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2012年10月

2012年10月30日 (火)

宇治田原町高尾の柿

 一昨日の10月28日、宇治田原町の高尾に柿の撮影に行ってきました。今シーズンの初撮影です。柿の撮影は、葉が多いと邪魔になるため、葉の散った今頃からが撮影時期です。高尾は、田原川が削りだしたV字谷の上にあるため、霧がよく発生します。この日は朝から雨が降り霧が発生し、霧の中の柿を撮影することができました。

 高尾へ入る山道の手前で田原川を渡ります。オット、ここでサギです。行きがけの駄賃ですね。二枚目、村の入り口を飾る柿です。よく霧がでていますね。
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   霧の山をバックに柿の撮影です。チョット、ワンパターンかも。
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   今度は、村の上に出て撮影です。雨も上がってきました。
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   雨も上がり、邪魔な傘も無しで撮影できました。
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   霧もどんどん消えていきます。なごりを惜しんで撮影です。太陽も顔を出してきました。どうやら霧の撮影もここまでのようですね。
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   霧も消え、撮影はあきらめて車の中で一休みです。気がつくと夕日の時間が迫っていて、赤味を帯びた光が差しています。不思議なことに、消えていた霧が再び勢いを増しています。慌てて再び撮影開始です。
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   霧の中に太陽が見られるのは、朝霧の時だけと思っていましたが、霧の中の夕日というのは珍しいですね。
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   この後、夕日は雲の中に隠れて終了しました。楽しめた半日でした。では。また。
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2012年10月23日 (火)

二十四節気「霜降」2012

 10月23日は、二十四節気の一つ「霜降」です。今日の京都府南部は、朝から激しい雨となりました。寒冷前線が通過していったようです。今夜辺りから、少し寒くなると思われますが、霜が降りるのは、まだまだ先のことのようです。
 いつものように、二十四節気当日の撮影に出たいのですが、天気が悪いので中止にします。今回は、ここ数日良い天気が続いていたので、その時の自転車散歩中に撮った写真をお届けします。木津川土手周辺のなんでもない晩秋風景です。
 空は澄み渡り雲が流れていきます。陽ざしはほんのり温いです。
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   稲刈りは最終盤です。稲刈りが終わった田んぼでは、藁の束が立てられていきます。
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   乾燥のために干された藁束も、なかなか晩秋の雰囲気を出しています。
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   脱穀された米は、籾摺りが行われます。籾の山です。
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   夕日の当たる籾の山。籾富士です。
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   籾はいたる所で燃やされます。うっすらとした煙が立ちこめ、晩秋の雰囲気を一層盛り立てています。
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   水主神社付近で撮った晩秋らしい一枚です。後の二枚は、この時の副産物です。
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   ネギ畑のスプリンクラー。トンボ。散歩の人。
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   夕日の土手。子供たちも引き上げていくようです。
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   お別れは、河川敷のオギです。  では。また。
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2012年10月20日 (土)

死とどう向き合うか(2)

 私は、前回書いたように、魂も死後の世界も存在しないと思っています。したがって、宗教による「心の癒やし」も「魂の救済」も受けられないことになります。では、私はどうすればいいのでしょうか?
 【宗教による癒しと救済】
 宗教によって、「癒し」や「救済」がもたらされることを前回書きました。しかし、よく考えると、この道もたやすい道でないことが分かります。
 まず、仏教について考えてみます。仏教は輪廻転生からの解脱を説きます。解脱するためには、「悟り」が必要です。「悟り」を開くには、厳しい修行が必要です。「悟り」への道は厳しく、私のような怠け者には到底無理です。また、どれだけの仏教徒が悟りを開けているのか、疑問が残るところです。日本仏教の宗派の中には、一心に念仏を唱えるだけで極楽浄土に導かれるという宗派もあります。「死んでも極楽に行きたい」。これは究極の煩悩のように思えるのですが・・・。
 キリスト教では、神を真に信じた者のみが、死の恐怖や不安から解放され、「栄光の神」のもとに導かれ、神と共に永遠の命を生きることができます。死は終わりではなく、神の祝福であり、神との始まりの時なのです。
 神は全知全能であり、この世のすべてを動かしています。身の回りに起こるすべてのことは「神の意志」なのです。自分に不都合なことも不幸も、「神の意志」として受け入れ、自分自身の心と生活を、信仰によって、不断に問い直し続ける必要があります。真の信仰の道は、長く厳しいものに思われます。私のような中途半端な人間には、神を疑う気持ちがどこかにあります。神を少しでも疑う気持ちがあれば、死は恐怖であり不安となります。真の信仰がなければ、「救済」はありません。
 結論として、宗教による「癒し」や「救済」の道は、私には無理だと思います。
 【ニーチェの場合】
 では、宗教に頼らない「癒し」の道はあるのでしょうか? 神を否定した哲学者にニーチェがいます。ニーチェについても少し勉強しましたので、書いておきます。
 ニーチェは、宗教を「ルサンチマン(怨嗟)」の産物として否定します。宗教ばかりでなく、科学も、それにつながるすべての価値を否定します。その上に立って、既成概念にとらわれず、「力への意志」のままに生きる完全に自立した「超人」を描き出します。さらに、自分の運命を愛し、すべてを受け入れ、自らを肯定する「アモール・ファティ(運命愛)」に到達します。ニーチェの主張は、結局、自己の人生の全面肯定です。ニーチェは、「静かな死」ではなく、あくまでも強く生きていこうとうと言っているようです。「力への意志」、「永劫回帰」、「大いなる正午」。理解力のない私には、ちょっと難しすぎますね。興味のある方はどうぞ。
  【今の私の考え】
 人は、種の保存という生物的要請により「静かな死」を選ばねばなりません。しかし、生きている限り、もっと生きたいという衝動(本能)を持っています。したがって、死への不安、恐怖、悲しみ、などは人間共通の心理だと思います。すべての人にとって、不安や悲しみでない死は無いと思います。死が楽しみな人などいないと思います。死を恐れ、悲しむ。それは醜いことなのでしょうか?否定されるべきことなのでしょうか? 恐れや悲しみを噛みしめながら生きるのは、むしろ当然のことだと思います。
 私は、不安にさいなまれ、恐怖におののき、我が身を悲しみ、もっともっと生きたいと叫びます。そして、苦しみながらも、時には人として生まれたことを喜び、時には悲しみ、そして生きられるだけを生きます。それ以上の選択肢はありません。それで良いのだと思います。人間とはそのようなものだと思います。 
  百数十億年にわたる不断に続く物質の運動の中で、銀河が生まれ、太陽系が生まれ、人類が生まれ、私がいます。そして、不断に続く物質の運動の中で、私は嘆き、悲しみながら消滅します。やがて、人類も太陽系も銀河さえもが消滅していきます。人間も宇宙も、そのような存在であると、私は確信します。

  以上、長くなりましたが、私の考えていることです。考えは、いろいろ変化すると思います。その時は、また書きますので・・・。   それでは。 また。

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2012年10月17日 (水)

死とどう向き合うか(1)

 骨髄線維症という不治の病の宣告を受け、「残された数年をどのように生きるのか」「どのように死と向き合うのか」宗教や哲学などをいろいろ勉強し考えてきました。今日は、現時点での考えを簡単にまとめてみたいと思います。偏見や誤謬による内容もあると思いますが、無学者のたわごとと思って許して下さい。 
   【生命とは】
  百数十億年におよぶ宇宙の歴史の中で、私たちの銀河は生まれ、太陽系が生まれ、やがて地球の上に生命が誕生しました。二十数億年という長い時間をかけて真核生物が生まれました。真核生物では、細胞核のDNAに基づいて生物の体が造られていきます。・・・このように、現代の科学は、物質の運動によりすべての生命現象が説明できることの可能性を示しました。また、最新の脳科学も、人間の記憶や思考は、神経細胞と伝達物質に担われていることを明らかにしました。「脳死は人の死」という考えも広がってきたと思います。 「生命は、物質の運動の中で生まれそして消滅する。」 自然科学を不十分ながらも勉強してきた者にとって、これは自明のことのように思います。
 【魂や死後の世界】
 人の思考や記憶が、物質により担われているとすれば、人が死ねば、その人を形造っていた分子は、自然の中に拡散していきます。したがって、その人は完全に消滅します。もちろん死後の世界は存在しません。
 「それでは余りにも悲しすぎる。死後の世界があって欲しい。」と私も思います。しかし、そう思っている自分自身が消滅してしまうのです。
 【死とは何か】
 多くの生物にとって、「死」は必然です。生物は有性生殖を選択することにより進化してきました。有性生殖により遺伝子を交換し、世代交代を繰り返すことにより、環境の変化や遺伝子変異に対応し、種の保存をはかってきたのです。また、世代を交代させることにより進化も進みました。人間も生物である以上、必然的に「死」がDNAの中にプログラムされているのです。
 次の世代のために、「死」のプログラムは存在します。したがって、「死」は種の保存を攪乱してはいけないのです。どうせ死ぬんだからみんなを道連れにしてやるとか、社会を破壊してから死んでやる、などというのは、生物のあり方から外れているわけです。「死」は「静かな死」として準備されなければならないのです。
 【宗教とは何か】
 生物は、遺伝子の中に「静かな死」をプログラムしています。超ざっくり言えば、この「静かな死」を実践的に体系化したものが宗教であると思います。仏教にしろキリスト教にしろ、死への恐怖や不安を取り除き、人を「静かな死」へと導いてくれます。真に神や仏を信ずる者の心は癒やされ、「悟りの世界」や「神の世界」へと導かれるのです。その意味で、宗教は、歴史の中で人類が積み上げてきた叡智だといえます。
 様々な民族、国家、または共同体は、宗教により死生観を共有してきました。そのことは社会の安定につながり、社会を支配するためのツールとなりました。また逆に、支配に抵抗する団結のツールともなりました。民族や国家の対立が、宗教の対立という形をとることもありました。
  【死生観の多様化】
 日本では、江戸時代に檀家制度が作られ、日本人は、ある程度、共通した死生観を持つようになったと思います。地域社会の深いつながりの中で葬儀が営まれ、先祖は尊ばれ、死後、自分もまた同じように弔われるのです。このことにより、死を迎える人の心も、残された人の心も癒やされます。これは、善し悪しは別にして、社会としての癒しのシステムといえます。
 しかし、今、このシステムは急速に壊れつつあります。地方の衰退、地域社会の崩壊、都市での孤立化などが進み、孤独死、孤立死といった事例も増加の一途です。死生観も宗教も多様になってきて、かっての社会がもっていた癒しのシステムは機能しなくなってきています。各個人が、自分の信じられる宗教や哲学を見つけるか、自分流の死生観を持ち、自分流に「癒し」を得なければならない時代になったと思います。
  【多様な死生観の共存】
 価値観・死生観は多様化しています。これは当然のことだと思います。死生観が一つに統一され、他は排除される社会は、危険な社会であるとも言えます。過去には、「桜のようにいさぎよく散れ」などと、死生観を押しつけられた時代もありました。死生観の押しつけには反対です。仏教やキリスト教をはじめ、様々な宗教、様々な哲学による死生観が共存できる社会が求められていると思います。

               長くなりましたので、この続きは次回にします。

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2012年10月13日 (土)

闘病5年半の総括

 血小板増多症からの二次性骨髄線維症の診断を受け、血小板血症患者が辿るコースとしては最悪のコースにはまり、5年半が経ちました。4年前に、現在の病院の主治医に「あと5年生きられますか?」と、余命について質問したところ、
「5年?。・・・ 問題無いです。5年は保証できます。」という回答をいただきました。まだ最低5年は生きられそうなので、5年間生きると仮定して人生を考え、ブログの最初の頃の記事に、「後5年の計画」を書きました。(趣味の写真のことについてだけですが・・・。)この「後5年の計画」も、ついに5年目に突入しました。「後5年の計画」では、
   ★5年目=計画は無し。入退院を繰り返す闘病生活のための予備。
となっていました。計画では、今年からは「入退院を繰り返す闘病生活」に入るはずでしたが、まだ普通通りに生活できています。前々回の定期診察の時、「早ければ5年以内」という回答を頂きました。4年前の時よりは、一段進んだ厳しい言い方ですが、とりあえずもう少し生きられそうです。
 さて今日は、4年前に計画した「後5年の計画」の達成状態について総括してみます。
                         **後5年の計画**
  ★3年目=今までの写真を整理して、写真詩集を自費で作ります。タイトルは、すでに決まっています。「ごんげんさん」です。村の守り神である「ごんげんさん」が、うつろいゆく自然と生きることの意味を語っていく、という内容です。
  ★4年目=出来上がった写真詩集を、世話になった人や、想い出の人に配り歩きます。
                         *******
 計画では、写真詩集「ごんげんさん」を制作する予定でした。写真の選定はかなり進んでいましたが、作詩の段階で挫折しました。「ごんげんさん」という、神仏習合によって登場した神に、宇宙や人生を語らせるにはちょっと無理がありました。私の持っている世界観と違いすぎました。そこで、作戦を変更して、今までホームページに載せてきた写真詩を再編集して、写真詩集にすることにしました。編集が終わり、とりあえず試しに、ビッグフォトブックのハードカバータイプにしてみました。フォトブックは最大ページ数が40ページなので、5冊になりました。丹後半島への郷愁を歌った「望郷」、人生と挫折を歌った「遠い日の歌」、四季の変化を歌う「四季の歌」、秋の風景を集めた「秋の詩」、その他いろいろを集めた「風の詩」です。
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Photobk_004Photobk_005     さて、これを世話になった人に配る課題が残っていますが、普通の印刷・製本に出せば、5冊分となるとかなり大変だと思います。とりあえず今のところ、フォトブック状態でのプレゼント作戦を始めました。親戚関係は間もなく終了です。その後はどうするか、今のところ計画は未定です。
 というわけで、趣味の写真については、不十分ながらも、徐々に目標達成に向かっていると言えます。
 残されたあと数年をどう生きるか、まもなく訪れる「死」をどのように受け入れていくか、残されている課題は重いですね。これについての私の考えは、次の機会にまわします。
                  では。また。

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2012年10月 9日 (火)

二十四節気「寒露」2012

 10月8日は、二十四節気の一つ「寒露」でした。今年は残暑が厳しかったですが、さすがに最近、朝方は少し冷えてきました。これから、いよいよ秋も深まっていきますね。
 では早速、最近の木津川土手周辺の様子をご案内しましょう。
 土手の上に立つと、あちこちで稲刈りをしているのが見えます。秋の陽に輝く黄金色は何とも言えない美しさです。
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   稲刈りが終わった後の田んぼには、藁の束が立てられていきます。夕日に照らされ、立ち尽くす藁の束は、人々が集っているようにも見えます。
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   土手には、ススキやオギの穂が風になびき始めました。夕暮れは美しいです。誰かも言っていましたが、「秋は夕暮れ」ですね。ではここで、作者不詳の一首を。
  ~ 招くのか 別れするのか 花すすき  揺れる穂波に 秋風ぞ吹く ~
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   エノコログサも夕日を浴びると、秋らしい良い雰囲気を出しています。長谷川河口の大榎の影。
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   遅れていた彼岸花も、土手のあちこちに咲いています。土手の彼岸花は、草の中に埋もれているので、撮影はチョット難しいですが、あっちこっち探し回り頑張ってみました。
 ここで、作者不詳の一句です。三枚目の写真につけました。
      ~ 彼岸花 炎となりて 夕日落つ ~
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   秋といえば秋祭りです。昨日、近くの水主神社の例大祭でしたので、数年ぶりに見物に行ってきました。天狗が子供たちの注目を浴びていました。私の悪い癖で、このような場面に出会うと、ついつい撮影に夢中になってしまいます。
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   ポーズをとる天狗。彼岸花の咲く境内。巡行出発。
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   獅子に噛まれる子。ゴール直前の巡行。この時、誰が言わせたのか、子供たちのかけ声かは、「おやつ~!おやつ~!」と言っていました。おやつをもらって引き上げる子。
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   では、最近写した写真です。トンボ。彼岸花。
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   お別れは、流れ橋の写真です。流れ橋は、先日の台風で流されましたので、今回が最終です。来年の6月頃まで、しばらくお休みです。   では。また。
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2012年10月 5日 (金)

定期診察の日(52)

 今日は、KS病院で定期診察を受けてきました。病院到着は10時前でしたが、診察が始まったのは、12時半を過ぎていました。かなりの待ち時間でした。持っていった新しい本を読み終わっても、まだ時間がありました。

 検査の結果ですが、上昇傾向だった血小板数は、投薬量は変わらないのに、64万/μlに急下降しました。前回の診察の時、骨髄の繊維化が急速に進むと、血小板は急減少してくると聞いていましたので、その兆しではないかと質問してみましたが、その心配は無いという返事でした。繊維化により血小板が減少するときは、他の血球も同時に急減少するということでした。白血球数、赤血球数は増加していました。
  脇腹の圧迫感が強くなっていることを伝えましたが、脾臓の肥大化はまだまだゆとりがあると言われました。肥大化が進むと触診でも分かる位になるそうです。「我慢!」ということなのでしょうね。
 というわけで、投薬量は、今のままで様子をみるそうです。  では。また。

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