« 定期診察(125)・ジャカビ処方 | トップページ | 二十四節気「啓蟄」2017 »

2017年3月 3日 (金)

金子 みすゞの死を考える

  夭逝の詩人たちは、死とどのように向き合ったのでしょうか? 今回は、金子 みすゞの場合を考えてみます。金子 みすゞは、26歳の若さで自死した夭逝の童謡詩人です。

 では最初に、26歳というあまりにも短い人生だった金子みすゞの略歴をまとめてみます。金子みすゞは、明治36(1903)年、山口県の仙崎という小さな港町に生まれました。本名はテル。父の家業は、金子文永堂という小さな書店。二歳年上に兄・堅助、二歳年下に弟・正祐がいました。みすゞが三歳の時、父親が亡くなり家族は大黒柱を失います。翌年、弟の正祐は、子どもの無かった上山文英堂という遠縁の書店に養子に出されます。堅助とみすずは、母ミチにより、女手一つで育てられます。
 封建的家父長制度のもとで、家長を失うという悲しい出来事により、音もなく運命の歯車は回転してゆきます。
 兄・堅助は、尋常小学校卒業後、上の学校へは進まず家業を継ぎます。みすずは、郡内の大津高等女学校へと進学することになります。ここでのみすゞは、明るく成績も優秀だったようです。
 弟・正祐が養子に出されていた上山文英堂では、主人の妻(正祐の義母)が亡くなります。それにより、上山文英堂の主人は、みすゞの母ミチと再婚することになったのです。つまり、母ミチは、自分の子を養子に出した家に後妻として入ったのです。家というものを維持するために、もっとも良い方策だったようです。
 みすゞも女学校卒業後は、この上山文英堂で店番として働きました。やがて、兄・堅助の結婚により、実家を出て上山文英堂に住み込むことになります。
 好きな本に囲まれ、「みすゞ」というペンネームで投稿をしたのもこの時期でした。ここでの生活が創作活動の活発な時期でした。みすずの詩を借りて言えば、まさに「砂の王国」だったのです。
  ~♪ 「砂の王国」
     私はいま
     砂のお国の王様です。
     お山と、谷と、野原と、川を
     思ふ通りに変えてゆきます。
           ・・・・       
     私はいま
     ほんとにえらい王様です   ♪~
 時代は大正デモクラシー。北原白秋、西條八十、野口雨情などが中心となった大正童謡運動が興っていた時代でした。みすゞは、西條八十から高い評価を受け、創作活動を続けました。

 音もなく回転する運命の歯車。養父となった上山文英堂の主人は、みすゞと宮本という店員の結婚話を進めます。家の主の権力が強かった家父長制度。弟・正祐の涙の猛反対にもかかわらず、みすゞは心ならずも宮本と結婚することになります。
 結婚後まもなく、女児をもうけます。しかし、夫は遊郭通いに明け暮れ、家庭を顧みない悪夫。詩作にも理解が無く、詩作ばかりか仲間との文通も禁ずる始末でした。
 詩作を禁じられたみすゞに残されたのは、成長していく子ども。みすゞは、子どもの片言のお喋りの中に、素直で奔放な詩のようなものを感じとっていたのです。みすゞにより記録された子どもの言葉が残されています。
 離婚話が進み、ついに離婚となりましたが、子どもを引き取りたいというみすずの主張は聞き入れられず、ついに子どもまで奪われることになります。
 みすずは心を決め、三通の遺書をしたため、写真館で自分の遺影を撮り、カルモチンという睡眠薬を飲んで、この世を去ることになります。封建的な家父長制度の中で苦しみながら・・・。  26歳の若さでした。

 自ら死を選んだみすゞは、死をどのようにととらえていたのでしょうか?
 それは、作品に残されたものの中から推測するしかありません。
 みすゞの全詩の中から、数編を選んで考えていきたいと思います。

 まず、師である西條八十が、みすずの死を悼み引いた詩、「繭と墓」です。
 「おそらく絶唱といっていい。この謡の気持ちで彼女はあの暗い墓穴に急いだのであろう」と西條八十は書き残しています。
   
   ~♪ 「繭と墓」
   蚕は繭に
   はいります、
   きうくつさうな
   あの繭に。

   けれど蚕は
   うれしかろ、
   蝶々になって
   飛べるのよ。

   人はお墓へ
   はいります、
   暗いさみしい
   あの墓へ。

   そしていい子は
   はねが生え、
   天使になって
   飛べるのよ。   ♪~

  よい子は死んでも天使になって天上に昇ることができる、そのために暗い墓に人は入るのです。アンデルセンなど、西欧のキリスト教思想の影響を受けた、子どもの魂の救済の世界です。彼女も、天に向かって羽ばたけることを夢みていたに違いありません。
  次に、「雪」という詩をみてみましょう。

   ~♪  「雪」
   誰も知らない野の果てで
   青い小鳥が死にました
     さむいさむいくれ方に

   そのなきがらを埋めよとて
   お空は雪を撒きました
     ふかくふかく音もなく

   人は知らねど人里の
   家もおともにたちました
     しろいしろい被衣(かつぎ)着て

   やがてほのぼのあくる朝
   雪はみごとに晴れました
     あおくあおくうつくしく

   ちいさいきれいなたましひの
   神さまのお国へゆくみちを
     ひろくひろくあけようと    ♪~

 誰も知らない野の果てで死んだ青い小鳥。深く音もなく雪がやさしく包んでいきます。人も家も白い衣を着て見送ります。青く晴れた朝、きれいな魂は、神の国へと旅だってゆきます。野の果てに誰にも知られず死んだ自らの魂も、神の国にゆくことができる、彼女の切なる願望であったと思います。

   ~♪ 「木」
   お花が散って
   実が熟れて、

   その実が落ちて
   葉が落ちて、

   それから芽が出て
   花が咲く。

   さうして何べん
   まわったら、
   この木は御用が
   すむか知ら。    ♪~

 御用が終わらないうちに、この世を去ることになった金子みすずさん。
 無事に天の国に着いたでしょうか? あなたの残した詩は、この格差と競争の社会の中で、しっかりと御用を果たしていますよ。ゆっくりお休み下さい。    

|

« 定期診察(125)・ジャカビ処方 | トップページ | 二十四節気「啓蟄」2017 »

コメント

墓石さん こんばんは。(*^-^*)

毎夜、熱や寝汗と戦ってられるかと思うと辛いですが、
こうして素晴らしい文を書いてられ、いくらか安堵します。

金子みすずさんは家長時代の悲惨な運命でしたね。
でも魂の美しさ、救いが見られます。寂しい様で
希望を持ってられたのでしょうね。

格差、競争社会とは全く反対ですが、清らかな慰められる
生涯だったでしょう。こんな人もおられたのだ、と思うと
勇気と希望が出ます。きっと彼女は競争社会で勝った人
よりは素晴らしいところにおられますよ。

投稿: 輝子 | 2017年3月 5日 (日) 20時01分

輝子さん、こんばんは。
コメントありがとうございます。

金子みすゞさん、なかなかいいですね。
天国でゆっくりとしてほしいと思います。

体調が悪いので、読書に当てる時間も限られています。
今日は、体調が良いうち一週間ぶりに風呂に入りました。
今の時間は、厳しくなってきました。
まもなく寝ます。


投稿: | 2017年3月 5日 (日) 21時01分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/522242/64964447

この記事へのトラックバック一覧です: 金子 みすゞの死を考える:

« 定期診察(125)・ジャカビ処方 | トップページ | 二十四節気「啓蟄」2017 »