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2017年5月 1日 (月)

中原中也の詩を読む

  夭逝の詩人は、どのように死と向き合ったのでしょうか、今回は中原中也をみていきます。夭逝の詩人から中原中也を外すことはできませんね。
 中原中也の詩は、中学校や高校の教科書でもよく取り扱われていて、近代詩への入り口となっています。若い人の中にファンも多いですね。詩人や研究者の方の評論もたくさん出されています。今更、一読者である素人が、稚拙な何かを言うのも畏れ多いことですが、それはそれで、素人なりに思ったままをズバリと書いてみます。 我流「中也」論。

 まず、年譜により、彼の生涯の概略を確認してみます。
★1907年(明治40年)
 山口で生まれる。父は軍医で、後に中原医院を開く。
★1923年(大正12年):16歳
 文学熱が高じ、怠学により落第。家族で協議の結果、京都の立命館中学に転校。
  京都で長谷川泰子と同棲。詩や小説に没頭する。
★1925年(大正14年):18歳
  長谷川泰子と共に上京。東京での詩作の日々が始まる。
 小林秀雄、高橋新吉、草野心平、河上徹太郎、萩原朔太郎らと交流。
★1933年(昭和8年):26歳
  遠縁の上野孝子と結婚。
  翌年、長男文也誕生。詩集「山羊の歌」出版。詩人としての評価も高まる。
★1936年(昭和11年):29歳
  長男文也、小児結核で死去。
★1937年(昭和12年):30歳
  「在りし日の歌」の原稿完成。結核性脳膜炎で死去。

 中也の実家は医者で、裕福な家庭の出身です。その後、彼は一生実家から援助を受け続け、生活のためにあくせく働き、世間に揉まれて生きることもありませんでした。17歳で女と同棲を始めたりして、世間一般からみれば、文学に狂った放蕩息子という感じです。逆に、良く言えば、あくせくせす純粋に詩に没頭した詩人だったといえます。
 中也にとって詩人とは、生活のためにあくせくと雑事に追われる世俗とは一線を画した、精神的特権階級だったと思います。そのため、彼は世間を高みから傍観したり、世間にとけ込めない孤独感を感じていたと思われます。「正午」という詩ををみてみましょう。
  ~♪ 「正午 ~丸ビル風景~」      (在りし日の歌)
   あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
   ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
   月給取の午休み、ぷらりぷらりと手を振つて
   あとからあとから出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
   大きなビルの真ッ黒い、小ッちやな小ッちやな出入口
   空はひろびろ薄曇り、薄曇り、埃りも少々立つてゐる
   ひよんな眼付で見上げても、眼を落としても……
   なんのおのれが桜かな、桜かな桜かな
    ・・・・
   空吹く風にサイレンは、響き響きて消えてゆくかな   ♪~

 この詩は、高みから世間を見下ろす中也の視点や彼の持つ孤立感、漂泊感の溢れた詩です。 次に、「倦怠」という詩をみてみましょう。
  ~♪ 「倦怠」        (生前発表詩篇)
   倦怠の谷間に落つる
   この真ッ白い光は、
   私の心を悲しませ、
   私の心を苦しくする。
    ・・・・
   たちまちにそれは心を石と化し
   人はただ寝ころぶより仕方もないのだ
   同時に、果たされずに過ぎる義務の数々を
   悔いながらにかぞえなければならないのだ。
    ・・・・              ♪~

 世間や外界に対して果たされずに過ぎる義務の数々。世間からの孤立感が、彼にもたらしたものは「倦怠」です。彼の詩の中に流れる主要なテーマの一つが、「倦怠」です。
 彼は、世俗との抵抗しがたい苦闘の中で、どうしようもない倦怠感を抱いていたのです。家計を営む生活者ではない、霞を喰って生きるような詩人の負い目でしょうか。
 実家に金銭的に頼らねばならない負い目、成功できない負い目、彼にとって故郷もまた、閉ざされていました。「帰郷」と「黄昏」という詩をみてみましょう。
   ~♪ 「帰郷」        (山羊の歌)
   ・・・・
  これが私の故里だ
  さやかに風も吹いてゐる
    心置なく泣かれよと
    年増婦の低い声もする

  あゝ おまへはなにをして来たのだと……
  吹き来る風が私に云ふ     ♪~

  ~♪ 「黄昏」          (山羊の歌)
   ・・・・
  なにが悲しいつたつてこれほど悲しいことはない
  草の根の匂ひが静かに鼻にくる、
  畑の土が石といつしよに私を見てゐる。

  ――つひに私は耕やさうとは思はない!
  ぢいつとぼんやり黄昏の中に立つて、
  なんだか父親の映像が気になりだすと一歩二歩歩みだすばかりです

 何も成し遂げられない自分。父親に対する負い目。彼にとって過去とは、疲れたような懐かしさや後悔の堆積する空間でした。よく知られた「頑是ない歌」でも、~♪思へば遠く来たもんだ/ 十二の冬のあの夕べ/ 港の空に鳴り響いた/ 汽笛の湯気は今いづこ・・・・と、過ぎ去った過去を後悔の念と漂泊感を滲ませながら詠います。
 このように、彼の心は、周囲に対しても過去に対しても閉ざされていました。彼は、この心の閉鎖空間の中で、「悲しみ」を詠いました。彼の詩の中に流れる主要なテーマの二つ目が、「悲しみ」です。よく知られた詩、「汚れつちまつた悲しみに……」を読みましょう。
  ~♪「汚れつちまつた悲しみに……」   (山羊の歌)
   汚れつちまつた悲しみに
   今日も小雪の降りかかる
   汚れつちまつた悲しみに
   今日も風さへ吹きすぎる

   汚れつちまつた悲しみは
   たとへば狐の革裘
   汚れつちまつた悲しみは
   小雪のかかつてちぢこまる

   汚れつちまつた悲しみは
   なにのぞむなくねがふなく
   汚れつちまつた悲しみは
   倦怠のうちに死を夢む

   汚れつちまつた悲しみに
   いたいたしくも怖気づき
   汚れつちまつた悲しみに
   なすところもなく日は暮れる……      ♪~

 「倦怠のうちに死を夢む」。いったいこの悲しみは、どんな悲しみなのでしょうか。どんな汚れなのでしょうか。誰が汚したのしょうか。「なすところもなく日は暮れる……」。すべては受身形の悲しみです。彼の悲しみは、閉ざされた心の中を漂うばかりです。
 また、彼の心は、未来に対しても閉ざされていました。「わが半生」をみてみます。
   ~♪ 「わが半生」        (在りし日の歌)
      ・・・・ 
   外では今宵、木の葉がそよぐ。
   はるかな気持の、春の宵だ。
   そして私は、静かに死ぬる、
   坐つたまんまで、死んでゆくのだ。       ~♪

 出口の無い閉ざされた心の中の「悲しみ」と「倦怠」。過去、未来、周囲、すべての方向に閉ざされた心の世界で、彼は心の中にもう一人の自分であるピエロを住まわせることにより、心のバランスをとり自らの心を慰めていたと思われます。
  ~♪ 「幻影」        (在りし日の歌)
   私の頭の中には、いつの頃からか、
   薄命さうなピエロがひとり棲んでゐて、
   それは、紗の服なんかを着込んで、
   そして、月光を浴びてゐるのでした。
         ・・・・    ♪~

   ~♪ 「骨」
   ホラホラ、これが僕の骨だ、
   生きてゐた時の苦労にみちた
   あのけがらはしい肉を破つて、
   しらじらと雨に洗はれ、
   ヌックと出た、骨の尖さき。
        ・・・・
      故郷ふるさとの小川のへりに、
   半ばは枯れた草に立つて、
   見てゐるのは、――僕?
   恰度立札ほどの高さに、
   骨はしらじらととんがつてゐる。    ♪~

 離人症に罹ったかのように心を分離させ、もう一人の自分であるピエロを心の中に住まわせ、故郷に骨となって立ち尽くしている自分自身を見た詩人。閉ざされた心の中で、「悲しみ」と「倦怠」を詠った詩人。中原中也は、昭和12年、わずか30歳の若さでこの世を去りました。

 昭和12年といえば、廬溝橋事件。日本は戦争の時代へと突入していきます。多くの詩人は大政翼賛へと転向していきました。そんな時代の中で、社会に対し心の扉を閉ざし、自己を心の閉鎖空間の中に沈潜させていった若者・中原中也は生きていたのです。
 今また、中也の詩が若者の心をとらえているといいます。就活競争。非正規労働。個がバラバラにされる競争社会。自己責任社会。青春に挫折し、心を病む若者がいる限り、中也の詩は今後も読み継がれていくと思います。
 では、最後に彼の「志」を微かに感じさせる詩で、締めくくりたいと思います。
  ~♪ 「月夜の浜辺」
   月夜の晩に、ボタンが一つ
   波打際に、落ちてゐた。

   それを拾つて、役立てようと
   僕は思つたわけでもないが
   なぜだかそれを捨てるに忍びず
   僕はそれを、袂に入れた。
        ・・・・
   月夜の晩に、拾つたボタンは
   どうしてそれが、捨てられようか?    ♪~

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コメント

私の青春時代も中也は大きくいました。
当時買った中原中也全集の1巻はいまだ本棚に並んでいます。

中也、カフカ、ニザン、ランボー、
空っぽの心を必死に埋めて生きてました。

もし私が長谷川泰子だったら
頭脳明晰で聡明な小林秀雄より
混沌として心だけが研ぎ澄まされた中原中也が好きだったと思います(^-^;

中也が一生実家から援助を受けていた事は知りませんでした。
少し、少なからず、かなり、がっかりしてしまいました(ノ_-。)

投稿: ニャンキー | 2017年5月 1日 (月) 20時02分

ニャンキーさん、コメントありがとうございます。

小林秀雄より中也を選ぶとは、ニャンキーさんは、
中也ファンでしたか。
私も若い頃はよく読んでいました。なつかしいです。

しかし、今は中也を卒業しました。そのつもり…。
ちょっと批判的に書いてしまいました。申し訳ない。

ほんとは、時々、詩集に手を延ばしています。

投稿: 墓石 | 2017年5月 1日 (月) 20時40分

こんばんは。(*^-^*)

昔は結核で多くの人々が亡くなりましたね。
音楽の天才ショパン、モーツアルト、
ベートーベン等も結核で30代で亡くなりました。
いたるところでこの病魔が蔓延っていましたね。
今も墓石さんの病気等、まだまだ治らない病の
多さに愕然とします。癒されますように(祈る)

詩人は繊細で複雑な方々ですよね。またそうでないと
書けないですが、心情を詩で表す、、、羨ましい気が
します。彼は倦怠感や後悔をしてられますが。

汚れちまった悲しみに   若い頃よく読みました。
私でも読んだ事があるのでしたね。懐かしいです。

投稿: 輝子 | 2017年5月 1日 (月) 22時59分

輝子さん、おはようございます。

ほんとに昔は、結核は不治の病でしたね。
たくさんの若い命が失われました。
中也の子供も幼くして、結核で亡くなりました。
今より、死はずっと身近だったように思います。

今は癌ですが、これは多くは老人になってかかるので、
心の準備がし易いような?
若くで罹るとかえって大変かも?

良い天気なのに家でゴロゴロしているので、
心まで病気になりそうな気がします。

投稿: 墓石 | 2017年5月 2日 (火) 10時27分

墓石さま 

中原中也、名前しか知らなかった詩人ですが
(またもや、無知丸出し!6つ上の夫の年代は、
 学生時代によく読んだそうです)

たまたま家にあった中央公論社の「日本の詩歌」に
八木重吉と伊藤静雄と並んで作品が載ってたので
どれどれ… 正直、期待せずに読み始めました。
「山羊の歌」「在りし日の歌」そして「未刊詩篇」です。

意外や意外!中原中也は、
やさしい純粋な感性を持った人、
そして、己の弱さを知り、
それゆえに祈りを知っている人なのだと思いました。
なんだか、ひきつけられます。

「倦怠」と「悲しみ」に覆われていたとしても、
虚無と諦観で終えた人生ではなかったように思います。
「山羊の歌」の中にある「羊の歌」、
けっこう感動しました。
 「死の時には私が仰向かんことを!」

自分に正直に生きると、自分の醜さに打ちのめされる…
人間は、やっかいな生き物ですね。
だから、余計魅力があるのかも知れません。

勝手な感想を書きました。すみません。
中原中也と出会わせてくださり、
ありがとうございました。

投稿: ひかる | 2017年5月 4日 (木) 23時18分

ひかるさん、おはようございます。
今日は体調が悪くて、今頃が一日の始まりです。

夭逝の詩人シリーズ、予定では、いよいよ後一人なりました。
誰からも読まれていないと思いながら書いています。
コメントありがとうございます。大変嬉しいです。

中原中也ちょっと気に入っていただいたようで…。
中也は、いろいろな人がいろいろ評論しており
奥が深そうです。十分楽しめると思いますよ。
私は、ちょっと一面的に批判的に書きすぎました。
反省しています。

中也の養祖父母が信仰心の厚いクリスチャンであったようです。
「未刊詩篇」の方に、彼の宗教的な作品が多く(?)みられます。
楽しんでみてください。

投稿: 墓石 | 2017年5月 5日 (金) 12時06分

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