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2017年6月

2017年6月22日 (木)

二十四節気「夏至」2017

 6月21日は、二十四節気の「夏至」でした。暦便覧では、「陽熱至極し、また日の長きのいたりなるを以て也」です。
 「陽熱至極」となっていますが、日本の今は梅雨の真っ只中。今年の「夏至の日」当日は大雨になりました。一日中引きこもり生活でした。
 「夏至」の時期は、土手の周辺はどんな様子なのでしょうか。今回もまた、パソコン上で散歩に出かけましょう。夏の野の花が待ってくれていることでしょう。

 人はなぜ散歩するのでしょうか? 何を求めて…?
 散歩の達人、詩人の長田弘さんに聞いてみましょう。
          (森の絵本より)
~♪ どこかで よぶ声が しました。
   でも 見まわしても だれもいません。
       …………
      「いっしょに ゆこう」
      すがたのみえない 声が いいました。
   …………
      「きみの だいじなものを さがしにゆこう」
   すがたの見えない 声は いいました。
   「ほら、あの 水のかがやき」と、
   その声は いいました。
   声のむこうを きらきら光る
   おおきな川が ゆっくりと 流れてゆきます。
   「だいじなものは あの 水のかがやき」
   …………
   「たいせつなものは あの たくさんの 花々のいろ」
   「ほら、あの わらいごえ」
   …………
   夏がきて 秋がきて 冬がきて 春がきて
   そして 百年が すぎて
   …………
   どこかで よぶ声が しましす。
    「だいじなものは 何ですか」
    「たいせつなものは なんですか」  ♪~

 私たちにとって、大切なものとは何なのでしょうか? きらきらと輝く風景や野の花たちと対話しながら考える、それが散歩なのですね。長田さん。
 詩人の吉野弘さんが、四つ葉のクローバーを見つけたようです。何か幸福について考えているようです。
 哲学者の三木清さんも幸福について語っています。
 「幸福は表現的なものである。鳥の歌ふが如くおのづから外に現はれて他の人を幸福にするものが眞の幸福である。」と。
 では、自然や花々と対話しながら木津川土手周辺を散歩しましょう。

 ★二十四節気「夏至」2016へは、→ こちら
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   田植えも終わり、遙かに広がる水の国。
 なつかしい桑の実。青い空。白い雲。
 土手に咲き乱れるアカツメグサ、ヒメジョオン。

  ★二十四節気「夏至」2016後半へは、→ こちら
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   気がつくと、いつのまにか咲き始めたカワラナデシコ。
 いつも季節を知らせてくれるのは野の花々です。
 季節の変化に気づくとは、うつろう自然と時間の中にある自分に気付くこと。止めようもなく流れてく時間。その時間の中を旅をしている一人の旅人。わたし。
  6月23日は、沖縄慰霊の日。 夏に咲く花、夾竹桃♪~
 水の中から蓮の葉が顔を出し始めました。

  ★二十四節気「夏至」2015へは、→ こちら
Geshi2017007Geshi2017008Geshi2017009  

 

 

 

   夕日に輝く、寺田芋の畑のスプリンクラー。
 芽生え始めた蓮。
 夜の月見草。

  ★二十四節気「夏至」2014へは、→ こちら
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2017年6月19日 (月)

定期診察(133)・痛み進行

 今日はKS病院血液内科の定期診察でした。良い天気で暑い一日でした。
 電車の中は、参考書を広げている高校生が目立ちました。たぶんテスト期間に入っているようです。

  最近の症状ですが、発熱し骨が痛くなる症状はさらに進みました。一日にロキソニンが3錠必要な状態が近づいています。これが一番の心配。
 背中から脇腹の違和感も強くなってきました。脾臓が肥大化する感覚です。
 貧血は前回よりひどくなった感じです。駅の階段で一回休みが必要なくらい…。心臓音と同じリズムの耳鳴りがします。
  寝汗は相変わらずひどいです。体重が少し増え、その分、体が浮腫んでいます。

  さて、診察結果です。
 ★ヘモグロビンはHb=7.2でした。  少し減少。予想通り。
    しかし、7.0を超えているので、今日は輸血は無し。

 ★骨の痛みについては、ロキソニンで押さえ込むより方法は無いということです。
  一日につき、3錠のロキソニンが処方になりました。
 「この先、この痛みはどうなりますか?」という質問に、「モルヒネとロキソニンの中間をいくような鎮痛剤がまだある。」という、何か怖ろしい回答……。
  痛みの原因は? ウーン、何か説明の歯切れが悪く気になりますね。

 ★脇腹の違和感が強くなっているので、ジャカビは一日1錠から2錠に増量。
  本当は4錠くらい飲んでほしいということです。
  副作用の貧血が心配です。

  ★主治医の感想的評価では、「まあなんとか横ばいです。」でした。

 帰りは暑くて、少々バテ気味。ヨロヨロ歩いていると、近所のお婆さんに、「○○さん、最近痩せましたね。大丈夫ですか?」と声を掛けられました。どうやら、私は病人らしい外見になってきているようです。        では。また。

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2017年6月15日 (木)

山之口貘の詩を読む

 Yamabaku
  山之口貘という詩人をご存じでしょうか? 知らない人のために、この詩人を紹介してみます。私にそのようなことをする資格があるかどうか大変疑問ですが、私の知る限りを紹介してみます。
 激動の戦前・戦中・戦後をかくもマイペースに、「僕」という生活者のままで、時流に流されず、貧困の中をユーモアを失わず生き抜いた人がいることを知るのは、私たちにとって、何か心が洗われるような気がします。

 では早速、貘さんの自己紹介から…。
  ~♪ 自己紹介 
   ここに寄り集まつた諸氏よ
   先ほどから諸氏の位置に就て考へてゐるうちに
   考へてゐる僕の姿に僕は気がついたのであります

   僕ですか?
   これはまことに自惚れるやうですが
   びんぼうなのであります                   ♪~

 山之口貘さんは、本名山口重三郎、沖縄の名家の生まれでしたが、家は破産・没落し、借金の肩代わりの下男奉公から逃れるため、那覇の公園や海辺で放浪生活を送ることになります。23歳で上京、詩を書きながら、暖房工事人夫、汲み取り屋、鉄屑運搬船の人夫、荷造り作業員、マンホールの掃除人など、職業を転々としながら生きていきます。16年間畳の上で寝ることはなかったといいます。
 貘さんは、まことにおおらかに、自らを誇れるような貧乏だったのです。

 ~♪ 存在
   …………
  僕である僕とは
  僕であるより外には仕方のない僕なのか
  おもうにそれはである
  僕のことなんか
  僕にきいてはくどくなるだけである

    なんとなればそれがである
  見さえすれば直ぐにも解る僕なんだが
  僕を見るにはそれもまた
  もう一廻わりだ
  社会のあたりを廻って来いと言いたくなる   ♪~

   汲み取り屋、マンホールの掃除人、底辺生活、…。「社会のあたり」を生き抜いてきた貘さんは、「僕」という人間の生活の現実を凛として描くことにより、社会を描いた詩人でした。
 貘さんが生きた時代は、戦争の時代でした。多くの詩人が大政翼賛、戦争賛美の詩へと傾斜する中で、友人の金子光晴氏と共に、貘さんは戦争・翼賛の詩を書かなかった数少ない詩人の一人でした。金子光晴氏は、はっきりとした反戦詩を書きましたが、獏さんは声高に反戦を主張するのではなく、ただひたすら「僕」の生活を書きました。戦争が激しくなっていく時期の「ねずみ」という詩をみてみましょう。

 ~♪ ねずみ
  生死の生をほっぽり出して
  ねずみが一匹浮彫みたいに
  往来のまんなかにもりあがっていた
  …………
  車輪が
  すべって来ては
  ねずみはだんだんひらたくなった
  ひらたくなるにしたがって
  ねずみは
  ねずみ一匹の
  ねずみでもなければ一匹でもなくなって
  その死の影すら消え果てた
  …………      ♪~

 厳しい言論弾圧の時代、個人の表現の自由は奪われていきます。検閲官は、この抵抗詩を、ただのネズミの詩として見逃しまったようです。
 戦後になっても貘さんは、「僕」の日常生活を描くことにより、社会を深く見つめる詩を書き続けました。平和。原水爆。沖縄などについて…。
 第五福竜丸事件にまつわる詩、「鮪に鰯」をみてみましょう。

 ~♪ 鮪に鰯
  鮪の刺身を食いたくなったと
  人間みたいなことを女房が言った
  …………
  ある日ぼくは食膳をのぞいて
  ビキニの灰をかぶっていると言った
  女房は箸を逆さに持ちかえると
  焦げた鰯のその頭をこづいて
  火鉢の灰だとつぶやいたのだ   ♪~

 ビキニの死の灰に脅かされ、腹立ち紛れの貘さん。「死んでもよければ鮪を食え」と言ってはみたものの、貧乏では鮪は食べられません。いつも食べている鰯の灰は火鉢の灰でした。何げない日常の生活の中に、ユーモアと鋭い社会批評が含まれています。

 ~♪  求婚の広告
 一日もはやく私は結婚したいのです
 結婚さえすれば
 私は人一倍生きていたくなるでしょう
 かように私は面白い男であると私もおもうのです
 面白い男と面白く暮したくなって
 私をおっとにしたくなって
 せんちめんたるになっている女はそこらにいませんか
 さっさと来て呉れませんか女よ
 見えもしない風を見ているかのように
 どの女があなたであるかは知らないが
 あなたを
 私は待ち侘びているのです       ♪~

  ~♪ 畳
  なんにもなかった畳のうえに
  いろんな物があらわれた
  …………
  結婚生活を呼び呼びして
  おっとになった僕があらわれた
  女房になった女があらわれた
  桐の簞笥たんすがあらわれた
  …………       ♪~

 求婚の広告に効果があったのか、金子光晴氏の世話で、貘さんは34歳でめでたく結婚します。やっと放浪生活に終止符をうちます。しかし、1963年、59歳で、胃ガンにより亡くなるまで貧乏生活は続きました。
 
 ~♪ 鼻のある結論
  ある日
  悶々としている鼻の姿を見た
  …………
  またある日
  僕は文明をかなしんだ
  詩人がどんなに詩人でも 未だに食わねば生きられないほどの
  それは非文明的な文明だった
  だから僕なんかでも 詩人であるばかりでなくて汲取屋をも兼ねていた ♪~

 貘さんは、自分の思想や主張を声高に主張するのではなく、社会の底辺や地べたの「僕」の現実を詩にすることにより、ユーモアと風刺の効いた社会批判や文明批判を書き残しました。
 詩人の高橋新吉は、「風刺詩人」、茨木のり子は「精神の貴族」と評しています。
 沖縄についての詩など、まだまだ紹介したいですが、スペースが無くなりました。
 今の時代に、ますます輝いている詩人の一人かと思います。
   山之口貘詩集(岩波文庫)、お薦めします。

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2017年6月12日 (月)

二十四節気「芒種」2017追加

 家に引きこもってゴロゴロと過ごしているうちに、二十四節気の「芒種」の時期も、どんどん進んでいきますね。
  初候 : 6/05~  蟷螂生ず       カマキリが生まれる頃
 次候 : 6/10~  腐れたる草蛍となる  蛍が飛び始める頃
 末候 : 6/15~  梅のみ黄ばむ     梅の実が熟す頃

 では、2014年~2010年の「芒種」をリンクして紹介します。

 「芒種」の末候は、「梅のみ黄ばむ」ですね。梅の実も黄ばみ始める頃です。
他の人の写真ブログを見ていると、蛍の写真などがアップされるようになりました。
あ~、もう蛍が飛び交う時期になったのですね。
 昔の人は、「腐った草から蛍が生まれてくる」と考えていたそうです。明時代の洪自誠により書かれた中国の古典「菜根譚」には、次のように書かれているそうです。
   ~汚れた虫も、蝉となって秋風のもと露を飲む。光らない腐った草も、蛍と化して夏に耀く。潔きは常に 汚より出、 明るきは、晦(くら)きから生まれる。~
 光は闇より生まれ、潔きは汚より出てくる。ウーン、なかなか深い言葉ですね。

 2014年の「芒種」へのリンクは、 → こちら 
  アジサイの花。鴻ノ巣山の椎の芽生え。梅の実。
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   この時期は、何と言っても田植えの頃。土手の木の上にはホオジロ。
 ノビルに花が咲き、水辺では、早くも涼を求める人の影。
  2013年の「芒種」へのリンクは、 → こちら 
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   田んぼは水の国に変貌。水の上を渡る風。光のざわめき。
 土手の斜面には花。ヤマボウシの白い花。ハナウドに虫。 
  2012年の「芒種」へのリンクは、 → こちら
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   宇治田原で撮ったカワトンボ。シジミチョウ。宇治川の栴檀の木。
 以前は、宇治川や宇治田原によく撮影に行っていました。
  2011年の「芒種」へのリンクは、 → こちら
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   この時期の言葉として、「麦秋」という言葉があります。2010年に琵琶湖の近くで撮った大麦の畑です。最近では、麦畑も見かけなくなりましたね。
 以前は、よく琵琶湖付近まで撮影に出かけていました。  では。また。
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2017年6月 8日 (木)

二十四節気「芒種」2017

6月5日は、二十四節気の一つ「芒種」でした。
 「芒(のぎ)ある穀類、稼種する時也」(暦便覧)です。
 芒種の頃の土手を散歩しましょう。
 いつものようにパソコンの中の記憶をたどりながらですが………。

 春には土手を一面に黄色く染めていたカラシナは結実を終え、今は白い穂が風に揺れているだけです。栗の花が落ち始めています。栗花落(つゆり)。もう梅雨入りです。
 白いカラシナの穂に混じり、ノアザミが季節の歌を歌っています。
    ~♪ 季節はいつも交差点
       やって来るものと
       去ってゆくものが
       風に運ばれ
       行き交う交差点
       出会いの時は心ときめかせ
       別れの時は涙する
       人もまた季節と同じだ  ……  ♪~
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   人は旅人。花もまた旅をする。鉄道に乗って。どこまでも。方々に…。 hobo。
 そんな世界を旅する花に出会いたい方は、……
   2016年の「芒種」・前半へ → こちら 
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  「花と話す方法」を知っていますか?
   「無言で示す命の素晴らしさ。損なうことなく、誇ることなく、みごとに生きる。無言で語る植物たちの奇跡。」花と語る方法を、詩人の長田弘さんが教えてくれます。
 詩人の吉野弘さんも語ります。「……そして気付く。ぼくらの季節があまりにも樹木の季節と違うことに。」 花と語り、樹木の声を聞く。そんなことを希望の方は、……
      2016年の「芒種」・後半へ → こちら 
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   芒種の頃。それは田植えの時期です。
 遙か昔。田植えは地域全体の大行事。田植え歌も聞こえていたことでしょう。
 それぞれの地方に独特の田植え歌があったそうです。
  私は田植え歌は聴いたことがないです。
 飛騨地方の田植え歌。内容がちょっと気になります…。 本音? 自虐ネタ?
    ~♪ 嫁にやるなよ 気多 山本へ 
       深い田んぼで苦労するーーぅい ♪~
 気多や山本方面の田は、沼田やあわら田んぼが多くあり苦労したそうです。

 現代は、田植機が活躍。地域のつながりも希薄に? 
  田んぼの風景は、…… 2015年の「芒種」へ → こちら 
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   シューベルトの「菩提樹」を聞きながら、巨木を巡りたい方。
 なつかしい桑の実に出会いたい方。
 寺田芋畑の夕景をご覧になりたい方。 
  こちらです。……  2015年の「芒種」・追加へ → こちら
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2017年6月 5日 (月)

定期診察(132)・白血病化はなし

 今日はKS病院血液内科の定期診察でした。
  最近の症状ですが、貧血症状がほんのちょっとマシになりました。骨の痛みは少しずつ酷くなってきているように思います。ロキソニンを飲んでいても、いつも少しだけ痛みを感じます。ロキソニンで押さえきれなくなっている? 何か嫌ですね。

 家を出てから血液検査終了まで、一気に行動していたため息が切れました。待合いの長椅子でくたばっていると、看護師さんから、「大丈夫ですか?」と声を掛けられてしまいました。ちょっとビックリしました。 優しそうな眼差しが頭に焼き付いて……。

 さて、診察結果です。

  ★一番心配していた白血病化の検査ですが、これについては、検査の結果では、
   心配は要らないということでした。骨髄の検査も必要ないという判断です。
   ずっと気が重かったのですが、ちょっと開放されました。
   しかし、この骨の痛みと発熱は、いったい何なのだろうという疑問は残され
   ました。医師の説明もちょっと歯切れの悪いような? ……気のせいか?

   
  ★ヘモグロビンはHb=7.5でした。 ちょっと増加♪。
   前回の輸血の効果とジャカビを1錠に減らしている結果だと思われます。
   貧血が進んで行く時は、酷いと思っていた症状も、より酷い状態から改善して
   行く時は、少し楽に感じるという不思議さ。予定されていた輸血は無しです。

    ★血小板数は、二桁の11万/μlに回復です。

    ★貧血が安定するまで、ジャカビは一日1錠です。

  ★主治医の感想的評価では、「CRPも下がってきたし、LDHも減少してきて
   いるし、数値的には良い方向のように思いますよ。」でした。
   暗い気持ちで病院へ行きましたが、帰りはちょっと元気。一喜一憂。 小人?
    寄り道して、京都駅前大垣書店で本を5冊ばかり購入です。
                         では。また。

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2017年6月 2日 (金)

40数年ぶりの再会

 Kyotoeki
  先日、40数年前の職場の同僚2人と再会することができました。
 京都駅中央改札の前で約束していましたが、直ぐ近くに立っていたにも拘わらずお互いが認識できず、携帯電話で話しながら確認しあうという状態でした。
 しかし、お互いを確認した後は、僅か数年間という付き合いだったにも拘わらず、その後の40年という時間の壁を遙かに超えて、何の違和感もなく、隔たりもなく、あの頃そのままに会話をすることができました。この後、3人で昼食を共にしながら、なつかしい時間を過ごしました。

 40数年前、私は、今回再会したM.Y子先生と共に、新採用教員としてY中学校に赴任しました。次の年に、U.K郎先生がやってきました。その後、M.Y子先生とは3年、U.K郎先生とは2年間の付き合いでした。3人が共有した時間は、人生全体から見れば僅かな時間でしかありません。半世紀近い前、3人の若者が偶然出会い、僅かな時間を共にし、そして別れていった、ただそれだけのことにすぎないのですが……。
 「民主教育」という言葉が、まだ輝きを持っていた時代。正しい教育のあり方を真剣に求めていた時代。自らの人間形成に大きな影響を受けた時代。そんな時代を必死に生きていたからこそ、心に深く想い出が刻まれているのだと思います。

 二人のことをほんの少しだけ紹介してみましょう。
  まず、M.Y子先生は、世界遺産の五箇山地方の出身です。少女時代は、学校へ行く前に軽く草刈りの一仕事。学校から帰ってからは、子守や夕食の支度などが日々の日課だったそうです。米作りと養蚕もやっていたため、桑の葉の取り入れから、田んぼの草とりから、農作業の手伝いは膨大だったそうです。
 「それでよくK大に合格できましたね。」と言うと、
 「世の中のすべての人が、そういう生活をしているものと、長い間思っていました。」でした。彼女にとっては、ごく普通の生活だったようです。
 大学時代の彼女は演劇部で活躍。その後、愛する先輩の後を追って京都府に就職。
 遠距離恋愛を実らせて結婚。ご主人は、高校の先生だったそうですが、定年退職後、請われて市会議員に。現在2期目に入っているそうです。家事に、合唱団に、諸活動に、持ち前の体力と精神力で忙しくしているようです。

  U.K郎先生は九州男児。九州のK大卒業。私などは、レールの上をただ平凡に走りたがる人間ですが、彼の場合は少し波乱に富んでいるようです。
 その後、しばらくして教師を退職。上を目ざして大学院へと進学。卒業後、まだネットビジネスが世間で広がる前に、ネットのプラットホーム作りを手がけたり、不動産に係わったり、いろいろやったそうです。数千万円の損を被ったこともあるとか。ネットビジネスに成功していれば、億万長者になったかも…。その後は、大阪の某有名進学校の英語教師として勤務。昨年退職を迎えたそうです。いつも前向きな彼は、まだまだこれから、人生を冒険していきそうです。

  「それじゃあ、また。」・・・二人とは、京都駅の雑踏の中で別れました。
  別れた後、言い知れぬ寂しさが湧いてきて、あの頃の想い出をたどりながら、雑踏の中を歩きました。
 半世紀近い時間を超えて、三人が心の中に共有していたものは何なのでしょうか。
 ひたむきな希望のようなもの。情熱のようなもの。時代の風のようなもの。それは、決して言葉では語ることのできない何かです。
  ・・・さよなら。また、いつかどこかで・・・・。
           ******
  「私はもう長くは生きられない。なつかしい人に再会し、お別れの言葉を言おう。」これが、今の私の目標です。
 人は記憶を失えば、自分が何者であるかさえ解らなくなってしまいます。つまり、自分の人生とは、自分自身の想い出の連鎖なのです。なつかしい想い出の人に再会するということは、その頃の自分の人生に再会するということです。
人生の節目で出会った人と再会し、想い出を語り合い、過ぎ去った自分自身の人生を再確認し、そして二度と帰らぬ日々に別れを告げていこうというわけです。
 話をしたい人はたくさんいるのですが、少々体調が思うようにいかないです。
                  では。 また。

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