写真2016.1~

2016年12月24日 (土)

二十四節気「冬至」2016

 12月21日は、二十四節気の「冬至」でした。
 「冬至」の日、京都府南部は霧の朝でした。こんな時は、以前なら急いで撮影に出かけたものですが、貧血状態で体調も悪く、朝早くから散歩写真に出るのはちょっと無理な状態でした。
 午後からは良く晴れました。体調は良くなかったですが、無理をして散歩写真に行ってきました。今回はお休みするつもりでしたが、なんとか出かけることができました。
 たぶん、今年最後の散歩写真です。

 今の時期、街の中でよく見かける花は山茶花ですね。垣根で咲いています。
 住宅街を出ると、散歩の親子。野焼きの煙、藁地蔵。静かな冬の田んぼが広がっています。ほんのり温かい日差しを浴びて、ゆっくりと進みます。
Touji103Touji101_01Touji101  

 

 

 

   田んぼの中に残り柿です。
 順光の方へ回り込み、文化パルク城陽をバックに一枚。
 さらにアップにしようと干上がった田んぼの中を近づくと、食事中の土鳩が驚いて飛び立ちました。こちらもビックリ!
Touji201_02Touji201Touji203  

 

 

 

   少し離れた位置から、農道を入れて一枚。おじいさんが、近くのスーパーで買い物しての帰り道。 たぶん奥さんに命じられた? 
 このあたり、道路の街路樹はクロガネモチの木。冬を象徴する赤い実ですね。
Touji303Touji301Touji302  

 

 

 

   クロガネモチの通りから土手の大榎までは、自転車なら15分程です。
 土手の大榎もほとんど葉を落として冬姿に。
 大榎にタッチする人。何をお願いしたのかな?
 お喋りなおばさんたち三人組。足も口も鍛えられて、健康的な散歩ですね。
Touji401Touji402Touji403  

 

 

 

 

   今の時期、土手に花は咲いていないと思われるかも知れませんが、所々で咲いているんですよ。不思議なことに・・・。
 ポツンと一本咲いているノアザミ(?)。 ブタナ(?)。 ハルノノゲシ(?)。
 なぜ今頃、春の花が咲いているののでしょうね?
 特別な能力を獲得した花? それとも能天気でドジな花? 変な花? 
 私にはよく解らないです。
 人の世にも、同じことがあるもような気がします。特別な能力を持ちながら、変な人として世間からはじき出される人が・・・。
Touji501Touji502Touji501_01  

 

 

 

   土手下の畑に放置されたホオズキ。朽ち果て、網目のようになった袋の中に、なおも赤い実を抱き続けようとするホオズキたち。なぜか感動します。
 ホームページの写真詩「ほおずき」をリンクしておきます。→こちらから
Touji503Touji504Touji505  

 

 

 

   土手下の茶畑と残り柿。野焼きの煙。
 桜の紅葉。なぜか、今の時期まで葉が落ちずに残っています。
Touji601Touji602Touji603  

 

 

 

   桜の紅葉。
 天井川の長谷川。なだらかに広がる宇治丘陵。
 夕日に照らされた京田辺方面。散歩する人。
Touji701_01Touji703Touji701  

 

 

 

   夕日の木津川。 静かで輝くようなな夕焼けです。簡単ですがここまでです。
 今年も残すところ一週間ですね。
 次は、二十四節気「小寒」でお会いしましょう。元気であればね。
   みなさん、良いお年をお迎え下さい。
Touji802Touji801

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月19日 (月)

二十四節気「大雪」・川の流れ

  二十四節気「大雪」のために撮影した写真のうち、何枚かが使われずに残りました。 なぜか、川の流れが写った写真ばかりです。木津川土手で撮した写真なので、当然といえば当然ですが・・・。
 この写真を見ながら、「川の流れ」について、つまらない雑文を書いてみました。
 川にまつわる詩や歌、想い出などです。

              *******
  「川の流れ」と言えば、日本人ならこれですね。美空ひばりの「川の流れのように」。多くの人が知っている名曲です。この曲のファンの方も多いと思います。
   ~♪ 知らず知らず 歩いてきた
      細く長い この道
      ・・・・
      でこぼこ道や 曲がりくねった道
            ・・・・
            ああ 川の流れのように とめどなく・・・  ♪~

  「川」の歌を全国的に投票すれば、1位「川の流れのように」、2位は「イムジン川」かな? 「神田川」? 「春の小川 」? 「花」?    どうなるんでしょうね? 
  ひばりファンに叱られるかも知れませんが、「川の流れのように」は、あまり好きにはなれません。「でこぼこ道や 曲がりくねった道」という人生の表現にリアル感がないですね。朗々と歌われていますが、どんな川なのかイメージも湧かないです。
 川の流れは、よく見るとけっこう汚いです。プラゴミやネズミの死体・・・。川は清濁あわせ持つ存在ですね。
Kawanonagare102_2Kawanonagare101_01_2Kawanonagare101_2  

 

 

 

 

   人は心の中に、人それぞれの川の流れを持っています。
 芥川龍之介の小品に、「大川の流れ」というのがあります。大川とは隅田川のことで、決して綺麗とは言えない泥濁した大都会の川です。作者にとって「大川」とはどのような川なのか。岸辺の風景、水の響き、水の光、想い出など、心の中にある豊かな川の流れが語られています。
    ~♪・・・泥濁のした大川のなま暖かい水に、限りないゆかしさを感じる・・・。ただ、自分は、昔からあの水を見るごとに、なんとなく、涙を落したいような、言いがたい慰安と寂寥とを感じ・・・。この慰安と寂寥とを味わいうるがために、自分は何よりも大川の水を愛するのである。・・・・・。
  自分は大川あるがゆえに、「東京」を愛し、「東京」あるがゆえに、生活を愛するのである。  ♪~
         ★「大川の流れ」をチェックしたい方は、→ こちらから(青空文庫)
Kawanonagare201_2Kawanonagare201_01_2Kawanonagare203_2  

 

 

 

   小学生の時以来、私は音楽の時間が嫌いでした。ピアノの前で一人で歌わされる歌のテスト、嫌いと言うよりも恐怖でした。それがトラウマとなり、未だに人前で歌を歌ったことはないです。
 中学に入ると、これまた音楽教育に熱心な教師でした。教科書にはない、世界の歌を歌わされました。その中で、もっとも印象に残っているのが、「アフトンの流れ」という曲です。アフトン川とは、どこの国を流れている川なのか、なにも知らず、何も考えず歌っていました。今でも、けっこう歌えます。良い曲だったのですね。思い出します。
   ~♪ アフトンの流れ 静かに 野辺に続き果てもなく 夢を乗せて遙かに 行方わかず流れゆく おお我が父よ   おお我が母よ ・・・♪~
 アフトン川は、スコットランドを流れている川だそうです。
        ★ この曲を聴きたい方は → こちらから(錦織健)
Kawanonagare401_2Kawanonagare304_2Kawanonagare303_2  

 

 

 

   その後、お気に入りになったのは「青葉城恋歌」。かなり流行りましたね。なんとも言えずロマンチックな曲想が気に入っていました。
 ~♪広瀬川 流れる岸辺 想い出は かえらず
   早瀬 おどる光に ゆれていた 君のひとみ
   ・・・・
   あの日と同じ 流れの岸
   ・・・・
   あの人は もういない   ♪~
       ★この曲を聴きたい方は → こちらから(佐藤宗幸)
Kawanonagare401_01_2Kawanonagare402_01_2Kawanonagare402_2  

 

 

 

   三好達治の、少年の成長と旅立ちを歌った詩、「Enfance finie 」、これもお気に入りの詩でした。「大きな川のやうに、私は人と訣わかれよう。」・・・「 ああ哀れな私よ。僕は、さあ僕よ、僕は遠い旅に出ようね。」 このフレーズは、頭に焼き付いています。特に、女性に振られた時などに、必ず頭をもたげてきます。昔の話しですけどね・・・。

  ~♪    Enfance finie      三好達治   
  海の遠くに島が……、雨に椿の花が堕ちた。鳥籠に春が、春が鳥のゐない鳥籠に。
約束はみんな壊れたね。
海には雲が、ね、雲には地球が、映つてゐるね。
空には階段があるね。
 今日記憶の旗が落ちて、大きな川のやうに、私は人と訣わかれよう。
 床ゆかに私の足跡が、足跡に微かな塵が……、ああ哀れな私よ。
 僕は、さあ僕よ、僕は遠い旅に出ようね。

Kawanonagare501_4Kawanonagare502_7Kawanonagare503_5  

 

 

 

   
   川の流れを思い起こす小説といえば、私にとっては、まちがいなくロマン・ロラン 「魅せられたる魂」です。この作品は、私の年代以上の人には、よく読まれていたと思います。今はどうなんでしょうね?
 主人公の名は、アンネット・リビエール。リビエールというのは、フランス語で「川」という意味です。
  アンネットは、愛する人の子を宿しますが、その愛に偽りを見出し、恋人のもとを去ります。私生児を育てながら女性として自立の道を追求していきます。
 高まる社会主義運動。そしてファシズムの台頭。激動の時代を必死に生き抜こうとするアンネット。愛する息子をファシストに殺されても、なおその死を乗り越えていくアンネット。女性の自立とは何か。社会に目覚めるとはどういうことか。・・・・
 とめどなく流れる川のように生きた女性の物語です。お薦めします。

 昔、私の好きだった女性が、「私はアンネットのように生きたい!」と言っていました。彼女に気に入られようと、早速、私はこの作品を読みました。動機が不純で、下心満載ですね。もちろん振られました。 しかし、作品からは大きな影響を受けました。
Kawanonagare601_2Kawanonagare602_2Kawanonagare603_2  

 

 

 

   最後は、若かった頃、最も心に残った詩です。作者の浜田矯太郎さんは、この詩を書いたとき、無名の工場労働者だったようです。その後どんな詩を作り、どんな生き方をされた方か全く知りません。 小説家?
 大岡川とは? 神奈川県の川? これもよく知らないです。
 しかし、この詩は今でも頭に残っています。若かった頃への懺悔の念とともに。
  ~♪    大岡川に  (浜田矯太郎)      日本無名詩集「祖国の砂」
  堀り 深く
  せせらぎも つつましやかに
  今日もお前は 流れている
   ・・・・
  しかし静かな 大岡川よ
  この土地に生きて三十年
  私はお前を知らずにいた
  お前の長い経歴を
  お前の豊かな働きを
 
  見も知らぬ 遠い国の
  セーヌ河や ドナウ河
  あの揚子江などの物語を聞いていても
  ひかえ目な 大岡川よ
  お前を私は 知らなかった

  いまこうして岸辺に立ち
  お前の深さに打たれていると
    ああ 羞恥が 胸をかむのだ
  思い上がった行為の数々が
  お前の水面に 浮かぶではないか

  そうなのだ
  おのれの川の道筋さえもしらぬものに
  身をけずった働きを知らぬものに
  どうして祖国がうたえようか     ~♪

 木津川が暮れていきます。静かな夕暮れです。
 こんな時は、私には想い出ばかりです。   では。また。
Kawanonagare701_2Kawanonagare702_2Kawanonagare703_2

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2016年12月13日 (火)

二十四節気「大雪」2016後半

 金子みすゞさんと巡る二十四節気「大雪」の後半です。

 土手下のクワイ畑で収穫が始まりましたね。この畑の人に何度か写真を撮らせていただき、写真をプレゼントさせていただきました。しかし、胃ガンの手術をされて体の調子が悪いようです。息子さんご夫婦が、作業をされていました。正月用に出荷準備です。
Taisetu2016b103Taisetu2016b101Taisetu2016b102  

 

 

 

   土手へ上がりましょう。土手の上では、青い空が広がり、わずかに残された紅葉が日に輝いています。小春日の中を人々が散歩を楽しんでいます。
Taisetu2016b201Taisetu2016b201_01Taisetu2016b201_02  

 

 

 

 

   金子さんは、雲や空を詠った詩が多いですね。空や雲と対話しながら、自由な空想を楽しまれていたんですね。
  ~♪ 青い空     (金子みすゞ)
   なんにもない空
   青い空、
   波のない日の
   海のよう。

   あの真ん中へ
   とび込んで、
   ずんずん泳いで
   ゆきたいな。

   ひとすじ立てる
   白い泡、
   そのまま雲に
   なるだろう。

 子どもの頃は、雲を見ながらみんないろんなことを想像しましたね。
 あの白い雲は、誰かが泳いだ泡なのですね。今も、どこかでだれかが、一人で泳いでいるのかも知れませんね。あなたのように・・・。
Taisetu2016b301Taisetu2016b302Taisetu2016b303  

 

 

 

   ~♪ 雲     (金子みすゞ)
   私は雲に
   なりたいな。

   ふわりふわりと
   青空の
   果てから果てを
   みんなみて、
   夜はお月さんと
   鬼ごっこ

   それも飽きたら
   雨になり
   雷さんを
   共につれ、
   おうちの池へ
   とびおりる。

 ふわりと浮かぶ雲。お月さんと鬼ごっこする雲。雷さんをお供に雨になる雲。
 いろんな雲ですね。想像が広がります。子どもの頃は、なりたいものや、やりたいことがいっぱいでしたね。
Taisetu2016b402Taisetu2016b403Taisetu2016b401  

 

 

 

   土手の上に孤独に立つ大榎木も、葉を落として徐々に冬木立に変身ですね。
 今日の雲は、放射状に広がっていて、なかなかいいですね。
  ~♪ このみち  (金子みすゞ)
   このみちのさきには、
   大きな森があろうよ。
   ひとりぼっちの榎よ。
   ・・・・
   このみちのさきには、
   なにかなにかあらうよ。
    みんなでみんなで行こうよ、
   このみちをゆこうよ。  ♪~

 金子さんの通った女学校の通学路に、一本の榎木が立っていたそうですね。
  「このみち」とは、金子さんにとって学ぶことの喜びと、未来へとつながる道だったのですね。この大榎木とともに、みんなでゆけたらいいですね。
Taisetu2016b501Taisetu2016b502Taisetu2016b503  

 

 

 

   大榎木の先には、コブシの木があります。日の光りに冬芽が白く光っています。
  ~♪ 日の光り   (金子みすゞ)
   おてんと様のお使ひが
   揃って空をたちました。
   みちで出逢ったみなみ風、
    (何しに、どこへ。)とききました。

   一人は答えていひました。
    (この「明るさを」地に撒くの、
     みんながお仕事できるやう。)

   一人はさもさも嬉しさう。
    (私はお花を咲かせるの、
     世界をたのしくするために。)

   一人はやさしく、おとなしく、
    (私は清いたましいの、
     のぼる反り橋かけるのよ。)

   残った一人はさみしそう。
    (私は「影」つくるため、
     やっぱりいっしょにまゐります。)

 光があれば影もある・・・。この世界にあるものすべては、支え合い、補い合い存在していますね。これは、金子さんの詩の重要なテーマですね。私は光の部分にばかり目がいってしまいます。
 「みんなちがって、みんないい」。(私と小鳥と鈴と)・・この世のすべてのものに価値がある。・・・これも金子さんの作詩の重要なテーマですね。
 来年の春を目ざして、白い冬芽を輝かせているコブシ。いいですね。
 季節を巡る生き物たちの営みは、いつも希望ですね。春は必ず来ると・・・。
Taisetu2016b601Taisetu2016b602Taisetu2016b603  

 

 

 

   土手下の耕作地には、茶畑もあります。茶畑には柿の木ですね。今では、柿渋を利用する人は無くなりました。
Taisetu2016b701Taisetu2016b702Taisetu2016b703  

 

 

 

    私の好きな、ゆるやかに曲がる土手の曲線。人は真っ直ぐには進めないです。人生もまた・・・。
 京都市の最高峰「愛宕山」が覗いています。散歩の人が通ります。
 流れ橋付近のカーブです。なにやら子どもたちがランニング中。
Taisetu2016b801Taisetu2016b802Taisetu2016b801_01  

 

 

 

   一日が終わりますね。今日は夕陽がきれいです。枯れたオギもあんなに輝いています。水の流れも金色ですね。
  ~♪ さよなら    (金子みすゞ)
   ・・・・
   鐘の音は鐘に、
   町は昼間に、
   夕日は空に。

   私もしましょ、
   さよならしましょ。
   けふの私に、
   さよならしましょ。   ♪~

 金子さん。「今日の私にさよなら」ですか。
 私も今日の私にさよならします。明日は、どんな自分に会えるのでしょうね。
 楽しみにします。 「一日一日を大切に生きる」とは、こういうことですね。
Taisetu2016b901Taisetu2016b903Taisetu2016b902  

 

 

 

   金子さん。日が暮れてきましたね。
  ~♪  声    (金子みすゞ)
   空のあかるい
   日のくれは、
   いつでも遠くで
   声がする。

   かごめなんか
   してるよな。
   それとも
   波の音のよな。

   なにかひもじい
   日のくれは、
   いつもとほくで
   声がする。     ♪~

  遠くで声がする。波の音のような。かごめをする子どもたちの声のような・・・。
 金子さん。実は、私にも聞こえるような気がするんです。「おかぁーさーん」と、遠くで母を捜すような声が・・・。かすかに遠くで。 さびしい夕暮れには。

 金子さん、今日は一日付き合っていただきありがとうございました。
 また、いつかどこかでお会いしましょう。できれば、女性や子どもやすべての人が、のびのびと生きることができる国で・・。
 競争を強いられ、負け組と勝ち組に仕分けされる現在の社会。そんな社会の中で、金子さんの詩が輝き続けることをお祈りします。   では。また。
Taisetu2016b9101Taisetu2016b9102Taisetu2016b9101_01

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2016年12月 9日 (金)

二十四節気「大雪」2016前半

 12月7日は、二十四節気の「大雪」でした。いよいよ冬の真っ只中に入っていく時期です。京都府南部の「大雪」当日は、冬晴れの空が広がり、白い雲が流れていました。  早速、「大雪」の頃の風景散歩に出かけましょう。

 今日は特別企画として、童謡詩人の金子みすゞさんと一緒に出かけます。
  金子さんが生きた大正という時代は、こどもや女性、下積みで働く人など、今まで社会の中で抑圧されていた人々が、人間性を開放し立ち現れてきた時代です。大正デモクラシーの時代ですね。
 金子さんは、子どものような純粋な眼差しで自然と対話し、童謡詩を作りました。弱者への眼差し、すべてのものに価値を見出す眼差し。金子さんは、女性や子どもが人間らしくあるための、「近代」という時代の扉を開けた女性の一人と言えます。しかし、夫の浮気、詩作への無理解、子どもの養育権を奪われるなどにより、26歳という若さで自死し、新しい時代で羽ばたくことはできませんでした。

  最近私は、貧血のためヨボヨボと行動しています。文化パルクに寄って、その後、児童公園で休憩です。公園では紅葉は終わりに近づき、落ち葉がたくさん積もっています。
   ~♪ 落ち葉のカルタ  (金子みすゞ)
  山路に散ったカルタは
  なんの札。
  金と赤との落ち葉の札に、
  虫くひ流の筆のあと。

  山路に散ったカルタは、
  誰が読む。
  ・・・・

  山路に散ったカルタは
  誰がとる。
  むべ山ならぬこの山かぜが、
  さっと一度にさらっていく。  ♪~

 落葉はカルタ。誰にも取られないカルタ。誰にも読まれないカルタ。風があっという間にさらっていきます。
Taisetu2016a101Taisetu2016a102Taisetu2016a103  

 

 

 

   降り積もった金色のカルタ。
 いや、カルタではなく金色の布団。ボロボロなチョウが最後の時を迎えています。優しい金色の布団にくるまれて・・・。 桜の赤い紅葉と白い雲がお見送り。
Taisetu2016a201Taisetu2016a202_2Taisetu2016a201_01  

 

 

 

   児童公園の傍を、近鉄特急が走り抜けていきます。
 間もなく終わりを迎える桜の紅葉。青い空に映えています。
 木の枝に陣取る雀たち。
Taisetu2016a302Taisetu2016a301Taisetu2016a303  

 

 

 

   住宅街を離れて田んぼ道を進みます。青い空が大きく広がります。白い雲が浮かんでいます。人はいつも、雲と対話してきました。雲は、なんのために、どこへ向かってゆくんでしょうね。
  ~♪ 雲  (金子みすゞ)
  お山に誰を
  みつけたろ、
  雲はお山へ
  はいったよ。

  お山にゃ誰も
  ゐなかった、
  雲は山から
  出てきたよ。

  つまらなさそうに 
  夕ぞらを、
  雲はひとりで
  飛んでたよ。  ♪~

 流れてゆく雲は、友だちを捜していたんですね。金子さん。
Taisetu2016a401Taisetu2016a402Taisetu2016a403  

 

 

 

   たんぼ道を進みます。田んぼには、藁地蔵です。今の時期、剪定したイチジクの枝を燃やす煙が上がっています。温かい小春日です。
Taisetu2016a501_01Taisetu2016a501Taisetu2016a501_03  

 

 

 

   冬ネギ(?)の畑。畦道をゆく人。光る枯れ草。
  ~♪ 土   (金子みすゞ)
     こッつん こッつん
   打たれる 土は
   よい畠になって
   よい麦生むよ。

   朝から晩まで
   踏まれる土は
   よい路になって
   車を通すよ。

   打たれぬ土は
   踏まれぬ土は
   要らない土か。

   いえいえそれは
   名のない草の
   お宿をするよ。         ♪~

 「名のない草のお宿をするよ。」ですか。この世界は、人間が求める価値だけでで成り立っているのではなく、この世界にあるものすべてに意味があり、価値があるのですね?・・・金子さん。
Taisetu2016a601Taisetu2016a601_02Taisetu2016a601_01  

 

 

 

   古川の土手にやって来ました。しだれ桜の紅葉が終わろうとしています。名木の二代目の楠木は、葉っぱも青々と頑張っています。柳の木もまだ元気ですね。
Taisetu2016a701Taisetu2016a702Taisetu2016a703  

 

 

 

   「金子さん。古川沿いでは、まだ花が残っていますね。アレチハナガサ。ヒメジョオン。ホトケノザ。おまけに蝶まできていますよ。」
    ~♪ 草の名   (金子みすゞ)
   人の知ってる草の名は、
   私はちっとも知らないの。

   人の知らない草の名を、
   私はいくつも知ってるの。

   それは私がつけたのよ、
   好きな草には好きな名を。

   人の知ってる草の名も、
   どうせ誰かがつけたのよ。

   ほんとの名まえをしってるは、
   空のお日さまばかりなの。

   だから私はよんでるの、
   私ばかりでよんでるの。   ♪~

 空のお日さまの下では、みんな対等ですからね。他の人が勝手につけた名前など知らなくても、自然と対話できますね。

Taisetu2016a803Taisetu2016a802Taisetu2016a801  

 

 

 

   たんぼ道をお母さんとと娘さんが散歩していますね。蓮田は、もうすっかり枯れて夏の想い出に漬っているようですね。
  ~♪ 土と草  (金子みすゞ)
  母さん知らぬ
  草の子を、
  なん千万の
  草の子を、
  土はひとりで
  育てます。

  草があおあお
  茂ったら、
  土はかくれて
  しまふのに。   ♪~

 蓮の花や草たちが育つためには、土が必要ですね。
 土はお母さんのようなもの? 母なる大地?
 子どもの養育権を奪われたことは、大きな衝撃でしたね。お察ししますよ。
Taisetu2016a901_01Taisetu2016a901Taisetu2016a902  

 

 

 

   この日、子グモたちが一斉に糸を吐き、新天地をめざすバルーニングが見られました。あるものは風に乗り、遠くまで旅をしたことでしょう。田んぼは、クモの糸で埋め尽くされています。夕陽が当たると、まるで海のようですね。たくさんの命が暮らす海。
 いつも感動します。
                        <次回に続きます>
Taisetu2016a9101Taisetu2016a9102Taisetu2016a9103  

 

 

 

 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2016年11月28日 (月)

二十四節気「小雪」2016続き

 一つの記事につき、写真は30枚以下と自己規制していますので、写真が少し残りました。残りの写真で、二十四節気「小雪」をもう少し続けます。

 木津川土手の上に立って眺める草原です。傾きかけた日の光を受けて、葦やオギが風に揺れています。見えない風が光りとなり、燦めきながら広がっていきます。ぼんやりと見ていると、様々の思いが通り過ぎていきます。河原の葦やオギは、歌謡曲や短歌、小説などもにも取り上げられてきました。なかでも、小野十三郎の詩集、「大阪」や「風景詩抄}は、名作だと思います。「大阪」の中から一つ。
  ~♪ 「葦の地方」
        遠方に
    波の音がする。
    末枯れはじめた大葦原の上に
    高圧線の弧が大きくたるんでいる。
    地平には
    重油タンク。
    寒い透きとほる晩秋の陽の中を
    ユーファウシャのやうなとうすみ蜻蛉が風に流され
    硫安や 曹達や
    電気や 鋼鉄の原で
    ノヂギクの一むらがちぢれあがり
    絶滅する     ♪~

 小野十三郎は、大阪の重工業地帯に広がる荒涼とした葦原に、異常な工業化、軍需産業の拡大という近代資本主義の発展と荒廃を見ました。日本が戦争を拡大していった時代の詩ですね。
 現代はどうでしょうか?  私たちは、この葦原に何を見ているのでしょう?
Shousetu2016b101Shousetu2016b102Shousetu2016b101_01  

 

 

 

   遠くから見る流れ橋です。葦やオギが夕陽に照らされて輝いています。
 女性二人。母と子が橋を渡っています。温かい光に包まれていますね。
Shousetu2016b202Shousetu2016b201Shousetu2016b201_01  

 

 

 

   長谷川河口付近の柿の木です。見えている町は、対岸の京田辺です。
 土手の上の夕焼け空です。 風が冷たいです。 
 久人ぶりに八木重吉さんです。
         ~♪  夕焼け
     じっと自分を見据えて
     冬を昨日今日とすごして行くと
     こんな綺麗な夕焼けにはうっとりする  ♪~
Shousetu2016b301Shousetu2016b302Shousetu2016b303  

 

 

 

   次は、文化パルク城陽の紅葉(黄葉)。桂の木、メタセコイア、桜などです。
 家の近所なので時々出かけています。図書館もあり、お世話になっています。
Shousetu2016b401Shousetu2016b401_01Shousetu2016b401_02  

 

 

 

 

   街の中に落葉広葉樹があるのはいいですね。こぢんまりとした会館ですが、ちょっとホッとするような別空間が生まれています。
Shousetu2016b501Shousetu2016b501_01Shousetu2016b501_02  

 

 

 

 

   明るい小春の日を浴びて、ベンチに座って、ゆっくり本でも読みたい気分です。温かい光と一緒に過ごしたいですね。
    ~♪ 光  八木重吉 
    ひかりとあそびたい
    わらったり
    哭いたり
    つきとばしあったりしてあそびたい  ♪~
Shousetu2016b601_01Shousetu2016b602Shousetu2016b602_01  

 

 

 

   子どもが水上の舞台の上で遊んでいます。無邪気。この後、子どもは舞台から転げ落ちて、母親が駆け寄ってきました。大丈夫だったようです。泣かなかったのが偉い!
Shousetu2016b701Shousetu2016b603_01Shousetu2016b603  

 

 

 

 

   このあと紅葉が終わると、冬にまっしぐらですね。散歩に出る元気があるかどうか不安です。なんとか、良い天気を希望します。雨の日に出かける元気は無いです…。
       では。 次の節気は「大雪」です。
Shousetu2016b801_01Shousetu2016b801Shousetu2016b802

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2016年11月25日 (金)

二十四節気「小雪」2016

 11月22日は、二十四節気の「小雪」でした。少しずつ寒さが増して来ました。22日の「小雪」当日は、良い天気になりましたが、小春日和と言うには、少し風が強かったです。その後、24日は、南岸低気圧の通過により天気が崩れ、関東方面は雪だったようです。しだいに季節は本格的冬へと進んでいきます。
 では、「小雪」の時期の、木津川土手周辺の散歩写真を紹介しましょう。

 田んぼでは藁の束が並び、畦道では種子をつけ終わり、役目を終えたエノコログサやアメリカセンダングサが茶色く変色しています。花の姿はめっきりと少なくなり、風景は冬へ冬へと変化していきます。
 中国の詩人杜甫は、「春望」という詩で、~♪国破れて山河在り♪~と詠いました。
 戦乱で荒れた国土。無常にも変化する人の世。しかし、変わらずに在り続ける自然。その対比の中で感慨にふける杜甫。人はいつも、風景に語りかけ、風景の中で思考し、時には風景に自分を投影し、風景とともに生きてきました。
 この冬枯れていく野に立って、杜甫なら何という詩を作るでしょうか。
Shousetu2016a101Shousetu2016a103Shousetu2016a102  

 

 

 

   プロレタリア詩人の壺井繁治に、「氷河」という詩があります。
  ~♪ 「氷河」      壺井繁治
      とぼしき花を眺めて
   日は暮るる

   花のまわりの
   空気いよいよ冷え
   もはや蝶も姿見せず

   どこからも便りなく
   秋の夜を
   虫の声
   水のごとく流る

   何を求めて鳴き通す虫の声ぞ
   わがこころのなかに流れ来たりて
   ついひに氷河となる    ♪~

  冬枯れていく野。冷えていく空気。止めようもなく広がる戦争。孤立していく我が身。戦前の氷河のように厳しい時代に作られた詩ですね。
 では、今の時代は? 間もなく終わる我が身は? 私にとって、風景はどうも優しすぎるように思われます。 人間が甘くできているのか? 厳しさがたりない?
Shousetu2016a201Shousetu2016a201_01Shousetu2016a202  

 

 

 

   街の中では、児童公園の木が紅葉しています。高校生らしい子がブランコに載っています。一人は、歩きスマホではなく、ブランコスマホ。スマホ世代ですね。
Shousetu2016a302Shousetu2016a301Shousetu2016a303  

 

 

 

 

   城陽市の名木の榎も黄葉しています。この樹は、不思議な二本立ち。
 土手の上の名木、大榎木もゆっくり黄葉が始まりました。この樹の前に立つと、いつも樹が何かを語りかけてくれるような気がします。 今日の語りかけは?
 長田弘さんの、「樹、日の光り、けものたち」を紹介してみます。
    ~♪  樹が言った。きみたちは
        根をもたない。葉を繁らすこともない。
        そして、すべてを得ようとしている。

        日の光りが言った。きみたちは
        あるがままを、あるがままに楽しまない。
        そして、すべてを変えようとしている。

        けものたちが言った。きみたちは
        きみたちのことばでしか何もかんがえない。
        そして、すべてを知っていると思っている。
                ・・・・

 樹は黙って立ち、日の光りは輝いているだけなのに・・・。人間の存在は、何と傲慢で欲深い存在なのでしょうか。そして、詩は次のように締めくくられます。
        どこでもなかった。ここが、
        われわれの居場所だった。
        空の下。光る水。土の上。  ♪~
Shousetu2016a401Shousetu2016a402Shousetu2016a403  

 

 

 

   大榎木の下で、少女二人、犬の散歩の人。
 大榎木のある土手の、すぐ下の田んぼで作業する人。 田んぼの冬支度?
Shousetu2016a502Shousetu2016a503Shousetu2016a501  

 

 

 

   土手の上の木々は、よく紅葉しています。紅い落ち葉が、地面の上で風に吹かれています。ヴェルレーヌの「秋の歌」(上田敏訳)では、 ~♪……色かへて/涙ぐむ/過ぎし日の/おもひでや。/げにわれは/うらぶれて/ここかしこ/さだめなく/とび散らふ/落葉かな。 ♪~ と、風に舞う落ち葉に我が身を重ねます。
Shousetu2016a602Shousetu2016a601Shousetu2016a603  

 

 

 

   地面すれすれに視線を下げると、散った落葉は、温かく、優しく、何かを包もうとしているように見えます。落ち葉たちは、何を優しく包もうとしているのでしょうか?
  冷えていく地面? 夏の想い出? 若かった頃の情熱? 春への希望?
Shousetu2016a703Shousetu2016a701Shousetu2016a702  

 

 

 

   寺田堤の欅も紅葉が始まりました。役目を終え紅葉し散っていく葉っぱたち。青空に映え、陽の光に眩しいです。
Shousetu2016a801Shousetu2016a802Shousetu2016a803  

 

 

 

   紅葉。黄葉。青い空。雲。陽の光。道をゆく人々。切り取られた一瞬の時間と空間。  散歩写真の楽しみですね。
Shousetu2016a901Shousetu2016a901_01Shousetu2016a901_02  

 

 

 

 

   夕陽の時間になりました。今日も一日が終わりました。
 小林一茶の句です。    ~♪ 日の暮の背中淋しき紅葉哉 ♪~ 
 少しだけですが写真が残っていますので、次回に続きます。 では、また。
Shousetu2016a9101Shousetu2016a9103Shousetu2016a9102


| | コメント (2) | トラックバック (0)

2016年11月18日 (金)

久々の流れ橋2016

 久々に木津川流れ橋(上津屋橋・こうづやばし)の撮影に行ってきました。
 2014年(平成26年)8月に台風で流失した後、いろいろな論議の末、2016年3月に修復されました。流されにくいように75cmかさ上げしての復旧です。
 二年ぶりに撮影に行ってきましたが、かなり賑わっていました。水量も減っている時期なので、橋の下の河原にも降りることができました。

 何の装飾もされず、欄干のない、素朴なこの橋が、人々を引きつける魅力はどこにあるのでしょうか? 
  夕陽の中で、この橋はたよりなく細々と伸びて、その上を人々が渡っていきます。
 渡っていく人により、それぞれの人生が投影されているかのように、橋の表情が変わっていきます。いや、これは考えすぎでしょうか。私自身の感情が投影されているのかもしれません。いろいろな情感を引き起こしてくれる、これが流れ橋の魅力ですね。
  まず、土手の上から。
 ここを通学路にしている高校生が、橋を渡っていきます。
  橋の上で、犬を散歩させるおばさんが座っています。
  橋の北側から一枚。夕陽で、真っ直ぐな橋がオレンジ色に輝いています。
 橋はあくまでも細々と真っ直ぐに伸び、暖かい光が溢れています。
Nagarebashi012Nagarebashi011Nagarebashi013  

 

 

 

   河原に降りて橋を見上げます。思ったより力強いですね。
 女の子が、川に石を投げていました。この子の母親は、三脚を立てて撮影に夢中です。ほっておかれた女の子は、ちょっとすねて一人遊び、という感じでしょうか。
Nagarebashi014Nagarebashi017Nagarebashi018  

 

 

 

   夕陽の中で人々が橋を渡っていきます。 一人…。 二人で…。子どもたち…。
 何を思って橋を渡っていくのでしょう? 明日の希望? 過去の想い出? 
  風景とともに人の人生がある、そんな感覚が湧き上がってきます。
 川の流れは、時の流れそのもののように感じられます。静かな金色に輝く特別な時間の流れです。
Nagarebashi019Nagarebashi015Nagarebashi020  

 

 

 

   いよいよ日が沈みます。 楽しそうな二人。
 流れ橋の夕陽をみていると、昔読んだ、アポリネールの「ミラボー橋」という詩が浮かんできます。堀口大学さんの訳が一番好きですね。
   ~♪ ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ
      われらの恋が流れる
      わたしは思い出す
     悩みのあとには楽しみが来ると
                ・・・・・・・
      生命ばかりが長く
       希望ばかりが大きい

      日も暮れよ、鐘も鳴れ
      月日は流れ、わたしは残る  ♪~
Nagarebashi023Nagarebashi024Nagarebashi026  

 

 

 

   日が沈みました。だんだん闇が迫ってきます。恋人たちも、写真を撮っていた人も全員引き上げました。私も帰ります。
 貧血のため、自転車でヨロヨロと・・・・。では。また。
Nagarebashi027Nagarebashi028Nagarebashi029

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2016年11月12日 (土)

二十四節気「立冬」2016後編

 二十四節気「立冬」2016の後編です。
 もう少し、土手近くの田んぼの散歩を続けます。

 休耕田にジュズダマが実をつけています。下から見上げると、青空に祈っているように見えます。子供の頃、これを糸に刺して数珠のようにして遊びました。今の子は、たぶん誰も知らないと思います。ジュズダマの栽培種は、ハトムギ茶のハトムギですね。
 田んぼの上で虫を探すセキレイ。 至近距離。
 枯れた蓮田で、寒そうな蓮の花托を発見。
Rittou2016b201Rittou2016b201_01Rittou2016b201_02  

 

 

 

 

   蓮田のわずかに残された水溜まりに、アメリカザリガニ。間もなく水が枯れます。冬眠に入るのでしょうか? 枯れ草で刺激すると、怒ってはさみを振り上げています。
 カマの穂も、風が吹くと盛んに種子をまき散らしています。
 水の豊富な水路では、まだまだミゾソバの花が咲いています。
Rittou2016b101Rittou2016b101_02Rittou2016b101_01  

 

 

 

   耕作放棄地の草むらは、もう完全に冬枯れ状態です。小春日の光を乱反射して光っています。夕陽の頃になると一層、侘びしさがつのります。こんな場所に立つと、芭蕉の辞世の句が思い出されます。
    ~♪ 旅に病んで 夢は枯れ野を かけめぐる ♪~   (芭蕉)
Rittou2016b301Rittou2016b302Rittou2016b301_01  

 

 

 

   では、ここからは、土手の写真を紹介します。
 最初は、コブシの実です。拳のように握られたコブシの実から、赤い種子が紐付きで出てきます。まるで、これは人の誕生と同じですね。
 吉野弘さんの詩を思い出します。次女・万奈さんが生まれたときの詩です。
  ~♪  「創世記」     (吉野弘)
「お嬢さんですよ」
両掌の上にお前をのせて
産婆さんは私の顔に近づけた

お前のおなかから
ふとい紐が垂れ下がり
母親につながっていた
 ・・・・
あれは、たのもしい命綱で
多分
母親の気持を伝える電話のコードだったろう
   ・・・・
そのコードの切れ端は
今、ひからびて
「万奈臍帯納」と記された桐の小箱の中にある

小箱を開くたびに私は思いえがく
ちいいさな創世記の雲の中
母親から伸びたコードの端で
空を漂っていたお前を                ♪~

 土手の上には青い空が大きく広がり、遠い憬れを産み落としそうな白い雲が流れていきます。
Rittou2016b401Rittou2016b401_01Rittou2016b402  

 

 

 

   土手下の畑にコスモス。土手を見上げて撮ります。ランニングの女性が行きます。
  土手の上から見ると、冬への準備は着々と進んでいます。傾きかけた日の色は赤みを帯び、初冬のもの悲しさを演出してくれます。
Rittou2016b501Rittou2016b502Rittou2016b503_2  

 

 

 

   夕方の土手は、けっこう賑やかです。犬の散歩。ランニング。
Rittou2016b601_01Rittou2016b602Rittou2016b603  

 

 

 

   夕陽の時、薄雲が広がっていて彩雲が見られました。
 オギ原に潜み、夕陽を見守っているように見えるスズメ。 孤独?
 オギも雲も夕陽も一体となって、オギ原に夕陽が沈んでいきます。
Rittou2016b703Rittou2016b701Rittou2016b702  

 

 

 

   夕陽で金色に輝くオギ原です。
 いつの季節の夕陽もいいものです。夕焼けの情景は、文学や絵画や歌などに取り上げられています。例えば、夕焼けは一日の労働の終わりの時です。安息、祈りです。ミレーの「晩鐘」の世界ですね。
 また、夕焼けは、郷愁を呼び起こしてくれます。日の暮れるまで遊んでいた子供時代。その時見た夕焼け。「赤とんぼ」や「夕焼け小焼け」の世界ですね。
  明日への希望、別離、祈り、安息、郷愁、憧憬、漂泊感・・・・。
Rittou2016b801_02Rittou2016b802Rittou2016b801  

 

 

 

   オギ原に沈む夕陽と夕焼け雲。
 夕焼けは夏の季語だそうですが、これには、少し異議ありです。
 清少納言も書いています。「春は曙・・・夏は夜・・・秋は夕暮れ」と…。
  初冬の夕焼けもなかなかなものです。
Rittou2016b901_01Rittou2016b901Rittou2016b901_02  

 

 

 

   日が沈むと、しだいに夜の闇が迫ってきます。
 ある詩の一節です。        谷川俊太郎「ある世界」。
  ~♪ 夜のおとずれを待ちながら
     夕焼雲のかなたに
          私はひとつの世界を見る      ♪~
 次の節気は、「小雪」です。     では。また。
Rittou2016b9101Rittou2016b9102Rittou2016b9101_01

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2016年11月 9日 (水)

二十四節気「立冬」2016前編

 11月7日は、二十四節気の「立冬」でした。いよいよ冬の始まりの日です。
近畿地方では、すでに10月29日に木枯らし一号が吹きました。 
 冬の到来を詠んだ源実朝の歌です。
 ~♪ 秋はいぬ 風に木の葉の散りはてて 山さびしかる 冬は来にけり ♪~

 冬と聞けば、何か身の引き締まる思いがします。おそらく、体の奥深くに隠された太古の遺伝子が、そうさせるのかも知れません。卵や種子で冬を越すもの。葉を落とし根で冬を越すもの。冬眠するもの。動物も植物も、厳しい冬を乗り切るため、様々の工夫をこらして生き延びてきました。その遺伝子を受け継いだ私たちですので・・。
 なんとかして、今の日本の冬を工夫して乗り越えねばなりません。

 7日の「立冬」当日は、良い天気になりました。空は快晴です。こんな日を、小春日和というのでしょう。早速、散歩に出かけましょう。
 先日まで行われていた稲刈りも、ほぼ終了しました。
 稲刈りが終わると、金色に輝く稲穂の代わりに黒褐色の地面が現れ、その上に藁地蔵が立ちならび、風景は晩秋へ、そして初冬へと変化します。
Rittou2016a102Rittou2016a101Rittou2016a101_01  

 

 

 

   藁の屑やもみ殻を焼く煙が、辺りをやさしく包み、初冬の空気感を作り出しています。何か懐かしいような、もの悲しいような初冬の空気感です。もう二度と帰ることのできない風景が、薄く広がる煙の中に見えるような気がします。
Rittou2016a201_02Rittou2016a201_01Rittou2016a201  

 

 

 

   小春日の光を浴びた日溜まりで、藁地蔵たちは、何かひそひそ話の最中です。 懐かしい思い出話? それとも、明日への希望? 
最近、人が口にするのは、昨日の愚痴と明日の不安ばかり、この先の日本は如何に?
 夕日が差してくると突然、藁地蔵たちは背筋を伸ばし無言になります。気のせい?
Rittou2016a301Rittou2016a301_01Rittou2016a302  

 

 

 

   晩秋から初冬に掛けての風景に、無くてはならないのは赤い柿の実です。初冬の里に必要なものは、柿の実に加え、カラスとススキ。 いや、スズメとコスモス? 夕焼け? 藁地蔵は? ウーン、役者が多くて難しいですね。
Rittou2016a402Rittou2016a403Rittou2016a401  

 

 

 

   秋が去り冬が始まる今の時期、田んぼの畦道を彩るのは、枯れたエノコログサやイヌタデ。イヌタデは、ますます赤味を増し、痛々しく畦道を飾っています。
  万葉集よりタデの登場する歌です。作者不詳。 
~♪ 我が宿の 穂蓼古幹(ふるから) 摘み生し 実になるまでに 君をし待たむ ♪~
  意味::私の家の穂蓼の古茎から実を採り植えて、また実をつけるまで、あなたを待っていますよ。 
 蓼に例えられる女性は少女? 相手はまだ若すぎる? いつまでも待っているよ、と誘惑の言葉? 恋のままごと遊び? ウーン、難しい。
Rittou2016a502Rittou2016a501Rittou2016a503  

 

 

 

   イヌタデは「赤まんま」と呼ばれ、子どもたちのままごと遊びの赤飯の役を果たしてきました。子どもたちは、何のお祝いをしていたのでしょうね。
 私には、さっぱり記憶が定かでないです。何かをお祝いするような心持ちの少年ではなかったような?  中村草田男の句です。 これかな?
    ~♪ 勝ち誇る 子をみな逃げぬ 赤のまま ♪~  (中村草田男)

  イヌタデは、7月頃から咲き始めています。なぜイヌタデは、この初冬の時期に目立ち始めるのでしょうか。それは、他の雑草に隠されて、季節の流れに取り残されたからだと思います。今は、子どもたちからも見放され、もの寂しい雑草です。
藤原信実の歌。イヌタデが、馬からも好かれなくなったのは古くからのようですね。
  ~♪ 見るままに 駒もすさめず つむ人もなきふるさとの 蓼に花咲く ♪~
Rittou2016a601_02Rittou2016a601Rittou2016a602  

 

 

 

   赤まんまの出てくる詩を一つ。 中野重治です。
 ~♪ 「歌」
おまえは歌うな
おまえは赤まんまの花やとんぼの羽根を歌うな
風のささやきや女の髪の毛の匂いを歌うな
すべてのひよわなもの
すべてのうそうそとしたもの
すべての物憂げなものを撥き去れ
すべての風情を擯斥せよ
もっぱら正直のところを
腹の足しになるところを
胸元を突き上げて来るぎりぎりのところを歌え
     ・・・・・ ♪~

  詠嘆的抒情を否定する流れの中で高く評価され取り上げられた詩です。私は若かった頃、この流れに強く共感していました。 今は、ドップリと短歌的抒情の中です。
Rittou2016a701_01Rittou2016a701_02Rittou2016a701  

 

 

 

   なぜか走っている子ども。 日の当たるたんぼ道を行くママ友。
 紅葉する木の向こうに、枯れた夫婦?
  小春日の光につつまれた田んぼに居ると、見える世界は、穏やかで何か平和です。
Rittou2016a802Rittou2016a801_01Rittou2016a801  

 

 

 

   水路の傍のエノコログサ。水に光が反射して燦めいています。
 燦めく光の中でで休憩する赤とんぼ。霜が降りた日に最後を迎えます。
 ホトケノザ。暖かさにつられて狂い咲き?  狂い咲きの花=帰花。
     ~♪ 凩に 匂いやつけし 帰花 ♪~        (芭蕉)
Rittou2016a902Rittou2016a901Rittou2016a903  

 

 

 

   新名神の工事現場をくぐって、土手下の田んぼに出ました。この付近は、愛宕山や比叡山を望むことができ広々としています。少しだけですが、開放感のようなものを感じる場所です。
Rittou2016a9101Rittou2016a9101_02Rittou2016a9101_01  

 

 

 

   耕作放棄地に、白く輝くオギ。向こうは木津川の土手。
 藁を焼く煙。 作業を終えて帰路につく人。
 「立冬」の前半は、ここまでです。後半は土手の上に上がります。
Rittou2016a9201_01Rittou2016a9202Rittou2016a9201  

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2016年10月30日 (日)

二十四節気「霜降」2016続き

 二十四節気「霜降」2016の続きです。木津川土手の散歩を続けましょう。

 土手の上から眺望すれば、稲刈りが終盤にさしかかった晩秋の風景が、大きく広がっています。風が遠く吹き渡り、空を雲が流れてゆきます。こんな風景を見て、人は何を思うのでしょうか。 良寛さんは、こんな歌を残しています。 
 ~♪ さびしさに 草の庵を 出てみれば 稲葉押しなみ 秋風ぞ吹く ♪~
 遠くから聞こえる祭の音。孤独な良寛さん。遙かに渡ってゆく風。深まるわびしさ。……寂寥感、漂泊感が溢れていますね。これは、私のお気に入りの一首です。
 次のような歌もあります。
  ~♪ 世の中に 交わらぬとには あらねども 一人遊びぞ 我は勝される ♪~
 孤独感。寂寥感。そして時には情熱。貞心尼との恋(?)。ついに悟ることのできなかった、人間良寛さんでした。
Soukou2016b103Soukou2016b101_01Soukou2016b101  

 

 

 

   あちらこちらで稲刈りが行われています。稲刈りが進むと、見る間に風景が変わっていき、晩秋の枯れた色の田んぼが出現していきます。
Soukou2016b201_01Soukou2016b201_02Soukou2016b201  

 

 

 

   刈り取りが終わった後の田んぼには、藁の束が立ち並びます。何か群衆のようで、壮観ですね。乾燥した藁は、イチジク畑の敷き藁になったり、いろいろ利用されるそうです。私の子どもの頃は、農家には牛が飼われていて、藁はその飼料になっていた記憶が・・。 藁をカットするためのカッターで、同級生が指を切った事件があったとか・・・。
 学校に登校する前に、牛にやる草を刈るのが日課だった偉い同級生がいたとか・・・。 何か、遙か昔の記憶です。 藁のような記憶です。
Soukou2016b302Soukou2016b301Soukou2016b303_3  

 

 

 

   堤防の上では、セイタカアワダチソウが満開です。流れ橋も見えます。
 オギも勢力を回復してきました。セイタカアワダチソウと競合状態です。
Soukou2016b401Soukou2016b402Soukou2016b403  

 

 

 

   日が傾いてきました。稲藁もセイタカアワダチソウも輝きを増し、そろそろ一日の終わりを迎える体制に入ってきました。
Soukou2016b501_01Soukou2016b501Soukou2016b501_02  

 

 

 

   雲が赤く輝き、晩秋の一日の終わりにふさわしい夕焼けになりました。
 今日一日のこと。明日のこと。遠いふるさとのこと。いろいろな思いが通り過ぎてゆきます。夕陽が美しいと、何か祈りにも似た気持ちが湧き上がってきます。空は祈り?
Soukou2016b701Soukou2016b701_01Soukou2016b701_02  

 

 

 

   空は祈りの場といつも言えるでしょうか? そうでない詩も紹介してみます。
 石牟礼道子さんは、水俣病患者に寄り添い、水俣の悲劇を訴え続けられました。
     ~♪ 祈るべき 天とおもえど 天の病む ♪~
 祈るべき天が病んでいる・・・。何という重い表現でしょうか。身が引き締まるような気がします。 国すらも病んでいる?
 一日の終わり。オギを赤く染めながら、日が沈んでいきました。
Soukou2016b801_01Soukou2016b801Soukou2016b802  

 

 

 

   旧暦の9月13日の「十三夜」の月は、「栗名月」(又は豆名月)と言われていますね。「栗名月」の2日後の満月は、よく晴れて綺麗に見えました。 晩秋の名月? 柿名月? そんな言い方は無いか?
 和泉式部の月が出てくる歌です。宗教心が滲み出ていますね。仏心は月の光。仏教は月の光と親和性が高いような気がしますが、なぜでしょうね? 勉強しときます。
 ~♪ くらきより くらき道にぞ 入りぬべき はるかにてらせ 山の端の月 ♪~
Soukou2016b902Soukou2016b902_01Soukou2016b901_01  

 

 

 

   お別れは、土手の草刈り作業の様子です。刈った草を燃やしています。
 この場所は、夕陽のエノコログサを撮影していた場所ですが、エノコログサは、みな刈られて灰となりました。残念。草刈りの時期が毎年違うので、こんな年もあります。
     では、次の節気は「立冬」です。
Soukou2016b9102Soukou2016b9104Soukou2016b9105  

 

 

 

Soukou2016b9101Soukou2016b9103

| | コメント (2) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧