2017年6月22日 (木)

二十四節気「夏至」2017

 6月21日は、二十四節気の「夏至」でした。暦便覧では、「陽熱至極し、また日の長きのいたりなるを以て也」です。
 「陽熱至極」となっていますが、日本の今は梅雨の真っ只中。今年の「夏至の日」当日は大雨になりました。一日中引きこもり生活でした。
 「夏至」の時期は、土手の周辺はどんな様子なのでしょうか。今回もまた、パソコン上で散歩に出かけましょう。夏の野の花が待ってくれていることでしょう。

 人はなぜ散歩するのでしょうか? 何を求めて…?
 散歩の達人、詩人の長田弘さんに聞いてみましょう。
          (森の絵本より)
~♪ どこかで よぶ声が しました。
   でも 見まわしても だれもいません。
       …………
      「いっしょに ゆこう」
      すがたのみえない 声が いいました。
   …………
      「きみの だいじなものを さがしにゆこう」
   すがたの見えない 声は いいました。
   「ほら、あの 水のかがやき」と、
   その声は いいました。
   声のむこうを きらきら光る
   おおきな川が ゆっくりと 流れてゆきます。
   「だいじなものは あの 水のかがやき」
   …………
   「たいせつなものは あの たくさんの 花々のいろ」
   「ほら、あの わらいごえ」
   …………
   夏がきて 秋がきて 冬がきて 春がきて
   そして 百年が すぎて
   …………
   どこかで よぶ声が しましす。
    「だいじなものは 何ですか」
    「たいせつなものは なんですか」  ♪~

 私たちにとって、大切なものとは何なのでしょうか? きらきらと輝く風景や野の花たちと対話しながら考える、それが散歩なのですね。長田さん。
 詩人の吉野弘さんが、四つ葉のクローバーを見つけたようです。何か幸福について考えているようです。
 哲学者の三木清さんも幸福について語っています。
 「幸福は表現的なものである。鳥の歌ふが如くおのづから外に現はれて他の人を幸福にするものが眞の幸福である。」と。
 では、自然や花々と対話しながら木津川土手周辺を散歩しましょう。

 ★二十四節気「夏至」2016へは、→ こちら
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   田植えも終わり、遙かに広がる水の国。
 なつかしい桑の実。青い空。白い雲。
 土手に咲き乱れるアカツメグサ、ヒメジョオン。

  ★二十四節気「夏至」2016後半へは、→ こちら
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   気がつくと、いつのまにか咲き始めたカワラナデシコ。
 いつも季節を知らせてくれるのは野の花々です。
 季節の変化に気づくとは、うつろう自然と時間の中にある自分に気付くこと。止めようもなく流れてく時間。その時間の中を旅をしている一人の旅人。わたし。
  6月23日は、沖縄慰霊の日。 夏に咲く花、夾竹桃♪~
 水の中から蓮の葉が顔を出し始めました。

  ★二十四節気「夏至」2015へは、→ こちら
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   夕日に輝く、寺田芋の畑のスプリンクラー。
 芽生え始めた蓮。
 夜の月見草。

  ★二十四節気「夏至」2014へは、→ こちら
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2017年6月19日 (月)

定期診察(133)・痛み進行

 今日はKS病院血液内科の定期診察でした。良い天気で暑い一日でした。
 電車の中は、参考書を広げている高校生が目立ちました。たぶんテスト期間に入っているようです。

  最近の症状ですが、発熱し骨が痛くなる症状はさらに進みました。一日にロキソニンが3錠必要な状態が近づいています。これが一番の心配。
 背中から脇腹の違和感も強くなってきました。脾臓が肥大化する感覚です。
 貧血は前回よりひどくなった感じです。駅の階段で一回休みが必要なくらい…。心臓音と同じリズムの耳鳴りがします。
  寝汗は相変わらずひどいです。体重が少し増え、その分、体が浮腫んでいます。

  さて、診察結果です。
 ★ヘモグロビンはHb=7.2でした。  少し減少。予想通り。
    しかし、7.0を超えているので、今日は輸血は無し。

 ★骨の痛みについては、ロキソニンで押さえ込むより方法は無いということです。
  一日につき、3錠のロキソニンが処方になりました。
 「この先、この痛みはどうなりますか?」という質問に、「モルヒネとロキソニンの中間をいくような鎮痛剤がまだある。」という、何か怖ろしい回答……。
  痛みの原因は? ウーン、何か説明の歯切れが悪く気になりますね。

 ★脇腹の違和感が強くなっているので、ジャカビは一日1錠から2錠に増量。
  本当は4錠くらい飲んでほしいということです。
  副作用の貧血が心配です。

  ★主治医の感想的評価では、「まあなんとか横ばいです。」でした。

 帰りは暑くて、少々バテ気味。ヨロヨロ歩いていると、近所のお婆さんに、「○○さん、最近痩せましたね。大丈夫ですか?」と声を掛けられました。どうやら、私は病人らしい外見になってきているようです。        では。また。

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2017年6月15日 (木)

山之口貘の詩を読む

 Yamabaku
  山之口貘という詩人をご存じでしょうか? 知らない人のために、この詩人を紹介してみます。私にそのようなことをする資格があるかどうか大変疑問ですが、私の知る限りを紹介してみます。
 激動の戦前・戦中・戦後をかくもマイペースに、「僕」という生活者のままで、時流に流されず、貧困の中をユーモアを失わず生き抜いた人がいることを知るのは、私たちにとって、何か心が洗われるような気がします。

 では早速、貘さんの自己紹介から…。
  ~♪ 自己紹介 
   ここに寄り集まつた諸氏よ
   先ほどから諸氏の位置に就て考へてゐるうちに
   考へてゐる僕の姿に僕は気がついたのであります

   僕ですか?
   これはまことに自惚れるやうですが
   びんぼうなのであります                   ♪~

 山之口貘さんは、本名山口重三郎、沖縄の名家の生まれでしたが、家は破産・没落し、借金の肩代わりの下男奉公から逃れるため、那覇の公園や海辺で放浪生活を送ることになります。23歳で上京、詩を書きながら、暖房工事人夫、汲み取り屋、鉄屑運搬船の人夫、荷造り作業員、マンホールの掃除人など、職業を転々としながら生きていきます。16年間畳の上で寝ることはなかったといいます。
 貘さんは、まことにおおらかに、自らを誇れるような貧乏だったのです。

 ~♪ 存在
   …………
  僕である僕とは
  僕であるより外には仕方のない僕なのか
  おもうにそれはである
  僕のことなんか
  僕にきいてはくどくなるだけである

    なんとなればそれがである
  見さえすれば直ぐにも解る僕なんだが
  僕を見るにはそれもまた
  もう一廻わりだ
  社会のあたりを廻って来いと言いたくなる   ♪~

   汲み取り屋、マンホールの掃除人、底辺生活、…。「社会のあたり」を生き抜いてきた貘さんは、「僕」という人間の生活の現実を凛として描くことにより、社会を描いた詩人でした。
 貘さんが生きた時代は、戦争の時代でした。多くの詩人が大政翼賛、戦争賛美の詩へと傾斜する中で、友人の金子光晴氏と共に、貘さんは戦争・翼賛の詩を書かなかった数少ない詩人の一人でした。金子光晴氏は、はっきりとした反戦詩を書きましたが、獏さんは声高に反戦を主張するのではなく、ただひたすら「僕」の生活を書きました。戦争が激しくなっていく時期の「ねずみ」という詩をみてみましょう。

 ~♪ ねずみ
  生死の生をほっぽり出して
  ねずみが一匹浮彫みたいに
  往来のまんなかにもりあがっていた
  …………
  車輪が
  すべって来ては
  ねずみはだんだんひらたくなった
  ひらたくなるにしたがって
  ねずみは
  ねずみ一匹の
  ねずみでもなければ一匹でもなくなって
  その死の影すら消え果てた
  …………      ♪~

 厳しい言論弾圧の時代、個人の表現の自由は奪われていきます。検閲官は、この抵抗詩を、ただのネズミの詩として見逃しまったようです。
 戦後になっても貘さんは、「僕」の日常生活を描くことにより、社会を深く見つめる詩を書き続けました。平和。原水爆。沖縄などについて…。
 第五福竜丸事件にまつわる詩、「鮪に鰯」をみてみましょう。

 ~♪ 鮪に鰯
  鮪の刺身を食いたくなったと
  人間みたいなことを女房が言った
  …………
  ある日ぼくは食膳をのぞいて
  ビキニの灰をかぶっていると言った
  女房は箸を逆さに持ちかえると
  焦げた鰯のその頭をこづいて
  火鉢の灰だとつぶやいたのだ   ♪~

 ビキニの死の灰に脅かされ、腹立ち紛れの貘さん。「死んでもよければ鮪を食え」と言ってはみたものの、貧乏では鮪は食べられません。いつも食べている鰯の灰は火鉢の灰でした。何げない日常の生活の中に、ユーモアと鋭い社会批評が含まれています。

 ~♪  求婚の広告
 一日もはやく私は結婚したいのです
 結婚さえすれば
 私は人一倍生きていたくなるでしょう
 かように私は面白い男であると私もおもうのです
 面白い男と面白く暮したくなって
 私をおっとにしたくなって
 せんちめんたるになっている女はそこらにいませんか
 さっさと来て呉れませんか女よ
 見えもしない風を見ているかのように
 どの女があなたであるかは知らないが
 あなたを
 私は待ち侘びているのです       ♪~

  ~♪ 畳
  なんにもなかった畳のうえに
  いろんな物があらわれた
  …………
  結婚生活を呼び呼びして
  おっとになった僕があらわれた
  女房になった女があらわれた
  桐の簞笥たんすがあらわれた
  …………       ♪~

 求婚の広告に効果があったのか、金子光晴氏の世話で、貘さんは34歳でめでたく結婚します。やっと放浪生活に終止符をうちます。しかし、1963年、59歳で、胃ガンにより亡くなるまで貧乏生活は続きました。
 
 ~♪ 鼻のある結論
  ある日
  悶々としている鼻の姿を見た
  …………
  またある日
  僕は文明をかなしんだ
  詩人がどんなに詩人でも 未だに食わねば生きられないほどの
  それは非文明的な文明だった
  だから僕なんかでも 詩人であるばかりでなくて汲取屋をも兼ねていた ♪~

 貘さんは、自分の思想や主張を声高に主張するのではなく、社会の底辺や地べたの「僕」の現実を詩にすることにより、ユーモアと風刺の効いた社会批判や文明批判を書き残しました。
 詩人の高橋新吉は、「風刺詩人」、茨木のり子は「精神の貴族」と評しています。
 沖縄についての詩など、まだまだ紹介したいですが、スペースが無くなりました。
 今の時代に、ますます輝いている詩人の一人かと思います。
   山之口貘詩集(岩波文庫)、お薦めします。

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2017年6月12日 (月)

二十四節気「芒種」2017追加

 家に引きこもってゴロゴロと過ごしているうちに、二十四節気の「芒種」の時期も、どんどん進んでいきますね。
  初候 : 6/05~  蟷螂生ず       カマキリが生まれる頃
 次候 : 6/10~  腐れたる草蛍となる  蛍が飛び始める頃
 末候 : 6/15~  梅のみ黄ばむ     梅の実が熟す頃

 では、2014年~2010年の「芒種」をリンクして紹介します。

 「芒種」の末候は、「梅のみ黄ばむ」ですね。梅の実も黄ばみ始める頃です。
他の人の写真ブログを見ていると、蛍の写真などがアップされるようになりました。
あ~、もう蛍が飛び交う時期になったのですね。
 昔の人は、「腐った草から蛍が生まれてくる」と考えていたそうです。明時代の洪自誠により書かれた中国の古典「菜根譚」には、次のように書かれているそうです。
   ~汚れた虫も、蝉となって秋風のもと露を飲む。光らない腐った草も、蛍と化して夏に耀く。潔きは常に 汚より出、 明るきは、晦(くら)きから生まれる。~
 光は闇より生まれ、潔きは汚より出てくる。ウーン、なかなか深い言葉ですね。

 2014年の「芒種」へのリンクは、 → こちら 
  アジサイの花。鴻ノ巣山の椎の芽生え。梅の実。
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   この時期は、何と言っても田植えの頃。土手の木の上にはホオジロ。
 ノビルに花が咲き、水辺では、早くも涼を求める人の影。
  2013年の「芒種」へのリンクは、 → こちら 
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   田んぼは水の国に変貌。水の上を渡る風。光のざわめき。
 土手の斜面には花。ヤマボウシの白い花。ハナウドに虫。 
  2012年の「芒種」へのリンクは、 → こちら
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   宇治田原で撮ったカワトンボ。シジミチョウ。宇治川の栴檀の木。
 以前は、宇治川や宇治田原によく撮影に行っていました。
  2011年の「芒種」へのリンクは、 → こちら
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   この時期の言葉として、「麦秋」という言葉があります。2010年に琵琶湖の近くで撮った大麦の畑です。最近では、麦畑も見かけなくなりましたね。
 以前は、よく琵琶湖付近まで撮影に出かけていました。  では。また。
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2017年6月 8日 (木)

二十四節気「芒種」2017

6月5日は、二十四節気の一つ「芒種」でした。
 「芒(のぎ)ある穀類、稼種する時也」(暦便覧)です。
 芒種の頃の土手を散歩しましょう。
 いつものようにパソコンの中の記憶をたどりながらですが………。

 春には土手を一面に黄色く染めていたカラシナは結実を終え、今は白い穂が風に揺れているだけです。栗の花が落ち始めています。栗花落(つゆり)。もう梅雨入りです。
 白いカラシナの穂に混じり、ノアザミが季節の歌を歌っています。
    ~♪ 季節はいつも交差点
       やって来るものと
       去ってゆくものが
       風に運ばれ
       行き交う交差点
       出会いの時は心ときめかせ
       別れの時は涙する
       人もまた季節と同じだ  ……  ♪~
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   人は旅人。花もまた旅をする。鉄道に乗って。どこまでも。方々に…。 hobo。
 そんな世界を旅する花に出会いたい方は、……
   2016年の「芒種」・前半へ → こちら 
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  「花と話す方法」を知っていますか?
   「無言で示す命の素晴らしさ。損なうことなく、誇ることなく、みごとに生きる。無言で語る植物たちの奇跡。」花と語る方法を、詩人の長田弘さんが教えてくれます。
 詩人の吉野弘さんも語ります。「……そして気付く。ぼくらの季節があまりにも樹木の季節と違うことに。」 花と語り、樹木の声を聞く。そんなことを希望の方は、……
      2016年の「芒種」・後半へ → こちら 
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   芒種の頃。それは田植えの時期です。
 遙か昔。田植えは地域全体の大行事。田植え歌も聞こえていたことでしょう。
 それぞれの地方に独特の田植え歌があったそうです。
  私は田植え歌は聴いたことがないです。
 飛騨地方の田植え歌。内容がちょっと気になります…。 本音? 自虐ネタ?
    ~♪ 嫁にやるなよ 気多 山本へ 
       深い田んぼで苦労するーーぅい ♪~
 気多や山本方面の田は、沼田やあわら田んぼが多くあり苦労したそうです。

 現代は、田植機が活躍。地域のつながりも希薄に? 
  田んぼの風景は、…… 2015年の「芒種」へ → こちら 
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   シューベルトの「菩提樹」を聞きながら、巨木を巡りたい方。
 なつかしい桑の実に出会いたい方。
 寺田芋畑の夕景をご覧になりたい方。 
  こちらです。……  2015年の「芒種」・追加へ → こちら
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2017年6月 5日 (月)

定期診察(132)・白血病化はなし

 今日はKS病院血液内科の定期診察でした。
  最近の症状ですが、貧血症状がほんのちょっとマシになりました。骨の痛みは少しずつ酷くなってきているように思います。ロキソニンを飲んでいても、いつも少しだけ痛みを感じます。ロキソニンで押さえきれなくなっている? 何か嫌ですね。

 家を出てから血液検査終了まで、一気に行動していたため息が切れました。待合いの長椅子でくたばっていると、看護師さんから、「大丈夫ですか?」と声を掛けられてしまいました。ちょっとビックリしました。 優しそうな眼差しが頭に焼き付いて……。

 さて、診察結果です。

  ★一番心配していた白血病化の検査ですが、これについては、検査の結果では、
   心配は要らないということでした。骨髄の検査も必要ないという判断です。
   ずっと気が重かったのですが、ちょっと開放されました。
   しかし、この骨の痛みと発熱は、いったい何なのだろうという疑問は残され
   ました。医師の説明もちょっと歯切れの悪いような? ……気のせいか?

   
  ★ヘモグロビンはHb=7.5でした。 ちょっと増加♪。
   前回の輸血の効果とジャカビを1錠に減らしている結果だと思われます。
   貧血が進んで行く時は、酷いと思っていた症状も、より酷い状態から改善して
   行く時は、少し楽に感じるという不思議さ。予定されていた輸血は無しです。

    ★血小板数は、二桁の11万/μlに回復です。

    ★貧血が安定するまで、ジャカビは一日1錠です。

  ★主治医の感想的評価では、「CRPも下がってきたし、LDHも減少してきて
   いるし、数値的には良い方向のように思いますよ。」でした。
   暗い気持ちで病院へ行きましたが、帰りはちょっと元気。一喜一憂。 小人?
    寄り道して、京都駅前大垣書店で本を5冊ばかり購入です。
                         では。また。

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2017年6月 2日 (金)

40数年ぶりの再会

 Kyotoeki
  先日、40数年前の職場の同僚2人と再会することができました。
 京都駅中央改札の前で約束していましたが、直ぐ近くに立っていたにも拘わらずお互いが認識できず、携帯電話で話しながら確認しあうという状態でした。
 しかし、お互いを確認した後は、僅か数年間という付き合いだったにも拘わらず、その後の40年という時間の壁を遙かに超えて、何の違和感もなく、隔たりもなく、あの頃そのままに会話をすることができました。この後、3人で昼食を共にしながら、なつかしい時間を過ごしました。

 40数年前、私は、今回再会したM.Y子先生と共に、新採用教員としてY中学校に赴任しました。次の年に、U.K郎先生がやってきました。その後、M.Y子先生とは3年、U.K郎先生とは2年間の付き合いでした。3人が共有した時間は、人生全体から見れば僅かな時間でしかありません。半世紀近い前、3人の若者が偶然出会い、僅かな時間を共にし、そして別れていった、ただそれだけのことにすぎないのですが……。
 「民主教育」という言葉が、まだ輝きを持っていた時代。正しい教育のあり方を真剣に求めていた時代。自らの人間形成に大きな影響を受けた時代。そんな時代を必死に生きていたからこそ、心に深く想い出が刻まれているのだと思います。

 二人のことをほんの少しだけ紹介してみましょう。
  まず、M.Y子先生は、世界遺産の五箇山地方の出身です。少女時代は、学校へ行く前に軽く草刈りの一仕事。学校から帰ってからは、子守や夕食の支度などが日々の日課だったそうです。米作りと養蚕もやっていたため、桑の葉の取り入れから、田んぼの草とりから、農作業の手伝いは膨大だったそうです。
 「それでよくK大に合格できましたね。」と言うと、
 「世の中のすべての人が、そういう生活をしているものと、長い間思っていました。」でした。彼女にとっては、ごく普通の生活だったようです。
 大学時代の彼女は演劇部で活躍。その後、愛する先輩の後を追って京都府に就職。
 遠距離恋愛を実らせて結婚。ご主人は、高校の先生だったそうですが、定年退職後、請われて市会議員に。現在2期目に入っているそうです。家事に、合唱団に、諸活動に、持ち前の体力と精神力で忙しくしているようです。

  U.K郎先生は九州男児。九州のK大卒業。私などは、レールの上をただ平凡に走りたがる人間ですが、彼の場合は少し波乱に富んでいるようです。
 その後、しばらくして教師を退職。上を目ざして大学院へと進学。卒業後、まだネットビジネスが世間で広がる前に、ネットのプラットホーム作りを手がけたり、不動産に係わったり、いろいろやったそうです。数千万円の損を被ったこともあるとか。ネットビジネスに成功していれば、億万長者になったかも…。その後は、大阪の某有名進学校の英語教師として勤務。昨年退職を迎えたそうです。いつも前向きな彼は、まだまだこれから、人生を冒険していきそうです。

  「それじゃあ、また。」・・・二人とは、京都駅の雑踏の中で別れました。
  別れた後、言い知れぬ寂しさが湧いてきて、あの頃の想い出をたどりながら、雑踏の中を歩きました。
 半世紀近い時間を超えて、三人が心の中に共有していたものは何なのでしょうか。
 ひたむきな希望のようなもの。情熱のようなもの。時代の風のようなもの。それは、決して言葉では語ることのできない何かです。
  ・・・さよなら。また、いつかどこかで・・・・。
           ******
  「私はもう長くは生きられない。なつかしい人に再会し、お別れの言葉を言おう。」これが、今の私の目標です。
 人は記憶を失えば、自分が何者であるかさえ解らなくなってしまいます。つまり、自分の人生とは、自分自身の想い出の連鎖なのです。なつかしい想い出の人に再会するということは、その頃の自分の人生に再会するということです。
人生の節目で出会った人と再会し、想い出を語り合い、過ぎ去った自分自身の人生を再確認し、そして二度と帰らぬ日々に別れを告げていこうというわけです。
 話をしたい人はたくさんいるのですが、少々体調が思うようにいかないです。
                  では。 また。

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2017年5月30日 (火)

フクシマ6年後 消されゆく被害 感想

 Fukushima
  日野行介、尾松亮共著「フクシマ6年後 消されゆく被害」~歪められたチェルノブイリ・データ~ (人文書院)を読みましたので、感想を書かせていただきます。
  著者の日野行介氏は、毎日新聞記者。
  尾松亮氏は、関西学院大学災害復興制度研究所研究員。

 安倍首相がオリンピック招致演説で、「フクシマはアンダーコントロール」と演説しました。多くの国民は、アレッ?と思ったと思います。立ち並ぶタンクのあちこちから汚染水が漏れ、山側から流れ込む地下水は止められず、それが汚染水となって海側に流れ出している状態は今も続いています。日本国民は、オリンピックのために世界に向かって嘘をついたことになります。

 多くの文化人や科学者、評論家が、原発の安全神話を当たり前のように語っていました。原発事故が起こり誰かが責任を取ったでしょうか? 
 第一義的責任を負うべき東京電力は生き残り、20数兆円ともいわれる廃炉費用は、全国民が税金と電気代で支払う仕組みも作られました。

 除染が進み避難指示の解除が行われています。しかし、国民の年間許容被爆線量は1mSvですが、解除地域は20mSvとなっています。この数値は、安心して暮らせる基準として設定されたものではなく、本来、緊急避難をすべき基準として決められたはずのものです。空間線量が20mSvであっても、到るところにホットスポットと呼ばれる高線量の地点もあります。いつのまにか、緊急避難基準が安全・安心基準になっているのです。
 避難解除された地域の住民への支援は打ち切られ、地域へ帰れば、他の国民とは違った、避難基準の場所での生活を強いられます。これに従わない住民は「自主避難者」となるわけです。「自主避難者」は、自らには何の責任が無いにもかかわらず、補償もなく避難を続けるか、不安を抱きながらも生活環境の整わない自宅へ帰るかの選択を迫られているのです。
 先日、今村雅弘復興大臣が、自主避難者の避難行動は「自己責任」であるとの見解を示しました。その背後にある考えは、政府が科学者の知見を取り入れ設定した安全基準を受け入れない「自主避難者」は、放射能に対して科学的に無知であるか、ワガママであるというものです。だから支援の必要はないと…。
 「自主避難者」の子どもがいじめにあう事件も報道されています。
 復興庁の水野靖久参事官は、ツイッター上で原発の問題を追及する市民団体を「 左翼のクソども」と暴言を吐き辞任しました。風評被害は国民の放射能に対する無知からきていて、それを「左翼のクソ」どもが煽り立てているというわけです。
   原発問題については、忘却と再稼働が進む背後で、ドロドロとした混乱状態が続いています。放射性廃棄物の処理についても、トイレのないマンション状態です。

 前置きが長くなりました。この本の内容を部分的ですが紹介してみます。

 第1章、著者の日野氏は、子供を連れて「自主避難」している母親たちを取材し、周囲からの厳しい反応を報告します。「勝手に逃げたのに賠償をもらった」ずるい人、ありもしない不安にさいなまれた「頭のおかしな人」のように見られ、学校では子供がいじめられる事例も発生しています。自主避難を隠して生活している人も多くいると……。
 健康への影響を心配して、母親が子供を連れて避難するのは普通のことなのに、そういう人は守られなくていいのか?。国は、早々と住宅支援の打ち切りを決めています。「もう5年も経ったんでしょ」と、周囲の視線の冷たさは増しているとのことです。

 第2章では、福島県で行われてきた県民健康調査の甲状腺検査について問題点が指摘されています。
 福島県では、県内に住んでいた18歳までの子ども38万人を対象に、甲状腺の検査が行われています。15年3月時点で112人が甲状腺癌とされました。これは、通常の罹患統計からすると、数十倍の多さであるといいます。しかし、県民調査検討委員会は、「放射線の影響は考えにくい」と報告しています。その論拠として出されるのが、「チェルノブイリ」ではどうだったかという知見です。
 ①チェルノブイリでは、4~5年後に甲状腺ガンが増加した。
  →したがって、今まで福島でみつかった甲状腺ガンは事故との因果関係はない。
 ②チェルノブイリでは、事故時5歳以下の層に甲状腺ガンが多発した。
  →福島では5歳以下の層に増加はないので、チェルノブイリとは違っている。
  ③チェルノブイリに比べ、福島は被爆線量がはるかに少ない。
  →したがって、福島での甲状腺ガンの増加は考えにくい。

 福島原発の事故の影響を否定する人たちがいつも重要な論拠としているのが、「チェルノブイリの知見」なのです。
 ロシア語に堪能な著者の尾松氏は、チェルノブイリ被災国のロシア語原文資料に直接あたります。「ウクライナ政府報告書」だけではなく、まだ翻訳されていない「ロシア政府報告書」にもあたり、福島の検討委員会が提示する説明は正確ではないことを明らかにします。
   ①チェルノブイリでは、4~5年後に甲状腺ガンが増加した。
     →翌年から増加をしている。
   ②チェルノブイリでは、事故時5歳以下の層に甲状腺ガンが多発した。
   →事故時5歳以下の層に甲状腺ガンが多発するのは、10歳後半になってから。
 ③チェルノブイリに比べ、福島は被爆線量がはるかに少ない。  
     →チェルノブイリでは、被爆線量が少ない地域でも甲状腺ガンが増加している。
 このように、チェルノブイリの知見が、都合よくねじ曲げられ、一部が隠されているのです。

 このあと、この本は、第3章 日本版チェルノブイリ法はいかに潰されたか/第4章 闇に葬られた被害報告/ 第5章 チェルノブイリから日本はどう見えるのか/ となっていますが、スペースが無くなりました。
 「民主主義は、国民による意思決定への参加を保障することで成り立つ。その意志決定の前提となる情報が、いびつに歪められた社会では、民主主義はあり得ない。原発事故は民主主義の問題である。」 著者たちの熱い訴えが新鮮です。
 日本にとって原発問題は、逃れられない課題ですね。 お薦めします。

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2017年5月26日 (金)

二十四節気「小満」・風

 5月21日は、二十四節気の「小満」でした。今年も「小満」の頃は、良い天気が続き、空は晴れて心地よい風が吹いていました。木々は緑の若葉を広げ、初夏の風は若葉を揺らしながら吹き抜けていきます。五月はやはり、「風」を感じる季節ですね。
 初夏の風を表した「風の名前」も多いです。風を楽しんだ古の人に乾杯です。
  「青嵐」。 「薫風」。 「新樹風」。 「若葉風」。
  「青東風(あおこち)」。「菖蒲東風(しょうぶこち)」。「落梅風」。
  「麦嵐」(麦秋の頃の風)。「ながし」。(初夏の長雨の頃吹く南よりの風。)

 初夏の風を、実に爽やかに歌った詩を一つ紹介しましょう。

     ~♪ かぜとなりたや はつなつの
     かぜとなりたや かのひとの
          まえにはだかり かのひとの
          うしろよりふく はつなつの
          はつなつの かぜとなりたや      ♪~

 「 かぜとなりたや はつなつの かぜとなりたや…」。爽やかな緑の風になって…。かの人のまわりを吹く、ちょっといたずらな風になって……。ほんとうに初夏の風になって、爽やかに吹き渡っていきたくなりますね。 お気に入りの詩。
 この詩は、詩人で版画家の川上澄生氏の「初夏の風」という木版画に彫られている作品ということです。棟方志功氏は、この作品をみて版画家を志したとか…。

 中原中也さんも風のでてくる詩を書いています。彼がこんな詩を書いていたと思うと、ちょっと安心しますね。ちょっとだけ…。
                                 (未発表詩篇/早大ノート)
  ~♪ 吹く風を心の友と             
     口笛に心まぎらわし
          私がげんげ田を歩いていた十五の春は
     煙のように、野羊(やぎ)のように、パルプのように、

     とんで行って、もう今頃は、
     どこか遠い別の世界で花咲いているであろうか
     耳を澄ますと
     げんげの色のようにはじらいながら遠くに聞こえる
     ・・・・・
     それが何処か?――とにかく僕に其処(そこ)へゆけたらなあ……
     心一杯に懺悔して、
     恕(ゆる)されたという気持の中に、再び生きて、
     僕は努力家になろうと思うんだ――         ♪~

「…僕は努力家になろうと思うんだ…」。15歳の頃の中也さんは、短歌を作ったり、弁論大会に出場したり……。 次の年には、落第、転校……。
 季節に風があるように、人生にもいろいろな風がありますね。

 今の時期、木津川土手の風景の中で、一番風を感じさせる植物といえば、「茅花(つばな)」です。風に吹かれるままに、飄々と揺れる白い穂は、何か漂泊感を感じます。
 では、「小満」の頃の木津川土手へ散歩へ行きましょう。風をいっぱいに感じながら……。ただし、パソコン上でですが……。
  ★2015年の「小満」へのリンク →  こちら
    ボブディランの「風に吹かれて」や種田山頭火の歌も出てきます。
  ★2014年の「小満」へのリンク →  こちら
        夕日に輝く茅花が見られます。
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   今の時期、土手で見逃せないのは「ノビル」です。のんびりしているのか? のびのびしているのか? 何かとらえどころがないところがいいですね。こんなことを言うのは、必死で生きているノビル君に失礼か?
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   ノビルは、万葉の頃にはちょっとしたご馳走だったようですよ。
  ~♪ 醤酢(ひしはす)に 蒜(ヒル)搗き合てて 鯛願う 我にな見えそ 水葱(ナギ)の羹(あつもの) ♪~
   意味:酢味噌(すみそ)和えのノビルと、鯛を食べたいと思っているのに、ナギの汁なんか見せないで下さい!
 「時代が変われば価値も変わるんでしょうね? ノビル君。」 では、また。
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2017年5月22日 (月)

定期診察(131)・2回目の輸血

 今日はKS病院血液内科の定期診察でした。

  最近の症状ですが、骨の痛みはだんだん酷くなってきています。一日2錠だったロキソニンが3錠に近づいています。つまり1錠で12時間もたないです。
 貧血症状も相変わらずです。

 さて、診察結果です。
  ★ヘモグロビンはHb=6.6でした。
   前回より0.4増加です。しかし、息切れなどの貧血症状は酷くなっています。
      ということで、今回は2回目の輸血決定。

  ★膝や足、背中の骨が異常に痛み、38℃を超える発熱があることについては、
      やはり再度の骨髄検査が必要という判断に。次回の予定ですが、その前に
   白血病のマーカー検査(?)をしてから判断するとのことです。
   検査の説明がありましたが、記憶が定かでないです。     記憶力低下?
    「T2??・・タンパク質の量を調べる?・・・・検査。・・・?」
      貧血は認知症を引き起こす? あり得るかも?  最近、言葉が出てこない!

    ★血小板数は、いよいよ一桁の9万/μlに減少です。

  ★貧血がひどいので、ジャカビは一日1錠です。

 中央処置室という部屋で輸血を受けたのですが、輸血や点滴のためにやって来る患者の声、看護師さんの指示する声、器具の音。何か夢の中にいるようで、騒音を子守歌に少し寝られました。軽くて小さい本を用意していましたが、今回も無駄になりました。
                        では。また。

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2017年5月20日 (土)

二十四節気「小満」2017

 5月21日は、二十四節気の一つ「小満」です。初夏のまぶしい光があふれ、生き物たちの命が輝く季節となりました。ついこの前まで寒い風が吹いていたような気がするのに、もう季節はどんどん進んでいるのですね。

 体調が悪くて散歩に出られない私は、初夏の木津川土手に思いを馳せています。
 土手の榎の巨木も、きっと今頃は、緑の葉をいっぱいに広げ、涼しい影をつくっているだろうなと…。この巨木のことを思うと、いろいろな想いが湧き上がってきます。
 最初にこの巨木に出会ったのはいつのことだったか? 木と空と雲が対話していることを知ったのはいつのことだったか? 何故私は、老いることを嘆き、病を恐れ、あくせくと日々を生きているのか? いろいろ思いは尽きないです。

  詩人の長田弘さんは、巨木のでてくる詩をいくつか書いておられます。
 ~♪ ひときわ枝々をゆたかにひろげて、やわらかな影を落としてきた一本の大きな欅の木。……うつくしい樹冠をもつ、孤高の木。……
 たった一本、これほどにも高い欅の木がそこに在るという、ただそれだけの爽快な事実。ただ在るというだけのことが、その木のように潔く存在することであると知ることは、日々のなぐさめだ。……  ♪~   (独り立つ木)

 ~♪ ……生きるとは時間をかけて生きることだ。人はどうして、森の外で、いつも時間がないというふうにばかり生きようとするのか。古い森の奥の大きな樟の木の老人は何も言わず、ただ黙って、そこにじっと立っていた。♪~   (森の奥の楠の木)

 では、初夏の木津川土手の大榎に会いに行きましょう。そして、無言で語り合いましょう。巨木と空と雲と……。   ただし、パソコン上でですが……。
   2016年の「小満」後半へのリンクは → こちら 
      2015年の「小満」続きへのリンクは → こちら 
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  今の時期の土手は、植物たちがあふれています。ネズミムギの穂が初夏の風に揺れ、あふれる光を乱反射してキラキラと輝いています。実りを終えたカラスムギの白い穂が揺れています。間もなく麦秋と呼ばれる時期です。
 アカツメグサ、ミヤコグサ、ニワゼキショウ、ヒメコバンソウ。土手の斜面は、野の草が花盛りです。
 土手下の茶畑では、茶摘みが真っ盛りです。茶摘みの人が土手をゆきます。
 ああ、ほんとに良い季節になりました。
 そんな木津川土手に出かけましょう。 ただし、パソコン上ですが……。
      2016年の「小満」へのリンクは → こちら
      2013年の「小満」へのリンクは → こちら 
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2017年5月17日 (水)

平田雅博(著)・英語の帝国 感想

  平田雅博(著)・「英語の帝国」~ある島国の言語の1500年史 ~(講談社選書)~を読みましたので、紹介させていただきます。平田雅博氏は、青山学院大学史学科教授。
 この本は、イングランド島という一島国の言語に過ぎなかった「英語」が、現在のような世界支配を確立していく1500年の歴史を検証しています。そして今、日本で起こっている「英語熱」、小学校での英語教科化や低年齢化などに警鐘を鳴らしています。
 現代日本の英語教育をかんがえる時、この本は必読と言えそうです。

Ujit01 「英語の帝国」は、中世イングランドによる、スコットランド、ウェールズ、アイルランドの侵略に始まります。これらのブリテン諸島の国々を支配下に置き、イングランド帝国が出来上がりました。
 さらに近代に入りイングランド帝国は、「ブリテン帝国」(大英帝国)として世界的に帝国を建設していきました。これとともに、「英語の帝国」は拡大していきました。
 その拡大は、左の図のようになります。(クリックすると拡大します。)
 まず、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなど、「母語としての英語」を話している人々が中核となります。
 さらに、植民地の拡大競争によりインド、アフリカなど、大英帝国やアメリカに植民地化された国々へと英語は広がっていきます。図の「外郭の円」。
 さらに十九世紀以後は、「非公式帝国」としてラテンアメリカ、中東、そして日本を含む極東にまでその支配圏が広がっていきました。図の「膨張する円」。

 「英語の帝国」は勢力を拡大していく過程で、支配拡大のための様々な原理(戦略)を獲得していきます。その一つは、使用言語の違いを利用した分断支配です。
 まず、上からの英語押しつけ政策で、英語話者に経済的・社会的な優位性が与えられる仕組みを作ります。この仕組みが機能を始めれば、経済的ゆとりのある者は英語を学び有利な地位を得ていき、それができないものは不利な立場に追いやられ、格差社会は広がっていきます。社会的・経済的利益を得させようと親たちは、子どもには英語を獲得させようと必死になっていきます。
「上からの強制」と「下からの迎合」により、植民地的言語支配が進んでいくのです。

 例えば、ウェールズは16世紀の「連合法」により、イングランドに併合されます。この連合法の中には言語条項があり、行政的に英語の使用が義務づけられ、英語に習熟していないものは官職に就けなくなったのです。ジェントリ(地主階級)の師弟は、イングランドで英語を学び社会的地位を獲得していきました。一方ウェールズ語は、地方の小作人の言語として緩やかに衰退をたどっていくことになるのです。

 19世紀の「帝国主義」の拡大により、英語は教育システムとして、「帝国支配」の言語として広がっていきました。支配者側(宗主国側)からの「強制」と、被支配者側からの「迎合」という原理は、ここでも活用されました。
 インドでは、公的な使用言語がペルシャ語から英語に置き換わり、インド人が政府ポストに就くときは、英語教育を受けた者の優先が決められました。さらに主要な都市に国立大学が作られ、英語で授業がおこなわれたため、英語教育は進みました。
 ガンジーは、「英語は、教養層と大衆を隔てる深い溝であり、インドの国民語になり得ない。」と、英語反対論をとなえましたが、しかし、子どもの将来を考え就職を有利にしようとする親たちが多数派でした。2003年時点で、英語が自由に話せるインド人は、5000万人に達しています。

 アフリカでは、「アフリカ人は英語を必要としている」として、一方的、暴力的に英語の押しつけが進行しました。スワヒリ語や多数の現地語は「近代的な、抽象的な思考」を表現できないと見なされ、教育機関から追放されていきました。
 1961年にウガンダのマケレレで、「第二言語としての英語教育」についてのブリテン連邦会議が開かれました。この会議をまとめた報告書が、「マケレレ報告」です。この報告の中で注目されるのが、次のような「信条」です。

 ①英語は英語で教えるのがもっともよい。
 ②理想的な英語教師は英語を母語とする話者である。
 ③英語学習の開始は早いにこしたことはない。
 ④英語に接する時間は長いにこしたことはない。
 ⑤英語以外の言語の使用は英語の水準を低下させる。
 
 これらの信条は、第ニ外国語を学習するための教育的理論から生み出されたものではなく、英語を一方的に押しつけるために「英語の帝国」の歴史が生み出した「前理論」であるといいます。これらの信条は、教育的な理論的背景が明確でないまま、当然のことのように言われ、現在の日本でも英語学習の低年齢化の根拠となっています。

  最後は、膨張する円の中にいる日本の英語教育についてです。
  文部科学省は、2014年に有識者会議を設置し、「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」を作成しました。この計画に基づいて、今年2017年3月、新指導要領が告示されました。
 小学3.4年生で、「聞く・話す」を中心に週一時間の体験的学習、5.6年生には、週二時間の「読み・書き」を加えた教科としての学習が入ります。
 中学校では、英語の授業は英語でおこなうことを「基本」とするとしています。
 これらはまさに、「マケレレ報告」の日本適用版ともいえます。

 著者は、現代の英語帝国主義は、アメリカが主導する帝国主義であると述べています。アメリカが主導する「新自由主義」による「グローバル化」が世界を覆い、これに呼応して日本の財界は「英語教育改革」を唱えて、「グローバル化」=「アメリカ化」に都合のよい日本人=「グローバル人材」の育成を目ざしていると…。
 この「グローバル人材」を育てるための教育改革は、膨大な予算を伴う国家プロジェクトです。限られた授業時間と予算の中で、小学校に英語を導入することが、本当に経済的に意味のあることなのか国民的議論が必要です。現代日本の「英語熱」は異常であり、日本人は、早く目を覚ますべきであると著者は警告しています。
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 小学校への英語導入については、反対の学者も多くいます。愛知県立大の袖川裕美氏は、小学の年間35~70時間程度の英語なら、大人になれば短期間にマスターできると言います。外国語が母語以上になることはあり得ず、国語力が低いままでは、英語も使えなくなります。国語の作文の時間を増やす方が大切であると主張しています。
 国民的議論が必要な問題であることは確かですね。 

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