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2015年3月29日 (日)

朝井リョウ著「桐島、部活やめるってよ」

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    朝井リョウ著「桐島、部活やめるってよ」を読みました。拙い感想を書かせていただきます。著者の朝井リョウ氏は、この作品で「すばる新人賞」を授賞して文壇にデビューし、「何者」で直木賞を受賞された方です。平成生まれでは、初の直木賞授賞だそうです。
 文学に詳しい知り合いが、朝井リョウは50年後も読まれているに違いないと言っていました。騙されたつもりで読んでみました。小説は苦手なのですが・・・。

 では、読んでいない人のために内容を簡単に説明します。
 作品の舞台は、文武両道を掲げる進学校です。表題となっている「桐島」は、バレー部のキャプテン、成績も優秀で、校内一の美人と交際しています。
 閉じられた高校生の世界は、ゆるやかな階層構造を持っていて、勉強やスポーツもでき、オシャレで異性とも上手につきあえる上位層と、地味でダサイ下位層とに、大きく別れているといえます。著者は、その前提に立って高校生活を描いていきます。つまり、「桐島」は上位層の最高点に位置し、みんなの憧れであり、目標でもあり、最高の価値を体現した存在なのです。
 この「桐島」が、突然理由も告げず部活を辞めてしまったのです。最高の価値の喪失という事態は、周囲の生徒に波紋を広げていきます。高校生活を形作っていた階層構造が、大きく揺らいでいくわけです。
 この小説は、ここから始まります。作中に桐島はほとんど登場しません。「桐島」という高校生活の最高の価値が失われ、階層構造が揺らぎ始めたた中で、高校生たちは何を目指し、どのように生きようとしたのでしょうか。五人の生徒について、オムニバス形式で、それぞれの生き方が一人称で語られます。
  【小泉風助】
  風助は、バレー部で桐島と同じリベロ。桐島の陰で万年補欠。桐島の退部により、レギュラーになれたことを複雑な気持ちを抱えつつも喜びます。しかし、桐島と同じポジションに就いた重圧のなかで、なぜ桐島は試合の合間に、いつも自分に意見を求めていたのか、桐島の本当の苦しい気持ちがわかり始めます。そして、かけがえのない自分自身に気づいていきます。風助は、桐島が帰ってくるまで、必死にボールを繋ぎ続けようと部活に向かい合うのです・・・。
 【沢島亜矢】
 亜矢はブラスバンド部の部長。桐島と同じグループの竜汰に密かに思いをよせています。竜汰たちは、桐島の部活が終わるのを待ちながらバスケットボールをしています。それをいつも遠くから見ながら亜矢は楽器の練習を続けていたのです。桐島が部活をやめたことでそのことも途絶えてしまいます。竜汰たちと楽しそうにふざけ合うことができる友達の志乃にちょっと嫉妬心を抱く亜矢。練習をカラオケボックスでするという、ささやかな冒険を企てた亜矢。揺れ動きながらも、コンクールを目指して、けなげに部活と向き合う亜矢の心が描かれます。
 【前田涼也】 
  涼也はオタククラブの映画部。何をやってもサマにならない、地味でダサイ下位層に位置します。 高校生映画コンクールに出品した『陽炎~いつまでも君を待つ~』が審査員特別賞を受賞し全校の前で表彰されますが、怪しいタイトル、様にならない雰囲気に、かすかな失笑が起こります。涼也は、自虐的になりつつも、好きな映画に真っ直ぐに取り組みます。同じクラスでバトミントン部のかすみという女の子に恋をし、部活を舞台とした新作に、かすみの映像を入れることに密かな喜びを見出します。
 【宮部実果】
 実果はソフトボール部。バレー部の新キャプテンの孝介と交際中。友人の梨紗は桐島の恋人。つまり実果は最上位の階層の一員です。実果の両親は再婚で、実果は父の連れ子、母の連れ子には、二歳年上のカオリがいました。カオリは、成績も部活にも優秀でしたが、受験の日の朝、父と共に交通事故死します。それ以来、母は精神的におかしくなり、実果をカオリとして認識するようになってしまいます。実果は、この母のために偽りの自分を演じきろうと決意し、ソフトボール部で活躍していたカオリと同じように、自分も頑張ろうと部活に向き合うのです・・・。
 【菊池宏樹】
 宏樹は野球部。桐島とは友人で最上位層に属します。沙奈という可愛い子と付き合っています。成績も優秀。野球の能力も素晴らしいものを持っています。しかし、別にプロになるわけでもないと、部活はさぼりがち。進路は、東京のそこそこの私学に受かれば十分と考えています。
 しかし、必死に映画作りに励んでいる涼也たちを見て、彼らが光を放っているように感じます。そして、本気でやっても何も出来ない、本当の自分を知ることを怖れ、サボることで自分をごまかしていたことに気づくのです。
 ラストシーン。宏樹は、ゆっくりと校門とは反対の方向へ歩き出すのです。

 自分を再発見した風助。片思いで小さな冒険を試みる亜矢。好きな事に夢中になっている涼也。親の期待に沿うために偽りの自分を演じる実果。能力がありながらも適当に日々を過ごす宏樹。涼也と宏樹の対比も効果的です。五人五様の生き方それぞれに共感するものがあります。現代の高校生の断面が、よく描かれていると思います
 閉塞感に満ちた競争社会、人々が勝ち組と負け組に階層分化されていく現代の社会。その中を生きる私たちにとって、経済的高収入や社会的地位などの勝ち組的価値から、どのようにして脱出するのか、ほんの少し考えさせられました。

  今度、知り合いに話が聞けたら、50年後も読まれていると思う根拠を詳しく聞いておきます。私は、五十年後も読まれているとは、到底思えないです。選挙権が十八歳に引き下げられましたが、ここに描かれた生徒たちが、一、二年後に選挙権を行使するかと思うと、ちょっと物足りない気がします。性の問題、貧困の問題、平和の問題。私は、社会的正義感に溢れ、苦悩する高校生を希望します。 無理ですか。
      では。 また。

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コメント

墓石さん こんばんは。(*^_^*)

なかなか面白そうな本ですね。50年後も?
どの社会も負け組、勝組があるのでしょうね。
しかし幸福とは違いますよね。

私は女子校でしたが、男女ではないけど、華やかな
金持ちで御嬢さん。文武優れた方で目立つ人はあり
ました。また目立たないダサイ人も。また普通の
真面目な大人しい人も。

いま会えば、逆転かも!?面白いものですね。

私はダサイけど、懸命な人に興味ありますね。
また貧困や社会的正義感も入れて欲しく思います。

投稿: 輝子 | 2015年3月30日 (月) 17時16分

輝子さん、こんばんは。

自分の高校生活を思い出してみると、やっぱり受験と言うことが
最大の問題でした。やっぱり、時代の反映でしょうね。

小説の感想などを書いているうちに、すっかり春になりました。
今日、木津川土手に行ったら、もう桜が咲いていました。
今週中に満開になりますね。

投稿: 墓石 | 2015年3月30日 (月) 20時07分

墓石さま こんにちは。
いよいよ本格的に春ですねcherryblossom

いろんなジャンルの本を読んでご紹介してくださるので「ほお~へ~」って勉強になります。(難しいのもありますが…)
今回の作品は、のほほんとした女子高で青春時代を送った私にはよくわかりませんが、「進学校」っていう設定そのものが社会の価値観のアンチテーゼを提供しているのでしょうか?
50年たってみないとわからないかもしれませんね。

30年ほど前(年バレる!)、不登校の子どもたちと生活を共にする「フリースクール」で働いていたことがあります。それぞれの個性に驚きの連続でしたが、楽しい出会いでした。でも、貧乏な家の子はそういうところにも来れませんでした。

いずれにしても若者よ、生きにくい時代だけど頑張って!と応援したくなりました。ありがとうございます。

投稿: ひかる | 2015年3月31日 (火) 13時26分

ひかるさん、こんにちは。

今、山の上に散歩に行っていました。山の上と言っても、20分ほどで行けます。
桜や三つ葉ツツジが咲いて、春本番です。汗が出ています。

私の拙い読書感想文のようなものを読んでいただきありがとうございます。
中学生の時、国語の時間に粗筋を書かされました。その粗筋が批判されました。
教師曰く、「粗筋を読めば、その作品をどう読んだかが一目で分かる。」
なるほど。納得です。それ以来、粗筋=感想という考えに立っています。
この小説、粗筋書きに苦労しました。ものすごく・・。

歳はバレませんよ。50代以上ということしか。happy01
フリースクールは良い経験になったことと思います。

投稿: 墓石 | 2015年3月31日 (火) 16時26分

社会的正義感に溢れた若者ですか、そう願いたいのは同感です。一番身近に感じるのは、公共交通機関のマナー?というか、弱者・年寄りに対する心使いです。

最近の若者・学生は席を譲りません。5年前までマイカー移動で、解りませんでしたが、いつの頃からだろう。学校は学問だけ教えればいいのか、そうではないだろう。

昔は年寄りが立って、若者が座ってたら恥ずかしくて仕方なかった。原因はなんだろう?「自己責任」の影響なら、ここにもアメリカ新自由主義の悪影響が浸透している。

話は変わりますが、値上げラッシュの今朝のニュース、これでは我々貧乏人は、早く死ね?。安倍は弱者にとって最大の敵?歴代自民党の中で、これほど弱者イジメをした宰相はいなかった。あ~1人いた、「貧乏人は麦を食え」といった。

投稿: たそがれ裕次郎 | 2015年4月 1日 (水) 07時31分

たそがれさん、こんにちは。

私は、電車で席を譲られた経験は無いです。
だんだんと、その時が近づいてきているようには思いますが・・・。
席を譲ることはよくあります。席を譲るのは大変難しいですね。
自然な流れを作ることが必要です。唐突にではなく、何か自然さが・・。
最近気づきましたが、それは「対話」ですね。
席を譲ろうとする相手との気楽な対話のようなものです。
現代の社会では、顧客や上司とのコミュニケーション能力が強調されますが、
何か自然な人間的関係ができにくい社会になっているようです。

投稿: 墓石 | 2015年4月 1日 (水) 13時28分

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