2017年11月16日 (木)

残り柿の風景

 先日、宇治田原へ柿の撮影に行ってきました。胆石手術の後、病気の進行もあって体調が悪く貧血も進行して、起伏のある茶畑に撮影に行くのは2年ぶりのことです。
 2年間の変化は驚くべきものでした。いたる所で工事が行われていて、風景が変わっているところがありました。僅か2年というのに変化は大きいです。

 先ずは湯屋谷の茶畑。壊れかけた農機具小屋は、前と変わらず残っていました。
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  この茶畑で作業されていた女性に写真を撮らせていただき、写真をプレゼントしたことがありました。その後、ご主人を病気で亡くされたと聞きましたが、茶畑が維持されているところをみると、元気で仕事を続けられていることと思います。
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  茶畑は広いです。さらに茶畑の奥へと進みます。茶畑と柿の風景が続いています。
これらの柿はすべて渋柿です。渋を抽出して、お茶を包装する紙を強くするために利用していた、という話を聞いたことがあります。 真偽のほどは?

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  茶畑の一番高いところにやって来ました。少し息が切れます。
谷筋の向こう側の茶畑も見えます。山は紅葉が始まっています。
針葉樹の緑と広葉樹の黄葉のコントラストが美しいです。

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  湯屋谷を出て、高尾というところに向かいます。
途中の道端で、逆光に輝く柿を見つけました。紅葉している木もありました。

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  ~♪ふるさとの 秋ふかみかも柿赤き 山べ川のべ わが眼には見ゆ♪~
 これは、歌人古泉千樫の歌です。私のお気に入りの歌です。
 柿の実は、何故かふるさとを思い出します。
 かって多くの人が、故郷を離れて都市部へと旅立ってゆきました。その心の中には、故郷の風景が刻まれています。それは、秋になればすすきの穂がなびき、赤い柿の実が陽の光に輝いている風景ですね。
  高尾のすすきと柿の木の風景です。

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  自分が生きてきた半世紀を超える時間の流れの中でみたとき、その変化は途方もなく大きなものです。自分が子ども時代を過ごしたふるさとの風景は、もはや何処にもない風景かも知れません。目を閉じてしか見ることのできない風景です。

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  高田敏子という詩人も柿の実とふるさとを歌っいます。

~♪「柿の実」
枝に光る柿の実に
私のふるさとがある
遠い日の記憶の中にあるやさしい村
  ………
二階の窓にもたれて立って
夕日に光る柿の実を見ていると
峠のむこうのふるさとが浮かんでくる
 ………
縁に座っている 祖父母
その隣には
祖母が座り
母が座っていて
 ………
みんな静かな笑みをこちらに向けて
私を待っていてくれる
座布団の上に
柿の実が一つ
光っているのが よく見える ♪~

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  柿の木のある風景は、日本の田舎の原風景です。いつの時代から、柿の木が植えられるようになったのでしょうか?
 柿の種は、縄文の遺跡からも発掘されているようです。しかし、万葉集に柿の歌はありません。枕草子にも登場しません。
 それは、鎌倉時代だと言われています。突然変異で甘柿が登場したのが鎌倉時代、それから品種改良がくり返され、現在にいたったそうです。

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  紅葉もしだいに本格的になってきました。車から降りて、直ぐ撮影出来るような場所なら、貧血の私でも行けそうな気がします。探してみます。  では。また。
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2017年11月13日 (月)

定期診察(142)・判決を待つ気分

 今日はKS病院血液内科の定期診察でした。
寒く冷え込んだ朝でした。駅の階段で息が切れて、立ち止まりました。電車の中では、風邪をひいていると思われる人も多かったように思います。

 さて、最近の症状ですが…。
☆貧血症状は、一段と進みました。かなりきつくなってきました。
 なぜか手や足の先がもの凄く冷たいです。

☆ロキソニンは、一日2錠です。ロキソニンは、16時間で効果が切れ、痛みと熱がどんどん進んでいきます。何か怖いくらいに…。自分はまちがいなく病気なのだ、という自覚を高める効果は、おおいにあります。十分自覚はしていますが…。
  胃の調子は悪いです。

☆脇腹の膨満感など、その他の症状は続いてます。寝汗も気持ちが悪いです。
 免疫力が落ちているせいか、しばしばヘルペスが…。

 さて、診察結果です。
★ヘモグロビンはHb=6.9。 予想通り輸血です。

★血小板は9万/μl。血小板減少症の領域ギリギリの横ばいです。

★ジャカビは引き続き一日に2錠が続きます。
  腎機能の数値が、前回よりもまた少し悪くなりました。嫌ですね~。

★診察の最後に、「次回にまた、白血病のマーカー検査を入れます。」と一言。
 判決を待つ気分で、これから2週間を過ごします。

 きのうの夜に寝られなかったせいか、輸血中に少し寝られました。
中央処置室は忙しそうでしたが、看護師さんたちの指示や会話や器具の音が、子守歌のように聞こえていました。 申し訳ないです。
 人様の血にたよって生きていくことに、罪悪感のようなものを感じるのは、私だけでしょうか?    では。また。

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2017年11月 9日 (木)

二十四節気「立冬」2017

 11月7日は、二十四節気の「立冬」でした。暦の上ではもう冬ですね。
風も少し冷たさを増してきて、初冬の日だまりで想い出にひたるのもいいですね。

  ~♪…冬が来る前に   もう一度 あの人とめぐり逢いたい♪~

  この曲は、 「紙ふうせん」というグループが40年前に発表した曲です。終わった夏の恋を歌っているようですね。今の時期には、ピッタリな名曲かと…。
この曲を聴きたい方は、 → こちら
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  あなたには、冬が来る前に逢いたい人はいますか?
私にはあります。私はその人に会うために、いつも木津川土手に出掛けるのです。

~♪「立冬の日に」
暦が冬を知らせた日
街路樹は色を変え葉を散らしている
野焼きの煙の中に無言の藁地蔵が立ちならび
畦道の野菊は最後の時をむかえている
私は今日も木津川の土手へと急ぐ
 
土手の坂道を登れば
空が大きく広がり私を迎えてくれる
土手の上に立てば北には比叡の山並み
田んぼでは冬支度をする人々の営み
冬の陽ざしはなぜか優しい

私は大切な人と会うためこの土手に来る
僅かに色を変える大榎の下に彼はいる
彼はいつものように語り始める
風景は時間の流れの中で
止めようもなくうつろっていく
本当に美しい風景は目を閉じて見るものだと

冬が始まった日  彼の目にした風景は
風になびく枯れススキ  欠けた夕月
遙かに渡っていく雁の影 

今は目を閉じても何も見えない 
風の音が聞こえるばかりだ
いつも無言で立ち去る彼は
私と同じ名前で呼ばれている    ♪~

 目を閉じてしか会えない彼。哀しみの中でしか会えない彼。
 止めようもなくうつろってゆく時間。その中に一人残される私…。
この詩に合わせて、彼と一緒に木津川土手を散歩したい方は、
二十四節気「立冬」2014へどうぞ → こちら

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  土手の上には青い空が広がり、コブシの木から赤い実が旅立とうとしています。
 ガマの穂の種子たちが、風に乗り盛んに旅立ちを始めています。

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  夕焼けはいつの季節でも美しいものですが、今の時期の夕焼けは、夏の夕焼けとは一味違う美しさです。
 オギの白い穂は赤く染まり、炎のように風に揺れています。誰かに別れを告げているかのように…。
 高田敏子さんの詩が頭をよぎります。

~♪「すすきの原」
さようなら さようなら
すすきの穂のくり返す
さようなら
 ………
私のまわりから いつとはなしに
時の流れのなかに
去っていった人たちのことがおもわれる
すすきの原  ♪~

 私もまた、時の流れのなかに去っていかねばなりません。すべての想い出を抱き、すすきの穂がさよならをくり返すなかを……。
 初冬のほんのり温かな陽ざしのなかを散歩したい方、または夕日に輝くオギを眺めたい方は、二十四節気「立冬」2016後編へどうぞ → こちら

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  田んぼ道に貼りつくように広がるイヌタデ。嘗ては「赤まんま」と呼ばれ、子どもたちに愛された花。今は余命少ない老人の感傷花。
  さらに、初冬の木津川土手周辺を散歩したい方は、
二十四節気「立冬」2016前編へどうぞ → こちら

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2017年11月 6日 (月)

憲法改定にどう向き合うか②

「憲法改定にどう向き合うか①」の続きです。 ①は→ こちら
  戦後史を俯瞰しながら、自衛隊の指揮権問題を中心に戦後史をみていきます。

 【自衛隊の指揮権~旧安保体制下では】
 朝鮮戦争下、サンフランシスコ講和条約が結ばれ日本は独立します。しかし、ほぼ同時に、旧安保条約が締結され、アメリカの占領的状態が継続されました。
 アメリカは、後方支援のため再軍備を要請し、警察予備隊が結成され、これが後に自衛隊となります。
  旧安保条約に基づき、アメリカ軍の日本における地位を定めた『日米行政協定』の交渉が行われます。アメリカ側の示した『日米行政協定』原案の第14条では、「日本の軍隊はアメリカ軍の指揮下に入る」となっていました。交渉に当たった岡崎官房長官(後の外務大臣)は、「これでは国民の反発があり政権がもたない。条文には現れないような形にして欲しい」と要求し、出来上がったのが『日米行政協定』第24条です。

 行政協定24条:『…急迫した脅威が生じた場合には、…必要な共同処置をとり…直ちに協議しなければならない。』

  「共同処置をとり直ちに協議する」までの部分を条文化し、「アメリカ軍の指揮下に入る」という部分は密約という形で合意しました。いわゆる指揮権密約です。
 指揮権を具体化する組織として、第26条で定められた日米合同委員会が位置づけられました。結局、次のように表すことが出来ます。
 『日米行政協定24条』+『密約』+『日米合同委員会』=『有事の時、自衛隊はアメリカ軍の指揮下に入る』

  【自衛隊の指揮権~新安保条約下では】
  1960年に安保条約の改定が行われました。指揮権密約はどうなったのでしょうか。
 国民から非難を受けた『日米行政協定』第24条は削除されますが、ほぼ同じ内容で新安保条約の第4条に受け継がれ、さらに軍事力の増強を定めた第3条、共同作戦を義務づけた第5条などがあいまって、さらに強化されました。
 日米安保協議委員会(SCC)が組織され、その下部組織としていくつかの組織が作られ、アメリカ軍と自衛隊幹部による直接的、具体的な協議が非公開で行われる体制も出来上がりました。日米防衛協力小委員会(SDC)、日米安保運用協議会(SCG)などです。
 '60年の安保条約の改定は、国民から大きな批判を招き、「安保反対闘争」が全国的に展開されました。

 【日米ガイドライン】
  ★1978年に日米防衛協力小委員会(SDC)で、日米防衛協力のための指針(第1次日米ガイドライン)が決定されました。
 自衛隊とアメリカ軍は、調整機関を通して緊密に連携し、日本とその周辺で作戦行動を執るとする内容です。調整機関とは実質在日米軍司令部です。
 作戦領域は日本領土から周辺(極東)へと広がりました。
 鈴木・レーガン共同声明では、「1000海里・シーレーン防衛」が明記されました。
  中曽根総理の「不沈空母」発言は1983年のことです。

 ★1997年に、第2次ガイドラインが決定されました。
 日米防衛協力ガイドラインとは、アメリカ太平洋軍と自衛隊との協議で決められたもので、国会で論議され決まったものではありません。国民からみれは密室協議です。シビリアンコントロールという点からも重大な問題です。
 この第2次ガイドラインに沿って、「周辺事態法」が成立しました。自衛隊の活動領域の拡大が進みました。
 アフガン紛争、イラク戦争中、燃料補給や米軍輸送のために、自衛隊は、海上給油やイラク派遣を行いました。
 横田基地に自衛隊航空総隊司令部が、キャンプ座間には、米陸軍第一軍司令部と自衛隊の中央即応集団司令部が移ってきて、司令部機能が一体化され、自衛隊と米軍の共同作戦体制が進みました。
 
 ★2015年に第3次ガイドラインが決定されました。
 このガイドラインでは、平時から緊急事態までのあらゆる段階で、自衛隊と米軍が協同することが確認されました。いわゆる「切れ目のない対応」。
 第3次ガイドラインの発表に続いて、国会では集団的自衛権を容認する「平和安全法」が強行採決されました。ガイドラインの方が先行し、国会決議がこれを追いかけるという、シビリアンコントロールに疑念を抱かされる事態になりました。
 同盟調整メカニズム(ACM)で、自衛隊とアメリカ軍の調整機関が設置され、事実上の日米統合司令部が発足しました。

  【私の結論】
 以上みてきたように、自衛隊は、『アメリカ軍の指揮下で作戦行動をする軍隊』という側面を持っていることが分かります。このような対米従属的な状態で自衛隊を戦力として憲法に位置づけることには、問題が多すぎます。
  「平和安全法」の廃止、「日米安保条約」と「日米地位協定」の改定が前提として必要であると考えます。私の結論は、(A)には×を投じます。
   *****
 自衛隊の指揮権についてだけみても、これだけの問題点があります。
 「日米地位協定」については、書くスペースが無くなりましたが、その異様さは、肌で感じられていることと思います。
 ・全国にたくさんの米軍基地が存在し、沖縄は基地の島となっている。
 ・日本の上空には、国内法の根拠が無いにも拘わらず、アメリカ軍の飛行管制空域が広がっている。(沖縄空域、岩国空域、首都圏の横田空域など)
 ・在日米軍駐留関係の日本負担経費は、6千億円を超えている。
 ・先日、ヘリが墜落したが、日本の警察や消防は手出しも出来ず、墜落原因も究明されず、同型ヘリの飛行停止は直ぐに解除されてしまった。
  ・事故率の高いオスプレイが、日本上空7つのルートで、日本の航空法を無視して低空飛行訓練をしていると思われるのに、抗議もしないし、止めさせることも出来ない。

  あ~~、もう書き出したらキリがありませんね。日本の主権はどうなっているのでしょうか。
 北朝鮮に対してアメリカが軍事行動をとれば、自衛隊も協同で行動することになります。ならず者国家の北朝鮮が、日本を核攻撃する可能性さえあります。東京が攻撃されれば、100万人の人が死ぬという試算も出されています。こんな危険を冒してまで、アメリカに追随するのは、ちょっと御免です。
 穴の空いた「核の傘」から自立して、アメリカに頼らない日本独自の安全保障を追求する必要がありますね。
 核兵器禁止条約にも早く署名して欲しいものです。
 以上、私の勝手な意見を書きました。 では。また。

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2017年11月 5日 (日)

憲法改定にどう向き合うか①

 先日の『48回衆議院選挙にあたって』という記事で、憲法改定と海外派兵は、アメリカの首尾一貫した要求であること、民進党の分裂は憲法改定をめぐる問題であることを戦後史を振り返りながら書きました。
  『48回衆議院選挙にあたって』は、→ こちら です。

  今回の選挙で自民党は大勝しました。当然のことながら、間もなく、国民は憲法改定に直面することになります。国の進路を決める重大な問題であり、国民一人一人が、しっかりと自分の意見を持つべき時が来たのだと思います。
 以下、一国民である私の意見を書いてみます。

 【改定の焦点は9条】
 憲法改定の項目として、教育の無償化や解散権の制約、個人情報の保護など様々な問題が提起されています。しかし、これらの問題は本質的な問題ではありません。
  例えば、教育の無償化という問題について言えば、現憲法はそれを禁止してはいません。憲法改正しなくても、無償化の法律を作れば出来ます。国会の3分の2を占める勢力が、やる気を出せば出来ることです。今、教育無償化が進まないのは、やる気がないだけです。憲法に書き込んでも、予算化されなければ実現しません。解散権の制限など、他の項目についても同じ事が言えます。(ただし、緊急事態条項は危険な意味を持ちます)
 あくまでも9条をどうするか、自衛隊を憲法に書き込むかどうかが、今回の核心的問題なのです。問題の焦点を見失ってはいけません。
 マスコミは、あれこれと争点らしきものを並べて、争点を曖昧にするのはいつものことです。

  【自衛隊は国民から認知されている】
 自衛隊は災害派遣などで成果を上げ、この点では、ほとんどの国民からは評価されています。PKO派遣で一定の役割を果たしているという評価もあります。自衛隊の存在は、今や多くの国民から認知されています。
 現在の政党の中で、自衛隊の即時廃止を主張する政党はありません。
 今問われているのは、自衛隊を廃止するかどうかではありません。憲法上にどう位置づけるかの問題です。

 【戦後史における現在の到達点】
 『48回衆議院選挙にあたって』で書いたように、自衛隊は、朝鮮戦争下という状況の中でアメリカの要請により誕生しました。その後の東西冷戦の中で、共産圏と対峙するものとして存在しました。東西冷戦終了後は、アメリカの世界戦略の中に位置づけられ、アメリカからは憲法改定と海外派兵を求め続けられました。そして、2015年、日米同盟を進めるために、憲法の枠組みを乗り越える「平和安全法」が成立しました。

  【国民の選択肢は三つ】
 現時点で日本の置かれた状況を考えると、国民の前に示された選択肢は、論理的に考えると三つしかないことが分かります。
(A):『9条2項を削除し、自衛隊を戦力として位置づける』
 集団的自衛権を容認した「平和安全法」は合憲とする人、日米同盟を外交の基軸だと考える人は、この(A)を選択することになります。
 政党で言えば、自民党、公明党、維新の党、希望の党ということになります。
  2項を残したまま、3項に自衛隊を加憲するのは、国民の支持を得るための一時しのぎで、2項との矛盾が生じます。遠くない時期に2項を削除することになります。

 (B):『自衛隊を海外派兵をしない専守防衛の戦力として位置づける』
 専守防衛の自衛隊は合憲であるという人、対米従属に反対の人、「平和安全法」は違憲であるとする人、安全保障のためには何らかの戦力は必要と考える人は、この(B)を選択する事になります。護憲的改憲派と言うべき立場です。
  現在、この方向を明確に打ち出している政党はありません。
 立憲民主党は、「平和安全法を廃止し、明確に専守防衛を保障する改憲もあり得る」と言っているので、この(B)に最も近いかもしれません。
 共産党も「当面自衛隊は保持するものの、将来的には国民の合意で決める」と言っているので、国民的合意で(B)に変化する可能性はあります。

 (C):『自衛隊は専守防衛の枠内に留め、当面は現憲法を維持する。』
 9条は、アメリカからの海外派兵要請を拒み、敵地攻撃力などの兵力の拡大に歯止めをかける役割を果たしてきたことを評価して、当面は現在の憲法を維持しようと考える人、「平和安全法」は違憲であるとする人は、この(C)を選択することになります。
 政党としては、社民党、共産党、立憲民主党ということになります。 

  【対立軸は(A)対(B+C)】
  間もなく予想される憲法改定発議は、国会の3分の2以上を占める(A)の立場からの発議です。(A)の立場からの憲法草案に賛成か反対かを問う国民投票です。
 したがって対立軸は、(A)対(B+C)になるわけです。
 護憲か改憲かは対立軸ではありません。(B)の意見の人は改憲ですが、(A)とは対立的位置にいます。あくまでも、(A)に対して、○か×が問われているのです。
 様々な意見が、マスコミを通じて錯綜する中で、対立軸を間違えると、教育無償化に賛成だから、(A)には○ということになったりします。
 また、(B)と(C)の意見の違いに焦点を当てて対立するのは、歴史の現局面を見失うことになります。アメリカに頼らない日本独自の安全保障を確立するのは、歴史的には次の段階での課題です。

  【自衛隊とは何かを考える】
  自衛隊を憲法に位置づけようというわけですから、現在の自衛隊をどのように考えるかが重要な問題です。
 次に戦後史を俯瞰しなが、自衛隊の指揮権問題を中心に戦後史をみていきます。
     この続きは、「憲法改定にどう向き合うか②」です。 ②は、→ こちら

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2017年11月 2日 (木)

二十四節気「霜降」・柿の実

 今は、二十四節気の霜降の時期です。間もなく紅葉も本格的になることと思います。
10月30日に近畿地方では、今年の木枯らし1号が吹きました。
 では、晩秋の風景を楽しみながら散歩しましょう。(ただしパソコン上で…)

 稲刈りが終わり、田んぼはすっかり土が露出しています。そこに藁束が地蔵のように立ち並んでいます。空は青く、白い雲が流れていきます。
 人はしばしば、雲と対話しながら、未来や過去に思いをめぐらせ、自分自身を見つめてきました。遙か古の清少納言さんも雲を見ていたのでしょうね。きっと。
 調べてみました…。 ありました!♪

~♪ 枕草子238段 「雲は白き」
雲は、白き。紫。黒きもをかし。 風吹くをりの天雲。
あけ離るるほどの黒き雲の、やうやう白うなりゆくもいとをかし。
朝にさる色とかや、文にも作りけり。
月のいと明かき面に、薄き雲あはれなり。 ♪~

  私は、ぽっかり浮かんだ白い雲が好きなのですが、清少納言さんは、黒雲や雨雲にも心惹かれています。宮中の難しい人間関係を巧みに乗り切っていた、やり手な女性だったのでしょうね。

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  柿も赤く色づいてきました。吉野弘さんの詩に柿の木を歌った詩があります。
~♪ 「夥しい数の」
夥しい数の柿の実が色づいて
痩せぎすな柿の木の華奢な枝を深く撓ませています
 ………
枝を撓ませている柿の実は
母親から持ち出せる限りを持ち出そうとしている子供のようです

能う限り奪って自立しようとする柿の実の重さが
限りなく与えようとして痩せた柿の木を撓ませています

晩秋の
赤味を帯びた午後の日差しに染められて ♪~

 痩せた親木。旅立とうとする、夥しい数の赤い実。命のリレーのドラマ。
 晩秋の傾きかけた陽ざしが見守っています。
晩秋の日の散歩をさらに続けたい方は、
二十四節気「霜降」2011へどうぞ → こちら

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  籾摺り機のある小屋の側には、大きな籾の山が出来ています。私はかってに、「籾富士」と名前をつけています。世間で一般的に通用しているかどうかは分かりません。
 籾殻に火がつけられて、煙があたりに立ちこめます。こんな場所で、晩秋の空気が作られているのですね。

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  晩秋の道を行く人も、どこか遠くを見ているような気がするのは、
私だけの感傷でしょうか?
 晩秋の風景をさら散歩したい方は、
二十四節気「霜降」2012へどうぞ → こちら

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  案山子、アキアカネ、藁地蔵、チカラシバ、ムクドリの群れ、すすき……。
下手くそな写真で申し訳ないですが、晩秋の風景をさら散歩したい方は、
二十四節気「霜降」2010へどうぞ → こちら

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2017年10月30日 (月)

定期診察(141)・来春の桜は?

 今日はKS病院血液内科の定期診察でした。
前回の診察は、台風の襲来で雨に降られ、今回は、辛くも台風が通過した後で、雨には降られませんでしたが、木枯らし1号に吹かれました。寒い一日でした。帰りの電車も、外国人観光客が多く混んでいました。

 さて、最近の症状ですが…。
☆貧血症状は少し進みました。二階に行く階段でほんの僅かですが、口で息をしてしまいます。輸血効果が少しずつ失われてきているようです。

☆発熱し骨が痛くなる症状は変わらずです。ロキソニン依存生活。

☆やはり、胃の調子は悪いです。酸っぱい感じがします。
  勝手な素人判断で、ロキソニンを半分に割って飲む作戦を実行しました。
 痛みを抑える効果が十分に得られず、中止しました。

☆脇腹の膨満感など、その他の症状は続いてます。悪夢も…。

 さて、診察結果です。
★ヘモグロビンはHb=7.3。 前回より0.2減少。輸血はなしです。

★血小板は9万/μl。血小板減少症の領域ギリギリの横ばいです。

★結果として、ジャカビは引き続き一日に2錠が続きます。
  腎機能の数値が少し悪くなっていますが、全体としては横ばいということです。

 今回は、直球の質問をしてみました。
 「来年の桜は見られますか?」
主治医は少し笑顔で、
 「それは、たぶん大丈夫です。まだ、白血病化は見られないです。白血病化が始まればカウントダウンですが……。」
 来春の桜は見られそうです。カウントダウンはいつ始まるんでしょうね。
 では。また。 2週間後に。

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2017年10月26日 (木)

二十四節気「霜降」・ひだまり

 今の時期は、二十四節気の「霜降」の頃です。
 吹く風にも少しずつ寒さが付け加わってきました。暖かい日溜まりで、想い出や郷愁にひたりたい気分になったりします。

~♪「日溜まり」 (高田敏子)
お日さまは
きょうも探しています
あたたかな日だまりを
どこに作ろうかと
 ………
配達の少年が すこしの間
自転車を休めて
ふるさとの空を思うところ

お日さまもお忙しい ……
こうした場所に日だまりを
たくさん作るために…… ♪~

 お日さま! 孤独な老人のためにも暖かい日だまりをお願いします。
私も、ふるさとの空を思ってぼんやりしたいです。
 日だまりでゆっくりと晩秋を楽しみたい方は、下手な写真で申し訳ないですが、
「霜降から立冬へ」2015追加へどうぞ → こちら

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  今年は、霜降の時季に台風がやって来て、大雨を降らせました。木津川に架かる流れ橋が流されました。23日の「霜降」の日の当日に、車で見に行ってきました。
 当分の間、この橋の勇姿ともお別れです。
 案山子さんの死亡事故。これも台風被害?

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  夜になり、ハタッと気付きました。虫の声がしない! 
 台風の長雨に、虫たちも最後を迎えたのかも知れません。

~♪「鎮魂歌」  (吉野弘)
死ぬことを強いる時間は
生きることを強いる横顔を持ち
タクトをとって休みなく
秋のあまたの虫たちを残酷なほど歌わせる。
 ………
強いられぬ唯一のものが歌
であるかのごとく声を高め、それを時間の
肉のうすい小さな耳にも聞かせようとして
倦むことを知らない。  ♪~

 限りある命。時間に急かされ歌う虫たち。命の鎮魂歌…。
今まで、私は何の歌を歌ってきたのでしょうかか?
いや、そもそも歌う歌などもっていたのでしょうか?
日々の時間に流されて……。

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  晩秋の風景の中で、いろいろな思いにひたりたい方は、
二十四節気「霜降」2013へどうぞ → こちら

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  柿の実は赤く色づき、稲刈りもほぼ終わりに近づいています。
嘗て稲刈りは、明るい光に溢れ、みんなでする作業でした。

~♪みんなではたらく刈田ひろびろ♪~    (種田山頭火)

~♪見下せば 里は稲刈る 日和かな♪~   (正岡子規)

~♪稲刈れば 小草に秋の 日のあたる♪~  (与謝蕪村)

 今の時代は少し様子が違います。機械化。老齢化。
田んぼに立てかけられた藁の束は、夕日に何を語り合っているのでしょうか?
この国は何処へ向かって進んでいるのでしょうか?

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  籾を焼く煙。色づき始めた桂の木。土手に沈む夕日。
晩秋の風景をさらに散歩したい方は、
二十四節気「霜降」2014へどうぞ → こちら

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2017年10月23日 (月)

二十四節気「霜降」2017

 10月23日は、二十四節気の「霜降」です。季節はずれの台風がやってきて、一暴れして去っていきました。
 今日は、詩人のまどみちおさんと一緒に、木津川土手周辺を散歩してみます。ただし、パソコン上でですが……。

 私の考えでは、木津川土手周辺の晩秋は、稲刈りの終了ともに始まります。稲刈りが終わると、急に風景が一変するのです。
 稲刈りの終わった田んぼには藁の束が並び、柿の実は赤く、何処からともなく金木犀の香りが漂います。空は青く、白い雲が流れていきます。

~♪「白い雲」 (まどみちお)
すみきったまっ青空に
きょうも白い雲がひかっている
 ………
ああ どんなんだろう
景色の一ばんうしろにいて
すべてを見わたしている雲の思いは
  ………     ♪~

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  刈り取りの終わった畦道では、小さな草たちが晩秋の野を飾っています。

~♪「小さな草」  (まどみちお)
風がどこからか運んできた一つぶのタネ
からうまれでた この一かぶの小さな草
人にふまれ くるまにけとばされ
 ………
まだこうして霜がおりるまではここで
夕やけに見とれ 風とあそんで生きている
この世に一つきりの自分をこんなに光らせて
  ………     ♪~

 晩秋の風景や小さな草花と遊びながら、木津川土手周辺を散歩したい方は、
二十四節気「霜降」2016へどうぞ → こちら

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  今の時期、田んぼの畦道に咲く小さい草はアカマンマです。

~♪「アカノマンマ」   (まどみちお)
このういういしさは
このつつましさは

天からのもの 地からのもの
はるかな はるかな はるかな…

なのに この草のもの
におうばかりに いまここに
  ………     ♪~

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  以前、シロとい名前の犬と散歩する老人と知り合いになりましたが、最近姿を見かけません。どうかしたのでしょうか? 写真をプレゼントするために、写真店でプリントしたのですが……。
 アカマンマ。白い犬の老人。紅葉を始めた木々。静かに暮れていく土手。
晩秋の土手を散歩したい方は、
「霜降から立冬へ」2015へどうぞ → こちら 

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  今の時期の夕焼けは、夏の夕焼けと違って、ちょっと寂寥感が漂っています。
清少納言さんも「秋は夕暮れ……」と言っていますね。

~♪「夕やけのうた」  (まどみちお)
夕やけよ
あかあか 空をかざれ
千万億の バラをまけ
二どとはこない きょうの日が
ああ いまおわる
日がしずむ
 ………
夕やけよ
はるばる 空をわたれ
千万億の 星をよべ
銀河がけむる かなたから
ああ くる明日が
しあわせが   ♪~

 空をゆく雲。並ぶ藁束。花の咲き乱れる土手を行く人。野焼きの煙。沈む夕日。
晩秋の風景を楽しみたい方は、下手くそな写真で申し訳ないですが、
「霜降」2016続きへどうぞ → こちら 

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2017年10月20日 (金)

二十四節気「寒露」・七草談義

 次第次第に秋も深まってきました。野には秋の花です。
秋の花といえば秋の七草ですが、秋の七草すぐ言えますか? 私はダメです。
秋の七草は、万葉歌人の山上憶良の歌がもとになっていますね。

~♪秋の野に 咲きたる花を 指折りかき数ふれば 七種の花 ♪~
~♪萩の花 尾花 葛花 瞿麦の花 女郎花 また藤袴 朝貌の花♪~
 (はぎのはな おばな くずはな なでしこのはな おみなえし また ふじばかま あさがおのはな)

  しかし、「カワラナデシコ」、「オミナエシ」、「フジバカマ」、「キキョウ」などは、減少の一途。「キキョウ」は、環境省の絶滅危惧Ⅱ類、「フジバカマ」は、準絶滅危惧に指定されています。万葉時代の七草は危機に瀕しています。
  昭和10年、与謝野晶子の提唱で、「新・秋の七草」が日々新聞に発表されました。
  「ハゲイトウ」「シュウカイドウ」「ヒガンバナ」「イヌタデ」「キク」「オシロイバナ」「コスモス」だそうです。
  この新・秋の七草に対抗して、作家の佐藤春夫氏が反応し、自分流の秋の七草を発表しています。
  「カラスウリ」「ヒヨドリジョウゴ」「イヌタデ」「ヒガンバナ」「ツリガネニンジン」 「ノギク」「ミズヒキ」。 それなりに納得ですね。

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  ちなみに、枕草子の清少納言さんは、「草の花は」の段で、秋の花の魅力についていろいろ書いています。……撫子、女郎花、桔梗、朝顔、刈萱、菊、壺すみれ、竜胆、 萩、夕顔、、しもつけの花、蘆の花、薄(すすき)、など…。
 人の生活圏周辺に草地がどんどん減ってしまった現代では、秋の七草といえばどんな花になるのでしょうね。このままだと、セイタカアワダチソウも名乗りを上げてきそうな気配です。
  木津川土手を散歩しながら秋の花を楽しみたい方は、
二十四節気「寒露」2014へどうぞ → こちら

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  私の自転車散歩コースに、水主神社という極めて古い神社があります。平安初期には、すでに神社があったことが文献に出ています。
 水主神社の秋祭りで写真を撮りましたが、撮った写真をプレゼントしようと思っていましたが、遂に果たせないまま時間が過ぎてしまいました。写真の子どもたちは、たぶん高校生くらいかと…。
 水主神社の祭り、夕日に輝くオギや藁の束などをご覧になりたい方は、
二十四節気「寒露」2012へどうぞ → こちら

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  以前は、宇治田原や加茂町などにも撮影によく行っていました。
さらに、秋の散歩を続けたい方は、 
二十四節気「寒露」2010へどうぞ → こちら

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2017年10月16日 (月)

定期診察(140)・膵臓乳頭腫

 今日はKS病院血液内科の定期診察でした。
 時季はずれの秋雨前線が居座って、朝から一日中雨でした。こんな日に病院とは、ますます気分がめいりますね。
 先週の金曜日に、腹部のCT検査を受けました。

 さて、最近の症状ですが…。
☆貧血症状は少しマシでした。二階に行く階段で足がだるくなるような酷さはなくなり、家の中では普通に暮らせています。近所の図書館にも歩いて出掛けています。長時間の散歩は無理ですが…。

☆発熱し骨が痛くなる症状は続いています。

☆最近、胃の調子が悪いです。酸っぱいものが上がってきたりします。
 素人判断では、薬で胃が荒れている?
☆その他の症状は、前回と同じです。

 さて、診察結果です。
★ヘモグロビンはHb=7.5。 輸血はなし。

★血小板は9万/μl。再び血小板減少症の領域に入りました。
 場合によっては、まだまだ下がっていくそうです。
 血小板が減る時は白血球も減少。…造血能力が減っている? ←素人考え。

★腹部のCT検査の結果について画像を見ながら解説がありましたが、素人には何が写っているのか、よく分かりませんでした。結論的に言えば、膵臓の乳頭腫は成長していないということです。安心!  少し気が重かったです。
 脾臓の大きさについては、まだ我慢のうちということでした。 我慢!

★胃の症状については、ロキソニンなどの影響もあるかも知れないので、今よりもっと強めの胃薬がありますよ、ということでしたが、それは断りました。

★結果として、ジャカビは引き続き一日に2錠が続きます。

 主治医の総括的な言葉=「いろんな症状に対処療法的に対応していくしか方法は無いですね。年齢的に見て骨髄移植の選択肢はとれないし……。なんとか現状維持でいけています。…」 
 やたら「大丈夫」を強調するわけでもなく、危機を強調するわけでもなく、力を抜いてコミュニケーションが出来るのでいいです。この医師にお世話になってから10年間が経ちました。 では。また。

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2017年10月13日 (金)

48回衆議院選挙にあたって

 今回の衆議院総選挙について、思うところを書いてみます。

 森友・加計問題で追いつめられた安倍政権でしたが、支持率の回復と野党の体制が整わない間隙を狙って衆議院を解散させました。憲法改正も公約に掲げられました。
 民進党の解体という劇的な事態が生まれました。このような大きな政治的動きがあった時は、冷静に事態を見る必要があります。戦後史全体を俯瞰しながら、この事態は、戦後史全体のどこに位置しているのかという事を考える必要があります。

 では、簡単に戦後史をおさらいしてみましょう。(憲法・安全保障を中心に)
 
 【サンフランシスコ体制の成立】
  敗戦後の1946年、GHQが作成した憲法草案が示され、議論の結果、これを修正して現在の日本国憲法が生まれました。戦争に疲れた多くの国民にとっては、歓迎すべきものとして…。
 世界的に見れば、この時代すでに東西の冷戦が始まっていました。
 1950年に朝鮮戦争が始まりました。
 1951年、サンフランシスコ講和条約が結ばれましたが、西側諸国との片面講和でした。この講和条約には、「連合国日本占領軍は、本条約効力発生後90日以内に日本から撤退すること」(第6条a)が定められていましたが、同時期に結ばれた「日米安保条約」「日米行政協定」により、米国の半占領状態が続くことになりました。
  「日米行政協定」を一言で言えば、「米軍が必要とすれば、日本のどんな場所でも米軍基地にすることができる」という協定です。(第二条1項、第三条1項)
 日本は、アメリカに従属した「反共の砦」として、共産国と対峙する西側諸国の一員となったのです。

 【砂川事件判決・司法権の従属】
 1957年の砂川事件伊達判決をめぐって、日本の司法さえもがが、対米従属であることが明らかになりました。
 米軍の駐留を違憲とした伊達判決は、高裁を飛び越え、ただちに最高裁に持ち込まれ、「高度に政治的問題については憲法判断はしない」」(統治行為論)という判決が下りました。後に、最高裁田中耕太郎長官は、密かにアメリカ側と接触していた事実が明らかになりました。この司法権の従属判決は現在も続いています。

 【日米安保条約の改定】
 1960年に旧「安保条約」と「日米行政協定」にかわり、新「安保条約」と「日米地位協定」が結ばれましたが、「米軍が必要とすれば、日本のどんな場所でも米軍基地にすることができる」という本質的内容は継続されました。
 「日米行政協定」→「日米地位協定+密約」という形をとなりながら…。
  日本国内には多数の米軍基地があり、米軍には日本の法律が適用されない治外法権状態は、現在も続いています。

 【再軍備と憲法改正を求めるアメリカ】
 アメリカは、朝鮮戦争下、日本に再軍備化を要請し「警察予備隊」が創設され、1954年には自衛隊となりました。
 アメリカの公文書公開により、1948年のフォレスタル国防長官時代に「日本の限定的再軍備」(ロイヤル陸軍長官答申)が、アメリカの軍首脳部の公的な方針として確定していた事が明らかになっています。この文書には、将来憲法を改定して、本格的に軍隊をもたせるための準備をやっていくことも明記されていました。
 憲法改正と海外派兵は、アメリカの基本的な要求だったのです。
  歴代自民党政府は、「専守防衛の自衛隊は合憲」という立場でした。日本社会党は、「自衛隊は憲法違反、非武装中立」を主張し、自民党と対立しました。
 自民党のリベラル的な性格を持つハト派政権は、憲法9条を口実にアメリカからの海外派兵要請をかわしつづけました。憲法9条は、アメリカからの海外派兵要請を拒否する側面も持っていました。
 タカ派といわれる中曽根首相は、憲法改正を強く主張し、「日本は不沈空母」という発言もしました。

 【東西冷戦の終結】
 1991年、ソ連の崩壊により冷戦が終結し、アメリカは世界で唯一の超大国となりました。日本の「反共の砦」、「不沈空母」の役割が終わったかに見えました。
 しかし、北朝鮮の脅威、中国の軍事力増強など、極東地域の平和への脅威を理由に、引き続き安保体制は継続しました。
  単なる継続でなく、むしろ積極的に「日米同盟は外交の基軸」論が主張されるようになりました。

 【日本社会党の崩壊】
 総評の解散、連合の結成など労働界が右へと再編されていきました。非武装・中立を主張していた日本社会党は、ジリジリと勢力を弱めていました。
 1994年、村山連立政権が誕生しました。非武装・中立を主張していた社会党は、安保条約肯定、原発肯定、自衛隊合憲など、旧来の路線を大転換しました。この結果、社会党は国民の支持を失い、分党・解党の道をたどりました。
 その後は、「自衛隊合憲、専守防衛論」が政治の主流となっていきました。

  【集団的自衛権・改憲の要求】
 1991年の湾岸戦争以降、アメリカの日本への海外派兵圧力が強まってきました。
 1997年には、日米ガイドラインが改定されました。(周辺事態に対応)
様々な条件付きでしたが、あいついで海外派兵を可能にする法律、PKO協力法、周辺事態法などがが成立しました。
 2000年、アーミテージ国務副長官が対日報告書で、『集団的自衛権を禁じていることが両国の同盟協力を制約している』として、集団的自衛権の行使を求めてきました。
 小泉政権下で、イラク、アフガン戦争への協力をめぐり、テロ対策特別措置法、イラク復興特別措置法が成立しました。有事法制も整えられました。
この時期は全体として、海外派兵強化、有事法制の整備、大規模な改憲運動が進みました。
 【憲法の枠組みを乗り越え始めた第2次安倍政権】
 2015年、日米ガイドラインを改定。(協力を切れ目無く、地球規模に拡大)
  第2次安倍政権では、集団的自衛権行使を可能とする平和安全法が成立しました。
 憲法学者をはじめ、市民連合、学生組織などが、この法律は憲法違反であると一斉に批判しました。「日米同盟」の強化はついに、憲法の枠組みを壊さなければ進められない状態に到達したのです。

  【民進党の分裂と選挙の争点】
 以上のように見てくると、日本社会党の崩壊は、自衛隊は合憲かどうかをめぐっての問題でした。今回の民進党の分裂は、憲法9条を改正するかしないかをめぐる問題です。消費税の使い道や社会保障の進め方で分裂したのではありません。
 選挙の争点は、まちがいなく「憲法改正」です。今回の選挙は、戦後史の中で、初めて本格的に憲法改正が問われる選挙なのです。マスコミはあれこれ面白く報道するので、選挙の争点が見えにくくなっています。「チガウダロ~!」と叫びたくなります。

 【北朝鮮危機をめぐって】
 ならずもの国家・北朝鮮を巡る最悪のシナリオは、「アメリカ軍の軍事攻撃→北朝鮮による日本の米軍基地への核攻撃」です。戦後史の中で、日本が核攻撃をうけるかもしれない最大の危機が迫っています。自民党の6割、維新の9割の議員が、アメリカの軍事オプションに賛成という報道があります。軍事行動をちらつかせるトランプ大統領に追随するとは、危険かつ愚かです。日本が核攻撃を受ける危険を孕んでいます。
 「話し合いは無駄だ。必要なのは圧力だ」という主張は、戦後史全体を俯瞰すれば、海外派兵と憲法改正に親和性のある主張です。
 一番の基本的な問題は、アメリカ軍の基地が日本に多数存在することです。
 「日本はアメリカの核の傘で守られている」、「日米同盟は外交の基軸」。これらの意見を克服し、アメリカ追随国家から自立する必要があると考えます。被爆国でありながら、核兵器禁止条約に署名しない国など、あり得ないでしょう。

  「北朝鮮問題は話し合いで…」は当然の主張ですが、どこで、誰が、何を話し合うのかが問題です。「アメリカと北朝鮮が二国間で…」という中国などの主張は無責任です。中国は朝鮮戦争の片方の当事者です。もう片方の当事者は国連軍です。
 話し合いの舞台は当然国連です。武力による威嚇は国連憲章違反です。
 核兵器禁止と国家の主権を尊重した、朝鮮戦争終結についての話し合いです。
   (これは私論です。)
  選挙の投票先は難しくないですね。

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