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2013年4月

2013年4月29日 (月)

田原川の八重桜

 先日、25日、茶畑を撮影しようと宇治田原町に出かけてきました。しかし、途中の田原川沿いに、もう今年の桜は終わったと思っていましたが、意外にも八重桜が咲いていました。予定を変更して八重桜を撮影してきました。さすがに、色は少し悪かったです。
 今年は天候不順で、桜が早く咲いたり、花の時期短かったり、春らしい温かい日が少なかったりで、私はすっかり調子が狂っていました。そんなわけで、桜の撮影にはあまり行けませんでした。思わぬところで、今年最後の桜を撮影することができました。
 最初の2枚は、国道脇の田んぼで、田植えの準備をしておられました。良い感じ撮れました。ついでにタンポポも。
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   田原川の土手の遊歩道です。まだ昼過ぎだというのに小学生が下校します。「今日は家庭訪問だ。先生が来る~。」と言っていました。なるほど。
 自転車の子供も来ました。対岸を犬の散歩の人が行きました。八重桜などを総称して、里桜というようです。名前の通りのどかな雰囲気です。
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   次も対岸の土手を行く犬の散歩の人です。河原に降りて写した2枚です。
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   良い天気でした。青い空に一本の飛行機雲です。八重桜には、鯉のぼりが似合うと思うのですが、鯉のぼりを捜しましたが見つかりませんでした。  では。また。
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2013年4月22日 (月)

二十四節気「穀雨」2013

 4月20日は、二十四節気の一つ「穀雨」でした。暦便覧によれば、「春雨降りて百穀を生化すれば也」です。田んぼや畑の準備が整い、それに合わせるように、柔らかな春の雨が降る頃です。
 しかし、今年は天候不順で少し寒い日もあります。20日の「穀雨」当日は、京都府南部は雨が降り、夜にはかなりの雨量になりました。出かけている人にとっては、「酷雨」になりました。
 七十二候は、
        初候 4/20~  葭始めて生ず  ( あしはじめてしょうず)
     次候 4/25~  霜止で苗出ずる ( しもやんでなえいずる)
     末候 4/30~  牡丹はなさく   ( ぼたん はなさく)
        5月5日が次の節気「立夏」です。

 今の時期の晴れた日には、木津川土手ではどんな風景が見られるでしょうか。早速出かけましょう。
 木津川土手の大榎が、柔らかな芽を出してきました。山桜でしょうか、桜がまだ咲いています。子供たちが駆けていきます。ランニング中の若い女性が二人やって来て桜を見上げ、「葉が茶色になって、枯れかけいるみたい・・・」と言っていました。一言教えたい気もしますが、蘊蓄オジサンか、お説教爺さんと間違えられると嫌なので、私は聞こえない振りをしていました。
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   今の時期になると、土手下の田んぼや畑で農作業も進んでいます。からし菜もよく咲いています。
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   かって日本各地には、菜種油を取るための菜の花畑が一面に広がっていました。種子から油が絞られるようになったのは、日本では1500年代からのようです。「菜の花」は、アブラナの花もカブの花もハクサイの花もカラシナの花も総てナノハナで、これらアブラナ科の花は、色も形も大変よく似ています。ナノハナは、祖先は皆同じで、カブから種々分岐していったそうです。~ 菜の花や 月は東に 日は西に ~ という句で有名な日本の原風景というべき菜種も、今では少なくなりました。今の主流は、帰化植物のカラシナで、河原などで群生しています。
 国道一号線付近にカラシナが広がっています。行ってみましょう。
 一枚目の写真、遠くに名神高速道路が見えています。二枚目、赤い橋が国道一号線の木津川大橋です。サイクリング道路を自転車の人が行き交います。
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   満開の桜の時期も過ぎ、カラシナは晩春、惜春の花だと思います。
 見ていると、ナノハナの向こうをいろいろな人が通り過ぎていきます。
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   一号線からの帰り道、寺田桜堤あたりで夕日となりました。一枚目の写真、遠く愛宕山が見えています。
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   「穀雨」の前日19日に、夕方の短時間ですが井手町の玉川へ行きました。ここは、山吹の花が有名です。この玉川の上流には、聖武天皇の時代に左大臣を勤め国政をにぎった橘諸兄の邸宅跡が残されています。橘諸兄が、この玉川の土手に好きな山吹の花を植えさせ、愛でていたということです。
 では、万葉集から一首。作者不詳。
 ~♪ 花咲きて 実はならねども 長き日に 思ほゆるかも 山吹の花 ♪~
 意味: 花が咲いても、実はならないけれども、長い間待ち望んだ山吹の花です。
  では、次は「立夏」です。
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2013年4月21日 (日)

卒業生の結婚式Ⅱ

 昨日、私の最後の勤務校K中学の卒業生、T.Hanaさんの結婚式が、京都ホテルオークラで催され、出席してきました。私は、T.Hanaさんを二年生の時に担任をしていました。楽しい夢のような時間を過ごすことができました。結婚式とは、参加者にも幸せを配ることのできる催しであることは間違いないです。

Hanakekkon01  男性よりも女性の方が、結婚式に憧れるというのも理解できます。結婚式で最も輝くのは、花嫁なのですから。この日も、新婦は輝いていました。
 ここで、T.Hanaさんの魅力を少し説明しておきます。
 本当に素直で明るく活発です。←こんな通知票の所見欄のような書き方では伝わりませんね。では、別の書き方で・・・・。
 私はその頃、女性ポートレート撮影に密かに夢中になっていました。タングステンフィルムを使用する技術もマスターしました。T.Hanaさんをモデルにして写真が撮りたいといつも思っていました。私の脳裏に浮かんでいたイメージは、「桃の花の間を吹き渡っていく青い春の風」という感じです。この不謹慎な願望はついに実現することはありませんでしたが・・・・。
 T.Hanaさんの素直さと明るさは、私のようなひねくれた性格の者からすれば、まぶしささえ感じます。このような素直で明るい子供は、どのような家庭で育てられたのか謎でしたが、その謎も、この結婚式で分かったような気がします。
 新婦は、式の最後の方で、両親への感謝の手紙を朗読しました。深い愛情をもって厳しく育ててくれた母への感謝。人の命を預かる職業ゆえ、家庭を少し犠牲にする場面もあった父の医師という職業への理解。父への尊敬と感謝。なかなかの名文です。「私はお父さんのような人を見つけました!」という部分がありました。父親としてはどう思われたか解りませんが、この言葉はT家の家庭教育の集大成のように私には聞こえました。
 
 新婦は、水産大学の航海科に進学しました。そのことを聞き、私はエッ!と驚きました。私は勝手にHanaさんのイメージを作り上げていたようです。海が好きだという娘の夢が、海のように広い家族の愛に支えられていたのだと思います。
 新郎と新婦は、水産大学時代の友人。新郎はM商船に就職され、海の男になlりました。家庭を留守にすることも多いようです。その意味でも、新婦は「私はお父さんのような人を・・・」と表現されたのですね。  幸せな結婚生活をお祈りします。

 それから、もう一言追加を。
 新婦は、中学時代バレーボール部でしたが、このクラブの友達が多数参加していました。この学年の部員は、可愛い子揃いで有名でした。顧問教師が面接して選考したのではないかと、冗談を言う人も確かにいました。成人してますます美しさを増した彼女たちと、同じテーブルだったとは、なんとも幸運なことでした。
               では。  また。
   肖像権ギリギリですが、一枚だけ写真掲載します。

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2013年4月19日 (金)

定期診察の日(59)

今日は定期診察日でした。晴れていましたが、恐ろしく風の強い一日でした。
 診察の結果です。血小板数は、ほぼ77万/μlでした。微妙に下がりました。管理目標の上限80万周辺をウロウロといった感じです。投薬量の増量は次回に持ち越しで、このまま様子をみるそうです。しかし、主治医によれば、薬は使用しているうちにだんだんと効きが悪くなるのは、薬の宿命として仕方がないということで、遅かれ早かれそのうち増量は避けられないということでした。
 主治医によれば、危機の兆候は血小板の急減少や白血球の急上昇として現れるそうです。今はそのような兆候は無いので、
 しばらくは今の状態が続きそうです。←この部分は私の感想的意見です。

 ヘモグロビン値は低めながらも横ばい、中性脂肪、尿酸値、。カリウム、LDH、γGTPなどは異常値のままです。尿酸値は高い状態が続いています。この病気に付随するもののようですが、痛風とか大丈夫なんでしょうかね。次回に質問してみます。中性脂肪も恐ろしく高いです。食事のカロリーは低く押さえており、しかも私は痩せています。これも病気に付随しているような気がします。これも次回に質問してみます。
             では。 また。

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2013年4月14日 (日)

日本の国家財政と税制②

 Uさん、前回の続きです。今回は解決編です。
 【アメリカと比較すると?】
 国のあり方をアメリカと比較してみます。アメリカの国民負担率(税金+社会保険料)は、国民所得との比率で34.9%です。日本は、39.0%です。かなり近いです。これに対し、フランス、ドイツなどのヨーロッパ勢は、それぞれ61.2%、52.4%と高いです。しかし、教育費がかからないとか、社会保障の水準は上であると言えます。
 アメリカは、ご存じのように新自由主義的政策を進める国で、競争社会、自己責任の国です。社会保障はヨーロッパに比べると充実していません。しかし、アメリカは所得税を基幹税としていて、消費税はありません。つまり、アメリカは累進課税です。お金持ちが税金をたくさん払っている国なのです。アメリカでは、貧乏人は税金を少ししか払わなくて済みますが、低福祉・自己責任なのです。
 日本はどうでしょうか。小泉政権以後、民主党政権でも、民営化、規制緩和などの新自由主義的な政策が進められています。社会保障が削られ、アメリカのように自己責任社会へと進んでいます。ところが、税制では消費税を基幹税と位置づけ、消費税を増税し、所得税や法人税などの累進課税の割合が減っていっているのです。
 つまり、日本は社会保障を削減し、かつ、貧乏人からも税金を徴収するというとんでもない方向へ進んでいるのです。ヨーロッパとアメリカの悪い部分を取り入れた国になっているのです。こんなひどい方向に日本は向かっているのです。

 【高額所得者ほど低い税率!!】
Zaimus01  日本では、所得税などの累進課税が緩められた結果、所得に占める租税の割合(租税負担率)は、高額所得者ほど低い率となっています。その実態を示す資料を見つけました。財務省の平成23年度の資料、「第5回税と社会保障の一体改革作業チーム資料」の中にありました。この資料では、近年の日本では、課税の累進性が崩れフラット化していることが問題であると指摘されています。左の図は、この資料の中にあったグラフです。(クリックすると拡大して見られます。)
 このグラフから、所得が7000万円あたりから急激に所得税負担率が低下していくのが分かります。逆に、所得に占める株式譲渡所得の割合が急速に増えていきます。日本は、金融所得には分離課税で20%しか税金がかかりません。また、株式に対する優遇税制もあります。高額所得者ほど多くの金融商品を保有しており、その結果、高額所得者ほど所得税負担率が低いのです。
 日本は、課税の累進性が崩れています。この上、消費税を増税すれば、ますます税の累進性は弱まります。

 【解決策は?】
 ここまで説明すると、解決方向は見えてきました。まず、優遇税制を止め、所得税の累進性を強化することです。
  野村総研のホームページに、次のような分析が出ていました。野村総研は、格差社会を問題にしているのではなく、どの階層を狙って商売すれば良いかを分析しているだけなのですが、恐るべき内容です。
       ********
Nomura01   預貯金、株式、債券、投資信託、一時払い生命・年金保険などの純金融資産保有額(保有額から負債を差し引いた値)を5つの階層に分類して推計したところ、純金融資産1億円以上5億円未満の「富裕層」および同5億円以上の「超富裕層」の世帯数および保有する純金融資産額は、2011年時点で81.0万世帯、188兆円でした。
      ********
  純金融資産1億円以上の富裕層に対する資産課税の強化も課題です。富裕層の金融資産だけで188兆円もあるのですから、わずかな税率を掛けるだけで、消費税5%分くらいの税収は軽く越えそうです。不動産への課税も課題です。
 分離課税を廃止し所得の総合課税にすることも考えられます。

 かって日本は、政治家とマスコミに「原発安全神話」を信じ込まされました。今、マスコミは、安倍首相の打ち出した経済政策を「アベノミクス」ともてはやしています。「アベノミクス」の第一の矢は、大胆な金融政策です。これは無制限の金融緩和です。第ニの矢は、機動的な財政政策です。これは、何のことはない自民党が過去に進めた大型公共事業のバラマキ政策です。第三の矢は、成長戦略です。しかし、これは財界主導の新自由主義政策、小泉構造改革の焼き直しの構造改革路線です。TPP参加。原発再稼働も含まれています。
 マスコミは(安倍首相も)、「アベノミクス」の第四の矢と第五の矢については、口を閉ざしています。第四の矢とは、社会保障制度改革会議による社会保障切り下げ政策です。第五の矢とは、消費税10%への増税です。「社会保障を切り下げ、自己責任の競争社会を目指しながら、貧乏人からも税金を取る」。日本の進路は、このような方向に舵が切られているのです。しかも憲法改正も現実化しつつあります。

  Uさん。私たちに今すぐできることは少ないですが、今度の参議院選挙で消費税増税を肯定し、憲法改正を目指している政党には投票しないことはできそうですね。

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日本の国家財政と税制①

 先日、以前に職場の同僚だったUさんと話す機会がありました。Uさんは、「日本の国家財政は借金まみれで、家計にたとえるととっくに破綻している。国民は、福祉も少しくらい我慢して、消費税率も当然上げるべきだ。これからどうなるのか心配だ。」という意味のことを言われていました。時間がなかったので、十分に説明をすることができませんでしたので、今から少し、このことについて解説してみます。

 【国家財政を家計にたとえると?】
 テレビのキャスターなどが、日本の国家財政を家計にたとえて、「400万円しか年収がないのに、毎年500万円の借金を重ね、借金が9000万円に膨らんでいる。こんな家計は破綻している。ギリシャのようになってもおかしくない。」と言うのを何度も聞かされています。本当でしょうか? これは、たとえ方がおかしいのです。もう少し、正確に家計にたとえてみます。
 
*** 架空のJ家があるとします。J家では、夫はサラリーマン、妻は無職で家計一切を切り盛りしています。祖父と祖母も同居です。息子が複数います。貿易商で金を稼いでいたり、農業をやったり、商店を経営していたりしています。妻は、家族から一定の割合でお金を徴収して家計を維持しています。ところが、祖父が病気になり多額の医療費がかかるようになりました。家も新築しました。近所のA商店から、高価な防犯グッズも買わされました。妻はしだいに息子や夫から、借金をするようになりました。ついに、その額は9000万円にもなりました。****

 日本の財政を、正しく家計に例えると以上のようになります。このような家庭を外部の人が見て、借金まみれで崩壊寸前とは誰も言わないですね。妻が借金を返済するといっても、外部のサラ金に返済するわけではありません。家族に環流されるだけです。
 日本の国債は、多くは日本国内で所有されています。だから、このようなたとえ話が成立します。ギリシャは、外国に国債を売っています。つまりサラ金から借金をしている家計です。だから崩壊寸前の家計なのです。
 日本は異常事態であるとはいえ、ギリシャに比べまだ少し時間的余裕があります。この余裕の間に、どのように国の進路を決めていくのかが問題なのです。政治家やマスコミが、財政の危機をあおり国民を思考停止状態に追い込み、社会保障の切り下げと消費税増税へと駆り立てています。今こそ冷静に今後を考える必要があります。

 【税金の種類とその特徴は?】
 国は、税金と国債により資金を調達しています。国の財政が赤字であれば、増税することが必要です。そこで、どの税を増税したらよいかということが問題となります。そのため、税金の特徴をしっかり理解することが必要です。
 税金は、大きく分けて、所得税、法人税などの直接税と消費税などの間接税があります。
 所得税、法人税などの直接税は、収入に応じて支払う税です。たくさん収入のある人が高い率で税金を払います。つまり累進課税です。福祉国家を目指した先進諸国は、累進所得税を最も公平な基幹税としてきました。日本も戦後、シャウプ勧告をうけて所得税・法人税を基幹税として税制を確立しました。
 これに対して、消費税などの間接税は、流通過程から税を取ろうとする仕組みです。ある商品を貧乏な人が買おうが、金持ちが買おうが税額は同じです。つまり、間接税は所得の累進性を反映させることはできないのです。多く所得のある人は、消費をせずに貯金をしたり金融商品にまわすことができます。そのため、所得全体に占める消費税の割合は小さくなります。例えば、今、消費税が10%だとすると、所得が低くて貯金する余裕のない人は、所得に占める消費税額は10%です。しかし、所得が1億円の人が、5000万円で生活し、残りを貯金したとすれば、全所得に対して消費税額の占める割合はは、半分の5%ということになります。
 以上のように、所得税は累進課税、消費税は逆累進課税という特徴をしっかり押さえることが必要です。

 【日本の税制はどこに向かっているか?】
 日本の税制は、どこに向かって進んでいるのでしょうか? 多くの国民は、消費税を増税すれば、その税金は社会保障に使われると、何となく信じこまされています。では、今までの5%消費税は、どこに使われたのでしょうか? 国税収入の一覧を見れば一目瞭然に理解できます。国税収入は、国税庁のホームページで直ぐに確認できます。
 消費税が3%だった1996年(平成8年)と2010年(平成22年)の国税収入の内訳を全税収に対する割合でみてみましょう。

      1996年(平成8年) →  2010年(平成22年)
所得税         36.5%     →       31.3%          -5.2%
法人税          27.8%     →       21.6%         -6.2%
消費税          11.6%     →       24.4%        +12.8%

 消費税の占める割合が増えた分、法人税や所得税の割合が減っています。この間、所得税と法人税は減税され続けていました。つまり何のことはない、消費税は、所得税や法人税の減税分と置き換わったにすぎないのです。所得税は累進課税です。消費税は逆累進課税です。つまり、金持ちを減税して、貧乏人に課税を増やしていることになります。これでは、格差社会が進むのは当然です。国民が知らない間に、こんなことが進んでいるのです。
  
 Uさん、記事が少し長くなりました。この続きの解決編は次回にします。

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2013年4月12日 (金)

吉野山宮滝万葉コースを歩く

 4月1日。T中学勤務時代の同僚が集まってできた「万葉会」の行事で、「吉野山宮滝万葉コース」を歩きました。
 「万葉会」という会は、ほとんど酒を飲んで世間話をする会なのですが、ほんとにまれですが、万葉集と関係する取り組みも行われます。これは、会のメンバーで、万葉集をこよなく愛する国語教師S氏のおかげによるところが大きいです。今回もS氏の呼びかけで、5人が参加しました。
 S氏は、万葉集以外にもルネッサンスやバロック、モーツァルトなどの音楽愛好家で、音楽雑誌に投稿もしているようです。リコーダーの演奏もかなりの腕前のようです。若い頃に好きな女性に万葉集の歌を贈って告白したという話を聞いたことがあります。この人が現在の奥さんかどうかは、確かめていないですが。こう言うと、S氏とは女性的で繊細な感性をもつ、優しい男だと想像されると思います。その想像が正しいかどうかは、また別の機会にします。

 近鉄吉野線の終点、吉野駅を午前9時に出発しました。空は青く晴れ渡っています。ロープウェイの右の道は、土産物街を通り蔵王堂へと続きますが、私たちは、自然の多い左の道を川沿いに進みます。道の左右は、下千本と呼ばれる桜並木です。桜はかなり咲いてきています。しばらく歩くと、吉野温泉元湯です。旅館の建物が見えます。
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   さらに山道を登っていきます。山桜がかなり咲き始めています。
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   如意輪寺に向かう急な斜面を登ります。今来た道が、曲がりくねって続いています。谷の向かい側の斜面に、車が転落していました。レッカー車やパトカーがきていました。S氏が、「あんな細い道に車を乗り入れる奴の気が知れない。」と言ったので、誰か(私ではない)が、「Sさんに、そんなことを言う資格はない!」と言ったので、皆で大笑いしました。S氏は、土手の車止めのポールに車を挟まれて身動きできなくなったことがあるからです。ポールの間隔と自分の車の幅との大きさの違いを誤ったようです。
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   如意輪寺到着です。ここを通過して、さらに急な道を登ります。木の陰に蔵王堂が見えてきました。
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   さらに、「花矢倉」を目指して山道を進みます。花矢倉到着です。吉野の桜を見物するには、この花矢倉が一番のポイントですが、残念ながら中千本の桜はまだ蕾のようです。
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   花矢倉から稚児松地蔵まで下ります。ここから宮滝までの下りコースが、本日の目的である「吉野山宮滝万葉コース」です。天を突く杉の杉の美林の中を進みます。
 道の脇を流れる川の水音が、絶えず聞こえてきます。水は所々で小さな滝となって落ちています。鳥の声も聞こえます。
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   一番大きな滝が、写真の「高滝」です。この水流は喜佐谷川と合流し、喜佐谷の集落の中をのんびりと流れ、天武天皇を祀る桜木神社へと流れていきます。この川、万葉集では「象川(きさがわ)」と書いたようです。持統天皇の行幸に同行した大伴旅人の歌です。S氏が何度も諳んじていました。
  ~♪昔見し 象の小河を 今見れば いよよ清(さや)けく なりにけるかも~
                      (巻3、316)
 次は、聖武天皇に仕えた山部赤人の歌です。
  ~♪み吉野の 象山の際の 木末には ここだも騒ぐ 鳥の声かも~
                                             (巻6、924)
       意味:象山の山あいの梢で鳥がしきりと騒ぐ。夜も更けようとするのか。
 S氏の解説によれば、人麻呂→赤人→黒人と時代が下るほど、宮廷賛歌から自然を写実的に歌い、やがて内省的に自己の心情を詠うように変化していくとのことです。
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   万葉集で吉野を詠んだ歌は、百近くになるそうです。吉野といえば、今は桜で有名ですが、万葉人にとっては、水量豊かにとうとうと流れる宮滝あたりの吉野川が中心です。宮滝あたりでは、奇岩、巨岩が累々と重なり、その間に淀む水は青く澄み、場所によっては荒々しく滝のような流れが飛沫を飛ばしています。宮滝には吉野離宮が設けられ、持統女帝は、10年間の在位のうち、31回もの行幸をしています。若き日、持統は夫の大海人皇子と共に吉野に逃れ、やがて挙兵し壬申の乱が始まります。勝利して天武天皇の皇后となった持統にとっては、吉野は想い出深い土地だったようです。
Yosino901  最後の写真は、宮滝付近の吉野川です。吉野離宮は写真の右の方で、左の方には象川が吉野川に注ぐところがあり、これかが「夢のわだ」です。写真ではよく確認できませんが・・・。
 太宰府に赴任していた大伴旅人が、望郷の念にかられて詠んだ歌です。旅人は、再びこの地に戻ることはありませんでした。
 ~♪ わが行きは 久にあらじ 夢のわだ 瀬にはならずて 淵にあらぬかも~
                                              (巻3、335)
  意味:私の任期もそう長くないだろう。夢のわだよ、浅瀬になることなく淵のままであってほしい。
 S氏の案内による吉野山万葉コース散歩は、この宮滝で終了です。どうもありがとうございました。   では。また。

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2013年4月10日 (水)

鴻ノ巣山の三つ葉ツツジ

 城陽市の鴻ノ巣山で三つ葉ツツジが満開となりました。4月8日、良い天気に誘われ、散歩がてらに行ってきました。
 水度神社の境内を抜け、5分ほど登ると、三つ葉ツツジの咲いている場所に到達します。私の後ろから、老夫婦が来ます。子供たちも来ました。犬の散歩の人は下っていきます。
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   休憩所に到着です。この休憩所はいつも、お年寄りが世間話に花を咲かせています。思い出話、自慢話、政治談義、阪神の応援話、噂話。写真の人たちは、なにやら文学の話のようです。しだれ桜も、まだ少し残っていますね。
 二枚目は、この休憩所からの眺めです。三枚目は、休憩所の前の株です。
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   次の一枚目の写真は、この休憩所から下へ降りたところです。右側の斜面に一番たくさん咲いています。
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   階段を犬の散歩の人が降りてきました。祖母と孫が登っていきます。
 三枚目、階段を登った辺りの山道です。
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   この階段を登ったところに、桜見台という座れる台が作られています。一枚目、ここから下を見た写真です。女性二人が話をしながら降りていきました。「今言ったことは、絶対秘密にしておいて・・・・。」という声が聞こえました。なにやら、重大な話をしていたようですね。花より話?
 ではここで、躑躅を詠んだ歌を三つばかり紹介して、お別れします。なぜか夕方の歌ばかりになりました。     では、また。
    ★酔ふばかり あまき躑躅の香にひたり 人なつかしき けふの夕ぐれ
                     九条武子
  ★夕日かげ かがやく色にまばゆくも わが山躑躅 花さきにけり
                     与謝野礼厳
  ★夕やみに 風たちぬればほのぼのと  躑躅の花は ちりにけるかも
                     斎藤茂吉
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2013年4月 6日 (土)

二十四節気「清明」2013

 二十四節気の写真、2010年の「清明」より始めましたので、今回で4年目に入ります。これからも、季節の移ろいを楽しみながら進みます。

 4月5日は、二十四節気の一つ「清明」です。暦便覧によれば、「万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草としれる也」とあります。「清明」とは、「清浄明潔」を略したもののようです。空は晴れ渡り、百花が咲きそろう頃です。4月4、5日は、まさに清明にふさわしい好天でした。6、7日は、一転春の嵐になりました。
 七十二候は、次の通りです。
  初候:4月 5日~  「玄鳥至る」      南からツバメがやってくる頃です。
 次候:4月10日~  「鴻雁かえる」       雁が北へ帰っていく頃です。
 末候:4月15日~  「虹始めてあらわる」 初めて空に虹がかかる頃です
              4月20日が次の節気「穀雨」です。
  清明の期間は、旧暦では2月の終わりから3月にかけてです。
 旧暦2月の異称は、「木芽月」です。
 旧暦3月の異称は、「早花咲月」(さはなさづき)です。「桜月」、「花見月」、「桃月」、「春惜月」などもあります。よく知られた「弥生」の語源は、「木草弥生月」(きくさいやおいづき)だといわれています。実に多様な表現で季節を楽しんでいたようです。

 清明の日の前日、4日は、好天に恵まれ桜の花が満開となりました。まず、近所を歩きましょう。文化パルク城陽の垂れ桜。近所の児童公園の桜。近鉄の線路脇の公園で、電車の写真を写す老人。私よりも年上な感じですね。なぜか口を大きく開けて、狙いをつけています。
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   自転車で木津土手へ行ってみましょう。まず古川沿いを進みます。もうカラシナが咲き始めました。タンポポもすごい数咲いています。
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   農作業の人です。バックが寺田桜堤です。土手の上は、子供たちの天国です。
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   土手を南へ10分程進むと近鉄富野鉄橋です。ここにも桜の木があります。次の写真、3枚とも同じ木です。撮り方によっていろんな表情になりますね。
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   さらに南へ5分ほど進むと、富野の桜堤です。土手の上や下、カラシナの中から、様々なアングルで写します。もう怪しいオッサン状態です。いや、オジイサンかも。
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   次も富野の桜堤です。
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   夕日は、近鉄富野鉄橋で迎えます。これで、4日の日の撮影は終了です。
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   城陽市の観音堂や青谷方面では、桃の花が満開となりました。今年は、桜も桃も一気にやって来たという感じです。
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   それから、是非紹介しておきたいのが、南京都病院のエドヒガンザクラ。今年から城陽市の名木に指定されました。推定樹齢100年。接ぎ木により、赤白二種類の花が咲きます。ちょうど、祖母と孫と思われる二人が、ヨモギ摘みに来ていました。
 お別れの一枚は、木津川土手のカラシナです。毎年、桜が終わるとカラシナの撮影と決めているのですが、今年は桜とカラシナが同じ時期に重なりました。 では。また。
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2013年4月 3日 (水)

二十四節気写真のまとめ

2010年の「清明」より2013年の「春分」まで、撮った写真を二十四節気にかこつけて掲載してきました。これで、ちょうど丸3年が経ちました。なんという意味のないことを延々とやり続けてきたのか、少し自嘲の念を持って3年間の意味を考えてみます。

 季節の移ろいに身を任せ、朝露に濡れる野の花を愛で、風に吹かれ日をおくり、沈む夕日に涙する、なんという優雅な生活でしょうか。季節のうつろいや野の花を詠った俳句、短歌も紹介してきました。万葉集の中からも題材を捜してきました。自分の思うがままに、下手くそなりに、季節を写真として切り出してきました。確かにこれは素晴らしいことなのだと肯定する気持ちが一方ではあります。
 しかし、一方には、このような気持ちを激しく否定する気持ちも湧き上がってきます。いったいなぜなのでしょうか? それはどうも、私の成長過程に原因があるように思います。その辺りを少し説明します。
 私は子供の頃から、俳句は暇な老人が趣味でやるものという印象を持っていました。青春期に入り、桑原武雄の「俳句第二芸術論」を知りました。これは、私にとって衝撃的でした。私が何となく懐いていた「俳句は暇な老人が趣味でやるもの」という印象が根拠のないことではなかったことを確信しました。さらに、詩人小野十三郎の「短歌的抒情の否定」ということに大いに共感しました。小野十三郎は、短歌や俳句の中に流れる日本的リリシズムを「詠嘆的抒情」「奴隷の韻律」として否定したのです。
 私が青春時代を送ったのは、まさに大学紛争の真っ只中でした。大学が封鎖され講義が半年間くらい中断していたこともありました。社会的正義、思想的正義のみが最高の価値を持つとされる時代でした。おそらく、こうした時代の影響下で青春時代を過ごした者の心の中には、「季節の移ろいに身を任す~」というような生き方は、敗北であるという感情が根深く残っているのだと思います。私もそういう一人なのでしょう。

 野に花が咲き、風が渡り、雲が流れ、季節は移ろっていきます。二十四節気の風景を楽しみながらも、満たされない何かが心の中に引っかかっています。目的のある旅は、目的を達成すれば、そこで旅は終わりです。目的が達成されなければ挫折です。しかし、満たされない何かを求める旅は、終わることのない旅です。求める何かがはっきりしないのに、何かを求めても何も得られません。たださまよい続けるだけです。
 どうやら、私の二十四節季の旅は、小野十三郎のいう「詠嘆的抒情」「奴隷の韻律」の世界をさまよい始めたようです。この辺の心情を写真詩「旅の終わりに」にしてみました。
  墓石さんのホームページ→詩と写真→「旅の終わりに」でみられます。
       直ぐにチェックしたい人は→こちらから。    

 二十四節気の写真、木津川土手と鴻ノ巣山というみじかな風景限定で、まだしばらく続きます。                    では。また。

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