2017年9月19日 (火)

尾木直樹著「取り残される日本の教育」感想②

 この本を読み終わった感想として、著者の主張している内容の多くは支持できるものです。民主的な教育を支持するものにとって、意味のある内容といえます。
 しかし、微妙な違和感も感じました。その違和感の第一点は、現在急速に進められている、政府の新自由主義的な教育政策にどう向き合うかという点についてです。
第ニは、学校職場の民主化をどう進めるかという点についてです。

 では、第一の違和感について。
 尾木氏は、「THEの世界大学ランキングで日本の大学は低迷している」、「PISAの学力ランキングも低下」、「日本の労働者の生産性は低い」と、グローバルな視点や経済的視点から危機を煽り、教育改革を語り始めます。このような文脈で教育改革を語ることには違和感を感じます。
 安倍政権でも、まったく同じ文脈で新自由主義的な教育改革が進められています。
 グローバル企業・財界からの要請を受けた「産業競争力会議」の議論をふまえて、「教育再生実行本部」が、グローバル人材育成のための教育改革を提案しています。
  具体的資料に当たりたい方は、
 ★「人材力強化のための教育改革プラン」~ 国立大学改革、グローバル人材育成、学び直しを中心として~          → こちら
 ★「教育再生実行会議」の提言は、 → こちら

  グローバル人材を育てようというこれらの教育改革も、学校のグローバル化や知識偏重の学力検査を改善し、入試の多様化を推進することが必要とうたっています。
  気になる政策を挙げてみます。

 ☆スーパーグローバル大学を指定し、重点的に予算配分するなどして、世界大学ランキングトップ100に10校をランキング入りさせる。
 ☆外国の大学を丸ごと誘致し、ハイブリッド型の国際大学院、学部を設置。
 ☆理工系の強化により、10年で20の大学発新産業を創出する。
 ☆予算の重点配分を行い、大胆で先駆的な改革を進める。
 ☆給与システムを改革し、大学教員に年俸制を導入。
 ☆スーパーグローバルハイスクール(仮称)を指定。国際バカロレア認定校を大幅に増加(16校→200校)させる。
  ☆大学入試へのTOEFL等を活用する。       ………等々。

 これらの教育施策は、経済の「成長戦略」として語られており、グローバル企業の要請による教育支配というべきものです。すぐに経済的利益を生む研究が重視され、研究予算は紐付きで、基礎研究が軽視される事になります。ノーベル賞を受賞した大隅良典氏は、基礎研究の軽視を警告しています。予算配分の少ない国立の地方大学の落ち込みが激しいと言います。学術論文の数でも、日本は韓国、中国に抜かれてしまったようです。「国際競争力のある大学つくり」は、知の拠点である大学を破壊しつつあるといえます。
 年俸制になれば、教職員への支配力も強まります。現在、東大で教職員の有期雇用問題が起こっています。京大のiPS細胞研究所の研究者の9割が非正規職員であることが報じられています。不安定な身分で働いている研究者が多いことに驚かされます。教育に掛ける公的支出が、GDP比でOECD34カ国中最下位とは情けない限りです。
 TOEFLが入試に活用されるとなれば、高校の英語教育は危機にさらされます。TOEFLの点数を上げるために、エリート校以外の高校生の塾通いが進みます。よい塾へ通えるかどうかは、経済的格差に影響されます。教育産業は大いに栄えることでしょう。
 日本の公教育は、「グローバル人材の育成」の名のもとに、きわめて露骨なエリート学校作り、グローバル企業のための教育に変質させられようとしています。

 尾木氏の「グローバルな教育の推進」、「日本の労働者は生産性が低い」という主張には、ちょっと違和感ですね。新自由主義的教育に無警戒? 推進派?

 第ニの違和感は、学校の民主的運営についてです。
 いじめを隠蔽する教育委員会や学校。上に対してものの言えない教師。いじめを見て見ぬふりをする教師。生徒に向き合えない教師。教育に対して国民の不満は高まってきています。その原因をどこに求めるかが大きな問題です。
  尾木氏は指摘します。
  ~事務作業の多さ、仕事の多様化、部活指導など。すぐに成果を求められる点数競争。過酷な教師の長時間労働は常態化してきている。教育職場は、職階制が強化されて、教育の管理が進んで来ている。~   この指摘には大いに共感します。さすがに、長年教育現場を経験された尾木さんならでは、ですね。

  多くのいじめや授業崩壊などの問題は、教師の横の連携(学年集団など)で解決できるか、問題の重症化を防ぐことがきます。民主的運営がなされていない職場では、教師は孤立しています。管理職は上ばかりを見て保身を図ります。責任は、下へ下へと押しつけられていきます。特に授業崩壊や学級崩壊は教師個人の責任とされています。最前線で孤立する教師。心を病む教師が多いのも痛いほど理解できます。
 近年は、教師の非正規雇用が多いのも驚くばかりです。
 以上のような意味において、尾木氏は、教師の横のつながり、つまり日本独自の「同僚性」を職場に取り戻す必要を強調しています。これは、実にその通りです。
 しかし、尾木氏は、日本の教育職場には以前から自然に「同僚性」が存在したかのような書き方をしています。これには、大いに違和感です。「同僚性」を必死に守り抜こうとした人たちがいたからこそ、「同僚性」が在ったのです。
 職場に民主主義を確立するためには、民主的な組織や人のつながりがなければ達成できません。当たり前のことですね。
  尾木氏は、「教師の質の向上のため、自己研鑽に国や自治体の理解と協力が必要である。」と述べています。しかし、教育委員会が提供する多くの研修会が、自由闊達な教育研究の場であるかどうか大変疑問です。過去、教師の自己研修を支えていたのは、職場や地域でのサークル活動、民間教育団体の研究会や組合教研ではなかったでしょうか。
 教育現場から民主的教育を積み上げていくには、民主的な人の横のつながり、組織化が必要です。国や自治体に理解と協力をお願い? ちょっと違和感です。
 テレビで売れっ子の教育評論家に、このような違和感を投げかけることが、違和感そのものかも知れませんね。スミマセン。 尾木氏の今後の活躍を期待します。

   おまけ:教育負担の私費の割合は、OECDどうどうの第2位。

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2017年9月18日 (月)

尾木直樹著「取り残される日本の教育」感想①

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  尾木直樹著「取り残される日本の教育」(講談社新書)を読みましたので、感想を書かせていただきます。私は、教職を退職し10年以上が経ち、教育に関する本を読むのは久しぶりのような気がします。

 では、まず、著者の尾木直樹氏の主張を出来るだけ忠実に要約してみます。

第1章:東大のアジア首位陥落の衝撃
 ★日本の教育は世界レベルから転落している。イギリスのTHEが発表している世界大学ランキングによれば、日本の大学は世界的に低迷しており、100位の中にはいるのは、東大は49位、京大の91位のみ、アジアの中を見ても、中国・韓国・シンガポールに抜かれ順位を下げている。
 OECDが実施しているPISAの学力ランキングも低下してきている。
  ★日本の労働者の生産性が、他国に比べて劣ってきている。その原因は、旧態依然とした産業構造や日本独特の企業文化などに加え、学力の低下やグローバルな視点から立ち遅れた教育にある。
 ★世界は「多文化共生時代」に入ってきており、自分と異なる文化と交流する能力、共生していく能力が求められている。知識偏重教育ではなく、思考する能力、知識や技術を活用する能力を高める教育が求められている。

第2章:日本の教育が世界から取り残されていく
  ★日本の教育は世界から取り残されつつある。
 18歳選挙権は、20年遅れてやっと導入された。
 ★日本では、過度の競争原理に基づく教育が行われていて、学力格差が生まれている。10代の学力不信自殺の増加は、他国に比べ深刻である。
 ★日本の教育予算は、OECDの中でも最低ランクにある。子どもの貧困問題も深刻である。機会均等のための無償教育を進める必要がある。奨学金の充実などはすぐに取り組める課題である。
 ★教育の無償、競争のない教育を進めているフィンランドなどに習って、教育改革を進めていく必要がある。

第3章:2020年は教育改革のラストチャンス
  ★OECDは、「能力の定義と選択プロジェクト」の研究成果として、三つのキーコンピテンシー(鍵となる能力)を提案している。
   ・相互作用的に道具を使う ・異質な集団で交流する ・自立的に活動する
  (*相互作用的に道具を使う=情報、知識、技術をツールとして活用する能力)
  ★日本の教育は、批判的思考力、論理的思考、表現力の教育に力を入れてこなかった。知識偏重の古い学力では、もはや仕事はない。OECDの提案する新しい学力観に立つ必要がある。
 ★フィンランド・メソッド、イエナプラン、クリティカル・シンキングを重視する教育など、海外から学ぶべきである。
 ★かってのゆとり教育は、必ずしも失敗ではない。「主体的、対話的で深い学び」であるアクティブラーニングをさらに進めるべきである。 
 ★ICT教育の適正な推進
 ★小学校への英語の導入は、グローバル化の流れからみて、一定の妥当性がある。
 「対話力」は不可欠である。指導者の育成も今後の課題。
 ★道徳の教科化は問題が多い。
 ★新しい入試制度は、入り口重視から出口重視へと転換させ、知識偏重を克服し、知識を活用する力や思考力・論理力・表現力を評価する方向へシフトしていくべき。国際バカロレアなど、資格保障にもとづく入試改革は検討すべき方向である。 

第4章:「学びの場」はどうあるべきか
 ★改革の成否の鍵を握るのは教師力である。生徒に向き合えない教師が増えている。その原因として教師の多忙化がある。事務作業の多さ、仕事の多様化、部活指導など。直ぐに成果を求められる点数競争。過酷な教師の長時間労働は常態化してきている。
教師の質の向上のため、自己研鑽に国や自治体の理解と協力が必要である。
  ★現在の教育職場は、職階制が強化されて来ており、教育の管理が進んで来ている。 管理主義、成果主義に覆い尽くされた教育現場では、さまざまな教育改革の芽が摘み取られている。
 教育現場に、日本独自の「同僚性」を取り戻す必要がある。
 教育には、自由が不可欠である。教科書採択などにも学校や教師に裁量権を与えるべきである。
 ★学校は民主主義の練習場である。教育の主体は子どもである。教育に「子ども参加」が必要である。
  ★学び直しを可能にする生涯教育の推進は重要。

第5章:日本の教育の未来のために
 ★教育観、学力観の議論を深めること
 ★教育を取り戻す6つの処方箋
  ①国際的な学力観・子供観への転換
  ②競争主義から脱却する
  ③学びの主役を子どもに アクティブラーニングの推進。子どもの参画。
  ④個に寄り添う教育へ 他文化共生社会に求められる教育視点。
  ⑤国の責務としての学力保障 履修主義ではなく個に応じた学力を。
  ⑥子どもの命と安全を大切にする学校。
           ********
  内容を要約するだけで、かなりスペースを使ってしまいました。
 感想は次回にします。  感想②へ → こちら

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2017年9月14日 (木)

「知らなかった、ぼくらの戦争」感想

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  アーサー・ビナード著、「知らなかった、ぼくらの戦争」(小学館)を読みましたので、拙い感想を書かせていただきます。
 著者のアーサー・ビナード氏は、アメリカ出身の詩人です。日本語で詩を書き、中原中也賞を受賞されています。私は以前に、アーサー・ビナード著「もしも、詩があったら」(光文社新書)の感想を書きました。もしよければ → こちら

 「知らなかった、ぼくらの戦争」は、日本民間放送連盟賞・2016年番組部門[ラジオ報道番組]最優秀賞を受賞した、文化放送「アーサー・ビナード『探しています』」という番組で、著者がインタビューした戦争体験者23人の証言をもとに作られた本です。
  著者は、持ち前の機知に富んだ軽妙な語り口で、日米の戦争への意識の違いなどを考察し、戦争の本質に迫っていきます。一味違った、戦争体験証言集になっています。
 一部分の紹介になりますが、スペースの許す限り紹介してみます。
         *****
 アメリカの大学を卒業して来日した著者が驚いたのは、日本には「戦後○○年」という表現が当たり前に根付いていることです。朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争……。アメリカでは「戦後」というと、どの戦争のことを指すのかはっきりしないのです。「戦後」のない国に育ったことに気付いた著者。「戦争とはいったい何なのか?」という問題の核心に迫っていきます。

 最初に登場する証言者は、著者の妻の母親、栗原澪子さんです。
 栗原さんが国民学校(小学校)4年生の時、日本軍は「仏印進駐」に成功しました。この時、各学校に記念の「ゴムマリ」が送られ、みんなでバンザイ!をして喜んだそうです。しかし、彼女の母親(つまり著者の義理の祖母)は、日本の勝利には懐疑的だったそうです。愛国少女として育った彼女は、ムキになって食ってかかります。「お母さんのような非国民がいるから日本は勝てないんだ!」と…。
 著者は言います。「国家の教育の影響力が、家庭のそれよりも大きいことにも、ぞっとしながらもうなずかされる。」と。
  戦争遂行のためには、教育の力を動員する必要があるということなのです。

  次の証言者は、真珠湾攻撃に参加したゼロ戦のパイロット原田氏です。
 原田氏は、真珠湾攻撃当日、真珠湾には空母は一隻もいなくて、アメリカ軍は事前に攻撃を察知していたに違いないと直感したそうです。
 アメリカで育った著者は、日本軍の真珠湾攻撃の卑怯な奇襲作戦を、繰り返し教え込まれました。しかし、本当は、事前に察知していたのではないか、「対日対独宣戦布告」の格好の口実だったのではないか、との仮説を抱きます。アメリカ世論は、この攻撃を機に、堰を切ったように戦争賛成へと変わっていったといいます。
 戦争につきものなのが、陰謀とプロパガンダなのですね。

 原田氏は、ミッドウェーで負傷します。軍医は、重傷者をほっておいて、比較的軽傷だった原田氏を先に診察します。原田氏の「私じゃなくて、もっと苦しんでいる人の方を早く診てやってくれ」という懇願に、軍医は答えます。「重症を負ってもう使えなくなった者は、いちばん後まわしだ。これが戦争の最前線の決まり」と…。
 なんとも、戦争の本質を突いた証言です。特攻攻撃に参加したのは、即席に訓練された、コストの安い若い兵隊が大部分だったという話も頷けますね。

 アメリカ移民として、アメリカで戦争を体験した兵坂米子さんの証言では…。
 彼女の家族は、収容所に送られ苦しい生活を強いられます。収容所を出てから、ミシガンの田舎に仕事を見つけ家族で住むことになります。戦争が終わり中学へと進学しますが、きっとジャパニーズとして酷い差別を受けるだろうと予想します。しかし、予想に反して、「おまえはジャパニーズじゃないよ」と言われます。アメリカの田舎では、本物のジャパニーズを見たこともなく、「肌が真っ黄色で、目がつり上がって、出っ歯…」というイメージを刷り込まれていたのです。だからジャパニーズじゃないと…。
 日本では、「鬼畜米英」とされていました。アメリカではJapでした。戦争とは、民族的な憎しみのプロパガンダを伴うものなのです。
 「日系人とまわりの白人と黒人とヒスパニックとチャイニーズが連帯して、地域が破壊されることに抵抗していたなら政府の計画は破綻していたかも…」と、著者は突拍子もないことを夢想します。

 BC級戦犯で有罪判決を受け、スガモプリズンに投獄されていた飯田進氏の証言は、戦争責任についての深い意味を考えさせてくれます。
 警察予備隊が創設された頃の話し。彼は、自ら獄中にあっても主張します。「戦犯の釈放運動が、日本の再軍備と結びつけられるなら、反対である…」と。日本を愛することと戦争責任の「狭間」で生きた重い証言です。

 玉砕した硫黄島で生き残った秋草鶴次氏は、硫黄島は墓場であると、凄まじい体験を証言します。硫黄島は、「玉砕の地」と礼賛されるような場所ではないと…。
 著者は「玉砕」とは、「生き残ってはいけない、死んでこそ美しい」、「生き残った人の命が否定されている」言葉であると、「玉砕」の怖ろしい意味を考察しています。
 英語では、The Breaking Jewel(砕かれた宝石)と翻訳しているが、これは正しい訳ではないと…。玉が砕けるのではなく、砕けて初めて玉になれるのです。死んでこそ初めて意味があるのです。生き残った者の命は否定されているのです。

 こんな調子で紹介していくと、スペースが足りませんね。
 この他に、登場する語り手は、次の方々です。
アメリカで強制収容所を経験されたリッチ日高氏。
択捉島の鯨場出身の女性、鳴海冨美子さん。
学徒動員として大久野島で毒ガス工場で働いた元女子学生、岡田黎子さん。
ニューギニアで生き残り、戦後も遺骨収集を続ける西村幸吉氏。
戦艦「大和」の沈没を目撃した駆逐艦「雪風」の乗組員、西崎信夫氏。
満州から修羅場をくぐり奇跡的に生還した漫画家のちばてつや氏。
沖縄、台湾、日本を体験した、与那国島出身の宮良作氏。
疎開船対馬丸撃沈を体験した、平良啓子さん。
沖縄戦を生き延びた沖縄県知事、大田昌秀氏。
喜界島出身の英語詩人、郡山直氏。
落語家の三遊亭金馬師匠。
広島で被爆した、東京都被団協会長の大岩孝平氏。
長崎で「だご汁」を作っていた時に被爆した松原淳氏。
アメリカが原爆投下訓練のため巨大爆弾「パンプキン」を投下していたことを明らかにした金子力氏。
中島飛行機に勤務中、パンプキン爆弾を体験した古内竹二郎氏。
戦後GHQで働いた元事務員、篠原栄子さん。
「日比谷松本楼」のオーナー、権力の中心地近くで戦中戦後を生きた小坂哲郎氏。
アニメ界の巨匠、高畑勲氏。

 「戦後のない国」からやって来たビナード氏。「戦争を背負って後始末しながら日々、平和を生み出している人がいる。その営みがあって戦後という日本語は、現在も意味をなしているのじゃないか。」と締めくくっています。
 これからも「戦後」をつなぎ続けてゆくための知恵に溢れた本です。お薦めします。

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2017年9月11日 (月)

二十四節気「白露」2017・追加

 今の時期は、二十四節気「白露の」時期です。朝露は、冷たく白い輝きを増していきます。実りの秋がゆっくりと進んでいきます。
 ~♪秋晴れの
   ひかりとなりて
   楽しくも
   実りに入らむ
   栗も胡桃も  ♪~
 斉藤茂吉の一句です。終戦間もない頃、このように秋の喜びを歌うことが出来るとは、自然風景の持つ力は大きいですね。国破れて山河あり?…ウン、ちょっと違うか?

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  たんぼ道や土手では、秋の花が咲き始めました。
 テレビでおなじみの夏井いつき著「絶滅寸前季語辞典」で、秋の七草談義を読みながら、散歩を楽しみたい方は、
二十四節気「白露」2016後半へどうぞ → こちら

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  大関松三郎は貧しい農家の出身で、少年時代、生活綴り方教育のもとで、生活に根ざした農民の心や自然を詩に詠いました。10代の若さで戦争の犠牲となりました。

 ~♪「雑草」   (大関松三郎)
おれは雑草になりたくないな
だれからもきらわれ
芽をだしても すぐひっこぬかれれてしまう
………
だれからもきらわれ
だれからもにくまれ
たいひの山につみこまれて くさっていく
おれは こんな雑草になりたくないな
しかし どこから種がとんでくるんか
取っても 取っても
よくもまあ たえないものだ
………  
強い雑草
強くて にくまれもんの雑草  ♪~

 雑草を嫌いつつも、強い雑草にひかれていく作者。雑草と戦いつつも雑草と共に生活し、雑草のように生きる農民の素朴な心情が描かれています。
 今の時期、土手の周辺は雑草の天国です。ヘクソカズラ、ガガイモ、ヒレタゴボウ、マルバルコウソウ……。
 なぜ人は、雑草と共に暮らすようになったのでしょうか?旧約聖書が答えてくれます。その答えを知りたい方は、
二十四節気「白露」2015へどうぞ → こちら

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  植物学者の稲垣栄洋氏が雑草について解説しいます。
「雑草は本当は弱い植物である。通常の生存競争では強い植物に負けてしまい、人間が作り出した劣悪な環境に追いやられた植物である。」と……。
 つまり、雑草を育てているのは、自然を壊す人間なのです。多様な成長戦略をとる多種多様な雑草の種子が地中で待機していて、人間が抜いても抜いても、次の雑草が生えてくるわけです。まさに雑草は、人のおかげで、人と共に生きているのです。
 詩人の長田弘さんも、草とりをしながら「この世の間違い」に気がついたようです。神に対抗しようとした人間の愚かさについて……、そのことについて知りたい方、及び雑草の世界を覗き見たい方は、二十四節気「白露」2016へどうぞ → こちら

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  やって来た秋に反抗する入道雲。心温まる虹を見る少女。枯れてゆくハス。夕日の街角。暮れてゆく流れ橋等々、さらに散歩を続けたい方は、
二十四節気「白露」2012へどうぞ → こちら

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2017年9月 7日 (木)

二十四節気「白露」2017

 9月7日は、二十四節気の「白露」でした。しだいに涼しさが増し、秋を感じることが多くなる頃です。野ではススキの穂が出始め、夜は虫たちの大合唱です。

 日本ではお盆の頃、提灯に明かりを灯して先祖の霊が帰ってくるとされています。その時、ほおずきは提灯のかわりを務めます。今の時期、その役目を終えたほおずきは、破れてもう筋ばかりになっています。
 稲が実り始め、季節労働者の案山子たちも忠実に仕事に就いています。
  大榎の下で、子どもたちが過ぎ去った夏休みを捜しています。

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  ~♪「白露の日に」~季節との対話~

今 静かに過ぎゆく一つの季節がある
朝には白く輝く露に心奪われ
昼には稲穂を揺らす風の音を聞く
蓮の花托は一斉に手を振り
過ぎ去る季節を惜しむ

新しい季節の始まりに思いをはせ
蔓穂の花は大空に向かって立ち上がり
赤とんぼは澄んだ目で流れる雲を追っている
うろこ雲は夕日に赤く
家路を急ぐ少女を優しく包んでいる

人はいつも季節と対話してきた
そのたびに季節は無言の言葉で語った
うつろう時間の中で風景を共にし
心を透明にすること
それが対話であると

夏の終わりに
赤い火を灯すほおずきを提灯にして
あの人達は夕暮れの道を去って行った
季節と対話しゆっくりと後を追う
ほおずきを提灯にして          ♪~

 この詩に合わせて、木津川土手周辺を散歩したい方は、
二十四節気「白露」2014へどうぞ → こちら

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  詩人の高田敏子さんが、過ぎ去った夏について詠っています。

 ~♪「九月」
夏は行ってしまった
とても愛しているものたちを
おきざりにして
…………
おきざりにされたものたちばかりが
言葉少なに 私をとりかこんでいる
…………
ひまわりは 夏の去った方向に
背のびばかりして 痩せてゆく
麦わら帽子は 夏のほてりを
胸に抱きしめている   ♪~

「愛しているものたち」、「おきざりにされたものたち」とは、どんな人たちのことでしょうか? 戦争の終わった夏。置き去りにされたもの。今の時代であるからこそ、噛みしめたいですね。

 元気な子どもたちは、まだまだ夏を追いかけているようですが、もう夕暮れです。
  夏の想い出を胸に、木津川土手周辺を散歩したい方は、
二十四節気「白露」2013へどうぞ → こちら

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  ~♪ 露と落ち   
   露と消えにしわが身かな
   なにわの事も
   夢のまた夢   ♪~

 これは、豊臣秀吉の辞世の歌とされるものです。露といえば、儚いものの代表ですが、果たしてどうでしょうか? 朝日に輝く露は、希望のようにも見えますが…。
 あなたの場合は、どうですか? それを確かめたい方は、
二十四節気「白露」2011へどうぞ → こちら

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~♪ 馬追虫の 髭のそよろに来る秋は まなこを閉じて 想い見るべし ♪~
  長塚節の歌ですね。目を閉じて想いみる秋。心の中の秋はしみじみとしています。

~♪ ゆく秋や 日なたにはまだ 蟻の道 ♪~
 江戸時代の堀麦水の句です。秋が進んで行きますが、夏もまだまだ残っているようですね。季節の歩みは、いつも行きつ戻りつです。
 さらに季節の散歩を続けたい方は、たいした写真はありませんが…、
二十四節気「白露」2010へどうぞ → こちら

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2017年9月 4日 (月)

定期診察(138)・大きな変化なし

 今日はKS病院血液内科の定期診察でした。
 夏休みが終わり、朝の電車の混雑が戻ってきました。乗車時間は20分程ですが、立ったままは結構辛いです。電車を降りてから病院までが、坂道というのもなかなかのものです。

 さて、最近の症状ですが…。
前回と比べて大きな変化はないです。
 ☆毎日、異常な体のだるさに襲われています。昼間から横になることが多いです。―――→変わりなしです。しかし、涼しくなって、夜の睡眠は少し楽になりました。
 ☆貧血は少し進んだ感じです。
 ☆脇腹から背中の違和感はますます強くなりました。胃が押されるような感じもしますが、大丈夫なんでしょうか。
  ☆発熱し骨が痛くなる症状は、依然として続いています。
    したがってロキソニン依存生活も変わらずです。

 では、診察結果です。
★ヘモグロビンはHb=7.1。 微減。輸血は無し。

★血小板は10万/μlに増加。前回はコメント無しだったのですが、主治医も気にしていたとみえて、「血小板少し回復しましたね。」とコメントがありました。

★胃が押されるような感違和感については、大変なのはまだまだこれからということでした。これくらいは、まだ我慢の内ということのようです。

★今日は白血病の検査(WT1mRNA)が入っていましたが、まだ白血化の兆候は無いそうです。
★HbA1cの検査もありましたが、5.5と良好な数字でした。低炭水化物作戦が功を奏しているようです。
★結果として、ジャカビは引き続き一日に2錠が続きます。
 膵臓の腫瘍について、前回の検査から1年が経つので、そろそろ検査の時期かな、ということで次回に実施の方向です。

病院から帰るとかなりグッタリ。なぜか無性に不機嫌。 人間性の限界?
感謝の気持ちに溢れ、穏やかに最後を迎える……。ムリ、ムリ、ムリ~ですね。
次回は休日に重なるため、3週間後の診察になりました。 では。また。

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2017年9月 1日 (金)

原民喜詩集を読む

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  夭逝の詩人は、どのように死と向き合ったのでしょうか。今回は、原爆詩人として知られている原民喜です。彼は、自らの自画像を描く言葉として、「死と愛と孤独」という言葉を残しています。この詩人はどのように生き、そして、なぜ自死したのでしょうか? その生涯を追ってみます。

明治38年(1905年)、広島市幟町で12人きょうだいの五男として生まれます。
12歳の時、父を亡くし、この頃より極端に無口で内向的な少年となっていきます。

13歳の時、聖書の世界を教えてくれた姉を亡くします。
 形見として譲り受けた青い表紙の聖書を、彼は生涯愛読していたそうです。姉の死に向き合い、彼はさらに寡黙な人へとなっていきます。
 証言によれば中学時代、彼の声を聞いたことがない級友もいたとか。

19歳で慶応大学予科に入学。熱心な文学活動。日本赤色救援会などの活動に参加。
 しかし、寡黙で人付き合いは出来にくかったようです。

27歳で、大学英文科を卒業。就職難の時代でダンス教習所の受付として働きます。
 女性と同棲したり、自殺を図ったり、荒れた生活だったようです。

28歳。まわりの勧めにより貞恵と結婚。
 この貞恵は、気さくで明るく、利発な女性だったようです。民樹の文学を信頼し、無口で人付き合いの出来にくい民樹を支え、励まし続けました。
 後に彼は、「人と逢ふ時には大概、妻が傍から彼のかはりに喋っていた」(遙かな旅)と回想しています。また、「死と愛と孤独」という作品の中で、
 ~♪嘗て私は死と夢の念想にとらはれ幻想風な作品や幼年時代の追憶を描いてゐた。その頃私の書くものは殆ど誰からも顧みられなかつたのだが、ただ一人、その貧しい作品をまるで狂気の如く熱愛してくれた妻がゐた。♪~
と書き残しています。
 貞恵は、彼の耳となり、口となり、よき読者として彼を支えたのです。
 しかし、このような関係はいつまでも続くわけではありません。

 ~♪「そら」 (小さな庭)
おまへは雨戸を少しあけておいてくれというた。おまへは空が見たかったのだ。うごけないからだゆえ朝の訪れが待ちどおしかったのだ。♪~

 ~♪「病室」 (小さな庭)
おまえの声はもう細っていたのに、咳ばかりは思ひきり大きかった。どこにそんな力が潜んでいるのか、咳は真夜中を選んで現れた。それはかたはらにいても堪えがたいのに、まるでおまへを揉みくちゃにするような発作であった。嵐がすぎて夜の静寂が立ちもどっても、病室の嘆きはうつろはなかった。嘆きはあった、……そして、じっと祈っているおまえのけはひも。 ♪~

39歳。肺結核に罹り病床にあった妻を、彼はついに亡くしてしまいます。
 ~♪もし妻と死別れたら、一年間だけ生き残ろう、悲しい美しい一冊の詩集を書き残すために……♪~(遙かな旅)
  妻に死に別れた彼は、毎夜、妻の幻と対話し、妻へ宛た手記を書きながら、悲しい美しい一冊の詩集を残すために生きていきます。

40歳。家業を手伝うため広島の兄の家に疎開。すべて運命のいたずらか、ここで原子爆弾に被爆。彼は、頑丈な厠にいたため奇跡的に生き残ります。
 
 ~♪「コレガ人間ナノデス」
コレガ人間ナノデス
原子爆弾ニ依ル変化ヲゴラン下サイ
肉体ガ恐ロシク膨脹シ
男モ女モスベテ一ツノ型ニカヘル
オオ ソノ真黒焦ゲノ滅茶苦茶ノ
爛レタ顔ノムクンダ唇カラ洩レテ来ル声ハ
「助ケテ下サイ」
ト カ細イ 静カナ言葉
コレガ コレガ人間ナノデス
人間ノ顔ナノデス   ♪~ (原爆小景)

~♪「水ヲ下サイ」
水ヲ下サイ
アア 水ヲ下サイ
ノマシテ下サイ
死ンダハウガ マシデ
死ンダハウガ
アア
タスケテ タスケテ
水ヲ
水ヲ
ドウカ
ドナタカ
 オーオーオーオー
 オーオーオーオー
………   ♪~  (原爆小景)

 彼は、原爆の惨状を目の当たりにして、「死んだ人たちの嘆きのためにだけ生きよう」と決意します。
 ~♪自分のために生きるな、死んだ人たちの嘆きのためにだけ生きよ、僕は自分に操返し操返し云いきかせた。それは僕の息づかいや涙と同じようになっていた。
………
 僕は堪えよ、静けさに堪えよ。幻に堪えよ。生の深みに堪えよ。堪えて堪えて堪えてゆくことに堪えよ。一つの嘆きに堪えよ。無数の嘆きに堪えよ。嘆きよ、嘆きよ、僕をつらぬけ。還るところを失った僕をつらぬけ。突き離された世界の僕をつらぬけ。
………  ♪~ (鎮魂歌)

 彼は心の苦しみに耐えながらも必死に、「原爆小景」などの詩や被爆の体験を綴った三部作、「壊滅の序曲」、「夏の花」、「廃墟から」などを書き上げます。
 彼の作品は、自分の主義主張を表明したり、原爆の悲惨さを強調し、反戦・平和を訴えるといった作品ではありません。父や肉親の死、愛する妻の死、そして原爆による多くの人の死、その死の意味を自らに問いかけ、すべての死者の魂を鎮魂する歌、というべき作品を書き残したのでした。
 「もし妻と死別れたら、一年間だけ生き残ろう」と思いつつも、被爆の体験を書き残すために、5年間も生き延びた彼の精神に、危機が迫っていきます。

~♪…私は死の叫喚と混乱のなかから、新しい人間への祈願に燃えた。薄弱なこの私が物凄い饉餓と窮乏に堪へ得たのも、一つにはこのためであつただらう。だが、戦後の狂瀾怒濤は轟々とこの身に打寄せ、今にも私を粉砕しようとする。……
 まさに私にとつて、この地上に生きてゆくことは、各瞬間が底知れぬ戦慄に満ち満ちてゐるやうだ。それから、日毎人間の心のなかで行はれる惨劇、人間の一人一人に課せられてゐるぎりぎりの苦悩――さういつたものが、今は烈しく私のなかで疼く。♪~(死と愛と孤独)。
  
~♪「悲歌」
………
すべての別離がさりげなく とりかはされ
すべての悲痛がさりげなく ぬぐはれ
祝福がまだ ほのぼのと向に見えてゐるやうに

私は歩み去らう 今こそ消え去つて行きたいのだ
透明のなかに 永遠のかなたに ♪~   (魔のひととき)

45歳。1915年(昭和26年)。朝鮮戦争が戦われ、原爆の使用が噂される時代、彼はついに電車の線路に横たわります。 「死と愛と孤独」の詩人の最後でした。
   ******
 広島の平和記念公園の爆心地近くに、彼の碑が建てられています。そこには、死の数ヶ月前に書かれたと言われている、彼の詩が刻まれています。
 ~♪「碑銘」
遠き日の石に刻み
    砂に影おち
崩れ墜つ 天地のまなか
一輪の花の幻   ♪~

 彼の作品は、「戦後民主主義」といったものからは無縁だと思います。彼の中にあるのは、自らも含めた、すべての死者に対する鎮魂の祈りです。次々と死んでいった肉親。花を愛し自分を支えてくれた妻。多くの被爆者。死を見つめ続けた詩人は、その生涯の最後の時、「崩れ墜つ天地のまなか」に、自らの魂を鎮魂するかのごとくに咲く「一輪の花の幻」を見たのです。

 最後に、彼の祈りのような詩を一つ鑑賞して終わりにします。
 ~♪「永遠のみどり」
ヒロシマのデルタに
若葉うづまけ

死と焔の記憶に
よき祈よ こもれ

とはのみどりを
とはのみどりを

ヒロシマのデルタに
青葉したたれ      ♪~

  *原民喜の作品の多くは、青空文庫で読むことが出来ます。お薦めします。

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2017年8月29日 (火)

二十四節気「処暑」・花と語る

 二十四節気「処暑」2017の追・追加です。詩人たちと一緒に、土手やその周辺の散歩を続けましょう。花が咲き、川は流れ、空には雲が…。

 今の時期、ハスの花はほぼ終わりに近づいていますが、夏の花と秋の花が入り乱れ、たんぼ道はにぎやかです。

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  詩人の長田弘さんは語ります。
 「人はなぜ慌ただしくしか生きられないのか。静けさをまなばなければいけない。聴くことをまなばなければいけない。よい時間でないなら、人生はなんだろう?」
 「無言で咲いている花の、無言の言葉からまなび、美しいものを美しいといい、人はもっと率直に生きていいのだ。」……と。

 ~♪「まだ失われていないもの」
…………
すべてが そこにあつまってくる
花のまわりにあつまってくる
ふしぎだ 花は
すべてを花のまわりにあつめる

匂いのように時間が
蜜のように沈黙が
あつまってくる
ことばをもたない真実がある

風の色 季節の息があつまってくる
花がそこにある それだけで
ちがってくる ひとは
もっと率直に いきていいのだ ♪~

 草や花と無言の対話を楽しみながら、木津川土手周辺を散歩したい方は、
二十四節気「処暑」2016後半へどうぞ → こちら

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  詩人の高田敏子さんが、花や小鳥と対話しながら、人生について考えています。

~♪「美しいものについて」
花は咲く 誰がみていなくても
花のいのちを美しく咲くために

小鳥は歌い 空を飛ぶ
小鳥は小鳥をよろこび生きるために
…………
人は
人であるそのことのために生きているかしら?
人は人であるそのことを
いつも思っているかしら?

きのう 私がしたこと
きょう 私がしようとすること
人であるそのことにかたく結ばれているかしら?
樹や花や小鳥や魚のように――
人であるそのことを美しく生きているかしら?
…………   ♪~

 花も樹もせいいっぱい生き、花を咲かせ、実をならせ、その命を美しく輝かせています。人である私たちはどうでしょうか? 日々の生活に流され、気がつけば老いを嘆く…。美しく生きるとはどんな生き方なのでしょうか?
 さらに散歩しながら、思索を続けたい方は、
二十四節気「処暑」2015追加へどうぞ → こちら

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  土手の草むらを覗けば、秋の虫たちが夜を待っています。
 今日も夜になれば、虫たちは短い命を必死に歌うのでしょう。

~♪「虫」    (八木重吉)
虫が鳴いている
いま ないておかなければ
もう駄目だというふうに泣いている
しぜんと
涙をさそわれる  ♪~

 自らの短い命を自覚した八木さんには、虫の声は祈りの声なのです。
 この詩は、救いへの祈りの歌ですね。
 たいした写真はありませんが、詩人と一緒に散歩を続けたい方は、
二十四節気「処暑」2011へどうぞ → こちら

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2017年8月26日 (土)

二十四節気「処暑」・雲と橋とこぶし

 二十四節気「処暑」2017の追加です。
 しだいに秋めいてゆく木津川土手周辺をさらに散歩しましょう。

~♪ 秋立つや
   雲はながれて
   風見ゆる ♪~

 江戸時代、与謝蕪村とともに活躍した三浦樗良の句です。私は、俳句のことはよくわからないですが、この句には大いに共感します。季節を運んでくるのは風です。風がほんの少し涼しさを運んできてくれる今の時期には、ぴったりの句ですね。
 蓮田や稲田、土手の上を風が吹き渡っていきます。

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  季節を運ぶのが風なら、季節を語るのは、草や木や虫たちです。
 秋立つ風を感じ、草花と対話しながら木津川土手を散歩したい方は、
二十四節気「処暑」2015へどうぞ → こちら

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  夏の終わり、暮れてゆく土手の上で、流れ橋を見るのは感慨深いです。
 詩人の高田敏子さんも橋を眺めながら、思索に耽っているようです。
橋の詩なら高田さんですね。
~♪ 「橋」
橋は聞いている
川の声を
…………
人も車も
橋の上に止まることはない
通過するもののために
橋はあるだけなのだ

それは
さびしさではない
やさしさ なのだと
…………   ♪~

 止まることなく川は流れてゆきます。人も恋さえもが、時の流れの中で変わってゆきます。橋の上で止まるものはなにもありません。すべてが過ぎてゆきます。橋は通過するもののためにあるのです。橋の美しさは、さびしさではなく、やさしさなのです。過ぎ去ってゆくものをやさしく見つめる存在なのです。
 夕暮れの流れ橋を見ながら、過ぎ去ってゆくものに思いを寄せたい方は、
二十四節気「処暑」2012へどうぞ → こちら

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  処暑の頃の土手に咲いているのは、ツルボの花です。空に習字をする筆のようです。何という字を書いているんでしょうね。希望? 憧れ?

 
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   コブシの木は、なぜ「コブシ」なのか、その秘密を知りたい方は、
二十四節気「処暑」2016へどうぞ → こちら

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2017年8月24日 (木)

二十四節気「処暑」2017

 8月23日は、二十四節気の「処暑」でした。暦の上では秋となり、暑さも少しずつ和らいでいく時期です。では、木津川土手周辺の散歩に出かけましょう。

  ~♪「処暑の日に」
激しかった日々はゆるやかにに静まり
澄み渡る空に実りの予感が運ばれてきた
蓮はまだ夏の夢を追いかけ
夏の忘れ物を捜す少年は畦道を駆けていく

田んぼに迷い込んだ蓮に許されるのは
夏の夢を見ることだけだ
睡蓮が湧き上がる雲を欲しがっても
雲はもう流れてゆくばかりだ

田んぼでは稲の穂が花をつけ
水田の雑草さえも忙しい
土手ではつるぼの花が目を覚まし    
豊かな実りの時が刻まれていく

エノコロ草は無数の種子をつけ
山法師は土手の上で実を結び
赤い実は地面に伏して希望の春を待つ
明日のためにこそ豊かな実りはある

私は明日のために
豊かな何かを準備できただろうか
繰り返す自問を残し
夕日は赤く明日の喜びを歌っている   ♪~

 この詩に合わせて処暑の日の木津川土手周辺散歩を楽しみたい方は、
二十四節気「処暑」2014へ → こちら

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  処暑の頃といえば、もうすぐ夏休みも終わりです。子どもたちには、宿題の仕上げに忙しい頃でしょうか。去っていく夏休みが惜しいですね。
 夏の終わりに感じる空虚な寂しさ。どこかなつかしく、何かやるせない夏の終わりです。高田敏子という詩人が、忘れものを残して去ってゆく夏に、語りかけています。
 ~♪「忘れもの」
入道雲にのって
夏休みはいってしまった
「サヨナラ」のかわりに
素晴らしい夕立をふりまいて
………
だがキミ! 夏休みよ
もう一度 もどってこないかな
忘れものをとりにさ

迷子のセミ
さびしそうな麦わら帽子
………波の音   ♪~

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  寺山修司の歌集にも、夏の終わりを詠った歌があります。
~♪ 少年の
   わが夏逝けり
   あこがれしゆえに怖れし
   海を見ぬまに   ♪~
 憧れるからこそ近づけない、恋するからこそ近づけない。遠く過ぎ去ってゆく夏。歯がゆいような少年、少女期の心理ですね。
 空をゆく雲を眺め、過去の想い出にひたりながら土手を散歩したい方は、
二十四節気「処暑」2013へ → こちら

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  風、栗の実、蝶、エノコログサ、流れ橋、夕日のスプリンクラーなど、しだいに秋めいてゆく木津川土手周辺を、さらに散歩を続けたい方は、 
二十四節気「処暑」2010へ → こちら

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2017年8月21日 (月)

定期診察(137)・辛い夜

 今日はKS病院血液内科の定期診察でした。
 治らない病気なので、そのうち重大な診察結果が申し渡されるかと思うと、最近は、病院へ行くのが、なんとなく気が重いです。
 夏休み中のせいか、朝の電車は空いていました。貧血なので座れるのは助かります。

 さて、最近の症状ですが…。
・腸炎はすっかりなくなりました。ロキソニンの副作用ではなかったようです。

・毎日、異常な体のだるさに襲われています。昼間から横になることが多いです。
 昼間寝てしまうと夜寝られなくて、辛い夜を過ごしています。
 寝汗もひどいです。背中から脇腹の違和感もますます強くて、睡眠を邪魔します。
 日中のだるさ。引きこもり生活。辛い夜。

・貧血は少し進んだ感じです。これが外出の気力を奪います。
 発熱し骨が痛くなる症状は、依然として続いています。ロキソニン依存生活。

 では、診察結果です。
★ヘモグロビンはHb=7.2。 予想通り、輸血は無し。

★ジャカビは、引き続き一日に2錠が続きます。

★今回、初めて白血球が基準値を下回り、Lowマークが付きました。
  血小板も9万/μlに減少、血小板減少症の領域へ入りました。
 病気の進行は着実のようですが、主治医からのコメントは無しです。

  日中は寝ないように決意を固めていましたが、病院から帰るとつい一眠り。
 今日も寝苦しい夜が待っているのかも…。
 寝られないとき、楽しい想い出をたどろうとしても、ムリ、ムリ、ムリ~。
 悪い想い出しか出てこないです。 これは性格…? どうなんでしょうね?
   では。また。

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2017年8月17日 (木)

村上昭夫詩集「動物哀歌」を読む

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 夭逝の詩人は、どのように死と向き合ったのでしょうか? 今回は、肺結核のため41歳の若さで亡くなった村上昭夫の場合をみていきます。
 彼の手になる詩集は、「動物哀歌」という詩集一冊のみで、近現代詩人の中では、あまり知られていない詩人かも知れません。

 では、年譜にしたがって略歴をみていきます。
昭和2年(1927):岩手県、現在の陸前高田市に生まれる。
昭和20年(1945)18歳:岩手中学卒業。
 官吏として満州ハルビンに渡り、臨時徴兵。敗戦。捕虜生活。
昭和21年(1946)19歳:帰国。翌年、盛岡郵便局に就職。
 職場での合唱や文化活動に励む。
昭和25年(1950)23歳:結核発症。3年間岩手サナトリウム入院。
 入院を機に、俳句や詩を書き始める。
 退院後、野良犬クロとの出会い。
昭和30年(1955)28歳:病気により郵便局を免職。
 雑誌などに投稿。詩人クラブの活動。
昭和34年(1959)32歳:仙台厚生病院入院。
 右肺切除。入院は3年に及ぶ。
昭和40年(1965)38歳:国立盛岡療養所に入院。 
昭和42年(1967)40歳:詩集「動物哀歌」上梓。土井晩翠賞を受賞。
昭和43年(1968)41歳:10月、41歳で永眠。全身衰弱。

 年譜からも分かるように、村上昭夫は、病気を契機に詩を作り始め、病気と向き合いながら詩をつくり、長くない一生を終えました。
 もっともよく知られた「雁の声」という詩をみてみましょう。

 ~♪「雁の声」
雁の声を聞いた
雁の渡ってゆく声は
あの涯のない宇宙の涯の深さと
おんなじだ

私は治らない病気を持っているから
それで 雁の声が聞こえるのだ

治らない人の病は
あの涯のない宇宙の涯の深さと
おんなじだ

雁の渡ってゆく姿を
私なら見れると思う
雁のゆきつく先のところを
私なら知れると思う
雁をそこまで行って抱けるのは
私よりほかないのだと思う

雁の声を聞いたのだ
雁の一心に渡ってゆくあの声を
私は聞いたのだ   ♪~

 彼の詩は、いつも宇宙的広がりを見据えながら展開していきます。
 宇宙の深淵へと遙かに渡っていく雁。不治の病であるがゆえに、彼は雁の哀しみの声を聞くことが出来たのです。その宇宙の深淵で、雁の哀しみと命を抱きしめることが出来るのは、彼だけなのです。…… 自然の摂理により消えていく命。自らの死の予感から、彼は、動物の哀しみと自分自身を重ね、哀しいまでの透明な眼差しで宇宙の深淵をのぞき見たのです。

  彼が「動物哀歌」の詩を書くきっかけは、野良犬クロとの出会いです。川を流されていた子犬を拾い、クロと名づけ、家の縁の下を住み家として与えます。後に彼は、「動物哀歌はすべてクロが作ってくれたようなもんだ」と語っていたそうです。
 いくつかある犬の詩の中から一つ紹介してみます。
 ~♪「犬」
犬よ
それがお前の遠吠えではないのか
 ……
お前の遠吠えする声の方向に
死なせるものや愛させるもの
別れさせるものが
目も眩むばかりにおいてあって
お前はそれを誰も知らない間に
密かに地上に呼んでいるのではないか

だがお前はひるになると
 ……
愛くるしい目を向けたりする
真実忠実な犬でしかないように
嘘の姿を見せるのだ ♪~

 忠実な犬。嘘の姿でしか生きられない哀しい存在。死や愛や別離を隠し生きる犬。
荒野の月に向かって吠える犬の遠吠えに、彼は聞くのです。生きることの哀しさ、命の愛おしさを……。
 嘘の姿を生きる飼い犬。おびえながら生きる野良犬。弱々しいもの、滅びゆくものへの限りない共感。彼は、動物たちへの共感を通して、死を見つめて生きようとする自らの意志、生きることの哀しさ、命の尊厳を詠ったのです。

 彼の詩に登場する動物は多いです。犬を初めとして、鶴、鹿、すずめ、熱帯魚、雁、鳶、鴉、、鳩、リス、牛、ねずみ、深海魚、象、熊、猿、蛇、虎、蜥蜴、あざらし、キリギリス、ウミネコ……略……。 その中から「ねずみ」の詩を紹介してみます。

 ~♪ 「ねずみ」
ねずみを苦しめてごらん
そのために世界の半分は苦しむ

ねずみに血を吐かしてごらん
そのために世界の半分は血を吐く

そのようにして
一切のいきものをいじめてごらん
そのために
世界はふたつにさける
 ……
一匹のねずみが愛されない限り
世界の半分は
愛されないのだと ♪~

 弱いものの命の尊厳が侵されるとき、世界は二つに裂けるのです。一匹のねずみが愛されない世界では、もはや世界の半分は愛されないのです。死を予感した彼の透明な眼差しは、世界の奥底に隠された真実を見抜いているのです。

 ~♪「五億年」
五億年の雨が降り
五億年の雪が降り
それから私は
何処にもいなくなる

闘いという闘いが総て終わりを告げ
一匹の虫だけが静かにうたっている
その時
例えばコオロギのようなものかも知れない
五億年以前を鳴いたという
その無量のかなしみをこめて
星雲いっぱいにしんしんと鳴いている
その時
私はもう何処にもいなくなる
しつこかった私の影さえも溶解している
  ……  ♪~

 五億年の遙かな時間の流れ。「闘いが総て終わりを告げ/一匹の虫だけが静かにうたっている」宇宙。五億年の雨が降り、雪が降る宇宙。彼は、その宇宙の中を動物たちの無量の哀しみを抱き、影とともに宇宙のなかへと溶解し、「何処にもいなくなる」のです。 自らの死の悲しみを動物たちに投影し、その動物たちを抱きしめ、遙かな時空の果てへと歩み去った詩人、村上昭夫は41歳で永眠しました。
    ******
 宇宙を吹き渡る郷愁の風に吹かれ、微かな光を求めて億光年を歩み続けると、そこにはすべての命の故郷があるのです。そこでは、動物の哀しみと人の哀しみが共鳴し、お互いを抱きしめ合うことが出来るのです。そんな故郷を目ざして村上昭夫は旅立っていったと私には思えます。
 失われていく自然の原風景への哀しみが滲む「精霊船」。「都会の牛」。
 満州での戦争体験を滲ませた「死んだ牛」。「砂丘のうた」。
  「砂丘のうた」では、「もう殺しあったりすることなんかない/海を越えた愛のうたを」と詠います。いろいろ紹介したいですが、スペースが無くなりました。
 村上昭夫詩集、お薦めします。          では。 また。

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