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2013年2月27日 (水)

【尊厳死について】③

 「尊厳死」について書きましたが、もう少し書き足します。
 
  私は以前の記事で、自分は、「もっともっと生きたい!」と叫びながら死にたいと書きました。その第一の意味は、最期まで「生」に執着するのは醜いことだという考えに対する反発です。生きたいと思うのは当然であり、それを言って何が悪いのか、むしろ素晴らしいのではないかということです。私は、どうも「あまのじゃく」のようです。関西風に言えば、「へんこ」と言うことなのでしょう。子供の頃に、母からも「このあまのじゃくが・・・」と、よく叱られました。
  第ニは、病気が末期になり自分では何もできない、人のお世話になるのみで、社会の役にはたたず、襲ってくる痛みに耐えながら死を待つのみの状態になっても、それでもなお、自分が生きていく意味を見いだすことができるのかという問題です。そんな場面に立たされてもなお、私は「もっともっと生きたい!」と叫びたいのですが・・・。
 「最期の一瞬まで尊厳を失わずに生きる」、つまり、どんな状態になっても、生きる意味を持ち続けること、これは超難問のよう思えます。
 聖路加病院の日野原院長は、著作の中でこの超難問にキリスト教徒の立場から答えておられます。上智大学の学長をされていたヘルマン・ホイヴェルス神父の著書、『人生の秋に』(春秋社)に紹介されている詩を引用し、「祈る」ことはできると述べられています。神に許されてこの世にあるものは、愛するすべての人の上に、神の恵みを求めるため祈ることはできる、これこそが「最上のわざ」であると。
 著作権の問題があるかも知れませんがが、一応、詩の全文を書き出します。

    最上のわざ               
この世の最上のわざは何?
楽しい心で年をとり、
働きたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り、失望しそうなときに希望し、
従順に、平静に、おのれの十字架をになう。

若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても、ねたまず、
人のために働くよりも、
謙虚に人の世話になり、
弱って、もはや人のために役だたずとも、
親切で柔和であること。

老いの重荷は神の賜物、
古びた心に、これで最後のみがきをかける。
まことのふるさとへ行くために。
おのれをこの世につなぐ鎖を少しずつ外ずしていくのは、
真にえらい仕事。
こうして何もできなくなれば、
それを謙虚に承諾するのだ。

神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。
それは祈りだ。
手は何もできない。
けれども最後まで合掌できる。
愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために。

すべてをなし終えたら、
臨終の床に神の声をきくだろう。
「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と。

 日野原氏の著作を読んだばかりですので、今日は、「尊厳ある生」に対するキリスト教的な答えを紹介させていただきました。実に素晴らしい答えだと思いますが、私は神の存在を信じていないので、これは無理ですね。私などは、痛いのが苦手なので、すぐに、早く楽にしてくれと言いそうな気がします。自分を支えてくれた人、かかわってくれた人に、万感の思いを込めて、「ありがとう!」、「お幸せに!」と、私は言えるでしょうか?たぶん無理ですね。「痛いのを誰か何とかしろ!」くらいだと思います。そんな程度が、私にはふさわしいですね。
 仏教からの答えは、また次の機会にします。   では。また。

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コメント

墓石さん おはようございます。(*^_^*)

気温も少し緩み過ごしやすくなりましたね。
最も重要な課題”死”について述べて下さって、
興味深く読ませて頂きました。

日野原先生の著書を読まれましたか。超高齢なのに
よくぞ!と思える活躍ですね。
私も教会で、また学びで何度も教わりますが、何とか
解決出来た気はします。避けては通れないもので、病
の苦しみや心の苦しみが重なり、如何ばかりかと思い
ますが、もう十字架の主の贖いに比べたら!との思い
はあります。何といっても天の御国へ行ける幸いが
ありますから、感謝の喜びが溢れます。

こんな事信じられるの?と思われるでしょうが、イエス
は信じる者になりなりなさい、と言われます。信じる
とは何と幸いか、とまたこれも真理です。

自分がもう何も出来なくなっても、祈る事は出来る。
大事ですね。その対象が無ければ空しいけど、その
対象を信じることが出来るのは、狭い門ですが、
大きな喜びなんですよ。

投稿: 輝子 | 2013年2月28日 (木) 09時56分

輝子さん、コメントありがとうございます。

日野原氏の名前はテレビでよく知っていましたが、著作を読むのは
初めてでした。何もできなくなった患者の生き甲斐をどのように
考えておられるのか、興味を持って読みました。
「祈ることはできる」とは、ちょっと衝撃的でした。
さすがクリスチャンという感じです。詩もなかなかいいですね。

 今、仏教系の本を乱読しています。仏教はどう考えているのか、
ちょっと探検中です。また、書きます。

投稿: 墓石 | 2013年2月28日 (木) 10時31分

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