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2013年3月 3日 (日)

【尊厳死について】④仏教編

 病気が末期になり自分では何もできない、人のお世話になるのみで、社会の役にはたたず、痛みに耐えながら死を待つのみの状態になっても、それでもなお、自分が生きていく意味を見いだすことができるのか、という超難問に対する答えですが、前回はキリスト教からの答えを紹介しました。今回は、仏教からの答えです。

 「仏教からの答え」と書きましたが、原初の仏教と日本仏教では、同じ宗教とは思えないくらい違います。宗派によっても様々に違います。仏教というくくりで統一見解があるわけではありません。また、論理の展開が極めて弁証法的で、私にとって、仏教思想は極めて難解です。無い知恵を絞って、理解できたと思える範囲で簡単に解説してみます。

 まず、「色即是空」から説明します。
 この世界は、「色」と「空」という二つの対立物の絶えざる運動により出来上がっています。「色」とは、私たちが見ている現象世界です。「空」とは、本源的(本質的)世界です。「空」が、不断に「色」として現象します。つまり、「色即是空」です。また、私たちは、「空」を直接見ることはできません。「色」という現象世界を通じてしか見ることはできません。つまり「空即是色」です。
 私という個人も、ただの「色」として現象しているに過ぎません。「空」という必然が、「私」という偶然として現象しているだけなのです。生命の普遍性が、「私」という個別性として現象しているのです。逆に、一人一人の個別性が、人類という巨大な生命の流れの普遍性を形成しているのです。
 現象世界では、何一つ永遠なものはありません。常に変化し、発展(弁証法的)していくものなのです。
 私たちは、自分の生死を自由にはできません。生命の必然が、「私の死」という偶然として現象しただけなのです。しかし、私たちはそのことが理解できず、「もっと生きたい」という、どうしようもない欲に捕らわれます。欲があるから苦しみが生まれるのです。すべての煩悩を捨て去ったとき、人間は初めて自由で平安に満ちた生き方ができるのです。つまり、「悟り」です。

 以上、無い知恵を絞って仏教を解説してみました。この程度の理解で申し訳ないです。偶然性と必然性。個別性と普遍性。形式と本質。対立物の統一。絶えざる運動と発展。仏教は弁証法の宝庫という感じですね。理科系の人に仏教ファンが多い(?)のもうなずけます。私は学生の頃、弁証法の勉強をしていましたが、理解が少し偏っているかも知れません。
 結局、「輪廻転生」、「生きる苦」から解脱するためには、やはり「悟り」が必要のようですね。しかし、修行もしていない私には、「悟り」はとても無理です。修行したいとも思いません。「悟り」ということについても、私にはどう考えても、「いさぎよく諦めて、心静かに生きよ」という程度の理解しかできないです。仏教徒の皆さんには、笑われてしまいそうですが・・。すみません。
 死を前にして、「もっともっと生きたい」などと言うのは、欲に囚われた醜い生き方であるという考えは、どうも仏教由来の考え方のようですね。
       次回は正岡子規の「病床六尺」よりです。

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コメント

墓石さん こんばんは。(*^_^*)

仏教理念は私も学生の頃、学びましたが、墓石さんは
やはり教師だった方。よく学ばれますね!

いつも余りにも学びが多く、仏教は学生後学んでない
ですが、最近、仏教とキリスト教の違い、という著書
を読みましたので、またブログに書こうとは思って
います。

結局、釈迦の開かれた仏教と、今の仏教は全く違い、
また宗派により、拝む対象も違いますし、お経も
違うのですよね。

空海が中国へ留学し、そこでシルクロードを通って
中国へ伝わった、当時 景教と言われていた、キリスト
教を彼は学んだのですよ。釈迦は哲学で、救いはない
ので、彼は日光菩薩として、キリスト教を伝えてる
のです。だから仏教の根本はキリスト教が入ってる
のです。しかし色んな分派に分かれ、開祖と仏を拝む
対象になってるかもです。そこのところまた
纏めますね。

東方にはキリストの弟子、トマスが宣教してます。
イスラムも旧約聖書の1部分を取ってますね。

人間の持つ罪で、色んな宗教が出ますね。
結局信じるか、信じないかの問題なんですよ。

投稿: 輝子 | 2013年3月 3日 (日) 22時40分

輝子さん、おはようございます。
コメントありがとうございます。
輝子さんは、さすがに宗教のことは詳しいですね。

今回、仏教のことも勉強しようと意気込みましたが挫折です。
難解です。しかも言っていることが、宗派によりバラバラです。
原初の仏教とは明らかに違う主張もあります。これは困ります。
というわけで、仏教の勉強は挫折です。

尊厳死については、次回を最終回にする予定です。

投稿: 墓石 | 2013年3月 4日 (月) 10時02分

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