写真2015.1~

2015年12月20日 (日)

宇治田原町高尾の残り柿

先日、宇治田原町高尾に行ったときの残り柿の写真です。ブログの写真更新は、これが今年の最後になると思います。
 カキの量も少なく、ほんの短時間の撮影でしたが、この場所に来ないと、一年が終わらないという感じがします。

 高尾は、田原川が切り出したV字谷の斜面にあります。江戸時代、与謝蕪村も訪れたことがあるという歴史ある村です。曲がりくねった山道を進みます。村の入り口に、名水弘法の井戸があります。この井戸の少し下から見た二枚です。田原川の谷筋の先に、宇治川が見えています。その向こうは京都市内です。
 ここには、冬に咲く桜が咲いています。品種は分かりませんが、確かに桜です。
Kouno101Kouno101_01Kouno102  

 

 

 

   V字谷の対岸の山をバックに、残り柿を見ることができます。陽が差すと、逆光に照らされて葉を落とした枝が白く光っています。
Kouno201Kouno201_01Kouno202  

 

 

 

   高尾は、柿ばかりでなく、ススキが美しいことでも知られています。
Kouno301Kouno401Kouno402  

 

 

 

   この日は、小春日和で、うろこ雲の美しい日でした。早くに亡くなった幼なじみが、遠くで微笑んでいるような気がします。
Kouno403Kouno501Kouno502  

 

 

 

   村の一番高い場所です。京都市内や愛宕山を望むことができます。
今週は病院にいる予定です。では、みなさん、良いお年をお迎え下さい。
Kouno503Kouno601_01Kouno602_01

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2015年12月18日 (金)

二十四節気「大雪」2015追加

 先日の二十四節気「大雪」2015の追加写真です。家の近所から木津川土手までの、散歩しながら目に付いたものを紹介していきます。いつもの単なる散歩写真です。

 まず、近所にある文化パルク城陽(文化会館みたいなもの)です。ここの紅葉も最後をむかえています。イチョウはほとんど葉を落としました。コナラの葉がが茶色く紅葉しています。
Taisetutuika201Taisetutuika202Taisetutuika101_02  

 

 

 

 

   灌木類もよく紅葉しています。二枚目の黄葉は、シロヤマブキといって、垣根などによく使われる木ですが、自生しているものは絶滅危惧種だそうです。
 水溜まりに落ち葉が沈んでいます。私なら、想い出や夢の断片、はかなさ、悲しみですが、夭逝の詩人、八木重吉にとってはちがいますね。ウーン、この違いはどこから?
  ~♪ 落ち葉   (八木重吉)
   葉が落ちて
   足元にころがっている
   すこしの力ものこしてもっていない
   すこしの厭味もない   ♪~
Taisetutuika101_01Taisetutuika101Taisetutuika203  

 

 

 

   
   街路樹や庭木の葉も、最後をむかえています。冬芽がしっかり準備されていますね。
Taisetutuika301Taisetutuika302Taisetutuika301_01  

 

 

 

   道ばたの草も、緑を失って枯れ草となり、後に残された種子は春を目指します。
  クロガネモチの実。冬を彩る赤い実ですね。
Taisetutuika401Taisetutuika402Taisetutuika403_01  

 

 

 

   ウワーッ!! 巨大なネズミのような動物が、古川を泳いでいます。ヌートリアですね。丸々と太っています。
 ヌートリアは、戦前、軍隊の防寒服用として、フランスから輸入され、飼育が行われたそうです。「勝利」にかけて「沼狸」(しょうり)と呼ばれていたそうです。今は、侵略的外来生物に指定されています。人間の身勝手に振り回されていますね。
土手に上がると、紅葉はほぼ終わり。「最後の一葉」です。
Taisetutuika502Taisetutuika501Taisetutuika501_01  

 

 

 

   河原は枯れたオギや葦の原っぱ。 流れ橋の修復工事が始まりました。
Taisetutuika601Taisetutuika602Taisetutuika603  

 

 

 

   土手の欅も、葉を落として冬の姿になってきました。
 欅(ケヤキ)は、「けやけき木」が由来だそうです。「けやけき」は「きわだって目立。すばらしい。」という意味の古語です。清水の舞台の柱は、欅が使われているそうです。私は、冬の葉を落とした欅が好きです。枝が、大空をつかむように広がっています。
Taisetutuika702Taisetutuika701Taisetutuika701_01  

 

 

 

   お別れは、木津川土手の大榎です。まだ、黄色い葉が少し残っています。散歩の二人が、なにやら大榎と語り合っています。心理学者のヴィゴーツキーは、「人間の高次心理機能は言語により媒介されている」ということを明らかにしましたが、大榎が語りかけてくる言語は、人間の使用する言語を遙かに超えているように思われます。人間は、言葉を使用するようになって、自然と対話するためのたくさんの能力を失ったと言われています。
 おまけの二枚は、土手下のアパート、第ニ名神城陽ジャンクション工事。
 これで、今年の二十四節気写真は終了です。
Taisetutuika801Taisetutuika801_01Taisetutuika801_02

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2015年12月11日 (金)

二十四節気「大雪」の頃・2015

 12月7日は、二十四節気「大雪」でした。体調が少し良くなってきたので、久しぶりに木津川土手方面に散歩に行くことができました。木津川土手方面の二十四節気「大雪」の風景を紹介してみます。

 「大雪」といえば本格的な冬の到来を告げる節気ですが、野を歩くと、ホトケノザ、ナズナ、スズメノテッポウなど、まだまだたくさんの花に出会うことができます。この花たちは、春の花なのに季節を間違えたのでしょうか?
 詩人の茨木のり子さんは、「見えない配達夫」という詩の中で、季節を運んでくるのは見えない配達夫だと言っています。その中には、間抜けな配達夫がいるそうです。
  ~♪ 見えない配達夫   茨木のり子
   ・・・・・・
地の下には少しまぬけな配達夫がいて
帽子をあみだにペダルをふんでいるのだろう
かれらは伝える 根から根へ
逝きやすい季節のこころを

世界中の桃の木に 世界中のレモンの木に
すべての植物たちのもとへ
どっさりの手紙 どっさりの指令
かれらもまごつく とりわけ春と秋には
  ・・・・・・
秋のしだいに深まってゆく朝
いちぢくをもいでいると
古参の配達夫に叱られている
へまなアルバイト達の気配があった
    ・・・・・・            ♪~
2015taisetu1012015taisetu1022015taisetu103  

 

 

 

   土手の上では、冬日を受けてブタナが咲いています。おまけに蝶まできています。これもへまな配達夫のしわざなのでしょうね。
 いちじくは、枝の下の方から実っていきます。季節の変化に乗り遅れた実は、枝の先の方に取り残され、握り拳のように空に向かって突き上げられています。夕日と野焼きの煙がもの悲しいですね。これも見えない配達夫からの贈り物でしょう。
2015taisetu2012015taisetu2022015taisetu201_01_2


  

 

 

 

   田んぼや土手にも、どんどん冬の手紙が届けられているようです。
 二枚目の写真は、田んぼ一面のクモの糸です。今の時期だけに見られる田んぼの風物詩、蜘蛛のバルーニングです。生まれた子蜘蛛たちは糸を吐き、風に乗り一斉に空へと旅だち、新天地を目指すのです。子蜘蛛たちは、春の手紙を無事に受け取れるのでしょうか。
 三枚目は、夕日の逆光に輝くアメリカセンダングサの種子です。来春の芽生えを待ちます。ひっつき虫の一種で、服に着くと大変です。生き物たちも冬支度ですね。
2015taisetu3012015taisetu301_012015taisetu301_02  

 

 

 

   見えない配達夫から冬の知らせを受けて、正月用のクワイを収穫する人。冬ネギを収穫する人。枯れ草を焼く人。忙しそうですね。
 茨木のり子さんの詩の続きです。
 ~♪・・・・・・
地の上にも国籍不明の郵便局があって
見えない配達夫がとても律儀に走っている
彼らは伝える ひとびとへ
逝きやすい時代のこころを

世界中の窓々に 世界中の扉々に
すべての民族の朝と夜とに
どっさりの暗示 どっさりの警告
かれららもまごつく 大戦の後や荒廃の地では
  ・・・・・・

 見えない配達夫が、全世界に平和の手紙を届けられるのはいつの日でしょうか。
 近々、見えない配達夫から、私のもとへ届けられるかもしれない手紙は、三途の川を渡る格安チケット?、それとも地獄への無料招待券? ちょっとお断りしたいですね。
2015taisetu4022015taisetu4012015taisetu401_01  

 

 

 

   今の時期、木津川土手の主役は、枯れたオギや葦です。
 土手を焼く煙が、時間の経過と同じ早さで流れていくように感じられます。
2015taisetu501_012015taisetu501_022015taisetu502  

 

 

 

   夕日の時間帯になると、夕日が赤く照らし冬の土手を演出します。冷たい風は、やがて来る厳しい冬を予感させます。
  ~♪芒の穂 白き水噴くと見るまでに 夕日に光り 並びたるかも♪~ (島木赤彦)
2015taisetu601_22015taisetu602_42015taisetu601_01  

 

 

 

   今の時期、夕陽の中で毎日のように繰り返されるのがムクドリの乱舞です。ムクドリたちは、やがて河原の竹藪の中に吸い込まれてゆきます。竹藪のなかで良い夢を見るのでしょうね。
2015taisetu701_022015taisetu701_22015taisetu701_03  

 

 

 

   7日の「大雪」の日は、良く晴れて土手の上に青空が大きく広がり、気持ちのいい一日でした。日が傾いてくると、すべてが金色に輝き始めます。
2015taisetu8022015taisetu8012015taisetu801_03  

 

 

 

   夕日が沈みます。夕日が沈んだ後は、素晴らしい夕焼けになりました。高校の陸上部の皆さんが走り抜けていきました。  では。また。
2015taisetu901_032015taisetu901_012015taisetu901_02

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2015年11月15日 (日)

「霜降」から「立冬」の頃・追加写真

 最近は、引きこもり生活をしていて写真撮影はお休み中です。
 先日アップした【「霜降」から「立冬」の頃】に、枚数の関係で載せられなかった写真が、少々残っていますので追加します。

 城陽市の文化会館、「文化パルク城陽」の紅葉です。桂や銀杏の木が紅葉しています。
 小春日の温かい光があふれています。おじいさんと孫が散歩していました。
 頭の中に、秋の「日だまり」という言葉が浮かんできました。
Soukourittou91101_01Soukourittou91102Soukourittou91101  

 

 

 

 

   「日だまり」とは何でしょうか? 日の光を受けて、温度が上がっている場所のことですね。しかも、「たまり」というからには、空間的には限られています。夏の日だまりという言い方はありませんね。周囲は少し寒くなければなりません。晩秋から、冬、早春にかけて使われる言葉です。しかも、「日だまり」では、風が遮られ無風であることが必要です。「日だまり」は、ほんのりと温かく静かな空間です。
 しかし、「日だまり」を構成するのに必要なのは、これだけでしょうか?
  「日だまり」にあるのは、ゆったりと流れる時間の感覚、いや、流れるのではなく、現在でもなく、未来でもなく、過去でもないような時間の「たまり」です。そして、体ばかりでなく、心をも温める何かが必要です。言葉にはできない何かですね・・・。
 日が傾いてくると、光の陰影がしだいに濃くなっていきます。「日だまり」は消え、別の空間と時間が支配を始めます。
Soukourittou91201Soukourittou91202Soukourittou91203  

 

 

 

   さだまさしの「秋桜」という歌でも、「日だまり」が歌われています。
 ~♪ 薄紅のコスモスが秋の日のなにげない日溜まりに揺れている ♪~
 心を温める何かとして、母への揺れる思いが、「日だまり」にあふれていますね。
 写真は、車で通りすがりに撮った加茂町付近(?)の秋桜です。
Soukourittou91302Soukourittou91303Soukourittou91301  

 

 

 

   おなじく秋桜です。 これも加茂町付近? 山城町?
Soukourittou91402Soukourittou91403Soukourittou91401  

 

 

 

    お別れの3枚です。まず、前の家の猫。天気が良い日は、ちょっと鍾馗さん気取り。鍾馗さんは、京都市内で時々発見することがあります。 それから土手の夕日。
 最後の一葉。よく見ると冬芽が準備されています。春はまだ遠いですね・・・。
Soukourittou91501Soukourittou91501_02Soukourittou91501_01

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2015年11月 8日 (日)

「霜降」から「立冬」の頃

今日、11月8日は二十四節気の「立冬」です。いよいよ冬になりましたね。朝から雨が降って、薄ら寒いです。
 10月24日は、二十四節気「霜降」でしたが、体調不良のためお休みさせていただきました。しかし、体調不良ながらも、時々は木津川土手に散歩にでかけ、季節のうつろいを楽しんできました。そこで、今日までに撮した最近の写真を、【「霜降」から「立冬」の頃】としてまとめてみました。

  今は「晩秋」と呼ばれる時期です。近畿地方は、10月25日に木枯らし一号が吹きました。朝の冷え込みで雲海が見られたとか、紅葉が始まったとか、北国や高い山からは雪の便りも聞かれるようになりました。
 さて、「晩秋」は、いつから始まるのでしょうか。私の考えでは、稲刈りの終了と共に始まると思います。田園風景は、稲刈りが終わるとたちまち冬へ向かって一変するのです。干し藁の片付け、籾殻の処理などの作業も、どこか冬への準備を感じます。
Soukourittou101Soukourittou101_01Soukourittou102  

 

 

 

   野焼きの紫煙が、枯れ色の野を優しく包みます。小春日の中を漂う野焼きの煙、これが晩秋の空気感の源です。
Soukourittou201_02Soukourittou201Soukourittou201_01  

 

 

 

   田んぼの中に立ち並ぶ藁地蔵は、晩秋の物言わぬ語り部です。
Soukourittou301_01Soukourittou301_02Soukourittou301  

 

 

 

   野に咲く花も、しだいに数を減らし、セタイカアワダチソウの黄色が目立ちます。田んぼの畦道に沿って、温かい小春日を拾い集めるように赤まんまの花が広がっています。
 八木重吉の詩です。
 ~♪  秋の光
   ひかりがこぼれてくる
   秋のひかりは地におちてひろがる
      (ここで遊ぼうかしら)
    このひかりのなかで遊ぼう  ♪~
Soukourittou401_01Soukourittou401_02Soukourittou401  

 

 

 

   あんなにも夏を歌っていた蓮も、今ははうなだれて夏の夢を追っています。枯れ草に混じって、ヒメジョオンが最後をむかえています。温かい小春日を受けて、子どもたちが畦道を行きます。
Soukourittou501Soukourittou501_01Soukourittou501_03  

 

 

 

   土手に上れば、晩秋を歌っているのは木々の紅葉です。土手の大榎が、ゆっくりと黄葉を始めました。寺田桜堤では、桜や欅の木が紅葉しています。
Soukourittou601_01Soukourittou601Soukourittou601_02  

 

 

 

   シロという名前の大きな犬を散歩させる人が来ました。奥さんを亡くし、今は犬と二人暮らしだというこの人、この人の周囲にはゆっくりとした特別な時間が流れているように思われます。
Soukourittou701_01Soukourittou701_02Soukourittou701_03  

 

 

 

   夕日が射してくると紅葉たちは、ますます静かに晩秋を語ります。晩秋の夕暮れの時間は、静かにゆったりと流れています。一日の時間の流れは、一様ではないように思います。ゆっくりと流れる特別の時間帯があるのです。
Soukourittou801_01Soukourittou801Soukourittou801_02  

 

 

 

   土手に夕日が沈みます。一日の活動を終えた人も川鵜たちも、ねぐらへと急いでいます。日が沈むと急に風の冷たさを感じます。
Soukourittou901_02Soukourittou901Soukourittou9101  

 

 

 

   では、お別れの三枚です。なぜか惹かれる土手の杭。並んだ杭の続く先は冬? 
 夕日に揺れるオギ。手招きしているのか、さよならをしているのか? たぶん別れ?
   ~♪ 君が手も まじるなるべし 花すすき ♪~      去来
 穴だらけの桜の枯れ葉。秋の終わりを告げているような・・・。O・ヘンリーの「最後の一葉」を思い出しました。 何か人恋しい晩秋です。  では。また。
Soukourittou9101_03Soukourittou9101_01Soukourittou9101_02

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2015年10月25日 (日)

二十四節気「寒露」追加写真②

 先日の散歩写真の続きです。体調も良くないため、家の近所の田んぼが中心です。
 先ず、家の近所の文化パルク城陽です。桂の木の黄葉が始まり、すっかり秋色に覆われました。
Kanro20152101Kanro20152102Kanro20152103  

 

 

 

   花に蝶がきています。子どもたちがいます。少し傾きかけた陽ざしが、ほんのりと温かいです。こんな時はきっと、目には見えない誰かさんが小さい秋を捜しているのでしょうね。誰かさんは、遠い少年時代に小さい秋をみつけるのかも知れません。
Kanro20152201Kanro20152202Kanro20152203  

 

 

 

  ~♪ 武蔵野の 野少女どもの稲を刈る 鎌日に白し 唯稲を刈る ♪~
 これは、詩人の前田夕暮の見た稲刈り風景ですが、鎌が日に輝き、野少女(のおとめ)たちが黙々と稲を刈っています。昔は、若者たちも農業を担っていました。遙か昔の情景です。今は、老人ばかり、しかも機械ですね。
Kanro20152301Kanro20152301_02Kanro20152301_01  

 

 

 

   私が子どもの頃は、刈った稲は稲木に掛けられていましたが、今では珍しいですね。
 刈り取りの終わった田んぼには、藁の束が地蔵のように立ち並んでいます。
Kanro20152401Kanro20152401_01Kanro20152401_02  

 

 

 

   立ち並ぶ藁地蔵は、なぜか、いつも向こう向きに見えます。どこか悲しそうに見えるのは、私だけでしょうか。
  籾殻が山のように積まれています。近江富士とか、信濃富士とか、各地に富士がありますが、これは田んぼの籾富士です。籾摺り機のある小屋の側に、この籾山はあります。
Kanro20152501_03Kanro20152501Kanro20152501_01  

 

 

 

   ~♪犬蓼の くれなゐの茎はよわければ 不便に思ひ 踏みにけるかも♪~
  これは島木赤彦の歌ですが、赤まんまと呼ばれるこの花も、秋の畦道には必要な花ですね。弱々しく見えますが、踏まれても踏まれても、けっこう栄えています。赤まんまで、ままごと遊びをする子どもたちは、もはやいませんが・・・。
 休耕田にコスモスです。この花も、すっかり秋を代表する花になりました。コスモスには青い空が似合うと思うのですが、人により、場面によりいろんな感じ方があります。
  片山広子の歌です。秋の温かい陽ざしを感じる、のどかなコスモスです。
  ~♪ こすもすや 観音堂のぬれ縁に 足くづれたる 僧眠りゐぬ ♪~
  与謝野晶子の場合は、ちょっと雰囲気が違います。
  ~♪ こすもすよ 強く立てよと云ひに行く 女の子かな 秋雨の中♪~
この女の子は、与謝野晶子そのものでは、と思うとちょっと笑えます。
Kanro20152601_04Kanro20152601_02Kanro20152601_01  

 

 

 

   休耕田のコスモスの向こうに藁の束みえます。藁の束たちが、何かお喋りをしているようにも見えます。藁の蔭に、もう決して帰ることのない幼なじみが隠れているような気がしたりもします。秋の日だまりの幻覚ですね。
   北原白秋の歌です。
  ~♪ 秋の田の 稲の刈り穂の新藁の 積藁のかげに 誰か居るぞも ♪~
Kanro20152602Kanro20152701Kanro20152704  

 

 

 

   秋の野の花といえば、野菊ですね。野菊といえば、伊藤左千夫の「野菊の墓」ですね。私と同年代より上の人なら必ず知っています。ちょっと封建体制の臭いのするこの作品、今の若者には支持されないような気がします。
 伊藤左千夫の歌です。
   ~♪ 秋草の いづれはあれど露霜に 痩せし野菊の 花をあはれむ ♪~

 石川啄木の歌はどうでしょうか。これも、今の若者には支持されないですか? いや、案外そうでもないのかも。
   ~♪ ふためきて 君が跡追ひ野路走り 野菊がなかに 寝て空を見る ♪~
Kanro20152801_02Kanro20152801Kanro20152802  

 

 

 

   お別れは、夕日に輝くエノコログサ、フウセンカズラです。フウセンの中にはどんなものが入っているんでしょうね。 小さい秋? 想い出?・・・・  では。また。
Kanro20152901Kanro20152902Kanro20152901_01

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2015年10月20日 (火)

二十四節気「寒露」追加写真①

 体調不良のため、二十四節気「寒露」2015の写真はお休みしましたが、胆石の痛みが少し和らいだのをいいことに、無理をして、久々に散歩写真に出かけてきました。

 今の時期、木津川の土手では、秋の光の中でセイタカアワダチソウやオギが、風に揺れています。川の水が、キラキラと秋の光を反射しています。遠くには比叡や愛宕の山並みが青く見えています。
Kanro2015101Kanro2015102Kanro2015101_01  

 

 

 

   日が傾き始めると、エノコログサやオギが一斉に金色に輝き始めます。秋の夕暮れの始まりです。
Kanro2015202Kanro2015201_2Kanro2015203  

 

 

 

   夏の夕刻は、赤く燃え立つような夕雲に喜びを感じますが、秋の夕刻は、きらめく光に何故かはかなさを感じます。風に揺らぐオギやアシの演出によるのでしょうか。
Kanro2015301Kanro2015301_01Kanro2015302  

 

 

 

   日が沈むと、急に風の冷たさを感じます。ふと、虫の声にも気づきます。
Kanro2015401_02Kanro2015401Kanro2015401_01  

 

 

 

   土手を散歩する楽しみの一つは、「雲見」ですね。土手へ上がる坂道を行けば、頭上に大きく空が広がります。空には雲が浮かび、自分もまた雲のような存在であることを確信します。
Kanro2015501_02Kanro2015501Kanro2015503  

 

 

 

   「花見」や「月見」という言葉は一般的ですが、「雲見」という言葉は辞書にはありません。宮沢賢治の童話「蛙のゴム靴」に、「雲見」という言葉が使われています。おそらくこの言葉は、宮沢賢治の造語だと思います。
 「 蛙のゴム靴」
   ある夏の暮れ方、カン蛙ブン蛙ベン蛙の三疋は、カン蛙の家の前のつめくさの広場に座って、雲見といふことをやって居りました。・・・ それで日本人ならば、丁度花見とか月見とかいふ処ところを、蛙どもは雲見をやります。・・・・

 「土手の雲見」、いいですね~。夕日の時間が一番です。「中秋の雲見」です。
Kanro2015502_01Kanro2015501_01Kanro2015502  

 

 

 

   稲も金色に輝く穂を着けました。稲刈り前の写真です。稲刈り後の写真は、次回に。
Kanro2015702Kanro2015701_01Kanro2015701  

 

 

 

   お別れの三枚です。キンモクセイの咲く田んぼ。城陽ジャンクション工事の夕日。
   次回は、稲刈り、野の花です。     では。また。
Kanro2015801_01Kanro2015801Kanro2015802

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2015年10月10日 (土)

二十四節気「寒露」2015

 10月8日は、二十四節気の「寒露」でした。暦便覧には、「陰寒の気に合って、露むすび凝らんとすれば也」と説明されています。
 木々の葉は少しずつ色を変え、田んぼでは稲刈りが進み、畦道には野菊が咲き、秋はますます深まりを見せています。
  私はといえば、ここのところ体調不良と病院通いが続き、カメラを手にする機会がありません。五年間続いた二十四節気写真ですが、今回の二十四節気「寒露」は、お休みとさせていただきます。
  下に、過去の二十四節気「寒露」をリンクしておきます。5年間も続けてきたことにあらためて驚くと共に、あまり進歩のない写真にちょっと苦笑いです。 では。また。

    ★2010年の「寒露」へ → こちらから  

        ★2011年の「寒露」へ → こちらから

        ★2012年の「寒露」へ → こちらから

        ★2013年の「寒露」へ → こちらから

        ★2014年の「寒露」へ → こちらから

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2015年10月 4日 (日)

二十四節気「秋分」・追加

体調不良のため、ちょっと時期がずれましたが、「秋分」の追加です。
 秋分の頃といえば、彼岸花ですね。木津川の土手でも彼岸花が満開になりました。土手の斜面に、彼岸花が、はっとするような鮮やかな赤色を添えています。
 彼岸花はよく詩や歌謡曲に歌われていますね。
 浅川マキは、「♪港の彼岸花」で「・・・悲しい恋なら何の花 真っ赤な港の彼岸花」と歌っていました。
  山口百恵も、「♪曼珠沙華」で、「・・・マンジューシャカ 恋する女は / マンジューシャカ  罪作り / 白い花さえ 真紅に染める~」と歌っていましたね。
 燃え上がる女の情念を歌うには、炎のような彼岸花は最適ということのようです。
 土手の彼岸花は、女の赤く燃える情念というより、のんびり咲いているように、私には思えます。年取ったせいですかね・・・。
Higanbana101Higanbana101_01Higanbana102  

 

 

 

   ランニングをする父と娘。自転車で散歩する親子。榎に寄り添う彼岸花。彼岸花が、秋の風景を演出しています。
Higanbana202Higanbana203Higanbana201  

 

 

 

 

   中原中也の詩にも彼岸花が登場します。
   ~♪ 盲目の秋    中原中也
  ・・・・
風が立ち 浪が騒ぎ、
無限の前に腕を振る。
もう永遠に帰らないことを思って、
酷白な嘆息するのも 幾たびであろう・・・
私の青春はもはや堅い血管となり、
その中を曼珠沙華(ひがんばな)と夕陽とがゆきすぎる。
それは、しづかで、きらびやかで、なみなみとたたえ、
去りゆく女が 最後にくれる笑(えま)ひのように、
厳かで、ゆたかで、それでいて侘しく、
異様で、温かで、きらめいて胸に残る・・・
あぁ 胸に残る・・・
Higanbana301_01Higanbana302Higanbana303  

 

 

 

   金子みすずの詩にも彼岸花が登場します。
~♪ 曼珠沙華  金子みすず
秋のまつりは
となり村、
日傘のつづく
裏みちに、
地面(ヂベタ)のしたに
棲むひとが、
線香花火を
たきました。
 
あかい
あかい
曼珠沙華。

 地面の下に棲む人とは誰なのでしょうね。 亡くなった人? 寂しい心の人?
Higanbana402Higanbana401Higanbana403  

 

 

 

   北原白秋の歌にも「♪曼珠沙華(ひがんばな)」という歌があります。
  ~♪
曼珠沙華(ひがんばな)
GONSHAN. GONSHAN. 何處へゆく、
赤い、御墓の曼珠沙華(ひがんばな)、
曼珠沙華、
けふも手折りに來たわいな。
GONSHAN. GONSHAN. 何本か、
地には七本、血のやうに、
血のやうに、
ちやうど、あの兒の年の數。
  ・・・・・・♪

 「ごんしゃん」というのは、九州柳川方言で「良家の令嬢」のことだそうです。    不倫の子を産み落とし、気の触れたごんしゃんが、七歳になる子どものために彼岸花を摘みにきたのでしょうか? 堕胎した子の歳が七歳になるということなのでしょうか? ちょっと意味深な歌ですね。怖いような・・・。
 女の情念だの失恋だの、彼岸花は、なかなか深刻な意味を持った花のようですね。
 秋空に立ち上がる爽やかな彼岸花でお別れです。
Higanbana501Higanbana502Higanbana503


| | コメント (6) | トラックバック (0)

2015年9月24日 (木)

二十四節気「秋分」2015

   9月23日は、二十四節気の一つ「秋分」でした。暦便覧によれば、「陰陽の中分となれば也」です。秋彼岸の中日。昼と夜の長さがほぼ同じになる日です。
 この節気の七十二候は次の通りです。
★初候:9/23~:雷乃収声(雷乃ち声を収む) :夕立などの雷の発生が止む頃
★次候:9/28~:蟄虫坏戸(虫かくれて戸をふさぐ) :虫が冬ごもりに入る頃
★末候:10/3~:水始涸(水始めて涸る) :稲刈りのため田んぼの水を抜き取る頃
    10月8日が、次の節気「寒露」です。
 今年のシルバーウィークは、良い天気が続きました。実は、シルバーウィークの前半三日間、体調不良で寝たきり生活をしていて、撮影どころではありませんでした。それで、粗製濫造写真になり申し訳ないです。まあ、粗製濫造は、いつものことですけどね。

 では早速、秋の日の木津川土手を散歩しましょう。
  土手に向かう空き地の草むらに、ヒメムカシヨモギ、エノコログサ、野菊(ヨメナ)、ママコノシリヌグイなどが咲き乱れています。秋の草むらですね。
Shuubun101Shuubun102Shuubun103  

 

 

 

   私は草むらを見ると、詩人長田弘さんの「原っぱ」という詩を思い出します。
 ~♪ 原っぱにはなにもなかった。ブランコも遊動円木もなかった。
    ・・・・
    きみがはじめてトカゲを見たのは、原っぱの草むらだ。
    きみは原っぱで、自転車に乗ることをおぼえた。野球をおぼえた。
    ・・・・
    原っぱは、いまはもうなくなってしまった。
    原っぱにはなにもなかったのだ。けれども、
    誰のものでもなかったなにもない原っぱには、
    ほかのどこにもないものがあった。
    きみの自由が。  ♪~
 草むらを見つめていると、遠く過ぎ去った子供時代の記憶が思い出されます。今では、子供が自由に空想を広げられる原っぱと呼べるものは、見かけなくなりました。
 長田さんは、今年の5月に亡くなりましたね。残念です。
Shuubun203Shuubun201Shuubun201_01  

 

 

 

   田んぼでは、稲が黄色味を増し、実りの時期に入っています。早いところでは、もう稲刈りも始まりました。案山子も活躍中です。
Shuubun301Shuubun301_02Shuubun301_01  

 

 

 

   日が傾いてくると、すべてが黄金色に染まっていきます。秋の夕暮れですね。
Shuubun401Shuubun402Shuubun403  

 

 

 

   和泉式部が詠んだ歌です。
 ~♪ 秋吹くは いかなる色の風なれば 身にしむばかり あわれなるらん♪~
 和泉式部は、秋風の色は何色なのでしょうかと問いかけていますね。
 ある歌人は、秋の色は露草の青であると答えています。京友禅の下絵に使われる露草の青い染料は、水洗いすると、はかなくも跡形もなく消えていきます。秋風の残した寂しさのように・・・。
 私にとって秋の色と言えば、やはり透明に澄み切った秋空の青ですね。
Shuubun501Shuubun501_01Shuubun502  

 

 

 

   秋の色は、黄金色という人もたぶんいますね。実った稲は日を受けると黄金色に輝いて見えます。風に揺れながら夕日に光る様は美しいですね。
 河原に群生するエノコログサも、夕日で黄金色に輝きます。あなどれない美しさです。まさに、秋の色ですね。風が吹くと波のように揺れています。
Shuubun702Shuubun601Shuubun701_01  

 

 

 

   ネコジャラシなどと呼ばれ、軽い扱いのエノコログサですが、こんなに美しい輝きをみせる瞬間があるとは驚きですね。すべてのものに、輝く瞬間があるのかも知れません。
Shuubun801Shuubun801_01Shuubun802  

 

 

 

   巣作りに忙しいクモと夕日。セイバンモロコシと夕雲。ツルボと夕雲。
Shuubun901Shuubun901_01Shuubun902  

 

 

 

   お別れの三枚は、冬ネギを植え付ける老夫婦。犬を散歩させる人。正面の山は、京都市の最高峰、愛宕山。コスモスと青空。コスモスはこれ一枚です。時間不足でした。
 彼岸花は、次回に追加で特集します。   では。また。
Shuubun9101Shuubun9101_03Shuubun9101_01

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧