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2012年7月

2012年7月28日 (土)

間人港祭

 8月25日は、私のふるさと丹後町間人の港祭の日でした。撮影に行ってきました。秋祭りと港祭は、間人の二大イベントですが、残念ながらこのイベントに帰省することが出来なかった丹後町出身の方のために、この日の丹後半島の写真をお届けしましょう。

 25日、8時半に城陽市の自宅を出発、丹後半島を目指しました。1時頃、海岸線到着です。車で少し海岸線を走りました。
 まず、後が浜の立岩付近。海岸にいたのはこの家族のみ。ゆっくりと静かな海を楽しみたい人に、ここはお薦めです。屏風岩付近の水もよく透き通っていますね。三枚目は、袖志付近です。経ヶ岬が見えています。
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   暑い日中は休憩して、日の傾きかけた頃、間人港を散策しました。
 夕方の赤味を帯びた光が、港を染めています。
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   この港には、カモが住み着いています。魚釣りのおばあさんと孫。小さい鰺がたくさん釣れていました。この祭の主役は「弁天」。神主さんが何やら儀式をしていますが、手前の人は、かなり酒がまわっているようです。
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   弁天岩の灯台。次は後が浜方面へ。夕陽はますます赤くなってきました。魚釣りの人がいました。
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   夫婦で魚釣りを楽しむ二人。近所に住んでいるそうです。この場所は、朝日も夕陽も綺麗だと言っていました。去年、四角い夕陽を見たそうです。また、7月始め頃は、経ヶ岬先端から昇る朝日を見ることが出来るそうです。二枚目は夕陽を見に来た女性三人組。
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   陽が沈みました。暮れてゆく港の風景。祭に繰り出す人も増え始めました。
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   花火です。場所をいろいろ変えてお届けします。
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   最後は、26日の朝です。
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   大漁旗と集魚灯が朝日に輝いています。これからの大漁を願いながらお別れです。  では。また。
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2012年7月22日 (日)

二十四節気「大暑」2012

 7月22日は、二十四節気の一つ「大暑」です。暦便覧には、「暑気いたりつまりたるゆえんなれば也」とあります。近畿地方は祇園祭の日、17日に梅雨明けし猛暑がやって来ました。まさに「大暑」です。数日良い天気が続きましたが、ここのところ上空に寒気が流れ込み天気は少し不安定です。

 では、「大暑」の頃の木津川土手周辺をご案内しましょう。
 私の家から南へ数百m進むと、もう田園地帯です。そこに、T園芸の水性植物を栽培する田んぼがあり、睡蓮や様々な種類の蓮が栽培されています。私は、栽培されている花にはあまり興味が無いので、散歩の時いつも素通りしていましたが、ちょっと寄ってみました。絵を書いている女性がいたからではなく、あくまでも睡蓮を撮るためです。
 この場所より西の方へどんどん進むと、木津川土手近くの耕作放棄地に、小ガマが咲いています。Taisho0_001Taisho0_002Taisho0_002_01   

  

  

   
     今の時期、水路や耕作放棄地には芹の花が目立っています。芹の花は、特に美しいわけでもなく、昔から庶民の粗末な野菜として扱われています。「献芹(けんきん)」とは現代の「粗品」にあたる言葉だそうです。また古典文学の世界では、身分の低い庭師が、皇后様の気を引こうとして芹を摘み献上し続け、ついにかなわず死んでしまった故事から、芹は、不運な男の一生を形容する植物のようです。なんとなく愛着が湧きますね。Taisho1_001_03Taisho1_001Taisho1_001_01   

  

  

   
     自転車で散歩中に、中高生くらいの二人組の女の子とすれ違いました。入道雲を見ると元気をもらえる、と話している声が聞こえました。なぜか、深く印象に残りました。私にとって、入道雲から連想するのは、少年時代の想い出であり、故郷のことです。少年時代、夏休みになると、毎日海で泳いでいました。その時、白い入道雲が湧き上がるのを見ていました。入道雲の下に麦わら帽の少年が立っているような光景が、記憶の底から湧いてきます。私にとって、入道雲から元気をもらえる時代は、遙かに過ぎ去ってしまったようです。Taisho2_001_01Taisho2_001Taisho2_001_02   

   

   

   
    土手下の蓮田で雲を「蓮の息」と合わせて撮ってみました。水に映る雲は、過去の記憶のように揺らいでいます。
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    富野荘鉄橋付近で近鉄電車をちょっと夏らしく撮りました。
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    土手の上から見ると、比叡山の上に夏の雲が湧き、青田の上を風が渡っていきます。(ちょっとわかりにくいですが・・) 田んぼ道を散歩する人がいました。
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    学校は今、夏休みです。元気な少年たち。二枚目は、クラブの試合帰りのようですね。入道雲が赤味を帯びてきました。
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    ここで、夕焼け雲を歌った、私のお気に入りの一首を紹介しましょう。与謝野晶子の門下だった三ヶ島葭子(みかじまよしこ)の歌です。
     君を見ん明日の心に先だちぬ    夕雲赤き夏のよろこび
 「夕雲赤き夏のよろこび」とは、なんというロマン溢れる、色彩的な表現なのでしょう。明日に希望を託す純粋な少女を感じます。好きですね。三ヶ島葭子は、病弱で40歳で亡くなったようです。結婚生活もかならずしも幸せとはいえなかったようです。
 では、流れ橋の夕景の写真です。夏の流れ橋の夕焼けは美しいです。
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    お別れは、7月18日の流れ橋です。この日、この場所で写真を撮っていたのは私一人でした。「夕雲赤き夏のよろこび」でした。     では。また。
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2012年7月19日 (木)

「自分流写真の方法」

丹野清志著 「自分流写真の方法」(玄光社)を読みましたので、紹介させていただきます。丹野清志氏はプロの写真家で、写真集や写真関連の著作も多い方です。「街歩き写真の楽しみ」を提唱されています。

 この本の中で著者は、アマチュアの写真愛好家に苦言を述べられています。まず、著者の言葉を拾い出してみます。
 ・・・・・・「○○写真の撮り方」を解説した本などには、撮影技法が作例写真とともに紹介されていて、写真教室では実際にカメラを操作して撮り方を指導してくれます・・・まず写真のための被写体があって、「○○の上手な撮り方」という作例写真に合わせて撮ろうとする・・・・全国の有名撮影ポイントではカメラマンが溢れ・・・世間には個性のない同じような風景写真や花の写真が溢れている。・・・・

 ウッ! 耳が痛いですね。著者は、絞りとシャッター速度、レンズの焦点距離、カメラの角度や撮影位置、撮影距離の変化、などによる描写と効果の変化といった、写真の基礎さえ理解すれば、撮り方の勉強は要らないと主張されています。上手に撮るためのノウハウではなく、写真で何を表現したいかが問題であり、あとは自分の工夫でやっていくことが大事だと述べています。また、「もういいかげん上手、下手という写真の評価はやめましょうよ。」と主張されています。
 写真では、「「日の丸構図はダメ」、「S字型構図」、「七三構図」などや、「広角は寄れ」、「望遠は引け」、「写真は引き算」「絵はがき的写真はダメ」といった常識があります。第2章で著者は、これらの「うまい写真の撮り方」の定説から離れるよう、具体例と共に提案されています。私の頭の中は、常識まみれです。ちょっと困りますね。克服には、時間が掛かりそうです。
 では、どうしたら「自分流写真」が撮れるようになるのでしょうか。当然のことながら、この本には、明確なマニュアル的解答はありません。しかし、次の三つはヒントとしていただきました。
    ・写真で何を見たいのか、何を表現したいのか、そのことが先。(p28)
  ・ありふれた生活環境の中に写真の素材はたくさんある。(p34)
    ・写真が好きな写真人、それでいいじゃないですか。(p140)
 プロの写真家にあれこれ言われなくても、世の中、自由にカメラを楽しんでいる人が圧倒的多数だと思います。すでに、写真を自由に楽しんでいる人には、この本のおすすめ度は低いですね。    では。また。

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2012年7月13日 (金)

定期診察の日(49)

 今日は、KS病院で定期診察を受けてきました。待ち時間は長く、家に帰り着いたのは2時近くになっていました。
 
 さて、検査の結果ですが、GTP、GOT、γGTPなどの肝機能の数値は、ほぼ正常な値になりました。投薬量を減らした効果が出たようです。血小板数は、横ばいで60万/μl台でした。投薬量を減らしても、横ばいの数値だったので、しばらく薬の量は減らしたままにするそうです。
 中性脂肪、LDLコレステロールは高いままの状態が続いています。尿酸値も8.0と高いままです。血圧の上の値は、140位が続いています。高血圧、糖尿病、高脂質症、高齢など、高リスク状態は変わらずです。
 今日は、骨髄線維症について質問してみました。血小板増多症と骨髄線維症は、関連している病気であるものの、別の病気であり、今は血小板の数を低く抑えながら様子をみることしか方法はないということです。現在、私の場合、線維症はあまり進行していなくて、これは個人差が大きいということです。また、急な進行が始まれば直ぐ分かるということです。医師は、患者に不安を与えないよう、慎重で遠回しな言葉遣いをするようですが、私流に解釈して結論を書くと、要するに、有効な治療法は無く、そのうち急に進行すれば終わりが来るということのようです。ありがたいことに、個人差なるものにより、危機は、まだしばらく先のようです。               では。  また。

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2012年7月 7日 (土)

二十四節気「小暑」2012

 7月7日は、二十四節気「小暑」です。江戸時代の暦便覧には、「大暑来れる前なれば也」とあります。 梅雨明けが近く、集中豪雨の頃です。まもなく本格的な暑さが始まります。蓮の花が咲き始め、蝉の大合唱もまもなく始まります。
 今年の梅雨は、やたらと雷が多いように思います。雨も激しく一度にまとめて降るという感じです。積乱雲が発達しやすい状態になっていると思います。これも温暖化の影響なのでしょうか。 

 今日、7月7日、京都府南部は雨のち曇りです。雨の降っている間に、雨の蓮田の写真を撮るため、城陽市奈島の蓮田へ出かけました。奈島は、宇治丘陵から流れてくる青谷川が、木津川に合流する水田地帯です。
 山には霧。蓮の花も咲き始めです。花は一輪のみです。蓮が水田で稲と共同生活。昨年まで蓮田だった場所と思います。
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   雨も直ぐにあがってしまいました。今日の写真はここで撤退です。
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   先日、「小暑」にふさわしく、よく晴れて暑い日がありました。次は、この晴れた日の木津川土手にご案内しましょう。
 自宅を出発し、南へまっすぐ進みます。水田の上に白い夏の雲が盛り上がっています。富野荘という所で、土手に上がります。ここから、大榎はすぐ近くです。大榎の下を行く高校生の制服も白です。
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   大榎と高校生。長谷川河口から見る山城大橋。畑仕事の夫婦。
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   まだ、アカツメグサが咲いている場所もあります。今の時期、土手は、草刈りの真っ最中です。草刈りが済むと、土手はつまらなくなります。
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   次の一枚目の写真、私の好きな場所です。左手に見える鎮守の森は水主神社です。日本書紀に記された大溝開削(その遺構が現在の古川)を成し遂げたといわれる水主一族が、祖神を祀った神社です。二枚目の写真、神社の入り口には、水主神社の石碑が建っていますが、その隣に樺井月神社の石碑もあります。樺井月神社は、木津川対岸の田辺樺井にあった神社が、たびたびの洪水のため移されてきたものです。樺井神は農耕用の牛馬の守護神で、かって神社は、多くの参拝者で賑わっていたそうです。農耕に牛馬が使われなくなった今は、訪れる人もなく「狛牛」がひっそりと横たわっています。
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  Shousho5_001 今の時期、水主付近の土手には、ヤブカンゾウが咲いています。カンゾウ(萱草)は、「忘れ草」とも言って、万葉集に五首も詠まれているそうです。まず、大伴旅人の歌です。
     忘れ草 我が紐に付く 香具山の 古りにし里を 忘れむがため
 意味は分かりやすいですね。次は、大伴家持の歌です。
    忘れ草、我が下紐に 付けたれど 醜(しこ)の醜草 言にしありけり
   意味: 忘れ草を下着の紐につけたけれど、忘れ草とは名ばかりで、ひどい草です。(少しもあなたのことを忘れられないのです。)
 中国原産の史前帰化植物で日本中に広がり、今でも山菜として食べられていて、3倍体のため種子ができず根茎で増えるユリ科の花だそうです。私は食べたことはないです。
  次は蓮田です。順調に成長中です。花にはまだ早いです。
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   土手で遊んでいるうちに、夕陽の時間が迫ってきました。赤味を帯びた光の中を、近鉄電車がいきます。犬を散歩させている人の影も長くなってきました。
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   急いで流れ橋まで自転車を走らせましょう。・・・流れ橋の夕陽、ちょっと遅刻でした。これで、晴れた日の木津川土手は終了です。
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   最後は、別の日に撮影した夕陽の蓮田です。今の時期、蓮田に上がる謎の気泡。私は、かってに「蓮の息」と名付けています。泥の中でじっと耐えて生きる蓮の息だと思っています。メタンガスであれば笑いものですね。
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   お別れは、夕陽による蓮の影です。  では、次は大暑です。
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2012年7月 2日 (月)

「それをお金で買いますか」

 マイケル・サンデル著、「それをお金で買いますか-市場主義の限界」(早川書房)を読みました。マイケル・サンデルはハーバード大学の教授で、大学での講義が、NHK教育テレビ『ハーバード白熱教室』(全12回)として放送されました。また、講義は書籍化され、『これからの「正義」の話をしよう』は、ベストセラーになっています。
 本の紹介と感想です。
 
 レーガンとサッチャーの時代に始まった新自由主義は、今や世界の資本主義の基本的潮流となっています。市場こそが自由と繁栄の鍵だとする市場信仰。公共の福祉を投げ捨て市場化する規制緩和。ありとあらゆるものが商品となり、市場の中にたたき込まれています。サンデル氏は、これを「市場勝利主義の時代」と呼んでいます。
 この市場勝利主義のもとで、「すべてが売り物」となり、売ってはいけないものまでが「売り物」となる社会が進行しいます。なんでも買えてしまう社会がもたらしたのは、富を持つ人と持たない人の不平等、公平性の破壊、道徳性の腐敗であるとサンデル氏は述べています。

    (抜粋)・・・あるものが「商品」に変わるとき、何か大事なものが失われることがある。・・・その「何か」こそ、私たちがよりよい社会を築くうえで欠かせないものなのでは?・・・われわれがこんにち直面する道徳的・政治的難題は、・・・社会的慣行、人間関係、日常生活における市場の役割と範囲を考え直すことなのである。・・・

 「第1章:行列に割り込む」では、行列というキーワードをめぐり、「商品」にしてはいけないものが論議されます。
  ・手荷物検査の待ち時間を短縮できるオプションが約5ドルで販売
   ・ラッシュアワー時に10ドルを払えば、より速く走れる車線を走行できる。
   ・高い料金を払えば「いつでも」診てもらえるドクタービジネスも存在。
   ・医療を受けるための行列に裕福な人が割り込めるシステム。
   ・・・・・・・・
  「第2章:インセンティブ」では、インセンティブ(報奨金)と罰金・料金をめぐる問題が論議され、健康、教育、出産、難民、環境保護などの非市場的領域に、市場が入り込んでくると、道徳的規範が脅かされることが述べられます。
   ・薬物中毒の女性が不妊治療を受けると300ドルの現金を与えるという取組み
   ・成績不信の学生を勉学に向かわせるため、高得点を取ると金銭を支払う学校。
   ・「絶滅危惧種のクロサイを殺せる」権利がハンター向けに販売されている。
  ・環境汚染権の売買
   ・・・・・・・・・・・
  「第3章:いかにして市場は道徳を閉め出すか」では、子どもや臓器や血液の売買など、本来商品でないものを商品化することにより、公共生活を成り立たせている非市場的社会規範や道徳規範を閉め出してしまうことが述べられています。

   「第4章:生と死を扱う市場」では、会社が従業員に生命保険を掛ける「用務員保険」。他人の生命保険を買い取り証券化した「ライフセツルメント保険」など、他人の死を売買する恐るべき商品が論議されます。

   「第5章:命名権」では、日本でも広がりつつある「命名権」についても、鋭く批判します。「われわれが望むのは、なんでも売り物にされる社会だろうか?」と。

  新自由主義の下で進められた「市場勝利主義」により、社会の公共性が破壊され、利他心、寛容、連帯、市民精神などの道徳性が腐敗させられている、というサンデル氏の主張に、私は大いに賛同します。市場的なつながりだけで、人間は結びつているのではないのですね。よく理解できました。この本お薦めします。
 しかし、少しだけ限界も感じます。リーマンショックを引き起こした新自由主義は、退場すべきであるにもかかわらず、依然として世界の主流となっています。ヨーロッパではユーロ危機が引き起こされ、日本でも、「民営化・規制緩和」の流れは止まっていません。「税と社会保障の一体改革」と呼ばれる、巧妙にカモフラージュされた新自由主義政策が進行しています。社会科学的視点を抜きに、社会の変革は語れません。
                  では。 また。

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