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2012年9月18日 (火)

中野敏男著「詩歌と戦争」

 中野敏男著「詩歌と戦争」(NHKブックス)~白秋と民衆、総力戦への道~を読みましたので紹介させていただきます。著者の中野敏男氏は東京外国語大学教授、専門は社会理論、社会思想です。

 1920年代、関東大震災前後、「赤とんぼ」「七つの子」「からたちの花」「この道」といった「日本の童謡」の名歌が、この時期に次々と生まれました。著者は読者に問いかけます。こんな優しさに溢れる歌を歌っていた人々が、いったいどうして、ほどなく迎える戦争の時代には、自ら戦争の担い手になっていたのでしょうか。そこで人々の心情はいったいどのような道筋を辿って、やがて戦争への翼賛に行き着いていくのでしょうかと。
 その謎が、北原白秋という詩人の分析を通して明らかにされていきます。実に読み応えのある本です。

 では、内容を超簡単に、一部分を紹介します。
 まず、小学校に導入された唱歌教育は、近代国家としての形を整えるための事業の一環として、「国語発音の統一」「国家を愛する国民の訓育」を目標に実施されました。「庭の千草」「故郷の空」「埴生の宿」「旅愁」などは、今も歌い続けられる『郷愁』をそそられる名曲ですが、故郷を愛し、それにつながる国家を愛する精神を訓育する目的をもって実施されたのです。
 大正デモクラシーの自由と自主という考えに影響を受けた北原白秋は、「童心主義」を掲げ、上からの国家主義的な学校唱歌に反対し、「からたちの花」「砂山」「ちんちん千鳥」といった名曲を生み出していきます。これらは、今でも歌い継がれる、日本人の心に深く刻まれた心優しい叙情歌となりました。しかし、抒情詩人北原白秋は、その後、愛国的な戦争翼賛詩人の道を進んでいきます。白秋の心の中で、抒情と戦争翼賛が同居できたのは何故なのでしょうか。著者は、そのわけを『郷愁』という詩的テーマを手がかりに分析を進めます。文部省唱歌の「故郷」で歌われる『郷愁』は、空間次元で語られているが、白秋の「この道」では、『郷愁』が時間次元で語られていることを指摘します。二度と帰らぬ過去に向かって『郷愁』が語られる時、人の心は他者と切り離され、ただひたすら自己の世界の奥に内向していきます。海外進出していった兵士たちが、瞼に揺れる旗の波を見、故郷を思い、国のために身を捧げようとする時、白秋の抒情は植民地主義を支える抒情となっていったのです。
 また、かっての戦争は、国家の上からの指示や命令、銃剣による脅迫により一方的に進められたものではなく、民衆の下からの盛り上がりと結合することにより総力戦となり得たことを著者は指摘しています。マスメディアイベント、新民謡運動の経験、校歌や社歌制定ブームなどの文化経験、町内会での自発的活動の経験などの下からの国民的運動、詩歌をも利用した精神的盛り上がり、これらが総力戦のための強固な地盤となり利用されたのです。・・・・・
 ウーン。他人の著作をまとめたり、紹介するのは難しいです。チョツト内容を歪めて説明しているかも知れません。

 この本を読み終わり感想を一言。
 憲法改正を主張する安倍元首相は、「美しい国、日本」と言っていました。強力な軍隊を持つことと「美しい国」とが、彼の頭の中では矛盾なく同居しているのです。内向きの〈優しさ〉と他者への〈否認と暴力〉とは、表裏をなして存在できるのですね。よく分かりました。
 東日本大震災・大津波・原発事故で、多くの人々の心が傷つきました。「絆」を合言葉に、被災地にはたくさんのアーティストが心の癒しを与えようと奮闘しています。しかし、その癒しが、対米従属的な原子力政策への反省、新しいエネルギー政策への転換、危機便乗型資本主義への警戒と関係なく語られるとすれば、真の癒しにならないことは当然だと思われます。今ここで、抒情の質を問い直す必要がありそうです。
         この本お薦めします。   では。

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