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2014年1月13日 (月)

姜尚中著「続・悩む力」感想

Nayamukans  姜尚中(かんさんじゅん)著「続・悩む力」(集英社新書)を読みましたので、紹介させていただきます。今回は、ちょっと変わった紹介の仕方を試してみます。私と姜尚中先生との対話という形をとります。もちろん、登場する姜尚中先生は、私の理解し得た範囲での、偽物の姜尚中先生です。お間違いなく。

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:「姜尚中先生ご苦労様です。今日は、本書について、いくつか質問をさせていただきます。よろしくお願いします。
 まず、先生は、近代という時代をどのように捉えておられるのでしょうか?」
姜尚中:「近代とは、資本主義の時代です。能力さえあれば誰でも富を手にすることができるという『自由競争のルール』は、血統による人間の序列とは違って、自由で、平等で、公明正大なものだという幻想として広がりました。そして、その後の資本主義の展開は、マネーがマネーを呼ぶ「マネー経済」、「カジノ資本主義」の様相を呈するようになり、私たちの社会は、隅々まで市場化され、「優勝劣敗」が当然の原理とされ、人間さえもが労働力商品として扱われるようになりました。市場経済は、慢性的な失業を前提として作動しているものなのに、失業は個人の責任、個人の資質の問題とされ、鬱病、自殺へと滑り落ちていく人が後を絶ちません。漱石やマックスウェーバーが、100年以上も前に予見し悩んだ問題が、今はっきりと私たちの前に立ち現れてきた時代ですね。」

:「つまり、先生が引用されている『液状化する近代』ですね。では、そんな社会にあって、近代の人々は、どのような問題に直面したのでしょうか?」
姜尚中:「かって、人は神と結ばれ、神を前提とした秩序のもとに暮らしていました。しかし、近代に入ると近代合理主義的精神のもとで、人は神を離れ自由な個人というものを誕生させました。その結果、人間の自意識は限りなく肥大化していきました。個人主義が進行し、人々は他者から切り離され、孤独と精神的不安が、近代を生きる人々の上にのしかかってきたのです。まさに、近代とは、『悩む人』、『苦悩』の時代なのです。漱石もウェーバーもフランクルも、この『苦悩』を探求した人たちだと言えますね。」

:「先生は、近年よく話題になった『自分さがし』についても、本書の中で触れられていましたね。」
姜尚中:「そうですね。自分探しの背景には、資本主義があります。資本主義は、人間に対し、入れ替え可能で、等質な「労働力商品」であることを求めています。人は、それに抗おうとして、自分らしさという唯一無二のものを求めようとするのです。しかし、この不安な心理をあおり、利用しようとしているのも資本主義なのです。資本主義は、スキのない魔物のようなシステムですね。自分探しは、時として、ナルシシズムや神経症的病を作り出す危険を孕んでいますね。」

:「神から自立し、バラバラに切り離された個人というものは、その後どうなっていったのでしょうか?」
姜尚中:「まず第一に、人々は、市場原理という交換関係の中に組み込まれていきました。他人の不幸は私の幸福、他人の幸福は私の不幸、という『マネー経済』や『カジノ資本主義』の中へです。それは、人と人との全般的な『不信の構造』です。
 第ニは、切り離された個人は、『匿名の群衆』を形成しました。その『群れ』が持つ力が、様々な特異な社会現象を引き起こしました。哲学者テイラーは、今の社会を『直接アクセス社会』と呼びました。人が、家族や地域という親密な共同体を持ちつつ、そこを拠点に、より大きな社会にアクセスするという形が崩壊し、直接バラバラにアクセスする社会です。『群れ』が持つ浮動的価値観は、『ホピュリズム』としても現象しましたね。
 第三は、不特定多数の自由意志が、市場原理の中へ取り込まれていき、主権とは無関係な市場が、政治を動かすようになったことです。『公共領域の消失』『民社主義の危機』ですね。明らかに間違っていても、みんなが言うから正しい、そんな『柔らかな全体主義』が社会を覆っているのです。」

:「先生は、福島の事故についても、重要な位置づけをされていますね。」
姜尚中:「福島の事故は、科学技術と人間、人間と自然との関係、といったことについて重大な問題提起をしました。科学が、私たちの中で疑似宗教のようになっていた現実を浮き彫りにしました。科学のあり方についても本書の中で述べました。」

:「では、私たちは、こんな社会の中でどのように生きれば良いのでしょうか?」
姜尚中:「個人がバラバラになった時代に、唯一無二のかけがえのない自己を出発点として、孤独な魂同士が、共鳴し合うような何かを、求めていく必要があります。
 フランクルは、人間の価値には、『創造』『経験』『態度』の三つがあると言っています。私は、その中でも『態度』が最も重要であると考えています。健やかなる人も、死の床にある人も、想いさえあれば態度的価値を得ることができます。『態度』による価値は、効率か非効率か、有効か無効か、成功か失敗か、といったものの彼岸にあるものです。『愛する』ということも、実は『態度』の価値の一つだと言えますね。
 私たちに、今一番必要なことは、人生が投げかけてくる問題に、まじめに、真っ直ぐに対峙し、運命を唯々諾々と受け入れるのではなく、責任をもって応答していく『態度』を持つことです。幸福は人生の目的ではありません。幸福をつかむために何かをするという考えは成り立ちません。幸福とは、答え終わった後の結果です。
 人生の最後の瞬間まで、顔を上げ胸を張り、生き抜くことが求められています。」

:「先生は、近代という時代を生き抜く宗教的求道者のように、私には思えますね。」
姜尚中:「ハハハ。宗教的求道者ですか。君は、私に批判を込めて言ってますね。」
私:「いえいえ、大先生を批判だなど、とんでもないです。私は、新自由主義と保守主義が結合した、人間を食いつぶしていく魔物に対峙し、戦うための具体的な方法論や人の繋がりを求めているだけです。」 
姜尚中:「その点から言うと、本書は君の求めているものとは、少し違いますね。幸福の方程式が成立しないのと同じで、革命の方程式も存在しません。人は永遠に悩む存在なのです。人生を充実させるため、悩み続けましょう。では。ごきげんよう。」
:「苦悩しながら歩む先生の姿、見習いたいと思います。ありがとうございました。」

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