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2015年12月

2015年12月28日 (月)

定期診察の日(99)・外科最終診察

 今日は、【血液内科】の定期診察でした。
 血小板は51万で横ばいです。Hbが過去最低水準の8.6でした。道理で、駅の階段で息切れするわけです。かなりの貧血状態です。
 これは、耐えるしかないようです。薬の副作用らしいです。
 その他、γGTP、尿酸値などが大きく異常値でした。

 「胆石の次の課題は、脾臓の腫瘍ですか? 膵臓の腫瘍ですか?」の質問に、主治医はズバリ、「脾臓の腫瘍です。」という返事でした。脾臓を摘出するの一般的らしいです。近々、再度の検査を計画するということでした。膵臓の腫瘍の方は、まだ経過観察でよいそうです。
  ウーン! 胆石手術どころではない、次の危機が近づいているようですね。
 というわけで、アグリリン4cap/日、アマリール、ミカルディス、バイアスピリンの服用が続きます。

 【外科診察】
 今日は、胆石手術後の外科の診察もありました。術後の経過は問題も無く、順調ということでした。これが、外科での最後の診察になりました。
 「胆石に関するものは今回で終了です。次の課題は、脾臓の腫瘍ですね。方向が決まれば、いつでもやりますよ。」と言っておられました。
 ウーン!!  近々、またお世話になりそうな気配ですね。 では。また。

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2015年12月27日 (日)

胆石手術無事終了しました

 21日に入院し、22日に胆嚢摘出手術を受け。昨日、26日に退院することができました。6日間の病院生活でした。今日は、まだ傷口に痛みが少し残っているのと、活動すると貧血で目まいや疲労感が出てきます。というわけで、しばらくは散歩写真などには出ずに、家でおとなしく引きこもり生活をするつもりです。

  入院や手術についての感想などを少々書いてみます。
 朝早く、入院受付で入院手続きをする人の多さに、まずはビックリです。
 私は、20数年前に4ヶ月ほどの入院経験がありますが、その頃に比較すると、病院の体制も様変わりです。電子化がものすごく進んでいます。入院の時、パーコード付きのリストテープをはめられました。なにか商品にされた気分ですね。
 ナースステーションにもパソコンが並び、看護師さんたちがパソコンの前で作業されています。見回りに来る看護師さんも、ワゴンの上にパソコンを載せてやってきて、看護内容や体温などのデータは、電子化して共有されるような仕組みのようです。
  看護師さんの対応がにこやかで、丁寧なので驚きました。この病院だけなのでしょうか?対応がマニュアル化され、研修がゆき届いているからなのでしょうか?
  執刀医から手術内容についての説明がありましたが、過去に撮影した画像などをパソコンで見ながらの説明でした。情報の利用も効率的ですね。
  医療機器の進歩も凄いです。
 手術の次の日、まだ十分歩けない状態なのに、「今から腹のレントゲンを撮ります。」と言われました。一階のレントゲン室まで行くなどとても無茶だと思いましたが、超小型のレントゲンの方がベッドのところまでやって来ました。エコー検査も、パソコンに繋げる携帯型エコー装置で検査をしていただきました。驚きでした。

 全身麻酔を初めて体験しました。「今から、麻酔の点滴が入ります。」という声が聞こえました。それ以後の記憶は全くありません。
 麻酔が覚める瞬間は感動的でした。
 突然、全身に熱い液体が流れ込んでくるような感覚がして意識が戻りました。全身が熱く興奮状態になりました。その時の感覚は言葉では表せません。強いて言えば、「生きていることの喜び」といったものでしょうか。誰とでも握手がしたくなるような、すべてに感謝したくなるような、そんな感情が激しく湧き上がってきました。看護師さんの「手術は無事終わりました。ご苦労様。」という声も聞こえました。
 この世に生まれてくるすべての赤ちゃんも、言葉にはできない生命の興奮状態、喜びと感謝に満ちあふれた興奮状態でこの世に誕生してくるのではないか、生きていることそのものが喜びなのではないか、病室へ運ばれる途中、そんなことを考えていました。もしかして、いや、たぶん、生きていることの本質は「喜び」なのかも知れませんね。
 不思議な感動体験でした。
 病室に着いてからは、痰が絡んだ息苦しさと腹の痛みで、苦痛の連続でした。この場面は、「生きることは苦しみ」という感じでした。次の日も過酷でした。
 
 

 同室のちょっと変わった患者さんと看護師さんのやりとりの妙、手術を見学した研修医さんのズバリ解説など、書きたいことはいろいろありますが、これぐらいにしておきます。
      では。また。

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2015年12月20日 (日)

宇治田原町高尾の残り柿

先日、宇治田原町高尾に行ったときの残り柿の写真です。ブログの写真更新は、これが今年の最後になると思います。
 カキの量も少なく、ほんの短時間の撮影でしたが、この場所に来ないと、一年が終わらないという感じがします。

 高尾は、田原川が切り出したV字谷の斜面にあります。江戸時代、与謝蕪村も訪れたことがあるという歴史ある村です。曲がりくねった山道を進みます。村の入り口に、名水弘法の井戸があります。この井戸の少し下から見た二枚です。田原川の谷筋の先に、宇治川が見えています。その向こうは京都市内です。
 ここには、冬に咲く桜が咲いています。品種は分かりませんが、確かに桜です。
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   V字谷の対岸の山をバックに、残り柿を見ることができます。陽が差すと、逆光に照らされて葉を落とした枝が白く光っています。
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   高尾は、柿ばかりでなく、ススキが美しいことでも知られています。
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   この日は、小春日和で、うろこ雲の美しい日でした。早くに亡くなった幼なじみが、遠くで微笑んでいるような気がします。
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   村の一番高い場所です。京都市内や愛宕山を望むことができます。
今週は病院にいる予定です。では、みなさん、良いお年をお迎え下さい。
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2015年12月18日 (金)

二十四節気「大雪」2015追加

 先日の二十四節気「大雪」2015の追加写真です。家の近所から木津川土手までの、散歩しながら目に付いたものを紹介していきます。いつもの単なる散歩写真です。

 まず、近所にある文化パルク城陽(文化会館みたいなもの)です。ここの紅葉も最後をむかえています。イチョウはほとんど葉を落としました。コナラの葉がが茶色く紅葉しています。
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   灌木類もよく紅葉しています。二枚目の黄葉は、シロヤマブキといって、垣根などによく使われる木ですが、自生しているものは絶滅危惧種だそうです。
 水溜まりに落ち葉が沈んでいます。私なら、想い出や夢の断片、はかなさ、悲しみですが、夭逝の詩人、八木重吉にとってはちがいますね。ウーン、この違いはどこから?
  ~♪ 落ち葉   (八木重吉)
   葉が落ちて
   足元にころがっている
   すこしの力ものこしてもっていない
   すこしの厭味もない   ♪~
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   街路樹や庭木の葉も、最後をむかえています。冬芽がしっかり準備されていますね。
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   道ばたの草も、緑を失って枯れ草となり、後に残された種子は春を目指します。
  クロガネモチの実。冬を彩る赤い実ですね。
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   ウワーッ!! 巨大なネズミのような動物が、古川を泳いでいます。ヌートリアですね。丸々と太っています。
 ヌートリアは、戦前、軍隊の防寒服用として、フランスから輸入され、飼育が行われたそうです。「勝利」にかけて「沼狸」(しょうり)と呼ばれていたそうです。今は、侵略的外来生物に指定されています。人間の身勝手に振り回されていますね。
土手に上がると、紅葉はほぼ終わり。「最後の一葉」です。
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   河原は枯れたオギや葦の原っぱ。 流れ橋の修復工事が始まりました。
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   土手の欅も、葉を落として冬の姿になってきました。
 欅(ケヤキ)は、「けやけき木」が由来だそうです。「けやけき」は「きわだって目立。すばらしい。」という意味の古語です。清水の舞台の柱は、欅が使われているそうです。私は、冬の葉を落とした欅が好きです。枝が、大空をつかむように広がっています。
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   お別れは、木津川土手の大榎です。まだ、黄色い葉が少し残っています。散歩の二人が、なにやら大榎と語り合っています。心理学者のヴィゴーツキーは、「人間の高次心理機能は言語により媒介されている」ということを明らかにしましたが、大榎が語りかけてくる言語は、人間の使用する言語を遙かに超えているように思われます。人間は、言葉を使用するようになって、自然と対話するためのたくさんの能力を失ったと言われています。
 おまけの二枚は、土手下のアパート、第ニ名神城陽ジャンクション工事。
 これで、今年の二十四節気写真は終了です。
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2015年12月14日 (月)

定期診察の日(98)・眼科の診察

 今日は、KS病院に血液内科の定期診察と年一度の眼科の診察に行ってきました。偶然に日が重なりました
  さて、診察の結果です。
 【血液内科】
 ★血小板は54万/μl に減少しました。アグリリンによると思われる不整脈と心臓がドキドキする感じは続いています。アグリリンを飲んで3~4時間後に表れてきます。治まると普通の脈拍に戻ります。
 これからも、アグリリンは一日4カプセル/dayが続きます。
 ★ヘモグロビンは少し上昇して、Hb 9.2です。まだまだ貧血状態です。
 ★血糖値は食事後2時間値で150台前後です。HbA1cは、6.5に下がりました。引き続きアマリールを服用します。
  ★血圧は、ミカルディス(ARB系の降圧剤)、朝1錠の服用で、血圧70~120と、こちらの方も順調です。
 
   【眼科の診察】
  眼科は、糖尿病による目の異常がないかチェックするため、年一回の診察です。この眼科の診察が終わると、今年も一年がなんとか終わったな、という感慨のようなものが湧いてきて、ホッとします。ジブリの漫画に登場してきそうな、さわやかな女医さんだからという訳ではないですがね・・・。
  ★網膜に糖尿病によると思われる白い斑点が見られるので、引き続き血糖値の管理に励んで下さいということでした。その他の目の病気はないということでした。ただし、乱視がひどいです。
    来週は、胆石の手術です。   では。また。

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2015年12月11日 (金)

二十四節気「大雪」の頃・2015

 12月7日は、二十四節気「大雪」でした。体調が少し良くなってきたので、久しぶりに木津川土手方面に散歩に行くことができました。木津川土手方面の二十四節気「大雪」の風景を紹介してみます。

 「大雪」といえば本格的な冬の到来を告げる節気ですが、野を歩くと、ホトケノザ、ナズナ、スズメノテッポウなど、まだまだたくさんの花に出会うことができます。この花たちは、春の花なのに季節を間違えたのでしょうか?
 詩人の茨木のり子さんは、「見えない配達夫」という詩の中で、季節を運んでくるのは見えない配達夫だと言っています。その中には、間抜けな配達夫がいるそうです。
  ~♪ 見えない配達夫   茨木のり子
   ・・・・・・
地の下には少しまぬけな配達夫がいて
帽子をあみだにペダルをふんでいるのだろう
かれらは伝える 根から根へ
逝きやすい季節のこころを

世界中の桃の木に 世界中のレモンの木に
すべての植物たちのもとへ
どっさりの手紙 どっさりの指令
かれらもまごつく とりわけ春と秋には
  ・・・・・・
秋のしだいに深まってゆく朝
いちぢくをもいでいると
古参の配達夫に叱られている
へまなアルバイト達の気配があった
    ・・・・・・            ♪~
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   土手の上では、冬日を受けてブタナが咲いています。おまけに蝶まできています。これもへまな配達夫のしわざなのでしょうね。
 いちじくは、枝の下の方から実っていきます。季節の変化に乗り遅れた実は、枝の先の方に取り残され、握り拳のように空に向かって突き上げられています。夕日と野焼きの煙がもの悲しいですね。これも見えない配達夫からの贈り物でしょう。
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   田んぼや土手にも、どんどん冬の手紙が届けられているようです。
 二枚目の写真は、田んぼ一面のクモの糸です。今の時期だけに見られる田んぼの風物詩、蜘蛛のバルーニングです。生まれた子蜘蛛たちは糸を吐き、風に乗り一斉に空へと旅だち、新天地を目指すのです。子蜘蛛たちは、春の手紙を無事に受け取れるのでしょうか。
 三枚目は、夕日の逆光に輝くアメリカセンダングサの種子です。来春の芽生えを待ちます。ひっつき虫の一種で、服に着くと大変です。生き物たちも冬支度ですね。
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   見えない配達夫から冬の知らせを受けて、正月用のクワイを収穫する人。冬ネギを収穫する人。枯れ草を焼く人。忙しそうですね。
 茨木のり子さんの詩の続きです。
 ~♪・・・・・・
地の上にも国籍不明の郵便局があって
見えない配達夫がとても律儀に走っている
彼らは伝える ひとびとへ
逝きやすい時代のこころを

世界中の窓々に 世界中の扉々に
すべての民族の朝と夜とに
どっさりの暗示 どっさりの警告
かれららもまごつく 大戦の後や荒廃の地では
  ・・・・・・

 見えない配達夫が、全世界に平和の手紙を届けられるのはいつの日でしょうか。
 近々、見えない配達夫から、私のもとへ届けられるかもしれない手紙は、三途の川を渡る格安チケット?、それとも地獄への無料招待券? ちょっとお断りしたいですね。
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   今の時期、木津川土手の主役は、枯れたオギや葦です。
 土手を焼く煙が、時間の経過と同じ早さで流れていくように感じられます。
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   夕日の時間帯になると、夕日が赤く照らし冬の土手を演出します。冷たい風は、やがて来る厳しい冬を予感させます。
  ~♪芒の穂 白き水噴くと見るまでに 夕日に光り 並びたるかも♪~ (島木赤彦)
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   今の時期、夕陽の中で毎日のように繰り返されるのがムクドリの乱舞です。ムクドリたちは、やがて河原の竹藪の中に吸い込まれてゆきます。竹藪のなかで良い夢を見るのでしょうね。
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   7日の「大雪」の日は、良く晴れて土手の上に青空が大きく広がり、気持ちのいい一日でした。日が傾いてくると、すべてが金色に輝き始めます。
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   夕日が沈みます。夕日が沈んだ後は、素晴らしい夕焼けになりました。高校の陸上部の皆さんが走り抜けていきました。  では。また。
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2015年12月 7日 (月)

物干し台読書

Soukourittou91501  最近、晴れた日はいつも物干し台に出て読書をしています。今日もよい天気でした。背中に太陽を受けると、温かくて気持ちがいいです。本を読むのに疲れると、ぼんやりと青い空を見上げたりしています。

 青い空を見上げると白い雲が流れてゆきます。遠くの方で、犬の吠え声が聞こえます。石油販売車の流す歌がが聞こえたりします。鳥のさえずりも聞こえます。道で人が立ち話をする声が聞こえます。生き物たちの声や雑然とした生活の響きにつつまれていると、以前どこかで経験したことがあるような、言葉にはできない不思議な感覚に囚われます。今ここに生きていることの幸福感や、自分はどこから来て、なぜここにいるのかという孤独感・漂泊感・挫折感のようなものが、混然と一体となった不思議な感覚です。

 この不思議な感覚の底の方には、高校生の頃愛読していたヘルマン・ヘッセの「郷愁」があるような気がします。
 「郷愁」は、自然を友として成長した主人公ペーターが、故郷を離れ人生の旅に出ます。恋や様々な経験を積み重ねますが、やがて挫折し故郷に帰ります。そして、故郷でのささやかな生活の中で再び自分を発見する、というような物語です。私と同世代以上の人にとっては、「車輪の下」とともに、よく読まれた作品だと思います。
 青春時代、故郷の屋根裏部屋で読書の喜びに目覚めたペーターが抱いた感慨が書かれた「郷愁」の一節を書き出してみます。
 ♪・・・・狭い明かり取りの窓から頭を突き出すと、屋根や狭い小路に太陽の照るのが見え、仕事や日常生活のささやかなざわめきが雑然とのぼって来るのが異様に聞こえ、偉大な精神に満たされた屋根裏べやの孤独と神秘が、ことのほか美しいおとぎ話のように私を取り巻くのが感じられた。・・・・♪
 また、次のような一節もあります。
 ♪ おお、雲よ、美しい、ただよう、休むことのないものよ! 私は、無知な子どもだったが、雲を愛し、見つめた。そして自分も雲として・・・さすらいながら、どこにいっても親しまず、時間と永遠の間をただよいながら、人生を渡っていくだろう・・・♪

  この不思議な感覚の底には、ヴェルレエーヌの詩も深く沈殿しているように思います。ヴェルレエーヌの詩は、20代の頃よく読んでいました。
 永井荷風訳の「偶成」を書き出してみます。
   ~♪ 偶成   (ヴェルレエーヌ)
空は屋根のかなたに
  かくも静にかくも青し。
樹は屋根のかなたに
  青き葉をゆする。

打仰ぐ空高く御寺の鐘は
  やはらかに鳴る。
打仰ぐ樹の上に鳥は
  かなしく歌ふ。

あゝ神よ。質朴なる人生は
  かしこなりけり。
かの平和なる物のひゞきは
  街より来る。

君、過ぎし日に何をかなせし。
  君今こゝに唯だ嘆く。
語れや、君、そもそもわかき折
  なにをかなせし。

 孤独感。漂泊感。青い空を流れる雲への憧れ。ささやかな希望。不安。ほんの少しの達成感。そして、挫折。そんな感情を一杯に抱きながら過ごした青春時代。そんな時代が私にも確かにあったのです。ぼんやりと青い空を見るとき、心の奥底に堆積していたその時代の感覚が、時として懐かしいような、不思議な感覚として湧き上がってくるのだと思います。
 ゆったりと流れる時間の中で、青い空と白い雲をぼんやり見ることは、自分の心の奥底に堆積していた過去と、無言の言葉で対話する方法なのかも知れません。
 決して言葉では語ることのできない様々な感情や想い出の断片。他人からは知られることなく、心の奥底に沈殿した無言の堆積物。おそらく人生と呼ばれるものは、これらの堆積物の集合に他ならないのではないか、そんな気がしてきます。

 ヘルマン・ヘッセの「郷愁」、「車輪の下」。
 「ヴェルレーヌ詩集」。     お薦めします。

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2015年12月 2日 (水)

麻酔科と外科の診察

 今日は、麻酔科と外科の診察に行ってきました。
 麻酔科では、麻酔の概要について説明があり、麻酔の同意書を作成しました。
 外科では、手術の概要について説明があり、何通かの用紙にサインしました。
 手術の日は、今月の下旬に決まりました。入院時の注意なども聞きました。
 入院受付で入院に必要な用紙一式を受け取りました。
 入院までにまだ日にちがあるので、痛みが再発したりしないか、少々心配です。
  というわけで、手術に向けての準備はほぼ終わりました。

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