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2016年7月

2016年7月27日 (水)

二十四節気「大暑」・朝の蓮田

 二十四節気「大暑」2016の後半です。
 久しぶりに早起きして、近所の蓮田に行ってきました。朝の光の中で、蓮と蜜蜂さんたちと遊びました。朝はいいですね。心が洗われます。

 東の空が金色に輝き始めました。蓮は黒い影となり、静かに太陽の出現を待ちます。
 蓮たちの微かな、一瞬の緊張が伝わってくるようです。
 蓮の花は、夜の間にゆっくりと開花し、この朝の一瞬を待っていたのです。
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    日が昇り、あたりには金色の朝の光が満ち溢れます。
 谷川俊太郎さんの「朝のリレー」という詩があります。「・・・この地球では/ いつもどこかで朝がはじまっている/ ぼくらは朝をリレーするのだ /緯度から 緯度へと/ そうしていわば交替で地球を守る・・・」 地球的広がりを持った詩ですね。
 今日のこの朝は、世界の何処からリレーされてきたのでしょうね? リオデジャネイロ? シリア? それとも・・・?
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   蓮の花の上に待機していた糸トンボにも朝の光が配られました。
 何処からともなく現れた蜜蜂さんたちも活動開始です。
  花から花へ朝の挨拶です。「蓮さん、蜜をもらいま~す!」。
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   今から一億数千万年前、地球に被子植物が登場しました。この時以来、被子植物と動物たちとは深い絆で結ばれました。気の遠くなるような時間を掛けて、花と動物・昆虫たちの共進化が進んだのです。人類が登場する遙か昔のことです。
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   地球上に蜜蜂が進化するのは、4千万年前と言われています。
 蜜蜂が集団として社会生活を始めるのは、3千万年前と言われています。
 その後登場した古代人は、蜜蜂の巣から、ちゃっかり蜜を手に入れたことでしょう。
スペインのアラニア洞窟の壁画にその様子が描かれているそうです。
 養蜂の歴史は相当に古いようです。日本では、日本書紀にすでに養蜂の記録があるそうです。人は、蜜の誘惑には弱いですね。
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   近年では、蜂群崩壊ということが起こっているそうです。地方丸ごとの蜜蜂全滅現象です。ネオニコチノイド系農薬が疑われているようです。
 レイチェル・カーソン「沈黙の春」が予言した世界ですね。
 蜜蜂さん、2匹登場。
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   蜜蜂さん、3匹登場。 数が多いと何かうれしですね。
 長い歴史的時間と世界的広がりの中にある蜜蜂さんたち。いや、私たちも・・。
 私たちは、どんな朝を未来にリレーできるのでしょうね?
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   蜜蜂に夢中になっている間に、日も少し高くなってきました。蜜蜂が急にいなくなりました。どうやら蜜蜂さんの蓮田での勤務が終わったようです。
 蓮の花そのものを美しく撮るという課題もありますが、これは、ちょっと苦手。目の付け所がわからないです。
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   今度は蓮の花の下に潜り込んで、蓮を空に抜きます。
 夏の太陽も入れてみました。大空へ向かう蓮です。いや、光合成する蓮かな・・?
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   朝ご飯も食べず、顔も洗わず、この時間まで粘りました。
 腰も痛くなりました。もう、このへんが限界です。  
    次回は、「立秋」です。  もう秋!  早い!  では。また。
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2016年7月24日 (日)

二十四節気「大暑」2016

 7月22日は、二十四節気の「大暑」でした。一年中で最も暑い時期に突入です。しかし、今年は少し天気が不調です。よく北よりの風が吹き、夜は涼しいです。関東では、まだ梅雨明けしていないとか・・・。

 「大暑」当日、京都府南部は良い天気になりました。気温は高いですが、風が吹いて散歩には最適な一日でした。
 では、木津川土手を目指して、大暑の日の散歩に出かけましょう。

  今日は、家を出て西へと進みます。
 散歩のたびに、とめようもなくうつろう季節の変化に気付きます。
 街路樹の根元にエノコログサです。エノコログサは秋の草だと思われていますが、もう穂が出始めています。道端の草むらに、イヌタデも一本見つけました。やがて来る季節を知らせる小さな存在です。
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   近鉄の踏切を渡ります。
 踏切付近の公園に夏の花、百日紅。走り去る電車。孫を遊ばせる老人。空には夏の白い雲。何げなく過ぎていく、ほんの小さな夏の日の情景です。
  長田弘さんの詩に、「大いなる、小さなものについて」という詩があります。
  ~♪ 替えがたいものの話をしよう。
    ・・・・
        替えがたいものは、幸福のようなものだ。
    世界はいつも、どこかで、
    途方もない戦争をしている。
    幸福は、途方もないものではない。
    どれほど不完全なものにすぎなくとも、
    人の感受性にとっての、大いなるものは、
    すぐ目の前にある小さなもの、小さな存在だと思う。
    幸福は、窓の外にもある。樹の下にもある。
    小さな庭にもある。
    ・・・・
    目の前に咲きこぼれる、あざやかな
    花々の名を、どれだけ知っているだろう?
    何を知っているだろう? 何のたくらむことなく、
    日々をうつくしくしているものらについて。  ♪~
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   田んぼの畦道を行きます。
 畦道の草むらに、秋に咲く野菊(ヨメナ)です。暑い中でも涼しげで美しいです。
 間もなくやってくる秋へ向け、静かに季節の準備が進んでいます。
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   新名神高速道の下を抜けます。突然、土手につながる田んぼ地帯へと出ます。
 青田の上には夏の雲。遠くには愛宕山。青田の上を吹き渡ってゆく風。何処にでもある、何げない夏の風景。うつくしいですね。
  長田弘さんの詩です。
  ~♪ うつくしいものの話をしよう。
    いつからだろう。ふと気がつくと、
    うつくしいということばを、ためらわず
    口にすることを、誰もしなくなった。
    そうしてわたしたちの会話は貧しくなった。
    うつくしいものをうつくしいと言おう。
    風の匂いはうつくしいと。・・・・・
    午後の草に落ちている雲の影はうつくしいと。
    ・・・・
    過ぎてゆく季節はうつくしいと。
    ・・・・
    一体、ニュースとよばれる日々の破片が、
    わたしたちの歴史と言うようなものだろうか。
    あざやかな毎日こそ、わたしたちの価値だ。
    ・・・・
    何ひとつ永遠なんてなく、いつか
    すべて塵にかえるのだから、世界はうつくしいと。 ♪~
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   木津川に沿って、土手の下を北へ進みます。
 鬼百合が咲いています。オニユリは夏の花ですね。
 しばらく進むと蓮田があります。蓮の花。盛り上がる雲。
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   流れる雲。花の影。夏の太陽。 蓮は確かに夏の花です。
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   ちょっと疲れた蓮くんを残して、土手に上がり、北へ進みます。
 土手の上から眺めると、広々と青田が広がっています。雲が流れていきます。
 遠く比叡山を望むことができます。
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   ジョギングする人。犬を散歩させる人。下校する高校生。何の変わったところもない夏の一つの風景です。
 私はいつの頃から、木津川の土手を散歩するようになったのでしょう? いつものように・・・。なくてはならないもののように・・・。
 長田弘さんの詩です。 
 ~♪ なくてはならないものの話をしよう。
    なくてはならものなんてない。
    いつもずっと、そう思ってきた。
    所有できるものはいつか失われる。
    ・・・・
    日々の悦びをつくるのは、所有ではない。
    花。水。土。雨。日の光。・・・・
    何一つ、わたしのものはない。
    ・・・・
    特別なものなんてない。 大切にしたい
    ありれふれたものがあるだけだ。
    素晴らしいものは、誰のものでもないものだ。
        ・・・・
    この世に在ることは、切ないのだ。
    そうであればこそ、戦争を求めるものは、
    なによりも日々の穏やかさを恐れる。
    平和とは 平凡きわまりない 一日のことだ。
        ・・・・                     ♪~
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   土手の看板の上で、ホオジロが鳴いています。 何と?
 烏が二羽、夕陽を眺めて語り合っています。
 「~♪ ほんとうに意味あるものは、ありふれた、何でもないものだ。魂の形をした雲。樹々の、枝々の、先端の輝き。夕方の雲。鳥の影。・・・・~♪」
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   夕陽が沈んでいきます。自転車の夫婦(?)が、家路を急いでいます。
 ありふれた夏の一日が終わろうとしています。
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   お別れの写真は、夕陽の慈姑田。 夕陽の中の向日葵、野菊。
 「~♪ ここに立ち尽くすわたしたちを、世界が、愛してくれますように。♪~」
 今日の散歩は、詩人の長田弘さんとご一緒させていただきました。
                  (長田弘詩集「世界はうつくしいと」より)
     では。また。  次回は、朝の蓮です。
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2016年7月17日 (日)

二十四節気「小暑」2016・後半

二十四節気「小暑」2016の後半です。土手の上の散歩を続けます。

 土手の斜面にカワラナデシコが咲き始めました。カワラナデシコは、秋の花と思っている人も多いですが、実際には今頃から咲き始めています。
  ナデシコは、清少納言の「枕草子」にも登場します。(第六四段「草の花は」)
  「草の名は撫子(なでしこ)、唐のは更なり、大和のもいとめでたし。・・・」
  「唐のは」とは、カラナデシコで、現代名はセキチクのことらしいです。
  万葉集にも登場します。 (作者不詳)
   ~♪ 野辺見れば 撫子の花 咲きにけり 我が待つ秋は 近づくらしも ♪~
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   細い茎の上に可憐な花を咲かせ、しかも丈夫なヤマトナデシコは、江戸時代には華奢で美しい女性を指す言葉になり、明治以降は、理想的な日本女性を象徴する言葉となりました。しかし、国威発揚の悲しい過去を背負った花でもあります。
 沖縄の「ひめゆり隊」の悲劇は余りにも有名ですが、「なでしこ隊」というのもありました。知覧高等女学校の校章はなでしこの花だったため、女生徒は「なでしこ隊」として、特攻隊の知覧基地での奉仕を命じられ、死にゆく若者を見送り続けました。
  今は「ナデシコジャパン」ですね。
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   土手では、草刈りが始まりました。刈り取った草を焼く煙が立ちこめています。
 この草たちも刈り取られ、焼かれる運命です。しかし、草刈りが行われることにより、背の高い優勢な草が刈り取られ、かえって植物の多様性が確保されているというから不思議ですね。
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   「青田」とは夏の季語です。今の時期の田んぼは、「青田」というのにふさわしいです。「青田風」・「青田波」・「青田道」・「青田時」という季語もあります。
    ~♪ 涼風や 青田の上の 雲の影 ♪~   許六
  青田の上を渡っていく涼やかな風を写そうと頑張りましたが、ちょっと難しいです。
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   土手を降りて、田んぼ道を進みます。
    ~♪ 楽しさや 青田に涼む 水の音  ♪~   芭蕉
  ガマの穂は晩夏の季語のようですが、今頃からもう立派な穂が出ています。俳句を読む人は、梅雨の時期のガマには興味がないらしいです。 異議アリ。
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   田んぼの畦道にはツユクサです。万葉の頃は、月草と呼ばれていました。
  ~♪ 月草の 借れる命にある人を いかに知りてか 後も逢はむと言ふ ♪~
  意味:月草のように、この世のはかない命の私たちなのに、どうして、後で逢いましょう、なんて言うのですか。   (作者不詳)
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   水路の斜面に、アカバナユウゲショウ(?)。 タンポポの綿毛。
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   芹の花。
 サツマイモの花は、一見、朝顔と見間違うほどです。サツマイモを知らない人はいないですが、花を見たことがない人は、案外多いかも。
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   蓮田では、水草の絨毯の上に蓮の葉の影が落ちています。あちこちで蓮の花も咲き始めました。 「ヤットサキマシタヨ~!」と言っているような蓮の花
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   夏と言えばヒマワリですが、ヒマワリを求めてウロウロしました。
 一枚目のヒマワリ(?)は、ちょっと見かけない品種? 品種改良?
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   お別れの三枚。
  「オッチャン! メダカ捕れたよ!」
  ねじれて咲くネジバナ。 私はねじれたもの好き。 心が素直だから??
    夕暮れのナデシコ。    次の節気は、いよいよ「大暑」。  では。また。
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2016年7月15日 (金)

二十四節気「小暑」2016

 7月7日は、二十四節気の一つ「小暑」でした。江戸時代の暦便覧によれば、「大暑来れる前なれば也」とあります。間もなく本格的な夏ですが、梅雨はまだ明けておらず、雨の日と蒸し暑い梅雨の晴れ間の日が不規則に続いています。

 今の時期、木津川の土手はどうなっているでしょうか。「小暑」の日の当日は、梅雨の晴れ間の良い天気になりました。早速、散歩に出かけてきました。

 土手に上がると、緑の夏草の間に咲く橙色の花に、ハッとするような、鮮やかな驚きを感じます。薮萱草(ヤブカンゾウ)です。土手の斜面のいたるところに咲いています。
 ヤブカンゾウなどの萱草の花は、古来からワスレグサ(萱草)と言い、身につけていると人生の苦しみを忘れさせてくれる花でした。 万葉集から一首。
  ~♪ 忘れ草 我が紐に付く 時となく 思ひわたれば 生けりともなし♪~
 意味:忘れ草を私の衣の紐に結び付けているが、いつもあの人のことを思っているので、とても心が苦しいです。
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   二十四歳の若さでなくなった詩人、立原道造の第一詩集は、「萱草(わすれ草)に寄す」です。結核の療養のために一時期を過ごした信州追分け村(軽井沢)での、少女との出会いと別れを詠ったソネット詩集です。
 詩集は、「はじめてのものに」から始まります。少女との出会い。初めての浅間山噴火の体験。人の心への、言い知れぬもどかしさ、不安。
   ~♪ はじめてのものに  (立原道造)
    ささやかな地異は そのかたみに
    灰を降らした この村に ひとしきり
    灰はかなしい追憶のやうに 音立てて
    樹木の梢に 家々の屋根に 降りしきつた

    その夜 月は明かつたが 私はひとと
    窓に凭れて語りあつた(その窓からは山の姿が見えた)
    部屋の隅々に 峡谷のやうに 光と
    よくひびく笑ひ声が溢れてゐた

    ――人の心を知ることは……人の心とは……
    私は そのひとが蛾を追ふ手つきを あれは蛾を
    把へようとするのだらうか 何かいぶかしかつた
             ・・・・・・             ♪~
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    ~♪ 晩(おそ)き日の夕べに
   大きな大きなめぐりが用意されてゐるが
   だれにもそれとは気づかれない
      ・・・・
   しるべもなくて来た道に
   道のほとりに なにをならつて
   私らは立ちつくすのであらう

   私らの夢はどこにめぐるのであらう
   ひそかに しかしいたいたしく
   その日も あの日も賢いしづかさに?  ♪~

  大きなめぐりに導かれ、二人の夢は、透明な光の中をひそかに、いたいたしくめぐっていきます。夏の日、追分け村の道端にも萱草の花が咲き乱れていたと思います。
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   ~♪ 夕やみの淡い色に身を沈めても
    それがこころよさとはもう言はない
    啼いてすぎる小鳥の一日も
    とほい物語と唄を教へるばかり

 少女への思い。やがて訪れる死。寂寥感。
 代表作「のちのおもいに」には、「夢は・・・寂寥の中に 星くずにてらされた道を過ぎ去るであろう」という一節もあります。 
 立原道造が、星くずにてらされた道を去っていって80年近くが過ぎました。
「萱草に寄す」は、青空文庫でも読むことができます。   →こちらから
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   土手の上では、アカツメグサもまだまだよく咲いています。その上には夏雲が大きく盛り上がっています。盛り上がる夏の雲を見ていると、麦わら帽の少年が遠いどこかで、この雲を見上げいるかもしれないという思いが湧いてくるのは、私だけでしょうか。
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   大榎をくぐり抜けると、そこは夏雲の湧く遠い過去の世界? ただの妄想です。
 夏の花、夾竹桃の上にも夏雲。
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   ヒメジョオンやアカツメグサなどが咲き乱れる涼しげな小道を、散歩の人がゆきます。ヒメジョオンも拡大するとなかなか美しいです。
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   土手の上から見ると、遙かに青田が広がっています。遠くに比叡山も見えます。
青田では、田んぼの草取り作業中です。たぶん父と息子。
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   田んぼの脇道を自転車の子供が走ってゆきます。
 近鉄の富野鉄橋付近では、散歩をする父子。夕陽で影が長く伸びています。
 夕陽の逆光の中をアキアカネ(?)が群れています。このトンボはこの後、涼しくなるまで高い山で避暑生活をするらしいです。秋になると体が赤くなって戻ってくるそうです。ちょっと贅沢。   では。また。  「小暑」後半もあります。
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2016年7月11日 (月)

定期診察(113)・貧血進行

 今日はKS病院血液内科の定期診察でした。梅雨の晴れ間の暑い日でした。今日は、なぜか行きも帰りも電車が空いていて座れました。
 毎日、体調不良で息切れがしています。貧血が進んでいるような気がします。

 さて、診察結果です。
 血小板は37万/μlで、薬を増量していないのに2万減少です。これは危機の進行ではないかと、重ねて質問しましたが、主治医は、「薬が効いているから」という説明でした。前回と同じような話の展開です。
 Hbは8.7で、貧血が進行しました。これは、やはり予想通りでした。
 貧血、けっこう辛いです。暑さも加わって、散歩にも行く気にならないです。 
 
 LDH、γGTP、尿素窒素、クレアチニンなどは、相変わらず異常値のまま。医師からのコメントは無しです。
  HbA1cは、6.4でした。アマリール(血糖降下)を飲んでいる割には、少し高いです。

  薬は合計6種類。アグリリン2cap/day。バイアスピリン(抗血小板剤)。アマリール(血糖降下)。ミカルディス(血圧降下)。ガスター(胃薬)。フェブリク錠(尿酸降下)。
                    では。 また。

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2016年7月 8日 (金)

突然の広島見学

 突然ですが、先日、日帰りで広島へ行ってきました。夏空の広がる暑い日でした。
 
 私の人生も終りが近づいています。何とか動ける間に、行っておきたい場所がいくつかありますが、広島はそのうちの一つです。
 広島へは、過去に何度も行ったことがあります。修学旅行の引率、原水禁の世界大会、教育研究会などです。しかし今、平和資料館がどんなだったか、原爆ドームがどんな姿だったか、遙か遠いかすかな記憶しか残っていないのです。
 私たちの世代は、憲法と原爆、反戦と平和の声の中で少年時代を過ごしてきたという思いがあります。それこそが、私自身の人生の原点だと思っています。
 鮮やかな記憶といえば、修学旅行で資料館の近くに生徒を整列させた時、コンクリートの隙間にコケが生えていたことだけです。なぜそんな記憶しか残っていないのか、いったい、今まで自分は何をしてきたのか、どう生きてきたのか、自分の原点を考える広島行きです。

 路面電車に乗り、原爆ドーム前へ。 保存工事中。
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   原爆ドームの撮影は、アングルが限られます。巨大な商業ビルが建設され、ドームを青い夏空に抜くことができないからです。景観とは、空の表情も含めたものだと思います。広い空があって初めて風景が成立するように思うのですが・・・、景観論争は無かったのでしょうか、今や原爆ドームも単なる観光資源なのでしょうかか、気になります。
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    原爆死没者慰霊碑へ。
 外国人観光客は大変多いです。世界的に広がっているようです。良いことですね。
 慰霊碑のドームの向こうに、丁度、原爆ドームが見える仕掛けになってぃます。だったら、この景観は保全したかったですね。ビルがちょっと邪魔です。経済優先の世の中だから仕方がないのかも・・・。
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   「原爆の子の像」へ。
 白血病にかかり病床で折り鶴を折り続けた佐々木禎子さん。湯川秀樹博士の筆による「地に空に平和」の文字が彫られた銅鐸型の鐘。祈りの折り鶴。修学旅行生と思われる生徒たちの黙祷。
 「義務教育の平和学習の総仕上げとして広島・長崎への修学旅行を・・・」、そんなことが教育界の常識のように語られていた時代は終わり、私の住む地域では、教育現場から「平和教育」という言葉すら消えようとしています。修学旅行に広島・長崎を選択する学校は、一校も無くなったと聞きます。
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    ~ 原爆詩集   序     (峠三吉)
         ちちをかえせ ははをかえせ
    としよりをかえせ
     こどもをかえせ
    わたしをかえせ わたしにつながる
         にんげんをかえせ
         ・・・・    ~

 平和資料館へ。資料館前の噴水。
 展示室の入り口正面の写真。 助け合う人々の様子。
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   戦後70年。70年前に間違いなくあった事実に向き合います。
    ~ 八月六日  (峠三吉)
    あの閃光が忘れえようか
    瞬時に街頭の三万は消え
    圧しつぶされた暗闇の底で
    五万の悲鳴は絶え
        ・・・・      ~
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   影を残して逝った人も、焼けた三輪車の子供も。 弁当を食べるることなく熱戦に焼かれた人も、何処へ行ってしまったのでしょうか? 問いかけても展示物は無言です。

   ~にんげんの にんげんのよのあるかぎり
   くずれぬへいわを
   へいわをかえせ   ~
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   戦争の責任は曖昧にされ、その後の原発事故でも、誰も責任を問われることなく、憲法が公然と無視され始めた今の時代、反戦・平和の原点に帰ることが必要だと思うのは、私だけではないはずです。

   ~   その日はいつか  (峠三吉)  
     ・・・・
     原爆の光りが放たれ
     国民二十数万の命を瞬時に奪った事実に対し
     底深くめざめゆく憤怒を誰が圧さええよう
    この図のまえに自分の歩みを誓わせ
     この歴史のまえに未来を悔あらしめぬよう     ~

 お別れの写真は、黒い雨の痕。祈りを捧げる浄土宗青年部の皆さん。 では。また。
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2016年7月 2日 (土)

二十四節気「夏至」・雨の鴻ノ巣山

 「夏至」の頃、それは梅雨の時期でもあります。
 雨の風景を求めて、雨の降る鴻ノ巣山に出かけてきました。

  神と死に向き合った夭逝の詩人八木重吉は、雨の詩をいくつか作っています。
     ~♪ 「雨」   八木重吉
       雨の音がきこえる
       雨が降っていたのだ
       あのおとのようにそっと世のためにはたらいていよう
       雨があがるようにしずかに死んでいこう   ♪~

  この詩には、曲がつけられています。この曲を聴きながら(ただし心の中で・・・)、鴻ノ巣山に向かいます。今日の散歩は、夭逝の詩人、八木重吉さんがご一緒です。
   この曲を聴きたい方は→ こちらからYoutube

 鴻ノ巣山の入り口、水渡神社の参道にトキワツユクサが咲いています。雨がよく似合う花です。
  枯れ木にキノコが顔を出しています。雨の季節ですね。
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    ~♪ 「雨」   八木重吉
   雨は土をうるおしてゆく
   雨というもののそばにしゃがんで
   雨のすることをみていたい  ♪~

 すべてを自然にゆだねようとする八木さん。
 自然はすべて神のなせるわざ? 雨もまた・・。 
 しだいに心が澄んでいくように感じられますね。
 降った雨は、コナラやシイの葉に集められ、幹を伝い大地を目指します。
 そして、大地を潤していゆきます。
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   ~♪ 「雨の日」  八木重吉
    雨が すきか
    わたしはすきだ
    うたを うたおう  ♪~

 八木さん、誰のために歌を? 自分に? 何の歌を? ウーン、私には悩ましい。
 木々の葉に、カエデの葉にも雨が降ります。薄く赤みを帯びたカエデの種子ができています。雨に濡れながらも、くっきりと立ち上がっています。
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   苔むした地面の上で、カエデの芽生えが始まっています。
 朽ちた切り株の上では、椎の実が芽を出し始めました。出始めた小さな葉が、自らの存在を知らせる小旗のように見えます。  命のありかを知らせる小旗ですね。
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   ~♪ 「雨の日」  八木重吉
    しろい きのこ
    きいろい きのこ
    
    あめの 日
    しずかな 日   ♪~

  雨の季節は、やはりきのこです。 キノコを見ていると、人間とは違う生き方をしている命の存在に気付きますね。 静かな日。 しずかな生き方?・・・。
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   ~♪ 「雨」  八木重吉
    雨がふっている
    いろいろのものをぬらしてゆくらしい
    こうしてうつむいてすわっていると
    雨というものがめのまえへあらわれて
    おまえはそう悪いものではないといってくれそ
      うなきがしてくる    ♪~

  「おまえはそう悪いものではない」ですか。私もそんな気がしてきます。
  八木さん、今日は、ありがとうございました。
 お別れの三枚は、雨に濡れるシダの幼葉。 名前も知らない薄薔薇色のキノコ。
  落花する雫。       では。また。 次は「小暑」です。
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