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2013年6月

2013年6月29日 (土)

濱田武士著「漁業と震災」

 濱田武士著「漁業と震災」(みすず書房)を読みました。濱田武士氏は、東京海洋大准教授、専門は漁業経済学、水産政策審議会特別委員も務めた方です。漁業の専門家である著者は、漁業の現場をふまえ、震災からの復興と漁業の再生について論じています。

Shinsai  今、「新自由主義」についての理解が無ければ、政治を語ることはできません。震災についても同じです。経済的利益のみを優先する勢力は、震災という壊滅的被害を利用して、一気に新自由主義的政策を進めようとしています。「惨事便乗型資本主義」と言います。すべての日本人が、震災からの復旧・復興を心から願っています。しかし、この善意も、「新自由主義」への理解がなければ、知らないうちにいつのまにか悪意へと変質させられてしまいます。
 では、漁業分野における「新自由主義」的政策とは、どのようなものでしょうか? 「新自由主義」的政策を進める経団連や経済同友会は、震災復興と今後の漁業の在り方について、次のように提言をしています。

「新しい東北、新しい日本創世のため・・・各漁業組合を再編し、漁業権は証券化し、過去の実績に応じて証券交付する・・・。
   ①漁業権を開放して企業参入を自由にし、操業や漁場利用の規制を取り払う。
   ②TAC制度(総漁獲可能量の設定)をもうけて水揚量を半分程度にする。
   ③実績に応じ漁獲を割当、これを証券化し取引可能な制度(ITQ制度)を導入。
 ④漁協組織は障害になるため見直す・・・・。」

  つまり、漁業権を有価証券にして販売し、あがる利益は、投資家や、大規模経営体に配当しようというわけです。零細漁民は市場から退場させられ、また、残った漁民も魚を捕る単純労働者のような存在となってしまい、自然を守り地域や漁食文化の担い手ではなくなるわけです。
 こうした方向に沿って、「農地・漁港の集約化」をめざす「食糧基地構想」が浮上し、漁業権を民間会社に直接免許する「水産特区」も法制化されました。宮城県は行政主導で漁港整備の選択と集中をかかげ、中心的な漁港を優先的に復旧させ、漁業権を企業体にも許可する方向を進めています。そのため、リアス式海岸の入り江ごとに営まれてきた小さな漁港を中心とした漁業集落は、復旧から取り残され困難に直面しています。

 前置きが長くなりました。本書の内容です。
 第一章「太平洋北海区の水産業と被災地」では、被災地の漁業・漁村の歴史を振り返り、震災前の状況・問題点などが述べられます。
 第二章「被害と被災」では、明治、昭和の三陸地震と東日本大震災の被害が比較、概観されます。
 第三章「漁村と漁港」では、日本の漁村集落は、漁場から資源を獲得し自らの生計を立て、経済的利益を得ているだけの存在ではないこと。近世以来、漁場の保全と管理、漁業紛争の調停を積み上げ、コミュニティが形成され、「自然」が守られてきたこと等が明らかにされます。
  第四章「復興方針と関連予算」では、「創造的復興」論が、上から目線の現場不在の復興論であることが述べられます。
 第五章「食糧基地構想と水産復興特区」では、宮城県の「水産業特区構想」が批判されます。
 第六章「水産業の再開状況」。
 第七章「揺らぐ漁漁協同組合」。
 第八章「メディア災害の構造」では、現場を知らないメディアの一方的報道や「水産特区」のような惨事便乗型の改革論を「第二の人災」と指摘します。
 第九章「放射能の海洋汚染と常磐の漁業」。
 第十章「地域漁業のゆくえ」では、漁協の果たしてきた役割の重要性や今後の課題などが指摘されます。
 最終章で著者は、「漁港の集約化」や「水産復興特区構想」などは、社会関係を経済的利害のみで捉え、地域の自然や文化のあり方を考えていない、そして、経済的利益や効率性のみが追求され、漁業権などの制度が壊されるとき、共同体的人間関係が分断され、営々と築かれてきた自然と人間の関係が断ち切られ、木材の輸入自由化により山林が荒れたと同じように、国土や海は荒れていくだろう、と述べています。
 著者は、「自由と効率を掲げ、社会関係にあった人格を破壊し、格差社会を作り上げる新自由主義の罠に、これ以上はまってはならない。」「経済的思考だけにとらわれず、どういう国土を維持したいのか、どのように暮らし、魚を食べ、食文化を継承したいのかを、消費者であるわれわれ一人ひとりが考えることが求められている。」と訴えています。
 内容が多岐にわたっており、一部分しか紹介できませんが、この本、お薦めします。

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2013年6月26日 (水)

矢田寺の紫陽花

 先日、奈良県郡山にある、アジサイで有名な矢田寺に、アジサイ見物に行ってきました。Tg氏の車にお世話になりました。
 8時半に出発、10時には矢田寺到着です。矢田寺は、正式には金剛山寺というようです。駐車料金は400円、50mほど離れたところは300円で、料金設定は良心的です。
 写真1枚目、街の中の坂道を上ります。2枚目、山門入り口に到着です。入山料は400円です。急な石段を登り、3枚目、本堂前到着です。
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   本堂前から撮影開始です。境内は広く、アジサイの中を散策道が続いていたり、珍しいアジサイを集めた庭園があったり、とにかくアジサイが溢れています。どんなふうに撮影するか迷いますね。私は、普段の撮影行動の影響で、すぐ人に目がいってしまいますね。特に女性には・・・。たくさん写しました。オット!女性ではなく花をです。その中から、お寺らしい雰囲気の2枚を選びました。
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   アジサイの上に昆虫が休んでいました。白いアジサイに無数の蝶や蜂、甲虫が寄ってきていました。
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   アジサイは、梅雨時の物静かな感じの花です。しかも、色が変化するので、心変わりの花としても捉えられています。二三紹介してみます。
    紫陽花や きのふの誠 けふの嘘    正岡子規
    わがめづる あぢさいの花うす青う かげの国より 得し色にさく  片山広子
    病監の 窓の下びに紫陽花が咲き、折をり風は 吹きに行きにけり  斎藤茂吉
   ときどきに 色はかはりて世の人の 心に似たり あぢさゐの花      落合直文
 最後は、両側からアジサイが迫る散策道に入りました。私は花の写真は苦手なので、なかなかアジサイの静かな雰囲気の出る写真は撮れませんでした。ただし、観光地の人の雰囲気は出せました。
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   帰りは、山門前で焼き栗とスモモを土産に買いました。
 矢田寺のアジサイは、種類、規模からいって、お薦めです。  では。また。
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2013年6月23日 (日)

二十四節気「夏至」2013

 6月21日は、二十四節気「夏至」でした。江戸時代の暦便覧によれば、「陽熱至極しまた、日の長きのいたりなるを以て也」です。一年中で一番昼が長い時期です。しかし、梅雨の時期に当たり、花しょうぶや紫陽花などの雨の似合う花が咲く時期です。
 この節気の七十二候は、次の通りです。  
   初候: 6/21~  乃東枯る       なつかれくさ かるる
   次候: 6/26 ~  菖蒲はなさく   あやめ はなさく
   末候: 7/02 ~   半夏生ず       はんげ しょうず
           7月7日が次の節気「小暑」です。
 この節気は、夏枯草とも呼ばれるウツボ草が黒ずんで枯れたように見える頃らしいです。アヤメの花の頃です。半夏(カラスビシャク)が生えはじめる頃のようです。あまりなじみがないのでピンときませんが。

 では、今の時期の木津川土手周辺を紹介しましょう。
 田んぼでは、稲の成長が順調です。田んぼの水は、梅雨の晴れ間の青い空と白い雲を映して光っています。田んぼの上をツバメが低く飛び交っています。稲が成長し緑一色の田んぼに変わるのもまもなくです。
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   土手の斜面には、カワラナデシコです。木津川土手では、いつも今の時期に咲き始めます。月見草も咲いています。大型の蝶もよく見かけるようになりました。
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   梅の実も大きくなってきました。ここで一首。
  ~♪ 青梅を 見れば湧きくる 酸っぱきもの はるかに過ぎし 初恋の頃 ♪~
 木津川土手の大榎。道路工事用の手すりにいた小さなカマキリ。
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   城陽市には、たくさんの蓮田があります。今の時期、水の上へ盛んに葉を出してきています。
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   蓮田の水は空を映し、雲の中に蓮が浮かんでいるように見えます。水草の生長した蓮田では、流れの中に蓮が浮かんでいるように見えます。
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   夕日が差すと、水草は金色に輝きます。この光景も今の時期だけです。蓮が成長すると、葉の影が邪魔になってきます。
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   雨が降ると、蓮田の表情は一変します。蓮の葉から水がこぼれ落ちる瞬間を待つのは、待つのがかなり大変です。
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   雨の日、鴻ノ巣山へも行きました。あまり被写体は見つけられませんでした。
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     倒木の間で、雨に打たれ幼木が芽を出していました。T園芸の栽培田では、睡蓮の葉が夕日に輝いていました。
Geshi901_2Geshi901_01_2  腰痛で苦しんでいるためあまり撮影はできていないですが、これで、夏至の頃の写真は終了です。次は「小暑」です。  では。また。

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2013年6月17日 (月)

いとうせいこう著「想像ラジオ」

 いとうせいこう著「想像ラジオ」(河出書房新書)を読みました。感想を書かせていただきます。私は小説嫌いで、めったに小説を読みませんが、最近はなんとか努力して読んでいます。少々疲れてきました。

Sozouradio  では、いつものように小説の粗筋を。
 津波に襲われた日の深夜、突然「想像ラジオ」の放送は始まります。放送を始めたのは、赤いヤッケ姿で、仰向けに高い杉の木に引っかかったままのDJアークです。学生時代にバンドでならし、話し上手のアークは、自分の死を認識しないまま、軽快な音楽をはさみながら放送を続け、震災で亡くなった多くのリスナーから、たくさんの電話やメールを受け取ります。電話やメールが次々と紹介され、アークの一人芝居を見ているかのように、アークの生い立ちや、死者の側からの震災とは何であったかが語られていきます。
 一方、生者の側でも、漏れ聞こえてくる「想像ラジオ」の噂を耳にします。被災地へボランティア活動に出かけた私を含めた五人の間で、「想像ラジオ」について論議が行われます。生者と死者との関係、死者の声を聞くとは何なのか、自分たちには何ができるのかなどについて。
 DJアークは、リスナーに励まされながら、自分はすでに死んでいること、まったく連絡の取れない妻と子は、連絡が取れないが故に生きていることをしだいに自覚していきます。そして、想像力と集中力により、妻と子の話を微かながら聞くことに成功します。2人の愛の深さを確信したアークは、やがて放送を止め旅立っていきます。

  下手くそなまとめ方で申し訳ないです。著者に叱られそうですね。では、感想を。
 荒唐無稽なシチュエーションですが、そうであるからこそかえって著者のメッセージが伝わってきます。生者と死者を二分し、生者の側から一方的に津波の被害の大きさや悲惨さを強調するのではなく、生者の日常の連続としての死者の日常が描かれることにより、津波の実相が、かえってリアルに浮かび上がってきたように思います。そしてまた、著者のメッセージも静かに響いてきます。
 私たちは、過去に死んでいった人との連続性の上に立ち、死者のことを思いながら生活しています。過去の死者がいなければ、私たちは存在することはできません。死者もまた、生者がいなければ存在しません。「生きている人類が全員いなくなれば、死者もいない。」著者は、歴史は生者と死者が手をとりあって作っていくものなのだと言っているのです。
 また、次のようなメッセージもあります。「死者と共にこの国を作り直していくしかないのに、まるで何もなかったかのように事態にフタをしていく・・・。」、「いつからかこの国は死者を抱きしめていくことができなくなった。それはなぜか?」。著者は、私たちに復興とは何かについての基本的視座を提供してくれています。復興とは、死者の声を聞き、共に歩むことであると。
 私には、少し読みづらい本でした。流れている曲は、モーツアルト以外あまり知らないです。しかし、内容的に「想像ラジオ」、お薦めです。

 では最後に、いつものように、小説が好きになれない者の一言です。
 震災復興を考えるとき、惨事を経済的チャンスと捉え、死者を忘れ、死者を踏みにじり、生きて残された者の生活さえも顧みない、そんな経済優先勢力が幅をきかせています。「創造的復興」「東北特区構想」など、美しい謳い文句で復興を餌に、経済的利益を優先しようとしています。「惨事便乗型資本主義」とも呼ばれています。復興予算が復興にかこつけて、食いつぶされていたこともありました。これらの問題を抜きに、真の復興を語ることはできません。本当の意味での生活者の復興、人間の復興が求められています。この小説が、ささやかな力になることを期待します。  
                      では。また。

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2013年6月14日 (金)

定期診察の日(61)

  今日は定期診察日でした。朝、タクシーを予約して家の前から病院へ向かいました。

 10日くらい前から、腰痛になりました。左足付けの付近に皮膚感覚の異常も発生しています。しかも、普通の腰痛ではなさそうです。私は以前、椎間板ヘルニアで4ヶ月くらい入院した経験があります。その時の痛みと比較すると、全然違う痛み方で、姿勢の違いにより痛みが違うというような痛みではありません。痛いときは立っていられないくらい痛いのですが、体位とはなんの関係もない鈍痛です。そこで、私は素人判断で、これは内臓由来の腰痛だと考えました。しかも皮膚感覚の異常、つまり神経までが侵されている状態だと思いました。ウーン。これはかなり深刻かも知れないです。ちょっと暗い気持ちで病院に向かいました。

 診察の結果です。血小板数は、ほぼ76万/μlでした。ほぼ横ばいです。白血球、赤血球も、ヘモグロビンも前回とほぼ同じでした。他の数値も異常値ながら横ばいです。
 さて、問題の腰痛ですが、痛い場所を確認したり、足を上げさせたり、いろいろ調べた結果、主治医の出した結論は・・・・、意外にも・・・・、
 「これは、ただの筋肉痛だ。皮膚の感覚異常とも関係していない。」でした。
 立っていることができないくらい苦しんだのに、なんと筋肉痛とは! いつもなら、質問も無く終わるところですが、いつになく、その判断の理由を質問しました。その回答結果から、私なりに理解できたことをまとめると、次のようになります。
 ①仰向けに寝て片足を上げる→痛みはない→根性の座骨神経痛は無い。
    (これはラセーグテストというようです。)
 ②したがって、神経の圧迫は考えられず、腰痛と皮膚症状とは関係が薄い。
 ③内臓由来の腰痛は、全く考えられない。(腰痛が発生するほど臓器が侵されていれば、もっと様々な症状がある。)
 ④痛みのある場所からみて→ 筋肉痛!!
  ⑤皮膚の感覚異常の方が腰痛よりも心配。血小板が多いことによる血行障害の可能性がある。血小板をもう少し低く管理したい。

 患者は素人考えで、あれこれ心配するものですが、医師の冷静な説明は、納得のいく説明でした。もう少し低い値で血小板数を管理したいが、前回増量したばかりなので、投薬量はこのままで様子をみるということです。痛いときのために、ロキソニンが処方されました。         では。また。

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2013年6月 9日 (日)

ドリアン助川著「あん」

 ドリアン助川著「あん」(ポプラ社)を読みました。小説が苦手で滅多に読まない私ですが、これは一気に読めました。文体も平易でスラスラ読めて、しかも美しいです。読んで損はしない作品です。この本、お薦めです。ただし、私には小説を評価する能力は無いですが・・。

Photoan  では、超簡単に粗筋を。
 舞台は、「どら春」というどら焼き店です。この店の雇われ店長「千太郎」は、若い頃物書きを志していたが、挫折し、ある事件に絡んで刑務所暮らしも経験した男です。どら焼き店のオーナーに借りを返すためだけに、情熱も無くしかたなく雇われ店長として働いています。使用している「あん」は、中国産。この店で、老女がアルバイトで働き始めます。老女の作る「あん」は絶品で、しだいに「どら春」の売り上げは伸びていきます。しかし、順調だった売り上げが急に減り始めます。この指の曲がった醜い老女が、ハンセン病患者だという噂が広まったのです。老女はハンセン病施設から、この店に通ってきていたのです。そのため、老女は自ら店を去っていきます。しかし、その後も千太郎と老女との交流は続き、千太郎は、ハンセン病の療養施設を訪れ、老女の辿ってきた人生を知ることになります。・・・・・。

 簡単な粗筋にすると、これはハンセン病への差別を告発する小説、またはハンセン病患者の悲惨さを訴える小説と思われるかも知れません。道徳的臭いのする小説と思われるかも知れません。しかし、それは違います。
 老女、徳江は、戦後間もない時期、14歳でハンセン病とわかり収容されます。それ以来半世紀以上、療養施設という外部と隔絶した世界に生きてきました。この人にとって生きるとは何だったのか、なぜを「あん」を作り続けてきたのか、その魂の遍歴の旅が静かに控えめに語られていきます。どこにでもいそうな千太郎という外れ者の男とともに、私たちはこの小さな魂の旅の中に取り込まれていきます。その旅は、生きるとは何か、いかに生きるべきかを、自らに問い直す旅でもあります。そして、読後に残されるのは、重苦しさや迷いではなく、むしろ爽やかな感覚です。

 では、この小説が提示した「生きる意味」とは何でしょうか。そのヒントは、徳江が千太郎に宛てた最後の手紙の中にあります。抜き出してみます。

 ・・・・・世の役に立たない人間は生きている価値がないという思いがあった・・・人が生まれてきたのは、世のため人役立つためだという信念があったからなのです。
 ・・・・・それがいつどういうきっかけで変わったのか。はっきり覚えているのは、園の森を一人で歩きながら、煌々と光る満月を見ているときでした。・・・・
 私がいなければ、この満月はなかった。・・・もし人間がいなかったら・・・。あらゆる命がこの世になかったら・・・。無限にも等しいこの世は、すべて消えてしまう・・・。私たちはこの世を観るために、聞くために生まれてきた。・・・・・

 徳江は、人間として生まれ、生きていることそのものの中に、「生きる意味」がある、ということを言っているようです。人間への賛歌。命への賛歌。自然への賛歌。徳江は、生きる意味を高らかに歌っているのです。
 私の下手くそな説明では、かえって読む気をそがれるかも知れません。是非、この本読んでみてください。私のような小説嫌いも楽しめました。お薦めします。

 最後に、気になる一言を。
 1931年(昭和6年)に「ライ予防法」が制定されました。戦後に始まった「ライ予防法」廃止運動も長く厳しいものでしたが、ようやく1996年に廃止されました。この間、隔離され続けたハンセン病患者の心を支えたのは、何だったのでしょうか?(もちろん人により違うでしょうが。)徳江が「あん」を作り続けたのは、差別に傷ついた仲間の心を癒やすためだったはずです。人は仲間とつながるが故に、人であるのではないのでしょうか? この小説、少し美し過ぎないでしょうか? 大切な何かが描き切れていないような気がするのですが・・・・。
 お薦めしながら、無い物ねだりをするのは、ワガママな人間のすることですね。スミマセン。         では。また。

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2013年6月 6日 (木)

二十四節気「芒種」2013

 6月5日は、二十四節気の一つ「芒種」でした。 暦便覧には、「芒(のぎ)ある穀類、稼種する時也」とあります。芒(のぎ)とは、稲の穂先にある針のような突起のことです。芒種とは、稲や粟などの芒のある種子を播く頃という意味です。西日本は、梅雨に入る頃です。近畿地方は、5月28日に突然梅雨入りが発表されました。
 七十二候は、次のようになっています。
   初候 : 6/05~  蟷螂生ず       かまきり しょうず
   次候 : 6/11~  腐れたる草蛍となる  くされたるくさ ほたるとなる
   末候 : 6/16~  梅のみ黄ばむ     うめのみ きばむ
            6月21日が、次の節気「夏至」です。
 この節気は、まずカマキリが生まれる頃のようですが、私は、まだカマキリは見ていません。次は、蛍の時期になるようです。昔の人は、腐った草から蛍が生まれると思っていたのでしょうか? 梅の実も熟してくるようです。スーパーではすでに、梅酒セットの販売も始まっているようです。
 6月5日の「芒種」当日は蒸し暑い一日となりました。5月28日に、梅雨入りが発表されて雨が降りましたが、その後、また良い天気が続いて暑くなっています。テレビが、梅雨なのに天気が続くのはなぜなのか、を解説していました。わざわざ難しく解説しなくても、気象庁が判断をまちがった、と言えば話は早いと思うのですが・・・・。

 では、文句を言ってないで、最近の木津川土手の様子を紹介していきましょう。
 梅雨入り前、良い天気になり、青い空が気持ちよく広がっていました。爽やかな五月の風が吹き渡っていました。土手の栴檀の木に白い花が咲きました。近鉄の線路脇には、アカツメクサが咲いていました。
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    土手の斜面には、茅花の穂が風に揺られていました。ここで、茅花を詠んだ一首を。
  ~♪ 風吹きて 土手の茅花は 揺れなびく 人を招くか 別れするのか ♪~

 土手の下にハナウドの花が咲きました。草むらを降りて、下から見上げて撮ってみました。通りがかった犬の散歩の人から、「この辺りは、マムシが多いので気をつけた方がいいですよ。」と警告されました。マダニにマムシ。十分警戒しています。
 ノビルの可愛い花も、今の時期咲いています。線香花火のような、あなどれない美しさです。
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   木津川土手周辺の田んぼでは、今が田植えの時期です。田んぼには水が引き込まれ、一日ごとに水の国が広がってい行きます。
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   水の国を散歩しましょう。まずは、水に映された世界です。こういう写真は、今の時期しか撮れません。稲の生長は早いですからね。
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   次は、作業中の人を撮りました。田植え機に装填する苗は、一枚の板のようになっています。根が絡み合って板のようになっているのか、下にシートが入っているのか、写真の人に質問してみました。答えは、「根が外にはみ出さないように、底にシートが付いている。シートは来年も使い回しをする。」と言うことでした。微妙に疑問は解決していないですが・・・。仕事の邪魔になりますので。
  二枚目と三枚目は、夏らしい雲にこだわってみました。
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   次は、水の国の風です。風が感じられる写真を選びました。
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   は、水の国のたんぼ道を行く自転車の人です。
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   水の国の最後は、文化パルク城陽付近の田んぼで撮影した夕日です。
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   では、お別れの三枚です。一枚目栗の花です。栗の花は梅雨入りの頃の花ですね。この写真にふさわしい一首を。
   ~♪ 茶摘み済み しろく咲きたる 栗のはな 細く雨降り  静かなるかな ♪~
 二枚目、流れ橋からの写真です。スペースが無くなってきましたので、流れ橋は次の機会にします。
 三枚目は、いつもの近鉄富野鉄橋です。夏雲が盛り上がっていました。
 では、次は「夏至」の日にお会いしましょう。
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2013年6月 3日 (月)

甥の結婚式出席

 昨日、甥の結婚式があり出席してきました。
 その前日は、伝統のある奈良ホテルに宿泊しました。こういうことでもないと、私にとってはなかなか泊まるチャンスのないホテルです。結婚式は、世界遺産春日大社でした。これも初めての経験です。板の間で正座して20分間の式は、かなり足が痛くなりましたが、笙や篳篥の演奏を間近で聴くことができました。甥、姪も多いので、過去にもいろいろの場所での結婚式を経験させてもらうことができました。明治神宮。帝国ホテル。熱田神宮。都ホテルなど。今回は、春日大社での結婚式。奈良ホテルでの披露宴。それになによりも、兄弟6人が勢揃いできたこと。大変良かったです。
 私は六人兄弟で、その末っ子です。今回結婚した甥は、すぐ上の兄の子です。この甥には、実は、私は過去一度しか会ったことがないのです。しかも、その時甥は、幼児だったと思います。私の記憶はかなり曖昧で、まったく初対面と同じです。これは、距離が遠く離れているということより、私が末っ子で親戚付き合いもせず、社会性もなく、気ままに生きてきた結果ということでしょう。

 さて、新郎は、大学院卒業後、関東圏のI県の職員に採用されたそうです。その新人研修の時、隣の席に座ったのが新婦だったとのことで、この時から付き合いが始まったようです。たった一度の偶然のチャンスをものにするとは、私と血がつながっているとは、到底思えない技です。
 新婦の父親が、初めて自宅を訪れてきた新郎に対して、「・・あまりにも何も喋らないので、一体これは何者だと思った・・・」と、本音の感想を式の中で漏らす場面がありました。これこそ、私と同じ血でつながっている証明です。思わず笑ってしまいました。
 一方、新婦も大学院卒で、同じI県の美術館の学芸員だそうで、日本美術史の研究をしているそうです。活発で明るそうです。酒好きという情報も。新郎よりも年上で、姉さん女房になるわけです。二人のデート場所も、全国の美術館めぐりが多かったそうです。新婦側の親戚の誰かが、「妻上位の家庭になる可能性が・・・。」と言っていました。
 二人とも県の職員ということで、I県の観光ポイントの紹介が、スクリーンを使って、二人の手で行われました。面白い趣向でした。

 今回の披露宴で特筆すべきは、新郎の父親による最後のお礼の挨拶です。結婚披露宴での最後の挨拶は、あまり記憶に残らないことが多いものですが、今回はひと味違いました。身内を褒めることになりますが・・・。亡き妻へ、今回の結婚を報告するという部分がありました。饒舌ではない、訥々として語られる言葉に、亡き妻への思いが込められていたように思います。
 結婚式は、ドラマや思わぬ発見があって良いものです。 では。  また。

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