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2009年11月

2009年11月29日 (日)

光明院の紅葉

 今日は、退職教員仲間のT氏に誘われて、光明院の紅葉を見学してきました。京都の紅葉の穴場として、タクシーの運転手さんもお薦めの場所です。東福寺の塔頭。別名「苔の虹寺」とも言われているそうです。座って庭を眺めるというスタイルで、心が和みます。ただ私は、ウロウロと写真を撮るのに夢中でしたが・・・。P0012koumyo P0061koumyo P0038koumyo P0059koumyo P0020koumyo P0074koumyo では。また。

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2009年11月28日 (土)

東福寺紅葉見物

 昨日は、病院の帰りに、病院の近くにある東福寺の紅葉見物に行ってきました。さすがに紅葉の人気ポイントだけあって、平日だというのにものすごい人出でした。拝観料は400円。晴れて日差しもあり、紅葉は最高でした。400円は、納得のできる料金でした。N0007koufku_3 N0039toufuk N0115toufuk N0025toufk N0088toufuk N0140toufuk

 

 

 

 苔の上の落ち葉もまた良かったです。人が入りすぎない角度で撮るのは少し大変。N0118toufuk N0090toufuk N0055toufuk N0080toufuk N0107toufuk N0099toufuk

 

 

 

 人出の多い有名ポイントには滅多に行きませんが、十分楽しめました。

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2009年11月27日 (金)

定期的診察の日(16)

 今日は、KS病院での定期診察の日でした。
最近の症状としては、毎日37℃前後の微熱が続き、体を動かすと空咳が出るという状態です。また、なぜか血圧が上昇し、140~180ぐらいの状態が2週間ほど続きました。病院に相談に行こうと思っている間に、130台に落ち着きました。

 さて、診察の結果です。血小板値は前回とほぼ同じの60万台でした。薬の影響がまだ残っていると言うことでした。引き続き薬は止めて様子を見るそうです。空咳については、やはり間質性肺炎を心配し、レントゲン検査を受けましたが、レントゲン写真では異常は発見されませんでした。これもまた様子を見るということでした。ひどくなるようであれば、すぐに病院へ来るよう言われました。感染症の可能性もあるとのことでした。
 白血球、赤血球ともに緩やかな減少が続いています。γ-GTPとGTPが基準値を超えましたが、これも様子をみるそうです。

 やたら「様子をみる」が多いなと、内心思った瞬間、主治医が「歯切れの悪い診断で申し訳ないですが~」といったのでビックリしました。まさか、人の心が読めたわけではないと思いますが。 というわけで、次の診察は4週間後です。

 病院の帰り、妻と駅で落ちあい、病院の近くの東福寺の紅葉を見学してきました。平日だというのに、すごい人出でビックリしました。紅葉の京都の人出はすごいです。写真の方はまた後日に。  では。また。

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2009年11月23日 (月)

京都山科毘沙門堂の紅葉

 今日は、退職教員仲間のT氏と京都市内の紅葉見物に出かけてきました。T氏は退職後、民間会社に再就職しており、今日は休日でした。山科の毘沙門堂は拝観料が不要らしいということで、初めて行ってみました。なんと駐車料金も無料。拝観者も休日にしては少なく、なにか得した気分で紅葉を楽しんできました。天気も回復し透過光で見る紅葉はなかなかのものでした。ここはお薦めです。しだれ桜もあり、春もいけそうですよ。K0015bishamonweb K0027bishamonweb K0034bishamonweb K0062bishamonweb K0067bishamonweb K0072bishamonweb 

 

 

 

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 毘沙門堂を出た後は、近くの疎水沿いの大銀杏を見物。昼食の後は、一転、北区の「翔山」の庭園へ。ここも駐車は無料。見学も無料。ここでの写真は、また次の機会に。では。

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2009年11月20日 (金)

竹内整一著「日本人はなぜさよならと別れるのか」

 竹内整一著「日本人はなぜさよならと別れるのか」(ちくま新書)を読みましたので、内容紹介と感想を書かせてもらいます。この本は、書店の店頭で何となく手にとって購入しました。竹内氏は、東大の教授、専門は倫理学・日本思想史とのことです。

 本書はまず、世界の別れの挨拶には3つのタイプがあることを紹介します。 ①神に御加護を願う言葉:“Good-bye”、“Adieu”、“Adios”、“Addio”など ②「再び会いましょう」という意味の言葉:“See you Again”、“Au revoir”、“再見”、“Auf Wiedersehen”など ③「お元気で」という意味の言葉:“Farewell”、“安寧ヒ、ゲセヨ(ケセヨ)”などの3つのタイプです。しかし、「さよなら」は、「然(さ)あらば」「さようであるならば」という、「前の事柄を受けて、次に新しい行動・判断を起こそうとするときに使う」接続語から変化したもので、これら3つのどのタイプにも属していない特異な言葉であることが指摘されます。ここから、さらに「さよなら」に込められた日本人の死生観が分析されていきます。

 「さよなら」は、過去を踏まえて現在を総括することによって、そこに未来へのつながりを含意させていた「さようであるならば」という意味合いの言葉であることが、万葉集などの古典にまでさかのぼり示されます。そして、また、「さよなら」は、何らかの不可避の状況として、「そうならなければならないなら」という、運命を静かに受け入れる意味を併せ持っていることも分析されます。女性飛行士アン・リンドバーグの「これまでに耳にした別れの言葉でこのように美しい言葉を知らない。・・・・それは、心を込めて手を握る暖かさなのだ・・・・・」という解釈も紹介されます。 

本書は、「さよなら」が持つ両義性、「さようであるならば」と「そうならなければならないなら」、この二つの間で揺れ動く日本人の死生観を明らかにくれたと思います。「さよなら」がこんなに深い言葉であるとは。十分楽しめました。 しかし、「日本人はなぜさよならと別れるのか」ということに対して、延々と「さよならの」両義性を紹介するだけで、著者の答えはなく、さんざん連れ回されたという疲労感が残ります。この本のタイトルは、編集者が本の売り上げを伸ばすためにつけたものではないかと推察します。  では。また。

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2009年11月17日 (火)

田辺中学同窓会

 先日、11月14日。かって私の勤務していたT中学校、昭和58年3月卒業の同窓会が開かれ出席してきました。この同窓会は、T中学とB中学の合同で行われました。T中学とB中学は、卒業の前年に分離してできた学校で、合同の同窓会開催となりました。教師の出席は10名、卒業生は130人とのことでした。卒業の日から26年が経過し、卒業生の年齢は41歳。中学時代そのままの子もいれば、信じられない変化をした子もいました。話しをする人ごとに記憶がよみがえってきて、楽しい夢のような時間を過ごすことができました。会を準備してくださった幹事さん、ありがとうございました。Ldsc31114

 この学年が一年生の時、私は腰痛で2ヶ月ほど入院しましたので、「コシ!」というあだ名で呼ばれることが多かったと思います。「墓石」というあだ名は、一部の生徒に限られていたように思います。この頃の私は、生徒に対して威圧的で、管理主義的傾向を持っていたと思います。生徒の気持ちを十分受け止めて教育に当たっていたとは、恥ずかしながら言うことはできません。パーマをかけてきた生徒を理髪店に無理矢理連れて行って、ストレートパーマをかけさせたこともありました。この生徒、K君も、2児の父親ということでした。その他、いろいろ後悔と懺悔の気持ちでいっぱいでした。

 帰り道、いろいろな人に謝らなければならないことがいっぱいあったのに、ついに一言も言えずに終わってしまったことを、また、後悔していました。しかし、二十数年という時の流れが、すべてを許してくれているようににも感じられました。私のかってな思いこみかも知れませんが・・・。  では。また。

  

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2009年11月12日 (木)

中塚明著「司馬遼太郎の歴史観」を読む

 中塚明著「司馬遼太郎の歴史観-その朝鮮観と明治栄光論を問う」(高文研)を読みました。著者の中塚明氏は、奈良女子大の名誉教授で、朝鮮史の専門家です。歴史科学協議会の代表委員もつとめられた方です。NHKが今年11月末から13回にわたり、司馬遼太郎の代表作『坂の上の雲』を放送することになっています。これに合わせて、是非、この本を読むことをお薦めします。

 司馬遼太郎といえば「国民的大作家」。「坂の上の雲」は、2千万部を超えているそうです。司馬史観に影響を受けた日本人は大変多いようです。司馬遼太郎の近・現代史のとらえ方を要約すると、次のようなものです。
 ・・・明治日本こそは、栄光の時代である。国際社会に果敢に乗り出していった純粋無垢な「少年の国」である。武士道の倫理も機能していた。日本がおかしくなるのは、日露戦争後、参謀本部による日露戦史の改ざんからである。日比谷焼き討ち事件のあった1905年から敗戦までの40年間は「異胎」であり、参謀本部は「鬼胎」である。・・・

 本書で、中塚氏は、司馬遼太郎の歴史観、朝鮮認識の誤りを、朝鮮史をみることにより明らかにします。具体的には、日本軍による朝鮮王宮占領事件、朝鮮農民軍の大虐殺、朝鮮王妃殺害事件等を分析します。そして、明治日本は栄光の時代などではなく、朝鮮半島を踏み台にして帝国主義の階段を駆け上がる連続的過程であり、日清戦争の時すでに、後々日本が暴走していく萌芽が現れていたことを明らかにします。日露戦争後、非連続に日本がおかしくなり、異胎の時代が始まったという司馬史観を批判します。

 「『坂の上の雲』は、歪んだ歴史観や朝鮮認識の上に立ち、朝鮮を踏み台としてアジア侵略へと進もうとしていた日本を正しく描いていない。」このように主張する中塚氏は、「・・・朝鮮をはじめとするアジア諸民族の民族の心を踏みにじったことが、あの戦争の惨禍を招き、日本を敗戦に導いた根本的な理由であったと私は研究を通して確信している。明治以降の日本の来し方を、もう一度よく振り返って、一人ひとりの日本人が自主的に考えることが大切である」と述べています。心に留めておきたいと思います。  では。また。

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2009年11月 9日 (月)

妙高高原撮影会

 写真サークルの仲間から、妙高フォトコミッション主催の撮影会に誘われ、新潟県妙高高原まで行ってきました。微熱が続き体力的に心配もありましたが、こんな機会は、これが最後だと思い、無理して参加しました。出発は、11月6日の夜11時。車に同乗させていただいたので、寝ているうちに池の平に到着しました。運転者には申し訳ないです。朝の6時前から、イモリ池というところで朝焼けの撮影ができました。イモリ池の朝の写真3 枚です。妙高が朝日に赤く輝いています。K2012myoukoK2018myouko K2020myouko

 

 

 

 宿泊するロッジ「遊山」で朝食の後、ロッジのバスに乗り、プロの写真家宮下氏の指導のもと一日目の撮影に。下調もべせず、予備知識もない私にとっては、ほとんど修学旅行状態。たぶん、野尻湖方面に行ったと思います。写真は、どこで写したかわからない風景、妙高山、希望池(?)。K1076myouko_2  K2083myouko  K1083myouko_2

 

 

 

 二日目は、平丸のフナ林へ。このブナ林はすばらしかったです。写真は、ブナ林へ行く途中の風景とブナ林。K2044myoukou K2047myoukou 

 

 

 

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二日目の午後、帰路に。高速は大渋滞。夜10時前に帰宅。ほとんどの撮影はフィルムカメラでしましたので、できしだいホームページの方へ掲載します。では。また。 

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2009年11月 1日 (日)

木津川サイクリングロード10月

 10月の木津川サイクリングロードです。
 10月は、台風の襲来により木津川流れ橋が流されました。風で倒れた稲も見られましたが、おおむね稲刈りは順調に終わったようです。土手下の柿の木も実をつけました。黄色く実った稲の穂を背景に、一枚の日本画のようです。J0007kizus J0066kizud J0068kizud

  

 

 

 稲刈りの終わった田んぼには、藁の束が、人の群れのように立っています。土手下の竹藪に、カラスウリの実が風に揺れていました。夕方になると、野焼きの煙が立ち上ります。J0021kizuds J0033kizus J0081kizud

 

 

 

 秋晴れの日は、真綿のような層状の雲が流れていきます。こういう日は、夕日が格別に美しいです。J0075kizud J0104kizud J0107kizud

 

 

 

 やがて、木枯らしの季節が始まります。木津川土手は、どのような表情を見せてくれるのでしょうか?  では。また。

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