2017年12月 8日 (金)

二十四節気「大雪」2017

 12月7日は、二十四節気の一つ「大雪」でした。西日本の平地でも雪の便りが聞かれるようになりました。今年は、冬の進み方が早いようです。

~♪はかなくて
   木にも草にも いわれぬは
  心の底の思ひなりけり  ♪~

  江戸時代の歌人・香川景樹の歌です。木や草にも言うことができない心の思いって何でしょうか。言ってしまえば終わり、心の中だけで温めておきたい思い。何かそんな思いが心の中にあるような気がする冬の一日。小春日和です。温かな日だまりを求めて散歩に出掛けましょう。
 では、「大雪」の頃の散歩写真を紹介していきます。過去の「大雪」へのリンクということになりますが……。

 先ず2010年の「大雪」の頃です。この頃はまだ体調に異変はなく、木津川土手ばかりでなく、宇治川、背割り堤、宇治田原茶畑と撮影場所は広かったです。苦手の早朝も何とか頑張っていました。
 二十四節気「大雪」2010へのリンクは → こちら
 写真は、宇治川天ヶ瀬ダム湖。天ヶ瀬ダム下流の朝。興聖寺紅葉。

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  体力づくりも兼ねて、鴻ノ巣山へもよく散歩に行っていました。2011年の「大雪」は鴻ノ巣山の写真が中心です。
 九条武子の歌です。鴻ノ巣山とは、何かこの歌を思い出します…。
~♪ 何という足れる姿ぞ 山も海も はた生うる木も おのずからゆゑ  ♪~
  二十四節気「大雪」2011へのリンクは → こちら

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  木津川土手の散歩でよく行った場所に、近鉄木津川橋梁があります。夕日が綺麗ですが、太陽の位置関係から、撮影チャンスは冬の時期だけです。
 正月に向けてクワイの収穫。鴻ノ巣山の紅葉。以上3枚です。
  二十四節気「大雪」2012へのリンクは → こちら

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  今の時期、いたる所で枯れ草などを焼く作業が行われます。よく晴れて風のない日は、夕方の空気がうっすらと紫色に見えます。晩秋から初冬の何とも言えない空気感です。懐かしいような、寂しいような…。 三枚目は、鴻ノ巣山の紅葉です。
  二十四節気「大雪」2013へのリンクは → こちら

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  冬の散歩道を赤く彩るのが、ヒヨドリジョウゴなどの赤い実。
網目状に枯れたホオズキの実。
取り残されたイチジクの実は、イチジクの産地城陽市ではよくある光景です。小さな拳みたいです。悔しさを握りしめた……。
  二十四節気「大雪」2014へのリンクは → こちら

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2017年12月 5日 (火)

悪魔のティティヴィルスの話

Chuseini  今回は、中世ヨーロッパで目撃された悪魔のティティヴィルスの話です。

 この悪魔は、アイリーン・パウワー著「中世を生きる人々」(東京大学出版会)という本の中に登場しています。まずは、この本の紹介から。

  著者のアイリーン・パウアは、イギリスの中世史家です。この本は、中世のヨーロッパ社会に生きた無名の人々の姿を描いたもので、6人の人物が登場しますが、13世紀の旅行家マルコ・ポーロ以外は、まったく普通のありふれた人物です。農夫、尼僧院長、パリの主婦、羊毛商人、毛織物の織元の6人を通して、中世ヨーロッパの本音の人間生活が活き活きと描かれています。
 私たちは、中世ヨーロッパと聞けば、神聖な祈りに満ちた世界、魔女狩りや封建的因習に満ちた暗黒社会、アーサー王や騎士の恋物語などを思い浮かべますが、実際の生活がどんなだったかは、ほとんど知りません。
 人間社会ではいつの時代でも、法律や支配の抜け穴をチャッカリと生き抜く人々がいたり、欲望や喜怒哀楽に動かされながら生活する人間臭い人々がいるものです。中世のヨーロッパ社会も同じであることを、この本は教えてくれます。

  さて、悪魔のティティヴィルスの話は、第3章「マダム・エグランティーン」に出てきます。尼僧院長のエグランティーンの生活を描くことにより、中世の修道院の実態が明らかにされていきます。
  修道院といえば、禁欲的で厳粛な雰囲気を想像しますが、実際は必ずしもそうではなかったようです。
  「祈祷は空虚な形式と化し、信仰の念は薄らぎ、時には恥ずかしいほど冒涜的な態度でそそくさとすまされた。余りにもきまりきった日課が、もたらす当然の反動であった。……中世後期の修道院において時間不励行の罪はごく普通のことだった。…祈祷の間にくすくす笑い、ふざけ、喧嘩をし、下の席でうたっている人の剃った頭に上の席からあつい蝋燭の蝋を落とした。……」
 「祈祷の言葉をとばし読みする者、もぐもぐと誤魔化す者、いい加減に急ぐ者、神聖な聖歌を歌う時、ぶらぶらする者、とびはねる者。」 こんなような状況だったので、悪の父はティティヴィルスという悪魔を傭うことにしたのです。

  信仰心の深い人には、しばしばティティヴィルスは目撃されていました。長い大きな袋を首のまわりにぶら下げ、みすぼらしい姿で尼僧席の周りをウロウロしながら、不誠実な言葉を袋に集めるのです。
  修道院長に見つかり、問いつめられたティティヴィルスは答えます。
  「毎日あなた方の修道院で読んだり歌ったりする時にできる失敗、怠慢、言葉のきれはしなどを千袋ずつ主人の所に持っていかねばなりません。そうしないとひどくぶたれるのです。」
 彼は、神のためではなく自己の虚栄のために歌うテナー歌手の歌も、人々のつまらない噂話なども袋に詰めていたそうです。
 ティティヴィルスを傭った悪の父も、さぞかし満足だったことでしょう。
 
 中世ばかりでなくいつの時代も、人間は不誠実な言葉やいい加減な言葉を吐き続けています。堕落した言葉を拾い集めなければならないティティヴィルスの仕事は、際限もなく続いています。哀れなティティヴィルスに同情、いや共感してしまいます。
 宗教改革前夜の中世に目撃されたという悪魔のティティヴィルスの話、何か深く印象に残ります。
   ……………
 悪魔のティティヴィルスのその後について、この本には記述はありませんが、中世の修道院以上に堕落した現代の日本では、悪魔のティティヴィルスは忙しく働いているに違いありません。特に不実な言葉が飛び交う永田町と呼ばれる界隈では……。
 今の日本ほど、堕落した言葉が溢れ、言葉が意味を失っている時代はありません。
「丁寧な説明」とは、なにも説明しないことであり、
「働き方改革」とは、残業代を払わずに、非正規で一生働かせることであり、
「1億総活躍」とは、老人も病人も低福祉で働き続けろ、という意味です。
「人づくり革命」とは、人を潰す政策を隠すための言葉です。
「危機突破」とは、危機を振りまくことでした。
「忖度する言葉」。流行語大賞です。人を堕落させる言葉ですね。

 東京都庁方面で、ティティヴィルスを見たという噂もあります。
「東京大改革」、「日本をリセット」、「改革の一丁目一番地」。この空虚な言葉をティティヴィルスが見逃すはずはありませんね。
 現代のティティヴィルスは、どんな姿をしているんでしょうね。
 私も目撃したいものです。
  悪魔のティティヴィルスの話でした。 「中世を生きる人々」お薦めします。

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2017年12月 2日 (土)

二十四節気「小雪」・鴻ノ巣山

 今は、二十四節気の「小雪」の時期に当たります。
 貧血が進んで来たため、ほんの近くなのにもう一年半ほど、鴻ノ巣山に行けていませんでした。「小雪」の小春日和の暖かさに誘われて、思い切って出掛けてきました。トボトボ歩きです。お婆さんに追い抜かされて…。

 鴻ノ巣山につながる水度神社の参道では、いつの間にか新しいヘアサロンがオープンしていました。店の看板は大きな時計です。時の流れを感じさせるかのるように…。
参道の木々はみな、紅葉して盛んに落ち葉を散らしています。

~♪「木」(まどみちお)
木が そこに立っているのは
それは木が
空にかきつづけている
きょうの日記です

あの太陽にむかって
なん十年
なん百年
一日一ときの休みなく
生きつづけている生命のきょうの……
  ………        ♪~

参道の木々たちは、しばらく会わない間にどんな日記を書いていたのでしょう。
今年の紅葉は、今を盛りに終わりが近づいています。
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  参道の石畳の上には、赤や黄色の落ち葉が風に吹かれています。
 石垣りんさんの「風」という詩を思い出しました。

~♪「風」 (石垣りん)
 ………
生まれたとき
人は舞い落ちた
一枚の木の葉

どこから?
どこかから。

そのときから
帰れない。
どうしても
帰れない。
 ………
みんな
あしたのほうへ
吹き寄せられてゆく。
 ………    ♪~

 人は木の葉。二度と帰れない落ち葉。漂泊感・締命感が漂っていますね。
 ダダイズムの詩人・高橋新吉さんの場合は、もっとストレートで強烈です。
 
~♪「落ち葉」 (高橋新吉)
生きるに及ばざるなり
死に果てて白く
風にさらされるべきなり
しぐるる雨のさびしさに
 ……
地に散りきし落ち葉なれば
何事もなく眠るべし ♪~

 落ち葉を見て思うことは、人それぞれですね。
私は高橋新吉派かな? どちらかといえば…。
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  鴻ノ巣山へつながる水度神社では、入り口の木がよく紅葉しています(最初の2枚の写真)。 3枚目は、私のお薦めポイントの紅葉のトンネル。

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  石垣りんさんに、「枯葉」という詩があります。
~♪ 「枯葉」
どいてくれないかな
木の葉は
言葉にならない
そんな要求の前に
少しずつ枯れ
少しずつ落ちていった

病み疲れたちちが
死にたい、とひとこともらした
私は言わなかった
負わされた生活が重荷だとは
 ………
木の葉がいたたまれなくなって
落ちていくのを
冷たい自分の
ひとつの仕打ちのために
おびただしい悔いが
降りつもるのを  ♪~

 石垣さんに背負わされた家族の重み。この詩は、ちょっと深刻ですね。
5千億円も社会保障費を削ったと自慢する首相がいる国では、特にそうですね。
写真は、お薦めポイントを散歩する人。散歩の人が行き交います。

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Shousetuknos0501 帰りは、すっかり日が傾いて、黒い影が長くくっきりと伸びていました。
その中を落ち葉がカサカサと、風に吹き寄せられていきます。どこへ?
 お気に入りの一枚が撮れました。 では。また。 

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2017年11月29日 (水)

蜜柑の想い出

  Akutagawa0102 立冬も過ぎ、寒さが増して来ました。炬燵に入って蜜柑でも食べたくなる季節になりましたね。そんなわけで、今回は「蜜柑」にまつわる想い出などを書いてみます。

 芥川龍之介の作品に、「蜜柑」という短編があります。先ずは、この作品を紹介してみます。

 冬の日暮れ方、主人公の「私」は、横須賀発上りの汽車に乗ります。
「私の頭の中には云いようのない疲労と倦怠とが、まるで雪曇りの空のようなどんよりとした影をとしていた。」
  発車間際に、小娘が慌ただしく駆け込んできて、「私」の前の席に座ります。
「油気のない髪を銀杏返しに結って、…皹(ひび)だらけの両頬を気持ちの悪い程赤く火照らせた、如何にも田舎者らしい娘だった」
 垢じみた萌黄色の襟巻き。大きな風呂敷包みを抱いた霜焼けの手。「私」は、この小娘に対して「不快感」や「腹立たしさ」のようなものを感じるのです。
 列車がトンネルを抜け、町はずれの踏切に差しかかった時、「私」は意外な光景を目にします。
「頬の赤い三人の男の子が、目白押しに並んで立っているのを見た。……一斉に手を挙げるが早いか、いたいけな喉を高く反らせて、何とも意味の分からない歓声を一生懸命に迸(ほとばし)らせた。」
  この時、この小娘は窓から身を乗り出し、蜜柑を五つ六つ、男の子たちに向かってほうり投げたのです。
 「私」は思わず息を呑み、この瞬間にすべてを理解するのです。
これから奉公先に赴こうとする娘。わざわざ踏切まで見送りに来た弟たち。
「小鳥のように声を挙げた三人の子どもたちと、その上に乱落する鮮やかな蜜柑」。
「暖かな日の色に染まっている蜜柑」。娘から弟たちへの惜別の贈り物。
「私」の心の上に、切ないほどはっきりと、この光景が焼き付けられたのです。
  ………

 まだ多くの人が貧しかった日本。娘たちは女中奉公に、男たちは丁稚奉公や工場労働者として故郷を離れていった時代。そんな時代の夕暮れの空に投げ上げられた蜜柑。鮮やかな放物線を描き落下していきました。
 およそ百年前に、芥川龍之介に目撃された蜜柑。今の時代でも、誰かがどこかで投げ上げているのでしょうか。暖かな日の色に染まった蜜柑を……。
  私の心の奥には、この蜜柑の映像が、見たわけでもないのにはっきりと記憶されています。冬のきれいな夕焼けを見ると、空に蜜柑が飛んでいるような気がします。
 芥川龍之介「蜜柑」、名作です。お薦めします。

 実は私にも、蜜柑にまつわる想い出があります。次にそれを…。僭越ながら…。

  半世紀も前のことです。年の瀬の夕刻、私は京都駅より山陰線午後18時発の列車に乗りました。学校が冬休みになり、丹後半島にある故郷に帰省するためです。汽車を降りてから、まだバスを乗り継がねばならず、この汽車が故郷に向かう実質最終列車です。私と同じ出身地の人にはよく知られた、京都駅発18時の最終列車です。
 私の目の前の席には、私と同じ年頃のちょっと可愛い女性です。私は、可愛い女性を見れば、下心を持って話しかけるなどということは、決してしないタイプの人間です。
 黙って本を読んでいた私に、その女性が、「どうぞ。食べませんか。」と、蜜柑を一つ手渡してくれたのです。その時の生温かい蜜柑の感触は今も忘れられないです。
 たどたどしく続く会話から、この女性は、私の隣町の出身で、大阪に就職し一年目の正月を故郷で過ごすために帰省するところでした。
 たどたどしく、おずおずと会話は続きました。
 この女性を楽しませようとあれこれ話題を探していましたが、数学の問題を解くようにはいかず、なかなか難しい問題でした。
  私が、「大阪へ出て一番嫌なことは何ですか?」と質問したとき、衝撃の言葉が返ってきました。何かを訴えるような、いや、悲しそうにも聞こえる声で…。

 「都会の空は、星が見えないんです。それが一番寂しくて……。」

 この言葉を聞いた瞬間、頭の中を言葉にならない考えが、激しく駆け巡りました。「私は、最近星を見たことがない」。「私は、何か大切なもの忘れていたのでないか」。言葉が見つからず、窓の外に目をやると、暗闇のむこうに漁り火のように、村々の灯りが見えていました。  ………

 東京オリンピックや高度経済成長に湧く日本。空の星が見えなくなっていった日本。私が生きてきた、団塊の時代と呼ばれるその後の時代は、何か大切なものを忘れていく時代だったのでしょうか。
  蜜柑をくれた女性。生温かった蜜柑の感触。寒い冬の空を見上げると、いつも懐かしく思い出します。
 この女性は、今でも、どこかで、星を見上げているのでしょうか。
  蜜柑の想い出でした。  では。また。

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2017年11月27日 (月)

定期診察(143)・主治医の関心

 今日はKS病院血液内科の定期診察でした。
電車の中から見える遠くの風景が、朝霧で霞んで見えていました。山の上から見れば、街が雲海に包まれていたかも知れません。写真を撮りに行きたくなりました。
 電車の中で咳き込んでいる人が複数いました。要注意ですね。

 さて、最近の症状ですが…。
☆貧血症状は、少しマシです。前回、輸血をしましたので…。

☆ロキソニンは、一日2錠は変わらずです。胃の調子は悪いです。ロキソニンを飲まずに何処まで耐えられるか、人体実験みたいなことを、またしてもやりました。やはり、発熱と痛みは凄いです。

☆脇腹の膨満感、寝汗などの症状は続いていますが、今回特に酷かったのが、鼻血と口内炎。ロキソニンを飲んでいるにも拘わらず続く微熱。本当は高熱かも?

 さて、診察結果です。
★白血病のマーカー検査は、異常なしでした。正直なところ、ホッとします。

★ヘモグロビンはHb=7.6。 予想通り輸血は無しです。

★血小板は9万/μl。血小板減少症の領域ギリギリの横ばいです。
鼻血が出やすいのは、血小板が少ないことに加え、血小板の機能が悪くなっているかも知れないということです。我慢。

★クレアチニンや尿素窒素の数値が、また少し悪くなりました。
「大丈夫ですか?」と質問すると、「たぶん薬の影響もあると思います。まだまだ様子を見ている段階です。」という回答でした。様子見。

★診察の最後の方で、「やたら総コレステロール値が高いのが気になります。悪玉、善玉の検査を入れていなかったので、次回入れます。」ということでした。
  総コレステロール値=260でした。
 主治医の関心がコレステロール値に向かっているのは、私としては実に安心です。コレステロールが多いくらいで、人は直ぐには死なないでしょうから…。

★ジャカビは引き続き一日に2錠が続きます。
 来年の桜を目ざして粘ります。  では。また。 

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2017年11月24日 (金)

二十四節気「小雪」2017

 11月22日は、二十四節気の「小雪」でした。高い山や北国からは、雪の便りも聞かれるようになりました。季節は、まっすぐに冬を進んでいます。

 私は少し訳あって、故郷の丹後半島へ帰省してきました。
ふるさとの海は荒れ、草は枯れ、強い北風が吹き荒れていました。
冬の荒れた日本海を前にすると、何故か背筋を正して見てしまいます。

~♪「岩と風」 高見順
声を立てずに
じっと坐って我慢している
岩よ
 ………
誰も君の苦しみは知らない
 ………
僕は知っています
僕は風だから
絶えず揺れて苦しんでいるから
だから僕は岩の苦しみも分かるのです
 ………
岩のようでありたいと思いながら
揺れ動いてやまない僕の苦しみを
君だけは知ってくれています
 ………
さようなら 苦しみの友よ
生きていたら また会おう ♪~

 ガンの闘病で死と向き合っていた高見さん。風のように揺れ動く苦しみ。黙して動かない岩の苦しみ。死と向き合う者にだけ分かる、生きることの苦しみ…。
 写真は、わが故郷のランドマーク・立岩(たていわ)です。冬の荒波にも堂々と向きあっています。荒れる海の上を飛ぶ鳶。スポット光をを浴びた屏風岩。
僅か数時間の滞在でしたので、写真はこれだけです。

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  先日、車で木津川土手に行ってみました。貧血のため、自転車では無理です。車でヒョイと行けるところだけです。
 木津川土手の大榎は、ゆっくりと黄葉を始めていました。
 寺田桜堤の欅や桜の紅葉は、もう終盤です。盛んに落ち葉を散らしています。

~♪「落ち葉」 高田敏子
木々はいま ひっきりなしに
葉をちらしている

私たちも あのように
はらい落とすことができたら……
かなしい思い出や
ときに 胸をさす悔いを
 ………    ♪~

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  ***これから後の写真は、過去の「小雪」の写真からです。***

  木津川土手は今、落ち葉の季節を迎えています。
~♪ ほれぼれと 日を抱く 庭の落葉哉 ♪~ (桜井吏登)
最後を迎えた落ち葉。じっと日を抱きしめている落ち葉。共感できますね。
田んぼの風景は、しだいに冬枯れていきます。

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  杜甫の漢詩。プロレタリア詩人の壺井重治さんや現代詩人の長田弘さんなど、詩人たちの言葉を聞きながら、さらに木津川土手を散歩したい方は、
二十四節気「小雪」2016へどうぞ → こちら

 今の時期、文化パルク城陽の桂の木が紅葉し、盛んに枯れ葉を散らしています。
 木津川土手では、葦原を風が渡っていきます。
 土手の上に夕焼け空が広がります。
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  ~♪「枯れ葉」 高田敏子
枯れ葉が鳴っている
ほんの少しの風にもゆれて
ささやきあっている

でもこんなひそやかな会話に
耳をすますのは
早すぎる月日の流れに気づく
おとなたちだけだ
 ………    ♪~
 高田さん、早すぎる月日に流されて、私は今ここに立っています。北風に葦がなびくこの場所に。
 詩人の小野十三郎さんや八木重吉さんの言葉を聞きながら、風に葦の穂が揺れる木津川土手を散歩したい方は、
二十四節気「小雪」2016続きへどうぞ → こちら

 木津川土手以外に、太陽が丘公園、宇治川、光明寺、宇治田原などの「小雪」の頃を散歩したい方は、二十四節気「小雪」2010へどうぞ → こちら

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2017年11月22日 (水)

二十四節気「立冬」過去の写真

 二十四節気ごとに散歩写真を更新するようになって、8年が経ってしまいました。
過去の「立冬」の写真へのリンクが、まだ少し残っていますので、年ごとに3枚ずつ選んでみました。(2010年~2013年)
  先ず、2010年の「立冬」の写真です。 
  2010年頃は、撮影場所の中心が隣町の宇治田原町でした。茶畑や残り柿、すすきなどの被写体を求めて出かけていました。
 すすきが揺れる茶畑。今はこの場所に、作業場の建物が…。
 宇治田原町高尾の残り柿風景。 蔦の紅葉。

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  2010年の「立冬」へのリンクは → こちら

 2011年の「立冬」の写真です。
 やはり宇治田原によく行っていました。しかも、時には朝早くから。朝靄に陽が差すと光芒がドラマチックです。
  木津川土手周辺で、小さなドラマを求めて散歩するようになりました。孫たちに昔話でもしているのでしょうか。藁地蔵たちも神妙にしています。光が無いのが残念。

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  2011年の「立冬」へのリンクは → こちら

 2012年の「立冬」の写真です。
 この年になると、身近な文化パルク城陽の紅葉や木津川土手の紅葉などが、中心となっていきます。
 散歩写真へのシフトが進み、小さな植物にも目が向くようになりました。

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  2012年の「立冬」へのリンクは → こちら

 2013年の「立冬」の写真です。
 ほとんどが散歩写真になりました。身近な被写体に視線がいっています。
 土手を走る耐寒走の子どもたち。
 葉を落とし冬枯れていく木々と散歩するお婆さんと孫。ほのぼの感があります。
 近くの街路樹の紅葉。

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  2013年の「立冬」へのリンクは → こちら
今年は、急に寒くなりました。今日、我が家では、ガスストーブを登場させました。

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2017年11月19日 (日)

日米地位協定のここが問題

 前回の記事で、自衛隊の指揮権は、米軍の影響下に置かれていることを書きました。自衛隊の指揮権問題に焦点を当てて書きましたので、日米地位協定については書くスペースが無くなりました。今回は、日米地位協定について書いてみます。

 【何かおかしい地位協定】
  先日10月11日に、沖縄高江で米軍のCH53Eヘリコプターが不時着炎上しました。私有地であるにも拘わらず、米軍が封鎖し、警察も消防も立ち入ることが出来ず、もちろん調査もできずでした。防衛大臣が原因が分かるまで飛行禁止を求めると述べましたが、数日後には原因も明らかにされず飛行が再開されました。
 2004年に沖縄国際大学にヘリが墜落しましたが、今回とまったく同じでした。
 オスプレイが、日本上空の7つの飛行ルートで低空飛行をくり返しているようなのですが、詳細は発表されないまま、政府も止めさせようとしていないです。
 6千億円を超える駐留経費が支払われています。
 普天間基地の危険性を除去するために、辺野古に基地を移転すると言っていますが、辺野古は輸送艦が着岸でき、オスプレイや兵員を直接運べるため、明らかな基地拡充になっています。なぜ直ぐに普天間基地は閉鎖出来ないのでしょうか。
 いったい、これらはどうなっているのでしょうか?
 従属の協定、「日米地位協定」の問題点をみていきます。

  【旧安保条約と日米行政協定】
  朝鮮戦争下、日本は西側諸国との間でサンフランシスコ講和条約を締結し、独立国となります。この条約第6条(a)項には、すべての占領軍は90日以内に撤退しなければならないことが決められていました。
 しかし、同時に結ばれた「旧日米安保条約」と「日米行政協定」により、米軍は引き続き日本に駐留することになります。
 この時、条約交渉に当たったダレス(当時は国務省顧問・後の長官)は、条約の意味について次のように述べています。
 『望む数の兵力を、望む場所に、望む期間駐留させる権利を確保すること』
 つまり日本は、「旧日米安保条約」と「日米行政協定」により、引き続き米軍の実質的な占領下に置かれる事になりました。

  【新安保条約と日米地位協定】
 1960年に旧安保条約は新安保条約に、日米行政協定は日米地位協定となりました。
 全国で大きな安保反対闘争が起こりました。
 しかし結局、新安保条約、日米地位協定となっても、ダレス長官の述べた狙い、『望む数の兵力を、望む場所に、望む期間駐留させる権利を確保すること』は、貫かれたまま現在に至っています。 次に具体的にみていきます。

  【米軍は望む場所に、望む期間駐留】
 日米地位協定では、2条1項で、米軍は基地の使用を許可され、具体的詳細については、25条で設置される日米合同委員会で取り決めるとなっています。
 地位協定では、米国と日本が合意すれば、国内のどこでも、地元住民・地方自治体の意向がどうであろうとも、基地として提供するのに制限はありません。
  また、どのような具体的条件で基地を提供するかについて何の規定もありません。
『米国と日本の合意』は、日米合同委員会で行われます。国会を通じてではありません。日米合同委員会は非公開で、合意事項も非公開が原則となっています。つまり、国民から見れば、密室協議ですべてが決められる仕組みになっているのです。
 まさに、『望む場所に、望む期間駐留させる権利』が維持されているのです。

 また、基地が必要でなくなった場合の返還義務については、2条3項に規定はありますが、どんな理由で返還請求か出来るかの根拠規定はありません。
 普天間基地が、住民にとってどんなに危険な基地であっても、それをもって返還理由とする根拠はありません。
 一旦基地となると、遊休地となってもなかなか返還されず、池子弾薬庫は米軍住宅用地に転用されてしまいました。
 すべては、密室の日米合同委員会で取り仕切られているのです。

  【米軍基地は外国と同じ】
 3条1項は、「合衆国は、基地内において、その設定、運営、警護及び管理のため必要なすべての措置を執ることができる」となっています。これが、「米軍の排他的管理権」の根拠です。
 つまり、米軍基地内では日本の法律は適用されないのです。
このことが様々な問題を引き起こしています。
 例えば、航空機の騒音問題です。裁判所は、受忍限度以上の騒音であると認定しても、「第三者行為論」により、それを止めさせることは出来ないでいます。
 「第三者行為論」とは、米軍は日本の法律の及ばない「第三者」なので、日本政府にはそれを差し止める権限は無い、という理屈です。
 基地内での土壌汚染、環境汚染、有害廃棄物の投棄があっても、日本政府はそれを止めることも出来ず、調査することも出来ません。
 返還された基地内で環境汚染が発生しています。鉛汚染。フッ素汚染。タール状物質の入ったドラム缶。ヒ素汚染など。返還されたサッカー場地中から、大量の枯れ葉剤と思われるドラム缶が出てきた例は、先日NHKでも報道されました。

  【船舶、航空機の無料自由移動】
 地位協定第5条は、米軍の船舶・航空機は無償で日本の港湾、空港に出入りできること、米軍の船舶・航空機・車両並びに軍人や家族等は、施設・区域への出入、施設・区域間の移動、施設・区域と日本の港・飛行場間の移動ができること、軍用車両の移動には、道路使用料等の課徴金を課さないことなどを定めています
  高速道路料金など無料。道路交通法違反もとがめられません。

 基地外での演習・訓練については、地位協定上は規定がなく、空では、広大な訓練空域が設定され、さらに訓練空域以外でも米軍が独自の8カ所の低空飛行訓練ルートを設定しています。オスプレイも同様に低空飛行訓練を行っていますが、政府は辞めさせることも出来ないし、止めさせようとしてもいないのです

  【巨大な航空管制空域】
 米軍は、横田、岩国、嘉手納、普天間の4カ所の航空基地で飛行場管制業務を行っています。広大な空域が、いまだにアメリカの占領状態にあるのです。首都圏のほとんどを覆う横田空域は特に広大で、民間機の離発着の大きな障害となっています。首都圏上空は、主権が及ばない外国の空なのです。
 
 【裁判権の問題】
 裁判権の問題についても、様々な問題が発生しています。
 公務中の米兵には、日本側には第一次裁判権はありません。通勤途上も含まれます。公務証明書が出されると、直ちに釈放されます。
  地位協定17条5項(c)により、日本側に第一次裁判権がある場合でも、米兵等が米軍基地内にいるときは、その身体は、起訴されるまで日本側に移すことは出来ません。つまり、基地内に逃げ込まれると取り調べることが出来ないのです。

  公務外の米兵等の犯罪は、日本側が第一次裁判権を持ちますが、日本国にとって著しく重要と考えられる事例以外は、第一次裁判権を行使することはないと合意しています。(1963年の合意議事録)
  以上のような理由で、日本人の起訴率は、5割であるのに対し、米兵は2割にとどまっています。脅迫、詐欺、恐喝、横領、盗品などで起訴された米兵は一人もいません。強姦致傷で36%、強姦20%となっており、著しい不平等が発生しています。

  【憂うべき対米従属状態】
  こんなやりたい放題状態を生み出しているのは、日米地位協定の不十分な規定により、法の空白地帯が生み出されているからです。その空白を埋めているのは、日米合同委員会での取り決めと、地位協定成立時に合意した公式議事録(非公開)なのです。
  以上みてきたように、日米地位協定により、日本の主権が損なわれています。
  こんな対米従属状態で、自衛隊を憲法に位置づけることは出来ません。自衛隊が軍隊となれば、それはアメリカ軍の下働きの軍隊であり、自主独立の専守防衛のための軍隊でないことは明らかです。日米地位協定の改定と集団的自衛権を容認する平和安全法の廃止が、憲法改正の前提条件です。

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2017年11月16日 (木)

残り柿の風景

 先日、宇治田原へ柿の撮影に行ってきました。胆石手術の後、病気の進行もあって体調が悪く貧血も進行して、起伏のある茶畑に撮影に行くのは2年ぶりのことです。
 2年間の変化は驚くべきものでした。いたる所で工事が行われていて、風景が変わっているところがありました。僅か2年というのに変化は大きいです。

 先ずは湯屋谷の茶畑。壊れかけた農機具小屋は、前と変わらず残っていました。
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  この茶畑で作業されていた女性に写真を撮らせていただき、写真をプレゼントしたことがありました。その後、ご主人を病気で亡くされたと聞きましたが、茶畑が維持されているところをみると、元気で仕事を続けられていることと思います。
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  茶畑は広いです。さらに茶畑の奥へと進みます。茶畑と柿の風景が続いています。
これらの柿はすべて渋柿です。渋を抽出して、お茶を包装する紙を強くするために利用していた、という話を聞いたことがあります。 真偽のほどは?

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  茶畑の一番高いところにやって来ました。少し息が切れます。
谷筋の向こう側の茶畑も見えます。山は紅葉が始まっています。
針葉樹の緑と広葉樹の黄葉のコントラストが美しいです。

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  湯屋谷を出て、高尾というところに向かいます。
途中の道端で、逆光に輝く柿を見つけました。紅葉している木もありました。

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  ~♪ふるさとの 秋ふかみかも柿赤き 山べ川のべ わが眼には見ゆ♪~
 これは、歌人古泉千樫の歌です。私のお気に入りの歌です。
 柿の実は、何故かふるさとを思い出します。
 かって多くの人が、故郷を離れて都市部へと旅立ってゆきました。その心の中には、故郷の風景が刻まれています。それは、秋になればすすきの穂がなびき、赤い柿の実が陽の光に輝いている風景ですね。
  高尾のすすきと柿の木の風景です。

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  自分が生きてきた半世紀を超える時間の流れの中でみたとき、その変化は途方もなく大きなものです。自分が子ども時代を過ごしたふるさとの風景は、もはや何処にもない風景かも知れません。目を閉じてしか見ることのできない風景です。

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  高田敏子という詩人も柿の実とふるさとを歌っいます。

~♪「柿の実」
枝に光る柿の実に
私のふるさとがある
遠い日の記憶の中にあるやさしい村
  ………
二階の窓にもたれて立って
夕日に光る柿の実を見ていると
峠のむこうのふるさとが浮かんでくる
 ………
縁に座っている 祖父母
その隣には
祖母が座り
母が座っていて
 ………
みんな静かな笑みをこちらに向けて
私を待っていてくれる
座布団の上に
柿の実が一つ
光っているのが よく見える ♪~

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  柿の木のある風景は、日本の田舎の原風景です。いつの時代から、柿の木が植えられるようになったのでしょうか?
 柿の種は、縄文の遺跡からも発掘されているようです。しかし、万葉集に柿の歌はありません。枕草子にも登場しません。
 それは、鎌倉時代だと言われています。突然変異で甘柿が登場したのが鎌倉時代、それから品種改良がくり返され、現在にいたったそうです。

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  紅葉もしだいに本格的になってきました。車から降りて、直ぐ撮影出来るような場所なら、貧血の私でも行けそうな気がします。探してみます。  では。また。
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2017年11月13日 (月)

定期診察(142)・判決を待つ気分

 今日はKS病院血液内科の定期診察でした。
寒く冷え込んだ朝でした。駅の階段で息が切れて、立ち止まりました。電車の中では、風邪をひいていると思われる人も多かったように思います。

 さて、最近の症状ですが…。
☆貧血症状は、一段と進みました。かなりきつくなってきました。
 なぜか手や足の先がもの凄く冷たいです。

☆ロキソニンは、一日2錠です。ロキソニンは、16時間で効果が切れ、痛みと熱がどんどん進んでいきます。何か怖いくらいに…。自分はまちがいなく病気なのだ、という自覚を高める効果は、おおいにあります。十分自覚はしていますが…。
  胃の調子は悪いです。

☆脇腹の膨満感など、その他の症状は続いてます。寝汗も気持ちが悪いです。
 免疫力が落ちているせいか、しばしばヘルペスが…。

 さて、診察結果です。
★ヘモグロビンはHb=6.9。 予想通り輸血です。

★血小板は9万/μl。血小板減少症の領域ギリギリの横ばいです。

★ジャカビは引き続き一日に2錠が続きます。
  腎機能の数値が、前回よりもまた少し悪くなりました。嫌ですね~。

★診察の最後に、「次回にまた、白血病のマーカー検査を入れます。」と一言。
 判決を待つ気分で、これから2週間を過ごします。

 きのうの夜に寝られなかったせいか、輸血中に少し寝られました。
中央処置室は忙しそうでしたが、看護師さんたちの指示や会話や器具の音が、子守歌のように聞こえていました。 申し訳ないです。
 人様の血にたよって生きていくことに、罪悪感のようなものを感じるのは、私だけでしょうか?    では。また。

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2017年11月 9日 (木)

二十四節気「立冬」2017

 11月7日は、二十四節気の「立冬」でした。暦の上ではもう冬ですね。
風も少し冷たさを増してきて、初冬の日だまりで想い出にひたるのもいいですね。

  ~♪…冬が来る前に   もう一度 あの人とめぐり逢いたい♪~

  この曲は、 「紙ふうせん」というグループが40年前に発表した曲です。終わった夏の恋を歌っているようですね。今の時期には、ピッタリな名曲かと…。
この曲を聴きたい方は、 → こちら
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  あなたには、冬が来る前に逢いたい人はいますか?
私にはあります。私はその人に会うために、いつも木津川土手に出掛けるのです。

~♪「立冬の日に」
暦が冬を知らせた日
街路樹は色を変え葉を散らしている
野焼きの煙の中に無言の藁地蔵が立ちならび
畦道の野菊は最後の時をむかえている
私は今日も木津川の土手へと急ぐ
 
土手の坂道を登れば
空が大きく広がり私を迎えてくれる
土手の上に立てば北には比叡の山並み
田んぼでは冬支度をする人々の営み
冬の陽ざしはなぜか優しい

私は大切な人と会うためこの土手に来る
僅かに色を変える大榎の下に彼はいる
彼はいつものように語り始める
風景は時間の流れの中で
止めようもなくうつろっていく
本当に美しい風景は目を閉じて見るものだと

冬が始まった日  彼の目にした風景は
風になびく枯れススキ  欠けた夕月
遙かに渡っていく雁の影 

今は目を閉じても何も見えない 
風の音が聞こえるばかりだ
いつも無言で立ち去る彼は
私と同じ名前で呼ばれている    ♪~

 目を閉じてしか会えない彼。哀しみの中でしか会えない彼。
 止めようもなくうつろってゆく時間。その中に一人残される私…。
この詩に合わせて、彼と一緒に木津川土手を散歩したい方は、
二十四節気「立冬」2014へどうぞ → こちら

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  土手の上には青い空が広がり、コブシの木から赤い実が旅立とうとしています。
 ガマの穂の種子たちが、風に乗り盛んに旅立ちを始めています。

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  夕焼けはいつの季節でも美しいものですが、今の時期の夕焼けは、夏の夕焼けとは一味違う美しさです。
 オギの白い穂は赤く染まり、炎のように風に揺れています。誰かに別れを告げているかのように…。
 高田敏子さんの詩が頭をよぎります。

~♪「すすきの原」
さようなら さようなら
すすきの穂のくり返す
さようなら
 ………
私のまわりから いつとはなしに
時の流れのなかに
去っていった人たちのことがおもわれる
すすきの原  ♪~

 私もまた、時の流れのなかに去っていかねばなりません。すべての想い出を抱き、すすきの穂がさよならをくり返すなかを……。
 初冬のほんのり温かな陽ざしのなかを散歩したい方、または夕日に輝くオギを眺めたい方は、二十四節気「立冬」2016後編へどうぞ → こちら

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  田んぼ道に貼りつくように広がるイヌタデ。嘗ては「赤まんま」と呼ばれ、子どもたちに愛された花。今は余命少ない老人の感傷花。
  さらに、初冬の木津川土手周辺を散歩したい方は、
二十四節気「立冬」2016前編へどうぞ → こちら

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2017年11月 6日 (月)

憲法改定にどう向き合うか②

「憲法改定にどう向き合うか①」の続きです。 ①は→ こちら
  戦後史を俯瞰しながら、自衛隊の指揮権問題を中心に戦後史をみていきます。

 【自衛隊の指揮権~旧安保体制下では】
 朝鮮戦争下、サンフランシスコ講和条約が結ばれ日本は独立します。しかし、ほぼ同時に、旧安保条約が締結され、アメリカの占領的状態が継続されました。
 アメリカは、後方支援のため再軍備を要請し、警察予備隊が結成され、これが後に自衛隊となります。
  旧安保条約に基づき、アメリカ軍の日本における地位を定めた『日米行政協定』の交渉が行われます。アメリカ側の示した『日米行政協定』原案の第14条では、「日本の軍隊はアメリカ軍の指揮下に入る」となっていました。交渉に当たった岡崎官房長官(後の外務大臣)は、「これでは国民の反発があり政権がもたない。条文には現れないような形にして欲しい」と要求し、出来上がったのが『日米行政協定』第24条です。

 行政協定24条:『…急迫した脅威が生じた場合には、…必要な共同処置をとり…直ちに協議しなければならない。』

  「共同処置をとり直ちに協議する」までの部分を条文化し、「アメリカ軍の指揮下に入る」という部分は密約という形で合意しました。いわゆる指揮権密約です。
 指揮権を具体化する組織として、第26条で定められた日米合同委員会が位置づけられました。結局、次のように表すことが出来ます。
 『日米行政協定24条』+『密約』+『日米合同委員会』=『有事の時、自衛隊はアメリカ軍の指揮下に入る』

  【自衛隊の指揮権~新安保条約下では】
  1960年に安保条約の改定が行われました。指揮権密約はどうなったのでしょうか。
 国民から非難を受けた『日米行政協定』第24条は削除されますが、ほぼ同じ内容で新安保条約の第4条に受け継がれ、さらに軍事力の増強を定めた第3条、共同作戦を義務づけた第5条などがあいまって、さらに強化されました。
 日米安保協議委員会(SCC)が組織され、その下部組織としていくつかの組織が作られ、アメリカ軍と自衛隊幹部による直接的、具体的な協議が非公開で行われる体制も出来上がりました。日米防衛協力小委員会(SDC)、日米安保運用協議会(SCG)などです。
 '60年の安保条約の改定は、国民から大きな批判を招き、「安保反対闘争」が全国的に展開されました。

 【日米ガイドライン】
  ★1978年に日米防衛協力小委員会(SDC)で、日米防衛協力のための指針(第1次日米ガイドライン)が決定されました。
 自衛隊とアメリカ軍は、調整機関を通して緊密に連携し、日本とその周辺で作戦行動を執るとする内容です。調整機関とは実質在日米軍司令部です。
 作戦領域は日本領土から周辺(極東)へと広がりました。
 鈴木・レーガン共同声明では、「1000海里・シーレーン防衛」が明記されました。
  中曽根総理の「不沈空母」発言は1983年のことです。

 ★1997年に、第2次ガイドラインが決定されました。
 日米防衛協力ガイドラインとは、アメリカ太平洋軍と自衛隊との協議で決められたもので、国会で論議され決まったものではありません。国民からみれは密室協議です。シビリアンコントロールという点からも重大な問題です。
 この第2次ガイドラインに沿って、「周辺事態法」が成立しました。自衛隊の活動領域の拡大が進みました。
 アフガン紛争、イラク戦争中、燃料補給や米軍輸送のために、自衛隊は、海上給油やイラク派遣を行いました。
 横田基地に自衛隊航空総隊司令部が、キャンプ座間には、米陸軍第一軍司令部と自衛隊の中央即応集団司令部が移ってきて、司令部機能が一体化され、自衛隊と米軍の共同作戦体制が進みました。
 
 ★2015年に第3次ガイドラインが決定されました。
 このガイドラインでは、平時から緊急事態までのあらゆる段階で、自衛隊と米軍が協同することが確認されました。いわゆる「切れ目のない対応」。
 第3次ガイドラインの発表に続いて、国会では集団的自衛権を容認する「平和安全法」が強行採決されました。ガイドラインの方が先行し、国会決議がこれを追いかけるという、シビリアンコントロールに疑念を抱かされる事態になりました。
 同盟調整メカニズム(ACM)で、自衛隊とアメリカ軍の調整機関が設置され、事実上の日米統合司令部が発足しました。

  【私の結論】
 以上みてきたように、自衛隊は、『アメリカ軍の指揮下で作戦行動をする軍隊』という側面を持っていることが分かります。このような対米従属的な状態で自衛隊を戦力として憲法に位置づけることには、問題が多すぎます。
  「平和安全法」の廃止、「日米安保条約」と「日米地位協定」の改定が前提として必要であると考えます。私の結論は、(A)には×を投じます。
   *****
 自衛隊の指揮権についてだけみても、これだけの問題点があります。
 「日米地位協定」については、書くスペースが無くなりましたが、その異様さは、肌で感じられていることと思います。
 ・全国にたくさんの米軍基地が存在し、沖縄は基地の島となっている。
 ・日本の上空には、国内法の根拠が無いにも拘わらず、アメリカ軍の飛行管制空域が広がっている。(沖縄空域、岩国空域、首都圏の横田空域など)
 ・在日米軍駐留関係の日本負担経費は、6千億円を超えている。
 ・先日、ヘリが墜落したが、日本の警察や消防は手出しも出来ず、墜落原因も究明されず、同型ヘリの飛行停止は直ぐに解除されてしまった。
  ・事故率の高いオスプレイが、日本上空7つのルートで、日本の航空法を無視して低空飛行訓練をしていると思われるのに、抗議もしないし、止めさせることも出来ない。

  あ~~、もう書き出したらキリがありませんね。日本の主権はどうなっているのでしょうか。
 北朝鮮に対してアメリカが軍事行動をとれば、自衛隊も協同で行動することになります。ならず者国家の北朝鮮が、日本を核攻撃する可能性さえあります。東京が攻撃されれば、100万人の人が死ぬという試算も出されています。こんな危険を冒してまで、アメリカに追随するのは、ちょっと御免です。
 穴の空いた「核の傘」から自立して、アメリカに頼らない日本独自の安全保障を追求する必要がありますね。
 核兵器禁止条約にも早く署名して欲しいものです。
 以上、私の勝手な意見を書きました。 では。また。

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