2017年4月24日 (月)

定期診察(129)・輸血初体験

 今日はKS病院血液内科の定期診察でした。病院へは、今回も電車で向かいました。貧血症状が酷いので、駅の階段、病院へ向かう坂道など、ほとんど山登り状態でした。
 前回より、貧血症状はますます進んできました。指先が白くなりピリピリと痛みがあることがよくあります。体をちょっと動かしただけで、口で息をしてしまいます。

 さて、診察結果です。
  ★ヘモグロビンは、Hb=5.6でした。輸血必要ラインをかなり割ってしまいました。問診、触診の後、主治医の発した言葉は予想していませんでした。
   「入院してもらえますか?」
 輸血は覚悟していましたが入院とは!!  驚いて口ごもってしまいました。
 自分が何を話したのかよく自覚しないまま、話しの成り行きとして結論は、入院ではなく、外来で対応することになりました。

  ★膝や足、背中の骨が異常に痛み、38℃を超える発熱があることについて、さりげない言葉がありました。さりげなく聞いていましたが、後で考えると重要でした。
 「発熱と骨の痛みについて、白血病への転化や骨髄の癌化の可能性が考えられるので、近く骨髄の検査をもう一度やりましょう。」
 主治医が入院と言ったのは、これらの検査を含めて、「入院」という話しの流れであることが、後で冷静になって考えて分かりました。
 予期せぬことを言われると人は動揺しますね。
 積極的に入院に同意すればよかったのかな?
 しかし、他の病気への転化が分かったとしても、治療法は確立していないので、予後は大して変わらないと思いますね。
 いよいよ病気も大詰めという感じですかね。

     ★貧血がひどいので、ジャカビは一日1錠に減量です。

  【輸血初体験】
   予期していたとおり、輸血をしました。赤血球の成分輸血です。
 ☆主治医より、輸血による副作用の説明がありました。
  B・C型肝炎、エイズ、溶血反応、アレルギー・・など。数万回に1回の確率。
    発熱とじんま疹は、よくある副作用だそうです。などなど。 うわの空?
  同意書に署名しました。
 ☆三ヶ月後に、感染症の検査があるそうです。
 ☆輸血のための採血検査がありました。結果が出るまで待たされました。
 ☆輸血の点滴は、2時間ほどで終了しました。何もすることが無くもの凄く暇。
 ☆体の方は劇的に楽になりました。帰りはスタコラ電車で帰りました。
  駅の階段の息切れ感から推測すると、たぶんHb=7くらいに回復したかな?
  その後体調の変化は無しです。     
                   では。また。

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2017年4月21日 (金)

二十四節気「穀雨」2017

 4月20日は、二十四節気の一つ「穀雨」でした。
 穀雨の頃は、変りやすい春の天気も次第に安定し、日差しも強くなってきます。柔らかな春の雨が降り、田んぼや畑の農作業も忙しくなってきます。
  ソメイヨシノなどの桜は終了し、遅咲きの八重桜の咲く頃です。
 土手では、黄色いカラシナの花が土手の斜面で風に揺れる頃です。

  「穀雨」の前日、無理をして宇治川の天ヶ瀬ダム湖周辺を車で走ってみました。足が痛くて少々痺れていますが、いつもよりは少しマシです。貧血症状のため、車を置いて、歩いて被写体を探すのは無理です。車の近傍のみ。当然ですが、妻の監視付きです。

 ダム湖をとりまく山の斜面は、春が少し遅れてやってきます。まだ山桜が残っていました。多くの木々が、芽を吹き始めています。間もなく新緑の時期ですね。
 芽吹く木々。青い湖面。。杉木立の中に山桜。
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   芽吹く木々の間に山桜。新緑に向かう山々。もう、新緑があふれる立夏の季節が始まっています。季節はどんどん進んでいきます。人を置き去りにして…。
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   停車したのは二ヶ所のみ。早々と引き揚げです。もう少し体調が良くなれば、撮影を楽しめると思いますが、今のところこれぐらいですね。早く横になりたい気分です。

 一応以下に、過去の「穀雨」へのリンクも貼っておきます。
  ★2016年の「穀雨」へのリンク → こちら
 土手には黄色いカラシナが満開です。
 キンポウゲやスイバ、ノアザミたちも
 立夏を目ざして広がってきました。
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  ★2016年の「穀雨」追加へのリンク → こちら
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  野の花特集。マツバウンラン。
  山吹の花。ミヤコグサ。
  ヘラオオバコ。待宵草など。

 

 

  ★2015年の「穀雨」へのリンク → こちら
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  八重桜も満開に。
  桜が終われば土手はカラシナの世界。
    寺田芋の植え付け準備。

 

 

  ★2015年の「穀雨」追加へのリンク → こちら
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  木津川土手のカラシナ。
  古川のカラシナ。
  鴻ノ巣山の八重桜。落花。

 

 

  ★2014年の「穀雨」へのリンク → こちら
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  井出の玉川の山吹。
  カラシナ。
  鴻ノ巣山の八重桜。 

 

 

 

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2017年4月17日 (月)

山村暮鳥の詩を読む

 夭逝の詩人は、どのように死と向き合ったのでしょうか? 今回の夭逝詩人は、山村暮鳥をとり上げてみます。
 山村暮鳥を知らない日本人は少ないと思います。私と同世代の人は、名前くらいは必ず知っています。小学校の国語の教科書に、次の詩が取り上げられていました。
 ~♪ 「風景」
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
かすかなるむぎぶえ   ⇒☆
いちめんのなのはな

二連目の☆の部分では、「 ひばりのおしやべり」
三連目の☆の部分では、「 やめるはひるのつき」と少し変化するだけ。
 視覚的効果もねらった詩です。広々とした菜の花畑に、かすかな麦笛の音、ひばりの囀り、空には薄白く昼の月。静かな広がりの中にくっきりとした動的添景表現ですね。

  また、彼の最後の詩集『雲』もよく知られています。二つばかり紹介します。
   ~♪ 「雲」
丘の上で
としよりと
こどもと
うつとりと雲を
ながめてゐる       ♪~

 ~♪ 「雲」
おうい雲よ
いういうと
馬鹿にのんきさうぢやないか
どこまでゆくんだ
ずつと磐城平の方までゆくんか  ♪~

 山村暮鳥は、キリスト教の伝道師でした。「いちめんのなのはな」と詩集『雲』のイメージから、暮鳥は、信仰深いクリスチャンで、自然を愛する自然派詩人と思っている人もいると思いますが、それは少し違います。
 では、彼の生涯を年譜で概観しながら、作品を確認していきましょう。

 ★1884年 明治17年
  群馬県生れ。本名は土田八九十(つちだ・はつくじゅう)。複雑で貧しい家庭に生まれ、小作農の働き手をはじめとして、様々な職業を転々とながら底辺生活を送る。
  ★1903年 19歳
 東京府築地の聖三一神学校に入学。卒業後はキリスト教日本聖公会の伝道師として秋田、仙台、水戸などで布教活動に携わる。 ひそかに詩を作り始める。
  ★1910年 26歳
 自由詩社同人となり、官能謳歌的詩を発表し、上級牧師より警告を受ける。
  ★1913年 30歳
 愛欲的傾向の『三人の処女』発表。萩原朔太郎、室生犀星らと「人魚詩社」設立。
  ★1915年  32歳
 詩集『聖三稜玻璃』を出版。極端な象徴派的な異色の詩。悪評を受ける。
  ★1918年  35歳
 この年、結核のため喀血する。詩風は一変し、自然と人間への賛歌を歌いあげた人道主義的な傾向を強める。 『風は草木にささやいた』を発表。 
 翌年、結核のため伝道師を休職。
  ★1922年 39歳
 神を糾弾する『梢の巣にて』を刊行。
  ★1924年  40歳
 茨城県大洗町で死去。『雲』を編集。(死後一年後に出版)

 山村暮鳥はキリスト教の伝道師でありながら、彼の詩は、信仰とかけ離れた人間的欲望に根ざしたものでした。上級牧師より警告を受けたり、敬虔な信者から反発されたりしてトラブルにもなりました。詩集『聖三稜玻璃』からほんの少し一節を。
 ~♪ 「囈語」           *囈語 ←うわごと
 ・・・・
姦淫林檎
傷害雲雀(ひばり)
殺人ちゆりつぷ
墮胎陰影
騷擾ゆき
放火まるめろ
誘拐かすてえら。  ♪~

  人間の犯罪とそれから直感される言葉を並べた言葉遊びです。姦淫、殺人、墮胎……、いくら言葉遊びでも、聖職者としてこれはちょっとアウトでしょう。
 その後、暮鳥は作風を一変。今度は、自然と人間への賛歌を歌いあげる人間主義・人道主義というべき作風へと変化します。『風は草木にささやいた』より、一つだけ紹介してみます。大地と人間への賛歌です。
 ~♪ 「此處で人間は大きくなるのだ」
とつとつと脈うつ大地
その上で農夫はなにかかんがへる
此の脈搏をその鍬尖に感じてゐるか
雨あがり
しつとりとしめつた大地の感觸
あまりに大きな此の幸福
どつしりとからだも太れ
見ろ
なんといふ豐富さだ
此の青青とした穀物畑
このふつくりとした畝畝
このひろびろとしたところで人間は大きくなるのだ
おお脈うち脈うつ大地の健康
大槌で打つやうな美である      ♪~

 やがて、結核のため伝道師を休職します。そして、彼は神との訣別、神を糾弾する詩集『梢の巣にて』を発表します。この中の長編詩『荘厳なる苦悩者の頌栄』の一節を書き出してみましょう。
 ~♪ 荘厳なる苦悩者の頌栄
 ・・・・
神様
人間は自主です
もうあなたの奴隷ではありません
此の貴い崇高い力のうへに立つた人間
御覧ください
この人間のかゞやかしさを
光りかゞやく人間を
まるで神様です
 ・・・・
人間はめざめました
あなたはもう消えてなくならなければなりません
けれど神様
真のあなたである神様
理想としての神様
それをわたしはわれわれ人間にみつけました
眼ざめた人間がそれです
あなたに咀はれた此の大地を
ともかくも楽園とした人間です
その人間です
おゝ新しい神様                 ♪~

 神に呪われたこの大地を、ともかくも楽園としたのは人間であると…。もうかなり言いたい放題ですね。
 クリスチャン詩人八木重吉は、神に付き従うことにより、信仰と詩の矛盾を統一し、「宗教的自然派詩人」となりました。
 暮鳥は逆に、神を捨てるることにより、自然賛歌・人道主義へと到達したのです。詩集『雲』の世界は、信仰と人間主義を彼なりに統一した世界と言えます。彼は神から自立し、静かで心安らかな世界に到達したのです。
 人間派・自然派詩人、暮鳥の最後の詩集『雲』より、2つばかり紹介します。
  ~♪ 「ある時」
宗教などといふものは
もとよりないのだ
ひよろりと
天をさした一本の紫苑よ     ♪~

    ~♪ 「ある時」
またひぐらしのなく頃となつた
かな かな
かな かな
どこかに
いい國があるんだ           ♪~

 神から自立し、ひょろりと天をさした一本の紫苑。山村暮鳥はカナカナの声を聞きながら、どこかにあるいい国へと旅立ちました。 40歳でした。

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2017年4月14日 (金)

桜散歩 ~パソコン上で~

 桜が満開の時期だというのに、曇りの日が続き、おまけに先日は、かなりの雨も降りました。昨日と今日は、朝からよい天気でしたが、体調がイマイチで撮影には出られそうにありません。私にとって、今年の桜は終わったようなものです。
 そこで、パソコン上で過去に撮影した桜で花見をすることにしました。

    ~♪ さまざまの 事おもひ出す 桜かな ♪~

  これは、松尾芭蕉の句ですね。人は、その人それぞれに想い出の桜があります。みなさんは、どんな桜が頭をよぎりますか。
 石川啄木は、桜をどのように歌ったのでしょうか? ちょっと興味が湧いて、岩波文庫「啄木歌集」に載せられている歌、数百首全部を検索してみました。ほとんど見つからないですね。やっと見つけた一首です。啄木は桜嫌いだった?
    ~♪ 花咲かば 楽しからむと思ひしに 楽しくもなし 花は咲けども ♪~
 貧困と苦しい闘病生活の中にあった死の前年の作ですね。 花より病苦?

  では、パソコン上の花見に出かけます。最初は、やはり木津川土手ですかね。
  ①「遙かな鉄路」。富野鉄橋を電車が行きます。手をつなぐ母と子が見ています。
  ②「高いたか~い桜」。桜見物の家族。子どもはどこでも主役。
  ③「夕桜」。夕日に輝いて、落花に手をさしのべる女性。
       ~♪うちとけて 我にちる也 夕ざくら ♪~     (高井几董)
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   宇治田原町高尾です。高尾は霧の名所です。田原川から霧が湧いてきます。
  ①「山里に咲く」。霧の湧く小さな山里。小鳥の囀り。静寂。
  ②「霧の中に咲く」。空を指す杉木立。谷筋をから湧き上がる霧。
  ③「ライトライン」。向かいの山の斜面に咲く山桜。逆光で輝いています。
     ~♪桜花 いのち一ぱいに咲くからに 生命をかけて わが眺めたり♪~(かの子)
   岡本かの子さん、命をかけて眺める桜ってどんなんですか? もしか恋の歌?
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   京都府南部最大(?)の桜名所、背割り堤。宇治川、木津川、桂川の三川合流地点。
  ①「春の休日」。のんびりと堤を散歩する家族。  
  ②「金色の道」。道も桜も黄金色に。背割り堤の夕刻。
  ③「春の黄昏」。暮れてゆく背割り堤。遠く木津川の流れ。
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   次は、宇治川上流の天ヶ瀬ダム湖です。
  ①「春の放水」。天ヶ瀬ダムの春の放水です。雪解け水の水量調節。
  ②「光る風」。春風が、湖面に春の光を撒き散らし、吹き渡っていきます。
  ③「沸き立つ霧」。湖面から霧が沸き立ち、山の斜面を駆け上がります。
      ~♪桜花ちりぢりにしも わかれ行く 遠きひとりと 君もなりなむ♪~(迢空)
        今春知り合いが亡くなりました。
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   家の近くの鴻ノ巣山の桜と三ツ葉ツツジの競演。
  ①「競演」。三ツ葉ツツジと桜の競演。
  ②「躑躅道」。山頂をめざして登る二人。薄紫の花。続く道。
  ③「一休み」。昼寝から起きたところ? 
     ~♪春風の 花を散らすと見る夢の さめても胸の さわぐなりけり♪~(西行)
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   お終いは、宇治田原の里桜(八重桜)。八重桜は遅咲きですね。これからです。
    ~♪花にちる 人の心を引きとめて  しばしおくるる 八重桜花♪~(伊藤左千夫)
  ①「散歩道」。土手の道を車椅子で散歩です。介護中。
  ②「休日の子どもたち」。遊歩道をゆく子どもたち。どこへ?
  ③「八重桜の頃」。この時期は田植えの頃。夕日が沈むまで作業。
          ~♪ 日は高く 人それぞれに 桜かな ♪~   では。また。
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2017年4月10日 (月)

定期診察(128)・病気の最終状態は?

 今日はKS病院血液内科の定期診察でした。病院へは、今回も電車で向かいました。貧血症状が酷いので本当に大変。泣きたくなるくらいです。タクシーにするのは、宇治、伏見方面の交通渋滞がひどく、時間が読めないです。血液検査に遅刻しそうです。可能な限り電車使用です。2週間ごとの修行ですね。しかし、もうかなり限界です。
 電車の中では、真新しい制服の高校生が目につきました。いいですね~♪

 さて、最近の症状は、前回と比べて貧血症状がすすみました。自宅の二階へ上がるのも、息切れ、足のだるさ、軽い頭痛です。

 診察結果です。
 ★ヘモグロビンは、Hb=6.2でした。前回より0.4も減少です。当然に輸血の話しが出ましたが、6.0を切るまでは先送りをするという結論になりました。医学的にみて、できることなら輸血は避ける方がよい、という見解に賛同しました。しかし、つらい。

 ★血小板は11万/μlのまま横ばいでした。CRPとLDHも横ばい。ジャカビは、効いているのかな? ウーン。
 ★貧血がひどいので、ジャカビは、現状のまま一日3錠です。

  【病気の最終状態は?】
 今回もまた、病気の最終状態について質問してみました。
 私の症状として、毎日のように夕方になると発熱が始まり、足の骨、背中や胸の骨が痛み出します。発熱は38℃~39℃。ほとんど歩行不能状態になります。ロキソニンで何とか治まりますが、もしこの状態が終日におよべば、これはもう地獄(ちょっと大げさか?)ですね。最終的には、緩和ケアのある病院に移る必要があるのか心配になります。
  そこで質問を切り出してみました。
 「この痛みがどんどん酷くなって、モルヒネとか必要になってきますか? この病気の最後は、痛みとの闘いになりますか?」
  「それはないです。この病気の最後は『ショウ??』です。」
 医師の言葉を聞き漏らしました。たぶん『ショウモウ』と言ったような気がしました。思わず、「エッ!!」という声が出てしまいました。
 「体がだるくなって、どうしようもなくなる状態です。・・・白血病に移行する人もいるし、肺炎を起こす人もいるし、人によってそれぞれ様々ですが・・・。」
  と言うことです。どうやら、この痛みがどんどん強くなって最後を迎えるということは無さそうです。私は痛みは苦手なのでちょっと安心かも・・・。しかし、この得体の知れない『消耗』とやらで死ぬのもどんなものなんでしょうね。
 『消耗(?)』という言い方があるのには、ちょっと驚きました。
 考えると、ちょっと消耗する質問でしたね。

  帰りも電車で帰りました。時間は十分あるので、トボトボ歩きです。
 しかし、ゆっくりと歩いていると、今まで気付かなかったものに気付きます。
  白い綿毛をつけたオニタビラコやハルノノゲシ。道端のコンクリートの割れ目に、たくましく精一杯咲いていました。   では。 また。

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2017年4月 5日 (水)

二十四節気「清明」2017

 4月4日は、二十四節気の「清明」でした。若葉が萌え、花は咲き、鳥は歌い、万物が一年中で最も清らかな時期です。
 今年は寒い日が続き、春が少し遅れていたようです。京都南部では、桜はまだ満開とはいきません。三部咲きといったところでしょうか。

 4日の「清明」当日は、朝から空は晴れ渡り暖かい一日となりました。私は午前中、日の当たる物干し台で読書をしました。空を見上げると青い空が広がり、雲が流れてゆきます。あまりに春らしい日なので、耐えきれず一大決心をしました。ちょっと大げさですが・・。数ヶ月ぶりに撮影に行こうと・・・。 貧血は最悪の状態ですが・・・。
 散歩写真の自己ルールからはずれますが、車で木津川土手に上がり、車の周辺だけで撮影するつもりです。自転車で散歩しながら行くなど到底無理です。
 桜はまだ十分に咲いていないですが、早咲きの陽光桜なら満開になっているはずと睨みました。土手には、2本だけですが、陽光桜があります。
 午後から出かけました。カメラを持つと突然、人が変わったように無鉄砲になる私を監視するため、妻もくっついてきました。 ウーン・・。

  狙い通り陽光桜は満開でした。散歩する人や春休みの子どもたちも行き交い、のどかな春の一日です。 中原中也の一節。
 ~♪ ああ、しづかだしづかだ
    めぐり来た、これが今年の私の春だ。
    むかし私の胸博つた希望は今日を、
    厳めしい紺青となつて空から私に降りかかる  ♪~
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   ヒヨドリでしょうか、鳥たちも蜜をなめにやってきました。
 木の周囲には、黄色いタンポポが咲き乱れています。
 木の下を通り、曲がりくねった土手の道が遙かにつながっています。この道を走りたい衝動にかられます。道の先にあるものが何であろうと・・・。 
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   土手の斜面では、オオイヌノフグリとオランダミミナグサが春の歌の二重唱。
 ツクシも出ていました。今季初のツクシです。最後のツクシかも・・・。
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 ホトケノザも、たくさんの手を挙げて、喜びの声を上げているようです。
一日中、ここで過ごせたらどんなにか幸せでしょうか。
 しかし、貧血の息切れ、目まい、足の痺れが限界です。土手の斜面を上がり下がりして、被写体を探すのは、今の私にとって思った以上に過酷です。わずか30分程度の短い時間でしたが、「清明」の日の一時を楽しみました。  

 

 

   過去の「清明」へのリンクもつけておきます。
  2016年の「清明」へのリンクはこちらから → こちら
2016年の「清明」では、茨木のり子さんや石垣りんさんの詩を引用して、ツクシなどの野の花、桜やカラシナの風景を楽しむことができます。
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   2016年の「清明」追加①へのリンクはこちらから → こちら
 Seimeilink004
 野の草花たち。ムラサキサギゴケ、カラスノエンドウなど。
大榎の芽吹き。
桃の花。 

 

 

    2016年の「清明」追加②へのリンクはこちらから → こちら
 Seimeilink005
  鴻ノ巣山の三ツ葉ツツジ。

 

 

 

   2016年の「清明」追加③へのリンクはこちらから → こちら
 Seimeilink6
  雨の日の桜。
  散りゆく桜。 

 

 

 

   2015年の「清明」へのリンクはこちらから → こちら
   Seimeilink007土手の桜。
 落花。
 上田敏の訳詩。志賀直哉「早春の旅」の紹介。  

 

 

    2014年の「清明」へのリンクはこちらから → こちら
   Seimeilink008桃の花。
 三つ葉ツツジ。
 ツクシなど土手の草花。桜。

 

 

   2013年の「清明」へのリンクはこちらから → こちら
  Seimeilink009_2土手の桜。桃の花。
 文化パルクの桜。
 古川土手。柳、桜。 

 

 

   2012年の「清明」へのリンクはこちらから → こちら
 Seimeilink010
 宇治田原高尾の桜。霧風景。
青谷梅林の霧風景。 

 

 

 

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2017年3月31日 (金)

石川啄木詩集・歌集を読む

  夭逝の詩人は、死とどのように向き合ったのでしょうか? 今回は、わずか26歳の若さで世を去った天才歌人・詩人、石川啄木についてみていきます。

 ~♪ 東海の小島の磯の白砂に  われ泣きぬれて  蟹とたはむる ♪~

  ~♪ 砂山の砂に腹這ひ 初恋の いたみを遠くおもひ出づる日  ♪~

  ~♪ はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る ♪~

  「一握の砂」に収められたこれらの歌は、日本人のほとんどが知っています。私たちの知る石川啄木は、どのように誕生したのでしょうか。年譜を概観してみましょう。

★石川啄木は、1886年(明治19年)に、岩手県(現、盛岡市)で、寺の住職の子として生まれます。優秀な少年時代だったようです。
★1902年 明治35年 満16歳
   学校で不正行為(カンニング)があったとして処分を受け、盛岡中学校を退学し、文学で身を立てるべく渋民村を出ます。文学的野心に満ちて故郷を出発です。
★1905年 明治38年 満19歳
  文語定型詩で書かれた処女詩集『あこがれ』を発行。これは、現代の私たちには、少々読みづらいです。節子と結婚し、盛岡市に新居を構えます。
  翌年には、 渋民小学校で代用教員として働きます。
★1907年 明治40年 満21歳
 北海道に渡り、函館 、釧路などの地で、代用教員、新聞記者、校正係などとして働きます。
★1908年 明治41年 満22歳
  「文学的運命を極度まで試験する決心」(日記)。ついに文学的野心に燃えて、家族を北海道に残したまま上京します。小説を書き、売り込みを図るも失敗。貧困のどん底へと落ちます。挫折です。
 挫折の中で歌を詠み雑誌に発表し、これが高く評価されることになります。
★1909年 明治42年 満23歳
 朝日新聞社校正係の職も得て、家族を迎え二階二間の間借り生活を始めます。
★ 1910年 明治43年 満24歳
  『一握の砂』を刊行。 長男真一死去。
   大逆事件発生。幸徳秋水等死刑。これに抗議し社会主義的傾向を一層強めます。
★1911年 明治44年 満25歳
   慢性腹膜炎と診断され入院。さらに肺尖カタルにおかされ病魔は進行。
 母カツも病魔におかされます。
★1912年 明治45年 満26歳
  3月、母カツ結核で死去。
 4月、本人も危篤。最後をみとったのは、妻節子、父一禎と友人の若山牧水でした。

  年譜により、石川啄木の作品の全体像を整理すると、次のようになります。
  まず、歌については、次の二集です。
      22歳~23歳:『一握の砂』   24歳~26歳:『悲しき玩具』
  次に、詩人としての石川啄木の作品は、次のように整理できます。
      17歳~18歳:詩集『あこがれ』 19歳~24歳:『あこがれ』以後の作品群。
      24歳~:社会主義的な傾向滲ませた『呼子と口笛』

  結局、私たちが『一握の砂』で知っている石川啄木は、22歳~23歳の頃の啄木ということになります。
  闘病中の心情を知るには、24歳~26歳の『悲しき玩具』を読めばよいということになります。

 啄木は、文学的才能にあふれ、また文学的野心を持ち文学界に挑みますが、その収入で家族を養うことはできず、貧困のどん底で喘ぎます。容赦なく病魔が襲い、ついに26歳の若さで他界したのです。
 彼は、凄まじい生活苦と病魔にどのように向き合ったのでしょう。最後に書かれた日記を見てみましょう。

  <日記をつけなかつた事十二日に及んだ。その間私は毎日毎日熱のために苦しめられてゐた。三十九度まで上がつた事さへあつた。さうして薬をのむと汗が出るために、からだはひどく疲れてしまつて、立つて歩くと膝がフラフラする。
 さうしてゐる間にも金はドンドンなくなつた。母の薬代や私の薬代が一日約四十銭弱の割合でかゝつた。質屋から出して仕立て直さした袷と下着とは、たつた一晩家においただけでまた質屋へやられた。その金も尽きて妻の帯も同じ運命に逢つた。医者は薬価の月末払を承諾してくれなかつた。・・・・>

  啄木を見舞った友人、金田一京助は、後に次のように書き記しています。 
    <上ってすぐ隔ての襖をあけると、仰向けに此方を向いて寝ていた石川君の顔、それはすっかり衰容が来て、面がわりしたのに先ず吐胸を突かれたが、同時に、洞穴があいたように、ぱくりと其の口と目と鼻孔が開いて、『たのむ!』と、大きなかすれた声が風のように私の出ばなへかぶさって来た。私は死霊にでも逢ったよう、膝が泳いで、のめるようにそこへ坐ったばかり、いう所の言葉を知らなかった。
 あの際に、何と言って上げるのが一等よかったろうか、私には今でもよいことばがわからない。・・・>

 金田一京助が、「いう所の言葉を知らない」と言うような貧困生活と闘病生活。その中で詠まれた歌を『悲しき玩具』から拾って鑑賞していきましょう。歌については、何の説明も必要ないと思います。ただ啄木の心中を推察するのみです。

~♪呼吸すれば、 胸の中にて鳴る音あり。凩よりもさびしきその音おと!♪~

~♪考へれば、ほんとに欲しと思ふこと有るやうで無し。 煙管をみがく。♪~

~♪真夜中にふと目がさめて、わけもなく泣きたくなりて、蒲団をかぶれる。♪~

~♪目さませば、からだ痛くて動かれず。 泣きたくなりて、夜明くるを待つ。♪~

~♪氷嚢の下より まなこ光らせて、寝られぬ夜は人をにくめる。♪~

~♪人間のその最大のかなしみが これかと ふっと目をばつぶれる。♪~

~♪今日もまた胸に痛みあり。死ぬならば、ふるさとに行ゆきて死なむと思ふ。♪~

~♪あてもなき金などを待つ思ひかな。寝つ起きつして、今日も暮したり。♪~

~♪買ひおきし 薬つきたる朝に来し  友のなさけの為替のかなしさ。♪~

 才能に溢れ、文学を志した少年の眼差しは、いつも空に向かっていました。空を見上げ、心の中で希望を語っていたのだと思います。『一握の砂』では、~♪不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸われし 十五の心♪~ と詠いました。しかし、彼は、『悲しき玩具』の中では、
~♪この四五年、空を仰ぐといふことが一度もなかりき。かうもなるものか?♪~
 と嘆きます。貧困と病魔におかされ、空を仰ぎ見ることもなく、夢破れた啄木の死は、わずか26歳での無念の死だったと思います。

  しかし、わずか26歳で彼が到達した高みは、素晴らしいものがあります。
文学面においては、世に出て名声を得ようという野心を遙かに超えて、文学の革新を目ざそうとする立場に到達しています。詩論、『食ふべき詩』をみてみましょう。

 < ・・・餓ゑたる犬の食を求むる如くに唯々詩を求め探してゐる詩人は極力排斥すべきである。・・・暇ある時に玩具を弄もてあそぶやうな心を以て詩を書き且つ読む所謂愛詩家、及び自己の神経組織の不健全な事を心に誇る偽患者、すべて詩の為に詩を書く種類の詩人は極力排斥すべきである。・・・
「我は詩人なり」といふ不必要な自覚が、如何に従来の詩を堕落せしめたか。「我は文学者なり」といふ不必要なる自覚が、如何に現在に於て現在の文学を我々の必要から遠ざからしめつゝあるか。・・・>

  大逆事件で社会主義者が弾圧・処刑される時代の中で、啄木は、社会的不正義や不公平に対し、強い批評と批判をぶつけました。その後の日本の進路を考えるとき、彼が駆け抜け到達した世界と、彼が目ざしたものは、100年後の今でも光を放っています。
では、最後に『呼子と口笛』の詩の一節を引いて、啄木の死を惜しむことにします。
 
 ~♪ はてしなき議論の後
    ・・・・・
   此処にあつまれるものは皆青年なり、
   常に世に新らしきものを作り出だす青年なり。
   われらは老人の早く死に、しかしてわれらの遂に勝つべきを知る。
   見よ、われらの眼の輝けるを、またその議論の激しきを。
   されど、誰一人、握りしめたる拳に卓をたたきて、
   ‘V NAROD!’と叫び出づるものなし。

    ああ、蝋燭はすでに三度も取り代へられ、
   飲料の茶碗には小さき羽虫の死骸浮び、
   若き婦人の熱心に変りはなけれど、
   その眼には、はてしなき議論の後の疲れあり。
   されど、なほ、誰一人、握りしめたる拳に卓をたたきて、
   ‘V NAROD!’と叫び出づるものなし。    ♪~

                 *‘V NAROD!’=「民衆の中へ!」

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2017年3月27日 (月)

定期診察(127)・症状横ばい

 今日はKS病院血液内科の定期診察でした。病院へは、今回も電車で向かいました。家から駅に向かう道は、貧血症状が酷くかなりの苦労でした。休み休みです。おまけに雨が・・・。駅の階段も途中で立ち止まりました。駅を降りて病院までは上り坂のため、途中で休憩です。なんとか病院にたどり着きました。

 最近の症状は、前回と比べても改善は無しです。
 朝食後は、姿勢が維持できず横になります。その後、1時間くらい活動ができます。昼食後も横になります。その後起きて、2時間くらい活動します。夕方からは徐々に、足、背中、胸の骨が痛み出し、発熱も始まります。夕食後、直ぐにロキソニンを飲みますが、痛みと熱は直ぐには治まらず、2時間は続きます。この時間帯が、一日の最大の難所です。熱は、たいてい38℃を超えます。 寝るときは酷い寝汗。これもなかなかです。
 気がつくといつも鼻血。これは何とも不気味感がありますね。 
 
 さて、診察結果です。
 ★ヘモグロビンは、Hb=6.6でした。前回より0.1ですが増えました。下げ止まったかも知れないということで、輸血は先送りで、このまま様子をみることになりました。

 ★血小板は11万/μlに減少しました。間もなく一桁台突入?

  ★なぜ毎日のように、周期的に骨が痛くなるのか、他の病気が隠れているのではないかと、質問してみました。
 主治医の答えは、「骨の腫瘍は考えにくい。もしそうだと、血液像に現れるはず。」、「血液を分解したり、造血したりすることと関係のある反応ではないか?」ということでした。何となく曖昧な答えでしたが、任せるより方法はないですね。もともと、治療法の確立していない病気なので・・・。

 ★前回減少したCRPとLDHは、今回は横ばい。
  それで、ジャカビを一日1錠増やすことになりました。一日3錠。

 今日は薬局で支払った代金は0円。高額療養費の限度額を超えているからです。
 請求書の額は、驚愕の16万円! 医療保険制度様様ですね。
               では。 また。

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2017年3月23日 (木)

八木重吉詩集を読む

 夭逝の詩人は、どのように死と向き合ったのでしょうか。今回は、29歳の若さで夭逝したクリスチャン詩人、八木重吉の場合を考えていきます。

 明治に入り急速に欧米の科学技術や文化を取り入れていった日本。いわゆる欧化政策です。島崎藤村、国木田独歩、有島武郎、志賀直哉など多くの詩人や作家は、キリスト教文化に触れ、大きな影響を受けました。また、自らがクリスチャンとなる詩人や作家も多く出ました。多くの場合、信仰は作品の背後に隠されており、前面に出ることはありません。しかし、八木重吉の場合は、作品の前面に信仰が打ち出されており、神への祈りのような作品が多く残されています。彼にとっては信仰がすべてだったと思われます。その意味で、人々は彼を、「クリスチャン詩人」と呼んでいるのだと思います。

 では、彼の生涯を年譜で概観してみます。
 八木重吉は明治31年、現在の東京都町田市相原町の富裕な農家に生まれました。
 神奈川県師範学校へ進学。19歳で東京高等師範学校(現在の筑波大学)に進学します。ここで文学に目覚め、キリスト教へ入信します。卒業後、兵庫県の御影師範学校に奉職します。この少し前に知り合った島田とみと、遠距離恋愛の末に結婚します。重吉は24歳、とみは18歳、とみの親の反対を押し切っての強引な結婚だったようです。
 二人は、一男一女をもうけ、重吉は詩作に励む生活を送ります。
 大正14年、27歳の時、千葉県立東葛飾中学校に転勤。ここで第一詩集「秋の瞳」を出版します。
 昭和元年、結核第Ⅱ期と診断され、療養生活へと入ります。そのかたわら、第ニ詩集の「貧しき信徒」を自選、編集します。(出版は死後)
 昭和2年10月、熱烈なキリスト教信徒として、29歳の若さで亡くなりました。

 貧困と苦しい闘病生活。彼の精神を支えたのは、神への信仰でした。亡くなる前、わずか3年間に遺された詩や詩稿は、3000篇近いと言われています。その多くは、宗教的心情の吐露や祈りの言葉です。そのいくつかを拾い出してみます。
   ~♪ わからなくなった時は
      耶蘇の名を呼びつづけます
      私はいつもあなたの名を呼んでいたい ♪~

   ~♪ 基督が解決しておいてくれたのです
      ただ彼の中へはいればいい
      彼につれられてゆけばいい   ♪~

  彼の信仰は、一途で純粋なものでした。私のようなクリスチャンでない者から見れば、あまりにも痛々しい感じすらします。
 信仰とは、人間は本来的に罪なる存在であり、欲望に満ちた自分の存在を罪として神の前で悔い改め、神にひざまずき救いを求めることです。彼は、詩を作ることも、たんなる人間的欲望の一つではないかという思いにとらわれるのです。彼は、純粋な神への信仰のためには、他の一切の欲望は断ち切る必要があるのではないかと思い悩むのです。

      ~♪ あるときは
     うたをつくるのさへ悪であるとおもふ
     こんな詩などつくらなければ
     ほんとにわたしのせけん的のよくぼうはなくなる
     そうしたら一挙にわたしのこころは
          きれいになってしまうかもしれぬ     ♪~

      ~♪ わたしが
      詩をすてるとき
            わたしはほんとのひとになれる     ♪~

しかし、彼は詩を捨てることはできません。家族への愛を断ち切ることもできません。信仰と詩、信仰と家庭をどのように統一すればよいか、心は揺れ動きます。

   ~♪  たったひとつの手すさびでありほこりである
      かなしみでありよろこびである
            詩をつくることをすててしまふなら
            あまりにすきだらけのうつろすぎるわたしのせかいだもの
            ここにこうして不覚の子は
            歯をくいしばって泣くまいとしてうたをうたふ   ♪~

      ~♪ 裸になってとびだし
      基督のあしもとにひざまずきたい
      しかしわたしには妻と子があります
      すてることができるだけ捨てます
      けれど妻と子をすてることはできない
       ・・・・
      ここに私の詩があります 
      これが私の贖(いけにえ)である
      これらは必ずひとつびとつ十字架を背負うている
      これらはわたしの血をあびている
      手をふれることできぬほど淡々しくみえても
      かならずあなたの肺腑へくいさがって涙をながす  ♪~

 詩は、私の贖(いけにえ)であると・・。重吉は、詩と家族、そして神の間で悩み続け、苦しみます。そして、ついに一つの境地に到達するのです。

 ~♪ 詩をつくり詩を発表する
    それもそれが主になったら浅間しいことだ
    私はこれから詩のことは忘れたがいい
    イエスを信じ
    ひとりでに
    イエスの信仰をとおして出たことばを人に伝えたらいい
    それが詩であろう   ・・・・         ♪~

  文学的野心とは無関係、金銭的利益とも関係ない、信仰をとおして心の奥から自然に湧き上がってくる言葉、それこそが詩である・・・。彼は、信仰と詩、家族愛について、ついに真実に到達します。

  ~♪ ほんとうに
     しぜんに詩の生まれる日は
          じぶんみづからがとほとひものになったとおもふ
          いのちがあることがたしかにかんじられる
          みづからが かみのこころの窓となり
          わたしのうたは
          わたしのもつ かみの観念とおなじたかさからながれいづる ♪~

   ~♪ この明るさのなかへ
     ひとつの素朴な琴をおけば
     秋の美しさに耐えかね
     琴はしづかに鳴りいだすだろう   ♪~

 彼は、神の創造物である自然と静かに向き合い、心の中にただ湧き上がる言葉を書き留めました。信仰を通して、心の中に自然に湧き上がる言葉、それこそが詩であるという境地に到達したのです。彼の琴が静かに鳴り始めたのです。自然派詩人八木重吉の誕生です。彼のことを宗教的自然詩人と呼ぶ人もいます。納得の表現です。

  ~♪ 雨がふっている
     いろいろなものをぬらしてゆくらしい
     こうしてうつむいてすわっていると
     雨というものがめのまえにあらわれて
     おまえはそう悪いものではないといってくれそうなきがしてくる ♪~

  ~♪ 雨のおとがきこえる
     雨がふっていたのだ
     あのおとのようにそっと世のためにはたらいていよう
     あめがあがるようにしずかに死んでゆこう   ♪~

  神に許された彼が、自然と向き合いながら紡ぎ出す世界は、なんという静謐な世界なのでしょう。
 彼の編んだ詩集、「秋の瞳」、「貧しき信徒」は、宗教的信条とは関係なく、多くの人から愛されることになりました。

  ~♪ 私はくるしい
     私は怖ろしい
     私は自分がたより無い
     私は基督に救ってもらいたい
     それが最後のねがいだ    ♪~

  ~♪ 冨子
     神さまの名を呼ばぬ時は
          お前の名を呼んでいる  ♪~

  昭和2年10月、重吉は、神と家族の名を交互に呼びながら最後の時に向かいます。
 ~危篤が告げられ高熱のなかで十時を切る。キリストの姿を見たしぐさをする・・
 彼の最後の瞬間はこのように伝えられています。
 生活苦の中で29歳の若さで昇天しました。

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2017年3月20日 (月)

二十四節気「春分」2017

 3月20日は、二十四節気の春分でした。彼岸の中日です。「暑さ寒さも彼岸まで」とは、よく言ったもので、ここ数日温かくなりました。
 私は、物干し台で読書を楽しみました。花粉症なのでマスクは必須です。日に当たっていると暑いくらいです。
  春の野草と対話をするために散歩に行きたいのですが、どうも体の方が言うことを聞いてくれません。椅子から立ち上がっただけでも、立ち眩みで頭が痛くなります。これでは、カメラを持って、得意のローアングルで野の花を撮影するのは無理です。
 というわけで、今回も過去の「春分」へのリンクのみになります。
 梅と桜の端境期で被写体に苦労する時期です。

    2016年の「春分」へ → こちら
Shunbulink001 岸田衿子さんの詩「急がなくてもいいんだよ」
に合わせて、春分の日を楽しみます。
左の写真は、モクレンの花芽に夕日。 

 

 

 

    2016年の「春分」の追加へ → こちら
Shunbulink002 緋寒桜とメジロ。
土手の早咲きの桜、陽光桜。
木津川土手のユキヤナギ。

 

 

   2015年の「春分」へ → こちら
Shunbulink003 野の花たち。つくし。
オオイヌノフグリ。オトケノザ。
文化パルクの梅。

 

 

   2015年「青谷梅林」  → こちら
Shunbulink004 青谷梅林へ。
メジロ。夕映えの梅。
左の写真は、青谷梅林より木津川遠望。

 

 

   2014年の「春分」へ → こちら
Shunbulink005 鴻ノ巣公園の梅。
野の花たち。
木津川土手の梅。 

 

 

   2013年の「春分」へ → こちら
Shunbulink006 大榎と梅。
木津川土手の梅。
鴻ノ巣山の梅。

 

 

   2012年の「春分」へ → こちら
Shunbulink007 つくし。菜の花。サンシュユ。
青谷梅林へ。
古川土手、柳の芽吹き。

 

 

 

   2011年の「春分」へ → こちら
Shunbulink008 河津桜。
フキノトウ。
メジロ。

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2017年3月13日 (月)

定期診察(126)・貧血限界に

 今日はKS病院血液内科の定期診察でした。病院へは電車で向かいましたが、貧血症状が酷く、駅の階段が山登り状態でした。電車で病院へ行くのは、ちょっと限界に来ている感じです。次はタクシーにするとか、考えないと・・・。

 最近の症状としては、貧血症状がひどく、姿勢が維持できずに横になっていることが多くなりました。集中力が無くなり、ぼんやりしていることもあります。読書をしている時、ぼんやりとなって目を閉じたくなったりします。
 足や背中、腹の痛みもひどくなってきました。発熱でロキソニンを飲むというより、痛みのために飲むという状態です。毎晩のように38℃を超える発熱も続いています。ロキソニン依存生活ですね。
 ひどい寝汗も続いています。バスタオルを体に巻いて寝ています。布団乾燥機は毎日、大活躍ですね。洗濯機も同じくです。

 さて、診察結果です。
 ★ヘモグロビンがついに、Hb=6.5 になりました。 体が辛いのも当然ですね。
  まっ先に輸血の話しが出ましたが、次回の診察まで先送りすることに・・・。
  「このままだと倒れますか?」と質問したところ、「それはない。」ということなので、もう少し堪え忍ぶことにします。 私はなぜか不思議に我慢強いですね。

 ★血小板は14万/μlに減少しました。心ぼそい数値になってきました。
  その内、病状が進めば一桁台になるそうです。 その時は成分輸血?

 ★「ロキソニンを毎日使用していることの副作用は?」の質問に、「他にもいろいろ弱い薬もあるので、それはその時に。」ということでした。 気にすることは無い?

  ★良い話しは一つも無い診察でしたが、主治医が言うには、過去最高を更新し続けて上昇していたCRPとLDHが減少に転じたのは、ちょっと期待できるかも?、ということでした。何をどう期待できるのかよく解りませんが・・・。熱と体の痛みは、もう少し改善してほしいものです。
 これらのいろいろな症状は、個人差が大きいそうです。朝に発熱したり、一日中ジワジワ発熱したり、人によりいろいろだそうです。

 血小板増多症から二次性骨髄線維症になった場合、原発性の骨髄線維症よりも予後は不良ということのようです。病気の最終状態なので当然といえば当然ですね。残り少なくなった人生をどう生きるか、淡々と生きていくしかないんですが、なかなか悩ましい問題ですね。
 「夭逝の詩人の死」というテーマで読書をしていますが、あまり進んでいません。まあ、誰からも読まれていないので、気長にいきます。    では。 また。

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2017年3月 9日 (木)

二十四節気「啓蟄」2017

 3月5日は、二十四節気の「啓蟄」でした。啓蟄に割り当てられた七十二候が示すところによれば、地面から虫たちも這いだしてきて、桃の花が咲き、菜虫が蝶となる頃です。梅に続いて、桃の花も咲き始めます。
 今年は、少し寒い日が続いていて、先日、霰が降りました。
 私はといえば、ほとんどの時間を家の中で過ごしています。何となく姿勢が維持できず、横になっている時間も増えています。気がつくと、いつの間にか口で息をしています。すっかり闘病生活というにふさわしい状態になってきました。梅の花やピンク色の桃の花の香り嗅ぐために、虫たちのように家から這いだしたい気分です。

 今回も、二十四節気「啓蟄」は、過去のリンクになります。

   ★2016年の「啓蟄」へのリンクは→ こちら   青谷梅林梅→ こちら
 Keititu001
  菜の花にミツバチ。虫たちの活動も始まりました。
 まどみちおさんの詩が二編引用されています。
 モクレンの花芽の輝き。

 

 

   ★2015年の「啓蟄」へのリンクは→ こちら   鴻ノ巣山の雨→ こちら
  Keititu002ナズナ、ホトケノザ、ツクシ、オオイヌなど春の花勢揃い。
 土手の梅。夕日。
 種田山頭火「 ひつそりかんとして ぺんぺん草の花ざかり」

 

 

   ★2014年の「啓蟄」へのリンクは→ こちら
  Keititu003この年も異常な寒さで雪の啓蟄に。大榎に雪。
 ネコヤナギの輝く花芽、タンポポの暖かさ。
 オオイヌノフグリはバーズアイ。

 

 

   ★2013年の「啓蟄」へのリンクは→ こちら
 Keititu004
 ネコヤナギとミツバチたち。
 メジロとの出会い。
  ヨモギ採りのおばさん、魚釣りの少年たち。

 

 

   ★2012年の「啓蟄」へのリンクは→ こちら
  Keititu005雨の鴻ノ巣山。催花雨。 
 コケと水滴。
 霧の高尾、湯屋谷(宇治田原)。

 

 

   ★2011年の「啓蟄」へのリンクは→ こちら
  Keititu006青谷梅林の梅。
 宇治田原高尾の梅。
 土手の梅。

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