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2014年3月

2014年3月31日 (月)

霧の高尾梅林

 宇治田原町高尾梅林の写真パート2です。霧の日の梅林です。高尾は、田原川の切り出したV字谷の上にあるため、よく霧が発生します。晴れた日も良いですが、雨の降る、霧の立ちこめるときもなかなかのものです。

 前回の晴れた日と同じ順に紹介していきます。
 1枚目、バスの転回場から宇治方面を見た写真です。村の中。村のはずれ。
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   梅林に入ります。2枚目、大きな柿の木。正面は、宇治の山々。
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   宇治の山々をバックに、白梅、紅梅。
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   2枚目から、サンシュユの木の見える場所です。
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   霧がどんどん濃くなってきました。山が見えなくなると、ちょっと場面に困りますね。
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   一番高い位置まで移動しましたが、ここも霧が濃すぎますね。いろいろ試してみましたが、失敗が多かったです。体も冷えてきました。   では、今日はこの辺で。
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2014年3月28日 (金)

宇治田原町高尾梅林撮影

 先日の良い天気の日に、いつも行っている、宇治田原町の高尾というところに、梅の写真を撮りに出かけてきました。昨年も梅の記事を載せました。同じような写真になりますが、紹介します。
 宇治田原町高尾は、たいへん古い歴史をもったところです。宇治川の支流、田原川が削り出したV字谷の上にあります。名水「弘法の井戸」には、水汲みの人が絶えません。大阪ナンバーの車も見かけます。
 近江湖南で勢力を誇った佐々木義賢(六角承禎)が、織田信長に破れ、高尾に家臣と共に逃れてきたといいます。住人の方は、その子孫であるといわれています。現在も「縁たたき」や「お弓」といった独特の風習を伝えています。
 以前、犬を散歩させていた老人(Nさん)から聞いた話によると、この地は昔、久世郡に所属していたとか。宇治川の宵待橋に下る道があり、この道で宇治小学校に通学していたそうです。この道を途中まで登ったことがありますが、急で大変な道です。昔は、村全体が高い生け垣で囲まれており、人や獣の侵入を防いでいたそうです。毎年、村人総出で修復が行われていたそうです。また、正月の遊びは、百人一首だっとも聞きました。最近、Nさんを見かけなくなりましたが、健康上の問題でも・・・。
 高尾は、与謝蕪村も訪れています。天明3年、68歳の蕪村は、この地の門人に招かれ、松茸狩りに興じ、その時の様子を「宇治行」に書き留めました。「鮎落ちて いよいよ高き 尾上かな」という句も残されているそうです。
 白洲正子さんもこの地を訪れ、その時のことを著書、「隠れ里」の「田原道」という章に書いています。

  車を村の中のバスを転回させる広場の端に止めました。この場所から、宇治方面を見たのが1枚目の写真です。村の人の話によると、この土地は、某鉄工所が買って放置させているということです。ここから歩いて村の中を登ります。少し登ると、宇治市や京都市内を望むことが出来ます。
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   村の中の写真です。車の通る道の下に、梅林があります。
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   道から梅林へ入ります。梅林は急斜面になっています。滑りそう。
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   梅林の奥に、大きなさんしゅゆの木があります。
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   梅林の中を移動しながらアングルを捜します。
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   斜面に水仙が植えられていますが、今日は梅に集中しますね。
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   車へ戻り、さらに車で上へ登り、村を見下ろせる場所にでました。
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   次の1枚目の写真が、見晴らしのきく最上部からの眺望です。遠く京都市内が見えています。
 少し遅めに出てきたので、もう夕日の時間です。空が赤味を帯びてきました。
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   お別れは夕日です。ストロボを使いましたが、難しいですね。
 次回は、霧の高尾をお届けします。  では。また。
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2014年3月25日 (火)

松竹伸幸著「集団的自衛権の深層」感想

 松竹伸幸著「集団的自衛権の深層」(平凡社新書)を読みました。お薦めの感想を書かせていただきます。松竹氏は、ジャーナリスト、日本平和学会会員です。
Photo  集団的自衛権行使の問題で、世間がうるさくなってきています。4月には、安倍首相が設置した「安保法政懇」の報告を受け、集団的自衛権行使の閣議決定を行おうとしています。こんな折、「集団的自衛権」とは何かを知りたい人には、本書をお薦めします。
 「集団的自衛権は、国連憲章51条に定められた、すべての国家が持つ固有の権利であり、集団的自衛権を行使するのが普通の国である。日本は憲法の制約によりこの権利を行使できない。」という理解をしていていませんか? そんな理解をしている人には、この本は特にお薦めです。また、「集団的自衛権行使に賛成すべきか、反対すべきか」を悩んでいる人にもお薦めです。この問題は、賛成か反対かを多数決で決めるような問題ではないのです。この本を読めば納得出来ます。

 では、本書の一部を超簡単にまとめてみます。失礼なことですが・・。
 まず、著者は、「集団的自衛権」と「集団安全保障」という二つの言葉を混同しないようにと述べています。
 国連憲章2条4項は、すべての加盟国の武力の行使を禁止しています。もし、違反して侵略行為をする国が出てくれば、安全保障理事会の決議により、この国に様々な制裁を加えることが出来るのです。これが「集団安全保障」なのです。
 憲章全文はこちら→http://www.ne.jp/asahi/nozaki/peace/data/data_un_all.html 
 では、集団的自衛権とは何でしょうか? ソ連とアメリカが対立していた冷戦時代、双方の拒否権により、安全保障理事会は機能不全に陥り、その妥協の産物として、憲章51条が追加されました。侵略があった時、国連が乗り出してくるまでの間、集団的自衛権を認めようということが、憲章51条で決められたのです。
 しかし、この51条の集団的自衛権の運用の結果、価値観の同じ国が集まって、価値観の違う国に対抗することが進みました。NATOやワルシャワ条約機構などの軍事同盟の対立です。つまり、集団的自衛権とは、軍事同盟を結ぶ権利の意味になったのです。これは国連憲章の根本精神に反する事態です。冷戦の対立が、国連に大きな矛盾を持ち込んできたのです。

 冷戦下で、ソ連、アメリカ、イギリス、フランスの4大国は、集団的自衛権の行使を口実に、世界で紛争を繰り返してきました。
 ★ソ連=ハンガリー介入(1956)、チェコスロバキア侵略(1968)、
    アフガニスタン介入(1980)。
 ★アメリカ=レバノン・ヨルダン介入(1958)、ベトナム侵略(1966)、
    グレナダ介入(1983)、ニカラグア介入(1984)。
 ★イギリス=レバノン・ヨルダン介入(1958)、イエメン介入(1964)。
 ★フランス=チャド介入(1986)  
 以上の例から分かるように、集団自衛権を実際に行使したのは、4つの大国しかないということです。大国のやり方に批判を強め、自主的な国作りをしようとする国が現れたとき、それを大国が、集団的自衛権を口実に介入して、押しつぶしたというのが実態なのです。
 集団的自衛権は、「自衛」とは何の関係もなく濫用され、国際法に対する重大な違反行為を生み出したのです。したがって、集団的自衛権の行使に賛成するとか反対するとかという議論は、議論をしている立場そのものが狂っているのです。強盗に入るべきか入らざるべきかを議論しているのと同じです。

 冷戦終了後、集団的自衛権の行使ではなく、安全保障理事会の主導による紛争処理の動きが強まりました。イラクのクェート侵攻に対して、安全保障理事会の決議に基づく多国籍軍が大きな役割を果たし、イラクを撤退へ追い込みました。
 90年代には、多くの紛争が発生しました。カンボジア、東チモール、ハイチ、ユーゴスラビア、グルジア、ソマリア、ルワンダなどです。国連は、集団的自衛権の行使を容認する形ではなく、直接に介入する方向で努力をしました。結果は必ずしも成功と言えないまでも、乱用されやすい集団的自衛権ではなく、国連の枠組みで対処しようという動きが強まっているのは確かです。
 集団的自衛権にこだわるアメリカが主導し、集団的自衛権の行使により行われた「対テロ・アフガン戦争」では、イスラム世界と西側世界の亀裂が深まり、世界はより危険になったと言えます。
  冷戦時代に国連に持ち込まれた矛盾である集団的自衛権の濫用を押さえるのが、国際政治の流れといえます。

 超要約すれば、以上のようにまとめられるかと思います。国際法学会や国際司法裁判所の流れについても書かれていますが、長くなりますので省略します。ちょっとまとめ過ぎかもかも知れませんね・・・。

 現在、安倍政権により進められようとしている集団的自衛権の行使は、アメリカとの軍事同盟に他なりません。アメリカの進める戦争に付き従い、戦争できる国になるということです。
 2013年4月の国会で、安倍首相は、「侵略の定義は、学界的にも国際的にも定まっていない。国と国との関係でどちらから見るかで違う。」と述べ、日本の過去の侵略戦争を肯定しようとしました。こんな人物に、世界の平和やアジアの平和を語る資格はありません。     この本、お薦めします。

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2014年3月21日 (金)

二十四節気「春分」2014

 3月21日は、二十四節気の一つ「春分」でした。江戸時代の暦便覧によれば、『日天の中を行て昼夜等分の時也』です。昼夜の長さがほぼ同じ頃です。この日をはさんで前後7日間を彼岸といいます。つまり、彼岸の中日です。暑さ寒さも彼岸までという言葉があり、しだいに温かくなっていきますが、花冷えや寒の戻りがあり、温かさと寒さが交互にやって来ます。いわゆる、三寒四温という天気変化ですね。
  七十二候は、次の通りです。
 初候:3月21日~  「雀始めて巣くう」  雀が巣を作り始める頃です
 次候:3月26日~  「桜始めて開く」    桜の花が咲き始めます
 末候:3月31日~  「雷乃ち声を発す」  雷が鳴り春の恵みの雨が降る頃です
              4月5日が次の節気「清明」です。
  「二十四節気写真」の記事も、ついに5年目に突入しました。暦便覧と七十二候から書き始める書き方も、これで1年が経ちました。進歩がないですね。もう少し工夫が求められます。写真も同じような写真ですし・・・。家の近所を散歩して撮っているだけなので、元々そんなに多様な被写体があるわけではないですね。まあ、いろいろ考えてはいるんですけどね・・・・。
 しかも、今年は異常気象でちょっと調子が狂いますね。今日も、春分だというのに、霰が降りました。バラバラという音に驚きました。

 では、春の今の時期に最もふさわしい写真から。1枚目、ただのペンペン草です。畦道に白い花を付けています。開発が進み、近くまで鉄筋の建物が迫ってきています。散歩の老人の影が見えています。農業の危機。高齢化社会。畦道にしゃがみ、ペンペン草と向き合っていると、私は、昔、ペンペン草だったのではないかと思えてきます。 
 ここで一首。大愚良寛です。
 ~♪ もの思ひ すべなき時はうちいでて 古野に生ふる なづなをぞ摘む ♪~
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   田んぼの水路には、タンポポ、オオイヌノフグリやホトケノザが咲き乱れています。水路の水は、ゆっくりと流れていきます。空高く、雲雀の声が聞こえています。水路でメダカやドジョウを捕って遊んだのは、遙か昔のことです。
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   木津川の土手では、至る処梅の花が満開です。1枚目は、長谷川河口の大榎の近くの梅です。トンネル構図で、大榎を入れました。
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   梅の木の間から、農作業をしているのが見えます。なんの作業なのか分かりませんが、春の作業が始まっているという雰囲気です。
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   「歩こう会」の小旗を掲げて行進(?)する人たちを見かけました。賑やかで、歩こう会というより、喋ろう会という感じでした。最近は健康志向なので、これは健康にはいいと思います。
 古川沿いのヤナギもずいぶんと緑が濃くなって来ました。
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   私の近所にある文化パルク城陽にも梅が咲いています。晴れた日は、のんびりとして良いですね。
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  梅と言えば、城陽市の東の山の手、鴻ノ巣山公園にも梅の木があります。大きくて、桜の木と見間違いそうです。
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   鴻ノ巣公園は、子供を遊ばすには最高です。巨大滑り台もあるし、駐車場も2時間まで無料です。その割に、人が少ないですね。
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   鴻ノ巣山では、サンシュユの花が咲きました。梅の木は雪でかなりダメージを受けました。モクレンも、もうしばらくで開花のようですね。
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   では、お別れは、その他の気になる写真です。
 近鉄富野鉄橋の夕日です。前節の写真よりも太陽の位置が右へ寄ってきています。竹藪に隠れてしまいそうです。ここでの写真も今節が最後です。
 最後は、先日行われた城陽マラソンです。   では、また。
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2014年3月18日 (火)

青谷梅林撮影

 昨日、17日は、大変良い天気に恵まれました。近所の青谷梅林に自転車で撮影に行ってきました。

 青谷地区とは、城陽市の南東部にあたり、木津川の支流、青谷川と長谷川に挟まれた地区です。この地区の丘陵地帯には古くから梅林があり、その歴史は少なくとも鎌倉時代にさかのぼります。後醍醐天皇の皇子である宗良(むねなが)親王の歌に、「風かよふ 綴喜の里の 梅が香を 空にへだつる 中垣ぞなし」と詠まれています。おそらくは平安の昔から梅林があったと思われます。奈良と京都を結ぶ奈良街道の古道が、この梅林の傍を通っています。奈良と京都の中間点に位置し、ちょうど両方から五里の距離にあるため、「五里五里の里」と呼ばれていました。東へ進む道は田原道と呼ばれ、宇治田原へと繋がる古道がありました。この地は、交通の要衝だったようです。
 「青谷村誌」によれば、明治時代に「青谷梅林保勝会」が設立され、遊覧客を集める努力がされていたようです。大正時代には、梅の開花時期に合わせて、「青谷梅林仮停車場」が開設されました。これが、今の「山城青谷駅」です。
 一枚目の写真は、青谷駅の前に掲げられた上田三四二の歌碑です。上田三四二は、青谷の国立療養所の医師として勤務していました。この地で、医学から文学への道を歩み始めたようです。

 現在、観光梅林として公開されているのは「中梅林」です。梅林の魅力は、丘陵全体を覆い尽くす梅の花ですが、残念ながら「中梅林」のすぐ近くまで山砂利採取場が迫り、梅林全体を俯瞰できる場所が無くなってきているように思います。出来る限り俯瞰できる場所を求めて歩きましたが、中天満宮のすぐ近くのこの場所がやはり最高のようです。(写真2,3枚目)
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   この場所では、遠くに山城大橋と木津川の土手が見え、その向こうに夕日が沈むのを見ることが出来ます。夕日の頃がお薦めですね。
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   梅林の中は、特別の時間が流れているように思えます。のんびりと過ごすのが最高だと思います。
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   梅林の中を歩きまわり、気になる場所を見つけるとシャッターを切ります。めぼしい被写体は無いかと、落ち着き無く歩き回っている自分に、時々可笑しくなったりします。
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   梅林の中には、所々に竹藪があります。竹と梅の組み合わせはできないものかと、以前から考えています。なにしろ松竹梅と言いますからね。しかし、竹藪が荒れているので、なかなかうまい場所は見つかりません。
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   青谷梅林は、青谷川の南側にも広がっています。市辺梅林です。この方面にも行ってみましたが、工場用地の造成が進んでいて、梅林だった所に大きな道路が出来ているのには、驚きました。久しく訪れていない間に、ずいぶんと変わったものです。一枚目の写真は、市久という漬物会社の、以前はよく写真にを撮りに行った梅林ですが、フェンスに囲まれて入れなくなっていました。
 先日の13日、雨がよく降りました。この時、国道307号線の脇の市辺の梅林に寄りました。その時の写真も、ついでに載せておきます。
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   国道のゼブラゾーンに違法駐車をして、雨の中、短時間の大慌ての撮影でした。
                      では。また。
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2014年3月14日 (金)

定期診察の日(71)

今日は、KS病院の定期診察に行ってきました。次週の金曜日が祝日のため、一週間早い定期診察でした。「寒のもどり」という感じの寒い一日でした。待ち時間は長く、家に帰り着いた時は、午後になっていました。

 さて、結果ですが、血小板数は、ほぼ横ばいの71万/μlでした。前回増加したヘモグロビンは、再び減少し、過去最低を更新しました。赤血球数も減りました。ちょっと嫌ですね~。
 ヘモグロビンの値は、極めてゆっくりと変化するものだそうですが、病気の進行により急激に減少することもあるそうです。その場合は、脾臓がますます肥大化するなど、他の症状もともなっているそうです。
 中性脂肪、カリウム、LDH、γGTP、尿酸値などは異常値のままです。
 足の痺れや脇腹の違和感、微熱、立ちくらみなどの症状も相変わらずです。最近、よく頭痛がします。病気と関係があるかどうかは不明です。医師は無関係の可能性が大きいと言っていました。
 朝起きると少し滲む程度の鼻血が出ていましたが、バイアスピリンを中止したためか、無くなりました。バイアスピリンが影響していたかどうかは、はっきりしませんが、とりあえず、もうしばらくバイアスピリンは中止して、様子をみるということです。
 糖尿病のHbA1cの検査は次回です。強い意志で食事のコントロールをしているので、こっちの方は、良い結果が出るのは間違いないです。 
             では。 また。

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2014年3月 6日 (木)

二十四節気「啓蟄」2014

 今日、3月6日は、二十四節気の一つ「啓蟄」でした。江戸時代の暦便覧によれば、「陽気地中にうごき、ちぢまる虫、穴をひらき出れば也」とあります。冬眠をしていた虫が穴から出てくる頃ということです。柳の若芽が芽吹き、蕗のとうや土筆も出てくる頃です。

 この節気の七十二候は、次の通りです。
★初候 : 3/06~: すごもりの虫戸を開く  すごもりむし とをひらく
★次候 : 3/11~: 桃始めてさく      もも はじめてさく
★末候 : 3/16~: 菜虫蝶となる      なむし ちょうとなる
    3月21日が次の節気「春分」です。
 この節気では、冬眠していた虫が這い出てきて、桃の花が咲き始め、さなぎで冬越しをした蝶が飛び始める頃ということです。いよいよ、生き物たちの春の始まりです。

 今年は異常な寒さが続いていますが、今日、「啓蟄」の日も雪が降りました。木津川土手の大エノキ付近まで来た時、雪に見舞われました。
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   大エノキの近くに咲いている梅の花にも、容赦なく雪です。梅の花吹雪のように見えます。カメラのレンズが雪で濡れてしまいました。寒さに負けて、本日の撮影は、ここで撤退です。
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                 先日の三月四日は、良い天気でした。まず、その日撮った「啓蟄」にふさわしい写真を紹介します。前回から紹介していますネコヤナギに花が咲きました。そこに、蜜蜂がたくさん来ていました。近づくと、ブーンと羽音が聞こえます。
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   オット、ひょうきんなネコヤナギを見つけました。
 ここの近くには、ロウバイも咲いています。空は青く、雲も流れていきます。
 すぐ傍を古川という川が流れています。この川沿いの柳も芽を吹いてきました。
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   土手の上で、タンポポ見つけました。やはり、蜜蜂が来ていました。
 オオイヌノフグリも咲いています。この花は可哀想に、イヌノキンタマと呼ぶ地方もあるそうです。外国では、「バーズアイ」、「キャツアイ」、キリストが十字架にかけられる前にハンカチを差し出した娘、ヴェロニカにちなんで「聖女ヴェロニカの花」と呼ばれたりするらしいです。この美しい、春を知らせる花の改名が求められますね。
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   土手には、ホトケノザが、毎年群生する場所があります。今年も、順調に成長を始めています。このホトケノザは、食用にはならず、春の七草のホトケノザとは別の植物らしいです。春の七草のホトケノザは、タビラコのことだそうです。ややこしいですね。「啓蟄」にふさわしく、テントウムシが春めいていますね。
 土手下の空き地に、モクレンが芽を付けています。
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    土手には、梅の木が花を着けています。今が梅の最盛期です。
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   土手の上を走ると、梅の花の間から農作業をしている人も見えます。
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   前回も載せましたが、寺田の土手では、水仙の花が真っ盛りです。古泉千樫の一首。
 ~♪ 黄いろなる 水仙の花あまた咲き そよりと風は 吹きすぎにけり ♪~
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   観音堂という所で土筆を見つけました。この近辺では、ここが一番早く土筆が出ます。正岡子規の一首です。
  ~♪ つくづくし ふるさとの野に 摘みし事を 思ひいでけり 異国にして ♪~
 お別れは、春霞の土手、夕暮れです。最近は、春霞などと風流な事は言っておれないですね。PM2.5の注意報が出ていたようです。 では。また。
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