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2013年3月

2013年3月28日 (木)

八坂神社周辺の桜

 昨日、「万葉の会」の飲み会が、四条河原町の居酒屋で行われました。少し早めに行き、メンバーと共に八坂神社周辺の桜を見物してきました。その時の写真です。

  「万葉の会」というと、万葉集を論じ合うまじめな会と思われるかも知れませんが、それは違います。万葉集は話題の0.1%以下です。酒を飲んでとりとめもなく、延々と世間話をするというのが実態です。「慢酔う会」と言ったところですか。  

   会の2時間前に集合し、まず、八坂神社へ向かいます。八坂神社には、有名なしだれ桜があります。久しぶりの「丸山公園垂れ桜」との対面です。
 ウーン。もうかなり樹勢が衰えてきているようですね。痛々しい。
 この後、知恩院方面へ。雨が降り出し、写真どころではなくなりました。目に付いたところをつまみ食いという感じです。Yasaka101Yasaka102Yasaka103

 

  

  
 
Yasaka201_2Yasaka201_01_2  桜には、まだ少し早かったようです。多くの木が3~4部咲きという感じでした。
  

   

   

   ねねの道を歩き、今度は祇園方面へ。川沿いを歩きます。
おっと、人力車が行きます。芽を出した柳。しだれ桜。なかなか雰囲気が良いです。この辺は、初めて来ました。観光客も多いです。

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   あれ~、屋根の上に青サギです。こんな繁華街で逃げもせず、ジッとしています。
 この後、水路沿いを歩いて喫茶店へ。これで本日の撮影は終了です。
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Yasaka501  会の方は、食べて飲んで10時半、帰路につきました。では。また。

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2013年3月25日 (月)

宇治田原町高尾梅林

 先日、宇治田原町の高尾に梅の撮影に行ってきました。その時の写真です。

 宇治田原町高尾は、宇治川支流の田原川が削りだしたV字谷の上の方にある集落です。ここには梅林があり、これは相当に古くからあったと思われます。織田信長に敗れた近江の佐々木氏が逃れ隠れ住んだという言い伝えもあります。江戸時代、与謝野蕪村も天明三年にこの地を訪れたそうです。次の句がのこされています。
    鮎落ちて いよいよ高き 尾上かな  蕪村
 白洲正子の随筆集「かくれ里」にも、「田原道」として紹介されています。
 
 今年は、寒い冬からあっという間に桜の時期が始まりました。そのためもあり、また、体調不良で引きこもり生活をしていたこともあり、梅の撮影のチャンスを逃しました。先日22日、もう梅はダメかと思いながら行ってみると、まだ梅は咲き残っていました。サンシュユも盛りを迎えていました。
 集落の上に車を止め、歩いて撮影です。一枚目、道路からの風景です。京都市内が一望できます。よく晴れた日の夕方には、金色に光る大阪湾を確認できます。
 梅林は急斜面になっています。
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   梅林の端に大きなサンシュユの木があります。このサンシュユを入れた3枚です。
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   紅梅(?)を入れた3枚です。バックの山が青みを帯びていい雰囲気です。
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   椿も咲いていました。去年の枯れススキも残っています。枯れススキ、梅、サンシュユと季節の移ろいが重なり合っています。
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   集落の最上部から見た風景です。ここは、サンシュユがすごいです。霧の出た日もいいですが、晴れた日もいいですね。梅の時期も、これでほぼ終わりです。もう桜が咲き始めています。では。また。
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2013年3月22日 (金)

定期診察の日(58)・薬の長期使用リスク

  今日は定期診察日でした。診察の結果です。血小板数は、ほぼ85万/μlに急上昇しました。主治医は、管理目標の上限に達したので、次回も上昇傾向が続けば、投薬量を増量をするということでした。投薬量はこのままで、次回まで様子をみるそうです。
 ヘモグロビン値は低めながらも横ばい、中性脂肪、尿酸値、。カリウム、LDH、γGTPなどは異常値のままです。

 最近の症状を書いておきますと、まず微熱、足のチクチク感、最近、頭痛がするようになりました。脾臓が徐々に大きくなってきているせいか、脇腹の違和感が強くなってきています。夜寝るとき、体の右を下にすると、何となく苦しくなります。脾臓のある左を下にするとマシなので、左を下にして寝てばかりいたため。左肩が痛くなって、この姿勢では寝られなくなりました。今は真上を向いて直立姿勢で寝るか、腹ばい状態で寝ています。
腹ばいで寝ると首が痛くなります。ヨダレも出ますね。困ったことです。

 今日は、抗ガン剤の長期使用の副作用の危険性について質問しました。私は、マブリン散(ブスルファン)という抗ガン剤を使用しています。普通、第一選択薬は、ハイドレアですが、私は副作用でこの薬は使えなくなりました。
 その回答の要旨をまとめておきます。
  ★マブリン散はハイドレアよりも二次性の癌(白血病などの血液系の)を発症する危険が高いということです。その確率は数%だそうです。
   ★血小板血症は長期的経過で、他の二次性の癌に移行するそうです。その確率も数%だそうです。
    ★したがって、薬の副作用を心配し過ぎるのは意味がない、ということです。
 しかも、私の場合はすでに骨髄線維症に移行しており、ますます意味がないわけですね。よく分かりました。
 主治医は、ずっと以前の診察では、「抗ガン剤」や「二次性の癌」とか、「癌」という言葉の使用を避けて説明されている様子が覗えましたが、余命の予想を言ってから、最近は少しその呪縛が解けてきたように思います。気を遣わせて申し訳なかったですね。
                      では。 また。
 
   ~追加の余談です。~   
 抗ガン剤の長期使用について、大阪市立大学医学部のホームページに記事がありましたので、以下に、一部分を抜き出してみました。参考になりませんが。
                          ***********
 本態性血小板血症は長期的自然経過で一部は真性多血症、骨髄線維症、急性骨髄性白血病に移行します。
 本態性血小板血症195例の解析では13例(6.7%)が骨髄線維症に移行(観察中央値は7.2年)、5年、10年、15年での予想値はそれぞれ2.7%、8.3%、15.3%、急性骨髄性白血病への移行は1例(0.5%)と報告されております。
 2005年に本態性血小板血症806例の追跡調査の結果が報告されました。骨髄線維症への移行は20例(2.5%)、真性多血症への移行6例(0.7%)および急性骨髄性白血病/骨髄異形成症候群への移行7例(0.9%)が認められています。
 我が国では、ハイドロキシウレアが第一選択薬として使用されており、ハイドロキシウレアの白血病移行率が問題となります。Sterkersらの報告では観察期間中央値98ヶ月においてハイドロキシウレア単剤201例中7例(3.5%)、ハイドロキシウレアと他剤との併用により50例中7例(14.0%)に急性骨髄性白血病/骨髄異形成症候群への移行を認めたことを報告しております。Chimらの231例を対象とした報告ではハイドロキシウレア投与での急性骨髄性白血病/骨髄異形成症候群への移行は5例(2.2%)、単独投与例では3例(1.3%)となっております。
 Gangatらが605例の本態性血小板血症を追跡、平均84ヶ月の追跡期間で20例(3.3%)
に認められたことを報告しました。2次性白血病はこの内4名であり、ハイドレアを含め、抗癌剤の使用は独立した危険因子にはなっておりません。従ってハイドロキシウレアの急性骨髄性白血病/骨髄異形成症候群への移行促進作用は否定はできないものの決して高いものではないと考えられます。

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2013年3月20日 (水)

二十四節気「春分」2013

 3月20日は、二十四節季の一つ、「春分」です。江戸時代の暦便覧によれば、『日天の中を行て昼夜等分の時也』となっています。これから、一日一日ごとに日が長くなっていきます。七十二候は、次の通りです。
 初候:3月20日~  「雀始めて巣くう」  雀が巣を作り始める頃です
 次候:3月25日~  「桜始めて開く」    桜の花が咲き始めます
 末候:3月30日~  「雷乃ち声を発す」  雷が鳴り春の恵みの雨が降る頃です
              4月5日が次の節気「清明」です。

 今の時期は、七十二候で言うと「雀始めて巣くう」です。木津川土手周辺では、青い空にヒバリの声が響いています。俳句では、
            ~ 雲雀今揚りぬそこに巣やあらん~    正岡子規
と詠われていますが、私は巣は見たことがありません。万葉集では、雲雀の歌は3首あるようです。大伴家持の歌です。
      うらうらに 照れる春日に ひばり上がり 心悲しも ひとりし思へば
  意味:のどかに照る春の日に、ひばりが舞い上がり、独り思えば心が悲しい
  万葉集の頃は、春のヒバリに物悲しさを感じていたようです。私も全く同感です。青い空にヒバリが啼くのを見ると、なぜか涙が出そうになります。
 メンデルスゾーンの「おお、ヒバリ」では、春の喜びと神への賛歌が歌われます。
       ~♪ おお ひばり 高くまた / 軽くなにをか うたう / 天のめぐみ 地のさかえ/ そをたたえて うたう/ そをことほぎ うたう ~♪
 一枚目はカキツバタの芽生えと比叡山です。次は、木津川土手と愛宕山。三枚目は、古川の水路。ひばりの声は写真に写りませんが、いずれも雲雀が高く啼いています。
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   雲雀の声を聞きながら、木津川と並行して流れる古川を進みましょう。古川の歴史は古く万葉の時代から掘られた水路のようです。柳も芽を吹いてきました。
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   土手の梅も満開の時期を迎えました。一枚目と二枚目は、城陽市の名木長谷川河口の大榎です。
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   土手の上から見る梅です。畑や田んぼでの作業も忙しくなってきたようです。
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   富野の桜堤付近の梅です。
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   城陽市の鴻ノ巣公園にも梅の木があります。大きく成長して、桜と間違えそうです。駐車料は2時間まで無料、入場はもちろん無料。巨大滑り台もあり、子供を遊ばせるには絶好の場所です。半数以上が城陽市民以外の利用者だと思います。
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  公園ではサンシュユの花も咲き出しました。サンシュユは、江戸時代享保年間に、薬用植物として伝わってきたようです。強精薬、止血、解熱作用があるそうです。
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   長谷川河口に、「生まれ口樋門」という排水施設があります。その導水管にむかって子供たちが歌を歌っていました。よく響くので面白がっているようです。
 前回と同じように夕日の時間、長谷川河口で魚釣りの少年に出会いました。「今日は釣れたか?」と聞くと、巨大なナマズを釣ったと言っていました。
 お別れは、近鉄富野鉄橋の夕日です。新型特急が撮れました。 では。また。
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2013年3月17日 (日)

小川洋子著「ことり」感想

 小説が苦手な私ですが、小川洋子著「ことり」(朝日新聞出版)を読みました。なぜこの本を選んだかと言えば、妻が買ってきてくれたからです。私は小説を読む時、人物が多くなってくると、関係が混乱します。急に場面が転換すると、筋を見失います。長い文学的表現にはイラつきます。果たして、私は小説好きになれたでしょうか?結論は最後で。

 では、まず超簡単にストーリーを紹介します。
 物語は、「小鳥の小父さん」と呼ばれる孤独な老人の死から始まります。この小父さんには、かって、通常の言葉がしゃべれない兄がいました。しかし、この兄は、独自のポーポー語を獲得し、小鳥たちと対話することができました。このポーポー語は、小鳥の小父さん以外、誰も理解することができない言語でした。両親の死後、、小父さんは近くの企業のゲストハウスの管理人として働き、兄を養い、二人だけの、孤独で慎ましやかな生活を送ります。兄の死後、小父さんは、幼稚園の、兄の好きだった小鳥小屋の清掃を無償で引き受け、黙々と小鳥の世話を続けますが、ある事件により、小鳥小屋から閉め出されます。やがて管理人の仕事も退職します。怪我をしてこの小父さんの元にやって来たメジロとの静かで心温まる生活。図書館司書の女性へのほのかな恋心。虫の声を聞く老人との出会い。メジロの鳴き合わせ会での事件。などのエピソードがつづられます。やがて小父さんは鳥かごの傍で孤独な最期を迎えます。(粗筋にすると、著者の世界が台無しですね。スミマセン。)

 小説が苦手な私は、無い知恵を絞って、「ポーポー語」とは一体何であるかを考えてみました。「ポーポー語」とは、命あるものすべてがかって共通に持っていた言語、人間がすでに忘れてしまいもはや意味不明になった言語、言葉を使っては成立しない言語なのです。宗教者なら、魂の言語というかも知れません。この兄弟は、小鳥を愛し、ポーポー語で、人にとって本当に大切なものについて語り合っていたのだと思います。
 このように考えると、私たちの心の遙か奥底には、ポーポー語の世界が眠っていることになります。このポーポー語の世界は、時々人の心に働きかけます。私の知り合いに、虫の写真ばかりを撮っている人がいます。周りの人にとっては意味不明です。写真好きの私にさえ彼は少し理解を超えています。彼は、周囲から孤立しながらも、おそらく、ポーポー語の一種、「ムシムシ語」で対話しているのかも知れません。人には、たとえ周囲から理解されなくとも、大切にしたいものが眠っているだと思います。
 また、逆に、ポーポー語の世界から人間の世界を覗いてみれば、人間の使う言語は、どのように響いているでしょうか。人の噂話や悪口。出世や金もうけの話。ねたみ。嫉妬。欲望に満ちた人間の言語は、おそらく、意味不明な醜い言語として響いているのでしょう。
 私たちは、時には、自分の心の奥で眠っているポーポー語の世界に、そっと静かに耳を傾けねばなりません。自分にとってほんとうに大切なものは何かを聞くために・・・。そして、世界はなぜここにあるのか、小鳥はなぜ美しい声で歌っているのか、すべての謎が、ポーポー語により語られるのを聞くために・・・。
 静かでささやかな日常。無言の言語でしか語ることのできない世界。著者は、優しさと愛情に満ちた視線で、独自の世界を紡ぎ出しました。小説嫌いの私をして、こうもいろいろ考えさせてくれたこの本、お薦めします。

 ・・・・しかし、もう一言。 ポーポー語を、たとえ社会から孤立しようとも、自分の心の底にある一番大切なものと対話するための言語だと規定すると、疑問が発生します。かって、日本が戦争を進めていた時代、最後まで戦争に反対し、社会から排斥され、命を落とした人たちがいました。牢獄に繋がれた彼らは、美しい鳥の声を聞いたかも知れません。自由に飛ぶ鳥に憧れたかも知れません。その時、彼らが使った言語は、ポーポー語だったのでしょうか。それとも、まったく別の言語だったのでしょうか?  答えは明確ですね。私の愚かな疑問は、これぐらいにしておきます。
  結論。私は小説好きになったのでしょうか?  ウーン! 答えは「微妙」。
                                         では。また。

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2013年3月15日 (金)

城陽市青谷梅林の夕暮れ

 城陽市には、「青谷梅林」という梅林があります。私の家からは自転車でほどよい距離にあるので、良い天気の夕方、ブラリと出かけてきました。その時の写真です。
 
  ~この青谷梅林がいつごろからあるのか、その起源は定かではありませんが、古くから、日本でも有数の梅どころとして知られていました。後醍醐天皇の皇子である宗良(むねなが)親王の歌に、早くも次のように詠まれています。「風かよふ 綴喜の里の 梅が香を 空にへだつる 中垣ぞなし」―鎌倉時代から、すでに人々に愛されていたことを物語っています。
 現在では、50軒あまりの農家が、20㌶ほどの面積に約1万本の梅を栽培しています。梅は、大別して大梅と小梅に分けられ、大梅は城陽特産の梅酒や和菓子の原料に、小梅は歯ごたえのある味が好まれ梅干し用になります。あわせて約160㌧を生産し、その8割は京都、名古屋方面へ出荷されていて、栽培面積、生産量とも府下一を誇っています。
    ~(城陽市観光協会のホームページより)~

 青谷梅林は、比較的なだらかで、あくまでも生産梅林です。「よく手入れされ苔むした老木に美しい梅の花」や「切り開かれた急な山の斜面に雄大に広がる梅林を俯瞰した風景」を期待する人には向きません。梅干しでも食べなから、ゆっくりと気軽に、春の日を楽しみたい人には向いています。つまり、私には向いていますね。
 一枚目、「中天満神社」へ向かう道です。二枚目、おっと、犬の散歩の人が来ました。
三枚目、下から見上げるとこんな感じです。
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   梅林の中には、あまり手入れされていませんが竹林もあります。竹林から梅を見るのも一興です。松竹梅と言いますが、松はありません。
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    かなり夕日が赤くなってきました。梅林の中の道です。人はほとんど通りません。犬を散歩させる母と娘さんです。絶好の被写体ですが、声を掛けるのを躊躇しました。声を掛けるとき、自然な流れというものが必要ですが、犬に愛想を振りまこうとしたら、かえって吠えられしまいました。残念。
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   夕日はますます赤味をましてきました。フレアーを入れたり、幹の影を入れたり、工夫はしてみるものの、梅の花の優しさからは離れてしまいます。
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   青谷梅林で夕日の梅林を俯瞰できるのは、ここしかないと思われる場所です。高さを稼ぐため、堆肥用の枯れ草の山に無断で登っています。うまい具合に、カップルが通ります。平日の夕方は滅多に人は通りません。
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   静かな夕暮れになりました。少し冷えてきました。 では。 これで。
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2013年3月13日 (水)

山田洋次監督「東京家族」

 昨日、山田洋次監督映画、「東京家族」を見てきましたので、感想を書かせていただきます。
 山田洋次監督の「東京家族」は、小津安二郎監督の名作、「東京物語」をリメイクした作品と言うことで、少し前、DVDを借りてきて、小津安二郎監督の「東京物語」を再度鑑賞し直してから、映画館に行きました。

 まず、小津監督の「東京物語」を簡単に説明します。
 昭和20年代後半、日本が高度経済成長に向かう前夜、経済成長の始まりと共に、地方から都市部へと人々は流れ、家庭を形成していきます。大家族は解体され「核家族化」という現象が進み始めた頃の話です。
 地方に住む老夫婦が、東京に住んでいる息子家族と娘家族を訪問し、そこで様々なエピソードが展開されていきます。その中で、老夫婦は、自分たちと息子や娘の家族との間に横たわる大きなを溝を感じとっていきます。家族のあり方の基本に拘わる何か。止めようもない時代の変化。心や時の移ろい。老いていくものの寂しさ。それらのものが、控えめに、淡々と描かれています。
 小津監督の「東京物語」の底流にあるのは、止めようもない時代の流れの中にある「老いていくものの悲哀」「静かな無常観・諦命観のようなもの」だと思います。戦死した次男昌二の妻、紀子との心の交流が、微かな温かみを添えているものの、強い主張ではありません。

 では、山田監督は、この「東京物語」を現代社会の中へどのようにリメイクしたのでしょうか。新自由主義的な競争社会。増え続ける非正規労働。地域の崩壊。孤立死。東日本大震災。そんな現在の社会の中で、山田監督が提示したのは、「希望」です。人の優しさと誠実さに支えられた「希望」です。
 小津作品の中では、次男昌二は戦死したことになっていました。山田作品では、次男は昌次と名を変え、フリーターやアルバイト的仕事をする、できの悪い息子として登場します。主人公の周吉は、妻の急死後、昌次こそ、妻によく似た「優しさ」を持った息子であることを発見します。また、震災ボランティアで知り合い昌次の婚約者となった紀子に、人としての「誠実さ」を見ます。亡き妻の形見の古時計は、この二人の手に託されます。山田監督は、「人の優しさと誠実さ」に支えられた「希望」を次世代の人に託したのです。
 山田監督は、酒に酔った主人公周吉に、「この日本はどこかでまちがってしまった。」と語らせます。高度経済成長を通し、やがて行き着いた社会は、果てのない競争社会、地方は衰退し、経済的効率のみが優先する社会でした。小津作品の中で、笠 智衆が好演した主人公周吉が予感した「核家族化」の悲哀・無常観にたいして、山田監督のメッセージは明快です。「人の優しさ」と「誠実さ」に欠けた「希望」は真の「希望」ではない。私たちは、こんな社会の中でもなお、「人の優しさ」と「誠実さ」の火を灯して進んでいかねばなりません。

 この映画を評価する能力も資格も、私にありません。しかし、山田監督のメッセージ、私には十分伝わりました。ありがとうございました。この映画お薦めします。
 それから、小津安二郎監督の「東京物語」、こっちの方もお薦めします。

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2013年3月 8日 (金)

二十四節気「啓蟄」2013

 3月5日は、二十四節気の「啓蟄」でした。暦便覧によれば、「陽気地中にうごき、ちぢまる虫、穴をひらき出れば也」です。冬眠していた虫が、地面から這いだしてくる頃です。二十四節気は、さらに各節気の間が3分割されて、全部で七十二に分割されています。これが、七十二候です。
 ・啓蟄の初候は、「すごもりの虫戸を開く」 3月5日~9日
  ・啓蟄の次候は、「桃始めてさく」          3月10日~14日
 ・啓蟄の末候は、「 菜虫蝶となる」         3月15日~19日
            3月20日が、次の二十四節気「春分」。

 京都府南部では、4日以後、急に春らしい日が続いています。4日連続の晴です。毎日、自転車で木津川土手へ、短時間の散歩に行きました。その時の春らしい写真です。
 まず、田んぼのわきに猫柳か咲いていました。白い艶のある綿毛が逆光に輝いています。青空をバックに、爽やかに撮ってみました。
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  蜜蜂の羽音がうるさいです。さすがに啓蟄です。ホバリング中の蜜蜂を撮りました。
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   幼稚園児の散歩です。虫扱いして申し訳ないが、春になると出てきます。春らしい光景野焼きです。あっちこっちで煙が上がっています。農作業も徐々に始まっています。3枚目は、城陽市の特産、カキツバタです。薄緑の芽を出してきました。
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   田んぼの畦道には、次々と花が咲き始めました。枯れ草の間から、野茨もチャッカリ蔓を伸ばしてきました。もう、鋭い棘が付いています。生命力を感じますね。
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   土手の梅も満開になりました。梅にはメジロ。標準レンズで撮れるくらいまで、近くに来てくれるのでうれしいです。
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   梅に蜜蜂。梅に近鉄電車。梅に自転車。梅の木の傍は、良い臭いがします。ほんとに、春らしい幸せな気分になれますね。
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   第ニ京阪のガード下からトンネルの外を見ると、外が春であることが一層浮き立ちます。そんなことを考えて、写真を撮ろうとしていると、犬と散歩する人が来ました。狼のような顔つきの巨大犬です。「立派な犬ですね。」と声を掛けて話をしました。無愛想で社交性のない私としては、異例の出来事です。おそらく、さっきの梅の香りのせいでしょう。この人は、「連れ合いを亡くして、今は一人と一匹で暮らしています。」などと話されていました。奥さんへの深い愛情と孤独。映画の一場面を見るような気分で、遠くなっていく影を見送りました。
 二枚目は、ヨモギ採りのおばあさんです。草餅にすると言っていました。半分は、正月まで保存して、正月用の餅に入れると言っていました。「実に優雅な生活ですね。」と言うと、「ハハ。ただ好きなだけですよ。」と答えられました。「スローライフ」と言おうとしたのですが、横文字は良くないかと思い、「優雅な生活」にしました。
 三枚目は、私の好きな長谷川河口です。
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   夕方、長谷川河口に行きました。夕日の中に自転車が止められています。たぶん少年二人が、釣りをしていると思います。
 やはり、釣りの二人がいました。声を掛けて写させてもらいました。沈む夕陽に、添景として、二人の友情を添えることができました。遙かに過ぎ去った少年時代を思い出します。
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   さて、お別れは、夕日の写真です。近鉄富野鉄橋の夕日。
 後の二枚は、夕日の中に人を入れる作戦です。フィルムで写真を撮っていた頃に使っていたテレコンバーター×2を引っ張り出して、試してみました。この悪趣味な試みは、これで終了です。太陽の中に人を入れる必然が、どうも自分でもよく分からないです。
              では。また。
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2013年3月 5日 (火)

初恋の人と再会

 網野高校15期同窓会に参加し、半世紀ぶりに初恋の人との再会を果たしました。

  先日、私の出身校、網野高校の同窓会が祇園の和風旅館を会場に開かれました。高校の同窓会に参加するのは初めてです。私は、つきあいも狭く、無愛想な学校生活を送っていましたもので、知っている人がいなかったらどうしようなどと心配していました。
 しかし、心配は無用でした。クジを引いて着席すると、隣は、60歳台後半に入ろうというのに美しい女性です。かわいい大きな澄んだ瞳。真っ直ぐに伸びた背筋。高校時代、私の憧れの人だったT.Mさんです。間違いないです。
 適当なチャンスが到来し、彼女と話を始めましたが、な!な!な!なんと、彼女の私に対する記憶が定かでないのです。ラブレターも送ったのに。しかも卒業後しばらくたった時、一大決心をして、彼女を喫茶店に呼びだし、二人で会ったことがあるにも拘わらずです。
 彼女は、「告白するときは、もっとしっかり告白しなくちゃ・・・。」と笑いました。確かに、一度も「好きです」という言葉が入らない手紙が、ラブレターと呼べるものなのか疑問です。喫茶店で面白くもない世間話とチグハグな相づちを打つことは、告白と呼べないことは明らかです。私にしてみれば、手紙を出すという不自然な行為が、告白そのものだと思っていたのですが・・・。あ~、大きな間違いでした。ただの変な人でした。
 私は、高校時代、彼女の前では緊張でほとんど口も聞けない状態に陥っていました。一方的な悲しい片思いだったのですね。
 頭の中を、三好達治の詩、「Enfance Finie」がよぎりました。
     ・・・・・・・・・
  約束はみんな壊れたね。
     ・・・・
    今日記憶の旗が落ちて、大きな川のやうに、私は人と訣れよう。
  床に私の足跡が、足跡に微かな塵が・・・・・・、ああ哀れな私よ。
    僕は、さあ僕よ、僕は遠い旅に出ようね。

 さらに、金子光晴の「金亀子(こがね虫)」がよぎります。
    ・・・・・・・・・
          少年は身も魂も破船の如くうちくだけた。
     ああ、盲目の蘆薈や焚香にむせびつつ、
     少年は嗤ふべき見せ物であった。
           (恋の風流こそ優しけれ
                恋の堕獄こそ愛たけれ)

 憧憬と絶望。愛と嫉妬。理想と挫折。焦燥と怠惰。出口のない閉じられた心の闇の中を迷い続けていた青春時代でした。しかし、彼女のお酌で、酒を飲む日がやってくるとは、夢にも思わなかったです。実に、青春時代が蘇るひとときでした。
 青森県の大学で医学部の教授になっているA君も、はるばると参加していました。半世紀ぶりです。丹後から泊まりがけの参加の方もいて、ふるさとの最近の話も聞くことができました。経ヶ岬に自衛隊の高性能レーダーが配備されることが、すでに話題となっていました。
 夢のような時間を過ごせました。ありがとうございました。みなさんお元気で。

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2013年3月 4日 (月)

【尊厳死】⑤正岡子規の場合

 尊厳死について考えてきましたが、今回が最終回です。正岡子規の場合を考えます。
 正岡子規は、三十歳になる前に脊椎カリエスになり、三十五歳で死ぬまでほとんど病床にありました。明治35年5月5日から死の二日前の9月17日まで、新聞『日本』に127回にわたって、随筆を連載しています。有名な「病牀六尺」です。脊椎カリエスは、相当に痛みを伴う病気のようで、モルヒネも効かなくなり、それでもなお、書き続けらた「病牀六尺」は、彼の壮絶な最期の記録です。

 六月二日に書かれている言葉は、よく知られた言葉です。
    〇余は今まで禅宗のいわゆる悟りということを誤解して居た。悟りということはいかなる場合にも平気で死ぬることかと思って居たのは間違いで、悟りということはいかなる場合にも平気で生きて居ることであった。
 正岡子規は、仏教で言う「悟り」の境地について、このような理解に到達したわけです。しかし、子規は悟ったわけではありません。六月二日の後半部分には、次のように書いてあります。
   ○ちなみに問う。狗子に仏性有りや。曰、苦。 
また問う。祖師西来の意はいかん。曰、苦。
また問う。………………………… 曰、苦。 
 「狗子に仏性有りや」「祖師西来の意はいかん」などは、禅問答に出てくる問題(公案)です。あらゆる公案に、子規は「苦」と答えています。
 六月二十日には、つぎのような言葉もあります。
      ・・・・誰かこの苦を助けてくれるものはあるまいか。・・・・
 六月二十三日、
     ・・・(あまりの苦痛に)・・ただになぐさめる事の出来ないのみならず、あきらめて居てもなほあきらめがつかぬやうな気がする。

 正岡子規は、痛みと闘いながら、時には死を願望し、時には諦めようとし、痛みが和らげば生きられることを喜び、振り子のように生と死の間を振れ続けます。やがて振り子は止まり、壮絶な彼の生は終わりを告げます。実に、彼は人間らしく、最期まで苦しみながら、時には楽しみながら生きたのです。私は、人の死とはこのようなものだと思います。

 私の両親はすでに亡くなりました。もちろん「悟り」などということとは無縁です。母は時々、「もうすぐお父さんのところに行く。」といっていました。死んだら夫に会えると思い、自らの死を慰めていたのだと思います。認知症が進み、時々覚醒します。その時は、たいてい子供時代の話を始めます。私が聞いたこともない母の子供時代の友達と、私の知らない母の故郷の川で、魚釣りをして楽しかった想い出などを語っていました。母の心は、決して二度と帰ることのできない故郷での子供時代をさまよっているようでした。これで自らの心の平安を保っていたのだと思います。
 人は、人それぞれに、その人なりのやり方で死を迎えます。私の場合は、やはり「もっともっと生きたかった。」です。もっと生きたいような「生」を生き、そして死ぬ、素晴らしいことだと思います。しかし実際は、苦しいときの神頼みで、神にすがるような心境になっている時もあるかも知れません。早く楽に死にたいと思っているかも知れません。先に死んでいった人たちと、きっと会えるかも知れないと、ありもしない妄想で心を慰めているかも知れません。過去の楽しかった想い出の世界をさまよっているかも知れません。振り子のように揺れ動きながら。
 素晴らしい死に方などどこにもありません。悲しみのない死などありません。人間らしい死とはそのようなものです。それでいいのだと思います。

 尊厳死について考えてきましたが、まとまらないまま終了します。

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2013年3月 3日 (日)

【尊厳死について】④仏教編

 病気が末期になり自分では何もできない、人のお世話になるのみで、社会の役にはたたず、痛みに耐えながら死を待つのみの状態になっても、それでもなお、自分が生きていく意味を見いだすことができるのか、という超難問に対する答えですが、前回はキリスト教からの答えを紹介しました。今回は、仏教からの答えです。

 「仏教からの答え」と書きましたが、原初の仏教と日本仏教では、同じ宗教とは思えないくらい違います。宗派によっても様々に違います。仏教というくくりで統一見解があるわけではありません。また、論理の展開が極めて弁証法的で、私にとって、仏教思想は極めて難解です。無い知恵を絞って、理解できたと思える範囲で簡単に解説してみます。

 まず、「色即是空」から説明します。
 この世界は、「色」と「空」という二つの対立物の絶えざる運動により出来上がっています。「色」とは、私たちが見ている現象世界です。「空」とは、本源的(本質的)世界です。「空」が、不断に「色」として現象します。つまり、「色即是空」です。また、私たちは、「空」を直接見ることはできません。「色」という現象世界を通じてしか見ることはできません。つまり「空即是色」です。
 私という個人も、ただの「色」として現象しているに過ぎません。「空」という必然が、「私」という偶然として現象しているだけなのです。生命の普遍性が、「私」という個別性として現象しているのです。逆に、一人一人の個別性が、人類という巨大な生命の流れの普遍性を形成しているのです。
 現象世界では、何一つ永遠なものはありません。常に変化し、発展(弁証法的)していくものなのです。
 私たちは、自分の生死を自由にはできません。生命の必然が、「私の死」という偶然として現象しただけなのです。しかし、私たちはそのことが理解できず、「もっと生きたい」という、どうしようもない欲に捕らわれます。欲があるから苦しみが生まれるのです。すべての煩悩を捨て去ったとき、人間は初めて自由で平安に満ちた生き方ができるのです。つまり、「悟り」です。

 以上、無い知恵を絞って仏教を解説してみました。この程度の理解で申し訳ないです。偶然性と必然性。個別性と普遍性。形式と本質。対立物の統一。絶えざる運動と発展。仏教は弁証法の宝庫という感じですね。理科系の人に仏教ファンが多い(?)のもうなずけます。私は学生の頃、弁証法の勉強をしていましたが、理解が少し偏っているかも知れません。
 結局、「輪廻転生」、「生きる苦」から解脱するためには、やはり「悟り」が必要のようですね。しかし、修行もしていない私には、「悟り」はとても無理です。修行したいとも思いません。「悟り」ということについても、私にはどう考えても、「いさぎよく諦めて、心静かに生きよ」という程度の理解しかできないです。仏教徒の皆さんには、笑われてしまいそうですが・・。すみません。
 死を前にして、「もっともっと生きたい」などと言うのは、欲に囚われた醜い生き方であるという考えは、どうも仏教由来の考え方のようですね。
       次回は正岡子規の「病床六尺」よりです。

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2013年3月 1日 (金)

近場のドライブ

 最近、体調の悪い日が続き、撮影にも滅多に行かず引きこもり的生活を送っていましたが、先日、退職教員仲間のTg氏に、ドライブに誘われ出かけてきました。どっちか誘ったかは微妙ですが・・・。
 Tg氏は、数学の教師で、共著ですが数学教育関係の著書もあります。趣味の広い方で、パソコン製作、魚釣り、カメラ、ゴルフ、数え切れないですね。退職後は、鉱物鑑定士の資格を取られ、鉱物採集で各地を巡っておられます。

Drive101_2  さてこの日、最初に向かったのは、隣町の山城町、不動川源流部にある「デ・レーケ堰堤群」です。山城町付近の山は、奈良の都造営のため樹木が大量に伐採され、明治の最初の頃は禿げ山だったようです。オランダ人の技師、デ・レーケが、明治の初めに、石組みの堰堤を築き治水を行い、緑の森を回復させたそうです。今、ここは公園として整備されています。
 ここで写した写真です。石造りのため池で魚を釣る人。早春の日の光が水面で踊っています。秋の落とし物が水底で横たわっています。薄氷が張っていました。薄氷の間から緑の春が覗いています。
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   Drive301 次に向かったのは笠置山。笠置山は、巨岩信仰の山です。1300年前に、東大寺の良弁僧正により大岩石に石仏が刻まれ、山全体が一大修験場として栄えたそうです。1331年、倒幕計画に失敗した後醍醐天皇が立てこもり、全山焼き払われたそうです。
 左の一枚目は、山頂付近から見る木津川です。大河原付近です。
 巨岩と石仏。4枚。
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   次は、一転して山越えし、滋賀県信楽へ。信楽はご存じ、焼き物の町。狸の焼き物は有名です。最近は、カエルも結構幅をきかせているような・・・。
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   焼き物の傘立て?花器? 陰影を強調して撮ってみました。
 帰りは、富川の磨崖仏、「耳だれ不動」に寄りました。鎌倉時代中期の作だそうです。渡来人が作ったものだそうです。
 というわけで、Tg氏に大変お世話になりました。ありがとうございました。
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