« 定期診察(123)・貧血さらに進む | トップページ | 高見順著「死の淵より」を読む② »

2017年2月 1日 (水)

高見順著「死の淵より」を読む①

 私は、血液癌の一種「骨髄線維症」という治療法の確立していない難病に罹りました。私に残された時間は、多くはないと思います。
 過去に亡くなった詩人たちは、死とどのように向き合い、何を思ったのでしょうか。安らかな死とは何でしょうか。これを追究することが今年一年、私の課題です。
 今回は、食道癌で亡くなった作家の高見順さんの詩集「死の淵より」を読んでいきます。私は、理系の出身で、文学的素養もありません。読み間違うかも知れませんが、著者へ失礼にならないよう、衿を正して読ませていただきます。

 高見さんは明治40年、福井県の三国という小さな港町に私生児として生まれました。母親は、高見さんが1歳の時上京し、父親からの援助と針仕事をしながら息子を育て上げます。高見さんは、生涯父親を知らずに育ちました。
 やがて、高見さんは東大英文科を卒業。左翼活動へと入ります。治安維持法で逮捕、投獄後転向し、作家として世に出ました。「わが胸の底のここには」は、自らの出生の秘密や多感な少年時代を描く自伝風の作品です。小説家として華々しく活躍をしますが、昭和38年食道癌で入院。2年後の昭和40年、58歳で亡くなります。
 「死の淵より」は、その闘病生活を綴った詩集で、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲの三部構成になっています。Ⅰは入院中に作られた詩、Ⅱは手術前の詩、Ⅲは退院後整理された詩です。
  したがって、時系列に、Ⅱ→Ⅰ→Ⅲの順に読み進んでいきます。
 「死の淵より」は、青空文庫で読むことができます。

                    *****
  高見さんの第一詩集は、「樹木派」です。高見さんは昭和23年頃、結核に罹り鎌倉額田サナトリウムで療養生活を経験します。この頃の詩をまとめたのが詩集「樹木派」です。この中に、死について書かれた詩があります。
 ~♪ 「死」
  こっそりとのばした誘惑の手を
  僕に気づかれ
  死は
  慌てて何か忘れものをした
  たしかに何か僕のなかに置き忘れて行った  ~♪

 この頃は、死と向き合いながらも、死に対する深刻さはなく、どこか遠い心の中の問題として捉えられているようです。結核も次第に死を意味する病気でなくなってきた、という背景もありました。
  「樹木派」のなかの他の詩も一つ見てみましょう。
 ~♪ 「天」
  どの辺からが天であるか
  鳶の飛んでゐるところは天であるか

  人の眼から隠れて
  こゝに
  静かに熟れてゆく果実がある
  おゝ その果実の周囲は既に天に属してゐる    ♪~

 高い空を悠然と飛ぶ鳶。そこは、天であるかと著者は問います。天とは、自然の摂理や神の支配する世界です。これに対して、人の目からから隠れて静かに熟れていく果実。手の届く範囲にある果実。この周囲も、もはや「天」であるというのです。
 この頃の高見さんは、樹木や草花たちの生命力から影響を受け、植物たちの命を賛美していました。人目から隠れ、静かに熟れていく果実に、自分自身を重ね合わせ、より高い精神の高みを目ざしていたのです。

 では、「死の淵より」のⅡ部の詩へ進みましょう。Ⅱ部は、手術前に書かれた詩を集めたものです。このなかの代表的な詩は、「青春の健在」です。
 ~♪ 「青春の健在」
  電車が川崎駅にとまる
  さわやかな朝の光のふりそそぐホームに
    電車からどっと客が降りる
    ・・・・
    むんむんと活気にあふれている
    私はこのまま乗って行って病院にはいるのだ
  ホームを急ぐ中学生たちはかつての私のように
    昔ながらのかばんを肩からかけている
    私の中学時代を見るおもいだ
    私はこの川崎のコロムビア工場に
    学校を出たてに一時つとめたことがある
    私の若い日の姿がなつかしくよみがえる
    ホームを行く眠そうな青年たちよ
    君らはかつての私だ
    私の青春そのままの若者たちよ
    私の青春がいまホームにあふれているのだ
    私は君らに手をさしのべて握手したくなった
    なつかしさだけではない
    遅刻すまいとブリッジを駆けのぼって行く
    若い労働者たちよ
    さようなら
    君たちともう二度と会えないだろう
    私は病院へガンの手術を受けに行くのだ
    こうした朝 君たちに会えたことはうれしい
    見知らぬ君たちだが
    君たちが元気なのがとてもうれしい
    青春はいつも健在なのだ
    さようなら
    もう発車だ 死へともう出発だ
    さようなら
    青春よ
    青春はいつも元気だ
    さようなら
    私の青春よ                    ♪~

 癌の手術を受けるため千葉大学病院へ向かう高見さん。朝の光の降り注ぐ川崎駅。むんむんと活気あふれる中学生や若い労働者。自らの青春そのままの若者たち。高見さんは、青春を高らかに賛美します。そして、死へと出発だ、さよなら私の青春よと、自らの青春に別れを告げるのです。
  しかし、詩はどこか感傷的で、観念的にしか死に向き合えていないことが覗えます。高見さん自身も、「……死の恐怖が心に迫ってきたのはあとからのことである。」と述べています。この時点では、まだ精神的に余裕があったと思われます。
  続く「電車の窓の外は」という詩でも、~♪足ばやに行く出勤の人たちよ/ おはよう諸君/ みんな元気で働いている/ 安心だ 君たちがいれば大丈夫だ/ さようなら/ あとを頼むぜ/ じゃ元気で…♪~と、ここでもまた、生命や活気のあふれる人々に別れを告げ、病院へと向かいます。

  高見さんは手術をうけ、病院での闘病生活が始まります。
 いったい高見さんは、この後、どのように死と向き合うことになるのででしょうか。
 次回は、「死の淵より」Ⅰ部の詩を紹介します。

             高見順著「死の淵より」を読む②へ → こちらから

|

« 定期診察(123)・貧血さらに進む | トップページ | 高見順著「死の淵より」を読む② »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/522242/64838830

この記事へのトラックバック一覧です: 高見順著「死の淵より」を読む①:

« 定期診察(123)・貧血さらに進む | トップページ | 高見順著「死の淵より」を読む② »