2017年8月17日 (木)

村上昭夫詩集「動物哀歌」を読む

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 夭逝の詩人は、どのように死と向き合ったのでしょうか? 今回は、肺結核のため41歳の若さで亡くなった村上昭夫の場合をみていきます。
 彼の手になる詩集は、「動物哀歌」という詩集一冊のみで、近現代詩人の中では、あまり知られていない詩人かも知れません。

 では、年譜にしたがって略歴をみていきます。
昭和2年(1927):岩手県、現在の陸前高田市に生まれる。
昭和20年(1945)18歳:岩手中学卒業。
 官吏として満州ハルビンに渡り、臨時徴兵。敗戦。捕虜生活。
昭和21年(1946)19歳:帰国。翌年、盛岡郵便局に就職。
 職場での合唱や文化活動に励む。
昭和25年(1950)23歳:結核発症。3年間岩手サナトリウム入院。
 入院を機に、俳句や詩を書き始める。
 退院後、野良犬クロとの出会い。
昭和30年(1955)28歳:病気により郵便局を免職。
 雑誌などに投稿。詩人クラブの活動。
昭和34年(1959)32歳:仙台厚生病院入院。
 右肺切除。入院は3年に及ぶ。
昭和40年(1965)38歳:国立盛岡療養所に入院。 
昭和42年(1967)40歳:詩集「動物哀歌」上梓。土井晩翠賞を受賞。
昭和43年(1968)41歳:10月、41歳で永眠。全身衰弱。

 年譜からも分かるように、村上昭夫は、病気を契機に詩を作り始め、病気と向き合いながら詩をつくり、長くない一生を終えました。
 もっともよく知られた「雁の声」という詩をみてみましょう。

 ~♪「雁の声」
雁の声を聞いた
雁の渡ってゆく声は
あの涯のない宇宙の涯の深さと
おんなじだ

私は治らない病気を持っているから
それで 雁の声が聞こえるのだ

治らない人の病は
あの涯のない宇宙の涯の深さと
おんなじだ

雁の渡ってゆく姿を
私なら見れると思う
雁のゆきつく先のところを
私なら知れると思う
雁をそこまで行って抱けるのは
私よりほかないのだと思う

雁の声を聞いたのだ
雁の一心に渡ってゆくあの声を
私は聞いたのだ   ♪~

 彼の詩は、いつも宇宙的広がりを見据えながら展開していきます。
 宇宙の深淵へと遙かに渡っていく雁。不治の病であるがゆえに、彼は雁の哀しみの声を聞くことが出来たのです。その宇宙の深淵で、雁の哀しみと命を抱きしめることが出来るのは、彼だけなのです。…… 自然の摂理により消えていく命。自らの死の予感から、彼は、動物の哀しみと自分自身を重ね、哀しいまでの透明な眼差しで宇宙の深淵をのぞき見たのです。

  彼が「動物哀歌」の詩を書くきっかけは、野良犬クロとの出会いです。川を流されていた子犬を拾い、クロと名づけ、家の縁の下を住み家として与えます。後に彼は、「動物哀歌はすべてクロが作ってくれたようなもんだ」と語っていたそうです。
 いくつかある犬の詩の中から一つ紹介してみます。
 ~♪「犬」
犬よ
それがお前の遠吠えではないのか
 ……
お前の遠吠えする声の方向に
死なせるものや愛させるもの
別れさせるものが
目も眩むばかりにおいてあって
お前はそれを誰も知らない間に
密かに地上に呼んでいるのではないか

だがお前はひるになると
 ……
愛くるしい目を向けたりする
真実忠実な犬でしかないように
嘘の姿を見せるのだ ♪~

 忠実な犬。嘘の姿でしか生きられない哀しい存在。死や愛や別離を隠し生きる犬。
荒野の月に向かって吠える犬の遠吠えに、彼は聞くのです。生きることの哀しさ、命の愛おしさを……。
 嘘の姿を生きる飼い犬。おびえながら生きる野良犬。弱々しいもの、滅びゆくものへの限りない共感。彼は、動物たちへの共感を通して、死を見つめて生きようとする自らの意志、生きることの哀しさ、命の尊厳を詠ったのです。

 彼の詩に登場する動物は多いです。犬を初めとして、鶴、鹿、すずめ、熱帯魚、雁、鳶、鴉、、鳩、リス、牛、ねずみ、深海魚、象、熊、猿、蛇、虎、蜥蜴、あざらし、キリギリス、ウミネコ……略……。 その中から「ねずみ」の詩を紹介してみます。

 ~♪ 「ねずみ」
ねずみを苦しめてごらん
そのために世界の半分は苦しむ

ねずみに血を吐かしてごらん
そのために世界の半分は血を吐く

そのようにして
一切のいきものをいじめてごらん
そのために
世界はふたつにさける
 ……
一匹のねずみが愛されない限り
世界の半分は
愛されないのだと ♪~

 弱いものの命の尊厳が侵されるとき、世界は二つに裂けるのです。一匹のねずみが愛されない世界では、もはや世界の半分は愛されないのです。死を予感した彼の透明な眼差しは、世界の奥底に隠された真実を見抜いているのです。

 ~♪「五億年」
五億年の雨が降り
五億年の雪が降り
それから私は
何処にもいなくなる

闘いという闘いが総て終わりを告げ
一匹の虫だけが静かにうたっている
その時
例えばコオロギのようなものかも知れない
五億年以前を鳴いたという
その無量のかなしみをこめて
星雲いっぱいにしんしんと鳴いている
その時
私はもう何処にもいなくなる
しつこかった私の影さえも溶解している
  ……  ♪~

 五億年の遙かな時間の流れ。「闘いが総て終わりを告げ/一匹の虫だけが静かにうたっている」宇宙。五億年の雨が降り、雪が降る宇宙。彼は、その宇宙の中を動物たちの無量の哀しみを抱き、影とともに宇宙のなかへと溶解し、「何処にもいなくなる」のです。 自らの死の悲しみを動物たちに投影し、その動物たちを抱きしめ、遙かな時空の果てへと歩み去った詩人、村上昭夫は41歳で永眠しました。
    ******
 宇宙を吹き渡る郷愁の風に吹かれ、微かな光を求めて億光年を歩み続けると、そこにはすべての命の故郷があるのです。そこでは、動物の哀しみと人の哀しみが共鳴し、お互いを抱きしめ合うことが出来るのです。そんな故郷を目ざして村上昭夫は旅立っていったと私には思えます。
 失われていく自然の原風景への哀しみが滲む「精霊船」。「都会の牛」。
 満州での戦争体験を滲ませた「死んだ牛」。「砂丘のうた」。
  「砂丘のうた」では、「もう殺しあったりすることなんかない/海を越えた愛のうたを」と詠います。いろいろ紹介したいですが、スペースが無くなりました。
 村上昭夫詩集、お薦めします。          では。 また。

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2017年8月13日 (日)

二十四節気「立秋」・季節の扉

 8月7日は、二十四節気の「立秋」でした。暦が、季節の扉を開けてくれました。しかし、秋とは名ばかりで、毎日暑い日が続いています。
 季節の歩みは、実にゆっくりと進むものなのです。
 雲は、過ぎ去る夏の想い出を語り、風は、静かに秋をはこんでくる…。出会いと別れをくり返し、散る花は涙をながす。季節は人の歩みのようにゆっくりと進むものなのです。すべてが終わる日まで…。

 ~♪「季節の扉」
暦が秋の扉を開いた日 
百日紅の花が咲き
樹上で油蝉が夏の歌を合唱している
蓮は夏の陽ざしの中で眩しい
季節はゆっくりと歩むものなのだ

季節を語るのは雲だ
まだ入道雲が夏を語っている
湧き上がる雲は形を変え
少年の日の想い出を捜している

季節を運ぶのは風だ
ゆっくりと歩めば気づくだろう
青田の上を吹き渡る風の涼しさに
風に揺れる山法師の赤い実に
散った花びらが涙に濡れていることに 

季節を造るのは出会いと別れだ
出会いには 心ときめかせ
別れには 涙する
季節の歩みはいつも人と同じだ

すべての扉が閉じられる日が来たら
涙をぬぐい遙か遠くを見つめるのだ
地平の向こうに一つの扉が見えるだろう
その扉に向かってゆっくりと歩むのだ
季節のようにゆっくりと  ♪~

 この詩に合わせて、木津川土手方面を散歩したい方は、
二十四節気「立秋」2014へどうぞ → こちら

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   ボブという猫の物語を知っていますか? 詩人の長田弘さんが、猫のボブを詩にしています。
 ~♪ 「猫のボブ」   (奇跡―ミラクル―)
……
猫のボブがいった。平和って何?
……
それからは、いつも考えるようになった。
ほんとうに意味あるものは、
ありふれた、何でもないものだと。
魂のかたちをした雲。
樹々の、枝々の、先端のかがやき。
すべて小さなものは偉大だと。 ♪~

 長田さんは言っています。何げないありきたりの風景や、何げないささやかな日常生活のなかにこそ、ほんとうに意味のあるものがあると……。平和も幸福も…。
  また、「人の権利」という詩の中では、~♪木立の上に、/空があればいい。おおきな川の上に、/風の影があればいい。/……/幸福とは、単純な真実だ。/必要最小限プラス1。/人の権利はそれに尽きるかもしれない。/誰のだろうと、人生は片道。/行き行きて、帰り着くまで。♪~
 人の権利とは…。木立の上の空。川の上を渡る風。…必要最小限プラス1。長田さんは、いつも何げない風景や日常生活の中で、人生の意味を考察した詩人です。

 いつもの何げない木津川土手周辺の風景の中を、詩人の長田弘さんと一緒に散歩したい方は、…二十四節気「立秋」2016・後半へどうぞ → こちら

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   高田敏子さんという詩人には、橋をテーマにした詩がいくつかあります。
 ~♪「橋のうえ」
……
たくさん仕事を抱えた人が通る
なんにも仕事のない人が通る

恋ある人が歩いてゆく
恋なき人が歩いてゆく

秋の風が渡ってゆく
風よりもさびしいものがわたってゆく
さびしい目に見えないものがわたってゆく
見えないものが通るとき
橋はいちばん美しい ♪~

 さまざまな人が通る橋。恋する人も、恋を失った人も…。見えない何かも渡っていく…。橋を一番美しくする、見えないものとは何でしょうか? 希望? 憬れ? 安らぎ?
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   田の上を渡る風。雲。スイレン。ハス。ヒルガオの花。夾竹桃。百日紅。
 土手の大榎。茶畑のスブリンクラー。
  見えないものを感じながら、木津川土手周辺や流れ橋を散歩したい方は、…
二十四節気「立秋」2012へどうぞ → こちら

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2017年8月10日 (木)

二十四節気「立秋」2017

 8月7日は、二十四節気の「立秋」でした。いよいよ暦の上では秋ですね。今年の「立秋」当日は、ノロノロとした夏の台風が、騒がしく日本列島を通過していきました。

 ~♪ 秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる ♪~
  古今和歌集で藤原敏行が詠っているように、秋は、静かにそっと近づいて来ているのでしょう。今の時期、どれくらい秋が来ているのでしょうね。
 木津川土手周辺へ植物図鑑を持ち、秋を探しに散歩しましょう。きっと、城陽特産のイチジクの実も成長し始めている頃だと思います。
 ★植物図鑑を持って木津川土手方面を散歩をしたい方は、
 二十四節気「立秋」2011へどうぞ → こちら

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  土手の上に上がると、空が大きく広がり、白い雲が流れていきます。土手に座って、雲を眺めていると分かります。なつかしい人は、みんな雲に乗ってやって来るのです。亡くなった人も、遠くにいる人も、幼なじみも、なつかしい想い出を連れて、……。
 ★空を見ながら木津川土手周辺を散歩したい方は、
 二十四節気「立秋」2016へどうぞ → こちら

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  8月6日は広島に、8月9日は長崎に原爆が投下された日ですね。かって8月6日や9日は、全国の小中学校で夏休みの登校日になっていました。しかし今は、取りやめている学校がほとんどです。8月6、9日が何の日であるか答えられない人が、7割に迫っているというNHKの報道がありました。
 7月7日には、国連会議で122カ国の賛成で、「核兵器禁止条約」が採択されました。拍手と歓声の中で…。しかし、日本は不参加です。事前交渉にも参加していないといいます。何ということでしょうか…!!
 詩人の石垣りんさんは、しだいに近づいてくる戦争の足音をすでにずっと以前に聞いていました。
~♪ 「雪崩のとき」
……
すべてがそうなってきたのだから
仕方がない”というひとつの言葉が
遠い嶺のあたりでころげ出すと
……
あの言葉の
だんだん勢いづき
次第に拡がってくるのが
それが近づいてくるのが
私にはきこえる ……♪

 また、石垣りんさんは、~♪人はみんなで、空をかついで生きている。世代を超えて。輝きも、暗闇も。♪~と詠いました。みんなのつながりで、青い平和な空をかついでいけたらいいですね。
  ★石垣りんさんと一緒に木津川土手で空を眺めたい方は、
  二十四節気「立秋」2015へどうぞ → こちら

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 ★ハスの花やザリガニ、アメンボ、糸トンボ、アゲハ、ワスレグサ。さまざまな生き物を見ながら、夏休みの土手周辺をさらに散歩したい方は、
  二十四節気「立秋」2013へどうぞ → こちら

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2017年8月 7日 (月)

定期診察(136)・腸炎

 今日はKS病院血液内科の定期診察でした。台風接近で激しい雨の中を病院に向かいました。こんな時は、さらによくないことが重なるというのが、世の常です。気を引き締めて行動しなくては……。その割りに、転びそうになったり、傘を忘れて帰ろうとしたり、ドジな行動が続きました……。

 さて、最近の症状ですが、
 *今回、腹の痛みが出てきました。胃や腸が痛いのです。ヘソの周囲を押すと痛いです。食後は胃が痛いです。ロキソニンを毎日2錠以上飲んでいるので、その副作用に違いないです。いよいよロキソニンが使えなくなるかもです。

  *貧血症状は、前回の輸血のおかけで少しましです。

  *背中から脇腹の違和感は、ますます強くなっています。寝ているとき、目がさめる回数が増えました。

  *発熱し骨が痛くなる症状は、依然として続いています。ロキソニン無しでは生活できないです。1錠のロキソニンで何時間我慢出来るか試しに調べてみたところ、16時間が限界でした。熱と痛みがひどくなるので、この実験はもう二度とやりたくないです。バカなことをしていますね。

  さて、診察結果です。
 ★ヘモグロビンはHb=7.6。 予想通りです。輸血は無し。

 ★胃と腸の痛みについては、いろいろ問診の結果、「まちがいなく腸炎ですよ。」でした。素人考えのロキソニン副作用説は、あっさりと否定されました。
 というわけで、抗生剤と整腸剤のビオフェルミンの処方になりました。

 ★骨の痛みと熱については、引き続きロキソニンの処方です。

 ★背中から脇腹にかけての違和感、つまり脾臓の肥大化については、引き続き我慢あるのみです。

 ★ジャカビは一日に2錠が続きます。血小板は10万のまま。

 帰りは、雨の止み間に急いで帰りました。さすがに電車は空いていました。
 薬局で、ジャカビが品切れで足りないことが判明。明日、残りを受け取りに行くことになりました。 よくないこととは、このことかな?……。 許せますね。
                    では。また。

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2017年8月 3日 (木)

二十四節気「大暑」・夏の歌

 大暑の頃。一年中で一番暑い季節に入りました。
 考えてみると夏はなぜ暑いのでしょうか。理科的に言えば、地軸の傾きにより四季が生まれ、夏になるのですが……。 心までもが暑いのはなぜでしょうか。

 ~♪「夏に」
暑いから夏になったのではない
蓮の花が咲き
白い夏雲が湧き上がり
青田の上を風が吹き渡ってゆく
風景が夏を語ったから夏が来たのだ

暦が知らせたから夏になったのではない
水の上のアメンボウ
ワルナスビの針
花に潜むハラビロカマキリ
すべての命が夏を知らせているのだ

夏が来たから涙が流れるのではない
焼け跡に夾竹桃が咲いた夏
二度と帰らない少年の日の夏
わすれ草を胸にした夏
夏の想い出が涙を連れて来るのだ

夏が来たから暑いのではない
遠く見つめる先に
平和はあるのか ホオジロよ
人はどこから来て
どこに行くのか 無言の空蝉よ

思いを込めるから暑いのだ 夏よ   ♪~

 この詩にあわせて、木津川土手周辺を散歩したい方は、…
二十四節気「大暑」2014へ → こちら

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   詩人の高田敏子さんは、橋をテーマにした詩をいくつかつくっておられます。
 ~♪「橋」
少女よ
橋のむこうに
何があるのでしょうね

私も いくつかの橋を
渡ってきました
いつも 心をときめかし
急いで かけて渡りました
……
そして あなたも
急いで渡るのでしょうか

むこう岸から聞こえる
あの呼び声にひかれて ♪~

 心をときめかせ、いくつもの橋を渡ってきた私。今、橋を渡ろうとしている少女。
橋のむこうにある何かを目ざして…。
 人はみんな橋をわたるのです。「あの呼び声にひかれて…」。あなたもまた…。
  夏の夕暮れ。赤い夕雲を見ながら、木津川流れ橋を渡ってみたい方は、…
二十四節気「大暑」2012へ → こちら

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   仏教経典『妙法蓮華経』に、「不染世間法 如蓮華在水」(世間の法に染まらざるは、蓮華の水に在るが如し)とあるそうです。ハスは泥の中にあっても汚れることなく美しい花を咲かせるということです。ありがたい仏の花というわけです。
 枕草子、「草は」の段には、次のように書かれています。
  ~♪…蓮葉(はすば)、よろづの草よりもすぐれてめでたし。妙法蓮華のたとひにも、花は仏にたてまつり、実は数珠(じゅず)につらぬき、念仏して…♪~
 北原白秋の名曲、「からたちの花」は、♪…からたちの花のそばで泣いたよう…♪と歌います。これを「ハスの花のそばでないたよ~」に変えるとどうなるでしょうか? もう絶対、死んだ誰かを思う歌になってしまいますね。
 日本人にとってハスの花は、仏の花という印象がすり込まれてしまっています。ハスの花を見ると、線香の匂いが漂ってくる人は、もう、ちょっと重症ですね。
 花を愛でるときは、先入観にとらわれず素直に見たいものです。
  明るく咲く昼の蓮に出会いたい方と、流れ橋の夕景を眺めたい方は、…
二十四節気「大暑」2013へ → こちら

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   ハスの花は、外国ではどんな扱いを受けているのでしょうね。
 シューマンの歌曲集「ミルテの花」第7曲は、ハイネの詩に作曲した「Die Lotosblume(はすの花)」です。この曲を聴きたい方は、→  こちら   (歌はElly Ameling)

~♪ 「はすの花」  (H・ハイネ 訳/西野茂雄)
はすの花は 燃えさかる太陽を恐れて
うなじを垂れて夜を待つ
夢見心地に

月こそ はすの恋人
その光に はすは目覚め
いそいそとヴェールを脱いで
つつましい顔をあらわす

花開き 燃え立ち 光を放ち
はすは言葉もなく空を見上げる
はすは匂い はすは泣き
はすはおののく
愛と愛の切なさゆえに ♪~
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2017年7月30日 (日)

二十四節気「大暑」・蓮の花

 木津川土手周辺の蓮田では、夏の花である蓮の花がすこしずつ咲き始めています。今日は、今の時期のハスを捜しながらパソコン上を散歩します。

 蓮の花が開くのは明け方です。ハスの花が歌うのは「朝のうた」です。
 ~♪「朝のうた」
 朝露は夜の闇から生まれ
 明けてゆく光の中で
 白く静まりかえっている
   
 静寂を破り陽が昇る
 川霧は金色の炎を上げ
 すべての朝露は歓喜の光を放ち
 野に咲く花は
 光の言葉で希望を歌う
   
 この時 隠されていた秘密が
 光の言葉で明かされたのだ
 一日はどのように始まり
 何でできているのかが
   
 夜の闇に耐え
 朝露をまとった虫たちは
 すべてを知っている
 いのちの長さとは
 朝露が生まれやがて消えていく
 その一瞬の時間のことなのだと
   
 無意味な日々の積み重ねを
 人生と呼ぶなら
 何十年生きようとも
 人の一生はつかの間だ
 人は忘れているのだ
 一日が何故そこにあるのか
 その意味が何であるのかを
   
 やがて朝の秘密は
 昼の光の中に隠され
 今日もまた一日が始まるのだ ♪~

 朝の秘密とは何でしょうか? 一日一日は何のためにあるのでしょうか?
 その秘密を解くために蓮田を散歩したい方は、…
二十四節気「大暑」2016・朝の蓮田へ → こちら

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   夏の朝を飾る朝露。露にまみれて、糸トンボがひそかに活動を始めています。
 朝日が昇り、朝の光が満ち溢れてきました。昼の活動開始です。
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 蜜を求めて、ミツバチたちの朝の訪問も始まりました。ミツバチは蜜をもらい、花は花粉を運んでもらう、遙か遠い昔に結ばれた命の約束です。
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   蓮は夏の光を浴びて、雲にも挨拶をしているようです。大空に憬れ飛び立とうとしているのでしょうか。蛙は蓮の葉の上で、明日について考えているのでしょうか。
  蓮田や田んぼで朝の光の中を遊びたい方は、…
 二十四節気「大暑」2015・追加へ → こちら

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2017年7月27日 (木)

二十四節気「大暑」2017

 7月23日は、二十四節気の大暑でした。一年中で一番暑い時期に突入です。
 今年は、梅雨末期の豪雨で各地に被害がでました。雨は局所的なもので、全体的には空梅雨だったようです。関東では、取水制限も始まったとか…。

 太陽の輝く夏の日。麦わら帽で散歩に行きたいですね。土手の上に湧き上がる雲や土手の大榎にも会いたいです。では、いつものようにパソコン上で、詩人と一緒に散歩に出かけましょう。
 「人はかって樹だった」という詩集を出した詩人がいます。

~♪ 「むかし 私たちは」
木は人のようにそこに立っていた。
言葉もなくまっすぐ立っていた。
立ちつくす人のように、
……
物語の家族のように、
母のように一本の木は、
父のようにもう一本の木は、
子どものように小さな木は、
どこかに未来を探しているかのように、
……
みじろぎもせず立っていた。
私たちはすっかり忘れているのだ。
むかし、私たちは木だったのだ ♪~
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   ~♪ 「空と土のあいだで」
……
…。どこまでも根は
土を掴もうとする。どこまでも
枝枝は、空を掴もうとする。
おそろしくなるくらい
大きな樹だ。…
……
三百年、わたしはここに立っている。
そうやって、わたしは時間を旅してきた。
……
やがて来る死が、根にからみついた。
たが、木の枝々は、新しい芽をはぐくんだ。
自由とは、どこかへ立ち去ることではない。
考えぶかくここに生きることが、自由だ。
樹のように、空と土のあいだで。 ♪~

~♪「立ちつくす」 /祈ること。人にしか/できないこと。祈ることは、/問うこと。みずから深く問うこと/問うことは、ことばを/握りしめること…/……/…太陽の、赤い光が、滲んでゆく。/一日が、はじまる。――/ここに立ちつくす私たちを、世界が、愛してくれますように。♪~
 「人はかって樹だった」の詩人、長田弘さんと一緒に、木津川土手の散歩に出かけたい方は、二十四節気「大暑」2016へ → こちら 

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   高田敏子さんという女性詩人がいました。「台所詩人」、「お母さん詩人」とも呼ばれています。彼女は、「夏」という季節に特別な思いを込めていたように思います。夏に咲く花、「夾竹桃」の詩をみてみましょう。
~♪ 「夾竹桃」
夾竹桃が咲きました
花を見上げて 私は
――よいお天気ね――とか
――きれいに咲いたのね――とか
声をかけてしまいます

私がもし 誰からも
声をかけられない日がつづいたら
……
それは 私がいないのと同じ
生きていないのと同じでしょう

庭の花にも
声をかけるとき
花があって 私があって
あることのたしかさが思われます ♪~

 夏に咲く花夾竹桃。原爆により、一瞬にして声を掛け合うことさえ奪われた人たち。焼けた地に花をつけた夾竹桃の生命力。花があって…私があって…、生きることの「たしかさ」がある…。激しかった夏。戦争の終わった夏。やさしさが溢れた詩ですね。
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   女性詩人の石垣りんさんや茨木のり子さんと一緒に、木津川土手を散歩したい方は、
二十四節気「大暑」2015へ → こちら

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2017年7月24日 (月)

定期診察(135)・3回目の輸血

 今日はKS病院血液内科の定期診察でした。薄曇りの暑い日でした。高校生が夏休みに入ったせいか、電車は行き帰りとも座れました。
 一雨来てほしいという勝手な希望を言いたいですが、東北・新潟の方は大雨で大変のようです。最近の異常気象は、ちょっと酷いですね。

 さて、最近の症状ですが、……
  ・貧血症状が少し進んでいるように思います。すぐ息が切れ、何かだるいです。
  ・背中から脇腹の違和感が、急速に酷くなってきました。ほぼいつも違和感を感じています。寝ているとき、姿勢によって苦しくなり、目がさめることがあります。
  ・発熱し骨が痛くなる症状は、依然として続いています。ロキソニン無しでは生活できないです。
  ・寝汗。むくみ。理由のない体のだるさ。手足の痺れ。……等々。

  さて、診察結果です。
 ★ヘモグロビンはHb=6.6。 低いです。3回目の輸血決定!

 ★骨の痛みと熱については、やはりロキソニンの処方です。
  改善の方向が見えないです。このまま最後まで続くのかも?

 ★背中から脇腹にかけての違和感、つまり脾臓の肥大化については、主治医の説明によると、最初に背中に強く感じて、次は左脇腹に広がり、最終は腹の前の方に飛び出して来るそうです。触診で前の方には、まだ来ていないので、まだ少しゆとりがあるということです。
 私流に翻訳すれば、触診という原始的方法による診断の結果、まだまだ我慢しろということのようです。 言い過ぎか? スミマセンヽ。

 ★ジャカビは一日に2錠が続きます。血小板は10万のまま。

 ★3回目の輸血を受けました。冷房が効き過ぎていて寒かったです。カーテンで仕切られているため、丁度、冷気が溜まりやすい状態になっていました。毛布を着せてもらいました。
        次の診察は、2週間後です。   では。また。

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2017年7月20日 (木)

カテゴリー追加しました

 カテゴリー「詩集を読む」を追加しました。
「詩集を読む」という記事が増えてきましたので、
新カテゴリーにまとめました。
 現在までに登場した詩人は、次の方々です。

 高見順 宮沢賢治 金子みすず
 八木重吉 石川啄木 山村暮鳥
 中原中也 立原道造 山之口貘
 新美南吉

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新美南吉の詩を読む

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  夭逝の詩人は、どのように死と向きあったのでしょうか。今回は、29歳の若さで亡くなった新美南吉です。
 新美南吉は、「ごんぎつね」などの童話作家として有名です。「ごんぎつね」は、1956年に小学四年の国語教科書に初めて採用され、1980年からはすべての教科書に採用されました。50歳以下の人ならだれでも知っていることになります。童話作家としてあまりに有名になったため、詩人としての新美南吉はあまり知られていないようです。
 では、新美南吉の作品と生涯を追っていきましょう。

 南吉は、1913年(大正2年)、愛知県半田に生まれました。本名は「渡辺正八」。
南吉は四歳の時、母を亡くします。父が再婚し、継母の元で育てられますが離婚。生母のの実家、新美家の養子になりますが、養母との二人暮らしに耐えられず逃げ帰ります。このように、南吉はめぐまれない少年時代を送ります。
  南吉17歳の時の短歌です。傷ついた想い出を歌っています。
 ~♪まま母と あらがいてのち家出ぬ 赤きけいとう うつつなく見る~♪

 18歳で半田中学校を卒業。体が病弱だったため、師範学校の試験に不合格。半田第二小学校の代用教員となります。この頃から、鈴木三重吉が創刊した児童文学誌「赤い鳥」に投稿を始めます。「赤い鳥」に初掲載された「窓」という詩をみてみましょう。
 ~♪「窓」
窓をあければ
風がくる、風がくる
 光った風がふいてくる

窓をあければ
こえがくる、こえがくる
 遠い子どものこえがくる

窓をあければ
空がくる、空がくる
 こはくのような空がくる ♪~

 窓を開ければ、光った風、子どもの声、琥珀色の空。南吉の澄んだ目を感じます。同じ頃作られた「光」という詩では、~♪……人は光の中にいる。/神も光のなかにいる。♪~と、光に満ちた信仰的思いを感じさせる詩を作っています。
 
 19歳で、東京外国語学校英文科に進学します。彼の童話の代表作である「ごんぎつね」や「手袋を買いに」は、この時期の作品です。
  「ごんぎつね」では、きつねは心のつながりを求めますが、悲劇的結末が待っています。「手袋を買いに」では、汚れのない無邪気な子どもの心のみが、心と心をつなげることに成功します。
 生きてゆくことの孤独。他者と心をつなげたいという心情。これらは、南吉童話の底流を流れています。南吉の恵まれない生い立ちを反映したものであると思います。

 21歳で、結核による喀血。帰郷。静養。精神的挫折。この頃より、自己の内面や背後に死を感じさせる詩作が多くなっていきます。この頃書かれた「墓碑銘」という詩をみてみましょう。
~♪ 「墓碑銘」
  この石の上を過ぎる
 小鳥たちよ。
 しばしここに翼をやすめよ。
 この石の下に眠っているのは、
 おまえたちの仲間のひとりだ。
 何かのまちがいで、
 人間に生まれてしまったけれど、
 ・・・・・・
 人間のしゃべる憎しみといつわりの言葉より、 
 おまえたちの
 よろこびと悲しみの純粋な言葉を愛した。
 ・・・・・・
 彼には人間たちのように
 おたがいを傷つけあって生きる勇気は、
 とてもなかった。
 ・・・・・・
 彼は逃げてばかりいた。
 けれど現実の冷たい風は、
 ゆく先き、ゆく先きへ追っかけていって、
 彼の青い灯を消そうとした。
 ・・・・・・
 彼はある日死んでしまった。
 小鳥たちよ、
 真実、彼はおまえたちを好きであった。
 ・・・・・・
 小鳥よ、ときどきここへ遊びにきておくれ。
 そこで歌ってきかせておくれ。
 ・・・・・・
 彼はこの墓碑銘を、
 おまえたちの言葉で書けないことを、
 ややこしい人間の言葉でしか書けないことを、
 かえすがえす残念に思う。  ♪~

 「憎しみといつわりの言葉」より、「よろこびと悲しみの純粋な言葉」を愛したい自分。しかし、現実に立ち向かえない弱い自分。近づいてくる死。深刻な生と心の危機。南吉は、詩をつくることにより、傷ついた心を乗り越えていきます。
  22歳で、再び上京。東京外語を卒業するも、再び喀血し帰郷。時々自殺を考える苦しい生活を送ります。思いを寄せていた女性が結婚するということもありました。この時期に書かれた「わが靴の破れたるごとく」という詩をみてみましょう。

~♪「わが靴の破れたるごとく」
 わが靴の破れたるごとく
 わがこころまた破れたり
  靑やかに美しかりし
 かの若き日の感傷は乾からび
 今ははや
 まことにいたみ凋(しぼ)みたる
 かなしき傷痕のみ
 その破れたる心抱きて
 今宵また氷雨しみらなる
 暗き街々をさまよへば
 わが靴は心とともに
 憐れに貧しく
 しみしみと泣くなり   ♪~

 25歳で、安城高等女学校の英語教師として就職することができます。。生徒と共に詩集を作ったり、しばらくの充実した生活を送ります。
  28歳で、結核は腎臓へと進行。死を覚悟し遺書を書きます。日記には、病気や死に関する記述が多くなります。
 29歳。1月12日の日記です。
 <……朝目がさめるとすぐ病気のことが頭に来た。しかし恐怖感はなかった。「死」にも馴れることが出来るものだなと思った。貧乏や失恋に馴れることが出来るように。…新しい生活が始まったのである。腎臓結核(つまり死)との新婚生活が。……>

 死を覚悟しながらも南吉は、最後の力をふりしぼり童話を書き続けます。「おじいさんのランプ」、「牛をつないだ椿の木」、「ごんごろ鐘」、「花の木村と盗人たち」など、後期の名作を残します。
  26歳頃の童話作品「最後の胡弓ひき」では、時代の潮流に取り残された胡弓弾きと味噌屋の主人との心の交流、失われゆくものや滅びゆくものの哀惜の念が描かれます。
 しかし、後期作品の「おじいさんのランプ」では、時代の流れを感じとったランプ売りのおじいさんは、きっぱりとランプに別れを告げ、人々の内面を照らす本を売る商売を始めます。
 「ごんごろ鐘」では、「古いものは新しいものに生まれかわって、はじめて役立つということに違いない。」と、童話の最後を締めくくっています。古いものは新しいものに変わっていく、自らもまた同じであると……。
 「牛をつないだ椿の木」では、日露戦争へ出征する主人公は、自らの一生の仕事として、旅人や村人のために井戸を堀ります。南吉は、激しく移り変わる時代の流れの中で、自らの死を自覚し、井戸水のように澄んだ作品を後世に残そうとしたのだと思います。
 30歳を迎える年の3月に、死を自覚して退職届けと父への遺言状を書きます。自らの作品を後の世に託し、29歳で永眠しました。
                *********
 スペースが少なくて、十分に詩を紹介することが出来ませんでしたが、私の一番のお薦めの詩は、「疲レタ少年ノタビ」です。死に対する南吉の姿勢が一番示されているような気がします。
 興味をもたれた方は、「新美南吉童話集(岩波文庫)」、「新美南吉詩集(ハルキ文庫)」をお薦めします。低価格♪
 岩崎書店の美しい日本の詩歌シリーズ、「花をうかべて―新美南吉詩集」は、分厚い装丁で、編集の仕方もなかなか良いです。ただし、文庫本2冊分の値段。    
「デデムシ 新美南吉詩歌集」石川勝治・斎藤卓志編集(春風社 )は、年代順に作品が読め、短歌、俳句作品も掲載されている優れものです。1944円。(アマゾン)

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2017年7月17日 (月)

日本の農業と食が危ない~種子法廃止~

 Tane
  今、加計学園問題が話題になっています。テレビに登場する評論家が、「特区制度は良い制度だが、加計学園のみが優遇されたことが問題だ。」という追求の仕方をすることが、しばしばあります。これは、間違った議論です。特区制度も大変重要な問題です。
 国家戦略特区とは、新自由主義的な規制緩和政策です。企業が規制を受けずに、自由に利潤を追求するための政策です。今まで公共が担ってきた福祉、教育、医療、水道をはじめとする生活インフラなどを民営化して、企業の利潤追求に差し出すものです。
 種子法の廃止も、岩盤規制の緩和・撤廃という理由付けの下に企業の参入を拡大し、企業の利潤追求を種子生産分野に持ち込もうとするものです。いわゆる新自由主義的なアベノミクス農政の一環です。

 「種子法(主要農作物種子法)」とは、いったいどんな法律なのでしょうか。
  種子法が制定されたのは1952年。戦中から戦後にかけて食糧難の時代を経験した日本が、「食料を確保するためには種子が大事」と、「二度と国民を飢えさせない。国民に食料を供給する責任を負う。」という国家の明確な意思に基づき制定されました。
  種子法では、コメ、麦、大豆といった主要作物について、優良な種子の安定的な生産と供給を「国が果たすべき役割」と定めています。コメ、麦、大豆などの種子は、食糧としての重要性や、野菜などと違い短期間での種子の開発・普及が困難なものです。このため、国の責任として都道府県に対し、種子の開発や生産・普及を義務づけているのです。
  この制度の下で、都道府県は農業試験研究の体制を整え、地域に合う品種を開発し、「奨励品種」に指定し、さらには原原種や原種の生産圃場の指定、種子の審査、遺伝資源の保存などを行ってきました。

 4月14日、共謀罪法案が注目を集める中、たいした議論もなく、マスコミも全く報道しない中で「種子法(主要農作物種子法)」の廃止が国会を通過しました。
  政府や農水省は、「国が管理するしくみが民間の品種開発意欲を阻害している」と説明しています。種子の生産コストが国の財源でまかなわれている今の制度では、都道府県と民間企業との競争条件が対等ではないというのです。つまり、規制緩和してもっと企業に利益をまわせというわけです。

 都道府県が、予算を削り種子事業から撤退し、すべて民間企業の手に種子が委ねられたとしたらどうなるのでしょうか。
  例えばコメについていえば、日本では現在300品種近くのコメが作られています。種子生産企業が利益を上げるためには、たくさんの需要があり、利益が上がる一部品種に集中する必要があります。300品種すべてに責任を持つことはしません。
 300品種コメの中には、愛知県の中山間地でのみ栽培されている「ミネアサヒ」という 大変味の良いコメがあります。三河地方のみで流通し、地域振興資源となっている品種です。このような少量品種では、コストもかかり企業は利益を上げることはできません。やがて切り捨てられていくことは火を見るより明らかです。これは、別の視点から見れば、地域の切り捨てということでもあるのです。

 また、国や都道府県が持つ種子や施設を民間に提供し、品種開発を進めるということは、税金を使って育成した品種という国民の財産を民間企業へ払い下げることです。
  そして、企業はやがて改良した新品種に対して特許を取得します。特許料を払わなければその種子が使えなくなる、つまり種子が企業に囲い込まれてしまう「種子の私有化」が起こります。農家は毎年高い種子を買わされることにもなります。

すでに民間が主体となっている野菜などの作物では、圧倒的な技術力と資本を持つ数社の多国籍企業が、中小の種苗会社を次々に買収し、世界中にシェアを拡大しています。スーパーなどで販売されている野菜の多くも、そうした多国籍企業の種子によるものになっています。

 世界の種子市場は急速に寡占化が進んでいます。世界的な多国籍企業が、各国の種子企業を買収して主要作物の遺伝資源を囲い込むと共に、遺伝子操作による技術開発により新品種の特許を独占し、世界の農業を支配してきています。世界の上位10社で、70%近いシェアを持つまでになっています。
 23%のシェアを持つアメリカのモンサント社は、遺伝子を組み換えて、自社の農薬しか効かない種子を農薬とセットで販売するという方法で巨利を得ています。

  地方切り捨てや小規模農家を排除する政策を進める「アベノミクス農政」は、さらに種子事業を民営化し、今まで日本が蓄積してきた公共の種子を多国籍企業が開発した「特許種子」に置き換えることにつながっていくものです。
 世界的に見ても小規模農家が食料生産の重要な部分をになっています。世界各地で、巨大資本による種子の囲い込みに反対し、小規模農家を保護して、農業の多様性を保持しながら食料主権を守っていこうとする市民や農民による運動が起こっています。
  「種子は農業の生命線であり、食の根幹であり、したがってすべて生命の源である。」京都大学の久野秀二教授の言葉です。
  今後も種子法廃止の行方を見守っていく必要があります。
 国家戦略特区や規制改革会議が打ち出す、新自由主義的な企業重視の政策に目を向けていくことが必要です。カジノ容認。医療特区での株式会社の病院経営。混合診療解禁。…など。もう課題は山積みです。     

  なぜ農家は、毎年種子を購入しなければならないのか? 種子の自家採取は出来ないのか? 疑問を持たれた方は、「タネが危ない」へ → こちら

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2017年7月15日 (土)

二十四節気「小暑」・蓮の葉

 木津川土手周辺の蓮田では、夏の花である蓮が成長を始めています。今日は、パソコン上で、葉を出し始めたハスを捜して散歩します。

 ハスの花と言えば、盛夏の花ですね。夏の朝に露をまとって咲く姿は、実に美しいですが、今の時期は、まだ最盛期には少し早すぎます。しかし、今の時期でしか見られないハスの姿もあります。若々しく伸びゆくハスです。
 水の張られた蓮田。長い地中での眠りから覚めて、夏雲の下でゆっくりと成長を始めます。若い蓮の息が、水面に小さな輪を作っています。
 水草が発生した蓮田は、緑の絨毯状態です。
 ~♪ 一葉浮て 母に告ぬる 蓮かな ♪~ (山口素堂)
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   雨の時は、水玉が宝石となって葉を飾ります。玉まつり?
 流れる雨水は、水草の流紋を描きます。
  ~♪  蓮池や 折らで其まま 玉まつり ♪~   (松尾芭蕉)
  ~♪ 蓮の葉に 此の世の露は 曲がりけり ♪~ (小林一茶)
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   夕日が差してくると最高です。水草が黄金色に輝きます。
 影は長く伸びて、水草の上に金と黒のコントラストを作ります。
   ~♪ 一つづつ 夕影抱く 蓮かな ♪~    (高浜虚子)
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   開いた花一つ一つに表情があるように、つぼみにも表情があります。
  ~♪ 面かげも 籠りて蓮の つぼみかな ♪~  (りん女)
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   間もなく「大暑」です。大輪のハスの花が待たれます。
 最後の写真は、琵琶湖烏丸半島のハスです。この見渡す限りのハス群落は、昨年より全滅したとのことです。水中の土壌の悪化らしいです。残念ですね。では、また。
  ~♪ 蓮枯れて 夕栄ばえうつる 湖水かな ♪~  (正岡子規)   
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