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2009年8月18日 (火)

戸塚洋二氏のブログを読む(2)

 戸塚洋二氏のブログ紹介2回目です。よく歌われている「千の風になって」という歌に対して、戸塚氏は、次のような感想を書かれています。

  ★大変申し訳ないと思いますが、私はこの歌が好きではありません。
 この詩は、生者が想像し、生者に送っている詩に過ぎず、本当に死者のことを痛切に感じているのかどうか、疑問に思ってしまうのです。死期を宣告された身になってみると、完全に断絶された死後このような激励の言葉を家族、友人に送ることはまったく不可能だと、確信しているからです。
 むろん、このような言葉を死んでから送れたらこんなにすばらしいことはないのですが。
  実際に死にいく者の視点で物事を見てみたい少数の人々もいることを理解してください。あるいは私一人だけかな。(2007.8.14  戸塚洋二)

 私は、戸塚氏の感想に大いに賛同できます。やはり、この歌は、生きている側の人が、死者を思って歌う歌だと思います。この歌は、死者が千の風になって吹き渡っている、朝の光なって輝いていると、壮大なロマンに溢れています。しかし、それは生きている側の感傷です。死んでいく人にとって、自分は「千の風になって吹きわたる」ことができる、と信じるのはちょっと難しいと思います。人が死んでも、肉体を構成していた分子や原子は滅ぶことなく、自然の中を永遠に動き続けていきます。このことをもって、自分が千の風になる、と言い聞かせても難しいと思います。戸塚氏の眼差しは、余命宣告された人の厳しい眼差しです。死に向かう気持ちが、ブログでは次のように書かれています。

 ★われわれは日常の生活を送る際、自分の人生に限りがある、などということを考えることはめったにありません。稀にですが、布団の中に入って眠りに着く前、突如、
・自分の命が消滅した後でも世界は何事もなく進んでいく、
・自分が存在したことは、この時間とともに進む世界で何の痕跡も残さずに消えていく、
・自分が消滅した後の世界を垣間見ることは絶対に出来ない、
ということに気づき、慄然とすることがあります。
 個体の死が恐ろしいのは、生物学的な生存本能があるからである、といくら割り切っても、死が恐ろしいことに変わりがありません。
 お前の命は、誤差は大きいが平均値をとると後1.5年くらいか、と言われたとき、最初はそんなもんかとあまり実感が湧きません。しかし、布団の中に入って眠りに着く前、突如その恐ろしさが身にしみてきて、思わず起き上がることがあります。(2008.2.10 戸塚洋二)

 今日はここまでです。では。  戸塚洋二ブログはこちらから。 

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