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2013年4月 3日 (水)

二十四節気写真のまとめ

2010年の「清明」より2013年の「春分」まで、撮った写真を二十四節気にかこつけて掲載してきました。これで、ちょうど丸3年が経ちました。なんという意味のないことを延々とやり続けてきたのか、少し自嘲の念を持って3年間の意味を考えてみます。

 季節の移ろいに身を任せ、朝露に濡れる野の花を愛で、風に吹かれ日をおくり、沈む夕日に涙する、なんという優雅な生活でしょうか。季節のうつろいや野の花を詠った俳句、短歌も紹介してきました。万葉集の中からも題材を捜してきました。自分の思うがままに、下手くそなりに、季節を写真として切り出してきました。確かにこれは素晴らしいことなのだと肯定する気持ちが一方ではあります。
 しかし、一方には、このような気持ちを激しく否定する気持ちも湧き上がってきます。いったいなぜなのでしょうか? それはどうも、私の成長過程に原因があるように思います。その辺りを少し説明します。
 私は子供の頃から、俳句は暇な老人が趣味でやるものという印象を持っていました。青春期に入り、桑原武雄の「俳句第二芸術論」を知りました。これは、私にとって衝撃的でした。私が何となく懐いていた「俳句は暇な老人が趣味でやるもの」という印象が根拠のないことではなかったことを確信しました。さらに、詩人小野十三郎の「短歌的抒情の否定」ということに大いに共感しました。小野十三郎は、短歌や俳句の中に流れる日本的リリシズムを「詠嘆的抒情」「奴隷の韻律」として否定したのです。
 私が青春時代を送ったのは、まさに大学紛争の真っ只中でした。大学が封鎖され講義が半年間くらい中断していたこともありました。社会的正義、思想的正義のみが最高の価値を持つとされる時代でした。おそらく、こうした時代の影響下で青春時代を過ごした者の心の中には、「季節の移ろいに身を任す~」というような生き方は、敗北であるという感情が根深く残っているのだと思います。私もそういう一人なのでしょう。

 野に花が咲き、風が渡り、雲が流れ、季節は移ろっていきます。二十四節気の風景を楽しみながらも、満たされない何かが心の中に引っかかっています。目的のある旅は、目的を達成すれば、そこで旅は終わりです。目的が達成されなければ挫折です。しかし、満たされない何かを求める旅は、終わることのない旅です。求める何かがはっきりしないのに、何かを求めても何も得られません。たださまよい続けるだけです。
 どうやら、私の二十四節季の旅は、小野十三郎のいう「詠嘆的抒情」「奴隷の韻律」の世界をさまよい始めたようです。この辺の心情を写真詩「旅の終わりに」にしてみました。
  墓石さんのホームページ→詩と写真→「旅の終わりに」でみられます。
       直ぐにチェックしたい人は→こちらから。    

 二十四節気の写真、木津川土手と鴻ノ巣山というみじかな風景限定で、まだしばらく続きます。                    では。また。

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コメント

墓石さん こんばんは。(*^_^*)

「季節の移ろいに身を任す、、、」私は幸いな
過ごし方と思うのですがね。学園紛争ー懐かしい
ですが、その真っ只中だったのですか。

世の中、ほとんどの人が彷徨ってるのでは?
その中で目的がある生き方が最も幸いでしょう。

今日は久し振りに宇治田原へ行きました。如何に
写真をサボってるかです。桜は満開で綺麗でした。

投稿: 輝子 | 2013年4月 5日 (金) 23時18分

輝子さん、こんばんは。
コメントありがとうございます。

私は、今日は宇治川ラインの桜を撮りに行っていました。
丁度、盛りのようでした。良い天気で暑かったです。

輝子さんは、宇治田原に行かれたのですね。輝子さんの花や風景の
写真が美しいのは、やはり心ですね。控えめで隠された背後にある・・・。

ブログの仏教とキリスト教についてを拝見しました。
よく分かりました。よく勉強されていますね。
ありがとうございました。

投稿: 墓石 | 2013年4月 6日 (土) 00時13分

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