会』=『有事の時、自衛隊はアメリカ軍の指揮下に入る』

  【自衛隊の指揮権~新安保条約下では】
  1960年に安保条約の改定が行われました。指揮権密約はどうなったのでしょうか。
 国民から非難を受けた『日米行政協定』第24条は削除されますが、ほぼ同じ内容で新安保条約の第4条に受け継がれ、さらに軍事力の増強を定めた第3条、共同作戦を義務づけた第5条などがあいまって、さらに強化されました。
 日米安保協議委員会(SCC)が組織され、その下部組織としていくつかの組織が作られ、アメリカ軍と自衛隊幹部による直接的、具体的な協議が非公開で行われる体制も出来上がりました。日米防衛協力小委員会(SDC)、日米安保運用協議会(SCG)などです。
 '60年の安保条約の改定は、国民から大きな批判を招き、「安保反対闘争」が全国的に展開されました。

 【日米ガイドライン】
  ★1978年に日米防衛協力小委員会(SDC)で、日米防衛協力のための指針(第1次日米ガイドライン)が決定されました。
 自衛隊とアメリカ軍は、調整機関を通して緊密に連携し、日本とその周辺で作戦行動を執るとする内容です。調整機関とは実質在日米軍司令部です。
 作戦領域は日本領土から周辺(極東)へと広がりました。
 鈴木・レーガン共同声明では、「1000海里・シーレーン防衛」が明記されました。
  中曽根総理の「不沈空母」発言は1983年のことです。

 ★1997年に、第2次ガイドラインが決定されました。
 日米防衛協力ガイドラインとは、アメリカ太平洋軍と自衛隊との協議で決められたもので、国会で論議され決まったものではありません。国民からみれは密室協議です。シビリアンコントロールという点からも重大な問題です。
 この第2次ガイドラインに沿って、「周辺事態法」が成立しました。自衛隊の活動領域の拡大が進みました。
 アフガン紛争、イラク戦争中、燃料補給や米軍輸送のために、自衛隊は、海上給油やイラク派遣を行いました。
 横田基地に自衛隊航空総隊司令部が、キャンプ座間には、米陸軍第一軍司令部と自衛隊の中央即応集団司令部が移ってきて、司令部機能が一体化され、自衛隊と米軍の共同作戦体制が進みました。
 
 ★2015年に第3次ガイドラインが決定されました。
 このガイドラインでは、平時から緊急事態までのあらゆる段階で、自衛隊と米軍が協同することが確認されました。いわゆる「切れ目のない対応」。
 第3次ガイドラインの発表に続いて、国会では集団的自衛権を容認する「平和安全法」が強行採決されました。ガイドラインの方が先行し、国会決議がこれを追いかけるという、シビリアンコントロールに疑念を抱かされる事態になりました。
 同盟調整メカニズム(ACM)で、自衛隊とアメリカ軍の調整機関が設置され、事実上の日米統合司令部が発足しました。

  【私の結論】
 以上みてきたように、自衛隊は、『アメリカ軍の指揮下で作戦行動をする軍隊』という側面を持っていることが分かります。このような対米従属的な状態で自衛隊を戦力として憲法に位置づけることには、問題が多すぎます。
  「平和安全法」の廃止、「日米安保条約」と「日米地位協定」の改定が前提として必要であると考えます。私の結論は、(A)には×を投じます。
   *****
 自衛隊の指揮権についてだけみても、これだけの問題点があります。
 「日米地位協定」については、書くスペースが無くなりましたが、その異様さは、肌で感じられていることと思います。
 ・全国にたくさんの米軍基地が存在し、沖縄は基地の島となっている。
 ・日本の上空には、国内法の根拠が無いにも拘わらず、アメリカ軍の飛行管制空域が広がっている。(沖縄空域、岩国空域、首都圏の横田空域など)
 ・在日米軍駐留関係の日本負担経費は、6千億円を超えている。
 ・先日、ヘリが墜落したが、日本の警察や消防は手出しも出来ず、墜落原因も究明されず、同型ヘリの飛行停止は直ぐに解除されてしまった。
  ・事故率の高いオスプレイが、日本上空7つのルートで、日本の航空法を無視して低空飛行訓練をしていると思われるのに、抗議もしないし、止めさせることも出来ない。

  あ~~、もう書き出したらキリがありませんね。日本の主権はどうなっているのでしょうか。
 北朝鮮に対してアメリカが軍事行動をとれば、自衛隊も協同で行動することになります。ならず者国家の北朝鮮が、日本を核攻撃する可能性さえあります。東京が攻撃されれば、100万人の人が死ぬという試算も出されています。こんな危険を冒してまで、アメリカに追随するのは、ちょっと御免です。
 穴の空いた「核の傘」から自立して、アメリカに頼らない日本独自の安全保障を追求する必要がありますね。
 核兵器禁止条約にも早く署名して欲しいものです。
 以上、私の勝手な意見を書きました。 では。また。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2017年11月 5日 (日)

憲法改定にどう向き合うか①

 先日の『48回衆議院選挙にあたって』という記事で、憲法改定と海外派兵は、アメリカの首尾一貫した要求であること、民進党の分裂は憲法改定をめぐる問題であることを戦後史を振り返りながら書きました。
  『48回衆議院選挙にあたって』は、→ こちら です。

  今回の選挙で自民党は大勝しました。当然のことながら、間もなく、国民は憲法改定に直面することになります。国の進路を決める重大な問題であり、国民一人一人が、しっかりと自分の意見を持つべき時が来たのだと思います。
 以下、一国民である私の意見を書いてみます。

 【改定の焦点は9条】
 憲法改定の項目として、教育の無償化や解散権の制約、個人情報の保護など様々な問題が提起されています。しかし、これらの問題は本質的な問題ではありません。
  例えば、教育の無償化という問題について言えば、現憲法はそれを禁止してはいません。憲法改正しなくても、無償化の法律を作れば出来ます。国会の3分の2を占める勢力が、やる気を出せば出来ることです。今、教育無償化が進まないのは、やる気がないだけです。憲法に書き込んでも、予算化されなければ実現しません。解散権の制限など、他の項目についても同じ事が言えます。(ただし、緊急事態条項は危険な意味を持ちます)
 あくまでも9条をどうするか、自衛隊を憲法に書き込むかどうかが、今回の核心的問題なのです。問題の焦点を見失ってはいけません。
 マスコミは、あれこれと争点らしきものを並べて、争点を曖昧にするのはいつものことです。

  【自衛隊は国民から認知されている】
 自衛隊は災害派遣などで成果を上げ、この点では、ほとんどの国民からは評価されています。PKO派遣で一定の役割を果たしているという評価もあります。自衛隊の存在は、今や多くの国民から認知されています。
 現在の政党の中で、自衛隊の即時廃止を主張する政党はありません。
 今問われているのは、自衛隊を廃止するかどうかではありません。憲法上にどう位置づけるかの問題です。

 【戦後史における現在の到達点】
 『48回衆議院選挙にあたって』で書いたように、自衛隊は、朝鮮戦争下という状況の中でアメリカの要請により誕生しました。その後の東西冷戦の中で、共産圏と対峙するものとして存在しました。東西冷戦終了後は、アメリカの世界戦略の中に位置づけられ、アメリカからは憲法改定と海外派兵を求め続けられました。そして、2015年、日米同盟を進めるために、憲法の枠組みを乗り越える「平和安全法」が成立しました。

  【国民の選択肢は三つ】
 現時点で日本の置かれた状況を考えると、国民の前に示された選択肢は、論理的に考えると三つしかないことが分かります。
(A):『9条2項を削除し、自衛隊を戦力として位置づける』
 集団的自衛権を容認した「平和安全法」は合憲とする人、日米同盟を外交の基軸だと考える人は、この(A)を選択することになります。
 政党で言えば、自民党、公明党、維新の党、希望の党ということになります。
  2項を残したまま、3項に自衛隊を加憲するのは、国民の支持を得るための一時しのぎで、2項との矛盾が生じます。遠くない時期に2項を削除することになります。

 (B):『自衛隊を海外派兵をしない専守防衛の戦力として位置づける』
 専守防衛の自衛隊は合憲であるという人、対米従属に反対の人、「平和安全法」は違憲であるとする人、安全保障のためには何らかの戦力は必要と考える人は、この(B)を選択する事になります。護憲的改憲派と言うべき立場です。
  現在、この方向を明確に打ち出している政党はありません。
 立憲民主党は、「平和安全法を廃止し、明確に専守防衛を保障する改憲もあり得る」と言っているので、この(B)に最も近いかもしれません。
 共産党も「当面自衛隊は保持するものの、将来的には国民の合意で決める」と言っているので、国民的合意で(B)に変化する可能性はあります。

 (C):『自衛隊は専守防衛の枠内に留め、当面は現憲法を維持する。』
 9条は、アメリカからの海外派兵要請を拒み、敵地攻撃力などの兵力の拡大に歯止めをかける役割を果たしてきたことを評価して、当面は現在の憲法を維持しようと考える人、「平和安全法」は違憲であるとする人は、この(C)を選択することになります。
 政党としては、社民党、共産党、立憲民主党ということになります。 

  【対立軸は(A)対(B+C)】
  間もなく予想される憲法改定発議は、国会の3分の2以上を占める(A)の立場からの発議です。(A)の立場からの憲法草案に賛成か反対かを問う国民投票です。
 したがって対立軸は、(A)対(B+C)になるわけです。
 護憲か改憲かは対立軸ではありません。(B)の意見の人は改憲ですが、(A)とは対立的位置にいます。あくまでも、(A)に対して、○か×が問われているのです。
 様々な意見が、マスコミを通じて錯綜する中で、対立軸を間違えると、教育無償化に賛成だから、(A)には○ということになったりします。
 また、(B)と(C)の意見の違いに焦点を当てて対立するのは、歴史の現局面を見失うことになります。アメリカに頼らない日本独自の安全保障を確立するのは、歴史的には次の段階での課題です。

  【自衛隊とは何かを考える】
  自衛隊を憲法に位置づけようというわけですから、現在の自衛隊をどのように考えるかが重要な問題です。
 次に戦後史を俯瞰しなが、自衛隊の指揮権問題を中心に戦後史をみていきます。
     この続きは、「憲法改定にどう向き合うか②」です。 ②は、→ こちら

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年11月 2日 (木)

二十四節気「霜降」・柿の実

 今は、二十四節気の霜降の時期です。間もなく紅葉も本格的になることと思います。
10月30日に近畿地方では、今年の木枯らし1号が吹きました。
 では、晩秋の風景を楽しみながら散歩しましょう。(ただしパソコン上で…)

 稲刈りが終わり、田んぼはすっかり土が露出しています。そこに藁束が地蔵のように立ち並んでいます。空は青く、白い雲が流れていきます。
 人はしばしば、雲と対話しながら、未来や過去に思いをめぐらせ、自分自身を見つめてきました。遙か古の清少納言さんも雲を見ていたのでしょうね。きっと。
 調べてみました…。 ありました!♪

~♪ 枕草子238段 「雲は白き」
雲は、白き。紫。黒きもをかし。 風吹くをりの天雲。
あけ離るるほどの黒き雲の、やうやう白うなりゆくもいとをかし。
朝にさる色とかや、文にも作りけり。
月のいと明かき面に、薄き雲あはれなり。 ♪~

  私は、ぽっかり浮かんだ白い雲が好きなのですが、清少納言さんは、黒雲や雨雲にも心惹かれています。宮中の難しい人間関係を巧みに乗り切っていた、やり手な女性だったのでしょうね。

Soukoukaki001Soukoukaki002Soukoukaki003  

 

 

 

  柿も赤く色づいてきました。吉野弘さんの詩に柿の木を歌った詩があります。
~♪ 「夥しい数の」
夥しい数の柿の実が色づいて
痩せぎすな柿の木の華奢な枝を深く撓ませています
 ………
枝を撓ませている柿の実は
母親から持ち出せる限りを持ち出そうとしている子供のようです

能う限り奪って自立しようとする柿の実の重さが
限りなく与えようとして痩せた柿の木を撓ませています

晩秋の
赤味を帯びた午後の日差しに染められて ♪~

 痩せた親木。旅立とうとする、夥しい数の赤い実。命のリレーのドラマ。
 晩秋の傾きかけた陽ざしが見守っています。
晩秋の日の散歩をさらに続けたい方は、
二十四節気「霜降」2011へどうぞ → こちら

Soukoukaki006Soukoukaki005Soukoukaki004  

 

 

 

  籾摺り機のある小屋の側には、大きな籾の山が出来ています。私はかってに、「籾富士」と名前をつけています。世間で一般的に通用しているかどうかは分かりません。
 籾殻に火がつけられて、煙があたりに立ちこめます。こんな場所で、晩秋の空気が作られているのですね。

Soukoukaki007Soukoukaki009Soukoukaki008  

 

 

 

  晩秋の道を行く人も、どこか遠くを見ているような気がするのは、
私だけの感傷でしょうか?
 晩秋の風景をさら散歩したい方は、
二十四節気「霜降」2012へどうぞ → こちら

Soukoukaki010Soukoukaki011Soukoukaki012  

 

 

 

  案山子、アキアカネ、藁地蔵、チカラシバ、ムクドリの群れ、すすき……。
下手くそな写真で申し訳ないですが、晩秋の風景をさら散歩したい方は、
二十四節気「霜降」2010へどうぞ → こちら

Soukoukaki013Soukoukaki014Soukoukaki015

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2017年10月 | トップページ | 2017年12月 »