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2017年2月

2017年2月27日 (月)

定期診察(125)・ジャカビ処方

 今日はKS病院血液内科の定期診察でした。病院へは電車で向かいましたが、貧血症状が酷く、こういう日に限って立ちっぱなしで、結構辛かったです。

  最近の症状としては、貧血症状に加え、午後から始まる足の痺れ、背中や腹に板を入れられたような違和感・弱い痛み、その後の発熱に苦しんでいます。夜には、毎晩のように38℃を超える発熱です。ロキソニンを飲んでも直ぐには効かず、最高39.4℃を記録しました。生涯の最高値で、体温計の故障かと思いました。
 夜半にはもの凄い寝汗。もうびしょ濡れ状態。3回は着替えます。朝方は少し寝られるものの、疲労感一杯で起床です。寝る前と起床時では、体重が1kg以上減っています。なにしろひどいですね。ロキソニン依存生活。

 さて、診察結果です。
  最も気にしていた白血病への転化ですが、主治医の開口一番が、「白血病の方は、大丈夫でしたよ。」ということでした。
 その後、骨髄生検の結果などの説明がありました。
 骨髄の顕微鏡写真を見ながら、ほとんど繊維で埋め尽くされているということが説明されましたが、素人が写真を見てもほとんど意味不明状態でした。
 貧血は、さらに悪化して、0.2下がってHb=7.2でした。
  CRPとLDHは、過去最高を更新して上昇です。
 血小板は20万/μlで、横ばいです。

 ★結果、ジャカビの処方が言い渡されました。
  一日、2錠からスタートするそうです。
  冊子を2冊渡され、骨髄線維症の説明と、ジャカビ服用にあたっての副作用の説明などを聞きました。貧血。血小板減少。白血球減少。間質性肺炎。
 もう、副作用満載。しかし、承諾書にサイン。それしかないですね。

 ★私の「やりたいことがまだ少し残っているんですが、一年を目途に考えておけばいいですか?」という質問に、主治医は、「それでいいと思いますよ。」という返答でした。「それを言うのは早い!」から、回答がさりげなく一歩前進しましたね。
 「病気の最終はどんな状態になるんですか?」という質問にも、いくつかのケースで説明して頂けました。要約して結論的に言えば、どうしようもなくコントロールができなくなるということです。白血病化という選択肢もまだ残されているということです。

  ウーン、どうやら私の人生のゴールもはっきりと見えてきたという感じですね。
 やりたいことが少し残っていると言ってはみたものの、実はそんなにやりたいことも無いんです。自分の最後を見届けるのが最後の仕事といえば仕事ですね。
 帰りの電車の窓から、紅梅が満開なのが見えました。今日は良い天気で、青い空に紅梅が映えていました。 桜の頃までには、症状が改善されることを希望します。
               では。 また。

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2017年2月24日 (金)

二十四節気「雨水」2017

 2月18日は、二十四節気の「雨水」でした。
 気象協会によると、「雨水」という節気は、最も認知度が低い節気だそうです。梅雨の頃と間違えている人も多いとか。
 「雨水」とは、降る雪は雨へと代わり雪解けも進み、水は大地へと染み込み、植物たちの春の芽生えが準備される時期です。地面の下で静かに進む変化を、想像力の中でとらえなければなりません。自然と離れてしまった現代人には、認知度が低くても仕方がないところですね。
 今年は、温かくなったり寒くなったり、天気の変化が目まぐるしいです。2月20日には、近畿地方に4年ぶりの春一番が吹いたという報道もありました。 

  私はといえば、ますます体調は悪く、通常の生活が送れないくらいに追い込まれています。昨日は、39.4℃の高熱に襲われました。体温計が壊れたのではないかと疑うくらいでした。こんな熱は、生まれて初めてです。チビチビと鼻血も止まらず、血小板の減少が疑われます。写真を撮影に行くなど、遠い話しになりました。
 というわけで、今回も過去の「雨水」へのリンクを貼るだけにします。被写体に乏しい時期ですが、結構頑張って撮れていますよ。

    21016年の「雨水」へのリンク → こちら
2016usui8011  梅の花が満開です。
 農作業も本格的に始まりました。
 野草たちも顔を出してきました。

 

 

    21015年の「雨水」へのリンク → こちら
  Usui20151021天気の変化が激しいです。雨雲です。
 野焼きも始まり、田んぼの作業も始まりました。
  梅も咲きました。

 

 

     21014年の「雨水」へのリンク → こちら
Usui2014501_011ネコヤナギのふくらみ。
  梅の花。カキツバタの芽生え。
  水仙。

 

 

     21013年の「雨水」へのリンク → こちら
  Usui3021メジロに出会えました。
  つくし登場。
 融けてゆく蓮の葉。

 

 

      21012年の「雨水」へのリンク → こちら
 Usui1_0022
 冬の名残のヒヨドリジョウゴ。
 雨の日の鴻ノ巣山。
 土手の夕日。

 

 

   21011年の「雨水」へのリンク → こちら    
 01141
 この年は、14日に大雪。
 大榎もビックリ。

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2017年2月19日 (日)

宮澤賢治詩集を読む②

  昭和3年、農業指導で過労状態だった32歳の賢治に病魔が襲いかかります。肺浸潤、急性肺炎です。この時期二年間の療養生活中に書かれた詩群が、「疾中より」です。黒いクロスの表紙に挟んで、直筆の詩が保存されていたそうです。
 肺病を病んだ賢治は、いよいよ迫ってくる死と向き合います。
 この詩人は、何を思いながら死と向き合ったのでしょう。では、「疾中より」を読んでいきましょう。

  ~♪ 〔その恐ろしい黒雲が〕
   その恐ろしい黒雲が
   またわたくしをとらうと来れば
   わたくしは切なく熱くひとりもだえる
   北上の河谷を覆ふ
   あの雨雲と婚すると云ひ
   森と野原をこもごも載せた
   その洪積の大地を恋ふと
   なかばは戯れに人にも寄せ
   なかばは気を負ってほんたうにさうも思ひ
   青い山河をさながらに
   じぶんじしんと考へた
   あゝそのことは私を責める
   病の痛みや汗のなか
   それらのうづまく黒雲や
   紺青の地平線が
   またまのあたり近づけば
   わたくしは切なく熱くもだえる
   あゝ父母よ弟よ
   あらゆる恩顧や好意の後に
   どうしてわたくしは
   その恐ろしい黒雲に
   からだを投げることができよう
   あゝ友たちよはるかな友よ
   きみはかゞやく穹窿や
   透明な風 野原や森の
   この恐るべき他の面を知るか  ♪~

 森と野原を載せた洪積層の大地。青い山河。賢治の愛した自然は、今は黒い雲を沸き立たせ襲いかかってきます。「わたくしは切なく熱くもだえる」。「どうしてわたくしは/その恐ろしい黒雲に/からだを投げることができよう」と独白します。
 病魔は、容赦なく賢治を痛めつけます。苦痛の中で、次のような特異な詩も書いています。

   ~♪ 〔丁丁丁丁丁〕
     丁丁丁丁丁
     丁丁丁丁丁
  叩きつけられてゐる 丁
  叩きつけられてゐる 丁
 藻でまっくらな 丁丁丁
 塩の海  丁丁丁丁丁
   熱  丁丁丁丁丁
   熱 熱   丁丁丁
    (尊々殺々殺
     殺々尊々々
     尊々殺々殺
     殺々尊々尊)
 ゲニイめたうとう本音を出した
 やってみろ   丁丁丁
 きさまなんかにまけるかよ
   何か巨きな鳥の影
   ふう    丁丁丁
 海は青じろく明け   丁
 もうもうあがる蒸気のなかに
 香ばしく息づいて泛ぶ
 巨きな花の蕾がある   ♪~

「丁」という文字は、本文とは違う筆記用具で、黒々と書き込まれていたそうです。悪魔ゲニイと闘う斧の音でしょうか。病気の身体的苦痛は、当然のことながら、相当なものだったとうかがえます。

   ~♪ 夜
  これで二時間
  咽喉からの血はとまらない
  おもてはもう人もあるかず
  樹などしづかに息してめぐむ春の夜
    ・・・・
  こんやもうこゝで誰にも見られず
  ひとり死んでもいゝのだと
  いくたびさうも考をきめ
  自分で自分に教へながら
  またなまぬるく
  あたらしい血が湧くたび
  なほほのじろくわたくしはおびえる ♪~

 まもなくやって来る死。賢治はそれを覚悟しながら、ほのじろくおびえるのです。

  ~♪  眼にて云ふ
  だめでせう
  とまりませんな
  がぶがぶ湧いてゐるですからな
  ゆふべからねむらず血も出つづけなもんですから
  そこらは青くしんしんとして
  どうも間もなく死にさうです
  けれどもなんといゝ風でせう
  もう清明が近いので
  あんなに青ぞらからもりあがって湧くやうに
  きれいな風が来るですな
  もみぢの嫩芽と毛のやうな花に
  秋草のやうな波をたて
  焼痕のある藺草のむしろも青いです
  あなたは医学会のお帰りか何かは知りませんが
  黒いフロックコートを召して
  こんなに本気にいろいろ手あてもしていたゞけば
  これで死んでもまづは文句もありません
  血がでてゐるにかゝはらず
  こんなにのんきで苦しくないのは
  魂魄なかばからだをはなれたのですかな
  たゞどうも血のために
  それを云へないがひどいです
  あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
  わたくしから見えるのは
  やっぱりきれいな青ぞらと
  すきとほった風ばかりです。    ♪~

  この詩からは、自然科学を学んだ賢治ならではの冷静な自己分析や、青空と透きとおった風の中で悠然と生きようとする賢治の姿勢を感じとることができます。迫り来る死を前に、青空や風を感じるとは、私からすれば、何とも壮絶という感じすらします。

  ~♪ 〔そしてわたくしはまもなく死ぬのだらう〕
   そしてわたくしはまもなく死ぬのだらう
  わたくしといふのはいったい何だ
  何べん考へなおし読みあさり
  さうともきゝかうも教へられても
  結局まだはっきりしてゐない
  わたくしといふのは             ♪~

  トシの後を追い、トシと共に理想世界を求め続けた賢治ですが、最後の時までその答えを見つけることなく、自問し苦悶しながら世を去ります。
 「疾中より」が書かれた後、一時病状は回復しますが、二年後の昭和8年、37歳の若さで永眠しました。
               ******
  宮沢賢治は、仏教的悟りを得て、安らかな死に至る道を進もうとしたのではありません。彼は、病魔と戦い、苦悶し、壮絶な最後に到りました。
 激しい身体的苦痛の中で、彼を最後まで支えたのは何だったのでしょうか。
 それは、青い空や透きとおった風、流れる雲、賢治の自然への愛であり、また、愛する妹トシへの思いであり、二人が目ざした理想世界だったのではないかと思います。
  今でも賢治は、妹トシと二人で、銀河鉄道に乗って天上への旅を続けていることと思います。
                宮澤賢治詩集を読む①へもどる → こちら

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2017年2月17日 (金)

宮澤賢治詩集を読む①

 今回は、宮澤賢治の「春と修羅」、「疾中より」などを読んでいきます。
 宮澤賢治は人気詩人でファンの方も多いと思います。キリスト教や仏教など、様々な角度からの評論も行われています。
 私は一読者として、「一人の人間として、賢治は死とどのように向き合ったか」という単純なテーマを立てて読んでいきたいと思います。
 「詩人はいかに死と向き合ったか」、これが今年一年の私のテーマですので・・・。 ちょっと荷が重いかな?

  宮澤賢治は生涯で二度、大きな死と向き合いました。一回目は、妹トシの死です。二回目は、もちろん自分自身の死です。今回は、第①回として「トシの死」について考えていきます。
                        *****
  賢治にとって妹トシの死は、最愛の妹を亡くすということにとどまらず、彼の人生に大きな意味を持っていました。それは、その後の彼の人生は、トシの目ざしたものを追い、トシと共に生きた人生だということです。
 では、有名な「永訣の朝」を読みましょう。多くの説明は不要ですね。
 ~♪ 永訣の朝
  けふのうちに
  とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
  みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
   (あめゆじゆとてちてけんじや)
   ・・・・
  おまへがたべるあめゆきをとらうとして
  わたくしはまがつたてつぱうだまのやうに
  このくらいみぞれのなかに飛びだした
   (あめゆじゆとてちてけんじや)
      ・・・・
  ああとし子
  死ぬといふいまごろになつて
  わたくしをいつしやうあかるくするために
  こんなさつぱりした雪のひとわんを
  おまへはわたくしにたのんだのだ
  ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
  わたくしもまつすぐにすすんでいくから
   (あめゆじゆとてちてけんじや)
  はげしいはげしい熱やあへぎのあひだから
  おまへはわたくしにたのんだのだ
     ・・・・
  ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
  あああのとざされた病室の
  くらいびやうぶやかやのなかに
  やさしくあをじろく燃えてゐる
  わたくしのけなげないもうとよ
  この雪はどこをえらばうにも
  あんまりどこもまつしろなのだ
  あんなおそろしいみだれたそらから
  このうつくしい雪がきたのだ
    ・・・・
  おまへがたべるこのふたわんのゆきに
  わたくしはいまこころからいのる
  どうかこれが天上のアイスクリームになつて
  おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
  わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ   ♪~

 「あめゆじゆとてちてけんじや」。賢治は霙の降る中へ飛び出していきます。
  恐ろしい乱れた空からやって来る美しい雪。それは天からの贈り物。

  ~♪ああとし子
    死ぬといふいまごろになつて
    わたくしをいつしやうあかるくするために
    こんなさつぱりした雪のひとわんを
    おまへはわたくしにたのんだのだ♪~

 雪を手にした賢治は、まっすぐに進んでいくことを決意するのです。
    ~♪ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
    わたくしもまつすぐにすすんでいくから♪~
 まっすぐに進むとは、どこへ向かって進むというのでしょうか。
 そのことを、次の「無声慟哭」という詩を読んで確認しましょう。
 
  ~♪  無声慟哭
   こんなにみんなにみまもられながら
   おまへはまだここでくるしまなければならないか
   ああ巨きな信のちからからことさらにはなれ
   また純粋やちひさな徳性のかずをうしなひ
   わたくしが青ぐらい修羅をあるいてゐるとき
   おまへはじぶんにさだめられたみちを
   ひとりさびしく往かうとするか
   信仰を一つにするたつたひとりのみちづれのわたくしが
   あかるくつめたい精進しやうじんのみちからかなしくつかれてゐて
   毒草や蛍光菌のくらい野原をただよふとき
   おまへはひとりどこへ行かうとするのだ
   ・・・・  ♪~

  ~♪信仰を一つにするたったひとりのみちずれのわたし~♪ つまり、トシと賢治は信仰で深く結ばれ、同じ道を歩もうとしていたみちずれだったのです。
  トシは日本女子大学に学び、ここで帰一教会と出会います。帰一教会とは、仏教、キリスト教、神道などの宗教者同士の相互理解と協力を推進し、新しい指導理念を確立しようとしたものです。賢治は法華経信者として活動していましたが、トシの影響を受け、法華経を乗り越えたより高い精神的理想を目ざそうとしていたと思われます。
 名作「銀河鉄道の夜」にも、賢治の目ざした理想をみることができます。銀河鉄道の夜の最終場面、ジョバンニとカンパネルラの二人の別れの場面で、ジョバンニはカンパネルラに呼びかけます。「…きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう。」
 しかし、この後カンパネルラはいつの間にか姿を消し、ジョバンニは天上への切符を手に夢から覚めるのです。「みんなのほんとうのしあわせ」。これこそが二人が求めた最上の理想なのです。一つの宗教に限定されない宇宙的視野の理想世界です。
 トシを亡くした賢治は、樺太旅行へと出かけますが、それは、トシの影を追う鎮魂の旅でした。この旅の中で書かれた詩の中にも、トシの後を追う賢治の姿勢や二人の求めた理想を読み取ることができます。
 
   ~♪ 青森挽歌
    ・・・・
   あいつはこんなさびしい停車場を
   たつたひとりで通つていつたらうか
   どこへ行くともわからないその方向を
   どの種類の世界へはひるともしれないそのみちを
   たつたひとりでさびしくあるいて行つたらうか
        ・・・・
    《みんなむかしからのきやうだいなのだから
      けつしてひとりをいのつてはいけない》
   ああ わたくしはけつしてさうしませんでした
   あいつがなくなつてからあとのよるひる
   わたくしはただの一どたりと
   あいつだけがいいとこに行けばいいと
   さういのりはしなかつたとおもひます
        ・・・・                  ~♪ 

 トシの影を追いながら、理想世界を目ざした賢治。次回は、賢治がどのように死に向き合ったかについて考えます。 (つづく)

         宮澤賢治詩集を読む②へ → こちら

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2017年2月13日 (月)

定期診察(124)・骨髄生検と白血病検査

 今日はKS病院血液内科の定期診察でした。
  病院へ向かうとき、京都市内は雪が舞っていました。寒い一日でした。
 貧血症状がひどいのと、持病の腰痛も出てきて、無事病院へたどり着けるか不安でしたが、不思議と普通に到着できました。歩くスピードはかなり落としましたが・・・。

  最近の症状としては、夕方から始まる発熱に苦しんでいます。最高の高熱の時、39.0℃を記録しました。この時、幻覚を見ました。
 貧血症状と体のだるさで、横になって過ごすことが多くなりました。散歩どころではないですね。
 夜もまたつらいです。夜が怖いという感じです。寝たと思ったらもの凄い寝汗で目が覚めます。冬だというのに、クーラーの無い夏状態です。不眠。

 さて、診察結果です。
 貧血は、さらに悪化して、0.2下がってHb=7.4でした。
 アグリリンをほとんど服用していないにもかかわらず、血小板は20万/μlで、さらなる減少です。
  CRPとLDHは、過去最高を更新して上昇中です。
  線維症の進行は、着実(?)、急速(?)、まっしぐら(?)、待ったなし(?)、どの表現が適切なのか分かりませんが、止めようもなく坂道を転がっているのは確実です。

 今日は、骨髄穿刺と骨髄生検の検査を受けました。
 白血病検査のための採血もありました。(前回予告されていた)

 上の二つの検査の結果は時間がかかるため、次回にまとめて聞くことになります。
 その検査の結果を見て、次回に、今後の治療方針を決めるそうです。
 主治医の言葉;「たぶん、ジャカビの投与になると思うが、副作用で貧血はさらに進みますよ。」でした。
  これ以上貧血が進むとどうなるんでしょうか? 輸血? 寝たきり?
  白血病化だと、最悪のスピードコースですね。
  この先、どうなるんでしょうか?・・・この答えは簡単、明瞭!「なるようになる」ですね。 次回の診察は、ちょっと注目かも。
 帰りの電車の窓から、よく梅の花が咲いているのが見えました。
 春がやってきているんですね。 近くの梅林に花見に行かなくては…。
               では。 また。

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2017年2月 6日 (月)

二十四節気「立春」2017

 2月4日は、二十四節気の立春でした。春の始まりの日です。
 立春当日は、穏やかに良く晴れましたが、私は体調不良のため、ほとんど引きこもり状態で、物干し台から空を眺めるだけでした。こんなにも晴れた春の始まりの日に、散歩もできないとは残念です。
 というわけで、今回も過去の記事へのリンクのみです。

    2016年の「立春」へ → こちら
2016risshun4031 ナズナ、ホトケノザ、タンポポ。咲き始めた春の花に出会えます。
石垣りんさんの「二月のあかり」を紹介。

 

 

     2016年「立春」の追加へ → こちら
2016risshuntuik5011_2  梅や水仙。土手の空。
石垣りんさんの「たんぽぽ」を紹介しています。

 

 

      2015年の「立春」へ → こちら
Risshun701_011  土手の上に広がる青い空。山村暮鳥さんの「空」を紹介。
農作業の始まった田んぼの風景。 

 

 

      2014年の「立春」へ → こちら
Risshun8021 ネコヤナギやモクレンの花芽。
夕空を群舞する鳥たち。

 

 

       2013年の「立春」へ → こちら
Risshun7_0011_3  この頃良く写していた対岸の人影。
雨の鴻ノ巣山。 

 

 

       2012年の「立春」へ → こちら
Risshun991_0021  枯れた田んぼや土手の風景。
夕日の土手。 

 

 

       2011年の「立春」へ → こちら
Arisshun_0311  宇治田原の凍る滝。
この頃の写真の方が、何か写真らしいですね。

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2017年2月 4日 (土)

高見順著「死の淵より」を読む③

  退院後に書かれた詩や入院中のメモを整理して書かれたⅢ部を読んでいきます。

 高見さんは、自分の心の中にいるもう一人の自分に激しく問いかけます。もう一人の自分は、果たして敵なのか味方なのか・・・。
  「過去の空間」という詩では、自らの人生で繰り広げられた過去の宴は、いったい何だったのか、もう一人の自分を激しく問いつめます。死によって「過去の空間」は、すべて失われ、否定されていくものなのか、それとも残り続けるのか・・・。

  ~♪ 「過去の空間」
    ・・・・
  その楽しさはすでに過去のものだ
  しかし時間が人とともに消え去っても
  過去が今なお空間として存在している
  私という存在のほかに私の人生が存在するように

  楽しそうでほんとは惨憺たる過去の景色を
  君は私の味方として私に見せまいとするのか
  それとも私の敵として過去の楽しさすら拒みたいのか
  君は私の過去とは別に存在する私の作品なのか 
                     ・・・♪~
  
  しかし、いくら問いかけても結論はありません。時間だけが過ぎてゆきます。
 迫ってくる最後の時間。時間の洩れる音だけがいそがしく聞えてくる・・・。
  ~♪ 手ですくった砂が
    痩せ細った指のすきまから洩れるように
    時間がざらざらと私からこぼれる
    残りすくない大事な時間が
            ・・・・
        景色は次第に夕闇に包まれて行く
    砂上に書かれた文字が崩れるように
    すべての盃も姿を消して行き
    時間の洩れる音だけがいそがしく聞えてくる  ♪~

  心の中のもう一人の自分と、激しく対立する高見さん。その対立も、「おれの食道に」で、ようやく終息し、和解へと進んでいきます。「おれの食道に」という詩の全文を一気にみてみましょう。

 ~♪     「おれの食道に」
  おれの食道に
  ガンをうえつけたやつは誰だ
  おれをこの世にうえつけたやつ
  父なる男とおれは会ったことがない
  死んだおやじとおれは遂にこの世で会わずじまいだった
  そんなおれだからガンをうえつけたやつがおれに分らないのも当然か
  きっと誰かおれの敵の仕業にちがいない
  最大の敵だ その敵は誰だ

  おれは一生の間おれ自身をおれの敵としてきた
  おれはおれにとってもっとも憎むべき敵であり
  もっとも戦うに値する敵であり
  常に攻撃しつづけていたい敵であり
  いくらやっつけてもやっつけきれない敵であった
  倒しても倒しても刃向ってくる敵でもあった
  その最大の敵がおれに最後の復讐をこころみるべく
  おれにガンをうえつけたのか

  おれがおれを敵として攻撃しつづけたのは
  敵としてのおれがおれにとって一番攻撃しやすい敵だったからだ
  どんな敵よりも攻撃するのに便利な敵だった
  おれにはもっともいじめやすい敵であった
  手ごたえがありしかも弱い敵だった
  弱いくせに決して降参しない敵だった
  どんなに打ちのめしても立ち直ってくるのはおれの敵がおれ自身だったからだ
  チェーホフにとって彼の血が彼の敵だったように

  アントン・チェーホフの内部に流れている祖先の農奴の血を彼は呪った
  鞭でいくらぶちのめされても反抗することをしない
  反抗を知らない卑屈な農奴の血から
  チェーホフは一生をかけてのがれたいと書いた
  おれもおれの血からのがれたかった
  おれの度しがたい兇暴は卑屈の裏がえしなのだった
  おれはおれ自身からのがれたかった
  おれがおれを敵としたのはそのためだった

  おれは今ガンに倒れ無念やる方ない
  しかも意外に安らかな心なのはあきらめではない
  おれはもう充分戦ってきた
  内部の敵たるおれ自身と戦うとともに
  外部の敵ともぞんぶんに戦ってきた
  だから今おれはもう戦い疲れたというのではない
  おれはこの人生を精一杯生きてきた
  おれの心のやすらぎは生きるのにあきたからではない

  兇暴だったにせよ だから愚かだったにもせよ
  一所懸命に生きてきたおれを
  今はそのまま静かに認めてやりたいのだ
  あるがままのおれを黙って受け入れたいのだ
  あわれみではなく充分にぞんぶんに生きてきたのだと思う
  それにもっと早く気づくべきだったが
  気づくにはやはり今日までの時間が
  あるいは今日の絶体絶命が必要だったのだ

  敵のおれはほんとはおれの味方だったのだと
  あるいはおれの敵をおれの味方にすべきだったと
  こで悔いるのでない
  おれ自身を絶えず敵としてきたための
  おれの人生のこの充実だったとも思う
  充実感が今おれに自己肯定を与える
  おれはおれと戦いながらもそのおれとして生きるほかはなかったのだ
  すなわちこのおれはおれとして死ぬほかはない

  庭の樹木を見よ 松は松
  桜は桜であるようにおれはおれなのだ
  おれはおれ以外の者として生きられはしなかったのだ
  おれなりに生きてきたおれは
  樹木に自己嫌悪はないように
  おれとしておれなりに死んで行くことに満足する
  おれはおれに言おう おまえはおまえとしてしっかりよく生きてきた
  安らかにおまえは眼をつぶるがいい           ~♪

 祖先の農奴の血を呪ったアントン・チェーホフのように、私生児という自らの出自と闘ってきた高見さん。
 ~♪おれの度しがたい兇暴は卑屈の裏がえしなのだった/おれはおれ自身からのがれたかった/おれがおれを敵としたのはそのためだった ♪~

  死という絶体絶命の立場に追い込まれた高見さん。自己の中の激しい対立は、やがて和解へと向かいます。
  ~♪ 敵のおれはほんとはおれの味方だったのだと/あるいはおれの敵をおれの味方にすべきだったと・・・♪~
 ~♪ おれはおれに言おう おまえはおまえとしてしっかりよく生きてきた
    安らかにおまえは眼をつぶるがいい ♪~

 ついに、高見さんは心の中の葛藤を乗り越え、ありのままの自分を取り戻し、「おれとしておれなりに死んで行くこと」を決意するのです。
 Ⅲ部の最後に掲げられた詩を読みましょう。自宅の庭を見ながら作られた詩です。天が静かに手の届きそうな近くに降りてきています。
 この詩を読みながらこの本を閉じたいと思います。

 ~♪    「 庭を見ながら」
  草の一
天が今日は実に近い 手のとどきそうな近さだ 草もそれを知っている だから謙虚に葉末を垂らしている
  草の二
 光よ
  山へのぼって探しに行けぬ
  光よ
  草の葉の間にいてはくれぬか
    草の三
 私はいま前後左右すべて生命にかこまれている 庭はなみなみと生命にみちあふれている 鳥の水あびのように私はいま草上で生命のゆあみをする
                   *****
 高見さんは、安らかな死とは「自分との和解」の上に成り立つものであると、教えてくれたように思います。たとえ矛盾や挫折をかかえた自分であるとしても、あるがままの自分を受け入れ、自らを優しく肯定する、つまり自分との和解です。人は、時には喜び、時には重荷を背負い、苦しみ、悩み、不十分にしか生きられません。その不十分さを許し、あるがままの自分を受け入れ和解する、それが安らかな死なのです。
 高見さん、ありがとうございました。

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2017年2月 3日 (金)

高見順著「死の淵より」を読む②

  高見順著「死の淵より」を読むの第二回です。ここでは、「死の淵より」のⅠ部を読んでいきます。Ⅰは手術後に書かれた詩です。
  ~♪ 「突堤の流血」
  突堤の
  しぶきの白くあがる尖端の
  灰色のコンクリートにこびりついた
  アミーバ状の血

  寄せてはくだける波も
  それがいくら努力しても
  そこを洗うことはできない
  そこに流された血は
  そこでなまぐさく乾かされる
  波にかこまれながら
  ゆっくりと乾かされねばならぬ       ♪~

   ~♪ 「赤い実」
  不眠の
  樹木の充血
  患者の苦しみの
  はじまる暁
  赤いザクロの実が割れる            ♪~

 手術後の入院生活のなかで、死は現実のものとして高見さんに重く真っ直ぐに迫ってきます。赤い血のイメージをともなって・・・。
 努力しても洗うことはできない血。アミーバ状の血。不眠。充血。苦しみ。赤く割れるザクロの実・・・。

  ~♪ 「汽車は二度と来ない」
  わずかばかりの黙りこくった客を
  ぬぐい去るように全部乗せて
  暗い汽車は出て行った
  すでに売店は片づけられ
  ツバメの巣さえからっぽの
  がらんとした夜のプラットホーム
  電灯が消え
  駅員ものこらず姿を消した
  なぜか私ひとりがそこにいる
  乾いた風が吹いてきて
  まっくらなホームのほこりが舞いあがる
  汽車はもう二度と来ないのだ
  いくら待ってもむだなのだ
  永久に来ないのだ
  それを私は知っている
  知っていて立ち去れない
  死を知っておく必要があるのだ
  死よりもいやな空虚のなかに私は立っている
  レールが刃物のように光っている
  しかし汽車はもはや来ないのであるから
  レールに身を投げて死ぬことはできない      ♪~

 独り取り残された暗いプラットホーム。孤独。空虚。鋭く不気味にひかるレール。死を願望しても死ねない暗黒の空間。高見さんは、死よりもいやな空虚のなかに立たされたのです。
 次の「不思議なサーカス」という詩では、自殺の楽しみを考えたりします。迫り来る死に直面することにより、かってのような青春の賛美や精神の高みを目ざした心のゆとりは失われ、ますます自己の心の中へと内向していくのです。
 ~♪ 「不思議なサーカス」
     ・・・・
  私に人殺しはできぬ
  しかし自分を殺すことはできそうだ
  ほとんどあらゆることをしてきた私も
  自殺だけはまだしていない
  自殺の楽しみがまだ残されている
  どういうふうに自殺したらいいか
  あれこれ考える楽しみ
  不思議な楽しみに私はいま熱中している
  当り前でない楽しみだが
  私にとっては不思議でない楽しみだ        ♪~

  では、Ⅰ部の最後の詩です。
 ~♪ 「魂よ」
  魂よ
  この際だからほんとのことを言うが
  おまえより食道のほうが
  私にとってはずっと貴重だったのだ
  食道が失われた今それがはっきり分った
  今だったらどっちかを選べと言われたら
  おまえ 魂を売り渡していたろう
  第一 魂のほうがこの世間では高く売れる
  食道はこっちから金をつけて人手に渡した
  魂よ
  わが食道はおまえのように私を苦しめはしなかった
  私の言うことに黙ってしたがってきた
  おまえのようなやり方で私をあざむきはしなかった
  卑怯とも違うがおまえは言うこととすることとが違うのだ
  それを指摘するとおまえは肉体と違って魂は
  言うことがすなわち行為なのであって
  矛盾は元来ないのだとうまいことを言う
  そう言うおまえは食道がガンになっても
  ガンからも元来まぬかれている
  魂とは全く結構な身分だ
  食道は私を忠実に養ってくれたが
  おまえは口さきで生命を云々するだけだった
  魂よ
  おまえの言葉より食道の行為のほうが私には貴重なのだ
  口さきばかりの魂をひとつひっとらえて
  行為だけの世界に連れて来たい
  そして魂をガンにして苦しめてやりたい
  そのとき口の達者な魂ははたしてなんと言うだろう

 高見さんは、迫り来る死に対して魂があまりに無力であることを思い知ります。
 魂と肉体は分離を始め、「魂よ おまえの言葉より食道の行為のほうが私には貴重なのだ 」と、激しく魂を攻撃します。自らの命を支えていたのは肉体なのだと・・・。
 死を前にして、自分と心の中にいるもう一人の自分との対立は、ますます深刻さを深めていきます。死よりもいやな空虚のなかで苦悶が続きます。
  死よりもいやな空虚のなかに立たされた高見さんは、この後、どこに向かっていくのでしょうか。    それは次回に。

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2017年2月 1日 (水)

高見順著「死の淵より」を読む①

 私は、血液癌の一種「骨髄線維症」という治療法の確立していない難病に罹りました。私に残された時間は、多くはないと思います。
 過去に亡くなった詩人たちは、死とどのように向き合い、何を思ったのでしょうか。安らかな死とは何でしょうか。これを追究することが今年一年、私の課題です。
 今回は、食道癌で亡くなった作家の高見順さんの詩集「死の淵より」を読んでいきます。私は、理系の出身で、文学的素養もありません。読み間違うかも知れませんが、著者へ失礼にならないよう、衿を正して読ませていただきます。

 高見さんは明治40年、福井県の三国という小さな港町に私生児として生まれました。母親は、高見さんが1歳の時上京し、父親からの援助と針仕事をしながら息子を育て上げます。高見さんは、生涯父親を知らずに育ちました。
 やがて、高見さんは東大英文科を卒業。左翼活動へと入ります。治安維持法で逮捕、投獄後転向し、作家として世に出ました。「わが胸の底のここには」は、自らの出生の秘密や多感な少年時代を描く自伝風の作品です。小説家として華々しく活躍をしますが、昭和38年食道癌で入院。2年後の昭和40年、58歳で亡くなります。
 「死の淵より」は、その闘病生活を綴った詩集で、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲの三部構成になっています。Ⅰは入院中に作られた詩、Ⅱは手術前の詩、Ⅲは退院後整理された詩です。
  したがって、時系列に、Ⅱ→Ⅰ→Ⅲの順に読み進んでいきます。
 「死の淵より」は、青空文庫で読むことができます。

                    *****
  高見さんの第一詩集は、「樹木派」です。高見さんは昭和23年頃、結核に罹り鎌倉額田サナトリウムで療養生活を経験します。この頃の詩をまとめたのが詩集「樹木派」です。この中に、死について書かれた詩があります。
 ~♪ 「死」
  こっそりとのばした誘惑の手を
  僕に気づかれ
  死は
  慌てて何か忘れものをした
  たしかに何か僕のなかに置き忘れて行った  ~♪

 この頃は、死と向き合いながらも、死に対する深刻さはなく、どこか遠い心の中の問題として捉えられているようです。結核も次第に死を意味する病気でなくなってきた、という背景もありました。
  「樹木派」のなかの他の詩も一つ見てみましょう。
 ~♪ 「天」
  どの辺からが天であるか
  鳶の飛んでゐるところは天であるか

  人の眼から隠れて
  こゝに
  静かに熟れてゆく果実がある
  おゝ その果実の周囲は既に天に属してゐる    ♪~

 高い空を悠然と飛ぶ鳶。そこは、天であるかと著者は問います。天とは、自然の摂理や神の支配する世界です。これに対して、人の目からから隠れて静かに熟れていく果実。手の届く範囲にある果実。この周囲も、もはや「天」であるというのです。
 この頃の高見さんは、樹木や草花たちの生命力から影響を受け、植物たちの命を賛美していました。人目から隠れ、静かに熟れていく果実に、自分自身を重ね合わせ、より高い精神の高みを目ざしていたのです。

 では、「死の淵より」のⅡ部の詩へ進みましょう。Ⅱ部は、手術前に書かれた詩を集めたものです。このなかの代表的な詩は、「青春の健在」です。
 ~♪ 「青春の健在」
  電車が川崎駅にとまる
  さわやかな朝の光のふりそそぐホームに
    電車からどっと客が降りる
    ・・・・
    むんむんと活気にあふれている
    私はこのまま乗って行って病院にはいるのだ
  ホームを急ぐ中学生たちはかつての私のように
    昔ながらのかばんを肩からかけている
    私の中学時代を見るおもいだ
    私はこの川崎のコロムビア工場に
    学校を出たてに一時つとめたことがある
    私の若い日の姿がなつかしくよみがえる
    ホームを行く眠そうな青年たちよ
    君らはかつての私だ
    私の青春そのままの若者たちよ
    私の青春がいまホームにあふれているのだ
    私は君らに手をさしのべて握手したくなった
    なつかしさだけではない
    遅刻すまいとブリッジを駆けのぼって行く
    若い労働者たちよ
    さようなら
    君たちともう二度と会えないだろう
    私は病院へガンの手術を受けに行くのだ
    こうした朝 君たちに会えたことはうれしい
    見知らぬ君たちだが
    君たちが元気なのがとてもうれしい
    青春はいつも健在なのだ
    さようなら
    もう発車だ 死へともう出発だ
    さようなら
    青春よ
    青春はいつも元気だ
    さようなら
    私の青春よ                    ♪~

 癌の手術を受けるため千葉大学病院へ向かう高見さん。朝の光の降り注ぐ川崎駅。むんむんと活気あふれる中学生や若い労働者。自らの青春そのままの若者たち。高見さんは、青春を高らかに賛美します。そして、死へと出発だ、さよなら私の青春よと、自らの青春に別れを告げるのです。
  しかし、詩はどこか感傷的で、観念的にしか死に向き合えていないことが覗えます。高見さん自身も、「……死の恐怖が心に迫ってきたのはあとからのことである。」と述べています。この時点では、まだ精神的に余裕があったと思われます。
  続く「電車の窓の外は」という詩でも、~♪足ばやに行く出勤の人たちよ/ おはよう諸君/ みんな元気で働いている/ 安心だ 君たちがいれば大丈夫だ/ さようなら/ あとを頼むぜ/ じゃ元気で…♪~と、ここでもまた、生命や活気のあふれる人々に別れを告げ、病院へと向かいます。

  高見さんは手術をうけ、病院での闘病生活が始まります。
 いったい高見さんは、この後、どのように死と向き合うことになるのででしょうか。
 次回は、「死の淵より」Ⅰ部の詩を紹介します。

             高見順著「死の淵より」を読む②へ → こちらから

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